top of page

No.93  メイン・イメージ、抑圧されたニーズ、防衛 —それぞれの葛藤のつながりを解明する

Pathwork Guide Lecture No. 93
UNEDITED版
1961年11月24日


メイン・イメージ、抑圧されたニーズ、防衛 —
それぞれの葛藤のつながりを解明する
MAIN IMAGE, REPRESSED NEEDS, AND DEFENSES—
LINKED CONFLICTS BEFORE CLARIFICATION


みなさん、こんばんは。みなさんに、そして共にいるこの時間に神の祝福が訪れますように。パスワークを続け、ますます成長を遂げるこの特別な時期、多くのみなさんの内面は苦しみと危機に瀕しています。この時期にみなさんにこのようなことが起こるのは決して偶然ではありません。きちんとワークを続け、成長する中で、問題の核となる部分が内側から表にさらに浮上してくることでしょう。くじけずに取り組み続けていれば、内面にある全ての葛藤をほぼ理解できる地点にまさに到達しようとする手前で、混乱と鬱的状態で苦しむことは避けられないことなのです。

過去において、みなさんはたくさんの洞察を得られたことでしょう。それぞれに孤立した問題のうち、部分的な詳細については理解を得られたことでしょう。しかしそれでもまだ、人生についての大まかな見方や要領を得た理解が得られず、何が問題なのか、そしてなぜそれが問題なのかもわからずにいると思います。みなさんは未だ、主要部分である原因と結果の繋がりがつかめていないのです。そういった理解に到達する一歩手前で、ただただもがき苦しむことに精一杯な部分を自分の中に発見するはずです。人生全体に新しい意味を見出す前に、みなさんは新たな混乱の時期を満足感と挫折を抱えながら、通り抜けざるを得ないのです。この混乱こそが、最も気の滅入るような状態を引き出すのです。これを緩和するための最初の一歩は、ただ漠然と混乱状態を感じているよりはむしろ、自分が何について混乱しているのかに気づくことなのです。

一般的に言われていることで、真実なのですが、みなさんの中の子供の部分は、成長することに抵抗し、未熟な状態で、為す術もないまま、間違った結論と破壊的な防衛メカニズムの中に埋もれたままでいたいのです。これらの偽の解決法と防衛があるからこそ、みなさんの中のある部分は迷子になったまま、脅かされ、危険な状態にさらされていると信じ込んでいるのです。まさにこの「防衛」もしくは、そのように見えるものを手放すことに対して、精神は抵抗します。とはいえ、みなさんが現在体験している状態とは、今話した成長や変化に対する抵抗、もしくは不完全な行動パターンにもかかわらず馴染みあるものを手放す怖れからくるものではありません。

上記のような特定の抵抗がかなり消えたとしても、それでもまだ外見上は変化したくないと抵抗して戦っているかのような状態にいるかもしれません。もしそう感じているのであれば、それは何度も同じ症状に陥っている自分に対して落胆しているからです。そして、なぜそうなるのか理由がわからないからです。これが先に話した混乱の一部なのです。感情的反応に新しい習慣を形成するにはある程度の時間がかかるだけでなく、自分の葛藤の全体性についてのより広い視野と理解を得てからでないと何度も同じことを繰り返すのです。ここでの理解とは、一般的で理論的な理解ではなく、内面で起こる具体的、個人的理解を指します。このような内発的理解は、特定の領域についての深い洞察と、成長や変化をかなり経ないとやってこないのです。核となる部分が影響を受けて変化するには、全てが必要なのです。

内面で理解するために外側から助け船を出しましょう。そうすると自分についての全体像をつかむことができるでしょう。必要な洞察と自由へと向かう大切な繋がり(Link/リンク)を示しましょう。ただ、心に留めておいていただきたいのは、外側から、あなたに向けて語られるあらゆる言葉は、あなたの理論的な理解を助けてくれる最初のきっかけとなるだけです。きっかけのままにせずに、それらの言葉を、導き指南してくれる言葉として捉え、個人的で、感情的な理解につなげるのです。この繋がりを、自分の発見、態度、イメージから見出さなければなりません。

これから三つの主要な側面が互いにどのように関連しているのかを見ていきましょう。まず、皆さんのイメージを見てきました。ご存知通り、人生でもっとも重要な不全感(満たされないこと)に影響を与えるのは常に一つの主要なイメージ(メイン・イメージ)です。だからこそ、あなたは繰り返し失望感を感じる体験をさせられるのです。イメージでは、メイン・イメージの一部を成す、様々な間違った結論、偽の解決策を扱います。

第二に、抑圧されたニーズをみていきますが、そのニーズを抑圧された感情と関連付けてみていきます。ポジティブな感情、ネガティブな感情両方を扱います。

第三に、防衛のメカニズムを扱います。これは、自分を守ってくれると思われるものを手に入れるために、あなたが取り入れたメカニズムです。防衛には、服従すること、攻撃すること、撤退し、引きこもる、の3つの態度があります。これら3つの側面に理想化された自己像が加わって、あなたの防衛の一部を形成します。けれども防衛は今挙げたこれらの側面にとどまりません。基本的な防衛とは、内面の雑多な傾向で、やはり誰でもそれを感じるようになるべきものです。防衛が与える害がどのようなものかに十分に気づくためには、防衛が今そこにあることを認識する必要があります。防衛は破壊的な影響力を持ち、不要で、好ましくない結果を引き起こします。あなたがそれを確信するには、まるで身体に生じた異物であるかのように、その存在をしっかりと感じる必要があります。

これら三つの主要な側面が、互いにどのように関連するのかをみていきます。自分に当てはめてみて、これらがどのように関連しているのかを十分に理解出来てはじめて、混乱がなくなり、憂鬱感や失望感も消えるでしょう。つまり、一般的な理解、理論上での理解、原理上の理解ではなく、それが具体的に自分にどう当てはまるのかを理解するということです!

まず、イメージがどのように形成されるか簡単に復習しましょう。子供時代の傷、フラストレーションは程度の差こそあれ、誰でも持っているもので、不幸や不満の原因となります。これらをもたらした状況によって、子供は、先走って誤った結論に着地してしまい、類似した全ての状況が似たような結果を必ずもたらすこととなります。かつては現実だったことが、今では幻想に変わっています。なぜならば、全てを一括りにして一般化するのは誤りだからです。この一般化が凍り付いて硬直した先入観になります。そしてこれがイメージなのです。忘れてはならないのは、イメージは想像上の救済策でもあるということです。イメージが架空のものなので、当然救済策も同様です。元来、液体でダイナミックな動きをする魂の物質の中に、融通の利かない、硬直した塊があるわけで、救済策も非現実的で、失望させるものとなります。さらに失望させられるのは、想像上ではうまくいくはずだったものが、現実には、真逆に展開してしまうことです。言うまでもないことですが、プロセスとして繰り広げられる全工程は、それを意識化するまで、無意識状態にあります。

苦境に立たされて、それがさらなるネガティブな連鎖反応へとつながります。防衛メカニズムは考えられるあらゆる面で徐々に強くなります。このようになればなるほど、傷を避けることができなくなります。自分が(無意識にも)捨て去ることに必死で努力をしてきたその傷を、です。無意識のままでいるということは、この破壊的なプロセスを止める手立てがないということであり、それは自分の最善とは真逆のものです。

イメージを形成するきっかけとなった原初の傷に関してですが、私たちはこれを抑圧し始めます。抑圧することでその傷に気づかないで済むばかりか、ぼんやりとした、漠然とした精神状態として体験するのです。また同時にたくさんのニーズも抑圧することになります。なぜならイメージを形成するに至った体験があまりに痛ましく、屈辱的だったので、向き合いたくないのです。また、その体験によってこれらのニーズが満たされるはずがないと信じ込まされています。ゆえに、ニーズの存在をただ認めないことで、切り捨ててしまえると思い込んでいるのです。

とは言うものの、偽の解決法は、あなたが普段感じると同時に拒絶してしまう満足感をもたらすはずであり、そこには傷つけられ、侮辱されるリスクもないはずなのです。しかし実際はそのようにいかず、あなたの防衛はますます堅固になり、満足を得ることもなくなっていきます。その間あなたは自分のニーズを、傷を、失望感を抑圧し続けます。ある程度は味わうこともありますが、十二分に味わうことはなく、しかも実際には何によって自分は傷ついているのか、またそれはなぜなのか、といった理解が伴いません。

繰り返し起こるこのパターンは、そのイメージが正しいと証明することになりますが、それだけでなく、あなたの防衛もまたうまく機能しないことを証明しています。そしてこれがイメージを持つに至った体験の元の痛み、傷を大きくします。これはなお一層の混乱を招きます。というのも、イメージの一部は機能しているからです。具体的な例を使って説明した方が理解してもらえるでしょう。もちろん例を使うのはシンプルに説明するためであって、その人個人の人格全体を語る上で重要で副次的な部分まで詳細に言及できません。ここでは、論議する上で必要なことに絞って考えて行きます。抽象的な言葉を使って説明するより、こういった例を使った方がより明確になると思います。

容赦ない残酷な母をもって生まれた男の子を想像してください。本当はそんなに残酷ではなかったかもしれませんが、その子にとってはそう思えたのでしょう。なぜならその母親は抑圧的で、愛情を表に出さず、葛藤を内面に抱えていたので、子供を理解し、想像力を働かせることができなかったのです。いずれにせよ、子供は親からの愛情、温かさ、理解の著しい欠如を体験しており、フラストレーションを感じていました。これが現実の状況だったのです。そうするとこのようなイメージが形成されます。「女性とは冷淡であり、拒絶し、愛を与えない。」結果として、その子供が大人になると、女性に対して、怖れ、不安や心配といったような感情を抱くようになります。外見的にはそう見えませんが、感情レベルで調べれば見そこにある不信が見つかります。異性に対する基本的なニーズ、温かさ、愛、愛情を求める基本的ニーズを引きはがしてしまうことはできないので、このイメージへの対処法がどうしても必要になってきます。先ほども触れましたが、全ての女性が自分の母親と同じであるという非現実的な前提に基づいているので、対処法も非現実的で有効ではないのです。

その同じ母親が学校での勉強に関して口うるさいと仮定しましょう。子供への要求水準が高く、良い成績を期待しているとします。実際その子供が良くできると、彼女は承認します。承認を差し控えることなく、惜しみなく称賛したわけです。したがって、なんらかの満足感をこの子供は得られたに違いありません。良い成績を得るためにそれだけ一生懸命頑張ったのだとしたら、なおさらそう感じたことでしょう。このことがさらに記憶となって取り込まれ、次のような結論をイメージに付け加えます。「女性というものは、私の魂が心の底から渇望する愛と慰めを与えてくれないが、私は二番目に最良のものを得ることできるだろう。勉強で成功することによって、なんらかの重要な価値を得られるのかもしれない。」

言うまでもないことですが、こういった思考は実際に口にすることもないし、無意識層にも上がってこないものです。無意識層では愛を受け取ることと、承認を受けることにはっきりとした区別はないからです。ただ漠然と、野心を抱くと何かいいことが自分の元へやってきたが、そでないときは何のいいことも起こらなかったと、感じるだけです。承認が自分の元へやってきたときでさえ、本人には何かが欠けているという意識はなかったのです。それはむしろ、ある特定の方向に向けて努力するとその子が切望したものをある程度は得ることができる、という内面の感覚です。

それゆえに、このようなケースでのメイン・イメージは、「愛されるためには成功しなくてはならない」、「職場で認められることは愛されることと全く同じだ」となります。このようなイメージ、もしくは類似したイメージは頻繁に見られます。しかし、このイメージがどういう意味合いを持つのかを新しい理解を通してもう少し深く探ってみましょう。このようなイメージを持っているがために、もしそれを相殺するほどに強い二番目のイメージが存在しない場合、その人は実現に成功するでしょう。周りから承認を得て、成功を手にする、というイメージが要求するものを満たすために、その人は野心を持ち、全ての資源を注ぎ込むでしょう。このイメージが要求するものは叶えられます。しかしその根元的な要求、承認されることと同等の愛されたいという要求は叶えられないのです。というのもここにこそ間違った結論が存在しているからなのです。成功に向かって必死に努力することは、それ自体では間違いではありません。が、幸福と平和のためにより大切な別のものを犠牲にしてまで、成功というひとつの人生の側面だけに努力を注入することはエネルギーの無駄使いだと言えるでしょう。しかし、それ自体は誤りでもなければ、偽りでもないのです。人生全体とそのニーズを考慮するとバランスは良くないかもしれませんが、努力すること自体は誤った仮定に基づいてはいません。だから実現するのです。成功への要求は叶えられるのです。片方への過度な偏りによってその人の人生がバランスを欠いたものになるかどうかは別として、その要求自体は論理的に何の誤りもないのです。みなさんの中から常に次のような質問をされることがあります。「より成長している人にはない成功を、まだ全然成長できていない誰それは、あちらこちらで収めているのはなぜなのか?」と。これがその質問の答えになると思います。

しかし、成功を通して愛を得ようとする無意識の目的と要求は叶えられることはありません。なぜなら承認と愛は同じではないからです。それを信じている(意識的にせよ、無意識的にせよ)ことが、論理的に誤っているのです。それは誤認であり、それゆえに機能しません。片方を獲得しても、もう片方を獲得することはないのです。あなたがもし、愛と成功の両方を獲得するならば、両方に対して論理的に正しい態度で取り組んだからなのです。そうなると、そこではイメージは機能しません。常に満たされることのないニーズが芽生えては抑圧される理由は、人が(a)満たされないロンギングと痛みに、そして(b)誤ったイメージ的結論に、自ら進んで直面しようとしないからなのです。メイン・イメージには、愛、温かさ、絆、結束への満たされないニーズが、言葉にされることがない要求として内包されているからなのです。メイン・イメージと、抑圧されたニーズの間にある一つの繋がりがこれで明らかになりましたね。

愛されたいという抑圧されたニーズは、それ自体では健全で正当なニーズです。愛を犠牲にしてまで承認されたいというニーズは不健全であると言えるでしょう。では、なぜ私はここで「犠牲にしてまで」という言葉を使うのでしょう。成功すること、他者を感心させること、賞賛を与えてもらうこと(これらは全て承認されたいというカテゴリーに属しますが)にあまりに集中しすぎると、あなたは自分から愛を押しやってしまうような行動パターンを踏襲することになるからです。もっとも必要としているのに、それに気づいていない、自分のメイン・イメージを作り出す根元的な原因となったもの、それをあなたは誤った結論があるために拒絶するのです。にもかかわらずそのような人物が愛されているとしたら、そしてその要因を調べてみると、愛を与える側がその人物を愛するのは、イメージに埋め込まれているさまざまな特質、またそれらの特質が成功をもたらしているからではないことが証明されるでしょう。その人は、イメージが機能するために必要な特質とは別の何かを感じているから愛するのです。

では、私が選んだ同じ例を使って次の段階に話を進めます。この人物は、自分が成功へと駆り立てられる状態にあることには気づいています。しかし、なぜ成功することがそんなに重要なのか、それがどこから来るのか、その背後にある欲求不満とニーズが本当は何を意味しているのかに気づかないでいます。ゆえに愛を求める内なる要求を言葉にしないまま、成功という収穫を刈り取るたびに、フラストレーションを体験するのです。しかも新しいフラストレーションだけでなく、子供時代からの同じ傷を繰り返し体験し続けているので、内面の不安感、劣等感が増す一方なのです。元々は次のような仮説、「もし自分がもっと愛されるに値する人間なら、必要としていたものを母親はもっと与えてくれたかもしれない」と推定していました。その人は幼かったので、母親が愛を感じたり、それを表現することが不得手かもしれないと見極めることはできませんでした。そして今や、その人自身が愛を得られないのは、自分に愛される価値が無いからではなく、それは傷つかないようにする為に身に着けたまさにその防衛が傲慢で、否定的で、自惚れていて、怖れに満ちたものだからだと思えないのです。このような感情は全て、愛を誘発しないものなのです。

全体のプロセスを明らかにして初めて、痛ましい劣等感は消えて行きます。この劣等感こそが、この愛されるに値しないという感覚こそが、まさしく魂が向き合うことに抵抗するものなのです。その人は「自分は愛されるに値しない」ということを見つけてしまうことを怖れるために抑圧します。この痛ましい要因を抑圧するだけでなく、イメージ、ニーズ、偽りの要求、破壊的な防衛メカニズム、理想化された自己像にある全ての特質、そしてさまざまな偽りの解決法全てを包括した全体のプロセスをも抑圧するのです。このプロセス全体に対して、勇気をもって向き合い、切り抜けて行くことで、その人は初めて自分自身が実際には愛されるに値しない人間などではなく、自分の防衛メカニズムによってそのように思わされていることに気づくのです。このことを実感することがこの道を追求して行く中で最も重要なことなのです。イメージや理想化された自己像、偽りの解決法がどんなものであれ、このことがみなさんにとっての真実なのです。偽りの解決法が服従することであっても、そしてその服従が貪欲に成功を追求することの傲慢さやニーズを否定するという偽りの解決方とは対極にあるように見えますが、この服従の下には、ほかの偽りの解決法同様の傲慢さと、優越感が潜んでいるのです。受け入れてもらいやすいようなマントを上に羽織っているだけで、全くの対極といえるようなとても硬い防衛構造がそのマントの中に包含されているのです。この防衛構造は実際には見えないものの、誰もが無意識のうちに感じられるほどのリアルな壁で、愛を乞いながらもそれを妨げる作用をします。その壁に内包されているあらゆる感情や感覚を綿密に分析して初めて、攻撃的な人同様に、服従的な人も拒絶しているのだとわかるようになります。

大きな飛躍の前に味わうこの危機感と苦しみは、本来なら愛と受容を得られるはずの手段が実はそれらをもたらすものではないという無意識層の混乱からきています。無意識層の思い込みに内在する自身の無価値観はさらに増大し、向き合うことをさらに難しくしています。あなたがそれを通り抜けることができれば、愛されるに値しないのはあなたではなく、あなたが自分を守ろうとして使ってきたさまざまな手段や方策であったことがわかり、ほっとすることでしょう。この認識は計り知れないほどの価値があり、とてつもない強さをあなたに与えてくれるでしょう。

この方向に向けての探求は容易ではありません。そこにはたくさんの要因があり、たくさんの相容れない側面を同時に明らかにして、見ていかなくてはならないからです。一瞬の気づきがあっても巧みにあなたの目を逃れて行くでしょう。記憶をたどって感じようとすると、うまくいきません。それはもはや意味がないのです。あなたがそれをしっかりと強くつかむまで、何度も見つけ出さなければなりません。この破壊的な防衛を繰り返し観察し、あなたの中でそれがどのように感じられるのか、それはあなたに何をさせよう、感じさせよう、考えさせようとしているのか、どのような反応をさせたがっているか、その結果どのような影響を他者に及ぼしているのか、こうような観点で見ることにより、初めてあなたは理解できるでしょう。そして徐々にそれを手放し、自由になることで、そこで初めて真実の「防御なき」自己が顕現することでしょう。その防御なき自己は、外側に存在するあなたの既存の規則、あなたの原理原則、あまりに慣れ親しんだ、あなたが確立したパターンとは全く逆の行動をとるかもしれません。あなたが困難な状況にいるときに示されたように、あなたの外側にある層は実は頼りにならないのです。その層に妨げられることなく、真の自己に行動させられるようになるまでには、たくさんの苦闘をくぐり抜けることになります。

とてもよく理解しているあなたの最奥の自己、決してあなたを迷わせたりしない最奥の自己は、硬くてもろい構造をもつあなたの防衛にすっぽりと包まれている限り、機能することはできません。

あなたが通り抜け、光を見出すべき苦闘の中にあるもう一つの困難は、次のような混乱です。どの人にも服従する面があるので、服従と、傲慢さや愛を失うことになる優越感を手放すこととを混乱することがあります。これは、健全な自己主張と先に述べたものと同じ優越感とを混乱しているのと同じです。両者の違いは微妙で、言葉にすることは難しいのです。それにもかかわらずその違いは明らかです。自分の問題にあまりにかかずらっていると、どれがどれだかわからないものです。これら2つの間で起こる奮闘は、どちらが健全で、どちらが歪曲しているのか、というものです。答えはあなたが自分の凝り固まった防衛メカニズムに完全に気いたとき、そして手放すとき、初めて見つかるでしょう。

ここで、服従的で妥協している状態と、防衛のない無防備な状態を隠さずに表している真の自己との間にある違いを見ていきましょう。この作業はさらに傷つくことを意味しません。むしろ傷つく機会が減ることを意味します。妥協あるいは服従するとき、他者が自分を利用することを許し、他者に好きにさせるとき、あなたは自分のニーズからの要求に気づかないまま、それらを手放せないでいるからそうなってしまうのです。あなたは、降参できない、負けることができない、という自分の無力さに屈服しているのです。それによって、あなたの真の自己がもつ威厳が奪われることになります。真の自己は負けを認めることができるのです。痛みのあることかもしれませんが、不可能に向かって必死の苦闘を繰り返す痛みほどではありません。

偽の解決法を通してニーズを満たしたいと思わなくなると、あなたは威厳を放棄しなくなるでしょう。それらのニーズに向き合い、私がここで説明したプロセスそのものによってそのニーズを満たす機会をどれほど失ってきたかがわかれば、偽の解決法に頼る必要もなくなります。服従する傾向が強ければ強いほど、自己を卑下する傾向が強まり、対極にある傲慢な攻撃性と優越感を感じる方向へと引っ張られます。そのように実際に行動化するのか、奥深くに潜ませたまま隠すのか、どちらにせよあなたの攻撃性は他者に影響を及ぼします。とはいえ、自分に威厳が欠けている状態をあなたは服従的態度と混同しています。あなたの服従的態度は抑圧したニーズの結果であり、ニーズがあることを恥じて否定した結果なのです。あなたの攻撃性は防衛であり、他者から傷つけられないためというよりは、自分自身の服従的な態度に対しての防衛なのです。

この葛藤の中であなたは混乱します。あなたをこれら両方の態度に繋げたままにしている防衛を手放すことができないのです。もしくはこれら両方の態度の間であまりに混乱しているからこそ、人生や他者に向かって助けて欲しいと伝えることなく、人生から、愛から、引きこもったままになるのかもしれません。他者を怖れて引きこもるというより、かつては無意識に解決法のように見えた、人為的に取り入れたこれら2つの態度の間でうまく対処できないでいるのです。

ここで今、みなさんに話したことをただの言葉として受け取らないでください。言葉だけでは、あなた方には何の意味もありません。再度、自分のメイン・イメージは何であるのかを再考することによって、これらの要素をつなげる必要があります。中にはまだそのつながりを見いだせていない人もいるでしょう。まだであれば、再度、自分の主要な問題、不幸せな状態、満たされていない状態について考え、その上で、見つけ出してください。自分がこれまで通り抜けてきた全てのワークのお陰で、今ではかなり簡単に見つけ出せるはずです。

メイン・イメージを見つけたら、前提条件が正しかったがゆえにうまくいった領域を見定めてください。次に隠されていたので、叶わなかった要求について考えてください。このイメージに関わるニーズを考えるのです。満たされた要求とそうでない要求をもつイメージを実感できれば、これらのニーズは感じるよりずっと前に、既に存在していたことをあなたは知るでしょう。それによってあなたはニーズを感じようとするようになり、時が来るとさらにそれらに気づくようになります。真のニーズと、その上に重ねられた偽のニーズ、両方を痛切に感じることでしょう。同時に防衛の壁を内部で感じるよう訓練してください。行動する中で観察し続けてください。その存在を感じるのです。あなたが注意を向けさえすれば、それはそこにあります。

最後になりましたが、とても大事なことを伝えます。あなたが自分の中に防衛の壁を感じるときと感じないときとで、自分の振る舞いと反応の中にある違いに気づいてください。そうすることで、他者にどのような影響を及ぼしているか、そこにしっかりと焦点を絞ってみていくことができます。この差異に気づいていないと、自分の防衛がどのような影響を及ぼしているかわからないのです。この防衛のもつメカニズムが原因で、他者にどんな影響を与えているかを実感すると、悪循環が完結し、間違ったイメージ的結論を用いることで避けたいと思っていた、まさにこの満たされない感覚/不足感を生み出していたのはこの防衛の壁だと理解するでしょう。イメージの中に論理的な誤りがない限り、それが要求するものをみなさんは得ることになります。こうして事実を積み重ねる中で、誤認に基づく他の部分を置き去りにして、あなたは自分の内側の比重と焦点を変えていくことになります。なぜならば、そのもう一つの部分が自分の欲するものをもたらすことはないと気づくからです。

自分のメイン・イメージに気づいたものの、ここで私が説明した一連の繋がりを理解していなければ、真の意味でこの気づきから恩恵を得ることはまだできないと思います。あなたに衝撃を与えるほどの生きた知識とはならず、内側の変化を促すまでには至らないのです。そこに至るには、個人の内面で起こった生育歴で一連の繋がりを見つける必要があります。

わからないことがあれば、どうぞ質問してください。

質問:この道のこの時点で、防衛メカニズムを使っていることを実感していますし、認識もしています。意識できています。防衛に自動的に入る代わりに、私はそれを行動化しないように気をつけています。呼吸を抑えている状態にあるといった感じです。抑圧したくもないし、それに従いたくもない。そして今、もうどうにも進めない自分がいます。何か手がかりをくださいますか。

答え:防衛を認識するというよりもむしろ従う気持ちが強いので、とても辛い状態にあると言えるでしょう。あなたは、防衛が一般的には破壊的であることを知っていますし、その一般的な理解に従おうしています。しかし、特にあなたの場合、自分のこの防衛がなぜ不必要で、表層的であり、自分の利益に反するのかがわかっていないのです。いったんこの洞察を得ることができれば、行動化を防ぐことが容易になります。なぜならば、あなたにはそうする必要がなくなるからです。いわゆる、宙ぶらりんの状態でいるのは、あなたがこの防衛に固執しており、まだ必要だと固く信じているからなのです。今、あなたにとっての最重要課題はこの防衛がなぜ必要だと考えているかを探ることなのです。この防衛なしには、自分は滅ぼされ、脅かされるとどういうわけか思い込んでおり、とてつもない不安感があなたの中に巣くっているのです。この防衛がないと自分に何が起こるとあなたは怖れているのですか?それを意識に上らせてください。

今、あなたに起きていることは、その防衛をもはや使いたくないと思い、強制的に隠してしまおうとしている状態だといえます。ただ内面ではその防衛なしでやっていける確信が無いので、無理やりしがみつくしかないのです。あなたは、新しいあり方への準備がまだできておらず、古いあり方と新しいあり方の間で妥協点を見出そうとしています。同時にあなたの一部は新しい生き方を始めたくて仕方がないのです。この辛い状態は、形の違いはあっても、多くの人が通り抜けているプロセスです。それを明確に認識することで、この辛さを緩和させるだけでなく、ここからどのように進んでいけば良いのか、はっきりとした方向性が与えられるでしょう。

ニーズを見つけてしまえば、内側でリラックスするのを感じるでしょう。ここでは魂の動きについて話しているので、すべてを言葉で説明するのは難しいのです。言葉では十分に表現し尽くせない領域を扱っているのです。これらの動きに従ってください。その動きを視覚化してください。これを見つける前にあなたがやっていたことは、硬くて窮屈な下に向かう動きの中でニーズに圧をかけて抑えこんでいたのです。下方への圧力が強すぎて、抑えが効かなくなると、外に飛び出させてしまうのです。でもその動きは依然として緊張しており、痙攣しているのです。双方の動きは共に緊張と痙攣状態にあり、片や下方に向けて、もう一方は外に向けて素早く放出するのです。この防衛方法が破壊的である以外に、どれほど不必要で、表層的なものかを理解してください。そして次に第三の代替案は、いかにこの防衛手段が不要かつ余分であるかを理解してから、下方に圧力をかけるか、放出するしか対処してこなかったこの凝り固まった塊を、ただただほぐしていくことがあります。そうするとこの塊は次第に溶解し、建設的で意味のある安らぎと解放をもたらしてくれることでしょう。放出する動きも一時的な安らぎはもたらされますが、長い目で見ると、破壊的な性質を持っています。

硬い壁と窮屈な動きをなくしてしまおうと試みていた最初の数回は、下に押さえつけるか、放出するといった痙攣した動きであり、谷間に突き落とされたかのように感じるかもしれません。守ってくれるものが全くない状態と感じられるでしょう。それ以前のあなたの拠り所、安全地帯はあなたの防衛を象徴するあの硬い塊であり、両極端の緊張した動きが必要だったわけです。それなしではあなたは無防備で攻撃されやすいと感じたことでしょう。もしあなたがこのやり方が誤りであるとわかれば、この硬い塊をほぐすことができるでしょう。今のあなたは抑圧なしにその塊を持ち続けようとしています。しかし、本当に目指すべき場所はここではないのです。持ち続ける代わりに、その塊をほぐし、やわらげることによって、溶かさないとなりません。そのためには脳ではなく、あなたの感情にこのように自問するのです。「この防衛がなくなると、どうなると私は怖れているのか?」と。この問いに対する答えを見つけてください。答えを得た場所から、あなたは先に進むことができるでしょう。

質問:ここで話された症状の多くは私にもあります。一方で怖がっている私がおり、もう一方では内側に平和を感じるのです。どうすれば良いかわからないのです。ときには、両方を同時に感じることもあります。自分の感情をうまく言葉にすることはできますが、この点について未だ助けが必要です。私の問題の一つに、あまりに受動性が強いので、それがある種の怖れを生み出しているのではないかと考えています。

答え:以前からみなさんに幾度となく話していることを、もう一度繰り返す以外にありません。あなたの中の一部が、幼少期を手放したいと思い始める地点にたどり着いたのです。この部分がより優勢である場合、あなたが先ほど触れた平和の状態を感じるのです。一方で、あなたの一部は必死で子供のままでいたいとしがみつき、責任の伴う大人になることに怯えているのです。この苦闘はいよいよ表面化してきて、意識に上ってきます。保護してもらうことと防衛は、子供時代を保持し続けると得ることができ、先ほど言ったように、あなたの一部はその保護を手放すことを怖れているのです。この時点で、あなたにとって重要な問題となるのは、「子供のままでいられなくなることを怖がるのはなぜ?」ということです。内側の平和な状態は、あなたがワークに取り組んできた成果であり、部分的でありますが、子供のままでいることを卒業する準備ができたことの表れです。

質問:以前、防衛のメカニズムは他者への影響によって決まる、と話されました。正確にそれを理解できたかはわかりませんが、自分の防衛メカニズムは完璧であり、他者にも素晴らしい結果をもたらしているとよく思います。

答え:素晴らしい結果が出ているのは、あなたが本当に欲しいものに関してですか、それとも本当に欲しいと思っていることに関してですか?

質問:自分の欲しいと思っていることに関してです。もし防衛によって、自分の問題に他人が立ち入ってくるのを避けることができれば、他人はとても幸せ、全員が幸せになります。ですので、私の防衛に対して、他人がひどく反応するわけではないのです。

答え:まず、あなたは外的には結果に満足しているかもしれませんが、それによる副産物によって自分が幸せから遠のいていることを見過ごしています。たとえ他者が、あなたの今考えている特定の防衛がいかに彼らに影響を及ぼしているか、など気にしていないとしても、あなたが気づいていようがいまいが、あなたにとっては真逆の結果を引き起こしています。自己理解がさらに増すことによって初めてこれが明らかになることでしょう。あなたは分離し、孤立しているある一部分を考えているかもしれませんが、私は全体について、そしてその結果をも含めて話しています。あなたにとってはまだ何のことかうっすらと気づくこともないのでしょう。これは、多くのワークをされた後で、徐々に気づいていくようになるものなのです。あなたはそのうちの分離してしまったいくつかの欠けらに気づいているのかもしれません。

さらに加えると、ここでは、私がこのレクチャーの中で話したことそのものが起きているかもしれません。誤った仮定に基づいていないので、自分のイメージが要求していることに気づいていて、それが実現されやすいのかもしれません。けれども、あなたはまだその下にある、満たされないまま残っている要求に気づいていません。言葉にしていない要求と欲望、これまで顧みないで、放置してあった抑圧されたニーズを見つけ出してください。そうすると深い目標と欲望の実現をどれほど自分の防衛メカニズムが妨げてきたかがわかるでしょう。自分の中でまだ眠ったままでいる全ての潜在性を表に出すことを自分がいかに抑制しているかを理解するでしょう。防衛メカニズムは自分にとってとても上手く機能しているとあなたは思っているでしょうが、機能している限りあなたの潜在能力は決して花開くことはないのです。

質問:真のニーズが満たされる例を明快に示して下さったように、ニーズを諦める例も示してくださいますか?

答え:先ほど使ったケースを仮定として話しましょう。この人物の真のニーズは愛されること、愛すること、真の意味ある関係性をもつことでした。その人はこのニーズに気づいていません。このような特定の人格に及ぼした子供時代の体験により、本来なら満たされたであろう人格が成長するのを妨げるのです。その人はこのニーズを知ることを抑圧したのです。その代わりに、その人は成功を、承認されることを、他者に感心されることを追い求めました。そしてこれが上に重ねられた偽りのニーズとなり、真のニーズを覆い隠します。そもそも彼は、承認されたいというニーズにさえも十分に気づいていません。とにかくこのような人物がこのような生き方をそのまま進めて行ったとしましょう。最初にその人が意識することは、成功に対して強力に駆り立てられているということです。それは合理的な説明を超えるほどに強力です。そして次第に自分を執拗に駆り立てる強い力をずっと感じ続けるようになります。はじめのうちは、それを理解できませんが、自ら進んで自分の感情に何が起きているのかを調べようするようになると、承認されたいというニーズがあることに気づくのです。この時点でやめてしまうと、安らぎと解放は得られません。まだ途中なのです。しかし、このまま続けることで、なぜ自分がそんなにも成功したがっているのかを自問するようになります。認められることが自分にはとても重要であるという答えを得ます。なぜこのことがそんなに重要なのでしょうか?自分の感情を正直に、抵抗をなくしてさらに調べていくと、子供の頃、愛して欲しいというニーズが拒絶されたことがようやくわかります。ゆえに、その他の副産物とともに、イメージ通りに自分自身を否定していくことになったのです。この真のニーズに気づき、それを本当に感じ、それがどれほどの影響力を自分にもたらしたかを十分に体験すると、他者に感心してもらいたいこと、承認してもらいたい、栄光に浴すこと、特別でありたいこと、成功や野心などに駆り立てられる力は自動的に弱まるでしょう。自分が本当にしたいことをし、より調和した方法で、自分の力と資源を投入するでしょう。だからといって、自分の仕事に対する健全な興味を突然放り投げてしまうという意味ではありません。調和というものが徐々に確立していく中で、内なる目標が、これまであまりに長い間放置してきた部分に向けられるのです。偽りのニーズを追い求めることによって、自分の真のニーズを満たすことをどれほど妨害してきたかを見るのです。偽りのニーズからくる振る舞いのパターンと、そのパターンが真のニーズにどれほどの損害を与えたかをはっきりと認識するのです。ゆえにその部分から彼は、変化し始めるのです。

これこそが真の意味において諦める、ということです。洞察によって、関係のある全ての要素を十分に理解しながら、人は成長するので、もはや破壊的な防衛と偽りのニーズにしがみつかなくてよいのです。ただ、これは意志の行為によって実現できません。もし、みなさんの中にも似たような兆候があることに気づいて、強制的にこのニーズを諦めようとするなら上手くいきません。それは失敗に終わるか、不安があまりに強いので、自分のまだ気づいていない他の破壊的な傾向を作り出すことになりかねません。今、お話ししたようにゆっくりとしたプロセスを通ることで、有機的な成長が起こり、諦めは自然な形で行われます。

質問:例えば、どの人にもあるように、ある人にたくさんの真のニーズと偽のニーズがあるとします。どれもがさほど強いニーズでないとします。その場合にはどういった方向に舵をとって行けば良いのでしょうか?

答え:今までに質疑応答の中だけでなく、今夜のレクチャーでも、すでに答えたことだと思います。一つだけ付け加えると、内面に言葉にされていない要求を抱えている感情と、結果そこから生じる振る舞いのパターンを観察するとき、または自分の他者への反応と与える影響力を観察して、どのニーズが満たされて、どのニーズが満たされていないかを考えてみてください。今夜話されたプロセスについてのより明快な理解を得ることでしょう。自分の感情、ニーズ、防衛に気づいてください。何があなたを内向きにさせ、ゆえに外向きに振る舞わせるのか。ほんの微妙な違いかもしれませんが、はっきりとした答えが見つかることでしょう。そうなるためには非常に大きな内なる意識が育っていなければなりません。私が提唱するこのパスワークを辿ることが最良の方法です。さらに進んで行くために私は着実にみなさんを導いていきます。感情を表層に浮上させ、上手に対処することを学ぶのです。そこに存在する理由とより深い意味を理解するのです。このグループワークの中で得られるその他の恩恵として、他者があなたに、あなたが他者にどのように影響を及ぼしているかをさらなる理解が深まるでしょう。防衛の壁が立ち上がってくるのを感じるとき、またはそれを感じないとき、あなたの感覚、体験、コミュニケーションをとる能力にどんな違いがあるでしょうか?これら全てによってあなたの内面の生き方が明かされます。こういったことによって誤ったニーズを手放し、真のニーズを満たす建設的な行動パターンがそれらにとって代わります。

親愛なるみなさん、今日の話の中で、あなた方が共鳴できる言葉が見つかりますように。今すぐでなくても、もう少しプロセスが進んだ先で共鳴できますように。みなさん、一人ひとりに祝福を。自由へのこの道を楽しんで進んでください。一時的に行き詰まったように見えても、がっかりせずに、そのように混みいったいばらの道を抜け出すために、うっそうと生い茂った茂みに差し込む光を再び見るために、全力でワークをする必要があります。必ず抜け出せます。そのようになっているのです。私たちの温かさ、愛、祝福を受け取ってください。平和のうちにてください。神とともにいてください。


###


以下の注記は、Pathwork®の名称およびこのレクチャー資料の使用法を示したものです。Pathwork®の商標/サービスマークは、The Pathwork Foundation(パスワーク・ファウンデーション)によって所有され登録されており、The Pathwork Foundationの書面による許諾なく使用することはできません。The Pathwork Foundationは、その単独裁量権において、Pathwork®の商標を、協力団体やその支部のような他の組織および個人による使用を許可します。

著作権にかかる規定
Pathworkのガイドの著作物は、The Pathwork Foundationの所有資産です。このレクチャーは、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーに準拠して複製され、いかなる方法においても変更または省略することはできません。また、著作権、商標、サービスマークおよびその他あらゆる公示の削除は許可されません。
レクチャーを提供される側は、複製と配布のための費用のみを支払うこととします。The Pathwork Foundationのサービスマークまたは著作権で保護された資料を使用する任意の個人や組織は、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーを遵守することに同意したものとみなされます。これに関する情報またはこのポリシーを入手するには、The Pathwork Foundationにご連絡ください。Pathworkという名称の使用は、The Pathwork Foundationによって承認される変容のプログラムを修了したファシリテーターとヘルパーにのみ許可されています。

日本語版の取り扱いについて
Pathwork in Japan (パスワーク・イン・ジャパン) の許可なしに、無断でコピー(複製)、貸与、頒布、販売することを固く禁じます。また、文書およびインターネット上(ウェブ、メール)での引用・転載を含む公開も禁止します。

また、本レクチャーの受領者は、英語版から日本語版を作成する際に発生する複製・配布・翻訳などにかかる費用をご負担いただきます。

さらなる情報やPathworkへの参加については、Pathwork in Japanにお問合せください。
ウェブサイト:www.pathworkinjapan.com
お問合せ先 :pathworkinjapan@gmail.com

※ガイドレクチャーに関するお問合せはメールで承っております。下記メールアドレスまでお願いいたします。
pathworkinjapan@gmail.com

© Pathwork in Japan All Rights Reserved.

bottom of page