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Pathwork in Japan
No.142 幸せに対する切望と恐れ そして、ちっぽけなエゴを手放すことに対する恐れ
Pathwork Guide Lecture No.142
1996年版
1966年4月15日
幸せに対する切望と恐れ
そして、ちっぽけなエゴを手放すことに対する恐れ
THE LONGING FOR AND THE FEAR OF HAPPINESS - ALSO, THE FEAR OF RELEASING THE LITTLE EGO
親愛なる友人の皆さん、ようこそいらっしゃいました。皆さんに祝福を贈ります。そして、皆さんがこれから聞くことを理解し、吸収し、同化し、活用できる能力を持っていることを私はとても嬉しく思います。今日のレクチャーは、前回すでに取り上げたテーマの続きです。幸せを求めるという人間の根本的な願望と、同時にそれを恐れてしまう理由について話します。
幸せを手に入れることに対する恐れは、心の中のかなり深いレベルで生じます。人間は神経症的とも言えるような誤認や恐怖を無意識の中に隠し持っていますが、幸せに対する恐れは、それよりももっと下の部分で起きます。この恐れは、小さな外的エゴの持つ能力を手放すことに対する恐怖と直接的に結びついています。反対に言いますと、幸せに対する願望はエゴの能力から解放されたいという強い思いである、ということになります。過去にもこの話題を取り上げたことがありますから、今回は、もっと深いレベルに目を向け、皆さんがこれまで見たことがない部分を発見し、新たな理解を獲得できるように話すことが、私の使命となります。皆さんはそれぞれにこの道を歩んでいるわけですから、多くの人がすでに、幸せに対する願望と恐れが深いところで衝突し合っている、ということに気づいているか、あるいは、今まさに気づこうとしています。そして、この衝突はちょうど、ちっぽけなエゴ(リトルエゴ)を手放すことに対する願望と恐れが皆さんの中に同時に存在しているのと同じことなのです。
何度も述べているので、すでにご存知のことと思いますが、全ての物事には正しく理解されている側面と、歪められている側面の両面があります。外的エゴを手放すことについても、それは同じです。ですから、歪んでバランスを失い、それゆえに不健全な形で外的エゴを手放そうとすることも起き得るわけです。さて、この話を進める前に、「エゴの能力」とは何かについて確認しておきましょう。簡単に言うと、エゴの能力とは皆さんが直にアクセスできる能力のことです。意志に基づく思考や「外的意志」と私がしばしば呼ぶもの(つまり、皆さんが直接コントロールできる能力)がこれに含まれます。では、同じ能力でも、「直接的」に使えるものと「間接的」にしか使えないものとでは、物理的にどのような違いがあるのでしょうか?ちょっとした例を見てみれば、その答えはすぐに分かります。直接的な意志を使うと、たとえば、手を動かすかどうか、どのように動かすか、またはどんな行動にするのか、といったことを決定できます。これに対して、心臓の鼓動や血液循環を自分の意志で直接的にコントロールすることはできませんね。これと同じことが、心と感情のレベルにも言えるのです。ある種の感情をいつまでも持ち続けるように自らに強いることはできません。いくらがんばっても、感情を意志の力で直接コントロールすることはできません。ところが、思考の方向性を自らの意志で決めれば、最終的には望ましくない感情を、これまでどうやっても変えられなかった感情を、望むようなものに変えることもできます。同じように、心臓の鼓動や血液循環などを、自らの意志で行使できる能力を通じて、間接的に制御することはできるのです。
意志を間違った形で行使していると、その人の心は歪んでしまいます。意志を使い過ぎたり、本来は直接手の届かない部分まで無理にコントロールしようと試みたりすると、エネルギーが無駄に消耗され、活力が徐々に失われていきます。たとえば、自分が全精力を傾けて血液の流れを意志の力で変えようとしている姿を想像することができますか?もしも、この行為によって何らかの効果が生じるとしても、それは血液循環を悪くさせることでしかないはずです。実際に、人間はさまざまな方法で自らの血液循環を改善することができますが、これは外的意志の力で行なうべきものではありません。これと同じことが心と感情の部分についても言えます。皆さんは外的意志を誤った形で使い、間違ったアプローチを選びますが、その一方で、意志を自らの発展に役立つように活用することを拒みます。意志が本来の形で使われず、その能力が十二分に発揮されないと、その人のエゴもまた徐々に弱っていきます。逆に、意志を使い過ぎるのもよくありません。そんなことをしても、意志をいたずらに疲弊させるだけです。疲れ切った意志は、弱い動機にそそのかされ、自己(セルフ)の中から逃げ出してしまいます。こうなってしまうと、エゴを手放すことは一種の「逃げ」となります。この「逃げ」は、とても危険なものにもなりかねません。
エゴを適切な形で手放すためには、まずは自分のエゴを健全でバランスの取れたものにしなければなりません。健全なエゴとは、間違った考えや恐怖、破壊的な態度などを吹き込まれていないエゴのことです。そのようなエゴを持つ者だけが、何でも自分の意志で無理やりにコントロールしようとする態度を真の意味で手放すことができます。これこそが、皆さんに必要なことです。そして、エゴを健全なものにすれば、それは誰にでもできることなのです。幸せと調和を求める強い願望は、「エゴの力を手放したい」という思いから生じています。「真に素晴らしい経験とはすべて、エゴの能力をその厳し過ぎる支配とともにある程度手放した結果として生じるものである」ということを、皆さんは心の奥底ですでに知っています。ですから、「エゴを手放したい」という思いは、この奥深くに秘められた知識に基づいているわけです。全ての創造は、内的知性と叡智の直接的な働きかけによって、その姿を現実世界の中に現します。内的知性と叡智には、皆さんが普段使っている「エゴの知性」を遥かに上回る力があります。ですから、エゴの知性を使用するときには常に、この「内的知性」を活性化させたい、という意図を持つ必要があります。人間は最初、この内的知性の存在を知りませんが、徐々に、自分の意識、つまり意識できる自己とは別の所にこうした大きな力が存在していることを経験するようになります。そして最終的には、この「意識できる自己」と内的知性とを一つに統合できるようになるわけです。この統合を完成させるには、意識できる外的エゴを使って、内なる叡智、つまり心の奥底に存在する真の自己を活性化する方法を学ばねばなりません。必要なときに適切な形で外的エゴを使い、不必要なときにはこれを休ませる。このバランスを上手く保つ方法を学ぶ必要があるのです。
真に素晴らしい経験は全て、内的自己、つまり人間の意志を越えたところにある自己から生じます。外的エゴが素晴らしい経験を作り出すことはありません。内的自己と外的エゴがすでに統合を果たしている場合は別ですが、外的エゴが単独で真に喜ばしい経験を作ることはあり得ないのです。ですから、芸術や科学における素晴らしい創造も、偉大なる発明も、真に豊かで永続的な価値も、内的存在が創造します。霊的経験も、異性間の愛という恍惚の経験も、物理的な死という大いなる経験も、すべては内的存在から生まれるのです。人間は、死がとても悲しく恐ろしいものである、と間違って思い込んでいますし、霊的経験や愛の経験に対しても同じように恐怖心を抱いています。ただ、その恐怖が死に対するものほど明確には意識されていないだけです。人間はみな、深い霊的経験を恐れます。誰かを真に愛し、その人の愛をしっかり受け取るという素晴らしい行為を恐れます。個と個の結合という深い恍惚の瞬間の中にいるときでさえ、ちっぽけな自己(リトルセルフ)を手放すことを恐れます。人間は、叡智と真実とともに内的自己を表に出すことを恐ろしく感じ、そのために勇気を奮い起こすことができません。ところが、霊的経験や愛に対するこうした恐怖はあまり明確には自覚されていないので、結果的に死は恐ろしいという思いばかりが必要以上に強調されてしまい、死の恐怖は合理的かつ巨大なもの、とされてしまっているわけです。
外的エゴの力を手放すことを恐れる背景には、外的エゴをしっかりと維持していないと、人間は自らの生命を無くしてしまうという誤解があるのですが、では、この生命とは一体何でしょう?何を自分の生命だと考えているのでしょうか?一般的に人間は、自分のアイデンティティ、つまり自分は他とは違う独自の存在であるという感覚を失いたくないと思っています。そして、大変残念なことに、このような間違ったアイデンティティは、意志によって支配できる思考や意図といった外的エゴの能力としか関係がありません。そして、この間違ったアイデンティティ観のせいで、人は自分自身を失うこと、つまりエゴの能力を無くすことを恐れてしまうわけです。この見方では、エゴを喪失すると自分自身も消えるわけですから、それは死と同じことのように感じられます。この自分が無くなるという思いに怯える余り、人はちっぽけな自己(リトルエゴ)にますます強くしがみついてしまうのです。
霊的発展の歴史において、人間は、外的エゴにしがみつく状態の中に一時的に入れられました。適切なバランスを取り戻す方法を学ぶために、そうさせられたのです。そして、最近、人間はエゴの能力を使うことばかりを意識するようになってしまっているため、目の前の壁を乗り越えて真の生命に至ることができません。エゴから見ると、その壁はとても高く頑強なものに見えます。この結果、人は、このように物理的に分離していることこそが自分という個別性が確保されている状態である、と考えるようになります。もちろん、エゴが余りにも弱いと、その人の個の感覚が薄れてきますから、このようなエゴは強くしなければなりません。ただし、あくまでもこの強化の目的は外的エゴから緊張を取り除き、より深いところに存在しているために間接的にしかアクセスできない内的自己、つまり真の叡智に溢れる内なる自己と外的エゴとを再び統合させることでなければなりません。外的エゴにアイデンティティを求めてしまうと、エゴを手放すことが恐ろしくなります。そういう人にとっては、エゴを手放すことはアイデンティティを無くすことと同じですから、まるで自分が消滅してしまうような気がするためです。人間が物理的に分離しているのは、すべてこの恐怖が原因です。この最も根深い恐怖こそが、エゴを手放そうとするときに問題となるのです。ですから、外的エゴにしがみつくその手の力を緩めない限り、皆さんのところに真の幸せがやってくることはないのです。
エゴを使い過ぎると、真に素晴らしい経験をすることが難しくなります。本当に美しく、力強く、建設的で、有意義な経験は、意志によってコントロールできるエゴと意志に干渉されない自己が完璧なバランスを保っているところにしか起きません。意志による干渉を受けない自己は、自発的かつ自然に、間接的な形でその姿を現します。外的意志がこれを支配することはできません。皆さんが宇宙と一つになれたと感じる時、内的自己はその姿を現しています。人間は宇宙と一つになること、つまりワンネスを常に望んでいます。これは敢えて言うのもはばかられるほど自明の事実です。皆さんがそのことを意識しているかどうかは、この真実とは何の関係もありません。それが人間の運命であり、そうなるのが最も自然な状態だからです。宇宙と一つになることこそが、進化の流れに乗る皆さんが目指すところなのです。皆さんは、内的自己と完全な統合状態に至ることを深いところで強く求めています。この願望は、それが果たされない限り、どんな人の心の中にも存在しています。皆さんはこの完全なる統合状態に到達せねばならないのです。さまざまな恐れや勘違いのせいで自らを疎外し、人生から逃げ出そうとして、運命によって定められた道を無意識の内に塞いでしまうと、心の奥底に一つの葛藤が生じます。外的エゴと内的自己を一つにするという使命が、最大の願望である同時に、最大の恐怖にもなってしまうわけです。エゴを意志で厳しく管理し過ぎているところ、つまり、エゴを脇に置き、内的自己が表に出て来るための道を開けることができない部分には、このような願望と恐れとのぶつかり合いがとりわけ激しく生じているのです。
このような過度のコントロールがしばらく続き、内面のエネルギーが奪われてしまうと、多くの人は、この厳し過ぎる管理の下から抜け出そうとして、間違った手段に頼ってしまいます。エゴの能力に頼り過ぎてばかりいることにも、意志とは無関係な内的自己という、本来はエゴの能力を上手に使うために存在している部分をいつまでも奥底に押し込めていることにも耐えられなくなるわけです。このとき、人は何らかの救いを模索するのですが、大抵の場合は、間違っているだけでなく、非常に危険な方法を不注意にもつかみ取ってしまいます。ただ単に、宇宙の素晴らしさや豊かさを経験するためだけのために、人はそうしてしまうのです。アルコール中毒とドラッグ中毒は、エゴが過度に働くのを解放するための間違った手段の中でも最も行き過ぎたものです。また、自己疎外や自己と無関係を装うような心理状態もまた、アルコール中毒やドラッグ中毒ほどではありませんが、間違った方法に頼ってしまった結果なのです。これはすべて、意識無意識の別に関わらず、エゴからの逃避を後押ししています。自分自身から逃げるのにどれほどたくさんの方法があるかは、皆さんもご存知のことでしょう。ですが、それはすべて間違った方法です。勘違いをしていたり、不注意だったりするために、そうした誤った方法を選んでしまうのです。さまざまな方法を通じて、自己は自らを解放する術を探しますが、そのどれもが間違っているため、それをどんなに続けても絶対に上手くは行きません。そして、何度か失敗を繰り返した結果、人はエゴを手放すのは危険だという思いをますます強くしてしまいます。もちろん、だからと言って、エゴにますます強くしがみついてしまっても、それがバランスを崩す元々の原因だったわけですから、何の解決策にもなりません。健全で頑強で活力に溢れたエゴにしか、自らを手放すことはできません。このようなエゴだけが自らをすべて差し出し、より大きな存在である自己と一つになることができるのです。
私は今、人間の心がバランスを欠いているという話をしているのですが、実はここに、幸せとエゴを手放すことを強く求めながら、なぜそれを怖がるのか、という問いに対する答えがあります。エゴを手放せば、大いなる自己が姿を現し、創造し、皆さんを導き、ここに存在することができます。ところが、皆さんはエゴを手放すことを恐れ、内面に激しい葛藤を抱え、そこからなかなか抜け出すことができないでいます。厳しく管理したり、不安に駆られてしがみついたりしていては、魂の中に真のバランスをもたらすことはできません。調和の取れた、努力を要しない動きによってのみ、それは可能となります。そうした動きによって、人はそれぞれが持っているはずの力に対する気づきを深めます。このとき、その力を重荷と感じることもないのです。
このように完全な形で機能している部分が皆さんの人生の中にもあるはずですから、それについてよく考えてみてください。そうすれば、私の言っていることがもっとよく理解できると思います。そうした部分は、皆さんがこの世に生まれたときから解放されていて、最初から健全な形だったのかもしれませんし、あるいは、これまでの歩み(パス)とワークを通じて、健全なパターンを確立したのかもしれません。いずれにしても、そのような部分では、ポジティブな自己永続の原則が健全に機能しているわけです。
人間を構成するすべて、つまり、外的および内的活動、それも永続的で反復的な活動は特に、自己を存続させるためのプロセスに基づいていて、それぞれが磁場のようなものを形成しています。ある人が人生における特定の部分で常に行なう態度(これには、その人の行動や反応はもちろん、相手の反応とのやりとりも含まれます)は、附随するさまざまな思考、感情、印象、概念などとともに、エネルギーの源となる一つの核を形成します。この核からエネルギーが絶えまなく沸き出し、皆さんが磁場と呼ぶような一つの場を創造するのです。
普通、人が基本的な人生経験を積み重ねるうちに、この力の場が確立されていきます。経験にはさまざまなものがありますが、中でも最も基本となるのが、仕事、一般的な人間関係、物理的な価値、肉体的な健康と外的人生、外見と活動性などに対する態度です。また、自然、芸術、喜び、娯楽、霊的現実、自己発展、永続的な価値に対する態度や、知識の集積と同化もこれに含まれます。これらがそれぞれに分離したエネルギーの場を形成します。この中にはポジティブな形で自己を存続させるものもありますし、ネガティブにこれを行なうものもあります。どれがポジティブでどれがネガティブなのかは、個々によって異なります。エネルギーの場がポジティブな形で機能している部分では、物事はすべてスムーズに運びます。もがき苦しむ必要はありません。望ましい結果が、ごく自然に、調和した形でやってきます。問題や葛藤が生み出されることもありません。その人の内側と外側の両方から、適切な時に適切な行動が起きるわけです。一つ一つの瞬間にとって一番相応しい形で振る舞い、適切な発言をし、適切な行動を起こします。邪魔をするものはどこにも存在しません。全ては、自然の流れに乗って、あるべきところに収まります。インスピレーションやガイダンスはもちろん、そのときに手に入る最良の情報や能力がすべて適切に機能します。ただし、人は、こうした部分についてそれが当たり前だと考えてしまいがちなので、多くの場合、このすべてが上手く行っている様子に気づきません。よく注意してみてください。もちろん、そこではエゴも確かに一つの役割を果たしていますが、決してエゴだけが全てをコントロールしているわけではない、ということもわかるはずです。内的外的に存在する無数の要素をすべて上手く機能させることが、エゴだけの力でできるはずがありません。今ここで述べているのは、ポジティブに機能する磁場、またはポジティブな形で自己を永続させようとするエネルギーについての一般的な描写です。
これに対して、人生経験がネガティブな磁場の中にあるかどうかは、失敗はもちろん、プレッシャー、困難、悪いタイミング、フラストレーションといったものが現れているかどうかで判別できます。ネガティブな磁場の中に置かれていると、物事が上手く運びません。そうした状態に置かれている部分をよく観察してみれば、エゴが出しゃばり過ぎ、自分だけの力で障害を乗り越えることができるはずだと勝手に思い込んでいる様子が皆さんにも見えるはずです。そして、エゴがこのように働き出すと、痛みや失望や混乱といったものが生み出されるわけです。
人間は目の前のものしか見ようとしないため、ポジティブな磁場、つまりエネルギーの場が幸運で、ネガティブなものを不運だと簡単に決めつけます。もちろん、こうした外的な結果だけをコントロールしようといくら頑張っても、エネルギーばかりが無駄に費やされ、いつまでたってもネガティブな場をポジティブなものに変えることはできません。ただし、ネガティブな磁場を作り上げている要素については、その全てを直接コントロールすることができます。これはどういうことかと言うと、皆さんには、思考や感情や態度を含めて自分が実はネガティブなのかどうかを自ら検証することができる、というわけです。同じような思考や感情や態度をいつまでも続けたいと望むのか、それともそれを変えようと思うのか − 皆さんはこれを自分で決めることができます。何の希望もなく、どうしたらよいかも分からないような朦朧とした状態の中にいつまでも居続けるのか、それとも内面を適切な形で治め、自分の態度をポジティブなものに改めて自分自身を変えたいという思いを明確に述べることによって、内面を覆っていた深い霧を晴らすと決心するのか。これを決断するのは皆さん自身なのです。
物理的な存在の背後にある霊的真実を無視し、表面的なことにしか目を向けない人間ほど、何かあるとすぐに運命だから仕方がないなどと言い出します。迷信的慣習にとらわれて、そこから抜け出すことができない人のことです。「運が良い」とか「運が悪い」といったことしか信じられないような人は特にそうです。このような人には、表面的な物事の下に隠れている真実が見えないからです。こうした人々は霊的真実について考えることを始めから拒んでいるため、それを見ることができませんし、運が悪いと言っている部分は、実はその背後にある霊的真実と深く関係している、ということも理解できません。このよう上手く行かない部分を改善するには、自分自身の深い部分と正直に向き合う必要がありますが、そうするためには、まず、状況は自分で変えることができる、ということに気づかねばなりません。それから、変えたいという思いを覚醒させて、このような深い変化に必要とされる努力を怠ることなく、その願いを最後まで諦めずに持ち続ける必要があるのです。
ネガティブな磁場にはまり込んでいる人には、外的な意志を使って変化を求めることはできません。ネガティブな磁場を形成している正体を見破り、それがなぜ存在しているのかに気づき、それを作り上げたものが自己のどこにあるのかを理解するために、外的な意志を活用しなければなりません。これができれば、ポジティブな場は自然と形成されていくのです。
ネガティビティや破壊性がある限り、人は外的エゴ、つまり、支配しようとするエゴを手放すことを恐いと感じます。破壊性はネガティブな磁場から生まれ、自らを存続させようとしますから、外的なエゴによる支配を手放すことは、この破壊性というコントロール不能の力を自由にさせる、ということを意味します。この視点で見れば、皆さんがエゴを手放すことを嫌がるのも非常によく理解できます。これを恐れるのは、健全な形で自らを防御しようとする思いの一つの現れである、とさえ言えます。ですから、ネガティブな磁場を抱えている人がエゴを手放すことを恐れるのは、私たちにもとてもよく理解できる、当たり前のことなのです。意志による力でネガティブな磁場の場所を明らかにしようとすると、エゴを手放すことに対する恐れが感じられるはずです。無理に探そうとするのではなく、その場所がどこにあるか、自らに問いかけてください。そして、その存在をありのままに、しっかりと見つめるのです。もちろん、その際には、ポジティブとネガティブな部分を同時に見てください。これは大変重要なことです。ネガティブな磁場だけを持っている人はいませんから、ポジティブとネガティブの両方の働きを見比べてみれば、ネガティブな磁場の正体を暴くことに対して、もっと気楽になることができるはずです。
これもまた、皆さんが進むべき道(パス)なのですが、このワークについては、自己を存続させようとする力の場がどのように機能するのかをもっと正確に理解してから行なってください。そうすれば、ネガティブな場の存在にすぐに気づくこともできるようになりますし、これまで自分の中にそうした自覚が欠けていたことにも気づくはずです。エゴのエネルギーを間違った経路に無理やり押し込み、本来の流れを力づくで変えようとしていることに気づくはずです。ネガティブな場には信念、思考、感情、意図の破壊的パターンがすべて存在しています。これらのせいで、ちっぽけ存在でしかない外的エゴを手放すのを恐いと感じているのです。ネガティブな力の場の働きがよく分かれば、自分がどうして幸せを恐れ、外的コントロールを止めることを怖がっているのかも、自然と理解できます。ネガティブな磁場は存在を暴かれ、正体を明かされた瞬間からその影響力を弱め始めますから、それと平行する形で、ポジティブに自己を存続させようとする磁場が次第に形成されていくのです。
ポジティブな磁場が上手く機能しているところでは、意識の有無に関わらず、信頼が必ず存在しています。心の中にポジティブな磁場が増え、ネガティブな磁場が減るほど、エネルギーの場に対する信頼も高まります。そして、このエネルギーの場こそ、皆さんの人生を意志によって左右されるエゴの支配から解放してくれるものなのです。また、エネルギーの場に対する信頼が高まるほど、ちっぽけな外的エゴを手放すことも簡単になります。このようにしてエゴを解放し、自然の流れに任せ、内なる存在と一つにしてください。内なる存在、つまり皆さんの奥深くに存在する大いなる自己にこそ、皆さんがこれから必要とする力と源のすべてが備わっているのです。
生命、自己、神に対する信頼を確立するには、これ以外に方法がありません。信頼なくして、エゴをその厳しい管理下から解放してやることができるはずがありません。自分の生命を信じられない人に、宇宙を信頼できるはずがないのです。永遠に痛みばかりを感じさせるこのネガティブなパターンを終わりにし、ネガティブな磁場を変えていくには、これしか方法がないのです。どこにいるかも分からないような遠い存在の神を信じろなどというのはどう考えても無意味なことだし、第一そんなことができるわけないと考える人もいるでしょう。ですが、ネガティブな磁場がどのように機能し、なぜそれが存在するのかということを理解し、実はそれは無くてもいい存在なのだという事実を知りさえすれば、生命を信じ、それゆえに神も信じられる、あるいは宇宙の力と法則を信じることができる、ということも自然と分かるはずです。たとえ、ネガティブな磁場がポジティブなものに変わる前でも、このように信頼することが正しく価値あるものだということを、基本的には皆さんもすでに知っているはずです。ネガティブな磁場の下には何かが隠れていて、その何かは自分の頭でも理解できるし、外的意志や思考を通じて信頼し活性化することもできるということを、皆さんは、ぼんやりとではあるかもしれませんが、ちゃんと知っているのです。その何かこそが、ポジティブな磁場を形成する力です。もちろん、最もネガティブな形で自己を存続させていこうとする流れの下にも、このポジティブな力は必ずあります。収縮して隠れているのです。皆さんがそれにすぐに気づかないのは、普通、ネガティブなプロセスの外側だけを意識しているからです。そして、この力が大きくなればなるほど、エネルギーの流れを破壊的から建設的に変えることも楽にできるようになるのです。
エゴを強く健全なものにして、完全に信頼できる内的自己と統合するには、これしか方法がありません。内的自己は間接的な形で機能します。そう、人生とはすべて「間接的」に、努力を要さずに起きるものなのです。もちろん、皆さんが常に受け身の存在であるということではありません。私が言いたいのは、どんな物事も皆さんだけのために起きはしない、ということです。すべての物事は皆さんとともに起き、皆さんの中を通過します。これに対して、皆さんは知らず知らずのうちに不十分な形で反応を起こすわけです。人生というプロセスから外れ、いつまでも受け身でいたいと思う人には生きるということの本質が理解できていませんし、その人に課せられた役割にも気づいていません。物事をすべて自分の意のままにコントロールしたいと望むような人にも、これと同じことが言えます。エゴは疎外し過ぎても、酷使し過ぎてもいけません。自分の中には非常にパワフルな存在があり、それを活性化させて本来の力を発揮させることができるということに気づいて初めて、人は適正なバランスを確立することができます。こうした力が潜んでいるからこそ、人はそれを恐れて、エゴに過度な負担をかけ、本来できる以上の仕事をさせてしまうのです。この内なる存在、つまり内的自己を活性化させることでしか、エゴと内的自己とを調和させることはできません。そうして初めて統合と信頼が確立されます。豊かで大きな内的自己が解放されて、その姿を現すことができるのです。霊性のかけらの中に逃げ込むのではなく、外的エゴと内なる自己とを完全に統合させるのです。
では、何か質問がありますか?
質問:統合状態に到達するのに、何か中間的なプロセスはありますか?必ず通過しなければならないプロセスはあるのでしょうか?
答え:このパスワークがそれです。これまでに話してきたワーク、そしてこれからもお伝えしていくワークのことです。これは一言で言うと、気づきのためのプロセスです。これは簡単なことのように聞こえるかもしれませんが、実際に行なうのは決して容易なことではありません。と言うのも、人間は往々にして刺激や欲望によって支配されてしまうからです。人間は、刺激や欲望について、それがいかに正当なものであるかを言葉巧みに説明することができますが、実際のところ、その本質を完全には理解していません。自分自身について深い部分まで気づいていくことは、長い長い道のりですから、これを諦めずに最後まで歩き通すためには、自分に100%素直になるという大変な勇気が必要です。これができて初めて、人は最終的な統合に至ることができます。他に方法はありません。
質問:最近、私には心理的なブロックがあります。集中して、レクチャーで教えて頂いた方法を試そうとするといつも、からっぽの部分が現れます。その中を通過するのはとても大変です。エネルギーをたくさん使わなければならないし、ものすごく疲れます。何か良い方法はないでしょうか?
答え:まずは自分自身をよく観察してみてください。考えたい、瞑想したいと思う感覚は内側から生じることもありますし、外からやって来ることもありますが、いずれにしても、そうしたテーマが生じるとすぐに、それについて不安を感じてしまっていることに気づくはずです。最初、この不安は、理由はよくわからないけれども、何となく落ち着かなかったり、いらいらとしたりというような感覚として現れるかもしれません。そのようなときは、すぐにこの感覚の正体を暴いたり、その理由を突き止めようとしたりしてはいけません。まずは、いくつかのキーワードを紙などに書き出してみてください。これはとても大切なことです。と言うのも、こうしたキーワードは、すぐにあなたから見えないところに隠れてしまうからです。なんとなく不安を感じるのはどんな瞬間ですか?どんな状況でそう感じますか?そのとき、どのような考えが頭の中を瞬間的に通り過ぎますか?すぐに消え去ってしまうこうした断片の一つ一つを見失わず、しっかりとその場で捕まえてください。これを数日から一週間ほど続ければ、一つのリストが完成します。このリストをよく見れば、そこに一つのパターンまたは何らかの共通点が浮かび上がってくるはずです。これは割と簡単にできます。すると今度は、その背景にあるもっと大きなネガティブな磁場、いわゆるエネルギーの場の姿も見えてきます。このネガティブな場は、あなたが真実を避けているために作り出されているものです。
真実を避けていると、不要な苦しみ、あなたを押しつぶそうとする重荷、さまざまな恐れ、自己からの逃避といったことが必ず生じます。反対に、真実と正面から向き合いさえすれば、救いと成長が手に入ります。自分は真実を恐れているということが分かれば、自分に対してこう言うこともできます。「もう、真実を恐れません。私の感じている恐怖には何の理由もありません。論理的でもないし、本当に理不尽なものです。この恐れは真実とは何の関係もありません。だから、私はこの恐怖に絶対に負けません。たとえ真実がどんなものであっても、それと正面から向き合うと決心します。そして、そのために必要な助けを私は求めます」このようにご自分に宣言することができるはずです。
このように決意し、自分の中にあるネガティブな部分を理解できれば、道は再び開かれます。そして、数々のブロックも消えていくことでしょう。もしも、リストの中に共通点を見つけられず、向き合うことを避けている問題がよく分からないようであれば、霊媒(ミディアム)と一度セッションを行なうといいかもしれません。そこで道が開かれれば、後は自分で進むことができるはずです。時には、深く有意義なセッションを一回行なうだけで道が開かれることもあります。また、こうした外的なセッションを持たずに自分の中のネガティビティを見つけられる場合は、進むべき道が自然と見えてくるはずです。これでもまだ上手くいかないようでしたら、また尋ねてください。今度は、別のやり方を教えします。よろしいですか?
コメント:ええ、やってみます。まあ、多分やると思うのですが…。
答え:「多分やるだろう」という言い方からも、あなたが故意に、それもはっきりと意識しながらブロックを作り出している様子が見えますね。今の発言こそ、あなたが外的意志の能力に頼っているという明らかな証拠です。よろしいですか? このブロックは、決してあなたの手の届かないところに存在しているのではありません。あなたは、このブロックに翻弄されるがままの無力な被害者などではないのです。あなたには「まあ、多分やるだろう」ではなく、「はい、やります」と言うことができます。「絶対にやる」と自信を持って宣言することができます。それは手を延ばせば届くところにあるのです。
質問:私にはとてもポジティブな磁場がいくつかあるように思いますが、同時に、とても不幸な磁場も持っています。それで今、私にはエゴに関して二つの感覚があります。エゴが全てを行なっているという感覚と、エゴが完全に逃げてしまっているという二つの感覚です。要するに、あれか/これか、といった感じなのですが。
答え:あなたが言っていることは、まさに今日私が伝えようとしたことです。あなたは今日のレクチャーの内容を見事に体現してくれています。この問題をこの場に持ってきていただき、本当に良かったと思います。あなたへの答えを通じて、今日のレクチャーで伝えたことの実例を皆さんに見せることができるからです。あなたの中にはネガティブな磁場が存在していますから、当然ながら、エゴを手放すことはあなたにとってとても恐ろしいことですね。それはちょうど、なにか危険なものに自分を明け渡すことのように感じられていることでしょう。ここで、あなたに残されたもう一つの選択肢はエゴに必要以上にしがみつくことで、これはまさにあなたが現在習慣的にしていることです。
ですから、あなたに今必要なのは、概略ではありますがこのレクチャーで私が話したアプローチを使って、事実をしっかりと認めることです。どうぞ、このように決意してください。「私の中にはネガティブな場があります。ですが、この場が存在すべき理由はどこにもありません。これは絶対に逆らえない運命によって定められたものではないのだから、私にはこれを変えることができます。この場が存在している理由を正確に理解し、どうしてそれが私という自己をネガティブな形で存続させようとするプロセスなのかをはっきりと知れば、これを変えることができます。だから、私はポジティブな場を作ることを宣言します。それは、自分の中にある否定性と破壊性を自覚して初めて作れるものです。ここには、破壊性に伴う喜びの原則、つまりネガティブな歓びのどんな法則が隠れているのでしょうか?その答えを完全に見つけることを、私は意図します」と。
このように決意すれば、負のエネルギーがネガティブな歓びの原則を通じてどのようにして作られ続けているのかを明確に知ることができます。そして、これこそがあなたの向かうべき道なのです。以前にも話した通り、ネガティブな形で自己を存続させようとする磁場は、喜びを求める欲望が何らかの特定の破壊的パターンに附随しているときにだけ発生します。あなたは、このような望ましくない部分を改善することに対して抵抗していますが、その抵抗の一部は、あなたの中に隠されている恐れです。この恐れは誤認に基づいた非合理的なもので、このように言います。「もしもこの構造、この磁場を手放してしまったら、私の中の否定性とそこに附随する喜びによって構成されているものをすべて無くしてしまったら、二度と喜びを味わうことができなくなる」と。つまり、あなたはネガティブな部分を無くしてしまうと、喜びもどこかに消えてしまうのではないかと恐れているわけです。ですから、まずは喜びは決して奪われないと納得し、それから、この恐怖が無意味で滑稽なものであるということを、意識的で理性的な思考を行なう自己の部分で確認していく必要があります。喜びは永遠にあなたのものです。ポジティブな環境の中で、喜びは永遠に大きくなり、より望ましいものになることができます。事実、まだ何も歪みが生じていない頃、人間の内面は完全なる喜びに包まれていたのです。
コメント:喜びを手に入れるのに、私たちは間違った代償を課してしまいがちですが、そんなことは必要ないのですね。喜びに代償は要らないのですね。
答え:そう、まさにその通りです。他に質問はありますか?
質問:最近、ある人と付き合い始めまして、私はこの人のことがとてもとても好きなのだと思います。それで、本当の自分以上の振りをして、この人にもっともっと私のことを好きになってもらいたい、ほめてもらいたい、と思っているところがあります。ですが、私の中にはこの関係について強迫観念のようなものもあります。と言うのも、この関係を始めてからというもの、進歩が遅れがちだと感じるからです。ワークのペースはもっと上げられはずなのに、どうも進歩がそれに付いていかないような感じです。また、私の中に残っているいくつかの問題がこの関係を悪くして、最後には完全に駄目にしてしまうのではないか、とも感じるのですが。
答え:まずは、後半の質問から答えましょう。自分の中に残る数々のブロックが誰かとの関係を駄目にし、最後には完全に破壊してしまうのではないか、あなたはそう恐れています。確かに、あなたが恐れているようなことは実際に起きます。そんなことは起こらなどと言う人がいたら、その人は正直ではありません。ですが、たとえ関係が駄目になるにしても、一度だけそれを経験するのと、同じことを何度も繰り返した結果、あなたが心の冷たい無情な人間になり、世の中から完全に隠匿してしまう姿とを比べてみてください。どちらがあなたにとってより辛いことですか?こうした出来事に間違った理由をつけてしまうことによって、あなたの人生がどれほど破壊的なものになってしまうか、そしてそれがどれほど悲しいことか、想像してみてください。そして、それとは反対に、一つ一つの経験からしっかりと学ぶことがどれほど建設的か、よく考えてみてください。今まで一度も好機を逃したことはないし、大切な関係を駄目にしたこともない、などと言える人はどこにもいません。そのように人生を送ることができる人は、本当に誰一人としていないのです。この世に転生した魂はどれも、未解決の問題やブロックを何かしら抱えています。あなたの場合は、次のような態度で問題に向かってみてはどうでしょうか?「そう、確かに私には問題がある。そして、こうした問題のおかげで、誰かとの関係は不完全なものになるだろうし、もしかしたら、それが原因で関係が終わってしまうかもしれない。けれど、人生とはそういうもの。だから、私はあらゆることからできるだけのことを学ぶ。私を通り過ぎていく一つ一つの物事に対して、そのときにできる一番建設的な態度で接するようにする」と、いつでもこのように意図することをお勧めします。
また、あなたが誰か特定の人に惹かれるということは、その人もまた、あなたと同じような問題を必ず抱えているということを意味しています。もちろん程度の違いはありますが、基本的には同じような問題を抱えているのです。そのことを忘れないでください。ですから、関係が上手くいかないときには、必ず、相手にも同じように責任が必ずあるわけです。決してあなただけのせいではありません。実際、あなただけの力で二人の関係を悪くすることはできません。あなただけのせいでも、相手だけのせいでもありません。それは二人の仕業なのです。他の人たちが間違いを犯すはずがないし、「あの人たち」みたいになれない私が悪いに決まっているともしあなたが感じるのならば、それは心のどこかに強迫観念が隠れているか、心配し過ぎているかのどちらかです。完璧などというものはどこにも存在しません。その時々で自分のベストを尽くすこと以外にできることはありません。これは誰でも同じです。これが分かれば、もっと楽な気持になれるはずです。さらに大切なのは、自分の今の限界と、それに附随する全てを受け入れることです。そうした限界や制限を取り除くためには、まずその存在を受け入れることが絶対に必要です。さまざまな限界や制限を抱えながらも、あなたは一つ一つの出会いの中にたくさんの喜びを見つけ、さらにはその喜びを大きくすることができます。そしてもちろん、そうした一つ一つの触れ合い(コンタクト)があなたを向上させてくれます。そして最終的には、他人に対しても、コンタクトをすることも、愛することも、さらには自分自身をもまったく恐れないようになります。このようにして、一つ一つの触れ合いの中にさまざまな学びや助けを見つけることで、あなたは相手の成長にも貢献します。すると、それがまたあなた自身のさらなる安全性の確立へと繋がっていくわけです。このような態度をいつでも保っていれば、幻想や歪みの中に入ってしまうことは二度とありません。常に現実を見つめ、目にする一つ一つの物事を基にして、そこから成長していくことができるわけです。もちろん、たくさんのブロックが全部いっぺんに消え去ることはありません。そんなことを期待してはいけません。ですが、ブロックを少しずつ消していくにつれて、一つ一つの状況からより多くの喜びを受け取ることができるようになります。他の人々はみんな自分とは別の場所、言わばフェンスの向こう側にいて、何の問題も抱えていないし、完全な人間関係を築いているなどと考えてはいけません。他の人たちは関係やチャンスを駄目にするようなことはないのに、自分だけがいつまでも壁を越えられず、一人取り残されているなどと思い込んではいけません。このブロックをさっさと取り払ってしまいさえすれば、みんなの仲間入りができ、他の人たちみたいに素晴らしい人になれるなどということは絶対にないのです。どんな人間も注意が足りないために、好機や関係を毎日のように駄目にしています。ですが、間違いを犯すことですぐさま世界が終わるわけではありません。私が言ったような眼差しで物事を見つめ、失敗から大切なことを学んでいけば、失敗自体はそれほど恐れることではないのです。
関係とは、良いものも悪いものも含めて、すべて相互に作られるものです。人間関係に問題を抱えている人は、この点を必ずしっかりと胸に刻んで帰ってください。関係とは、決して一方的なものではありません。この点が理解できれば、人との関係について自分がどのような影響力を持つのかも自ずと分かってきます。人間の中には、これに関して明らかに矛盾する奇妙なバランスが存在しています。ある人の中の小さな子供の部分(インナー・チャイルド)が自己中心的であればあるほど、その子供は一方的に相手から受け取ることを期待します。そして、こうした自己中心的な人は、ある関係性の中で自分の立場が弱くなり、どうしようもなくなると、今度はその失敗を自分一人のせいにするのです。こういう人は、結局のところ、自分の欲望やニーズのことばかりを考え、自分のことしか見ていません。誰かとの関係における経験も、すべては自分のことでしかありません。ですから、関係が上手く行かなくなったときに、その失敗を相手と共有することもできるわけがありません。自分の内側には相手に与えるだけの大きな力が備わっていると気づくことができないのです。
反対に、自己中心主義が退き、自分を他者と同じレベルにいるものとして経験することができるようになれば、誰かと関係を結んだときにも、相手に対する気遣いや思いやりというものが大きく育まれるはずです。そうすれば、自分には力があり、その力を使えば誰かを幸せにすることも不幸せにすることもできるという感覚がすぐに沸いてくるはずです。これまでそういうことは他人任せにし、すべて人のせいにして自分は無関係だと思っていた人も、実は自分にも同じことができる、ということが分かります。すると、皆さんの中に大きな安心感が芽生えます。自ら進んで与えるようになれば、今度は自分が受け取るに相応しいと感じるようになるはずです。このような感覚の移動が生じるときには、相手を責めることと自分を責めることとの間に、明らかな変動を感じることでしょう。
おねだりをする子供のように振る舞い、相手に対して一方的に何かを求めることをやめれば、自分の中には実は強さがあり、相手に与えるだけの十分な力も備わっていることが分かります。これを知れば、知性、観察、直観といった部分を使うこともできるようになります。また、一つの関係の中で、あるときは能動的に、またべつのときは受動的にという風にご自分のエネルギーを使い分けながら、この関係の維持発展に貢献する際にもこの認識は役に立ちます。自らに備わる強さと力を知ることで自由が手に入りますし、また、関係とはお互いが協力して作る一つの調和なのだという感覚も生じます。もしも他者が何の問題も無い人だというのならば、その人の健全な状態によって、あなたとの関係に生じているすべての困難は解決されているはずです。これこそが、真に霊的に健全な状態が持つ力だからです。
親愛なる友の皆さん。あ皆さんは今日私が出した「霊的な食べ物(スピリチャル・フード)」をすべて食べることができます。そうすることで、皆さんは自らを滋養し、ますます拡大することができます。そうすれば、ポジティブな磁場とネガティブな磁場が自分の中のどこに存在しているのかをしっかりと見つけることも可能となります。そしてもちろん、本気でそれを欲し、最後まで進んでいく準備が整いさえすれば、ネガティブな磁場をポジティブなものに変えることもできる、ということについて深く考えるための役にも立ちます。皆さんに祝福がありますように。そして、平和に抱かれ、神の中に抱かれることをお祈りします。
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