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No.55 三つの宇宙原理:拡張、制約、静止の原理

Pathwork Guide Lecture No. 55
1996年版
1959年9月11日


三つの宇宙原理:拡張、制約、静止の原理
THREE COSMIC PRINCIPLES:
THE EXPANDING, THE RESTRICTING, AND THE STATIC PRINCIPLES



 こんにちは!親愛なる友人の皆さんに祝福を。この時間は祝福されています。大きな喜びをもって、新しいシーズンで共に取り組むワークを再開します。大事な友人の皆さんが、それぞれの努力を続けることを願います。そうすれば、未だ内側で抱えている重荷を無くすことで、成果を得られない筈はないでしょう。皆さんが自らの成長に対するあらゆる抵抗を克服するエネルギーを見出し、それがどのようなものであれ、それぞれの局面で最善を尽くすことができるよう、来たる年に向けての特別な祝福と特別な力をもたらすことが私の仕事です。

 宇宙全体に存在する三つの宇宙原理は、新しいシーズンを始めるのにふさわしいテーマです。それは、拡張、制約、静止の原理です。これらの原理は自然界に現れます。これまで創造されたもの、これから創造されるもの全てを支配し、影響を及ぼします。人間の科学のどの分野においても、この原理を見つけるでしょう。これは又、人間の魂を浸透し、形成します。つまり、最も繊細なものから最も粗いものまで、あらゆるレベル、あらゆる形で存在します。汚れのない形だけでなく、逸脱や歪曲にも同様に存在します。

 皆さんがこの知識をワークの役に立てることができるよう、これらの原理を心理学的な観点から説明します。

 これらの原理を、肯定的な側面と否定的な側面に分けて考えてみましょう。純粋で調和の取れた形での拡張の原理は、創造性、成長、構築、前進、探求、活動、「もうひとりの自分」を見つける為に必要となる外向的な資質として現れ、何であろうと自らの外側のものとの統一への探究、非利己性、非自己中心性として現れます。言うまでもなく、私はそれぞれの原理に関していくつかの側面を挙げているに過ぎません。皆さんなら、きっとより詳細にできるでしょう。

 拡張の原理の否定的な側面では、物質的なレベルにおいては攻撃性や戦い、心理的レベルにおいては敵意、過活動、口論、破壊性、残酷さ、焦り、軽率さとして現れます。

 制約の原理の肯定的な側面は、落ち着きとバランスです。この原理が拡張のバランスを取ることで、外向きの動きが制御不能になるのを防ぎ、調和を創造します。内省、内的な動き、注意深さ、忍耐、思慮深さを表します。拡張の原理の特徴である「もうひとりの自分」の探求とは対照的に、制約の原理は自己探究を表します。ご存知の通り、自らを理解しない限り、他者の魂を完全に発見し理解することはできません。最深部にある内なる自己と自らを隔てる壁を突き破らない限り、仲間と自らを隔てる壁を本当に突き破ることはできないのです。魂の内に更なる調和が創り出されるよう、拡張原理と制約原理がいかに調和して働き、相互に補完し合っているかが分かるでしょう。エゴという閉ざされた壁から抜け出し、調和のとれた健全な成長を遂げる為には、自らの内省的な資質を見つけ、適切に活用しなければなりません。外向きの力が制限されていなければ、例えそれが建設的に活用されたとしても、調和的な成長は起こりません。健全な成長は全て有機的で、ゆっくりと確実に進むものです。ここには制約の原理が働いています。歯止めが利かない成長は吸収されず、建設的であるよりむしろ有害になります。従って、制約の原理は吸収も表します。吸収されない成長は、最終的には有害に転じることになる筈です。吸収された段階的な成長だけが、有機的で、建設的で、そして健全なものになります。外向的な人が制限する力を育てることを学ばなければ、その人が本当に探し求めているものは決して見つからないでしょう。残りのふたつの原理も同じように機能しなければ、拡張の力は破壊的にならざるを得ません。

 否定的な意味において、制約の原理は退行、前進ではなく後退を表します。進歩を妨げ、間違った方向に進みます。それは不誠実、偽善、臆病、貪欲、利己主義、自己中心性、分離を表します。

 静止の原理の肯定的な側面は、保存を表します。制約の原理と一見同じように見えるかもしれませんが、それは違います。制約の原理は、内向きや後退の動きです。一方、静止の原理は静止、ただ在る(ビーイングの)状態、時間の概念を超える永遠、健全な意味での受動性です。健全な成長には、三つの異なる段階があります。外向きの動きで、我(エゴ)を忘れて他者を探し求めます。内向きの動きで自己探究し、外向きの動きが取り込んだ全てを吸収して自らに正しく適用します。休止と保存で、新しい周期に備えて新たな勢いを蓄えます。静止の原理は、進歩のリズムに不可欠です。これがなければ、成就は起りません。植物の成長を観察すると、これと同じ三つのリズムに気づくでしょう。この永遠に繰り返される周期に気づいてください。

 静止の原理の否定的側面は、停滞、腐敗、活気の無さ、惰性として現れます。

 全ての魂がこの三つの原理に支配されていることを認識するのは重要です。全宇宙の創造された全存在はこれに影響を受けています。調和的な人は、三つの原理全てが協働している筈です。互いに維持し合い、補完し合い、高め合わねばなりません。不調和な人においては、三つの原理が互いに戦い、対立することになるでしょう。

 被造物はそれぞれ、これらの原理の内のひとつに主に支配されています。とは言え、他のふたつを排除し、ひとつだけを完全に体現するという意味ではありません。それはあり得ません。完璧に創造された存在はそれぞれ、これらの原則のひとつを基本的な特性として持っていますが、他のふたつは、互いを維持し合い、助け合い、更に育て合う為に、調和的に融合されていなければなりません。

 存在が神の調和から逸脱する程度に応じて、この三つの原理は衝突し、相互に矛盾します。正しく理解されず、ひとつのみ強調し過ぎることで適応を誤り、他の残りのふたつは不当に軽視されて十分に育ちません。一方で、過剰に強調されたものは全く建設的には使われず、知らない内に破壊的に使われてしまいます。この点で、真の人格が何であるかを認識していないと、その本質を抑圧することで、自らに更なる害を及ぼすことになりかねません。あなたは、三つの原理の内のひとつである自らの真の本質を「悪いもの」だと無意識に誤解しているかもしれません。その為、自らの内にある最も強いものを育て、浄化することを怠ってしまいます。その結果、あなたが顕現するべき神聖な原理は膿んだまま放置されます。建設的に使われるべき力が抑圧によって反転し、自らに悪影響を及ぼすと同時に、それ以上強調する必要のない他の部分が過剰に発達します。それ程深刻ではない場合、本当に持っている力を強調し過ぎる一方で、その主力と調和的に一体化できるまで他の力を育てることを怠っているのです。

 この三つの宇宙原理の観点からセルフワークを考えれば、新たな展望が開け、自分が何者であり、何であるのかが、更に明らかになる筈です。自らの内で育成と浄化を必要とする他のふたつの力を犠牲にして優勢な力を強調し過ぎていないかどうか見極めることで、自分自身、そして他者をもより理解できるでしょう。ひとりの人間の内でも、両方の歪みがある程度生じている可能性もあります。一方では、優勢な性質を抑制し、他方では過剰に誇張する。どちらの判断も、あなたの誤った結論から無意識の内に起こります。従って、この三原理の完全な形から逸脱している所を見つけ、それがどのように、何故起こるのかを見つけてください。どのような誤認がその原因でしょう?この見方は大いに役立つ筈です。そこから又、新たな疑問が生まれるかもしれませんが、喜んでお答えするつもりです。

 呼び方は違っていたとしても、拡張と制約というふたつの原理について、人類は最近かなり精通しています。しかし、第三の原理についてはあまり認識されていません。また、三つの原理全てが渾然一体となって相互に依存し合うべきだということも、一般的には無視されています。

 静止の原理の重要性は特に重要です。その肯定的な側面において、それは究極の目標、人が到達し得る最高の段階を表します。それは、ビーイングの状態、時間を超える永遠の状態、不動の中の動きであり、進化の最終段階です。しかし、その否定的な側面における静止の原理は、人間の成長を最も妨げるものです。友よ、この事実は興味深い思索や瞑想の役に立つでしょう。停滞ある所に進歩は起こりません。従って、制約の原理の否定的側面である後退する動きは、動きがないことよりは良いのです。何故なら、十分に後退すれば、最終的には自らの進んできた方向は間違っており、苦しく暗いものであるという気づきに到達する筈だからです。その結果、方向転換をする動機を手に入れます。どんな運動や動きであっても、物事は変化します。抑鬱状態に陥ったとしても、もし物事が悪化すれば、その事実であなたは方向転換を望むようになるでしょう。そして、これまで方向が間違っていたとしても、あなたの動きの勢いそのものが動き続けて、自らが正しい方向に向くことを容易にしてくれるでしょう。しかし、否定的な静止状態、つまり停滞の状態には動きがありません。動きがなければ、進歩も成長もありません。動かないことを自らに課したので、自分自身を動かし始める力を奮い起こすのは至難の業です。その状態では全てが絶望的に見えるので、動きの必要性にさえ気づかないかもしれません。静止しているので、何も変わらず、決して何も変えることはできないと思い込んでいます。窮状の中、変化は不可能だという誤った思い込みの中に留まるのです。

 勿論、人格の全ての側面が静止状態にある人間はいません。強度に静的状態にある人もいれば、人格の一部だけが静止状態にあり、特定の場合にのみ特に強く現れる人もいます。このことが、どのように自らに当てはまるか解明するのは皆さん次第です。何もかもが、ひとりの人に完全に当てはまるとは思わないように。

 質問:この三つの原理が程度の差こそあれ、誰にでも存在することは理解しています。しかし、この三原理の間には、何か必要な繋がりがあるのかを知りたいのです。例えば、拡張原理の程度や方向性、そして制約原理の程度や方向性において。これらが組み合わさって、静止原理の程度や方向性を生み出すのでしょうか?

 回答:一方が他方に影響を与えるということですか?[質問者:はい]人間の魂には、何ひとつ関連しないものはありません。あらゆる質、反応、態度、傾向は、魂の他の全ての部分に必ず影響する筈です。それが直接的で明白な時もあれば、その関連がより間接的で捉えにくく、そう簡単に気づかない場合もあります。取り組んでいるワークを通して、既にそのことに気づいていますね。

 既に述べたように、この三つの原理は相互依存の関係にあります。ひとつの原理が正常な働きから逸脱すると、他のふたつも影響を受けます。例えば、あなたが拡張の原理を強調し過ぎていて、それが肯定的にも否定的にも働いているとしましょう。過剰な強調は否定的な影響の原因となり、拡張の原理の逸脱を引き起こします。その影響は、他のふたつの働きにも現れるに違いありません。この点では、怠慢と未発達が起ります。これが別の意味での逸脱です。

 全ては原因と結果の法則で繋がっています。写真を例に取ってみましょう。ネガでは被写体は黒で背景は白ですが、プリントではその逆です。この例えでお分かり頂けるでしょう。いずれにせよ、自己探求の結果、成長すればする程、ある物事がどのように他の物事を引き起こし、影響を及ぼすかが分かってきます。最初は、自分自身についての個々の膨大な情報であったものが、残りの全ての情報と結びつき始め、全体的で包括的なひとつの絵として把握できます。これは言葉では伝えられないので、体験される必要があります。

 これらの原則がいかに誤解されているかを示す為に、典型的な例を挙げようと思います。「常に自分のことを考えていると利己的になる。自分ばかりに集中するのではなく、他の人々のことを考えた方が良い。」と言う人は大勢います。確かに、自分のことを考え過ぎて、自己中心的な人がいるのは事実です。そのような人は、他者のことを考えず、自らの問題ばかりを気にしています。この誤った態度も、上記の反論も、どちらも制約や内省の原理が誤解され、誤用されていることの表れです。正しく理解をすれば、内省の目的は、自己と他者との間の壁を壊す為にあるのです。

 同様に、「外向的になることで、私は自らのスピリチュアルな本質をおろそかにしている。外側の世界で表層的に生きることはできないし、生きるべきではない。神を見つける為に、私は外側の世界から離れ、内側の生活を送らなくてはならない。」と言う場合、これも同じ歪んだ態度が表れています。内省なく、外向的な資質を過度に強調すると進歩を歪めることは事実です。この不均衡も、その反論も同様に、私達が話し合った原理の誤解と誤用の表れです。

 東洋の教えが頻繁に誤解されるのは、これら宇宙の原理を知らないことの更なる証拠です。ビーイングの状態の境地であるニルヴァーナについて聞いたことのある人は大抵、その準備が整うずっと前から、強引にこの状態に達しようと試みます。そのような人は勿論、善意の下に隠れている停滞の傾向を助長していることに気づいていません。繰り返しますが、この誤った解釈は、三つの原理を融合させる必要性に対する無知と誤解を示しています。もし調和が取れれば、存在の真の状態に最終的には到達します。しかしこれは、強引な手段や特別な訓練では実現できません。成長の為に働いた結果なのです。

 質問:相対的に健康な拡張と相対的に健康な制約の原理を持ちながら、相対的に不健康な静止の原理を持つ可能性はありますか?

 回答:そうすると「相対的」という言葉はとても柔軟でなければなりません。何故なら、ある点では偏向が大きく、別の点では偏向が小さいということはあり得ないからです。しかし、その人の基本的な特性によって、ある点では他の点よりも、偏向の度合いが強くなる可能性があることは事実です。

 質問:それでも三つの原理の間には、一定の繋がりがあるのは?

 回答:ええ、その通りです。私が教えていることに当てはめれば、常に類似的であることが分かるでしょう。言い換えれば、ある方向で偏向すると、もう一方の方向で正反対の偏向に気づくかもしれません。鏡の中では、あなたの右は左側にあり、その逆も然りです。あるいは、写真の例えを再度考えてください。理解し難いのは分かっています。ちなみに、この新しい知識を強引にワークに取り入れることはやめましょう。そのことに気づき、考えてください。知識は決して強制的ではなく、自然に育つべきです。無理強いせずに意識を育めば、この知識はやがて本当に自らのものとなります。そうすれば、私が伝えようとしていることを確かめられるでしょう。

 質問:この原則は宗教神話にも取り入れられている筈です。様々な宗教における三位一体には、どのような形で表現されていますか?例えば、バラモン教の三神一体やキリスト教の三位一体などはどうでしょう?

 回答:トリニティの象徴が、これら三つの原理だけを表しているとは言えません。普遍的かつ宇宙的な原理の多くは三つになっています。ですから「三」は多くのものを表わします。更に、今夜お話しした三つの原理に関して言えば、それぞれが完璧に表現されていても、他の原理が欠けている訳ではないことも理解してください。それぞれがひとつの調和ある全体を表しているが、調和したひとつの優位があるのです。

 男女の例をみてみましょう。最終的にひとつの存在に融合したとしても、分離されている間、男性は男らしいのみで、女性が完全に女らしいという訳ではありません。ご存知のように、それぞれの女性には男性的な部分があり、それぞれの男性にも女性的な部分があります。調和の取れた人では、この両者が統合されています。男性性と女性性の資質は互いに争うことなく、支え合い、補い合い、助け合います。何も追い出されることはなく、偏向や過度の強調が取り除かれるだけです。確かに一方が支配的ですが、もう一方が排除されるわけではありません。これは三つの原理と全く同じです。従って、三位一体の各部位ではひとつが優勢であっても三つ全てが表されます。三位一体の各部位で、どの原理が表現されているかは簡単に見つかる筈です。

 質問:ところで、創造において神なる父性の原理は明確に表現されています。グノーシス派の教えでは、私たちは父なる神において生まれ、神の子において死ぬと言われています。言い換えれば、それはキリスト教の原理で表されるある種の制約です。

 回答:その通りです。父は創造主であり、それ故に拡張の原理を表します。神の子は地上に来られました。転生したのです。転生とは制約であり、前進する為の良い目的だとしても、明らかな後退です。一方、聖霊は静止の原理、ビーイングの状態を表します。

 質問:はい。それは均衡です。同時にそれは再会です。

 回答:全くその通りです。

 質問:ここでもうひとつ、呼吸に関して質問があります。呼気は自然な制約ですか?

 回答:呼気は拡張です。反対の動きである吸気が制約です。そして、ここでも見過ごされることが多いのですが、第三の原理があります。息をとどめる瞬間です。

 質問:ヨガで実践されています。最も重要なのは息をとどめることです。

 回答:その通りです。しかし、特別な実践の時だけではありません。全く意識していない普段の呼吸の時も、第三の原理を表すこの瞬間が最も重要です。その瞬間が短いのは確かですが、呼吸にリズムと調和を与える要素なのです。霊媒的なものであれ、他のいかなる種類のものであれ、トランス状態は、呼吸をとどめること、及び無呼吸の状態が引き延ばされることから起こります。

 これと同じ3つのリズムは宇宙全体にあります。それは、あなたの内なる成長にも見られる筈です。前進し、エネルギーを使い、真実を探究する努力をする時、それは拡張です。学んだことを吸収し、自らに適用する必要がある時、自らの内側を探求する時、それは制約です。外向きと内向きの動きの両方と、そのふたつの吸収がない限り、成長することはできません。

 現実的に言えば、自らの内から変えるべきものが世界によって引き出されない限り、独りで生きていても成長はできません。外側からの助けがなければ、これら変えるべき要素は眠ったままとなり、少なくとも部分的には、自らが何者であるのかをあなたは無視することになります。外に出なければ、内側の不調和の方向を指し示す材料は与えられません。それから、実際どこにも向かっていないように見える実りの時が来るのです。このような時期は、最初の内は落ち込むでしょう。重苦しく、絶望的に思える時です。しかし、この道で進歩すればする程、自分自身を知れば知る程、あなたが得た知識をしっかり吸収し、受け入れる程に、次に外側に向かう動き、努力の時期が始まるまで、この実りの時期はあなたにとってより幸せなものとなるでしょう。しかし、ある段階から別の段階へと移行するタイミングは、あなたが決める訳ではありません。人格はごく自然に流れに従い、自らの宇宙的リズムを見つけます。そうすれば、あなたはこのリズムに気づき、無理強いや抵抗なく、それに従っていくでしょう。

 質問:宇宙が物理的に膨張と収縮を繰り返しているのか、それとも静止しているのか、科学者たちの間で数多くの議論、憶測、調査がなされています。それに対する答えはありますか?

回答:宇宙は絶えず動いています。しかし、リズミカルで調和のとれた動きには無動があります。リズミカルな呼吸をする為に、息をしない瞬間があるようなものです。様々な学派は、宇宙の一面を認識したばかりで、他の側面は無視しています。真実は、宇宙は拡張し、制約し、静止しているということです。無生物にも同じことが言えます。静止しているように見えるだけで、そうではないことを物理学者達は実証するでしょう。

 あらゆる被造物は絶えず動いていると、これまで幾度も述べてきました。このことは、存在の最高形態であるビーイングの状態は静的で、一見動きがないという考えとは矛盾するかに思えるでしょう。友よ、皆さんには非常に理解し難いと思いますが、これは矛盾ではないのです。最高の領域では、あらゆる方向への絶え間ない動きと静的状態が同時に存在します。動きの中に動きはなく、動きがない中に動きがあります。人間の論理からすると、全く逆説的に聞こえるかもしれません。しかしこれ以上の説明は不可能です。これも又、体験によってのみ理解できることです。

 質問:静止というのは、拡張と制約の中間のようなものですか?

 回答:「中間」という言葉はここでは当てはまりません。これは哲学的な概念です。これはひとつの原理、又は三つの原理の一部であり、ひとつがリズミカルかつ自然に他の原理に続きます。これを周期、あるいは円運動として想像すれば、真実により近づくでしょう。円には始まりも終わりもありません。ひとつは、その他の不可欠な一部なのです。

 質問:潜在意識と直感の繋がり、あるいはその断絶について、ある程度明確にして頂けますか?

 回答:直感を洞察から区別するなら、直感は最高の形態と言えるでしょう。直感は決して間違えません。本能は間違うこともあります。それは有害な場合もあるし、ローアセルフから来る場合もあります。専門的に言うなら、直感は超意識から生まれます。直感には更に、意識的であるという区別があります。直感は意識的でなければなりませんが、本能は無意識のままかもしれません。明確に考えられておらず、本人も気づいていない衝動、本能かも知れません。直感は意識的でなければなりません。意識的でなければ直感にはなりません。それは超意識から意識へのメッセージあり、潜在意識の力によってもたらされます。あなた全体として向かう潜在意識の方向から影響を受け、あなたは一定の直感を持てるようになります。

 質問:許されないことかもしれませんが、質問させてください。何百万もの銀河系や何十億という星の中には、地球と似た生命体が存在している筈だと現在科学は認めています。もしそうだとしたら、天使の堕落や、それに続く救済計画は、他の生命体にも当てはまりますか?

 回答:勿論です。それはひとつの全体なのです。救済計画には、全ての被造物が含まれます。地球はその一部に過ぎません。他の惑星で同じような、あるいは似たような生命体が見つかるかどうかは関係ありません。例え、生命体の外的な形が似ていたとしても、それぞれの領域での目的や発達段階は異なります。

 質問:これら何百万もの惑星の中に、私達と同じ生命体を持つ惑星はありませんか?

 回答:全く同じという訳ではありません。条件はニーズに合わせて適応されます。そして、それぞれの領域で、人格の異なる部分での成長に対する異なるニーズがあります。

 質問:感謝に対する義務との違いや区別についてお聞きしてもいいですか?自由と強制という要素は別にしてですが。

 回答:感謝は義務とは何の関係もありません。今、私は強制とも言っていません。あなたが誰かと契約を結ぶと、その契約によって一定の条件を満たす責任を負います。これがあなたの義務です。どちらの側も、感謝とは何の関係もありません。

 質問:そういう意味ではありません。親切な行為をされたら、感謝ではなく義務を感じる人がいるということです。

 回答:その瞬間には、強制的な要素、あるいは他の多くの不健全で逸脱した反応が存在する筈です。このような場合、より深く原因を探らねばなりません。例えば、受け取ることができない人もいます。与えることはできても、受け取ることに屈辱を感じます。その結果、過度の義務を感じることになります。しかし、言葉通りの厳密な意味で、必ずしも強制があるとは言えない。それではレッテルを貼ることになるので、私達はレッテルからは遠ざかり、むしろその下にあるものを掘り起こすよう努めなければなりません。

 その人が何故そのように感じるかを見つけましょう。何処に誤解があるのか?何処かで誤った結論がある筈です。おそらく「受け取ることは屈辱だ」といった誤った結論が見つかるでしょう。更に「何故?」を見つけましょう。何がこの誤認をもたらしたのか?何がそこに向かわせたのでしょう?そうすれば、何処に障害があり、どのように解消できるのかが示されます。それは必ずしも強制とは限りませんが、例え強制であったとしても、それを知るだけでは十分ではありません。「プライド」であれ「強制」であれ何であれ、最終的な答えを完了させるものならば、どんな言葉でもレッテルになり得ます。ただ、何らかの名前をつけて、そのまま放っておくのは危険です。それでは、何処にも行けません。その人は、どうしようもなく義務を感じるのです。このようなケースにおいて唯一可能な方法は、誤った考え、誤認が何処にあるのか探すことです。必ずある筈です。

 今夜、私達が再会するこの最初の集まりに際し、多くのスピリットの友人達がここに集っています。少なくとも現時点で皆さんの邪魔をしている、各自の歪みや混乱から抜け出す方法が見つけられるよう、彼らは皆さんひとりひとり、そしてここにはいない私達の友人達全員に、真実の力からの祝福を与えています。後のことは後回しで良いのです。この神聖なる真実の力と、神聖なる明晰なヴィジョンを受け取りなさい。この祝福を特にその目的の為に捧げましょう。神の名において、イエス・キリストの名において、聖霊の世界の名において、皆さんを祝福します。平和の内に、神の内にありなさい!



【訳註】このレクチャーでは、三つの宇宙原理をexpansion「拡張」restriction「制約」stasis「静止」と訳しています。

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