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No.100  破壊的なパターンによる痛みと向き合う

Pathwork Guide Lecture No. 100
UNEDITED版
1962年3月16日


破壊的なパターンによる痛みと向き合う
MEETING THE PAIN OF DESTRUCTIVE PATTERNS


親愛なる友人の皆さんにご挨拶いたします。皆さん一人ひとりに神の祝福がありますように。この時間が祝福されますように。

友人の皆さん、この道に取り組んでいるあなた方の大半は現在、魂のさまざまな問題のなかでも、痛みと対峙する領域に差し掛かっています。この痛みの意味を理解するため、この痛みを解消し、またあなたの内面の問題と葛藤を解決するためのプロセスの全体像を示してみたいと思います。私がお話しすることの一部は、ここ数年私たちがともに取り組んできた長い圧倒されるようなワークの間に私が言ってきたことの繰り返しではありますが、ワークのプロセス全体を見渡す包括的な展望を示してみることにしましょう。こうしたことを理解することで、葛藤の解決にさらに近づく助けとなり、あなたは自分の心の苦しんでいる領域に対処することができるようになるでしょう。

 まず簡単に要約してみましょう。まずはじめに、子どもは両親の愛や愛情がいくらか不完全であることに苦しみます。自分の個人としての人格を完全に受け入れてもらえないことにも苦しみます。ここで私が言うのは、子どもを、その子自身としてというよりも、単に子どもとして扱う慣習のことです。子どもであるあなたは、このような言い方や正確な考えとしてそれに気づいているわけではまったくないのですが、これに苦しむのです。これは、愛や注意の欠如が残すのと同じくらい多くの傷を残すことがあります。これは、愛の欠如、あるいはそれどころか残酷さがもたらすのと同じくらい多くのフラストレーションを引き起こします。

 あなたが育つときにあなたのまわりにあった全体的な雰囲気は、絶え間ない小刻みなショックとしてあなたに影響を及ぼし、これはしばしば、トラウマとなるようなひとつのショッキングな体験よりも多くのしるしを残します。これは、なぜ前者よりも後者の方が癒しやすいことが多いのかを説明する理由です。あなたの個人としての人格への絶え間ない拒絶の雰囲気は、愛や理解の欠如と同様に、神経症と呼ばれる症状を引き起こします。あなたはこの雰囲気をまったくあたりまえのものとして受け取っています。あなたはこれをそうあるべきものと信じています。それでもなお、あなたはこれに苦しみます。あなたがこのために苦しんでいることと、これを変えようのない事実と信じていることが組み合わさると、あなたに破壊的な防衛を育てるような条件付けをもたらします。

 この原初の痛みとフラストレーションは、子どもが対処することができないため、抑圧されます。これは気づきの外に追いやられ、心の無意識の部分でくすぶりつづけます。破壊的なイメージと防衛メカニズムが形づくられ始めるのはこのときです。これまで私たちはこうしたさまざまな防衛メカニズムをかなり広範囲にわたり詳細に論じてきました。あなたが作り上げるイメージは防衛メカニズムです。なぜなら、それらの間違った結論のなかで、あなたは、原初の痛みを生み出した不愉快な要素と闘う方法を模索するからです。この偽の解決策は、世界と、痛みと、そしてあなたが避けたいと願うあらゆるものと闘う一つの方法です。

 あなたの偽の解決策が感情から、愛することから、生きることからの引きこもりであるとき、それは傷つくことへの防衛です。自分自身の内面をかなり洞察したあとで初めて、あなたはそれがいかに非現実的で短期的な“救済策”であるかを悟るでしょう。あなたは変わりたいと願い、何もあるいはほとんど何も感じないことによる自己疎外よりも痛みの方をずっと歓迎するようになるでしょう。あなたが絶えずワークを続け、勇気をもってこの落胆と抵抗の一時的な期間を通り抜ければ、あなたは、この堅い殻が壊れて、もはやその中で死んだような状態ではなくなる地点へと行き着くでしょう。けれども最初の反応は心地よいものではないでしょう。そのようなものではあり得ません。抑圧されていたすべてのネガティブな感情的と抑圧されていた痛みが、まず気づきの中に入ってくるのですが、その体験はあなたに自分が引きこもっていたのは正しかったと感じさせるかもしれません。努力を続けて進み続けた後でやっと、心地良い建設的な感情というご褒美が得られるようになります。これについては、もう少しあとで、さらに詳しくお話しすることにしましょう。

 あなたの偽の解決策が、従順さ、弱さ、無力さ、依存といったものを手段として使って人に自分の世話をさせる---物質的にとは限らず、感情的にであっても---ことである場合、これは解決策としてはどれも短絡的で不満足なものです。絶えず他者に依存することは怖れと無力さを生み出します。それは、すでに存在している自分自身への信頼感の不足をさらに弱めます。引きこもりという解決策が、あなたの感情を死んだような状態にし、あなたから人生の意味を奪うように、従順さという解決策も、あなたから独立性や強さを奪い、まったく異なる内なる道を通ってではありますが、引きこもりに勝るとも劣らない孤立を生み出します。元々あなたは、自分の世話をしてくれる強い人を手に入れることで痛みを避けることを願っていました。けれども、このような人を見つけることは絶対にできないため、あなたは自分自身にさらなる痛みを与えるだけでした。その人とはあなた自身でなければならないからです。

 かつてそうであったように自分自身を意図的に弱くしようとすれば、あなたは他の人々に対して横暴の限りを尽くすことになります。弱い人間が自分より強い人間や自分の回りの環境全体に対して奮う以上の横暴はありません。それは常にこう言っているようなものだからです、「私はとても弱い。あなたは私を助けなければならない。私はとても無力だ。あなたは私に対する責任がある。それは常にこう言っているようなものだからです、「私はとても弱い。あなたは私を助けなければならない。私はとても無力だ。あなたは私に対する責任がある。私は自分の行動にも、行動が足りないことに対しても、私の考えにも感情にも、考えや感情が足りないことに対しても、全ての責任がとれると期待してもらっては困る。私は弱いから失敗するかもしれない。あなたは強いのだから、全てを理解していなければならない。あなたの失敗は私に影響するのだから、あなたはひとつの失敗もしてはならない」と。弱者のやりたい放題、怠惰さ、自己憐憫はかれらの同胞に厳しい要求を突きつけます。これは、言葉に出さない要求、感情的な反応の意味を探り、それを簡潔な思考に翻訳してみれば、すぐにわかることです。

 弱い人は無害で、言ってしまえば完全に支配的で攻撃的な人ほど人を傷つけない、と考えるのは誤りです。偽の解決策はすべて、自己にも他者にもはかりしれない痛みをもたらします。引きこもることにより、あなたは他者を拒絶し、あなたが彼らに与えたい、そして彼らがあなたから受け取りたい愛を出し惜しみします。従順であることにより、あなたは愛さず、愛されることだけを期待します。あなたは他の人びとが彼らなりの脆さや弱さやニーズをもっていることが見えません。あなたは彼らの人間性のなかのそうした部分をすべて拒絶し、それにより彼らを傷つけます。その攻撃的な解決策により、あなたは人びとを自分から遠ざけ、偽の優越性により彼らをあからさまに傷つけます。いかなる場合にも、あなたは他者を傷つけ、それにより自分自身にさらに傷を負わせます、なぜならあなたが負わせた傷は結果を招かざるを得ないからです。偽の解決策は、このようにして、原初の痛みを排除することを意図していたのにもかかわらず、さらなる痛みを運んできます。

 これらの偽の解決策のすべては、その他のさまざまな側面に加えて、あなたの理想的な自己像の中に組み込まれています。理想的な自己像の本質は自己強化であるため、それはあなたを他者から切り離します。その本質は分離であるため、それはあなたを孤立させ、あなたとあなたが取り組むものを孤独にします。その本質は虚偽と見せかけであるため、あなたをあなた自身から、自由選択から、そして他者からも遠ざけます。これらすべては必ずあなたに痛みや傷、フラストレーション、不満足をもたらすことになります。あなたは痛みやフラストレーションから抜け出す道を望みますが、この道は不十分であるばかりでなく、実際にはあなたが捨て去りたいと思うものをさらにたくさんあなたに運んできます。けれども、この事実をはっきりと認識して、こうしたつながりをまとめあげるためには、正直な自己探求に積極的に取り組む必要があります。

 あなたやあなたの理想的な自己像のなかに深く染み込んでいる完璧主義は、あなたが自分自身や他者を受け入れること、人生を現実的に受け入れることを不可能にしており、そのためにあなたは人生に対処することも、そして人生の問題や自分自身の問題を解決することもできなくなっています。それはあなたに真の意味で生きる体験を放棄させています。

 友人の皆さん、皆さんの大半は、自分自身についてのこれらのすべてのレベルや側面に取り組んできています。皆さんは、自分の間違った結論や誤認、イメージ、偽の解決策に対処する多くの認識や洞察に出会ってきています。皆さんは、自分自身の理想的な自己像の特定の性質に少なくともある程度気づいています。皆さんは自分の自己疎外がどのように生じたのか、そして自分の完璧主義はどの点にあるのか、といったことについてうすうす感づいています。そのため皆さんは、自分が自分自身や他者に負わせた被害がどれだけのものであるかを自覚しており、これらの偽の防衛や防御がどれほど満足のいかないものであるかがわかっています。皆さんはこれらの要素の全てについて十分に認識しているわけではないかもしれませんが、皆さんの大半は、これらを放棄する心の準備が整うのに十分な程度までこれらに気づいています。皆さんのうちの何人かは、新しい内面生活への道を開く境界点、これらの防衛を全て手放そうという感情的な意欲の境界点まで実際に来ています。他の人たちも、内なる意欲をもって自分のワークを続けていけば、早晩この段階に差し掛かるでしょう。非現実的で未熟な感情や反応を絶えず観察するだけで、それらの影響力を弱め、いわば自動的にそれらを分解するプロセスが始まります。ある一定の分解が起こると、心はその境界点を踏み越える準備が整います。けれどもこれを踏み越える行為は、最初は痛みを伴います。

 この重要な境界点を踏み越える時、あなたは、この新しい建設的なパターンがすぐさま古い破壊的なパターンに取って代わることを期待するかもしれません。が、このような期待は非現実的であり、真実に即していません。こうした建設的なパターンは、あなたが原初の痛みやフラストレーション、またあなたが逃げたもの全てを体験し、通り抜けるまでは、確固たる土台を持ち得ません。不健康なものや非現実的なものが分解され、未熟なものが成熟し、健康的ではあるけれど抑圧された力が適切な流路へと注ぎ込まれて、あなたのために建設的な働きをするようになる前に、あなたは自分が逃げたものに向き合い、これを感じ、体験し、理解し、対処し、これと折り合いをつけ、これを消化吸収する必要があるのです。この痛みをともなうプロセスを長く先延ばしにすればするほど、あなたが子ども時代から大人へと移行する準備ができたときがいつであろうとも、そのプロセスはより困難で、長く続くものにならざるを得ません。たとえあなたが今生で子どものときに死ぬとしても、あなたは自分の霊的な成長のいずれかの時期にこの境界点を踏み越えなければなりません。この痛みは健全な成長の痛みであり、このプロセスを遅らせようという自分の抵抗を克服できれば、また克服するときには、光は間近です。強さ、回復力、十全に生きる能力に加えて、建設的なパターンが働き始めるというのは、これまでの年月全てにわたる破壊的で非生産的な生き方と、境界点を踏み越えて感情的に大人になるための痛みに対する十分な埋め合わせです。

 あなたがそもそも破壊的なパターンを作り出した目的である、痛みを体験しないですむこと、というのがどのようなものか、あなたは想像できるでしょうか?そうしたパターンの目的は、あなたの人生で起こった何かから逃げることです—それが実際のものか想像上のものかは大した違いを生みません。今存在しているあるいは過去に存在した何かから逃げ、目を逸らすことで、自分の現実と向き合うことや対処することを避けるという、このきわめて虫の良い思考プロセスこそが、あなたの魂に病をもたらしたものなのです。そのため、今取り組むべき領域は、この領域です。これが、あなた方のなかで、境界点を越えて自分の最初の不確かな数歩を踏み出した(とはいえ、内面のプロセスはたった一回の速やかな行為で進展を遂げるようなものではないため、時折ぶり返すことはあり得ます)人たちが、自分が体験する鋭い痛みに当惑する理由です。あなたは、なぜそうなのかよくわからないことがよくあるでしょう。あなたは漠然とした考えや部分的な答えをいくつかもっているかもしれませんが、このレクチャーは、あなたがこの理由に対するより深い理解を導き出す助けとなるでしょう。

 あなた方は皆、この道はおとぎ話ではなく、自分の逸脱や誤認や逃避を見つけるためのものであり、そしてそれをやった後でやってくるものといえば至福だけだということを頭ではわかっています。詰まるところ、誤りや逸脱といった自分の手かせから解き放たれると幸せがもたらされるというのはもちろん真実です。けれども、あなたがその段階にたどり着くまで、あなたの魂には、人生を最大限に活用する能力があなたの心に真に備わるようになるまで体験しなければならない領域がたくさんあります。鋭い痛みに適切に対処することができるようになり、それがもはや存在しなくなった後にも、これで人生は自分の望むものを常に与えてくれるようになるだろうという、多くの場合無意識の、非現実的な期待は存在します。いいえ、皆さん、それでも現実ははるかに良いものです。実際には、あなたは不運や困難に打ち負かされてしまう代わりに、それに対処することを学ぶでしょう。あなたは破壊的な防衛を強化することはなくなるでしょう。これが今度は、あなたに、それぞれの機会を最大限に生かし、人生のあらゆる体験から利益と幸福を最大限に導き出すための道具を与えてくれることになるでしょう。

 言うまでもありませんが、これはあなたの破壊的な防衛メカニズムやさまざまなイメージがあっては決してできないことです。ここで、私がよく言うことを繰り返させてください、すなわち、最初は、あなたのなかに深く染みついた過去のパターンの結果として外界のネガティブな出来事があなたのもとにやって来つづけるでしょう。しかしあなたはまったく違うやり方でそれらとで出会うことになります。そうすることを学ぶにつれて、あなたは、過去には盲目であった幸福への多くの機会に気づくようになるでしょう。このようにしてあなたはごくごくゆっくりと、もしかするといくつもの転生のプロセスにわたって、外界の不幸な出来事がさらにさらになくなっていくまで、パターンを変え始めます。とはいえ、あなたがこの段階のはじめに自己を見つめるときには、万事にすぐさま満足感や幸福を期待しないでください。まったく無力な状態で運命があなたに幸福を運んでくるのを待つ代わりに、生産的なやり方で学び、体験することによって、自分の可能性や機会を見ることによって、自分の直感、独立独行の機知、また自主的な選択能力を磨くことによって、あなたがそれを実現させようとすることなしに、幸福が外界からやってくることを期待してはいけません。

 ここまでの間に、あなたは、自分自身の破壊的で非現実的な逃避と防衛により、またそれらを通じて、自分がいかに多くの点で自分自身の不幸を引き起こしてきたかを理解したはずです。そして、今はあなたもそれを実感し、自分自身の満足感や幸福を自分がもたらすことができるのだという強さの感覚をそこから得られるようになるでしょう。もう一度言いますが、これは知的な理解によって成し遂げられることではありません。それは有機的に成長する内面のプロセスなのです。意地の悪い運命や残酷な神があなたを罰したり無視したりしたことはないのだということを、今はあなたも深く理解していますから、あなたの魂が切望するすべての満足感を生み出すことができるのはあなただけだということも深く理解し、確信することができるようになるでしょう。あなたが当初この道を歩き始めたときには、この切望を自覚すらしていなかったのだとしても、です。この自覚は、あなたが自分の全ての偽の解決策や誤認をさらに完全に理解するようになって初めてやってくることができたものであり、この理解の深さにより、あなたは自分のニーズに気づくようになります。この道での基本的な成果は、自分自身の原因と結果に対する理解と、この道が私たち一人ひとりにもたらしてくれる強さや自立、独立独行、正義の感覚の理解です。この新しい強さの最初の不確かな始まりに辿り着き、さらにその後、この強さを強化するのにどれだけの時間がかかるかは、あなたの努力とあなたの内なる意志、そして、絶えず存在する抵抗をあなたが克服すること---その巧妙な手口についてあなたが十分な認識を得た後でやっと少しずつ消えてゆくこの抵抗の克服---にかかっています。

 さて、友人の皆さん、あなたがこの痛みに出会うとき、それは本当にあなたが子どもの頃にかつて体験した痛みなのでしょうか。それは本当にその子が両親から被ったフラストレーションであって、それ以上のものではないのでしょうか。いいえ、友よ、これはすべて正しいとはいえません。この原初の痛みとフラストレーションがあなたの心の回復力を痛めつけたために、あなたはこれに適切に対処することができなくなった、というのは事実です。原初の痛みはあなたに、それから目を背けさせ、不満足な“解決策”を探し求めさせました。けれども、あなたが今体験している痛みには、(原初の痛みよりも、)非生産的なパターンにより引き起こされた満たされなさにまつわる現在の痛みの方がはるかに多く含まれています。あなたは意識的にはこれに気づくことができません。あなたは子ども時代の原初の痛みにも気づいてすらいないかもしれません。いずれにせよ、痛みに気づくには時間と自己観察が必要かもしれません。そうした後で、より多くの激しい痛みをもたらすものは、自分自身に対する、そして過去ではなく現在の人生に対する絶望感です。過去が重要なのは、それがあなたに、あなたの現在の痛みの原因となる非生産的なやり方を作り出させることになったというだけの理由です。

 その意味に気づき、そこから逃げず、それを通り抜けると、あなたは、現在の満たされないニーズがこの痛みを引き起こしていることに気づくでしょう。この時、満足をもたらすことができない自分の無能さが、あなたのフラストレーションとなるでしょう。あなたは、いままでのところ、これについて自分に何ができるのかがわかっていません。あなたは自分が仕掛けた罠にはまってしまったように感じ、どうしたらそこから抜けられるのもわからず、自分にはコントロールできない外界の介入に頼っています。勇敢にこれらのあらゆる印象や反応を意識できるようになった後で初めて、あなたは少しずつそこから抜け出す道を見つけることができるようになり、それによりあなたの無力感は減ってゆき、あなたの独立心に富んだ強さと機転が増していきます。

 前回のレクチャーで、私たちは人間のニーズについて検討しました。あなたが自分のさまざまな“保護層”を取り除くまでは、あなたは自分の本当のニーズを十分に知ることすらできません。あなたは自分の非現実的な、上に重ねられたニーズの一部は知っているかもしれませんが、自分自身についてより完全に理解した後でのみ、自分が抑え込んできた基本的な無防備なニーズに少しずつ気づくようになります。あなたは、この痛みを体験するとき、境界点を踏み越えて感情的な成熟や生産的なパターンへと足を踏み入れる前に、もしそう望むならば、これらのニーズを正確に認識することが可能です。これは、あなたが自分の非生産的な生き方の現状から抜け出したいと望むなら、避けられないことです。

 あなたが自分のニーズやそれらが満たされないことによるフラストレーションに気づくようになるプロセスを通り抜けてゆくとき、あなたは、愛されたいという切迫したニーズ---ちょうど子どもが愛と愛情を受け取ることを必要とするのとまったく同じような---を最初に見つけることになるでしょう。ただし、この愛されたいというニーズを、子どもっぽい未熟なものだとは言うことはできません。これが子供っぽい未熟なニーズとなるのは、愛を受け取ることへのニーズを切り離されたままに、隠蔽されたままにし続けるために、大人であるその人が自分の魂を封じ込めて、愛を与える自分の能力を成長させることを拒絶した場合だけです。あなたは、自分の破壊的なパターンにより、自分の受け取りたいという痛みのともなうニーズを無意識のなかへと押し込めました。この無意識性のために、またさまざまな種類の防衛メカニズムのためもあって、愛を与えるあなたの能力はあなたの心のなかで成長することができませんでした。

 とはいえ、あなたのこれまでの努力の間に、あなたが行った全てのワークの間に、あなたは非常に多くの隠されていたものに気づくようになっただけでなく、私が前にも言ったように、いくつかの破壊的なレベルを解体し始めました。あなたはまだはっきりと気づいてはいないかもしれませんが、これにより、あなたの愛する能力が、かつてそうであったように、いつの間にか生じることになったのです。あなたが痛みに出会うときにあなたの中で実際に起こっているのは、これらのニーズによるとてつもないプレッシャーです。一方で、あなたは、破壊的なパターンが優勢であるかぎり満たされることがない、受け取りたいというニーズに直面しています。この受け取りたいというニーズの充足をもたらす方法をみつけるために必要な強さや機転を得られるように、生産的なパターンが作り上げられることが可能になるためには、いくらか時間が必要です。その一方で、与えたいというニーズは、この段階にたどり着くまでははけ口を見つけることができません。そのため、二重のフラストレーションが引き起こされます---そしてこれがとてつもないプレッシャーを引き起こします。ひどい痛みを感じさせるのはこのプレッシャーです。それはあなたを引き裂こうとしているように感じられます。

 ただ、皆さん、このプレッシャー、このすべてのフラストレーションがあなたが気づく以前には存在しなかったとは思わないでください。それは確かに存在していたのですが、おそらくは身体の病気やその他の多くの症状といったもののなかに別のはけ口を作り出していたのです。あなたがその中心核に気づくようになるにつれて、プレッシャーと痛みはさらに鋭く感じられるようになるかもしれませんが、これは治癒のプロセスとして起こっていることです。その結果あなたは、本当に問題がある中核的な原因に意識を向けるようになります。あなたは原因の根本に注意を集中します。あなたの注目は逃避から現実へと移っていきます。この現実にまつわる痛みのあらゆる色合いと多様性を、あなたは体験する必要があります。あなたは自分のニーズが何であるかを正確に知る必要があります: すなわち、与えることと受け取ること、出口が見つからないフラストレーション;蓄積されたプレッシャー、安心感を見つけることにまつわる瞬間的な無力感、過去にそうしたように、また逃避したいという誘惑、等。あなたが、この段階を闘い抜くにつれて、自分自身から、そして生きる上での明らかなリスクからもう逃げまいという意志を強めていくにつれて、あなたの元にはさまざまな機会がやってくるようになるでしょう。あなたはそうした機会に気づき、活用するようになるでしょう。そうした機会はあなたに、あなたのニーズが部分的であれ満足感を見出すことができるようになるまで、成長と強さをさらに進めていくことを教えてくれるでしょう。そして少しずつ、あなたが成長し、自分のパターンを変化させてゆく度合いは上がっていくでしょう。

 あなたは、この時期、自分が中間的な段階にいることを理解しなければなりません。あなたは自分の受け取りたいというニーズに気づきましたが、このニーズ自体は健全なものです。けれどもこのニーズは、あなたがこれを抑圧したことと、その結果生じた受け取ることを健全に満足させることへのフラストレーションのために、過剰なほどに強く、それゆえ子どもっぽいものになったのです。十分に受け取ることができないときその要求は必要以上に高まりますが、この切迫した要求にあなたが気づいていない場合にはなおさらです。

 同時に、あなたの中で起こっている進歩と成長のために、与えたいという成熟したニーズも高まってきています。が、破壊的なパターンが、おそらくごく部分的に、おそらく修正された形で、まだ効力をもっているため、あなたはこのニーズのはけ口を見つけることができていません。それどころかあなたは古いやり方と新たな望ましいやり方との間で折り合いをつけようとすることを始めてすらいないかもしれません。それでも覚えていてください、パターンがあなたの中で統合され、ほとんど自動的な反応となった時にのみ、有効な結果が生じ得るのだということを。あなたの古いパターンは何年も、何十年も、あるいはときにはそれ以上の長きにわたって存在してきました---何回もの転生にわたって、あなたは同じ問題と闘い、いつもそうした問題と、自分自身と、そして人生とありのままに向きあうことから逃げてきたのです。今あなたはそうしたものと向き合うことを学び、変わりはじめましたが、内側の変化が機能しはじめたとはいえ、外側の変化はすぐに起こるものではありません。今、内側のプレッシャーはこれ以上ないほど切迫したものとなっているかもしれません。それでも、あなたがこうしたこと全てを実現し、これを通り抜ける勇気があれば、あなたは必ずいまよりもっと強く、もっと幸せになり、文字通り真の意味で生きる能力を身に付けることができるでしょう。目を背けて逃避し、もういちど最初からやり直しにならないよう注意しましょう。あなたが蓄積された内側のすべてのプレッシャーと出会い、これにともなう無力感や不十分さ、混乱と対峙しているこの一時的な時期が最終的な結果だとは思わないでください。友人の皆さん、これはあなた方がどうしても抜けなければならないトンネルなのです。

 このトンネルを抜ければ、あなたの強さ、十分さ、そしてあなた自身の機知の感覚は順調に育っていくでしょう—もちろん時折のぶり返しはあるでしょうが—あなたがそれぞれのぶり返しをさらなる踏み台、さらなるレッスンとして役立てることができれば、新しいパターンは、いずれはあなたの内なる在り方として確立され、あなたは長きにわたって見過ごしてきた可能性を見ることができるようになるでしょう。そうして、あなたはこうした可能性を怖れのために拒絶する代わりにこれをつかむ勇気がもてるようになるでしょう。充足というものは、このようにしてのみもたらされるのです。

 これを理解し、深く吸収することは皆さんにとってとても重要なことです。そうするならば、これは必ず皆さんの助けとなるはずです。皆さん、しっかり理解できたでしょうか?この問題について、何か質問はありますか?

 質問:さまざまな怖れの段階を通り抜けるとき、それは今日説明してくださった問題とつながっているのでしょうか?

 答え:はい、確かにつながっています。怖れというものは往々にして、痛みの基本的な中核の策略であることがあります。ちょうど他の症状がこうした結果のひとつであるように、怖れは逃避の結果生まれます。このワークでは、あなたがしばしば気が付いたように、いくつかの進歩の後、怖れがどんどん消え始め、そうした後で、あなたは痛みに気づきます。怖れとは、逃避により起こる不測の結果のひとつであり、当然ながら、意図的に選択されたものではありません。けれども、逃避はすべて、原初の中核よりさらに不愉快な結果をもたらすものです。原初の痛みは、不愉快ではあっても、いったん人が真実を受け入れれば、怖れであれ、それ以外の何かであれ、逃避の結果生じるどのようなことよりも、はるかにましで、はるかに容易で、はるかに正直で健康的です。怖れは、それに直面し、向き合い、受入れた後でのみ消えるため、怖れの下に横たわる原因である痛みも同様に対処する必要があります。

 とはいえ、あなたが逃れようとするのは、満たされなさによる痛みからだけというわけではありません。あなたが引き受けたがらないのは、成熟した自己責任も、です。これは、あなたの外側の物質的な生活にはまったく当てはまらない場合もあるかもしれませんが、感情的な面には影響を及ぼす場合があります---傷つくことを怖れて愛することや生きることを望まない場合や、生きる上でのリスクを自分自身の上に引き受けたくないと思う場合です。その意味では、あなたは、自らの関与を必要とすることなく人生が自分のニーズを満たしてくれるのを無力に待っている子どものままでありたいと願っています。こうした逃避のためにあなたが支払う代価はとても高くつきます。皆さん方の多くは、その代価がどれほど高いものかにいまだ気づいていません。この自己責任から、また生きることや感じることによる明らかなリスクからの逃避は、原初の不十分さの感覚により引き起こされますが、これはその不十分さの感覚を着実に増大させてしまいます。あなたがこのパターンを変えていく場合にだけ、あなたは十分さや自信の感覚を見出すことができるようになるでしょう。これは、満たされなさにまつわる原初の痛みから逃げると満たされなさと痛みが増大する、という同じ霊的な法則にもとづくものです。

 質問:最近の私自身のワークのプロセスで、私は、受け取りたいというニーズだけでなく愛を与えたいというニーズも時折感じました。でもこの感情はまた消えてしまいました。この与えたいというニーズをいつも感じ続けることを学ぶためにはどうしたらいいですか?

 答え:親愛なる友よ、それを学ぶと言うとかなり誤解を招くことになるでしょう。これは自発的な行為により学ぶことができるようなことではないからです。もしあなたがこれを達成しようとしても、それはあなたの感情を操作することになり、それは結局のところ、不正直ということになるでしょう。もしそれが存在しているものならば、あなたもすでに気づいている通り、それは自然に、ひとりでに起こるのです。これはかなりしばしば起こり、長く続き、強くなっていくものですが、それはあなたが直接的にそれを強いようとしない場合にのみ、そうなるのです。この成長、成熟、及び生産的な生き方という地点に達するための最善の方法は、単に自分自身の感情を観察することです。自分の感情がどれだけ一方的で子どもっぽい、受け取ることだけを望む欲求に向けられているかに注意してください。自分自身を客観的に評価するように観察すればするほど、あなたはそうしたアンバランスの下に横たわる原因をますます見出せるようになり、成長の速度がますます早くなり、これにより、あなたは最終的に、愛を受け取りたいというニーズと同じくらい、与えたいというニーズを体験することができるようになるばかりでなく、いつかは必要なはけ口を見つけることもできるようになるでしょう。

 内面的な成長は突然起こせるものではないということは、何度でも繰り返し言う必要があるでしょう。あなたは最初、新しい感じ方を垣間見、瞬間的に体験します。その後、それはまた消えてしまうでしょう。そうした時にも、自分が明らかに古いやり方に逆戻りしてしまったという理由で落胆したり、こんなことをやっても役に立たないという感情に屈することなく、耐え抜けば、健康的で心地よい感情を感じている時間はもっと頻繁にやってくるようになり、だんだん長く続くようになっていきます。ぶり返しがやってくるたびに、あなたは古いおなじみのトンネルに引き戻されるような気がするでしょうが、そうではありません。これは新しいトンネルなのです。このことを知っていれば、あなたは勇気が湧いてくるでしょう。これを通り抜ければ、強さや愛、光を瞬間的に垣間見る時がまたやってくるようになり、それは、そうしたものが最終的にあなたの一部となるまで続くでしょう。

 質問:ワークの時に私は、健康的で生産的な喜びに破壊的で自己破壊的な喜びが入り混じっているのを発見しました。後者は、常にそうと見分けることができるわけではなく、そこから抜け出すのが難しいです。喜びの原理と拒絶、そして幸福と身勝手さとの間で混乱があるような気がします。何か忠告をいただけないでしょうか?

答え:自己虐待の問題はさておき、これについて、私は過去にかなり詳細に論じたことがあり、最近の質問でも答えていますので、このことだけを言っておきたいと思います。ここにはびこっているのは、「どちらか一方だけ」という子どもの考え方です。あなたの中の子どもは、喜びを追求しているなら自分は現実の中にはいない、と感じています。現実は拒絶と不快を意味しているため、あなたは現実から逃げ出し、空想の中に自分の喜びを作り上げます。そのため、これは、現実と喜びが両立しないという主張を裏付けているように感じられるのです。これは、もっと少ない度合いでではありますが、あらゆる人間の中に見出すことができ、感情的、精神的に病んでいる人々の中にはさらに多い度合いで見出すことができます。まず最初に、もしこの誤認が存在しなかったなら、もし人が現実とは拒絶だけでなく、喜びをも意味するとわかっていたなら、人は非現実の中でだけ喜びを求める必要はなくなるでしょう。これが、あなたのいう混乱です。同様に、幸福と身勝手さとの間の混乱も、これと同じ「どちらか一方だけ」という原理に基づいています。あなたの中の子どもは、もし自分が幸せであるなら自分は身勝手に違いないと感じる一方で、利己的でないことはすべて自動的に自分の利益や満足に反するとも感じています。言うまでもないことですが、これは現実にはそうではありません。あなたが今歩んでいるような内なる成長のプロセスのみが、幸福と利己的でないことが両立しないわけではないことについての内面的な理解と確信をあなたにもたらすでしょう。

 質問:前回のレクチャーで、一人の人間が自分自身について真実であることの影響は、宇宙において、私たちが認識し得るよりもずっと大きな重要性をもっていることをお話しされていましたが、これについて説明していただけますか?

 答え:今夜またお話ししたような意味での、人間の魂のネガティブな、ゆがめられた領域の影響についてちょっと考えてみるならば、その逆のことについても理解できるはずです。今夜お話ししたように、偽の解決策は必ず他の人を拒絶するようにできています。あなたが誰かに服従しているとき、あなたはその人の人間性、その人のニーズ、その人の弱点、その人自身の問題、その人の不安についての真実を体験していません。あなたは、強くていつでも愛してくれる保護者が欲しいという欲求において、失望、おそらくは無意識に失望し、この失望のために敵意を---これもおそらく無意識に---もつようになったのです。人は、攻撃的なまでに傲慢になり、愛や愛情や感情的なつながりを見つけたいという自分自身のニーズを否定すると、完全に他者を拒絶するようになります。引きこもっているとき、あなたは人に暖かさを与えたり、人のニーズを満たしたり、といったことを決してしません。自己疎外と完璧主義に陥っているとき、あなたは人を傷つけずにはいられません。あなたの理想的な自己像の見せかけが働いているとき、あなたは、生身をさらすことと向き合うことへの無意識の恐れから、人を寄せ付けず、おそらく自分がそうしていることにまったく気づかずに何度も繰り返し人を拒絶することになります。あなたが何気なく人に負わせているこの拒絶や孤独感、痛みはすべて、彼らの破壊的な防衛メカニズムを強化することになり、彼らの破壊的な防衛がまたあなたの破壊的な防衛を強化することになります。これは、あなたがこうした道を歩み、それがどういうことなのかについてのプロセスを理解し始めるまで続きます。

 さてここで、このプロセスを逆転させてみましょう。あなたがもはや防衛的でなく、怖れを抱いておらず、引きこもっておらず、偽の優越性に満ちてもいないとき、それはあなたの周囲のひとびとにどのような影響を及ぼすか想像してみてください。そのときあなたは人生に対して、人の心に対して開いています。たとえ相手がこうした自己発見の道を選ぶほど十分には進化していないとしても、生きる勇気と愛する勇気のために、あなたは、他の人がその人自身の防衛や破壊的なパターンを弱める助けとなることができるでしょう。そのため、あなたが出会うすべての人にあなたは影響を及ぼすことになります。この影響は次には、その人たちが出会うすべての人びとへと広がっていきます。こうして、影響の環の上にさらに環が描かれ、互いに影響しあいます。これについて、こうした言い方で考えてみれば、真実を思い描くことができるでしょう。

 親愛なる友人の皆さん、あなた方ひとりひとりが祝福されますように。これらの言葉が、あなたが成長や解放を続けるためにさらにヒントや助けとなりますように。それが、あなたがあなた自身になるために、あなたがあなたの中にあって、自由に働けるようになるのを待っている、機転、強さ、創意工夫の才、創造性、愛する力をすべて備えた、あなたという人間をすっかり自分のものにするために、あなたを助けてくれますように。平和の内にあってください。神の内にあってください!



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