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No.62 男性と女性

Pathwork Guide Lecture No. 62
1996年版
1960年4月1日


男性と女性
MAN AND WOMAN


このレクチャーには、同性愛に関するひとつ以上のコメントがあります。同性愛に対するガイドの言葉は、これまでパスワークのコミュニティー内で論争の種となってきました。これらの言葉は、特に性的指向や、過去・現在における偏見の経験に基づいた痛みを引き起こす可能性があります。この話題についても、他の全ての話題についても同様に、ガイドは私たち自身の内なる権威を見つけるよう招いているということを、皆さんにリマインドしておきたいと思います。
IPF評議員会 2022年9月



最愛の友である皆さん、ようこそいらっしゃいました。今夜は祝福されています。皆さん一人ひとりに祝福を。

最初に創造された原初のスピリットは、男性と女性が両方として一体でした。堕落した全ての存在の成長が完了する時、男性と女性は再びひとつとなります。堕落による副産物のひとつとして、原初の存在は分裂し、分離しました。このことは様々な機会で既にお話ししています。堕落に関わった存在達の成長度合いが低い程、原初の存在はより多くの分離した部分へと分かれています。人類の成長は、分離が二分する段階に達しています。それはふたつの性の存在、すなわち、男性と女性として表れているのです。

成長の目的は、本来の統一性、あるいはワンネスへと戻る道を見つけ出すことにあります。地上界における成長の特定の側面のひとつは、男性と女性の間の結合です。従って、両性の交配は、単なる生殖以上の深い意味があるのです。男女の関係では、非常に多くの問題が克服され、多くを学ぶこともできます。他のいかなる方法をも超えて、成長を進めることができるのです。エロスと性的衝動によって燃え上がる愛は、他の関係性よりも容易に花開くことができます。そして、愛こそが常に究極の目的なのです!しかし、男女関係は個人的な感情がより深く関わる為、他のいかなる人間関係よりも多くの障害や軋轢を生み出します。客観性と距離感が、他の人間関係よりも大きく欠如するのです。だからこそ、結婚は一方で最も困難なものであると同時に、他方では最も実り多く、最も重要で、至福に満ちた関係なのです。

人類が地球上に現われて以来、男女関係に関する誤解やマスイメージも存在するようになりました。それが今も存在しています。表面的には、男性と女性との間には大きな違いがあるように見えます。しかし実際には、その違いはあなたが思う程に大きくはありません。何故なら、あらゆる男性は自らの魂の内に彼の本質の女性的な側面を抱え、女性は彼女の男性的な側面を抱えているからです。それはあたかも、それぞれが宇宙の何処かに存在する自分の半身の写しや、刻印を自らの内に抱えているかのようです。しかし、この刻印は単なる複製ではなく、それぞれの人格の本質において、生き生きとした現実の一部なのです。この隠された部分は、コインの裏側のようなものです。ただし、男性の中の女性的な部分、女性の中の男性的な部分が完全に隠されている一方で、もう片方が常に露になっている等と想像してはなりません。円盤が時折片側に傾き、また反対側にも傾く様子を想像してみれば、真実により近づけるでしょう。

それぞれの魂に刻まれたもう半身の生きた刻印こそが、異性との結合、交わり、愛への絶え間ない憧憬とそれを探し求める原因です。それは又、性的衝動そのものの起源でもあります。この自らの半身の生きた刻印は、女性における男性的傾向や、男性における女性的傾向とも説明できます。この円盤が柔軟であればある程、反対の傾向は顕著に現れます。硬直していればしている程、それらは現れにくくなります。しかし、片方が現れにくいからといって、これらの傾向が存在しない訳ではありません。魂が健全であればある程、そしてこの点においてのマスイメージの影響が少なければ少ない程、反対の傾向は健全かつ建設的な形で花開き、その性別について受け入れられている象徴的な傾向と対立するのではなく、調和するようになるでしょう。

最も頑なに維持されているマスイメージのひとつは、男らしさと女らしさに関するものです。男性は強くある筈で、女性は弱い筈とされます。男性は知的で創造的である筈で、女性は男性より知性に劣り、より感情的であるとされます。男性は直感的で繊細であってはなりませんが、女性はそうだとされます。男性は能動的で、女性は受動的であると。これらの概念やその様々な派生の考えは、人類の始まりから存在してきました。特定の文明では、そのバランスが極端に傾いた時代もありました。それは今日でも複数の領域で起こっていますが、あらゆる極端は反抗と誤解から生じるものであり、従って、同じく不健全で誤っています。これらは、かつて反抗した古い選択肢へと逆戻りすることになります。これは時間の問題に過ぎません。真実は、このいわゆる男性的あるいは女性的な傾向は全て、各人の内に存在し、存在する権利があるということです。それらは、あなたの男らしさや女らしさを損なうものではありません。むしろ逆です。

広い意味で言うと、マスイメージの影響は二重です。まず、男性も女性も自らの性別と反対の傾向に罪悪感や不適切感を抱き、その傾向を抑圧します。言うまでもなく、これは極めて有害です。次に、これらのマスイメージは、自らの性別に許される傾向への過度な意図的な強調をもたらしました。

何世紀もの間、男性は能動的な側面である肉体的能力と知的能力を成長させ、育んできました。同時に、感情的で直感的な性質を故意に抑圧し、その展開を阻んできました。女性にとっては、これとは逆でした。その結果は、人類全体にとって非常に不幸なものであり、その影響は今もなお続いています。個人の人格においては、不均等と不調和が生み出され、それに罪悪感と不適切感という重荷が加わります。社会的には男性社会の結果として、技術的進歩と科学や知性への過度の強調に伴う、魂の資質のネグレクトがあります。これは、重要な側面のひとつに過ぎません。戦争、革命、世界の資源の誤った管理が、その明らかな結果です。この両性の力の均衡が、個々の魂において確立されるまでは、どんな賢明な対策が外的に講じられようと、世界の状況が改善されることはありません。人間の人格の両側面が等しく成長して理解されるべきだという認識がなければ、この地上界で平和と幾分かの正義を見出すことはできないでしょう。

女性は長い間、自らの知性と創造性を抑え込むように強いられてきました。それらは、女性の直観力と感情的な側面、つまり女性の魂の資質に浸透することで、より一層建設的なものになり得る力です。女性が自らの内に知性と創造性という禁じられた資質を感じる度に、それは罪悪感から素早く抑え込まれました。それは同時に、自らの利益を守ることでもありました。少なくとも、女性はそう信じていました。これらの資質を公然と認めることは、男性の愛を失う代償に繋がると恐れていたのです。この状態はとても長く続き、あまりにも粗野な形で繰り返された為、女性はついに反乱を起こしました。この反乱はいつしか「女性解放」と呼ばれるようになりました。

反抗から健全で建設的なものは何も生まれません。少なくとも長期的にはそうです。反抗は革命であり、革命は真の成長を意味する進化とは対極にあります。真の成長は、自己および問題に対する深い理解に基づいてゆっくりと展開するものです。反抗や革命には常に、外側の世界に投影された自己に対する無自覚な怒りが隠されています。従って、革命や反抗によってもたらされた変化は、自己に関する非常に大切な何かを無視します。この無知が、健全な成長を阻害するのです。

女性解放には、真の成長に関わっていた健全な側面を除けば、大部分は反抗に基づいていました。従って、真の意味でこの運動が成功したとは言えません。それ以来、女性が男性との平等を主張する努力は、多くの場合に女性の女性らしさを損なう結果となり、マスイメージの擁護者達が正しいように見えます。しかし、これは正しいように見えるだけであり、マスイメージのような極端なものが解決策であることは決してありません。反抗と革命の結果として現れる対極の極端化は、最終的には初めにあった誤った極端の歪みへと逆戻りします。反抗と怨恨は、個人の内面の課題が完全に理解されれば、自動的に消え去ります。

しかし、歴史上のこの時代に女性が受け取った内なるメッセージは、何世紀にもわたって誤って抑圧してきた自らの眠れる資質を開花させるというものでした。ただ、女性はそのメッセージを正しく理解していませんでした。女性は行動に移しましたが、そのメッセージを反抗と誤解した為、結果は完全には成功しませんでした。いわゆる女性解放は、女性の知性、力、活動性、創造力を反抗なしに展開させることで女性らしさを高めることよりも、女性の女性らしさを損なうことが多かったのです。

男性にも同じ様なことが起きました。男性も又、内なるメッセージを受け取りましたが、女性程には熱心にそれに従いませんでした。何故なら、そうするだけの理由が少なかったからです。男性の立場は、人間の人格にある、幼児的な普遍的支配原理の要求を満たすのにより都合が良かったのです。しかし、常に調和と均衡を求める宇宙的流れは、地球の次元をも巻き込み、それは男性にも触れました。男性はその流れに巻き込まれましたが、中途半端な形で、しかもそれが何のことなのか理解してはいませんでした。何世紀にもわたり、男性は偏った成長を遂げてきました。知性や機知、肉体的な強さを際立たせる一方で、感情や直感的な性質を抑圧してきました。感情や直感は真の内なる強さにとって不可欠なものである為、男性は自らの核心を弱めてしまいました。男らしくないと誤って考えた女性的な要素を自らの内に否定した結果、男性は男らしくあるどころか、かえって男らしさを減らしました。この現象は今日、様々な形で観察できます。女性は男性よりも感情的に強いと良く言われます。これには一定の真実があります。その理由は、今ご説明した通りです。

従って、男性と女性が正しい方向、調和の方向へと進んでいるのは確かに真実です。互いの内で隠され、これまで禁じられてきた側面を花開かせる方向です。しかし、この目的は大部分が不明瞭に漠然と感じられるだけで、理解されることは更に少ないのです。これはしばしば、個人的な歪みと混ざり合います。人々は多くの場合、誤った動機を隠し育む為の隠れ蓑として、この善き目的を利用します。女性においては多くの場合、自らの攻撃性や敵意を増長する役割を果たします。男性においては、弱さや依存を助長します。健全な動機が不健全な動機と混同され、その事実が認識されなければ、結果は常に疑わしいものになります。このことは、ご自身の個人的ワークを通してご存知でしょう。このような普遍的な傾向であっても全く同じなのです。

両性における同性愛の増加傾向は、存在の全体性を展開し、本人のもう一方の側面を成長させるという魂のメッセージが誤解され、誤ってアプローチされたことの又別な側面です。

全ての健全で強い流れ、愛と真実と正義という普遍的な霊的法則に基づく内なる行為と外なる行為は、そのエッセンスと原理において人類に知られています。スピリットの方向性は、常に各個人に示されています。個人は大抵その方向に従うことが多いのですが、正しい原理から逸脱している内的な要素の全てをまずは見出すという必要な手順を誤解します。人は漠然と自らの内的な逸脱を感じ取り、正しい方向を上書きしようとします。これではうまくいきません。もし試みられれば、例え意識的な動機がどれ程正しくとも、人は反抗と強迫に駆られることになります。これにより、成長は誤ったチャネルに入り込み、結果は偽装となるでしょう。

女性の中の攻撃性や敵意に満ちた強さや活動性が、女性の女性らしさを損なうのは事実です。しかし、自らの内にある健全な強さや活動性、真の創造力を抑圧することも又同じことを引き起こします。男性の中の未熟な依存に根差した柔らかさが、男性を弱くする為に男らしさが損なわれるのも事実です。しかし、これらの反応が男らしさの偽装の下に隠されている場合にも、同じことが起こります。別の意味で、このことが男性を更に弱くするのです。目標は、この時代に本当に必要とされる、歪みのない特質がゆっくりと展開されることであり、それらが人格の他の部分と調和されることです。もし、男性が病的な弱さや依存を助長することなく、一般的に女性的と見なされる資質を発展させれば、彼はより男性と成るでしょう。もし、女性が攻撃性や敵意や反抗を使わずに、一般的に男性的と見なされる資質を追求し成長させるならば、彼女はより女性と成るでしょう。

男性と女性との差は、あなたが思う程大きくはありません。解剖学的に見ても、大差はないのです。ちょうど写真のネガとポジのようなものとして見ることもできます。片方では黒く見える部分が他方では白く見える、その逆も又然りということです。

常に個人のイメージに基づく極端なマスイメージや誤った概念から自らを開放することこそが、あなたの本質全体に焦点を当て、調和させる唯一の方法です。これによってのみ、この地球上で出来る限り最大限の統一性を見つけることが可能になるのです。これによってのみ、異性との良好な関係を築き、結婚という冒険を有意義で満足のいくものにすることができるのです。

この問題に関して、現代では多くの支援やカウンセリングが提供されています。しかし、基本的な現実が無視され、十分に考慮されていないが為に、殆どの助けやアドバイスは表面的なものになります。男性あるいは女性として在ることの霊的な意味をより理解すればする程、自らの問題を理解し、従って解決するチャンスも得られるのです。

結婚がこれ程に困難な冒険であり、しばしば成功半ばに終わるのも無理はありません。片方が一方的な成長を続けるのみならず、相手にも同じく成長を促す関係でなければ、本当の所、融合は見つけられません。調和的に持ち出され、成長すべき側面が武器として用いられるならば、融合は見つからないでしょう。その武器が、男性の弱さや依存を覆い隠す為であれ、女性の反抗や攻撃性を覆い隠す為であれ、ふたりのパートナーは本当の意味で出会うことはできません。

本質的に、男性が能動的で女性は受動的であるという説は真実ではありません。むしろ、双方は能動性と受動性の異なる側面を現しています。女性の能動性は自らの受動性を真に良き意味で活気づけ、躍動させるべきです。女性の能動性は受動性が停滞や古びることを防ぎ、流動性を保ち、あらゆる真に霊的な資質がそうであるように、絶え間ない動きの中で流れ続けます。男性の能動的な流れは、自らの受動性を前面に押し出すものであり、能動的な流れが過度に攻撃的になるのを防ぎ、丸みと柔らかさを与えて鋭さを和らげ、過剰に活発な流れの急激で速すぎる動きを緩めます。全体的に見れば、男女双方に同じことが起こりますが、それぞれのケースで対極の側面が裏返しで現れます。

他のいわゆる男性的あるいは女性的側面についても同じことが言えます。ここではごく簡単に触れるに留め、皆さんに考える材料を提供し、自らへの考察を続けることをお勧めします。理解への道を拓く愛、優しさ、直感といった魂の資質が無ければ、知性と理性は何ものでもなく、真に建設的な結果を何事においてももたらすことはないでしょう。一方、愛、優しさ、直感は、理性と知性にもたらされる分別によって灯されなければ、容易に誤ったチャネルに迷い込み、最終的には破壊的、あるいは自己破壊的なものにさえなるでしょう。いわゆる男性的・女性的資質をひとつにする必要性については、いくら言及しても足りません。他方のない片方だけでは、常に不健全な誇張、行き詰まり、有害な結果をもたらします。両方が共にあって初めて、個体の内に調和のとれた全体性がつくられ、他の個体との理想的な結合の準備が整うのです。

人類が今日、その全体的な発展において直面している状況において、結婚という試みは非常に困難なものです。これは先程、私がお話しした状況に一部起因するものであり、又個人の内面的な葛藤にも起因しています。大半の結婚が本当に成功するような段階に人類が達するには、何百年もの歳月が必要でしょう。それでもなお、今こそ結婚を試み、最善を尽くし、そこから学ぶべき理由は十分にあります。何故なら、結婚にはそれだけのものがあるからです。

統合は無理強いできず、又無理強いされるべきではありません。無意識の恐れやブロックが未だ認識されず、解決されていないのに、私の言葉で意識的な欲望を強行すべきではありません。強制は幸せな解決はもたらしません。しかし、自己探求において、この点で自分がどの段階であろうと、自らの特定の困難を検証し、これらの一般的な誤認やマスイメージの影響がいかに個人のイメージや誤った結論を強めているのかを心に留めておくべきです。誤った結論の多くは、多くの個別の人格に深く刻み込まれたマスイメージからも部分的に導き出されています。愛は自らを弱め、危険であるというマスイメージを取り上げましょう。このような無意識の概念は、他のどんな関係性以上に、結婚に特に悪影響を及ぼすでしょう。

私がお話ししたことのいくつかは、既に明らかであり、目新しいものではなさそうです。他には、難し過ぎて理解できないかもしれません。しかし、想像力を働かせながらこの主題について瞑想をすれば、あなたは真実を感じるでしょう。それこそが重要です。それは、知性のみによる平面的な理解を遥かに超えるものになるでしょう。

今夜は、この広大な主題について、ごく大まかな概要に触れたに過ぎません。今後、多くの部分について話しましょう。そうすれば、後で検討するかもしれない詳細の全てが、今夜述べた点に含まれていることもお分かり頂けるでしょう。それらをただ詳細に説明しながら繋げていきます。個人的なイメージとマスイメージの間の円環を閉じるのです。これは個人的なワークにおいて行われなければなりません。今夜のレクチャーを、共にゆっくりと完成させていく絵のラフスケッチとしましょう。

今夜の主題について、議論と質問により時間をかけると良いでしょう。私の言葉が、このような相互交流に積極的に参加する助けとなりますように。

質問:統合とは具体的に何を意味するのか、もう少し詳しくお話し頂けませんか?統合によって実際に何が起こりますか?

回答:今夜の主題に関して言えば、統合の概念はふたつのレベルで議論できます。私が今お話ししているのは、神との統合ではありません。最も高次の意味において、統合とはふたつに分離した存在が溶け合い、融合することです。ふたつの存在が再びひとつの存在に戻る時、統合は起きるのです。地球領域における男性と女性の間の統合は、同じ目的を追い求め、それを内的レベルである程度成就しようと試みます。これは稀な瞬間に起こり得ますが、無知や恐れの幾重もの層が、すぐに又双方を再び隔てる壁を築き上げます。成長そのものの目的は、分離の壁を破壊することにあります。その壁が人間と神との間にあろうと、人類と霊的真実や霊的現実の間にあろうと、人間同士の間にあろうと、男性と女性の間にあろうと同じことです。愛こそが、この壁を取り除く唯一の鍵です。愛によって理解が開かれます。そして理解によってワンネス、あるいは統合が達成されます。しかし、愛は強制できません。愛は、人間の魂にあるブロックや誤りを取り除くことによってのみ得られます。エゴの自己重要性と執着は、真っ向から愛に反します。小さなエゴは、取り除かれる前に、そのあらゆる側面を認識され、表面に現れることを許される必要があります。そうして初めて、小さな自我が必要としていたような何かを必要としない、真の人格が育まれます。そして、愛は真に花開き、統合をもたらすのです。

これはあらゆる人間関係に当てはまります。結婚においては、二者間の愛が、友情等の他の関係性よりも統合の達成を容易にします。それは、エロスと性的衝動によって育まれる為です。これらの要素がなければ、分離を乗り越えることはより困難です。愛への架け橋であるエロスの存在がある時ほど、人間関係の軋轢が容易に解消される時はありません。一方、よりカジュアルな関係では、軋轢が生じる機会は少なく、その意味で関係性の維持は容易です。要するに、エロスと性的な衝動がなければ、人類にとって結婚は実質的に成立し得ないと言えるでしょう。従って、パートナーに対してこれらを維持することは、結婚における目的そのものです。最も単純に言えば、統合とは、可能な限り多くの次元で相手を見出すことです。それは単に相手を理解し、調和すること以上の深い意味があります。ふたりの人間の肉体的、精神的、感情的、霊的な性質が融合することです。双方が意志と理解を持てば、それは実現可能です。

あらゆる人間関係で真実であることは、結婚という関係性においては、なおさらの真実を示します。例えどれだけ一方の誤りが目に余るものであったとしても、それぞれの軋轢や誤解は、自己の内の歪みや無知が存在している兆候です。理想的な結婚では、この点が常に念頭に置かれ、双方が自らの内にその要素を探求します。そうして彼らは、いわばぼやけたこの小さな部分に、相手が時に過剰な程に反応していることに気づきます。一方の不調和な部分が、もう一方の不調和な部分に自動的に反応するのです。双方の不調和な部分は、常に同等の強さであるとは限りませんが、それは問題ではないのです。もしこの結婚の鍵が見つかれば、真の整合を達成することができるでしょう。この整合は、自己成長を促進すると同時に、お互いに調和する為の更なる鍵を提供します。このようにして、真の統合の試みが成功していきます。

質問:何人かで話し合っていたのですが、パートナーの間で感情的な問題がある時に、男性とコミュニケーションをとるのが難しくなるのは何故なのでしょうか。女性は話し合おうとしますが、男性は話し合いを避けます。それは、感情的な側面についての恥ですか?

回答:はい。それも理由のひとつです。確かに、それと関連しています。男性は感情から尻込みします。感情を恐れているのです。その理由の一部は、以前にお話しした頻繁にみられる誤認にあります。つまり、感情は危険であり、それが避けられず、少なくともそれが否定的な結果をもたらす場合には、何とかして秘密にしておかなければならないというものです。誤解は否定的な結果です。従って男性は、感情を隠さねばならないという自らの誤った結論をリマインドされます。又、女性は男性より劣る存在だから、女性と知的な議論を交わすことは男性の品位を損なうと主張するマスイメージにも起因します。中立的な話題なら議論できるかもしれませんが、意見の相違や口論で避けがたい個人的な罪悪感や劣等感が絡んでくると、男性は女性に対処できなくなるのではないかと恐れ、自らの男らしさを脅かされることを恐れます。

他方、女性の場合も、男性に対する攻撃性や敵意、嫌悪感といった部分を押さえつけ、理性的な議論という仮面の下にそれを無理やり隠してしまおうとすることがあります。この時女性は、そうすることで両者の不和が余計に大きくなると気づいていながら、意識的にこれを行います。もちろん、こうしたネガティヴな意図よりもポジティヴな動機の方が遥かに強い場合もありますが、女性の中にネガティヴな部分が少しでもあれば、それは男性の無意識層を刺激するのに充分なのです。自分でも気づいていない部分を刺激された男性は、少なくとも女性の意識の中では建設的な意味を持っていた筈の何かに対して、非常にネガティヴに反応してしまいます。 感情的な話題や個人的な事柄にこだわるのは女性の本質である為、この点において男性よりも準備ができ、調整されており、より精通しています。従って、男性は敗北を恐れます。議論に負けるだけではなく、男性としての尊厳の一部を失うように感じるのです。感情的な本質を強めることを怠ったが故に、自らに感じる弱さを恐れ、罪悪感を抱くのです。

一方女性は、意見の相違を解決するという意識的な目的の下、合理的な議論という表向きの姿勢の背後で、男性に対する自らの攻撃性、敵意、怨恨を抑圧し、隠しているかも知れません。ここでお話しした否定的な動機よりも、肯定的な動機の方がより強い可能性は十分にありますが、否定的な動機だけでも男性に付随する潜在意識に影響を与えるには十分です。これにより、少なくとも女性の意識的なマインドでは建設的な意図から為されたことであっても、男性は最も否定的に反応するようになります。

質問:このような議論が統合への妨げとなってしまうのなら、実際にどうしたら良いのか助言をくださいませんか?

回答:無理強いしないことです。相手を説得することで進むべきではありません。成長や問題の解決は、そのような方法では滅多に起こりません。むしろ、否定的な応答を引き寄せるものをあなた自身の内に探求することです。この道において、あなたは既にこのような経験をしてきましたね。例え明らかな誤りが相手にあると思えても、例え自分に誤りがあるとは決して考えられなかったとしても、例えあなたの合理化が最も説得力があって本当だったとしても。自らの内で否定的な応答を引き寄せるものの認識に至れば至る程、あなたは内的外的な問題の全てにおいて解決に近づいているのです。隠された感情を見つければ、あなたは何故、純粋な動機しか含まれていないと確信していた事柄に対して、他の人々が否定的に反応するのかを理解するでしょう。私が結婚についてお話ししたことは、この点に関してあらゆる時、あらゆる事例において真実です。

質問:男性を強くする為に、女性は弱さの兆候を見せるべきだと、そう理解するのでしょうか?

回答:いいえ。それは全く逆です。このレクチャーを読み返せば、そのような意味合いは全く含まれていなかったことが分かるでしょう。女性は自らの真の強さを恐れることなく見せるべきです。そうすれば、強迫的にそれを隠そうとしたり、十分に理解していない内側の反抗心からそれを用いたりせずに、建設的に活用していけるようになるでしょう。この方法によってのみ、女性は男性が真の力を開花させる手助けができます。もし女性が外交的配慮やへつらいから自らを弱く見せるならば、それは強要された反応で真実ではありません。非真実で操作的なものは何であれ、決して真に有益なものにはなり得ません。それは対象となる男性が自らの内に不健全に強要する非真実の層に影響を与えるだけです。

質問:しかし、男性が臆病さから女性とコミュニケーションをしないのならば、女性側に見るべき付随する特徴とは何ですか?

回答:それを一般化することはできません。それは数ある選択肢のひとつに過ぎないのかもしれません。このようなことに、一般的な主張は決してできません。とても危険で誤解を招く可能性があるからです。それは、個々のワークによってのみ見つけられるものです。もしかしたら、女性の中の過剰な能動性、自由に成長することを許されなかった誤ったチャネルでの能動性かもしれません。あるいは又、対象の女性の中の別なレベルにおける異なる種類の臆病さに付随しているのかもしれません。それは、数多くの要因のひとつかもしれないし、ひとつだけではなく多くの要因が組み合わさった可能性もあります。

質問:私達に二種類のホルモンがある理由は何ですか?

回答:男性ホルモンと女性ホルモンは、この主題全体における肉体的な側面です。実際、両性とも両方のホルモンを保有しています。女性は男性ホルモンなしには生きられませんし、男性も女性ホルモンなしでは生きられません。この肉体的な顕現は、両性の中に両方の側面が存在する証拠です。それは外的なシンボルに過ぎません。問題は、適切な均衡と配分のみにあるのです。

ここで付け加えるならば、長い間、人生で特定の周期を経験するのは女性だけだという一般的な認識がありました。月経周期や人生の変化です。形こそ違いますが、男性も同じような周期を経験します。ただ、その現れ方は異なります。人間がこの点で進歩を続ければ、男性における周期やその作用原理が見つかるでしょう。これらを見出す為には、心理的な部分の進歩が、霊的、形而上的な部分の進歩と歩調を合わせる必要があります。そうすれば男性も、女性のような生物学的に固定された周期ではなく、むしろ個人的に作用する自らの周期を見出せるようになるでしょう。これは非常に役に立つ認識です。男性の周期は個人によって変化します。それは、個人ごとに個別に作成される占星術のチャートの原理に例えられるかもしれません。男性の個人的な周期は原理的にホロスコープに類似しています。これら個人的周期のリズムは、男性の人生においてきわめて重要な意味を持ちます。

同様に、出産するのも女性だけではありません。女性は肉体的に出産しますが、男性は魂において出産すると言えます。肉体的な誕生を支配する法則は、霊的な誕生にも当てはまります。魂の健康状態に応じて、誕生は健康な出産か、流産になります。

質問: 男性が霊的に出産するとは、正確にはどういう意味ですか?

回答: 創造的な真の自己として在る男性は、物理的な領域だけでなく、あらゆる領域で有効かつ実用的で、美しく建設的なアイデアを生み出すことができます。そのアイデアや思考は生きています。こうした表現は、これまでも何度か耳にしたことがあるでしょうが、あなたはこれを比喩として受け取っています。実際には、アイデア誕生のプロセスは、肉体的誕生と同じ原理に基づいて起こるのです。

女性も創造的なので、霊的な誕生をもたらすことができ、実際にそうしています。存在の女性的側面のみが、出産の能力を有します。女性の場合、円盤の上でこの女性的側面の大部分が基本的には外側に向けられている為、肉体的な誕生が顕現されます。しかし、円盤のこの面が内側に傾く時には、女性の精神的で霊的な出産を妨げるものはありません。一方、男性はその本質の女性的な出産の側面が常に内側を向いています。これらのことを説明するのに適切な言葉を見つけるのはほぼ不可能で、私の言葉は単純化されているように思われるかもしれません。しかし、この情報はあなたの理解と認識を広げる新たな視野を開くでしょう。

最愛の皆さん、私はこれで帰ります。今ここにいる人々だけでなく、遠くで私の言葉を読んでいる人々の一人ひとりに、祝福と愛、光と力を与えます。永遠に自由であるように、あなたの道を歩き続けてください。それが、自ら築いた牢獄からあなたを解放してくれるでしょう。平和の内に、神の内にいなさい。


*レクチャー 44番「愛とエロスと性の力」(パスワーク本6章)を参照のこと。



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