top of page

No.208 人間の持って生まれた創造の力

Pathwork Guide Lecture No. 208
UNEDITED版
1973年2月9日


人間の持って生まれた創造の力
INNATE HUMAN CAPACITY TO CREATE


 みなさんこんにちは。すべての方に祝福を贈ります。自己の内なる道を探求している新しい友人のみなさん、ようこそ来てくださいました。そして、すでに道の途上にいる古い友人のみなさん、ようこそ。私は今日のレクチャーでその両方のグループのためになるよう話題を組み合わせようと思います。ここに始めて来てよく内容のわからない人、だんだんと分かってくるであろう偉大な答えのほんの始めの部分として今夜何らかの答えを探しに来た人、そして既に自己探求に深く入り込んでいて、その途中でさらなる手掛かりを必要としている人、そのすべての人びとのために。

 私は今夜、人間の持つ、創造のための内在的能力について話します。この力はびっくりするほど過小評価されています。それはあなたが今、認識し得るものよりはるかにすばらしいものです。世界の科学者や心理学者、哲学者はこの能力のことを未だ知りません。啓発されたわずかな人々を除く、ほとんどの人は自分の人生を創造し、再創造するための眠れる能力を知りません。さらに、理論上では知っていても、実際の経験として知っている人はほとんどいません。私は過去に何度か話していますので、少し重複するところもあるのかもしれませんが、この話題にもっと焦点を当てさらに深く掘り下げていきます。

 人間がその肉体とエゴの状態をこの三次元の世界に選んできたとき、それまでの状態では自然に持っていた人間には理解出来ないような、閉じ込められてなどなく、より自由で、より覚醒していて、より無限に自分の人生を作り上げる能力がある、という記憶を消し去ってしまいます。そして、その記憶と引き換えに感情と態度が法外に大きいのです。この能力・パワーは今も人に同じように存在していますが、ただ人がつながりを持っていないだけなのです。人はこの瞬間に自分が正確な方法で作り上げたかつての体験に間違いがあることなどありえない、ということを知らないのです。しばしば言ってきたように、あなたの意識、半意識、無意識、明示されたまたは明示されない思考、信念、過程、意図、感情、情動、意志の方向、の総合計が…衝突はおこるかもしれませんが…明確な結論を創造するのです。この結論はあなたの現在の体験であり、あなたの人生の道はあなたのために展開しています。現在の人生は、完全な数学の方程式のごとく内的状態を示しています。だからそれは内的領域への地図として大変うまく使うことが出来ます。これはパスワークの方法の一部なのです。

 これもまた私がしばしば述べてきた事で、あなたがたの多くがすでに確かめできた事ですが、隠され、恐れられ、罪悪を生むような、否定された考えや感情は、意識レベルで扱うものよりももっとネガティブな創造をする力を発揮してしまいます。恐れと罪悪感は強力な因子だからです。それらは非常に大きなエネルギーを含んでいます。同様に熱狂、悦び、活気、興味、刺激、などのポジティブなレベルでは、それが力強い創造エネルギーの因子となります。

 それゆえ、この道は、瞬時にアクセスすることが出来ないあなたの人格層であなたが信じ、感じ、意思を持ち、仮定し、意図するものを探求することと強く関係しています。それらはしばしばあなた方が、ただ浅はかな望み、間違った仮定、否定的意図、などに結びついた”副作用”について知らないから、というだけの理由で全く経験したくもないことを創造してしまうことがあります。また、あなた方はこの精神的なものの力や、物質や出来事や環境や人生の経験の創造の中でいかに間違いなくそれが移行しているかに気づいていません。

 人間がこの制限されたエゴの状態を選ぶとき、その人はまさに特別な目的を持って選択しているのです。その人は浄化と統一という目的のためにこの制限された状態の中で自分自身を顕現し表現しに行きます。友人のみなさん、もしあなた方が持てるすべての意識と能力を使ったとしても、このことを迅速に、効果的になすことはできないでしょう。あなた方のエゴの人格は、今それ自身を表現するときに、全人格から孤立した部分(一部または複数部)であるからです。もっと“より大きな“ 、もっと全体的な、もっと浄化されたあなたの総合的な人格、もしくは本当のあなたは明白には顕現しません。私はしばしば人格とは意識の一面一面から成り立っていることを述べてきました。孤立した状態(三次元の現実とエゴの)において、あるひとつの面の顕現は、未浄化な面がより大きな浄化された人格に覆い隠されているときは焦点を合わせ、それが欠けていることに気づいている余裕があるのです。それらは簡単に見過ごされてしまいますが、それでもなお人間の意識の領域を超えるほどのさらなる発達にとって重大な妨害として存在します。もちろんそのような発達は今はあなたが理解できないような領域で進行していきます。

 しかしながら、より大きな自己の能力を開拓することができます。いつも存在している内なる声のするほうへ焦点を合わせ、受け入れることができます。同様に、奥深くに埋もれ、あなたの進化の過程で取り込む必要のある人格のうちネガティブな面に焦点を合わせ、受け入れる事も可能です。この道はあなたの隠された層にコンタクトし、適切に取り扱うことを教えます。だから、より発達した部分とまだ発達していない部分があり、それは(顕現している)あなたであり顕現していないあなたでもあるのです。

 個々が人生において主となる使命としてこの探求を引き受けるとき、全ての不安は消え、魂の中に意義と充足の深い感覚が訪れます。ゆっくりと、しかし確実に人生の不満は消え、豊かな満足がそれに取って代わります。人間は自分が最初にどうしてこの世界にやってきたのかという理由に注意を向けた時のみ、その人生で居場所を見出すことができます。逆に言えば、たくさんの人々が彼らの言うところの“生きること“と、霊的成長との分裂を勝手に作り出しているのです。彼らは、霊的成長は生きるという点において損になると馬鹿げた恐れを抱いているがために、霊的成長に自分の多くを注ぎたがりません。そして、外側の物質的生活に集中すればするほど不安と抑うつの状態になります

 宇宙に存在するあらゆる神聖な法則や特性なら何でも、それらは孤立したエゴの状態で深い内なる現実から切り離されて自己を表現するときには歪んだ破壊的なものになります。その例を取り上げてみましょう。

 幼児は生まれたとき、自分の全能性を感じています。これは心理学的にも知られています。この幼児の、明らかな全能の神に対して要求する表現を見て心理学、精神医学は、未熟な非現実性と破壊的利己主義として捉えています。それはその通りでもあります。しかしそれはそれ以上のものでもあるのです、友人のみなさん。それは別の状態での記憶であって、思考が形作られた瞬間に物や出来事になるような意識の状態の記憶です。時間と距離というのは、意識における三次元世界の幻想状態の一部です。ですので、それらはもはや拡大した意識の領域には存在しないのです。幼児の意識は、部分的にまだその子の全人格(全能)の状態に波長が合わさっている状態にあります。しかしこの記憶が、閉じ込められた、制限されたエゴの状態へと“変換“されて出てくるときには“ごちゃまぜ“になっているのです。エゴの状態がより浄化されない状態で集中する時、創造の力は歪み、望ましくない形態をとるのです。エゴはいつも他者から切り離されているだけでなく、基本的に他者とは幸福という点で相反するものだと言う幻想の中に生きています。だからエゴのなす全てはいつも他者に対抗し、競争し、比較するのです。これが破壊性や利己主義を作り出すものです。それはあなたが最もよく知っているように危険な武器となる力です。みなさんのすべてが他者の中の何かを恐れ、自分自身に対して罪悪感を感じるとき、その力を体験しています。その力は激しい分離の表現なので、いつも愛や悦びを排除します。

 しかし、あなた方が自分のエゴが現実から分離しているのを見出すとき、全自己が結合の原則を発見するとき、あなた方は自分の利害が決して他者の利害に対抗しないことを発見するだけでなく、同時に力と愛は相反するものではないことを発見します。あなたはそれから、あなたの人生と自分自身を創造し、再創造をするための自己の内なる力を使い始めることができます。あなた方は今、なぜ自分の創造する力に気づくことがこの身体とこの人生において歪んだ面を浄化し、この面が永遠の内なる現実を発見するまでは危険なものであるのかをより理解するかもしれません。その内なる現実とは、あなたが外の現実として考えているものよりもっともっと現実的なのです。

 自分の考えや望みが瞬時に実現しないとき、幼児のフラストレーションは明らかです。幼児のかんしゃくはしばしばまさにこの理由で起こります。原因と結果の瞬時性 --- 思考または願望として存在する原因、そして体験として存在する結果 --- はいつもエゴを超えた意識の状態で“与えられ“ます。孤立化したエゴの側面としての、ほとんどの人間の使命のひとつは、信頼して忍耐強くあること、川の流れのように流れること、身勝手ではなく受容すること、これらのことを学ぶということです。それゆえ、創造する能力の記憶は、人格の顕現している面が何を学ぶかが分かるように一時的に消されています。まさにこの学びを通して、より深いつながりが彼らの中に再び自動的に確立されます。ただそれは再発見された記憶のように見えないだけです。(まるで新しく発見された記憶のように見えます。) 考え、望み、意図、感情、態度とつながった経験が、創造する能力への生命体の気づきを確立します。もはや他人に対してその能力を使うことに危険はありません。私利の追求が他人に敵対することになるという幻想は消えます。

 私は実際の幼児だけが利己主義で、敵対するような要求を全能の神に対してしているわけではないと申し上げます。未発達で未熟な、破壊的な人々も同じですし、しばしば彼らはそれを行動化します。

 悪というのは、それ自体で現実としては存在しません。悪はいつも神聖なる真実の歪みなのです。全ての破壊的、否定的態度の根底にあるものがどう顕現しているかを見つけるために、それらを探求するのは易しいことです。エゴの顕現、そしてその分離の中でのみ、そのような歪みとなり、破壊性、悪としてみなされるのです。より大きく、広い内なる次元の中にある現実において、もしこれが統一意識の深みの中で顕現すると、まさにこれと同じ根本的な特質が全く違った効果と意味を持つのです。これこそが、身体そしてエゴとして顕現している全人格の孤立化した、転生として現れている側面が、一時的にその全能力と、完全な自己であって初めて可能になる全体性という状態の中での経験を忘れてしまっている理由なのです。

 誤認、無知、間違ったアイデア、抑えられた感情(悪意、強情、硬さ、情性)のあるところでは、淀んだエネルギーが存在し、それはさらなる障害物を創造するに違いありません。それは否定的な体験を創造するに違いありません。私が言ったように、それは大変潜在性のあるエネルギーです。あなたがそれを直接、偽りなく解放するときにのみ、このエネルギーを変換できるのです。

 この道を歩む友人のみなさん、ネガティブな感情を閉じ込めている淀んだものを解放するとき、あなた方はしばしば自分の中に充満している膨大なエネルギーを体験してきました。あなた方が肉体的に、感情的に、概念的に、怒りや嫌悪や激怒を表現するとき、自分の人生の役割やなぜ自分が存在するのかについての新しい理解を与えてくれるような新しい自己とのつながりを作るだけではありません。このまさに解放されたエネルギーはまた、高度な創造的な力を持ったものです。私は今年、あなた方はネガティブなエネルギーや意識をポジティブな顕現として変換することができる時が来た、と述べてきました。さて、これがあなた方が今できることなのです。あなた方はある程度まではすでにこれに取り組んでいますが、まだ十分にこの解放したエネルギーの持つパワーに気づいていません。もし気づくことができるなら、そのネガティブなエネルギーがあなたのシステムを通り過ぎて流れ始めた後で、それはポジティブな経路に転換されてあなた方は本当に自分の人生に新しい創造をもたらすことができるのです。

 ここまで述べた内容で、どれほど創造の力をみなさんがもっているかを理解できたでしょうか。しかしこれらの言葉を聞いたところで、本当には真実を伝えきれていないのです。あなたにとって、そして他者にとってこの知識を危険たらしめる、特定の分離した態度を乗り越えない限り、本当に理解したことにはなりません。けれども、自分自身の最奥にある存在に完全にコミットし、自分を開示する、自分に向き合うという明らかに困難を伴うことに取り組むことで自分の内なる領域に続く道を歩むことにコミットした人たちは、この行動と態度の持つ美徳によって、より大きな霊的現実に気づくようになり、決して死ぬことのない永遠の存在としての自分の状態を知ることになるのです。そして彼らは、自分たちの考える力、人の力、感情の力についても気づくでしょう。彼らは、自分たちの思考に注意するために学びますが、望ましくない破壊的な考えを抑制・抑圧するために学ぶのではありません。彼らはこれが助けにならないことを知ります。彼らはそのような考えをどう扱うかについて学んでいるのです。彼らは的確であるために挑み、その他の選択にオープンなのです。自分自身の中の何がそのように考えたいと思わせるのか、そして自分が真に支払うべき代償とは何かを理解しようと学びます。そして、いまだ分離している原因とその結果の間にある関係性が、より明確になってくるために、彼らは「創造」を見始めるようになるのです。

 この成長のプロセスが進むにつれ、再創造が起こります。それは良い行いに対するご褒美ではありません。それはすでにより気づきの増えた状態で、何をしていて何故しているのかを知っている状態の自己が起こすシンプルな行動です。

 この道の途上にいる友人のみなさんの多くは、絶対的に信頼できる絶えず大きくなる人生の現実として、このプロセスを体験し始めています。それは法則の内にあるプロセスと言う意味において確かなものです。しかし再創造や創造は故意の行動ではありえません。それはあなたの精神の中で何かを迂回している間は使われるべきではありません。この創造的思考の持つ力を知り、前提とする形而上学的、そして霊的な方向性があるべきです。しかし彼らはしばしば精神の中で迂回や飛び越しをすることの危険を見過ごしています。彼らはいわば自分で発見した真実、つまり自己創造の真実によって暗示にかかります。そして彼らは精神が比較的障害物から自由なところでは創造や再創造ができます。しかしこの場合以外は自己創造がブロックされ淀んだエネルギーがむしろ力を持ちます。葛藤が創造され、それは魂を引き裂きます。魂はそのようにしては調和を促進できません。その状態ではパワーの使用は、(たとえ過剰な表現であっても)非常に危険になり、遅かれ早かれ人格的危機に導きます。そのような危険はもしその人物が未開発の部分に焦点を合わせれば取り除かれるでしょう。

 今日実践されている数ある他の方向性に比べて、この道を進むためにより多くの勇気と正直さが求められるのは、まさにこれが理由です。しかしそれは安全で、あとに何も取り残したりしないような本当に統合された道です。それは、ただプロセスがゆっくりで、そこには素早いマジックのような結果はないので、魂の本当の調和を助長します。暗い部分に長い時間焦点が当てられるに違いありません。そしてそれは、あなた自身を守るためのものなのです。その他にあなたを安全な状態にするものはありません。なぜなら、あなたがプロセスの中断や、この人生に持ってきた使命を無効にすることを避けるからです。あなたがたは、使命を果たし、もっとも扱いたくないような面にも集中して対処していくためにこの世に来ています。それが、あなたが一時的に住むこの狭い、居心地の悪い、制限された、ときには痛みがある状態へと自分を押し込めた理由なのです。あなたが特に何を果たし、扱わなければならないのかを知るべきだからです。あなたが持ってきた弱さとはなんでしょう?あなたが見たくない醜さとは何でしょう?これらは、あなたの自由な創造を阻む障害物なのです。あなたはすでに今意識的に、賢く、美しく、満足のいく創造ができます。もちろんそれはあなたがたがエゴ・ボディ(肉体)の状態から自由になるときと同じほどではありませんが。つまり、あなたが気づいている、いないにかかわらず、あなたは常に創造しているということです。問題はまさに、あなたが知らず知らずに創造していることについて知らないことです。あなたは息を吸うごとに、考え事をするたびに、態度を示すたびに創造しています。友人のみなさん、これらはパワフルなもので、自分が何を、どのように創造しているかを知った方がよいのです。あなたがまいた創造の種とそれらの結果の分離が、大きく不必要な痛みと欲求不満を引き起こしている原因なのです。あなたはしばしば生み出したものに少しも気づかずに、もっとあとになって結果を見るのです。しかしこの気づきは、あなたが強く望めば取り戻すことができます。

 あなたの中の未発達な面へ建設的に焦点を当てる事は、この特殊な世界にやってきた使命を果たすことを意味します。それはあなたが能力、創造的な力を開拓するために、そしてそれを意識的に慎重に今生において使うために自分自身を統合することを意味します。

 学ぶべき創造のプロセスと特殊なテクニックはゆっくりとあなたに与えられます。私は瞑想に関連して、いくつかのテクニックを示してきました。あなたが瞑想するとき、あなたは創造しています。この集中しリラックスした状態では、エネルギーと意識は、パワフルな創造の種が解き放たれるような方法で集中します。ですからそのとき、瞑想と創造のテクニックは、必要に迫られて二次的な関心事となるはずです。しかしながら内なる自己浄化、自己覚醒のある基礎が存在するとき、これらのテクニックは拡大します。それはこの霊的な道の観点から言って安全なものとなるでしょう。あなたの存在はそうして真に現実と統合したプロセスに根を下ろすでしょう。そうすれば手つかずのまま放っておかれる側面を残すことはないでしょう。

 創造的な瞑想を学び、人生の経験を再創造するこの有機的なプロセスは、直感的で自発的な意識の広がりという形でもたらされます。それはちょうど、あなたが(理論的に、頭だけで理解しているのとは反対の意味で)経験で宇宙の現実を直感的に理解するのと同じように、あなたは自己の内なる力とすべての源を利用すること学ぶでしょう。

 みなさんが理解すべき非常に重要な内的メカニズムがあり、私は少しこれについて説明したいと思います。この道で取り組んでいる友人のみなさんは、よくヘルパーがある特定の瞑想を提案し、あなたがポジティブな自己表現を失っているために、それを望み、求め、そして憧れるポジティブな自己表現にコミットすることを勧めるのを経験したことがあると思います。そして、あなたがそのようにするとき不可解にも抵抗があってすんなりといきません。あなたの中の何かがそれを止めて、そうさせないのです。または自分でそれをすること忘れているのかもしれません。あるいはあなたの思考にエネルギー、確信や明晰さがなく、散り散りになっているのでほとんど効果がないと感じるのです。時々あなたは、瞑想がまさにあなたの最も望んでいるものなのに、瞑想することへの大きな抵抗を意識の上で経験するかもしれません。このブロックとは何でしょうか?
 
 あなたが孤独だとしましょう。あなたが、あらゆるレベルでの喜び、交換、分かち合いに満ちた成熟した豊かなパートナーシップを切望しているとしましょう。あなたは本当は生まれながらにこれやその他の満足を体験する権利を持っています。宇宙の豊かさはすべてのもののためにあるからです。例外はありません。それにも関わらず、その豊かさと言う方向に向いたクリアでしっかりした思考によって、豊かさを求め、経験し、理解し、その経験を現実のものにすることへのコミットメントによって、瞑想の中で能動的に種をまく(つまり創造するという意味)ということがあなたに起こることはほとんどないかもしれません。あなたはこのような瞑想的な実践の原理について完全に気づいているかもしません。けれども、それを自分でやってみようとしません。重要な事は暗示的にあなたが自分の中で奇妙で不可解なためらいを見出すような創造的思考パターンを公式化するときです。それはあなたが最も熱心に憧れるものにクリアで簡潔なコミットメントをさせないための壁があるようなものだからです。この抵抗の意味について考えたことがありますか?あなたは絶望的なまでに何かを欲しています。そしてそれが自分のために存在するはずだと本質的に信じています。あなたは自分の頭(マインド)の中では創造の原理を受け入れています。にもかかわらず、自分の思考を手放し、思考を肥沃な土壌へと、そして創造の物質、私が魂の物質と呼んでいるすべての種が結実へと向かって成長する場所へと向かわせるには、あなたは自分のマインドの中で自分が奇妙にも麻痺していることに気づくでしょう。

 なぜこれに取り組もうという気が起きないのか、という理由は実にシンプルです。それは自分を守るために、精巧に調整されたメカニズムが働いているからです。この経験をするためにまだ準備できていない何かが自分の中にあるということを知っているのです。あなたはそのようにして障害物を途中で置いていきます。みなさんのレベルにおいては、与えること、そして現実を受け入れることへの不本意さがあるのでしょう。たぶんあなたが扱いたくない異性に対する隠されたネガティブな態度があるのでしょう。なぜならあなたはあまりに強く望み、必要としていますが、同時にこの葛藤を解決する準備ができていないからです。障害物が何であれ、それは向き合い、探求し、理解し、解決されるべきです。もしそうではなく、あなたが強くマインドと意志に焦点を合わせるがために創造するなら、重ね合わされた外側のエゴもその影響をうけるに違いありません。内なる否定と障害に衝突しているのは「意志の力の構造」なのです。瞑想すること、創造することを否定するのは、この場合、かなり意味が大きく、それに注意を払うべきです。
なぜならば、それが障害の本質を明らかにし、そのときその障害を取り除くことができるからです。そうでなければ、あなたは、心(ハート)や魂を満たすことなどできないエゴのレベルで故意に創造することになるのです。

 エゴ・マインドは創造する力を持っています。それはずっと創造し続けます。しかもそれが内なる存在から切り離された創造をするなら、しかるべき結果がもたらされるでしょう。意志の力、外側の意志は、実にある程度までは効果を上げます。それは物質、物質化する前のもの、経験を創造しますが、幸福は創造しません。それは知恵、大きな視野と理解、ビジョンと深みを欠いた身勝手さを使って創造します。それは内側とのつながり、そして全体性を欠いていて、そのためにそれが作り上げるものはしばしば望ましいものではなく、より大きな痛みを伴うものになります。実際にこれは、私たちがここで選択した事例においても、自分の中にある顧みられることのなかった領域であるパートナーシップの創造において、まるで隠れたところから出てきたように、関係性に色を付け、影響を与え、毒すでしょう。

 さて、あなたが創造的思考のプロセスに抵抗する内なる声を見つけたら、それはあなたの中に取り入れるステップがあるというサインです。これらのステップとは何かをあなたは問わねばなりません。自分が求めてきたものを創造する気が起こらない、そしてそれを邪魔するものが何なのかを見つける気にならないならば、その意味することを探求するために、創造に対する焦点を変えなければなりません。そして、望ましい経験を求める代わりに、創造の障害になっているものが何かという気づきと理解を生み出さなければなりません。これが結果的にやる気にならない状態解消し、そうすることであなたは、自分が自由に魂の物質という土壌に新しい創造の思考の材料を植えていることに気づくでしょう。

 友人のみなさん、あなた方はまだ宇宙に存在していないものは何も創造することはできないのです。すべてのものはもうすでに存在しています。それはあなたの中に存在しています。すべての答え、すべての知識、創造し、感じ、楽しみ.経験するためのすべての力 --- あらゆる世界があなた方の中に存在しています。真実の宇宙が内にあり、外の世界はまるで鏡のように反射しているものに過ぎないのです。あなたが自分自身や自分の人生について知る必要のある全ては自己の内にあり、もしあなたが焦点を合わせることを学び、望み、目的とし、コミットし、創造するなら、この知識は現実化します。最も表面的なレベルでのいくつかの答えは、いわゆる潜在意識の中に存在します。いくつかはもっと深いレベルにありますが、もしあなたがそのステップを引き受けるならその全てはアクセス可能です。

 ですから創造と再創造は本来集中することです。もしあなたがたが自己の内なる存在から創造しようとすれば、それはリラックスした集中となるはずです。もしエゴのレベルから創造するなら、それは緊張した、不安を生むような集中となります。もしそれらが内からの、リラックスした集中ならば、それはまさにリラックスしたものになります。なぜならば、あなたはステップを飛び越すことがないからです。あなた方は内なる自己の反応によく耳を傾け、もし障害を発見したならあなた方はそれらを心に留め、そしてそれに取り組んでいきます。だから、あなた方は自分の中の障害を理解するための状況を創造するのです。

 これは創造と再創造のプロセスのひとつの側面です。それはすでにこの道にいる人だけでなく、まだこの道に入ったばかりの人にとっても使うことのできる大変重要な面です。すべての人は自分自身に問いかけ、最も内なる存在にどこへ行くべきか、何に焦点を合わせるべきかを聞くことができます。しかしその聞き方を学ぶ事は一つの技であって、それはこの道の後の方にやってくることもあります。それはすでにある程度自分を知っていることが必要です。これは初心者にとっては簡単なことではありませんが、一時的に身勝手さを脇に置いて内なる声が前面に出てくるのに対してオープンになることは可能です。例えば、それには、願望に満ちた考えに対する気づきが要求されます。ある特定の答えだけを欲したり、ある特定の答えを恐れることへの気づきが要求されます。これらのすべての態度と感情は微妙で上手に覆い隠されていたり正当化されていたりするので、その声が真に解き放たれるまでには、ある程度の自己内省が不可欠です。あなたが意識的に故意に身勝手さを脇におき、聞きたいこと聞きたくないことがあるにしろ神聖なる声で信頼を表現するたびに、あなたはより強く自由になっていきます。そうしてあなたがたの信仰は現実と言う固い土台の上にしっかりと立つのです。

 あなたが他の答えでなくあるひとつの答えを望んでいると気づくとその分だけ、混乱や分散を避けようとするでしょう。そうでなければ、あなたは、自分のエゴの甘い夢のような考えでしかないものを、神聖に与えられた答えを受取ったと信じ込んで自分を欺くことになります。あなたは個人的なエゴの利害や、あるひとつの方法のみで何かを欲しがっていることに非常に明確に気づくことができる状態に達したときのみ、内からの答えが信頼できるようになります。

 しかしあなたがすでに利害や歪む傾向に気づき、自分の望む答えに対して不公平になるより公平になれるなら、そのような気づきそのものの中で、あなたは内なる現実へと向かう真実の新しいチャネル(経路)を創造するのです。そのときあなたは深い、内なる声が真実を語ることがわかります。そして集中することが意義深く、リラックスしてはいるけれど十分に簡潔で、新しい思考形態、それゆえに新しい望みどおりの体験を創造するでしょう。

 創造についての次に大切な側面は、エゴのレベルで扱う必要のある時間の要素です。忍耐のなさというのは、より完全に近い意識状態、そこは創造を瞬時に起こす意識の状態で、そこから起こる別の歪みです。思考はそれを表現した瞬間に形を作り出します。忍耐のなさというのは、この経験の記憶で、内なる存在とのつながりを失ったためにもたらされます。そのために、エゴが学ばなければならないレッスンを理解できないのです。エゴレベルにおいてのみ、すべてが分離しているのです。つまり、原因から結果が、魂から魂が、思考から形と経験が、外面から内面が切り離されているのです。人生そのものはあなたにとって静的で客観的で、動かしようのない状況であるように思えます。それは内なるプロセスから完全に切り離され、つながっていないように見えます。これらは時間、距離、動きに対するあなたの幻想と同じです。それらは全て制限され切り離されたエゴの状態の副産物なのです。あなたのこの現実での人生は、単に主観的経験に過ぎず、固定されて動かないものではなく、客観的なものでもなく、確固たる「現実」でもないのです。あなたの経験する全ては、これらの一見客観的なエゴという観点でのみ存在しているように思えます。そのような方向に焦点を合わせるならもっとそのようにしかなりません。しかし一度あなた方もっとこの内的現実に焦点を合わせることを学べば、どこかの、完全な現実に気付くようになるでしょうし、そこでは切り離されたそれぞれの面が集まり、相互の交わりから素晴らしい、意味のあるクモの巣のようなものとなり、全体性がもたらされます。

 創造のプロセスの一部は、そのままを受け入れるための忍耐だと言えます。その忍耐があるために、あなたは信頼を学びます。人生に、あなたが追いやってしまったものを再び上限することを許すための、その信頼を学ぶのです。そしてそれは種が成長するまで待つ期間を必要とします。どのように待ちますか?疑いの中で待ちますか?忍耐しきれずに待つのですか?恐れながら?緊張して?または静かなる信頼を持って待ちますか?または、おそらくあなたは信頼しては騙され、その信頼は希望的観測のようなものかもしれません。そのために、自分の信頼自体を信頼できないのかもしれません。あなたは、激しくて、感情的でマインドに支配された強制する流れ(フォーシング・カレント)が、創造を台無しにすることを、たとえそれがどんなものであったとしても、それほどまでに求めるのでしょうか?もし本当にリラックスして待てるなら、あなたは確実に充足を得られます。種が成長して素晴らしい植物になることを知るでしょう。

エゴの人格が、まだ表面にはあきらかには顕れていながった自己の他の側面と統合されるとき、その創造のプロセスはもっともっと展開されていきます。これがもっと起これば起こるほど、よりあなたは喜びの中で創造するようになるでしょう。痛みから逃れないということを学ばなければならない、そしてまた喜びの状態にいることはあなたの生まれ持った権利だと私が言うとき、あなたは私の言うことに混乱を覚えるかもしれません。あなたが想像したいと願うもの、創造できると信じているものを、喜んで手放しなさい(少なくともこの瞬間に、そして正しい精神において)と私が言うとき、あなたは矛盾を感じるかもしれません。しかしこれらは、二元性(どちらかしか存在しない状態)が支配する最も表面的なエゴのレベルでだけの矛盾なのです。現実において、これらは調和の中で結合されるべき、互いに依存し合っている原理なのです。あなたの中にある強すぎる欲望に自分を縛りつけるほど、喜びとリラックスした創造、つまり内なる創造のドアを閉ざしていることになります。その締めつけはいつも否定、疑い、ネガティビティのあるところを示し、それは発見されて特別に扱われなければならないものです。

 エゴの幻想の中で、あなたは人生を敵として、異質で自分に敵対するものとみなします。そしてその間、自分は犠牲者となります。そのような幻想の中で、あなたは創造することができません。ですから、友人のみなさん、この道においてどのように苦しみを作り出しているか気づくことは、必然的にあなたを解放し、あなたは幸福を創造することになるでしょう。

 あなたが今信じているより遥かに素晴らしい存在であることを述べてこの話を終わりにさせてください。もしあなたが、暗闇の層をくぐり抜け、真の自己を発見し、真の自己と同一化する方向へ歩き出すなら、きっと宇宙の果てなき美しさを発見するに違いありません。一息吸うごとに、あなたは愛と叡智の力を吸収します。神聖で、恵み深い創造の偉大さを表現してないものがあなたの周りを取り囲んだり、あなたに浸透したりすることありません。あなたがもっとそのことに気づけば、もっと多くの喜びと感謝の気持ちがあなたのハートへと広がっていきます。宇宙の果てしない美しさは、あなたが暗い場所を通り抜けて自分の道に取り組むときにのみ、現実として体験されるのです。

 みなさん一人ひとりに祝福がありますように。ここに導かれてきた多くの友人のみなさんから広がっている愛を感じます。平和のうちにあってください。
 

###

以下の注記は、Pathwork®の名称およびこのレクチャー資料の使用法を示したものです。Pathwork®の商標/サービスマークは、The Pathwork Foundation(パスワーク・ファウンデーション)によって所有され登録されており、The Pathwork Foundationの書面による許諾なく使用することはできません。The Pathwork Foundationは、その単独裁量権において、Pathwork®の商標を、協力団体やその支部のような他の組織および個人による使用を許可します。

著作権にかかる規定
Pathworkのガイドの著作物は、The Pathwork Foundationの所有資産です。このレクチャーは、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーに準拠して複製され、いかなる方法においても変更または省略することはできません。また、著作権、商標、サービスマークおよびその他あらゆる公示の削除は許可されません。
レクチャーを提供される側は、複製と配布のための費用のみを支払うこととします。The Pathwork Foundationのサービスマークまたは著作権で保護された資料を使用する任意の個人や組織は、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーを遵守することに同意したものとみなされます。これに関する情報またはこのポリシーを入手するには、The Pathwork Foundationにご連絡ください。Pathworkという名称の使用は、The Pathwork Foundationによって承認される変容のプログラムを修了したファシリテーターとヘルパーにのみ許可されています。

日本語版の取り扱いについて
Pathwork in Japan (パスワーク・イン・ジャパン) の許可なしに、無断でコピー(複製)、貸与、頒布、販売することを固く禁じます。また、文書およびインターネット上(ウェブ、メール)での引用・転載を含む公開も禁止します。

また、本レクチャーの受領者は、英語版から日本語版を作成する際に発生する複製・配布・翻訳などにかかる費用をご負担いただきます。

さらなる情報やPathworkへの参加については、Pathwork in Japanにお問合せください。
ウェブサイト:www.pathworkinjapan.com
お問合せ先 :pathworkinjapan@gmail.com

※ガイドレクチャーに関するお問合せはメールで承っております。下記メールアドレスまでお願いいたします。
pathworkinjapan@gmail.com

© Pathwork in Japan All Rights Reserved.

bottom of page