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No.120 個人と人類

Pathwork Guide Lecture No. 120
1996年版
1963年12月13日


個人と人類
THE INDIVIDUAL AND HUMANITY


 親愛なる友人の皆さん、こんにちは。神は皆さん一人ひとりを祝福しています。あなたの道、発展、個人としての継続的な成長に祝福がありますように。ある程度この道を歩み、自らの最も隠れている問題を真に理解したいと心から望む友人達の多くは、不平、不満、緊張、失望、その他、充実した人生を送る上での障害を疑いなく証明する要因を自らの内に見つけ、安堵と啓示の段階を繰り返し経験しています。絶え間ない自己対峙の結果として得られる深い洞察は、あなたを真に解放します。それはあなたを制限や強迫衝動から解放し、内的そして外的な人生と、自らの存在の在り方を自由に選択することを可能にします。変化は自由な選択によってのみ可能となります。そして、それは深い理解に達した時にのみ可能なのです。

 皆さんの多くは、これまで対処できなかった人生の様々な側面に、対処できるようになった喜びや自由を既に経験しています。深い完全な理解が未だ欠けている、あるいは部分的な理解しかない初めの頃には、このような期間は長くは続きません。喜びや自由の時期と、混乱や憂鬱の時期とが交互に訪れます。しかし、この暗い期間がもつ内的意義を理解する意志と、そうすることへの抵抗を乗り越えることを怠らず、この期間を使いこなすようになればなる程、否定的な時期は頻度も期間も短くなり、解放感、平和、喜びに満ちた時間は長くなるでしょう。それぞれの否定的な段階には特別な教えがあり、心をかき乱すそれぞれの出来事には自らを見出し、あなたに運命づけられた完全に充実した人生を送る為に切実に必要とされている知識が秘められていることを認識すればする程、混乱や危機を短期間の生産的な体験に変えやすくなります。これらは全て新しい内容ではありません。以前にもお話ししましたが、外側からの脅威を人生が取り除いてくれるのを待つのではなく、不快な気分、苛立ち、憂鬱から自らを解放するという祝福を繰り返し経験しない限り、このことはあまりにも容易に忘れられます。

 一定の成長と発達に関する不変の法則は、宇宙の全生命体に当てはまります。この法則は、肉体的、精神的、感情的、霊的な生命体の原理や行動においても同じです。これは、大宇宙や小宇宙に当てはまります。単細胞生命体から個々の人間としての存在、そして人類全体にも適用されるのです。見ることも、理解することも、評価することもできないメカニズムを持った生命体は数多く存在します。従って、あなたは自らの成長プロセスを、これら生命体の成長プロセスと比較することはできません。しかし、個人の成長の法則とプロセスを、人類全体の法則とプロセスに比較することはできます。このレクチャーを通して得られた知識を十分な歴史的データに当てはめれば、そのような広い視野を得ることができます。このことで、全個人の総合である人類と個人との関係性について、より深い理解と広い視野が得られるでしょう。そして、人類全体はひとつの実体であり、人類というより大きな身体の一部分である個人に適応される、同じ法則に支配されていることが視覚化できるようになります。個人の内には、完全に理解できないが故に制御できない側面があり、それによって人格の統一、平和、統合は破壊されます。これは人類全体にも当てはまります。

 それと同じ関係が、ひとりの人間の全体性とその一つひとつの細胞や存在の粒子との間にも存在します。それは、生命や成長という同じ法則に従います。この概念は、全ての原子が宇宙のレプリカであることが知られた現代においては、おそらくより理解されやすいでしょう。しかし、この要因を完全に理解するには、意識の領域をより広い次元に拡げるしかありません。今のところは、個々の人間と人類全体とのを総合的な比較を試みるだけで十分でしょう。

 幼少期から始めましょう。幼児にはエゴの意識がありません。自我意識も自分という感覚もありません。赤ちゃんが体験することは全て、喜びや痛みといった感覚的な印象のみです。その両方に対しての反応は強いものです。喜びが与えられると明らかに嬉しがり、喜びが与えられなかったり、何らかの痛みを経験したりすると明らかに反発します。喜びへの欲求不満や痛みの苦しみは、激しい怒りを引き起こします。幼児はそれ以上のことは何も知りません。自らの喜びが、他者の苦痛とどのように関わり得るのか、その理由も感覚もありません。論理も責任感もありません。幼児は喜びや痛みを感じることにおいて完全に孤立しています。限られた範囲の体験である喜びや痛みでさえ、感情的、知的、霊的レベルには存在しません。幼い子供は、完全に肉体的な生き物であるだけでなく、完全に自己中心的でもあるのです。

 あらゆる形の未熟さにおいて同じ条件が存在します。大人として自らの精神の奥底を探り、未発達で問題のある部分を見つける時、あなたは必ず自らの内に潜むこのような幼児に出会うに違いありません。それは、成長し、より分別のある、人格の他の部分によって抑制されます。しかし、この利己的で、自己中心的で、制限のある幼児が内在する限り、それは常に人格全体と対立するに違いありません。幼児は、その人格の意識の内に現れることを許され、抑圧されることがなくなる場合にのみ成長できます。従って、人が大人になると幼稚特徴が消えると言うことはできません。それは単なる、程度の問題に過ぎません。

 世界に対するこの幼稚な態度があると、その程度に応じてその人は依存します。ご存知の通り、幼児は完全に依存的です。同じく、神経症的で葛藤を抱えた未熟な人は、感情的に依存しています。あなた方は皆、内なる問題や葛藤がいかに、自由であること、自分自身であること、自足することを阻害し、自立を奪うのかを知っているし、それを常に経験していますね。皆さんの多くは、幼稚で限定的な自己中心性を手放すことで、真の自立を得ることの意義を経験し始めています。このように、自己中心性と依存性は相互に関連します。どちらか一方だけということはありません。この相互関係の為に、多くの内的葛藤が激しくなります。あなたは、幼稚な自己中心性と主観的な物の見方の結果として同時に強いられる、依存性とも戦っているのです。

 成熟するにつれて、自分という感覚は発達します。逆説的に思えるかもしれませんが、自分自身への気づきが深まる程、他者への配慮も高まる筈です。友人達よ、この偉大な霊的真実について考えてみてください。自分自身であることの欠如は、自己中心性を意味します。完全な自己とは、他者への配慮、自分自身そして他者の長所と短所を評価する際の公平性も意味します。他者の為に自らを消滅させるような、歪んだ殉教を意味している訳ではありません。その殉教は常に、内在する隠れた利己心や自己中心性に対する「偽の解決法」です。私がお話ししているのは、他者に過度な痛みや不当な不利益をもたらす場合に、自ら進んで利益を手放せるような公平性のことです。つまり、天秤の片側には、自己意識も自己認識もなく、完全な自己中心性や強い存在への完全なる依存を持つ幼児がいます。天秤のもう一方には、喜びや痛みの原理を超えた、自己意識や自己認識を持つ成熟した人がいます。その結果、社会的な感覚、責任、他者への配慮、理解、感情が生まれ、共通の目的と利益の下、周囲の人々との相互関係の中で調和的な全体性を形成します。そのような人々は自由で独立していますが、全能性と混同されるべきではありません。支配することも、支配されることもありません。むしろ、彼らとその仲間の間には健全な相互依存関係が存在します。

 この成長プロセスが起こる為には、幼児は感情的な本質と同様に、マインド、知性、理性を発達させねばなりません。これら全てが調和して成人すると、あらゆるレベルで成長が起こり、個人は統合されます。しかし、あなたも身に染みてご存知でしょう。これは稀なケースです。発達の一部は常に遅れをとっているものです。その結果、それが危機を創り出します。

 これは、人類全体のプロセスにも当てはまります。人類の原始時代は、幼児に例えることができます。繰り返すまでもありませんが、幼児について述べたことは全て原始的な人類にも適用できます。歴史がそれを裏づけています。原始の人々は、他者との交わりが遥かに少ない生活を送っていました。しかし、例え近しい家族の範囲内であっても、成長は必要不可欠なものでした。何故ならば、それなしには生き残れなかったからです。この為、原始の人々は、利己的で粗野な衝動を直接的に減らし、他者に対する責任感を強め、自己中心性を減らすような精神のプロセスを発達させる必要に迫られました。

 こうして人類は、自らの活動の基盤となる社会を形成し始めました。その過程で、目先の満足を阻むものを破壊しようとする幼稚な衝動を克服しようと、しばしば多大な努力が払われました。今日に至るまで、このような幼稚な衝動に駆られて行動し、他者に対する責任感に欠ける人々は常に存在します。しかし全体的に見ると、現在の社会と文明は、原始人が原始的で自己中心的な本能を抑制することで生存の道を見つけようとした、最初の試みから受け継がれています。

 子供が自己中心的な衝動を持ちながら、自らを満たし自立していたとしたら、何が起こるかは想像できるでしょう。子供は自分より弱い者全てを支配し、滅ぼすことでしょう。従って、その弱さとそれに伴う依存は必要なものであり、守護となるものなのです。同じように、人類は長い間、力と権力の法則に支配されてきました。これは歴史の中で繰り返し見られます。支配者達は当初、彼らと何ら変わらない者達によって排除されてきましたが、その内、支配者たちは臣民にも一定の権利を提供して、権力を獲得できるようになりました。従って、他者への責任や配慮は、まずは必要性として発達しました。何故なら、それなしには権力と優位性が獲得できなかったからです。そして最終的には、それは真の内的発達や確信として発達しました。

 子供は、自分より小さな子供が持っているものを欲しがり、その子を叩くでしょう。現代より遥かに大きな程度、過去にも同じ傾向がありました。原始人類は、現在よりも遥かに無力で、依存的でもありました。自然の要素や力をコントロールする手段は、殆どありませんでした。原始の人々には、他者の不正や暴力から自らの身を守る手段が乏しかったのです。守護としての民法はありませんでした。犯則者を排斥する倫理規定もありませんでした。人間は、支配する側と支配される側の間を揺れ動いていました。

 彼らの一般的で全体的な発展における人生での問題は、誰が誰を支配するか、誰がより強く、ひいては他者を犠牲にして利己的な衝動を追求する能力に恵まれているかということでした。この限界と無知は、彼らを幼児と同じように依存的にしました。精神的かつ感情的な成長が欠如した状態で暴力を振るえば振るう程、彼らは弱くなりました。彼らの神の概念は支配されることに基づいており、政府は恣意的で、個人はそれに従って生きました。誰もがより弱い者を支配し、逆に、より強い者に支配されました。彼らは支配者に対する激しい怒りを持ちつつも支配者に従わざるを得ず、更により強い者を欲しました。

 子供が幼少期を終え、適正な児童期に入ると、他者への思いやりと利己的な本能の抑制を学ばなければなりません。真の感情は欠如していたとしても、少なくとも振る舞いにおいては、子供は他者と折り合うことを学びます。同じように、歴史のある時点において、人類は他者のニーズにより気づくようになりました。ここでも、初めは内的な真の感情の問題というより、自己防衛の問題でした。完全な自己中心性から他者に対する配慮への移行は、個々の人間であれ、人類全体であれ、その存在が成長する為に極めて重要な時期なのです。

 成長におけるあらゆる移行は、規模の大小を問わず危機を伴います。人類は多くの危機、いわゆる成長の危機を切り抜けてきました。危機という観点から、個人の成長の過渡期を見てみましょう。子供が生まれる時、それは母親にとっての危機のみならず、赤ちゃんにとっては更に大きな危機となります。別のレクチャーでお話ししたように、出産は赤ちゃんにとってトラウマ的なショックです。赤ちゃんが母親から乳離れする時も危機となります。こうした段階はそれぞれ、隠遁の地から離れ、世界へ、更なる自立へと向かう一歩です。子供が学校に通い始めると、これも又、隠遁の地から離れ、世界へ、自己意識への一歩となります。子供は責任を学び始めます。初めて、親の完全な庇護や保護からある程度離れることになります。繰り返しますが、これも危機のひとつです。

 あなたがそのような成長期に抵抗し、それと戦う程度に応じて、それは痛みを伴い、葛藤や不調和をもたらすでしょう。あなたがそれを受け入れる程度に応じて、新しい生き方は望ましいものになり、新たな展望、経験、挑戦がもたらされます。

 肉体のシステムも成長の過程で危機に瀕します。歯が生え始めた赤ちゃんは痛みを感じます。思春期は心理的に痛みを伴うプロセスを体験します。これもまた個性化へ向かう一歩です。

 この道は成長の法則を非常に良く表しています。実際、このレクチャーを始めるにあたって述べたことは、人類の精神レベルにおける成長の法則を示しています。仕組みを理解することにまで抵抗し、破壊的なパターンに固執すればする程、結局その古くて時代遅れのパターンが更に苦痛になることは誰もが知っています。逆に、理解し、変化しようと決意して、成長プロセスに積極的に取り組めば取り組む程、人生はより刺激的で豊かなものになり、より有意義で充実したものになります。後者を選べば、危機はすぐに消えてなくなります。危機的状況は、抵抗に打ち勝つ力を呼び起こすまでの間だけしか続きません。一方、抵抗という軽はずみな誤った論理的思考に屈すれば、危機的状態は長引きます。それは耐えられなくなるまで徐々に深刻さを増し、あなたは自己の感情をコントロールし、使い古された間違った概念を捨て、大人としては機能できない幼稚な隠遁の場所を離れることを余儀なくされます。

 人類は、今、幼少期と児童期を後にしました。まさに青年期を通り過ぎようとしていますが、未だ成熟した大人の実体ではありません。個人の青年期と人類の現在の発達を比較すると、それが現時点での人類の状態であることが分かります。これは、皆さんの理解を広げるのに役立つでしょう。

 大人になっても、多くの人は成熟していません。体は成長しても、心は後れを取っています。世界も同じです。大人へと成長した人は全体的に、成熟し、責任感も配慮もあり、自由で自立した側面がある一方で、我儘で支配的な子供が治める問題領域をも抱えているかもしれません。あなた方の地球圏である世界も同じです。地理的にも思想的にも異なる見解や態度を持つ集団、国、民族、宗教、宗派、地域が存在します。それは、個人の様々な側面に例えることができます。この道において、あなたは分裂した目的、相互に排他的な衝動、矛盾した概念によって、いかに内なる平和が欠けているかを発見しました。あなたは既に、無意識の分裂によって、統合性、全体性、統一性が人間の人格から奪われることを知っています。自己探求の過程で、あなたは自らの意識的な信念と全く矛盾する領域を見つけます。感情的反応は意識的な見解と矛盾するか、あるいは感情そのものの内で分裂しています。このような矛盾や分裂に気づくと、何故自分が動揺しているのか、何故自分自身と戦っているのかが容易に分かるでしょう。

 これがまさに地球上の人類に起こっていることです。人類も又、自らの内に分裂しています。完全なる状態において、自分自身との統一性の中にあり、調和し機能し得る存在は、非現実的な概念、誤った結論、自己中心的で幼稚な追求、制限された視野、無関心、主観性、そして盲目的で孤立的な傾向による不公平さといった内的分裂が続く限り、自分自身と戦わねばなりません。ふたつの国が正反対の目的を持つとしたら、それは一個人の無意識の中に正反対の目的を持つのと同じ位、非現実的で無意味です。それは同じように、破壊的で破滅的なのです。

 人類は青年期の段階から脱し始めています。これは必ずしも、人類全体が平均的な大人よりも統一されているという意味ではありません。しかし、人類の精神に未熟な傾向が未だ残っているにも関わらず、地球上ではより成熟した段階が近づきつつあることが感じられます。人類という実体の多くの側面は、個人が良い教育、良い影響、知的な真実を通して獲得した意識的な概念に相当します。人間の領域にある特定のグループやその目的がこの成熟度を示す一方で、別なグループやその目的は無意識の幼稚で誤った短絡的で破壊的な要素を示すでしょう。しかし、人類が成長すればする程、何が建設的で、何が破壊的かについての混乱は少なくなり、その識別力は向上します。かつて人類の子供時代や青年期の段階では、人間は真実と虚偽、建設的なものと破壊的なものを判別することが多くの場合に困難でした。粗暴な不正と残酷さがしばしば正義の道として見せかけられる一方で、人類の問題に対する真に意義深く成熟した解決策が、間違っているとして無視されることが多過ぎました。子供のマインドには自立した思考力や判別力が欠けており、そうしようと努力することさえも厭うのです。

 個人が理性と理解力を通して破壊的で幼稚な傾向を解消する力を得るにつれ、人類も成長していくでしょう。人類は今まさに、より深い成熟の瀬戸際にあるが為に、危機的状態にあるのです。道を歩む全ての人が夜明け前の暗闇を経験するように、人類も又、同じ経験を繰り返します。青年期は特に痛みのある試練の時です。何故なら、慣れ親しんだ安全な幼少期を去りながらも、大人になる為に必要な資質を未だ得ていない時期だからです。同じような青年期の危機が、特にこの百年から二百年の間に見られます。人類という有機体が、あなた個人と同じように分裂し、無意識の内に部分的に誤った前提に基づいて活動していなかったとしても、あなたが住むこの世界に戦争、激動、犯罪、飢餓、その他多くの種類の困難があり得ると思いますか?

 あなたは未だに、人生を自分とは別のプロセスとして見過ぎています。だからこそ、私はこの類似を指摘するのです。これは象徴的なものでも恣意的なものでもありません。個々の人間の身体、魂、精神は、人類全体の身体、魂、精神と同一であることは、紛れもない事実です。このことを熟考すれば、あなたが生きている世界をより深く理解するのに役立つだけでなく、あなたの自己理解をも深めるでしょう。あらゆる生命体で同一のプロセスが働いています。見たところ、ひとつの細胞であっても、それは多くの側面から構成されています。それも又、分裂すれば病気になります。ひとつの細胞に含まれる多くの側面は、それが部分として形成する、更に大きな生命体のレプリカです。それは、個人が部分として、人類という大きな身体を形成していることと同じことです。

 真の個性化は、内なる脳、内なる意志、内なる良心にアクセスできた時に起こります。これは、外的な意識、半意識、無意識といった全てのレベルを徹底的に探求し、理解した時に起こります。深い理解と真実に基づいた評価を用いて、あなたの真の自己、真の良心を覆い隠す意識の層を突き抜けた瞬間、あなたはいかなる状況においても内なる現実に到達します。それはとても深い高揚感を与え、平和と喜びに満ちた経験ですが、自らに対して厳しく正直になる努力を必要とするものです。友人の皆さんの内、この現象を既に体験された人々もいます。あなたが関わる問題について、徹底的な探求や自己対峙を経た後、内的意志はより良く機能するでしょう。太陽神経叢に位置する内なる脳が、最も啓発的なガイダンス、叡智、理解、創造的な発露をもたらします。内なる良心は、破壊的な罪悪感の重荷を背負うことなく真実を伝え、あなた自身が犯した過ちから真に解放される道を示します。内なる未解決の問題や誤解から解放されればされる程、これらの内なる能力はより正確に機能するでしょう。内なる能力と繋がれば繋がる程、人生における導きはより信頼できるものになり、より建設的に人生を生き、自分自身、自らの混乱、他者との相互関係、そして全体としての世界について、更なる深い理解を得られるでしょう。つまり、より深く自らの内側に入り込む程に、外の世界に出て、他者との実りのあるコンタクトや融合が可能になります。逆に、意識の周縁である、顕現の表面的なレベルで生きることが多ければ多い程、世界から引きこもり、世界の一部であることが少なくなるに違いありません。

 人間は子供の頃、青年期であっても、この内向きの方向に向かうことはできません。青年期には適切な指導や教育があれば、自らの力を正しい方向に向かわせ始めるかもしれませんが、それでも大人以上の努力が必要です。人類も又、内側に目を向け、結果の背後にある内的原因を見ることによって、問題を解決へと導くことを学ばなくてはなりません。これまでのところ、人類はこのような方法で集合的な問題を解決したことはありません。政治、経済、宗教においてさえも、人類は人生とその問題を顕現の外的で表面的なレベルで捉え、真の解決策を見出すことができていません。しかし、人類は成熟に近づいています。内なる良心、内なる意志、内なる思考プロセスを発達させることも学ぶでしょう。

 このグループの一員として道を熱心に歩んでいるあなたは、自らの問題であれ他者の問題であれ、外的な要因だけに気を取られて解決しようとすることがどれ程無駄であるかを、幾度となく経験してきたのではありませんか?解決策が長続きせず、後から別の形で問題がそれまで以上に強力に現れるか、これまで以上に否定的な状況に巻き込まれ、混乱し、堂々巡りをするかのいずれかです。しかし、一見したところの裏側、外的顕現の裏側を見ようと努力し、そこで直面する問題に真に向き合おうとするならば、最初は困難で不快に思えたとしても、やがて状況は決して絶望的ではないこと、関わる誰もが制御不可能な状況に依存することなく、素晴らしく現実的な解決策があることに気づきます。世界のスピリットがそのように機能し始める時、既存の問題全ては真に解決されます。この地球上の恒久的平和は、人類全体の成熟がこの問題解決の道まで達した時にのみ存在し得ます。そうすれば、力ではなく理性や公平性に頼ることができるので、暴力は不要になるでしょう。しかし、これを可能にする為には、例え外見的にそのような理屈がどれだけ助長されようとも、各国、各政府、各団体が、他者を責めるのではなく、自らの欠点を省察しなければなりません。同様に、人類の自己意識の成長は、自らの権利を主張し、罪悪感なく自らの価値を認識することを可能にします。虚偽の告発があったとしても、それによって弱められることはありません。これは、個人の自己意識の成長プロセスと同じです。

 皆さん一人ひとりが、絶えず自らの内にある真実に直面することへの抵抗を克服する決意を強く持ち、今取り組んでいる方法でこの道を追求すればする程、人類全体が一時的で浅はかな手段ではなく、適切な手段で問題を真に解決する段階に到達することに一層貢献できるのです。

 人類があらゆる側面で真に成熟した時に何が起こるのかという問いを深く考えているかもしれません。勿論、これは原理的な議論に過ぎません。何故なら、世界のスピリットが完全に個性化するには何百万年もかかるからです。人類の存在期間全体を経て、今ようやく青年期を終えようとしている段階ですから、成熟期に何が起こるのかはすぐに考慮することではありません。それでも、この惑星における人類の運命に関連する特定の霊的法則を理解する為には、その質問を投げかけなくてはなりません。

 何故それ程の時間がかかるのかと疑問に思っているかもしれません。非常に多くの個々の魂が関わっているからというのが、その問いへの答えです。人類全体が成熟するには、その個々の部分の全てが成熟しなければなりません。それはあなたの人格が、存在の側面のそれぞれを、既に成熟した側面と統合するまで葛藤を抱え続けることと同じです。この統合は強迫衝動的なものではなく、自発的で自由な選択でなければなりません。あなたは特定の感情的反応が抵抗しているのに、盲目的な衝動で自らに無理を強いることが多過ぎます。これは個性化や全体性を意味するものではありません。世界のスピリットが真に成熟していれば、未熟な側面に服従を強いることは、霊的現実の自由に矛盾しています。しかし、人類全体が成熟するにつれ、遅れをとっている人々の成長も加速するでしょう。全体的な雰囲気や影響は、より迅速な発展を促すでしょう。繰り返しになりますが、これは多くの主要な問題が向き合われ、解決されるにつれ、パスワークや自己対峙が容易になる個人になぞらえることができます。従って、時間という要素を固定することはできませんし、各期間に同じ時間が費やされるというルールもありません。幼少期は成人期の成長期間よりも相対的により長い場合があります。この時間的要素は、物理的な有機体がある状態から次の状態へと成長するのに要する、固定された時間と比べることはできません。

 さて、人類が全体として完全な成熟に達した後の運命について、再び個人のものと比較してみましょう。個々の実体は、完全な成熟に至るまで地球圏に縛られています。それは繰り返し戻ってきます。内なる能力を発達させ、他者とより多くの良い関わりを築けば築く程、その意識はより高まります。高次に発達した人間は、既に人間の領域の外にある新たな次元を認識し始めます。この進化のプロセスが進むにつれて、個人が放射するものはより洗練されていきます。既に分かっていると思いますが、その物質はより微細になり、あなたが今知っているような粗雑で荒々しい物質を溶解します。進化が進むにつれ、殆ど気づかない内に人は新たな身体物質となる魂の物質を創り出し、異なる世界へと引き込まれていきます。そのような人は最早、この地球に引き込まれることはありません。より微細な放射とより微細な物質が、彼らを相応の環境へと引き寄せます。これは、よく言われるように、ある居住地から別の居住地へと地理的に移る変化ではなく、霊的心理的な見方の変化であり、存在の在り方が変わるということです。世界のスピリットが総和としてこの状態に達すれば、世界のスピリット自体も又同じような変化を遂げるでしょう。地球圏そのものは更に微細になり、物質も益々微細になります。それに応じて意識のレベルも高まり、物質の振動も加速します。

 新たな段階、新たな時間の区切りを示す一年のこの時期に、このレクチャーはより良い全体像と、多くの思考の糧を与えてくれるでしょう。一般的な考察に役立つだけではなく、あなたの人生における、そしてパスワークにおける、最も個人的な問題にも役立つでしょう。このレクチャーについて話し合う中で、あなたが自らの個人的な問題について考え、それが世界の歴史や人類全体の発展とどのように重なるのか考えることは、多くの実りをもたらすでしょう。参加者の皆さんからいくつか例を頂ければ、これが非常に価値あるものだということが分かるかもしれません。

 さて、ご質問はありますか?

 質問:サイクルを完了するには何百万年もかかるとおっしゃいましたが、あなたの視点から見ると、幼少期や児童期をどのように数えられますか?これも何百万年という単位ですか?

 回答:勿論です。地球や人類がこれまでどれ程の期間存在してきたとされているか考えてみてください。

 質問:現在を青年期と見なすのであれば、文明や人種の興亡をどう説明しますか?彼らは興隆し、そして滅亡したのでしょうか?

 回答:この答えの一部の要素としては、これらの文明の魂の一部は、この地球上で既に発達を達成しているということです。その他の魂は自らの進化を完了させる為に、異なる文明や人種として再びやってきます。同じ環境に戻る必要はありません。答えのもうひとつの要素は、個人との比較です。あなたが人生や他者に対する生き方、つまり自分自身や世界の困難に対処する為の態度を若い頃に身につけたとしましょう。そのような努力には、建設的なものも破壊的なものも、現実的なものも非現実的なものも、数多くの側面が結びついているかもしれません。暫くの間は、その解決策でうまく切り抜けているように見えますが、年を重ねて状況が変わるにつれ、その解決策は最早通用しなくなります。そして、あなたはそれを捨て去り、おそらくは未だ歪んだままの新しい生き方を取り入れます。そうして更に後になってから、又それを捨てねばならなくなるのです。私達は、興亡を経た文明を、若者の外的あるいは内的な偽りの解決策、つまり自分自身と世界との矛盾する要素を結びつけた生き方に例えることができるでしょう。

 質問:エジプトの役割について説明していただけますか?ギリシャや他の文化に関しては、偽りの解決策の理論は理解できますが、エジプトに関しては、内なる知識であったかのような何かが失われています。

 回答:真のものが失われることは決してありません。エジプトと結びつけられていない為に失われたように見えたとしても、世界から全く失われた訳ではありません。それは、核心部分がうまくいかなかったとしても、問題解決の試みの建設的な側面を保持する個人の場合と同じです。この建設的な側面を保つ時、あなたはこれを結局は不満足に終わった特定の時期の一時的な生き方と結びつけて思い返すことはないでしょう。ひとりの個人、あるいはひとつの文明が、真実を発明する訳ではありません。真実は存在します。それは創造された存在によって用いられる為に存在します。決して消滅することはありません。

 親愛なる友人の皆さん、特に一年のこの時期に、あなた方の継続的な成長と自己実現の為に、特別な祝福を受け取ってください。この時代は、お話しした危機の時代のひとつを示しています。イエス・キリストのスピリットは、そうした決定的な変化の時代のひとつを目に見える形で体現しました。これは歴史上、幼少期から青年期への転換期となりました。幼少期から児童期、そして青年期へと移る間にこれ程長い時間がかかったにも関わらず、人類が成熟の入口に立つ現在まで僅か二千年しか経ていないという事実は、釣り合いが取れないように思えるかもしれません。しかし繰り返しますが、成長の段階は、肉体のように固定された時間で測ることはできません。更に以前にもお話ししたように、個人も又、多かれ少なかれ大人になり成熟している一方で、非常に未熟で破壊的な要素を抱き続けている可能性があります。人類が全体として成熟期に入りつつあるという事実は、この世界に大きな改善をもたらすことは間違いありませんが、それが破壊的な側面を排除するという意味ではありません。

 今夜、この特別なテーマを選んだことには深い意味があります。イエス・キリストのスピリットの転生は、青年期に達した子供が人間として感じるのと同じような激動と混乱を示しました。そのような時期、実体は多くの理想主義を見出します。若者は力と理想に満ち溢れていると同時に、暴力的で反抗的で冷酷な衝動を持っています。これはまさに、当時の人類が経験した時代です。

 この考えをマインドに留め、平和の内にあなたの道を進んでください。内なる光を燃やし続けてください。そうすれば、皆さん一人ひとりの内に、更なる成長、更なる個性化が進み、あなたは他者の真の内なる姿に到達してコンタクトできるようになるでしょう。あなたは、より自立し、より自由になり、より責任感を持ち、孤立感は少なくなるでしょう。皆さん全員に私達の愛、私達の祝福が向けられています。平和の内に、神の内にいてください!


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