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No.137  コントロールのバランス

Pathwork Guide Lecture No. 137
UNEDITED版
1965年10月29日


コントロールのバランス
BALANCE OF CONTROL


 親愛なる皆さん、ご挨拶申し上げます。大きくて暖かな力と愛の流れがここに集まっています。この流れや祝福は、あなた方の努力と成長、そして正しい方向に向かって切磋琢磨した結果です。ここに同席している方々はひとり残らずこの流れの一端を担っています。皆、この流れに貢献しています。そしてもちろん今夜この場に居合わせていない仲間も含まれています。

 今回のレクチャーでは、目標に到達するためのさらなる一歩のお手伝いをしたいと思っています。目標とは一体何でしょうか?1世紀そしてまた1世紀と、少しずつ形を変えながらも、すべての場所や文化において精神的な文学や宗教の教えとして「堕天使」や「堕落」が語り継がれています。これが本当に意味することは何なのでしょうか?大抵の場合人はこれを文字通り、時間と空間におけるひとつの出来事として捉えます。別の言い方をすると、昔々あるところに、ある場所で、ある出来事が起こり、話の主人公である人物はひとつの行動を通してある地位からまた別の地位へと移されるか、地理的な領域としての天下りを受けます。この捉え方はもちろんはびこった誤解です。人は堕天使や堕落が持つ本当の意味を理解することを難しいと感じるようなのですが、堕天使や堕落は実際には思考の状態を表しており、それ以上でもそれ以下でもありません。神からの分離は思考の状態であり、意識の状態です。そして神への回帰、創造主への回帰もまた同じく、意識の状態に他なりません。成長の道で人がある程度の段階に達したとき、自らの内側に力と知恵を発見しますが、この力と知恵は普段の意識的な思考とは違ったものであり、自分とは別の存在であると感じられることがあります。自分よりも大きくまた違う種類の存在が内側に住んでいるような感覚です。二つの違った脳が存在しているような感覚です。古いものと比較すると、最近発見した方の導きはより賢く、あなた自身を以前より満足な形で経験させてくれます。

 実際には別個の存在など関与していないので、もちろんこれは幻想ではあるのですが、この時点で人は神との再結合への最初の一歩を踏み出したと言えるでしょう。もはや完全に上から切り離された状態ではなく、神から目覚めさせられることも、動かされることも難しくない状態です。ふたつの思考や意識が存在している、または別個の存在が関与しているという捉え方においてのみ幻想なのです。分類されたり分割されたりしているというだけのことで、すべてはひとつの意識です。この分離が宗教で言うところの「堕天使」の 構成要素です。まったく同じプロセスを心理学では違った用語を用いて説明します。心理学が用いる統合とは神との再結合に他ならないのです。心理学ではまた、統合された健康な人は存在の中心から機能すると語っています。
       
 中心から分離するとそこには「知らない」と言う壁があります。内なる中心にすべての知恵、愛、そして力が存在していることを知らないのです。するとこの中心との接触を求めることもなく、さらなる混乱、間違えそして無知が生じます。内なる中心について無意識であればあるほど、この中心からの分離はより大きなものであることでしょう。

 自己意識をさらに獲得し、その結果壁の一部が崩れ始めるとき、そして壁の残りの部分がまだ抵抗をしているとき、時折起こる内側の中心との接触によって、あたかもふたつの思考や存在が関与しているかのように感じられることがあります。このように内なる自己が至福、善、そしてとどまることのない拡大への無限の可能性を抱きながら姿を現わすとき、それは今まで親しんできた人格からは完全に切り離されたものであるように感じられます。

 内なる中心は神の意識です。これは宇宙全体に浸透し、すべてを構成しています。つまりひとりの人の内なる中心は、他のすべての人の内なる中心とひとつなのです。葛藤や限界など存在しないことを知っているこの生きた和合にすべては満たされています。人生のすべてのプロセスで創造的な力が働いているとき、この創造的な力はひとつであり同じです。物質や意識の分離は幻想です。神との分離または「堕天使」と宗教が述べるときの本当の意味はこれなのです。人が統合への回帰や、内なる中心との接触に取り組んだ結果獲る至福の状態はこの道においての目標であるのみならず、すべての生きとし生ける存在にとって無意識のレベルでの目標です。

 皆さん、人の最も深い核の部分に保持されている力はあまりに膨大で、想像にすら及びません。できることといえば、ただ徐々にこの力が働いていることを確認し驚くだけです。初めは徐々に小さな形での確認に留まりますが、それでもほとんど奇跡と思えることでしょう。より知覚できるようになり、コンセプトやビジョンが引き伸ばされたとき、想像もできないほどに素晴らしい形でこの力が働いていることを知るでしょう。この力を自分自身の存在に呼び寄せることをもしもあなたが選択するならば、力があまりに膨大であるために「自分のものにする」「力そのものになる」または「力によって目覚める」など想像すらできないことでしょう。事はこれほどにシンプルなのです。

 今この瞬間、あなた方のほとんどはこの力からまだ分離しています。なぜなら、夢に思い描くような拡大を生き、調和に生き、ダイナミックで創造的な人生のプロセスを他者へ提供しそして他者からも受け取るのに必要なすべてを持っているということを本当の意味で信じていないからです。

 この生き生きとした中心に気づいていないということは、あなた自身が人生の流れに設定しているネガティブな要因に気づいていないということに直結しています。これらのふたつの側面は内で繋がっています。パスワークでまず初めに必ずイメージや間違った考え方、破壊的な感情や行動のパターンを暴くことに意識を向ける必要があるのはこのためです。これらに変化が起こるまで行うことで、あなたの内の神の意識は必ず続いてやってきます。同じような平行線は、人の内に住む一見かけ離れた、異色な意識に対しても見てとることができます。初めての試みで今までの無意識や破壊的な要素が表面に出てくるとき、多くの場合人は、内在するコントロールのきかない破壊的な存在が作用していると感じます。そして人はまず、ネガティブな出来事を外的な運命のせいにし、世界と人生に恐れを抱きます。しかし、自らの無意識にある破壊性を見つけるにしたがい、今のところコントロールが効きそうにない自分自身の無意識を恐れるようになります。ここでもまた、人はふたつの別個の存在が関与していると感じます。つまり目的と考えを持った慣れ親しんだ意識できる自己と、それとはまったく真逆のネガティブな目的と考えを持った新しく発見した方の無意識のふたつです。このワークを進めるにつれ、人は徐々に分離の要素を排除していき「内在する存在」に対する責任を認め始めます。内在する存在と繋がり、それが自分自身であると感じることができるようになります。つまり、この人は内在する存在に責任を負うことができるようになり、そしてこのころには本人とそれはひとつになっているのです。内在する存在の作用は最早意識的な意志に相反することはなく、エゴは目に見えない仲間へと導いてくれたあなたの一部と統合するのです。より知恵のあるエゴが道を決定します。知恵あるエゴと内在する破壊的な要素との戦いは、外側のエゴが破壊的な要素と自分はひとつであると気づくことができた瞬間に終わりを見せます。

 神聖なる中心も、破壊的なものとまったく同じプロセスを通ります。破壊的なプロセスに気づかなかったのと同じように、あなたははじめ神聖な中心に気づかないでしょう。思考が以前の知覚に対して疑問を感じるようになり、新たな可能性を視覚化するようになってくると、埋められていたものが姿を現わします。これは破壊性にも、人のうちで最も建設的で創造性が高い要素にも、それぞれに当てはまります。そのどちらにおいても、顕現の始めのころは自己から切り離されたものとして感じられます。熟考の後これらの要素も自己の一部であると受け入れられたときはじめて、自己はこれらを統合することができます。ネガティブな面においては、意識的なエゴとの統合のプロセスの中でネガティブは姿を消していきます。そして神聖な面においては、神聖とひとつになるまで意識的なエゴを目覚めさせ、そして動かし続けます。

 変えることができないと感じている気分や好ましくない状況があるとしましょう。そのなかのどこかに、あなたが直接的にそれを作りだした点があるはずなのです。なぜなら、そうでなければあなたがその状況に身を置いているはずがないからです。あなたが今苦しんでいる結果を実際には求めている自分と、その結果を経験している自分との間にある繋がりを無視し続けているかぎり、あなたは半狂乱であり恐怖に生き続けるでしょう。自らが招いたプロセスであると認めないよう尽力し、つまりは不親切な運命であると信じることを選んでいるのです。自分自身が関与していることに気づくまいと抵抗します。しかし、繋がりを見たいと望めば、見えてきます。そうすれば不完全であったとしても、あなたは自由になれるのです。この気づきが起こった場所においては、理解できない力にコントロールされ何も成す術がないと感じることはもうありません。今の苦境があなた自身によって作られていることを無視するのであれば(そして今でもまだ自分自身で苦境を作り続けているかもしれませんが)あなたは真に自分自身を敗北に押しやることになります。これに気づく必要があり、あなたの無知を除去する必要があります。

 たとえ疑問を抱くことになったとしても、あなたが経験することすべてはあなた自身が人生の流れに設定した原因が理由で起こっているかもしれないと考えるに至るとき、そして「どのようにかは分からなないけれども、自分が創り出したことだ。どこに、そしてどのようにこの原因を創り出したのかを知りたい」と思い、手放し、そしてポジティブな内なる力が答えを生み出すに任せたとき、あなたは必然的に知恵を手にすることになるでしょう。その瞬間、うっすらとではあるものの、はじめての平和の感覚と恐怖のない状態を経験するでしょう。なぜならあなたは内側では原因とその影響について熟考しているからです。これらすべての説明は新しいものではありません。以前にも違った形でお話ししています。同じことを繰り返しお話ししているのは、第二の天性にでもなっていないかぎり成長の過程で真実は忘れやすいものであるというだけではなく、内なるプロセスのネガティブな面とポジティブな面が並行する様子をあらましとしてお伝えする必要があるからです。自らの内でその両方が存在する可能性があることを意識できればできるほど、より双方を統合し自らがその両方と同一であるとみなすことができ、つまりはネガティブが解消しポジティブが引き継ぐことができるようになります。しかし、原因と結果について熟考し、あなた自身の意識的なエゴと共に気づきを育てていくことなしにはこの気づきを手にすることはないでしょう。自分の中にあるネガティブな側面を潔く白状することで、ネガティブが持つ偉大な力を獲得する能力が生まれます。自分は内側で破壊性を所有しているのだという自覚と責任を持つことで、それに支配されることはなくなり、同時に創造の中の最も素晴らしいもの、つまりはあなたの内の神性を所有しているのだと自覚し責任を持つ能力が生まれます。あなたが自分の中にある破壊性との同一を認め、自己決定する力を確立することによって、もう破壊性に支配されることはなくなるのです。今までのところ夢にも思わなかったような結果を達成するよう、宇宙の莫大な力はあなたを目覚めさせます。あなたの中の破壊的な要素がどのように働いているのか、土台となる動機を知ることで破壊性が辿る経路を判断することができるようになり、恐怖を感じることはなくなります。同時に、あなたに内在している偉大な力を恐れることもなくなります。そして意識的な思考によってこの偉大な力に型を築き上げることで力を使うことができるようになります。あなたが自らの内の破壊性を恐れているかぎり、神聖さをも恐れることになります。あなたが正面から自分の破壊性と向き合うことを望むことができるならば、そしてそのときはじめて人は破壊性に恐怖を抱かなくなります。

 神聖な中心との統合という目標はいっぺんには成し遂げられません。皆さんご存知のとおりこのようなプロセスには時間がかかるのです。内側の自己の中心と直接的な接触を確立している比較的開放された部分も、あなた方の中にはあることでしょう。この部分は最も好意的な結果を内的および外的な人生の経験としてもたらしてくれるでしょう。その他の部分は、意識が行き届いていないためにまだ壁に囲まれていることでしょう。これらの部分については、ネガティブなプロセスをどのような場面で引き起こしているのか、またどのように引き起こしているのか分かっておらず、そのためポジティブなプロセスを直接的に作動することができません。壁はせき止められていて、麻痺しているかのようです。気づきを通して自由をすでに獲得している部分では、内側にある核とコミュニケーションをとる能力を完全に手にしており、核によって導かれ動かされることができるのですが、気づきに至っていないこの部分においてはこれができず無能になってしまいます。つまりどのような破壊的な要素が働いているのかを知ることもできなければ、また同等にそこから抜け出すために必要な力からも切り離されています。このような状況に今日のレクチャーは有効です。

 力についてあなたが学び理解し、どのようにこれらの法則が働いているのか、内なる力、あなたの思考、あなたの意志の方向性、そしてこの力の効力を理解し使うことができるようになるとき、あなたの意識的な理知や意志、能動的な外側の思考や人格と内側の膨大な神聖な自己または内なる存在としてのあなたの中心、つまりは同時に宇宙の中心との間に分離はなくなります。

 中心からの分離があるかぎり、あなたは弱くそして見失った状態にあるといえるでしょう。内なる中心が単独で達成できることを、分離したあなたの外的な脳と人格は成し遂げることができません。外側の人格のレベルはひとつの目的に向かっています。それは、この内側の存在に到達すること、内側の存在の力を知ること、内側の存在の力と美と可能性を授かること、そしてこの内側の中心との直接的な接触を確立することです。外側の自己は内側の自己から生み出されるものに導かれ、動かされ、満たされることを許さなくてはならないのです。外側の人格が積極的に内なる存在の入る余地を作り出す時、内なる自己は瞬時に形をとっていきます。このプロセスでは外側の人格は最終的に内側の核と統合されます。

 内なる存在が単独で成し遂げられる事を外側の自己が成し遂げようと試したとしても成功には至りません。あなたは混乱、困難、そして恐れと痛みを経験することでしょう。最もイライラする形でもがくことになります。内側の存在の完全なる忘却によって、外側の自己はコントロールできないことをさらにコントロールしようとすることでしょう。これはより強いこわばり、不安、欠陥しているという感覚、そして恐れと挫折を引き起こします。しかしこの不必要な努力による疲労は、意味のない外側からのプレッシャーと伴って、人格が最も耐え忍ばなければならないところで諦めを誘ってしまいます。意味のある行動とはこの状態の真逆です。人格が無理に推し進めようとするところでは、手放しそして自己の内の上位の力に身を委ねることが必要です。そして人格が絶望という形で諦め、内側の核の部分を目覚めさせる可能性を持った考えを纏めず身を引いている場面では、努力と意志が必要です。内なる力が仕事を行わないかぎり手に入れることのできない望ましい結果に対し外側の意志は戦い、苦戦し、そして無理強いをしようとします。不幸なことに多くの場合ネガティブな思考のプロセスに溺れ、最も楽な方法を取ろうとする態度がはびこっています。緊張し、不安と共に押し進める態度はとても微妙かつ現実的な形で現れます。これは自分が目標に達成するために絶対に必要だと感じている他者の特定の態度に向けられます。この強制的な力は同時に抵抗する自分自身にも向けられます。しかし、確かに存在している内なる原因を人格が無視し、抵抗が起こり続ける限り、力ずくで他の感じ方を強制することはできません。

 道での成長が進むにつれ、コントロールに対するこのバランスの悪さは徐々に目につくようになるでしょう。そしてこれを観察するとき、事を反転させることができるのです。最も破壊的な考えのパターンや感情に対して諦めを抱いていることにはっきりと気付くことでしょう。このような破壊的な考えや感覚そして意志の方向性に対して自分が抵抗の少ない方法を選択していることが分かると思います。しかし今では破壊的な考えや感覚、そして意志の方向性が漠然と、ぼんやりとしか意識できないわけではなく、これらがもたらす結果を評価することができるようになっているのです。今抱えている問題であなたはひとつの建設的な望みをまとめ上げ、内側へと手を伸ばし、あなたの奥深くに住まう膨大な神聖なる自己を直接的に目覚めさせるのです。

 難しいことではありません。実際、あなたが現在起こしている行動や、経験している困難に比べてはるかに簡単です。あなたはただこう言えばいいのです「私、つまり外側の存在としての私は、この問題を解くことができません。絶望、恐れ、苛立ち、不確かな気持ちを生み出す考え方、感覚、そして行動に駆られているということは、私は今混乱と不真実にいるのだと分かっています。今ここで私は意志をもって自分の最も内なる存在である建設的な中心を目覚めさせ、そして接触します。この中心が今この瞬間に私が必要としている善であり生産的な考えや行動へと動かしてくれるのに身を任せます」そして手放すのです。成り行きに任せるのです。そして中心があなたを動かすのに任せるのです!あなたを通して内なる中心が考えるに任せるのです!あなたを通して中心が感じるに任せるのです!あなたがしなければならないのはこれだけです。こうすることであなたは、生命力の中心である最大効力を持つ力を目覚めさせることになるのです。この中心が段階をおってあなたを導いてくれることでしょう。

 今説明したプロセスは、一度きり、もしくは最終的なものではありません。はじめはうっかりそう感じてしまうかもしれませんが、そうではないのです。ある特定の場面では自分自身をしっかりと保ち、このアドバイスに従うことができ、実際に最も良好な結果を経験するかもしれません。しかしここであなたはこれが決定打であると仮定し、先にあるすべての段階をこの経験が満たしてくれると思ってしまいます。もちろんそうではありません。あなたはまだこの統合の始まりにいるのであり、この統合は意識的な努力なしには存在できないからです。同じプロセスを統合に向けて行わなければなりません。つまりは受け取り、組み上げ、そして適切な思考と意志を活性し、内なる中心が外へと姿を現わしていくのです。そしてこのプロセスを繰り返す必要があります。すべての接合点は次に気づくべき障害、取り除かれるべき障害を提示しています。困難やネガティブな気分が存在する時は毎回、容易に引きずられてしまうそのネガティブな状態をいちど止め、内側の存在と接触しようと力を絞ることが必要です。これはひどく難しいことではありません。比較すると簡単な方に入るのではないでしょうか。毎度このワークをするたびに、分離の壁の新たな一面が取り去られます。より深い理解、更なる生命力がやってくることでしょう。そして最終的にはあなたを動かしているこの力があなた自身の力だと感じられるようになることでしょう。よく考え抜かれた思考のプロセスによってあなたの外側の自己と、形となって現れようとしているあなたの中心がひとつになるのを感じることでしょう。第二の意識が存在している感覚はなくなり、また人生で起こる外的な出来事が自分とは何の関係もないと感じるようなこともなくなることでしょう。あなたは以前に感じたことのなかったネガティブな原因と繋がりを築き、そして今まで夢にも思わなかったポジティブな力とも繋がっていきます。生産的な真実の思考に満たされることとなり、また拡大と開けた視野で満たされることでしょう。すべての展開は望ましい解決策と創造的な成長をあなたに提供することでしょう。外側の思考のみに信頼を置いていると、どのような困難も乗り越えることができません。外側の思考が内側の存在によって満たされるようにしてください。こうしてはじめて具体的なそれぞれの問題を乗り越えることができるのです。

 正しいコントロールのバランスの再構築の最も良い例を次にあげたいと思います。すべての人は愛を必要としそして求めています。皆愛が欲しいのです。あなたが内側の中心から分離しているとき、愛を手に入れようとするあなたの態度はコントロールの真逆に位置することになります。コントロールのバランスがとれているとき、人は自分自身を自由かつ恐れなく人に提供します。そして同時に愛する人を自由にします。こんなときあなたは他者に強制もしないですし、所有する必要もなく、苦しいコントロールやプレッシャーを与えることもありません。そしてこれはつまり、他者もあなたを所有またはコントロールすることはできないということです。愛し愛されることに恐れを抱く必要はなくなります。このような枠組みにおいて、愛は最も素晴らしい自由であり、自らを許すならば愛は自ずとやってくるのだと気づくでしょう。愛を手に入れるために押し戦う必要もないと気づくことでしょう。あなたは他者を自由にすることができます。なぜならあなたは自分の分を受け取ることができると知っているからです。そして愛とはあなたのものです。なぜならあなたは愛をせき止めず、恐れず、抵抗することもないからです。愛とは浮遊する連続体であり、あなた自身から愛を奪わないかぎり何者もあなたから奪えないもの、それが愛なのです。あなた自身が終止符を打たないかぎり愛に終わりはありません。そして愛は完全に安全です。そこに危険はなく矛盾もまったくありません。つまり献身すること、愛すること、貢献することは、コントロールを失うことではないのです。本当の意味で自己決断の世界に身を置くとはこのことです。最良の意味で、緊張や恐れなくコントロールを手にしている状態です

 逆に歪んだ形では、つまり間違った形のコントロールでは、あなたは再び二者択一の状況に身を置いています。これは人を愛している状態でも、人を自由にしている状態でもありません。愛または、他者を自由にすることを間違った形で心に描いているのです。愛は殉難であり、でしゃばらず服従することであり、愛する人の犠牲となって自分を痛めつけることであるかのようです。歪んだ形において愛されるということは、愛する人を所有することであり完全にコントロールすることなのです。すると愛することには恐れがつきまとい、愛することは所有すること、服従すること、そして殉難を意味します。つまりあなたは愛を望んで止まないわけですが同時に、恐れもまた存在するのです。愛するということが示唆すること、そして愛されないのではないかという恐れが存在しているはずなのです。当然あなたは他者を所有しコントロールする自らの力を疑うようになり、この力が必要であり、この力自体が愛されている証拠なのだと信じるに至ります。コントロールされることと(愛されること)、そしてコントロールすることができないのではないかという恐れ(愛されること)は、間違った形で自由を与えることへ繋がります。その間違った形とは、身を退ける態度、冷淡、不関与、深入りしない態度、感情の麻痺、分離、そして愛することへの拒否といった形で現れます。このような歪みに巻き込まれているとき、あなたは愛と自由はひとつであると理解できません。このようなときあなたは愛と自由の欠乏を関連づけることでしょう。あなたが理知的にはより良く理解しているとしても、感情的には自由を経験しまた愛に自由を与えることができません。

 困難を外側の思考や理知または意志によって解決することはできません。問題をしっかりと見て、他者からコントロールされる危険なしに、惜しみなくそして怖がることなく自分を他者と分かち合いたいと表現することによって、内なる中心を目覚めさせなさい。愛と自由の統合を感じ経験することを望んでいるのだと自ら表現しつつ、他者に愛と自由の統合を提供しなさい。このように他者へ提供することで自分自身もこの統合を経験することになります。この段階に到達できるよう、そのために必要となってくる高潔の感覚とありのままの自分を受け入れる状態が確立できるよう導きを求めましょう。愛すれば愛するほど、より大きな自由と自身の個性が自分のものになることを発見することでしょう。この可能性を表現し、思考をまとめ、内なる力を目覚めさせることでこの統合を経験するための手助けを獲ることができます。すると今現在あなたがどのような問題を抱えているにせよそこから脱することができることでしょう。

 あなたの孤独、恐れ、そして困難はすべて、多かれ少なかれここに行き着きます。目的ある唯一のことを行っていないということ、つまりあなた自身の内側にある神性の核を目覚めさせていないというところに行き着くのです。これが唯一本物で、リラックスした、そして生産的なコントロールです。なぜなら実際には、あなたが身を委ねさえすれば、内なる中心はすべての問題を解決できるのです。そして身を委ねるためには助けを乞う必要があります。あなた自身の内なる存在は、危険を伴うことなく愛と自由を与える秘訣を理解しており、愛と自由を与え、自由であると同時に愛を受け取ることを理解しています。あなたの外側の自己はこれを理解することができません。外側の自己が真に理解していないことを、思考の状態として生み出すことはできません。あなたの内側の自己はあなたを助けることができます。助けを乞いなさい。

 あなたの問題が何であろうと、内なる核はその力を総動員してあなたが抱えているすべての問題を解決することができます。あなたの誤解が何であろうと、内に住まわるこの意識が間違えを真実の思考へと変化させることができます。この内なる核は即座に応じる準備ができているのですが、そのためには具体的に接触をする必要があります。内なる核は新しく刺激的で、やりがいのある考え方、見解、そしてアイデアであなたを満たすでしょう。真実の感覚と美、目的の導きとともにあなたを満たします。内なる核は必ず応じます。なぜならこれが法則だからです。これは魔法なんかではありませんし、まったく理解のできない難しい偉業を達成しなければならないわけでもありません。もしもあなたがその選択をすれば、今すぐにでもできることなのです。人生に起こるすべての本物でかつ建設的な行動と経験はこの内なる中心からやってきます。この最も深い部分にある自己、核、この神聖な物質は常にあなたのそばにあり、そしてあなたの内にあります。核から分離されたあなたの外側の思考が意欲的に接触を確立しないかぎり内なる核はあなたに応じることができません。

 今お話ししたことを理解しそして実際に行うことが今日ここにいる皆さんが最も必要としていることだと思います。どれだけあれこれと形を変えて同じことを伝えても、やはり忘れられ、見落とされ、軽視され、充分に考えてもらえません。あまりに簡単にネガティブさや破壊性に足をとられてしまいます。あなた方は躊躇なく外側の力に身を委ねてしまい、ネガティブなプロセスに一掃され渦へと連れ去られてしまいます。あなた自身が意図的に負の反応の連鎖を引き起こしたのだと折に触れて気づかなければなりません。そしてこの負の反応の連鎖は手に負えなくなり、もうこれ以上コントロールはできないと感じるところまできています。しかし、正しい思考と望みをシンプルにまとめ上げることによってコントロールは可能なのです。あなた方が成せる唯一の不断の努力はこれなのです、皆さん。あなた方が内なる核から分離しているとき、不必要に自分自身を疲労させてしまいます。あなたを目覚めさせ、今最も必要としているもので満たしてくれるであろう内なる力との意欲的な接触というたったひとつの努力をあなたはしようとしません。あなたがこの努力を行わないとき、この選択のために必要なエネルギーの100倍ものエネルギーを他に使うことになります。忍耐が必要であるまさにその場所で楽な道を選んでしまい、無駄となったエネルギーは失敗や絶望を生み出します。そもそもの始まりにあなたが作り出したネガティブ性や服従に逃げることに膨大な努力を費やしてしまいます。

 プロセスが逆転し、あなたが破壊的なプロセスを止める努力をするとき、そして意欲的に内側の力に接触するとき、この力や知恵によってあなたは目覚めることでしょう。これは瞬発的なプロセスであり努力なしにやってくるものです。しかし思考をひとつにし、ネガティブ性から脱したいと望み、そして内側の神聖な力に自己を委ねる努力はなされなければなりません。どのようなネガティブ性であれ、内なるものであれ外的な状況であれ、そこから脱したいと願わなければなりません。この簡潔な望みは明確かつ強いものでなければなりません。同時に内なる力に、一歩一歩の導きをもらえるよう手を伸ばすようにしてください。

 皆さん、内なる力が存在していることに疑いを持っているなどと言わないでください。内なる力を充分に経験したことがない方がいるとしても、それはあまり関係のないことです。今まだ疑問を抱いているとしても、お伝えしたプロセスを辿ることはできるのですから。建設的な結果を出すために、明確にまとめ上げた望みを表現することはいつでも可能です。そしてもしあなたが瞬時にアクセスが可能である内側にあるより大きな知恵と力の存在を疑っていたとしても「もしも存在していたとしたら」と仮定して知恵と力が顕現することを許し、誠実な形でその存在を試すことができます。試すことなく、ただ抵抗し論じ続けるのだとすれば、あなたは自分自身の疑問に誠実ではないということになります。何も失うものはないのです。なぜならあなたは外側の力のみに頼った結果望ましくない状況に自分を置いてしまった経験を充分にしているはずだからです。外的なプレッシャー、緊張、そして強制的な流れは、何事も成し遂げられなかったはずです。ですから今度はこの方法を試してみてください。この内なる力に自らを委ねるのです。建設的な意思の思考を編成したあとは、プレッシャーをかける必要も自らがどこかへ導く必要もありません。きちんと力が働く様子が分かるはずです。

 さて皆さん、今回私は大きな壁をひとつ超える可能性を皆さんに与えることになるであろう解決の鍵についてお話ししました。壁を超えるためにはこの鍵を使わなければなりません。これまでの間あなたが行ってきた方法ではなく、私が説明した形でコントロールを使うようにしてください。さてここにいる方々もしくは今日欠席されている方の中にはここで私が説明したことを部分的にすでに行えている方もいらっしゃると思います。それらの部分においてあなたの人生は最も成功した形をとっているのではないでしょうか。事はとても円滑に進みそして努力なしに運んでいるはずです。そして実際、外側の意志で建設的な望みをまとめる必要もなく、また内なる存在との接触をする努力も必要なくなっているかもしれません。なぜならすでに統合が成立しているからです。すでに故郷にたどり着いているのです。あなたの意識は完全にすべての表現において建設的です。つまり内側と外側の両方の意識の面が統一されているのです。そこに分離はありません。この部分において、あなたは調和を奏でています。あなたの人格の最果ての隅においても、破壊的な動機の痕跡は見られません。宗教の言うところの「救済」、心理学が統合と呼ぶこのような領域においては、心の健康や感情の成熟が見られます。

 同時に、人格のその他の部分ではいまだに葛藤、間違い、分離、疑い、無知、そして破壊的な目的という暗闇に包まれた領域が存在しています。今回私がお伝えした解決の鍵を使うことで、このような領域の成長のプロセスを大きく加速することができます。間違ったコントロールは壁をより強靭にしてしまいます。壁がまだ存在しているときであっても、より深くそしてより膨大なものに接触することであなたを目覚めさせ、壁を取り除きなさい。これを今現在あなた方が注力する主たるものとしなさい。この鍵が当てはまると感じる場所や自分にとって最も必要だと感じる場所に使い、日々のどのような時でも使うようにしてください。内なる中心に導きや息吹を与えてもらい、そして真実や建設的な見解、そしてエネルギーで満たされ目覚めたいという自分自身のニーズや要求をまとめることにたければたけるほど、中心の顕現はますます完全な形となっていくでしょう。そしてこの顕現は多様かつそれぞれにまったく違った形で起こり、それによって真にあなたを安定と信頼で満たしてくれます。自分自身を信じ自分の人生のプロセスを信じなさい。

 分離の壁を取り除くための正しいアイデアを、この建設的な力であり、完全さと美の核であり、健康と知恵であるこの力に求めなさい。その時々に最も効果的な瞑想を与えてくれるよう、息吹を与えてくれるよう求めなさい。そうすることで内なる中心との接触を確立するためのはじめのステップを踏み出す必要のある外側の思考でさえも、内なる力と知恵によって満たされることでしょう。つまりこれは相互作用なのです。より深くこのプロセスを掘り下げていくことで、より大きな安全を感じることになり、そして解決のない問題など存在しないと気づくでしょう。救済とは皆さん、外側の思考と内側の核を統合することに他ならないのです。この救済はすべての真実と光、そして安心と幸せにあまりに近いものだからこそ、あなた方はこれらに手が届くとは思ってもみなかったのです。あなた自身の深い中心に入っていきましょう。答えは自ずとやってくるでしょう。悟りが次に続きます。そして避けようもなく、危機は消え去るでしょう。さらに偉大な愛と力の源が目覚めを遂げています。なぜならここにいる多くの方々はただ理解するのみならず洞察やつかみ、希望や光を手にしているからです。あなた方が強制したり、服従したり、または甘言でつるような外側の力に頼っていないということをこの光は示しています。あなたは内に即座に利用可能な力を持っているのです。この力はとても安全で素晴らしいものです。ここにいる幾人かはこの力を感じ取っており、最も注ぐ必要のある部分にこの力を使える、その間際に立っています。この力を使うことによって、近く、あなたは危機や心を痛める混乱から脱することでしょう。

 皆さん、祝福と平和のうちにあってください。神のうちにあってください!




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