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No. 228 バランス(均衡)

Pathwork Guide Lecture No. 228
1996年版
1975年2月12日


バランス(均衡)
BALANCE


親愛なる皆さん、こんにちは。皆さん一人ひとりに祝福を。お望みであれば喜んで、又暫くあなた方の世界に入り込み、有効なステップをもうひとつ示しましょう。これはバランスについてのレクチャーです。バランスこそが宇宙を健全に保ちます。バランスがなければ、バランスを保つ意識がなければ、バランスを保つ法則がなければ、全ては崩壊するでしょう。 あなたが知っている自然法則、そして別のレベルの現実であるが為にあなたが「超自然」と呼ぶかもしれない法則も全て、バランスの法則です。それはバランスから生まれ、バランスをもたらします。バランスとは、冷酷で機械的で偶発的な要素ではなく、至高の知性と目的の表現です。

バランスの法則のあらゆる側面には意味があり、それぞれの意識があります。物理法則の中にバランスの法則を見つけることは可能ですが、それは限られた範囲です。何故なら、あなたは自らが認識できないレベルの現実とのバランスが知覚できないからです。この繋がりなくして、物理的法則は存在できません。他の現実のレベルにおける生命なしには、あなたの肉体的顕現も存在できません。これはあらゆるものに当てはまります。単なる存在の話だけでなく、宇宙の法則にも当てはまるのです。

すべての惑星システムは、これらの重要な法則によって維持されています。そうでなければ、バラバラになり、互いに衝突し、システム全体が崩壊します。同じことが人体という小宇宙にも当てはまります。人間の身体は、あなた方人間が未だ知らない、至高のバランスの法則によって維持されています。この法則が働かなければ、全ての細胞や粒子は崩壊し、肉体構造は維持できなくなります。

物理、化学、生物学、あなた方の物理的な現実におけるあらゆる科学の法則は、偉大なるバランスの法則で支配されています。これらの法則のいくつかは、科学者にも明らかなものです。しかし、他の法則は、より複雑で未だ解明されていません。あなたの現実レベルを越えた高次元な数学こそが、これらの法則を解き明かす鍵を握っています。ごく少数の啓示を受けた人間だけが数学に、宇宙そして創造への鍵との関係性を感じ取ってきました。

バランス(均衡)はあらゆるレベルに存在します。物理的レベルでは、均衡は秩序であり、秩序を生み出します。不均衡は無秩序ですが、それが更なる無秩序を生み出すのは、一時的で限定的な範囲にしか過ぎません。何故なら、一時的な無秩序は、遥かに高次な組織化された秩序への一歩だからです。

感情的レベルでは、バランスは調和、つまり感情の調和を意味します。それは更なる調和をもたらします。そして勿論、不均衡は不調和、否定的な感情を意味します。不調和は最終的には、より大きな秩序をもたらす筈です。精神的レベルでは、バランスは正気を意味し、より均衡のとれた、より健全な正気をもたらします。精神的レベルの不均衡は、狂気を意味します。この狂気も一時的なものに過ぎず、最終的には、より高次の組織における、更なる健全なる正気をもたらします。神の法則の偉大さは、崩壊が統合への単なる一歩であるという点にあります。全ては必然的に統合、秩序、調和、光、バランス、愛、知性、健康へと厳然と導かれます。

従って、バランスの法則は常に統合的です。バランスとは「適切な基準」を意味します。体感覚を通して経験する物質世界での顕現を考えてみてください。この意識レベルでは、神聖の顕現は対照的なものとして現れますが、何度もお伝えしたように、実際はそうではありません。暖かさと寒さを例に取ってみましょう。適切な程度であれば、調和の取れた生活にはどちらも必要です。それぞれが独自の目的、機能、そしてより大きな枠組みの中での意味を持ちます。どちらも、肉体の成長と生命維持に不可欠な創造力と流れを示しているのです。私は温度の基準について述べているのではありません。何故なら、全員に当てはまる基準など存在しないからです。暖かさや寒さは、異なる形で組織化された人間が生きる、文化や地域ごとに大きく異なります。熱帯雨には、うだるような暑さを和らげるのに必要なだけの冷たさがあり、 北極圏の穏やかな太陽光には、生命維持に必要な暖かさとバランスがあるでしょう。

不均衡においては、心地良い暖かさは耐え難い熱に変わり、清涼な冷たさは凍てつく氷のように冷たくなります。どちらも生命を殺しかねません。同じことが、他の全ての物理的現象、物質的、感情的、精神的な現象における、不均衡や誇張に当てはまります。

まずは、物理的なレベルをもう少し見てみましょう。光と闇を例にとります。両者のバランスは美しい調和を生み出し、まさに人類が必要とするものを提供します。しかし、二元的な誤認では、これらは対立するものとして現れます。両者は二元的な意識状態の現れではあるものの、どちらも統合された全体となって目的を果たしています。夜の闇の中であなたは休息し、昼の明るさの中であなたは活動します。これは、活動と休息のバランスを必要とする内的レベルが象徴的に現れたものです。どちらかがバランスを失って過度に重視されたり、逆に軽視されたりすると、混乱と一時的な崩壊を招きます。

バランスという要素は、創造主の豊かさ、美しさ、叡智、愛を明らかにします。それぞれの生命体の内には、全てをひとつにまとめるバランスを見出す直感的な能力が備わっています。創造の光が、ボイド(虚空)を満たそうとする進化の衝動に従って前進するにつれて、意識とエネルギーの粒子は自らを失い、全体から自らを分離させるように見えるのです。ボイドを貫き、それを満たそうとする試みの中で、一時的で幻想的な分離は、虚空を霊化して光をもたらす役割を果たします。絶え間なく前進し続ける動きは、徐々に意識の隙間を埋めていき、最終的には本来のワンネスが復興します。

神性の海全体は益々広がり続けます。このプロセスにおいて、先駆者は分離します。動きが続くにつれ、それらは再結合し、益々ボイドを満たします。これを語るにあたり、私は「後」や「後で」といった言葉を用いざるを得ません。勿論、これらは幻想です。なにしろ、時間の概念そのものが幻想だからです。しかし、これらの考えをあなたの意識が集中する人間の理解に当てはめるには、時間の観点から話さなくてはなりません。これらの粒子はやがて、前進する神聖なる物質と再結合し、本来の全体との繋がりを見つけます。一時的で幻想的な断絶は、一時的で幻想的な不均衡を生み出し、カオスと崩壊へと導きます。しかし、この運動全体には包括的な意味と目的がある為、カオスと崩壊は一時的なものに過ぎません。光がボイドを貫く際に生じる不均衡が、分離の幻想を生み出します。分離そのものの中にも、不均衡はある筈です。しかし、そのような不均衡は、より大きなバランスへの一歩に過ぎないのです。

友よ、このことを理解して頂くことはとても重要です。しかし、これは単なる知的レベルだけでは理解できません。あなた方の誰もが、内なるチャネル、直感的なチャネルを開き、私がここで述べていることと繋がる力を持っています。おそらく、自らの内のバランスを崩している領域を感じる時、最も理解が深まることでしょう。

このパスワークの浄化プロセスは、勿論、バランスを回復させる為の効率的な方法です。適切な基準は、直感で見つかります。特定の表現をバランスさせる直感的な基準を探しましょう。いつ、どのように、どの程度、外向的になるか。いつ、自分を落ち着かせ、力を蓄えるか。いつ、能動的になり、いつ、受容的で静かにするか。これらの領域、その他の多くの領域で、あなた方は、いつ、どの方法で自己表現するか、いつ自己主張するか、いつ柔順に譲歩するのかを自然に知ることができる均衡を見つけようと模索しているのです。

人間は常に、内なる光の奥底にあるプロセスを深く考えたり、感じたりしなくても受け入れられる、厳格な規則に安定を求めてきました。これらは、どんな状況でも適切な基準を知る、神なる自己の自発的な働きを見出すことを避ける為の幻想の近道です。あなたはそれが実現できる可能性であることを知りつつ、直接的に強制することなく、意識的にこの理解を望む必要があります。

外的なマインドだけで正しい指針を求めると、規則や安易な決まり文句に頼りがちになります。それらはある程度は有効かもしれませんが、あらゆる状況に適用できる訳ではありません。例え適用できたとしても、外的なレベルから来るものであれば、それはぎこちないものとなります。表面的な人格で理想的なバランスを確立しようとしても、それは神聖なる核心からもたらされる意味のある行為ではなく、平坦で不満足なジェスチャーになるでしょう。

真に満たされる内なるバランスは、自己浄化という険しい道のりを歩むことによってのみ得られます。それは思いがけない副産物として現れます。愛が内側から湧き上がるように、それはあなたの内側から湧き起こってきます。そうです。あなたは愛すること、真実とバランスの中にいることの意欲を持たねばなりません。しかし、それらを直接的に意志で達成することはできません。自分自身と真実の中にいることへの努力と誠意によって、内なる鍵があなたの英知を解き放つ時、それが現れるのです。

バランスは決して外側から強制できるものではありません。 愛、叡智、啓示、平和も同じです。バランスは神聖で自然な顕現であり、健全な正気です。肉体とエネルギー体、あなたの存在を構成するあらゆる粒子において、健康を保つためにはバランスが必要なのです。あらゆる病気は、不均衡によって起こります。健康な体は、自らバランスを保ちます。

健康な身体を維持して育む意識は、知性と直感の一部を用い、そして前向きな意志を通して、バランスのとれた人生を送ることを確かにします。真に深く、意義のある個人的なバランスは、あなたが知っている数学の数値や方程式では測れません。それは五分五分ではないのです。

例えば、睡眠と覚醒のバランスを考えてみましょう。身体の適切なバランスは人それぞれ異なり、睡眠と覚醒を同時間必要とする人はいません。外見的に見れば、睡眠時間が8時間で活動時間が16時間というのは、バランスが取れていないように見えるかもしれません。しかし、内的なバランスからすると、あなたにとって、それは適切な割合なのかもしれません。そして多くの場合、これは事実です。私が言いたいのは、外見上の測定値が、必ずしも内的基準の正しいバランスを表すものではないということです。

この原理を内的態度に当てはめると、更に明確になります。どれくらいの時間を自己主張や特定の状態に費やすべきかルールを作ることは、霊的な人は決して攻撃的であってはならないとか、強い人は決して受容的で柔和であってはならないと主張するのと同じ位、全く馬鹿げています。バランスの基準は、あなたの知的な計算を超えたものです。それは感じるべきものであり、内的に探すべきものなのです。

内なるバランスは、意識的な知覚ではまだ到達できないレベルの叡智から生まれる、別の数学、つまり基準に基づいています。しかし、それは間接的に現れます。一見、不均衡に見える内なる現実の中に、真のバランスがあります。そこで、何が均衡で、何が不均衡なのかを知る為の全く新しい視点を見つけます。言い換えれば、内なる現実のバランスは、形式張ったものでも機械的なものでもありません。その背後には意味があります。この内なる生命のリズムを見つけることこそが、内なる世界へと続く道の目的なのです。

内なる次元から完全に切り離された人は、あらゆるリズム、あらゆるバランス、あらゆる基準を外的マインドに委ねなくてはなりません。これは多くの場合、無意味で、ぎこちなく、自己破壊的なものとなります。真のバランスを崩してしまうのです。外的マインドの尺度は、真の割合とは矛盾します。しかし、外的マインドを遥かに超える、活気に満ちた知性と叡智を宿した自らの内的存在を見出せば、あなたは言葉では言い表せない程に壮大で、目的意識に満ちたバランスシステムによって、まとめられ、運ばれるという、驚くべき美しさを経験するでしょう。あなたはこれを信頼することを学び、それと共に進むことを学びます。あなたは、バランス調整システムを意識的に活用することを学びます。そのシステムは、それを求める人、それに対して自らを開く人、そして覚醒した態度を通して自らの外的存在を調和させていく人にとっては、いつでも手が届くものなのです。

リズミカルなバランス要素に耳を傾けると、あなたの内的システムは、人間の理解を超える程に精緻に織り合わされた全体の一部であることに気づくでしょう。それは、マインドでは未だ捉えきれない程の壮大さです。しかし、あなたがその一部となれば、確かに感じることができます。そのことは常に、狭いマインドの当座のより小さい秩序に留まる誘惑を捨て、より大きなマインドのより大きな秩序を見出せると信じることを意味します。

あなたの存在の外的レベルで物事がうまくいかなくなった時、あなたの意識が未だ知らない要因から一時的に生み出される不調和と不均衡に、あなたが内なる全てで反抗する時、この新たな意識はあなたを維持してくれるでしょう。本能は、無秩序や不均衡と戦おうとします。しかし、この無秩序や不均衡こそが、外的な戦いや執着を手放し、内的秩序やバランスへと向かう機会を与えてくれるのです。その為の空間を作り、それを信じ、それが顕現するのを待ちましょう。

友よ、私がここでお話ししたことは非常に重要です。今、新しいキリスト意識が、現実の内的レベルで人間の意識の中に浸透しつつあります。従って、それは古いバランスシステムとその時代遅れな基準である古い秩序を破壊するだけでなく、古びた態度、感情、価値観、概念をも破壊せねばなりません。この破壊は、あなたの生活のごくありふれた「小さな」事柄の中で起こり得ます。しかし、一時的な無秩序の内的意味を見つける意欲とオープンさがある時にのみ、新たな秩序が見つかるのです。あなたが一時的な不均衡による不快感をこのような視点から捉えることで初めて、表面的な存在のレベルで認識し、確立してきたものよりも遥かに深く、意味深い、真のバランスを見出すことができるでしょう。あなたは気づかない内に、その表面的レベルから既に成長しているかもしれません。あなたは今内側に向けて、より遠く、より深く、真の宇宙へと拡張し、新たなバランス構造を適応する準備が整っています。しかし初めは、あなたがその動きを妨げ、抵抗する為、それは不均衡として現れるかもしれません。

このテーマに関して何か質問はありますか?

質問:あなたが「バランスする要素」と呼ぶものは、例えば、攻撃性と受容性の原理における第三の力ですか?

回答:いいえ、バランスする要素とは、対極として現れるものの根底にある凝集的な力です。言うなれば、バランスする要素は結束力、つまり架け橋です。能動原理と受容原理は、創造の仕組みにおける、数多くの普遍的な法則の内のふたつに過ぎません。能動原理と受容原理の例で続けましょう。バランスは第三の要素ではなく、このふたつの原理の和解であり、それによって双方の表現が意味のある形で存在するワンネスが生まれるのです。以前にも述べたように、能動原理は受容原理を内包せねばならず、同じように、受容的な状態にも能動性が含まれている必要があります。そうでなければ、バランスが崩れます。

人が真に能動的であるためには、その活動に受容的なマインドの状態、すなわち静かで調和のとれた存在状態が伴わなければなりません。能動的な動きは、時に私が「努力を必要としない努力」と呼ぶものになります。それは張り詰めた努力ではありません。活動が緊張を伴い、疲労を招き、労力を要するのは、そこに受容的な原理が含まれていない場合に限ります。

人間が動くこと、何かになること、努力することを避けるのは、能動的な動きの中に受容的な静寂を感じられないからです。彼らの努力はあまりに力んでおり、停滞しやすくなるのです。しかし、もし努力を、受容原理との調和や和解を通した力みのない努力として考えれば、成長や外に向かって能動的に動く「何かになること」を恐れることは無くなるでしょう。

同様に、受容原理が能動原理を内包していない場合、それは停滞した、活気のない状態を生み出します。受容的状態に含まれる活動や動きは、能動的状態であるのと同様に注意深く、目覚めて、生き生きとしています。

能動原理と受動原理に含まれる特質を考えると、次のようになります。ここでは説明の為に非常に簡略化しますが、能動原理は動きであり、行動です。受容原理は存在の状態、静寂です。能動的状態は発し、受容的状態は取り込みます。能動的状態ではエネルギーを緊張させ、受容的状態ではリラックスさせます。双方を適度なバランスで組み合わせると、リラックスして無理のない、穏やかな行動や努力が生まれます。あなたは生き生きとして、活力に満ちた受容性を得ます。どちらの状態においても、あなたは全ての特質を備えますが、その割合は異なるのです。

従って、それは第三の力ではなく、バランスを保つ割合なのです。

質問: 今夜のレクチャーに深く関連した個人的な質問があります。私は今、人生における不均衡の痛みに気づいています。虚栄心やプライドに関わる私の外的意志が、私を過剰な快楽主義という一方の極端から、欠乏主義というもう一方の極端へと追い込んでいることに気づきました。これは、睡眠、食事、愛情面、生活における全ての身近なことに当てはまります。何故こうなるのか、理解できるよう助けて欲しいのです。まるで、極端から極端へと振れ、自らの調和の感覚を否定することを、「特別さ」の識別特性として利用しているように感じます。

回答: この答えには、いくつかのレベルがあります。例えば、ローアセルフのレベルでは、「うまく行かない、何もかもうまく行かない」ということを証明する為に、意図的に不均衡を求めます。何もうまくいかず、何をしようと誤っており、人生は不良で、諦めるしかないのだという確認を得るのです。ローアセルフはこのように主張します。このことに気づき、向き合い、支配されないようにすることが重要です。このことに気づくと、この声の正体を特定できます。そして、ハイヤーセルフに自らのハートとマインドを開き、バランスを取り戻す為のガイダンスを求めることができます。このレクチャーでお話ししたように、これは知的な決意だけでは得られません。有意義な内なるガイダンスの方向へ知性を向かわせなくてはなりません。

別のレベルにおいて、この不均衡は、現実への無知とバランスの重要性への無知に起因しています。おそらく、このふたつのレベルは組み合わせられるでしょう。例えば、休息と活動の両方が、人生において重要な役割を果たすということを理解しないローアセルフは、不均衡を生み出し得ます。同じ原理が他のあらゆることにも当てはまります。ある程度の節制がなければ、充足感は浅薄になり、最早満たされるものではなくなります。不均衡は自滅すると言ったのは、このことからです。

あなたは、自分自身に惜しみなく与え、そして与えることを止められる存在として、自らを捉えるべきです。自らの内に、いつ、どれだけ与えるべきかを知る力が存在する可能性を受け入れ、その力を呼び起こす必要があります。認識や思考プロセスにおいて、今は正反対のように見える両側面を顕現させる、バランスの概念を培わなくてはなりません。この概念への理解が熟してくると、あなたが真実をもってそのバランスと出会うことから、ローアセルフは最早そのゲームを続けられなくなります。

愛と祝福が皆さん一人ひとりに入り、最奥のハイヤーセルフから生じる愛や祝福と融合します。存在の真実、人生の美しさ、真の自己の強さは益々出現し、あなたの人生を祝福された栄光とするでしょう。皆さん全員に平和と愛を。祝福がありますように!


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