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Pathwork in Japan
No.111 魂の物質「要求に対処すること」
Pathwork Guide Lecture No. 111
1996年版
1963年2月1日
魂の物質「要求に対処すること」
SOUL-SUBSTANCE -- COPING WITH DEMANDS
ようこそ、最愛なる友人達よ。皆さんを歓迎します。あなた方全員に祝福を。
はじめに、霊的な視点から見られる、健康な魂と不健康な魂との違いについてお話ししたいと思います。私の言葉が、友人達の更なる発達と内的成長へのより深い理解をもたらすかもしれません
新生児がこの世に入る時、その魂の素地は極めて柔軟で非常に柔らかいものです。才能、資質、傾向、特性、未解決の問題等、この魂の素地には全ての可能性が潜んでいます。ポジティブなものもネガティブなものも、これらの可能性に基づいて存在は成長します。魂という柔軟で柔らかな物質は、その本質上、影響を受けやすいものです。従って、子供が幼い頃に受ける影響は、潜んでいる可能性に応じて大きくなったり小さくなったりするのです。魂が潜在的に健全で強い場合は、ネガティブな影響も深い凹みをつくることはありません。その経験は記録され、現実的に同化される為、それが幸せなものであれ不幸なものであれ、人格はその経験から学び成長します。潜在的な可能性がポジティブな場合は、それに伴う魂の素地にはレジリエンス(回復力)があり、言うなれば一見有害に見える出来事さえも跳ね返します。理解を深めるという利点以外に、永続的な痕跡を残すことはありません。
しかし、潜在的な可能性の大部分が未解決な問題で成り立っている場合、魂の素地はレジリエンスを著しく欠く為、影響は深い凹みを形成し、魂の物質の内に埋め込まれたままとなります。イメージがどのように形成されるのかについての私の説明を思い返せば、私が言っていることは理解しやすくなるでしょう。
弾力性のない魂の素地に影響を刻み込んだ時、あなたの精神機構全体はこの印象に従って機能し、現実での大きさを遥かに超えて印象を誇張します。ご存知のように、魂の中にイメージが形成されると、その一度きりの出来事は、全般化され、それによって改ざんされます。破壊的なパターンが動き出し、魂の素地の凹みが滑らかにならない限り、破壊的なパターンの力は持続します。癒しは、あなたが取り組んでいる積極的な自己発見を通してのみ起こります。
柔軟性vs.硬直性について語りましょう。柔軟性とは回復力があり、しなやかで、健全な魂の物質の資質です。しかし、硬直性については二種類あり、その違いを見分けることは非常に役に立つでしょう。ひとつ目の種類の硬直性は、以下の状況に基づきます。魂が常に深い印象に曝され、それが同化されずに凹みを形成し、その刻印が魂の物質に埋め込まれたまま残る時、人格への影響は重くなります。そうして好ましくない状況は、現実的に正当とされる範囲を遥かに超えた苦しみを生み出します。従って、魂は必要以上に強くなる影響によって苦しみます。好ましい影響でさえも、強い疲労の原因となります。何か良いことが起こった時に、過剰に興奮する経験をしたことがあるかもしれません。これには妨害的な結果があります。あなたはその経験を同化することができずに、経験はあなたを圧迫して落ち着かなくさせるのです。このような場合の同化と消化は極めて遅く、あなたの精神力全てを動員することになる為、精神の他の側面の成長と機能は阻まれます。
通常なら部分的な注意と労力を注ぐだけで済ませられ、生きること、存在すること等、他の側面に残りの能力を向ける余裕が残る筈の経験も課題となり、比較的とるに足らない出来事に全ての内なる力を働かせることになります。そのような出来事自体に喜びや満足を感じていたとしても、不必要なエネルギーが浪費されている事実に変わりはありません。これは一種の落ち着きのなさや経験への執着を生み出し、魂の動きを妨げます。言うまでもなく、これは意識的なものではないかもしれませんが、内なる反応に注意を向ければ、必ずやそのような執着を発見することになるでしょう。これはそれ程重要ではない、関連する出来事に対しての強い思いに現れるかもしれません。その感情的な衝撃を手放せず、許して忘れることができないのです。しかし主には、遥かに微妙な手順が動き出します。それは、外部の出来事に見合わない自動的な反応です。一度きりの経験が、全く異なる性質の出来事に対して誤って適用されます。要するに、かつてあなたを恐がらせた何かが、原初の出来事とは本当は全く似ていない外的な出来事によって、再び恐れを引き起こすのです。あなたが自らに観察し、自らの内で理解し始めたこのような自動的反応は、健全なレジリエンスのあるしなやかさへと成長しなかった、過度に影響を受けやすい魂の素地が存在している証拠です。
過度に影響を受けやすい魂の素地は、意識的および無意識的な痛みの両方をもたらします。その影響は有害である為、精神は薬を求めます。このように無意識に求められた薬は、元の悪よりも破壊的であり、偽薬も同様です。この場合の偽薬は、魂の物質に痛みのある凹みをつける、絶え間ない激しい衝撃を防ぐ為に築かれた人工的な防護壁です。それは、「過敏さ」として経験されます。この壁は硬くて脆く、感じることや経験することを妨げ、第一のタイプの硬直を引き起こします。
第二の硬直性とは、経験を吸収できず、むしろそれに固執してしまう魂の条件によって引き起こされます。魂の凹みが深く、人がそれを手放せない時、その経験への執着が現実の重要な側面を遮ってしまいます。人は現実の内、煩わしく感じられる部分のみを見て評価します。その出来事をその完全な光の下で理解する為に重要な、他の側面は欠落しています。魂があまりにも苦しんでいるならば、このように制限的で主観的な現実評価は避けられません。苦しみは、より広く真実な見方を完全に不可能にします。従って、一方的であることと、異なる捉え方をする能力の欠如が、第二のタイプの硬直性を構成します。人は、過度に脆弱な魂の物質の中の高度に敏感な領域に従って、自らが直ちに見て、捉えることができるもののみに対処し得るのです。状況のあらゆる側面、あるいは関わっている他の人物は影に隠れてしまいます。それらの側面が完全な明るみに立つことを許されるならば、理解は遥かに客観的になるでしょう。しかし、これは不可能です。何故なら、人は魂の素地の上にある凹みによる不快な影響に、過度に気をとられているからです。
もし身体の特定の部分で物理的な痛みに苦しんでいるとしたら、他の部分を無視して全注意をその部分に集中せざるを得ません。それは魂のプロセスでも同じです。更に複雑にするのは、ここで扱っているものが非常に微妙な無意識の反応であり、内的なメカニズムに十分に波長が合うようになった場合にのみ、確認することが可能だということです。
二種類の硬直性の違いを簡潔にまとめると、ひとつ目は感覚や体験する能力を鈍らせ、ふたつ目は、見え方や体験を色付けし、現実の認識を狭く制限してしまうことです。多くの場合、人は両方の硬直性を交互に、あるいは同時に持ち合わせています。一方が他方を引き起こし、重なり合う形で現れるのです、時には、一方が優勢になることもあります。そのような時、硬直性は比較的容易に認識できます。
ふたつ目のタイプの硬直性が優勢な場合、詳細にこだわる傾向が現れ、他者や状況の特定の側面のみを見ることがあります。見ているその側面自体は正しいかもしれませんが、他の側面が見落とされる為、その認識は不完全です。あなたが個人的に関与していない人や状況に対する態度であっても、魂の物質にレジリエンスが欠けていることから、あなたはこの反応の仕方に強く条件づけられており、違うようには行動できません。過度に影響を受けやすい魂の素地は、絶えず変化する状況に適応しようとする能力を不能にします。あなたはそれらを認識し、評価することができません。何故なら、魂の物質に直接刻まれた刻印にのみ反応するように条件づけられているからです。これは、あなたが絶え間ない生命の流れにいること、真実と現実にいることを妨げます。生命の流れと共に流れるには、魂の物質は健全な弾力性を持ち、出来事をその真の意義に応じて素早く吸収しなければなりません。
言うまでもなく、健全な魂の物質は、意志の働きによって創られるものではありません。誤認、偽薬、歪みを見つけ、変化させることのみが、これを実現できるのです。このプロセスを円滑に進める為には、この観点から魂の物質が示す健全な反応と、不健全な反応に気づくことが極めて重要です。ふたつの硬直性を認識することも必要です。自らの内で、これらふたつの違いを感じることは、とても役に立つでしょう。確かに違う感じがします。いわば異なる「味わい」があるのです。先にお伝えしたように、両方が同時に存在する可能性があり、一方は他方への反動の場合もあります。まずは、硬直した脆い壁を見つけるかもしれません。その下に、健全な柔軟性が見つかるとは期待しないように。一見、硬直性とは正反対のように思える実質的には過度に柔らかい、別の種類の硬直性を見出す覚悟をしておきましょう。しかし、よく観察してみると、この健全な抵抗を欠いた柔らかさこそが、受け取った印象を手放せないことが分かるでしょう。あなたはそれを繰り返し反芻し、既に廃れるべきものによって執拗に影響され続けています。その為、魂の物質は硬直してきます。真実の誇張は、双方向に非真実をもたらします。これはあらゆる事柄に当てはまり、他の多くの繋がりからもお話してきました。ここでは、脆い偽りの保護壁の強過ぎる抵抗も、過度に影響を受けやすい魂の素地の弱過ぎる抵抗と同様の影響をもたらします。
現実に居なければ、どのように人生に対処できるのでしょう?ふたつの硬直性のいずれかがあなたの中にある時、どのように現実の中に居られるでしょうか?人生の絶え間なく変化する流れに、どのように適応できるのでしょうか?どのように客観的に評価し、真実において理解できるでしょうか?あなたにとって取るに足らない程度のささいな印象が、魂の物質に簡単に刻み込まれ、根づき、未来の出来事への反応を決定づけてしまう場合、これらのどれひとつとして不可能です。そうしてあなたは、出来事とそれに対する反応の関係を歪めてしまいます。
ここでは、既に馴染みのある内なる仕組みについて、新しい角度からお伝えしました。こうした洞察の深化は、この道におけるあなたのワークに新たな推進力を与えるのに非常に役立ちます。
この話題を締めくくるにあたり、私達の視点から見た、健全な魂が不健全な魂と比べてどのように見えるのかを説明しましょう。健全な魂は丸く、とても滑らかで均一です。その魂の物質には、レジリエンスと健全な抵抗のある柔らかさの混合されたしなやかさがあります。この組み合わせが、理想的な条件を生み出します。それは、人生においての深い経験を可能にし、あなたは体験を素早く吸収することができるので、新たな印象や新たな経験への準備が常にできている状態になります。
不健全な魂においては、魂の形態は凸凹で不均一です。その隆起部分は瘡蓋のように硬化しています。瘡蓋がない部分の物質は、先ほど述べたようにとても影響を受けやすく、粘着性でベタベタしており、あらゆる刻印を保持したまま、その下にある刻印のないレジリエンスのある質感を取り戻すことができません。
ご自身のワークにおいて、不健全な反応の全ては人工的なものであることに気がついたことがあるでしょう。これら人工的な反応を続けることは、自然な反応を続けるよりも非常に難しいものです。最初はごく稀にしか起こらなかったとしても、洞察が訪れる時、それは成長と自己実現への決定的な一歩です。洞察を得た瞬間、あなたは、偽りの保護と偽薬的な解決策はいかに骨が折れるものなのかを理解します。あなたの自然な在り方が、どれだけ容易に、どれだけ確実に、どれだけ安全に、人生を通してあなたを導いてくれることでしょう!これを抵抗が最も少ない道や、破壊的な本能に屈することと混同してはなりません。ある程度の内なる認識に達するまでは、このような発言は容易に誤解されかねません。しかし、粘り強い努力がいつかもたらす着実な進歩と自然な成長を通じて、このような洞察に満ちた段階に達すれば、偽薬的な解決策は労苦と消耗を伴う一方で、真の自己を経験することは安全で容易であるという真実を永遠に理解し、経験することになるでしょう。このような微かな視点の重要性を見落とす傾向が見える為、改めて指摘しておきます。これらを深く考えてみてください。このような経験の初めの稀な出来事を見てください。そこに秘められた完全な価値と深い意義に至るように。歪んで人工的に張り詰めた生き方と比べて、このような健全さを垣間見ることは、あなたの魂の物質を癒す為の最良の方法です。
繰り返しますが、不健康の自覚は健康へと導き、不健康の無自覚や隠蔽は、健康から遠ざけるというのは本当です。
さて、ここで別の話題について議論したいと思います。もっとも、それは前述の内容と繋がっています。人間の魂の中にあるものは全て相互に関連しているのですから。このワークの過程で、私達はしばしばあなた方の要求について話してきました。今話しているのは主に、あなたの中にあり、気づいていない隠れた無意識の要求についてです。他者、自分自身、人生に対して突きつけていた要求を見つけた時、それがいかに切迫しているかにあなたは良く驚いていましたね。この発見は大抵、あなたにとってかなりの時間と努力を要しました。意識的な自分自身についての概念とその要求がいかに相容れないものであるかを知り、ショックを受けたことでしょう。もし自らの要求についての完全な自覚に至っていないのであれば、この特定の観点から、これまでの発見を調査することが賢明かもしれません。あなたは不均衡があることに気づくでしょう。あなたには過大な要求があります。事実をいかに隠そうとしても、一方では、あなたは自らが与えようとする以上に他者に期待しているのです。他方では、あなたは自らの期待において慎まし過ぎるのかもしれません。これは自動的に生じる論理的な帰結です。それは内的法則の均衡の性質に基づいています。
しかしここで、このテーマの別の側面、すなわち、あなたに課せられる要求について考えてみましょう。要求が突きつけられた時、あなたはどのように反応しますか?それらにどう対処しますか?先に進む前に明確にさせておきましょう。あなたは他者に要求を突きつけていることに気づかないのと同じように、自分に要求が突きつけられていることにも気づいていないかもしれません。自らに課せられた要求に気づいていない事実は、内側にある特別な対処法への影響を消し去る訳ではありません。例え、意識的に決して気づいていなくても、あなたは確かにそのような要求に強く反応します。このような道において育てられる高度な気づきこそが、他者のあなたに対する要求に気づかせ、それに続くあなた自身の真の反応を自覚させます。
この集中的なワークに取り組んでいる私の友人達へのアドバイスは、要求というテーマに注意を払うことです。この特定の視点から、繋がりや人間関係を見てください。そこここで、あなたに対する要求が課せられていると感じ、それにあれこれと反応を示すことが確認できれば、更に一歩進むことができます。その道筋を示しましょう。もっとも当然ながら、これらの先の段階は、あなたの他者への要求、そして他者からあなたへの要求、又それらに対するあなたの実際の反応を明確に自覚するまでは踏み出すことはできません。
自らの反応を知る為には、このレクチャーの前半でお伝えした観点から眺めることが重要です。魂の物質が過剰に影響を受け易い場合、他者からの要求の流れの影響をあなたが過度に保持している場合、他者からの影響を健全に吸収し、評価し、折り合いをつけることができない場合、他者から課せられた要求は圧倒的な影響力を持ちます。要求ではないものを要求と解釈し、それに対する内的な防衛反応が引き起こされるか、あるいは罪悪感や望ましくない結果を恐れるが故に、他者からの最も未熟で不当な要求に屈してしまうかもしれません。そのいずれの場合も結果は、恨み、反抗、敵意です。現時点では、あなたの中ではどれも意識されていないかもしれないし、これらの感情が自らに課せられた要求に対する反応だという認識とは結びついていないかもしれません。あなたは往々にして無意識の内に、それらの要求や、それに屈する衝動や、それに屈しなかった場合に何が起こるのかを恐れるあまり、それらに対する防御を設定します。
それでも、現実の要求であれ、想像上の要求であれ、あなたに何かが求められていると感じる度に、内なる警鐘が鳴り響くようです。あなたの罪悪感と恐れは、何がその警鐘を鳴らしたのかを調べることを許しません。理性の力で、それを調べる代わりに、あなたは合理的な探究を盲目的に拒絶します。その拒絶は、要求そのものに対する反応というよりは、それに屈したいという誘惑や衝動に対する反応です。自分自身への信頼の欠如が、判断と区別を不可能にさせます。不安は同様に、障害された完全性の結果です。
しなやかさのない魂の物質は、その過敏さ故に外部からの影響を与えるあらゆるものに対処することを強く嫌悪し、結果として、外からのインプットを単純に遮断します。従って、健全な相互コミュニケーションは存在し得ません。
他者の要求に対するあなたの反応はあなた自身を非常に恐れさせ、結果として、あらゆる意味で深い人間関係から多かれ少なかれ距離を置くようになるかもしれません。関わりを持つことへの恐れは、傷ついたり失望したりすることへの恐れのみならず、他者の要求に対処しなければならないことへの恐れからも生じるということを理解するのが非常に重要です。
さて、友人の皆さん、要求は至る所にあることに気づくことが重要です。関われば関わる程、要求は増えます。冷静に考えてみれば、ある場合には他者の要求が度を越して幼稚であることも分かるでしょう。他の場合には、要求は単に人間同士のコミュニケーションの一部であり、恐れを持ったり関わりを拒んだりすることは不当な場合もあります。そのような反応は、あなた側の過剰な要求の存在を示しています。つまり、親密な関係の利益を求めながら、真の意味では与えることをせず、むしろ別のレベルでは過剰に与えることをしているのです。あなたは関係性全体のバランスを崩しています。他者は求めている訳ではないものを受け取る為、彼らの要求はより切迫したものとなり、一方であなたは益々罪悪感と恨みを感じるようになります。
この知識が不十分で、自らに課される要求に自由に対処できない時はいつでも、自らの態度の内にヒントを探さねばなりません。あなたは何処で、自らの過剰な要求に気づかなかったのでしょうか?鍵は、おそらく別の領域で見えない所に隠れているか、あるいは取るに足らないものとされているかもしれません。他者の要求に対応できないことに気づくことは重要ですが、それだけでは十分ではありません。同様に重要なのは、自らの隠れた要求が何処にあるのかを見つけることです。これらを見つけ、その子供じみた期待の不合理な貪欲さを変容させる時、あなたは他者からの要求に満足のいくよう完全に対処できるようになります。それによって、良好で深い人間関係を維持できるようになるでしょう。
それでは友人の皆さん、ご質問にお答えしましょう。
質問:魂が何であるかを明確に定義してください。それによって、このレクチャーは明確になると思います。
回答:ご存知のように、魂については多くの解釈があり、それらは全て非常に正確かもしれません。それらが矛盾しているように見えるとしたら、人間の言葉では到達できない次元を説明するのに、言葉にあまりにも限界があるからです。より高次元への繋がりが、言語的な学習によっては決して到達されず、内的な誤りや歪みが解消された場合にのみ可能となる、内的経験によってのみ可能なのはこの為です。
ここで私達が話している魂について説明しましょう。魂とは内なる人格の総和です。思考、感情、概念、潜在能力、態度、パターン、性格、気質、感情、特異性等、肉体的存在の背後にある全ての総和です。勿論、未解決の問題も含まれます。しかし、この未解決の問題の隠蔽、擬薬的解決策、誤った防衛は含まれません。これらは、魂そのものの一部ではありません。しかし、特定の擬薬的解決策の選択は、魂の表現、顕現、兆候です。
質問:それでは、カルマとはかつての未解決の問題からの魂の記憶ですか?
回答:私は記憶とは言いません。以前の転生における結果です。カルマとは、魂が生み出した影響です。
質問:感性は引き継がれるのでしょうか?
回答:勿論です。感性、知覚、経験する能力、これら全ての能力には進歩があります。ある人は、キーボードの最低音に対する感性が強く、別の人には最高音の感性が強いかもしれません。どちらにせよ、健全な形でも不健全な形でも存在し得るのです。ご存知のように、カルマとは、現時点までのあらゆることの結果です。
質問:あなたは魂に物理的、物質的な性質という特性を与えました。物質という物理的な分類の内で、丸みとしなやかさを与えました。魂は、身体の他の器官のように局在化されているのでしょうか?
回答:いいえ、そのような意味では局在化されていません。それは、あなたの肉体の器官では認識されないものの、地球の物質と非常によく似た物質から構成されています。それは、あなたも知っており、良く聞くことのある「サトル・ボディー(微細体)」です。丸いと言ったのは、ボールのような丸い形という意味ではありません。微細体の表面は、私が述べた特性の全てを持つことができます。皮膚や肉の均一性に例えるのが一番分かりやすいかもしれませんが、魂のサトル・ボディーの表面は、肉体の皮膚や肉よりも遥かに多様です。言葉での表現は非常に制限されているので、不合理に思えることも多いかもしれません。しかし、ソウル・ボディー(魂の体)とはどのようなものかをあなたに伝えるにはこれが最良の方法なのです。
質問:潜在意識と魂との関係性についてお尋ねしてもよろしいでしょうか?
回答:魂が、無意識のマインドです。無意識の動機、態度、原動力、傾向は魂から生まれ、無意識の自己のより深い領域は、真の霊的存在に属しており、真の霊的存在は、無意識の自己のより深い領域に住んでいます。しかし、無意識は魂の一部に過ぎず、その多くは意識的なものです。
質問:人生における出来事は態度によって決定すると言われています。しかし、どうして悪い動機をもつ人が、多くの場合、人生の全ての幸せと成功を手に入れるのでしょうか?私はそのような複数のケースを知っています。
回答:この質問は、以前にもお答えしましたが、もう一度簡単にお伝えします。そもそも、人間の視野は非常に限られています。結果が原因の後にすぐに続かない場合、人々は繋がりを失い、その結果、出来事の相互関係が見えなくなります。それでも判断を下そうとするならば、そのような判断は誤っているに違いありません。原因と結果は大抵、時間的に遠く離れています。言い換えれば、人間達は、随分前のある原因の結果を経験しながら、未だ結果が現れていない、後に現れてくる原因を始めているのです。霊的発達、内的健康、ワンネスの感覚が増すにつれ、原因と結果はより近づきます。それらが時間的に分離されている限り、魂の内的分裂は存在する筈なのです。原因と結果が互いに切り離されていれば、魂の全体的な発達や、特定の領域における成長の可能性は、依然として制限されます。魂の潜在能力が現在の発達よりも大きく、その可能性を実現できる時にのみ、原因と結果は共に近づきます。
更に、動機が分裂している時、結果もそれに応じて影響を受けます。例えば、最近のレクチャーで指摘したように、もし人々が未だに霊的に粗野で良心を持たないならば、悪い動機を阻むものは何もない為に、悪い動機は統一されるでしょう。そこには分裂がないので、悪い動機は明らかに望み通りの結果をもたらします。後になって良心が成長した時に初めて、遡及的な罪悪感が効果を発揮し、まるで外からの罰のように現れるのです。誰かの動機が既に分裂している場合には、成功は訪れません。これは、内面的な葛藤なくして破壊的な動機を持ち得る人と比べれば、ポジティブな発達と言えます。人格の片側は、もう一方の側よりも遥かに高い基準を獲得しているのです。ここで言う基準は押し付けられたものではなく、真の内的基準のことです。そのような場合、破壊的な動機が例え意識的であっても、望んでいる結果をもたらすことはありません。一方、どれだけ意識的で建設的な動機でも、無意識の破壊的な動機によって損なわれていれば、良い結果をもたらすことはありません。冷酷な人は、本人が全く気づいていない内なる声が自らの意志の力を妨げている為に、その冷酷な目的を達成できないかもしれません。その人自身の内的発達が未だに隠されており、本人の存在のいくつかの側面と非常に矛盾している為、分裂しない意志を禁止しているのです。従って、魂は既に新たな可能性を獲得しているので、冷酷であろうとする意識的な決意には何の効果もありません。同様に善良であろうと一生懸命に努力する人でも、自らの抑圧によって隠された利己心や残酷さに対処できなければ、望んでいるポジティブな結果を得ることはできません。意志を妨げ、結果に影響を与えるのは、常に分裂した動機、特に意識していない動機です。
質問:人間の自己発達において、ドラマ、神話、お伽話が果たす働きについて説明して頂けますか?
回答:神話、ドラマ、お伽話が人間に与える影響を念頭に置いての質問であれば、その質問に対する答えは既にレクチャーの中でお答えしています。外側からの入力は、魂の感受性に依存します。お伽噺や神話が、成長している人、または大人の人に良い影響を与えるかどうかについては一般化できません。それは、素地と解釈次第です。大人は最早、他者の解釈に依存しませんが、幼い子供は大人から与えられる解釈に依存します。そのような解釈は言葉の中に現れるのではなく、物語を語ることによって発せられる雰囲気にあります。大人の感情は、言葉よりも遥かに強い影響を子供に与えます。子供のマインドが実際に受け止めたものが何であれ、それが影響を及ぼすのです。また、一見残酷なお伽話や神話を言葉通りに受け取ると、既に苦しんでいる魂の粒子はネガティブな影響を受け、印象づけられます。健全な魂の物質は、もし物語が誤って解釈されたとしても、否定的な反応を示すことすらありません。偽りの神話も否定的な影響は及ぼしません。全ての神話が真実であるとは限らないのです。真実ではない文献や、その他の影響、同様に誤解され、誤って解釈された真実の流入は、魂が既に苦しんでいる部分にのみ影響を与えます。苦しんでいる魂が、本当の解釈や、その他の真実のメッセージを受け取る時、そのような有益な影響を吸収する機会が与えられます。それを吸収するかどうかはその人によります。
質問:真の感情(フィーリング)と感情(エモーション)の違いについて教えてください。
回答:このふたつには違いがあります。その違いを説明するひとつの言い方としては、真の感情は、より深く根付いており、より永続的であるということです。これは、真の感情は変わらないという意味ではなく、真の感情が時間の中で永続するという意味でもなく、真の感情は、その質、一貫性、特徴、存在において永続的だということです。真の感情は、感情よりも早く変化するかもしれませんが、その本質において永続的です。これを説明するのは非常に難しいのです。理解する為には、自らの内なる感覚で私が意味することを理解する必要があります。感情は、魂の物質に長く留まっていたとしても、より表面的なものです。感情は、魂の表層的な条件から生まれます。感情は人生に対処する方法の積み重ねに基づいており、真の自己に由来するものではありません。真の自己は真の感情を発します。従って、真の感情は遥かに充実したものです。これは、双方の見かけの価値では判断できません。不快に感じる真の感情を抱くかもしれませんが、それは真実、現実に基づいています。感情は主観的な内的状態に基づいています。
例を上げます。他者、あるいは自らの内に有害で否定的な質を知覚したとしましょう。その性質が真実なら、とても不快だとしても、それは真の感情に対処していることになります。別の場合には、同じことを知覚しながら、否定的な質は感じないかもしれません。何故なら、ただあるがままを観察するのではなく、何かのイメージや偽薬的な解決策が働くことから、恐れ、疑念、罪悪感、恨みを感じるからです。あなたはこの場合には、感情において正しい知覚を得たのです。真の感情を脇に押しやらなければ、あなたは自分のことであれ、他者のことであれ、価値ある直感を得たと分かるでしょう。感情でも真の感情でも、何であっても押しやるべきではありませんが、感情を押しやらなければ、あなたは自らの内に、自らを過剰に主観的にさせ、歪め、現実から乖離させる原因に気づくようになるでしょう。つまり、真の感情と直感を阻むブロックを見るようになるのです。真の感情は常に現実に反応します。その特定の現実のその時の現れが、いかに一時的なものであったとしても。
ここで、あなたにとって好ましい感情について考えてみましょう。満たされた虚栄心、貪欲、プライドは、心地良い感情を生み出します。あるいは更に考察を進めると、知覚された状況が真実であっても、それが主観的に利用されれば、真の感情ではなく感情を生み出します。真の感情は、客観性に基づき、感情は主観性に基づきます。どちらにせよ、心地よい場合も不快な場合もあるのです。多くの場合、言語は混同されます。真の感情を意味して、感情的な成熟や感情的な関与、感情を表現することについて語る人もいます。しかし、あなたがその本質を理解していれば、言葉はそれ程重要ではありません。
質問:何であっても、真の感情、又は感情になり得るということですか?例えば、恐れも?
回答:はい。そうです。でも皆さん、私のアドバイスはこうです。レッテルを貼ろうとしないようにしてください。レッテルを貼ることは、常に危険な行為になります。そうすることで、あなたはどうしてか、より深い理解への扉を閉めてしまうのです。むしろ、湧き上がってくる真の感情や感情に対処するようにしましょう。それを理解しようとし、それが客観的な要素に基づくものなのか、それとも個人的に色付けされた主観的な見解なのかを見極めるようにしましょう。
これらの言葉が、より深く広い理解への助けとなりますように。私の愛と助けは、皆さん全員に向かいます。偉大なる勇気を持ち、発展と成長と変化を望んで、それを可能にする完全なる正直さをもって自らに向き合う人の尊厳を持つ、皆さんひとりひとりに祝福と助けが与えられています。否定的な側面に向き合い、温存している自分自身についての甘い考えを打ち砕くという代償に関わらず自己探究がなされる時、この努力の尊厳は明らかになります。それが終われば、その果実はあなたのものになります。今、この美しい庭を手入れし、そこに属さないものの根を取り除けば、それを支える霊的な助けは常にあなたのものとなります。最愛の友人達よ、平和の内に、神の内にありなさい。
【訳註】
Feeling:真の感情
Emotion:感情
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