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Pathwork in Japan
No.150 自分自身を好きになること「普遍的至福の状態の条件」
Pathwork Guide Lecture No. 150
1996年版
1967年3月10日
自分自身を好きになること「普遍的至福の状態の条件」
SELF-LIKING: THE CONDITION FOR UNIVERSAL STATE OF BLISS
ようこそ、親愛なる友人の皆さん。ここにおられる皆さん全員、そして自己実現と解放の道をワークしている私の友人達に祝福を。多くの方々が進歩を遂げています。今夜は、皆さんの多くが、今こそ最も必要としていることについてお話しします。外側の耳と同じく、内なる耳でも聴いてください。
宇宙は、あらゆる生命体が常に至福の状態でいられるように構成されています。至福は、単なる理論上の可能性ではなく、人類の本来の在り方なのです。それは自然の法則です。至福の状態でない人は、不自然で乱れた状態だということです。友よ、この事実を理解し、その重要性を認識することは大切です。
私がお話しする至福とは、今生の未来や、物理的状態を超えてからの生における、漠然とした約束ではありません。それは今ここで、まさに今、可能なのです。至福の獲得は、何か複雑な偉業や、今のあなたの在り方とかけ離れた、完璧な状態に依存しません。外的な出来事や、何かが変わらねばならない訳でもありません。人は、あれやこれらが今と違っていたならば、自らの幸せの前に立ちはだかるものはなかった筈だと信じます。しかし完全なる幸福は、今のあなたのありのままで、直ぐに手に入れることができるのです。
人類は無意識の内に、至高の喜びは全ての者の生得権であると知っており、誰もが絶えずそれを求めて努力します。自らの努力が誤った方向に向かっていることに気づけるかどうかに関わらず、その努力が存在するという事実は変わりません。一度正しい方向に探す術を学べば、探しているものは見つかるでしょう。それでは、この探求におけるふたつの側面についてお話しましょう。
意識的、あるいは無意識的に求める至福の状態に到達できるかどうかは、自尊心、つまり自分自身を好きになる能力に直接左右されます。方程式は常に等式で表されます。自分自身を好きになる度合いと全く同じ度合いで、幸せも存在します。自分自身への好意が欠けていると、精神はその本来の状態を経験することが阻害されます。このことは結果として、あなたを普遍的な力から疎外し、宇宙の力、つまり至福の一部となることを妨げる障壁を設定します。自分自身を好きになれない理由が、妥当なものかそうでないかは問題ではありません。どちらも等しく障害となります。
自らをどう考えるかを再評価することは、自己実現のプロセスの一部です。何故なら、人は往々にして誤った理由から自分自身を嫌うからです。以前にお話ししたように、繊細な内的メカニズムが精神的なプロセスを制御している為、自己嫌悪の正当な理由が意識的に認識されて受け入れられない場合、偽りの罪悪感や、過剰な完璧主義の基準が生み出されることになります。従って、偽りの罪悪感を引き起こすか否かに関わらず、人格が本来の姿を発揮することを阻害することは、常に個人の誠実さを侵害する行為と言えます。この内的メカニズムは正確です。
自己欺瞞や意識的な否定では、自己嫌悪の影響を完全に消し去ることはできません。最も悟りを開いた人でさえ、この事実の重要性を未だに無視しています。過去のワークの中で、私達は誠実さ、ひいては自尊心を損なう多くの具体的な要因について話し合ってきました。自己実現への道は、最も微細で無意識な魂の動きや、態度に対処しなければなりません。何故なら、その影響は、殆どの人が想像するよりも遥かに大きいからです。
自己実現と解放は、自然で普遍的な法則と基準を受け入れるという個人の自由な決断によって決まり、その決断に対する全責任を自ら負うことにあります。これは、人生と個人の内に作用する自然の法則に忠実であることを意味しています。これは、受け継がれてきた価値観、押し付けられた基準、あるいは文化的慣習への忠誠とは異なります。このような解放されたマインドの状態は、外側の意見や基準を自動的に受け入れる状態とは根本的に異なります。人生の状態や法則を殆どの人が当然のことと受け入れてしまうこの自動作用は、自己の自律性を阻害します。友よ、この自動作用は広く蔓延しており、あなたが想像する以上に、人生や人格に影響を及ぼしています。
私達は、マスイメージと大衆的印象が及ぼす影響について話し合ってきました。多くの皆さんはそれを、発達した人々が疑問を抱いたり、戸惑ったりするような表面的な問題のことだと考えるでしょう。あなた方誰ひとりとして、自らの内に存在する、新たなアプローチを必要とするこの課題に気づいていません。いかなる法則であっても、生命の普遍的な法則ではない法則を当然のことだと受け入れる時、あなたは普遍性への扉を閉ざしているのです。
最も反抗的な人間の多くは、往々にして世間の意見や偽りの制約が深く沁みついており、それを人生の避けられない法則として考えます。もし、彼らが避けられない何かに屈服しなければならないと信じてさえいなければ、これ程、人生に反抗することもなかったかもしれません。
不自然な法則への忠誠の為に、どれ程の無駄と不必要な苦難が生じることか。これは悲劇的です。自然の法則と文明社会の慣習との違いは、大抵、非常に顕著です。自然の法則と不自然な法則は、時に非常に似ていて、まるで同じ様に見えることもあります。しかし、良心の基準に従って自由な精神で行動するのか、あるいは盲目的な服従から行動するのかで、大きな違いがあるのです。その言葉は同じように聞こえるかもしれませんが、心理的プロセスの味わい、その内的雰囲気、態度は、完全に異なります。自然の法則と人類の法則が異なる場合、その違いは更に明白になります。
有意義な人生を送る為に必要な、自立した自己責任に基づく概念を、自発的に発見する経験を自ら拒む人々は、単に怠惰や恐れからそうしているだけではありません。これは常に誠実さへの侵害なのです。自己責任に基づく内なる品行への妨げが恐れであると考える限り、その恐れは消えません。しかし、自主的に答えを探そうとしないことが、個人の誠実さに悪影響を及ぼすことに気づき始めると、生まれ持った良識と真実を追求したいという欲求が、それまで欠けていた動機づけになることも多いのです。
では何故、個人が人生の規則について自律的な結論を出すことを拒むと、誠実さが損なわれてしまうのでしょうか?制約や法を当然のことと受け入れるのは、常に臆病さの問題です。勇気の欠如は、受け継がれてきた道徳規範を機械的に繰り返すことを促します。人は法に疑問を呈して他者の意見と衝突することを恐れるが為に、受け継がれた規範を受け入れるのかもしれません。しかし、動機を正直に吟味してみると、感情的なレベルでは、単純な日和見主義が、支配的な役割を果たしていることに気づかずにはいられないでしょう。他者からの承認や称賛を得る為に、人は口に出しにくい真実から隠れるのです。
精神に真実を阻害する状況が蔓延している限り、真の自己を解放することは不可能です。既成の意見が繰り返される場合、本人がそれに気づいていようといまいと、個人の誠実さを侵害する日和見的な行為が生じます。これは、多数派の意見が間違っているという意味ではありません。これらの観察は、少数派グループの反抗的な意見にも同様に当てはまります。盲目的で疑いのない、感情的に色付けされた動機は、外見上は勇敢に反抗しているように見えたとしても、臆病さや日和見主義に染まっている可能性があるのです。
問題を深く考えない怠惰は、決して単なる怠惰ではありません。それは常に臆病さ、つまり個人がどうしても必要とし、敵に回す訳にはいかないと信じている特定の集団への同調によって汚されています。特別な誘惑は、独立した探求、そして生命の自然法則に調和した独自の概念の形成を放棄しようとする傾向を強めます。世間は、社会の慣習を善良で正しいと明言する一方で、人の存在に内在する自然の法則をしばしば無視します。人間の法に従う人々は、その善良さと正しさの為に敬意を受けます。そのような称賛は魅力的です。それは、自己不信や自己嫌悪を癒す軟膏のように効きそうに見えます。しかし、この薬は症状を治療するだけで、決して問題の根本を治すことはありません。自己嫌悪の真の原因が取り除かれると、自分らしく生きる勇気は比例して高まります。多くの場合、自己嫌悪の本当の原因は、少なくとも部分的には、他者の承認を得る為に真実を売り渡す臆病さにあることが多いのです。いわゆる薬と毒というものは、往々にして同じものです。
人々が問うべき疑問を明確にし、より深く探求し、真の気づきに至った時には、行動は最早、最重要ではなくなります。最も重要なことは、知ることです。未だ十分な勇気が備わっていない為、行動を起こすのは難しいかもしれません。しかし、あなたは自分自身について真実の中におり、自己欺瞞に陥ることもなく、最早、無自覚でもありません。あなたは自己により近づき、普遍的真実により近く、あらゆる至福や充実の源により近づいているのです。
進化の自然の法則を知ることは、例え、未だそれに従って生きられていなくても、精神の内的環境に自由と真実を確立します。それが進化した存在の喜びや楽しみの状態に直接影響を及ぼすことを踏まえれば、知ることが一番なのです。何故なら、人生において一見疑いのない「自己理解」の側面を、最早、軽視したり当然のこととして受け止めたりするのではなく、自分自身を尊重し、好きになる必要があるのです。この知識において、自らへの好意が確立され、その好意と共に、普遍的至福にあずかる能力も確立されます。これは自然な状態です。
次にお話ししたいのは、「今」を超越するということです。友よ、あなたがどこにいようと、現在の状況や境遇がどうであろうと、どんな気持ちであろうと、今この時に正面から向き合ってそこから逃げ出さなければ、それは豊かな美しいエネルギー、生命の実体、喜びを生み出します。今この時には、高揚感や至福、平和と刺激、又あなたのあらゆる行為の全てに外的にも内的にも意味を与える深い目的意識が見つかります。逃げ出さない限り、つまり例えば、今の自分ではない者になろうと自分に無理強いしたりしない限り、人生のあらゆる瞬間には、至高の喜びが宿っています。その瞬間の気分は問題ではありません。自分自身から疎外された感覚、分離、不安、憂鬱、絶望、退屈を感じるならば、まさにその瞬間、その気分を通して、あなたの核心、あなたの今が存在するのです。今に向き合うならば、つまり、どんなものでもその気分を味わい、それを乗り越えるならば、遠い未来や、別な存在の状態、完璧な状態を待つ必要はありません。あなたは、今この瞬間の生命力と生命の実体の中にいます。あなたは至福の中、すなわち進化的な成長の流れの中にいるのです。普段は隠されている、深く繊細なレベルにおいて、あなたは自身を愛さずにはいられないでしょう。それは人間にとって最も難しいことのように思えるかもしれませんが、実は最も簡単なことなのです。
こうした言葉を何度耳にしたとしても、あなたの習慣は、以下のどちらの点においても深く根付いています。ひとつは、物事を疑うことなく当然のこととして受け入れるという、自動的な反応があります。次には、その瞬間の気分から逃げることです。どちらの点でも、あなたは自分自身とのコンタクトを避けようとするのです。
あらゆる善が計り知れない力を持ち、永遠に存在する場所である、真の自己の生きた中心にいる為には、自然の法則に正直であることと、今を超越すること、この両方が不可欠なのです。この力は、あなたがその現実に目覚めるのを待っています。あなた自身の奥深い中心では、あらゆる叡智が常に手に入ります。この中心において、永遠の生命は、今まさに顕現しているのです。
皆さん全員、自らが当然のこととして受け入れている事柄のリストを見たら、きっと驚くことでしょう。あなたは、決して自然のものではない多くの法則や規則を、避けられないものとして盲目的に受け入れます。この観点から、自らを見つめ直してください。あなたはこれまで不可欠だと信じていた多くの考えを捨て去り、自然の法則を発見し、それに忠誠を示す勇気を見出すことになるでしょう。新たな勇気と誠実さが、あなたの中に生まれます。
他者と同じでありたいというニーズは、他者より特別で優れていたいという欲求と逆のものではありません。二元性の世界において、これらは表裏一体です。他者の言うことを当然と思ってただ同調する限り、あなたは明示的にも暗黙的にも、自然ではなく、つまりは必然的ではない法則を信じていることになります。あなたは自らの特別さを証明し、プライドの場所に身を置こうと駆り立てられています。同調を促す臆病さは、優越感を生むプライドと同じです。どちらも、一見必然的に見えるものに疑問を抱く勇気と、他者より優れている必要はないという謙虚さを持つことによってのみ、捨て去ることができます。それこそが、真の自己への門を開く自由です。そして、それは宇宙への門を開くのです。
勇気と謙虚さがあれば、自らが何を感じているのか、何処に存在しているのか、何故そのように反応するのか、そもそも何故その反応があるのかを自問することが容易になります。漠然とした霧の中に、これら全てを残して置くことはしないのです。霧はあなたを、喜びの中にある生きた中心から、そして高揚感、叡智、永遠の善という自然な状態から遠ざけます。プライドや臆病さを直視しない曖昧さは、この自然な人生への到達を阻みます。勇気と謙虚さがある時にのみ、あらゆる瞬間を素直に認めることができるのです。引き継がれてきた基準を問う勇気、自らの内にあるあらゆる真実を見つめる勇気、又、特別である必要はないという謙虚さ、そして必要であれば、真実の為には他者からの承認を放棄する勇気です。
友よ、あなたが何処に居ようと、いかなる苦境にあろうと、あらゆる瞬間に豊かさ、完璧性、充実が提供されています。不幸な状況に陥った時、あなたは過渡期にあり、異なる状態に達する為に圧力がかかっているのだと知ってください。今の自分から、ただ遠ざかろうと努力するだけでは成長は望めません。そのような努力は誤りであり、今のありのままを否定することに基づいた誤認です。今現在が十分に認められた時、プライドや臆病さは努力なく消え去るでしょう。
従順さや同調、自己否定や真実の否定、日和見主義や宇宙的現実への裏切りという形で現れる、臆病さの原因はプライドです。他者の承認を求めるニーズを手放すには、謙虚さが必要です。必要とされる勇気は、謙虚さがあって初めて獲得できるのです。あなたが賞賛へのニーズや、何らかの形で特別扱いされたいというニーズを手放す時、あなたは真の自己を裏切ることも、それに背くこともなくなるでしょう。
それでは皆さん、何か質問はありますか?
質問:他者より優れていたい人、特別でありたいと思う人々について、あなたは話されました。しかし、自分が他者より劣っていると感じる人々についてはどうでしょうか?
回答:それは同じ二元性、同じコインの裏表です。自らの価値を純粋に感じている人は、他者より優れていることを証明する必要がありません。そうする必要があるのは、自らの価値を疑っている人だけです。自分自身を好きになることこそが、至福の状態への鍵だと述べて、私はこのレクチャーを始めました。ここに悪循環があります。自らを裏切れば裏切る程に、自らを好きではなくなり、自己不信を解消する為に、他者からの承認のニーズが高まります。自分自身で本来提供できるものを他者に求めようとすればする程、自らの真実を裏切る衝動に駆り立てられるのです。
自らを見つける道でワークすることによってのみ、悪循環から抜け出すことができます。不満を感じるあらゆる瞬間は、あなたへの答えで生き生きとしています。答えを探すことによって、あなたは今を超越し、人生のあらゆる瞬間が無限の至福であるという、宇宙の真実を経験します。
質問:私が助けたいと思っている、別の人の為にお尋ねしたいのですが...
回答:このレベルでは、他者を助けるには道を示す以外に方法がなく、しかもそれは相手が望む場合に限ります。残念ながら殆どの人は、自分自身を見つめなくて済むのなら何でもするし、何処にでも行くでしょう。内省はそのような人を恐れさせ、人は必死にそれを避けようとします。
真の答えを見出す準備ができた存在には、必ず助けが訪れます。しかし、誰も他者を今この時へと導くことはできません。何故なら「自らの内にある真実を見たい」という絶対的かつ根本的な欲望が前提となるからです。パスワークを実践する人は毎日、特に不満や孤立感を感じている瞬間にこの言葉を口にすれば、驚くべき結果を実感することでしょう。「今、私が見たくないものは何なのだろう?」人がこの問いをする時、その願いの真摯さと強さに比例した答えが必ず現れます。友よ、そうでなければ答えはないのです。
これは意識の光の中で探求されるべき、自己の深層を未だ発見していない人々だけでなく、このようなパスワークを効果的に進んでいる人々にも当てはまります。彼らにも又、盲点があり得るのです。もしかしたら、彼らは既に向き合った事柄に過度に集中するあまり、最も向い合うべき事柄を見落とし続けているのかもしれません。過度に強調される真実は、その人が未だ見る準備ができていない、他の真実を覆い隠すのに都合が良いのかもしれません。どれだけ成長しても、人生の瞬間をその最大限に生かすことはできないでしょう。彼らは混乱を放置し、表面的な所に留まり、混乱の核心には決して触れようとしません。本来は必要のないものを当然のこととして受け止め、必然だとする誤った精神の下で、その混乱は受け入れられてしまうかもしれません。
友よ、あらゆる瞬間には筆舌に尽くしがたい程の豊かさが含まれています。人間のマインドは、それを想像することすらできません。原子科学のことを考えてみましょう。既知の最小粒子が、人間の広大な居住地域と、数百万もの人命を破壊する力を持っています。その同じ粒子が、破壊力と同等の力で、人間の生活に建設的な形で作用する力を持つのです。あなたの態度が、この力の方向性を決定づけます。人類は、この最小のものが持つ力に気づき始めています。この概念は、これまで力の大きさを基準にしてきた人間の考え方には、新しく奇妙なものです。それは別な言い方をすると、大きなものは大きな力を出し、小さなものは小さな力しか持たないという考え方です。原子科学によって革命的な方向転換が始まり、人類は、力とは大きさではなく質の問題であることを認識せざるを得なくなりました。この新しい概念をもって、新しい次元の真実が開かれつつあります。
それは、あらゆる瞬間の今についても、まさに同じことが言えます。時間、存在のあらゆる断片には、原子の力をも凌駕する力が宿っています。この霊的な力は、あらゆる物理的顕現を超越します。否定的顕現の内にある力の核心を吟味し、その同じ力が肯定的に利用できることに気づけば、人生の極僅かな断片であっても活用することができるのです。
人類は自らの潜在能力に気づかず、今のエネルギーではなく、外的状況や物質的な要因に力を譲渡しています。本当のところ、今には、計り知れない生命力が満ちています。そのエネルギーは、今のこの瞬間を阻む障害が取り除かれた時に解き放たれます。そこに意識を集中すれば、想像を絶する程の豊かさと力を発見するでしょう。最初の兆候だけで、あなたは驚嘆するでしょう。明日を待つ必要はありません。異なる存在の状態になるまで待つ必要もありません。待望の明日、あるいは望ましい異なる存在の状態は、この瞬間と出会うことの結果としてもたらされるでしょう。
質問:「真理の内に自らを見る」という表現は多くの人が用いており、私には決してそうは見えない人々がそうしていると主張する為に、言葉の本来の意味が失われているように思えます。多くの場合、表現は真の意味を失うような形で用いられることがあります。このことについて、詳しく説明して頂けますか?これは人々が、自らに関する真実に向き合いたくない場合にも当てはまるのでしょうか?
回答:残念ながら、これは人間界におけるあらゆる真実の宿命です。このことは、霊的真実を人間の言葉で表現することの限界以上のものです。正しい言葉を使いながらも、真の問題を避ける時、言葉は隠蔽、転嫁、欺瞞に利用されてしまいます。いかなる言語表現も、誤魔化しや自己欺瞞を完全に回避できる保証はありません。自らに正直であろうとする内なる意志の深い誠実さのみ、歪みを避けることができるのです。自分自身から逃げようとする人間の傾向は、曖昧な言葉遣いを誘発します。人は「その真実」についての一般論を唱えながら、自分自身に関する具体的な真実を避けることができます。こうして真実は、最終的には陳腐な表現になってしまうのです。だからこそ私は、同じ真実を別の言葉で言い換えて、再構築するのです。
ここで付け加えられるのは、人は自分自身の真実にいなければ、普遍的で全般的な真実、つまり生命の動的な真実の内にいることはできないということです。そしてそれは、直視するのが依然として困難な真実をも含みます。最も難しく思われることと向かい合うのを拒む人は、真実の状態にいるとは言えません。人が直視を拒む領域は常にあり、それが自己欺瞞のきっかけを差し出すのです。
何度も繰り返し、自分自身にこう言い聞かせることが非常に重要です。「私は全てに目を向けたい。例え、自らが最も抵抗を感じる領域であっても。」そうして初めて、あらゆる困難、乗り越えられないと思えるあらゆる障害が消え去り、物事は自然に、そして何の苦労もなく収まり、意義深い人生が築かれるのです。
普遍的生命の流れは、不調和があった所に調和を、無駄があった所に意味を、欲求不満があった所に充実を、苦痛と欠乏があった所に至高の喜びをもたらします。しかし、自らに関して完全に真実の内にいる勇気と謙虚さは、日々培い、呼び起こされるべきものです。
「何であれ、それが見たくないものであったとしても、私は見ることを恐れません。私が最も見る必要があるものを見ることができるよう、私の内にある神聖なる叡智と力に助けを求めます。私が必要とする変化を遂げることができるように。」これを日々の祈りとすれば、あなたは真の自己を束縛から解放し、宇宙の至福の真実に到達するでしょう。
質問:最近、奇妙で恐ろしい体験をしたので、それについてお尋ねします。瞑想中、ある種の気づきを得て、著しい解放感を感じ、生命力が押し寄せるのを感じた時、まるで生殖器が体から剥がれ落ちたような感覚に襲われました。私は新しい希望を感じましたが、それと同時に、この新しい希望には恐れも含まれていました。このことについて、何かご意見を頂けますか?
回答:この経験は、あなたが今この瞬間に理解できる以上に、大きな進歩の表れです。あなたが得た深い理解と真理、そして内面の変化によって、これまで麻痺していた生命力が解放されました。これは、かつて絶望を感じていた所に、生き生きとした喜び、高揚感を味わえるかもしれないという希望をもたらします。同時に、こうした出来事の全ては、あなたの精神の奥底に根づく誤認、すなわち、体内の生きたエネルギーを解き放つと、生殖器を失うといった危険に晒されるかもしれないという誤認を明らかにしています。この誤認は頻繁に起こりますが、だからといって、あなたへの真の脅威であることに変わりはありません。内なる子供はこの誤認に支配されており、それがあなたの困難の多くの原因となっています。心理学的理論ではなく個人的な確信として、あなた自身の内にある誤認の原因を見つけることで、やがてそれが誤りであることに気づくでしょう。目の前に広がる希望を恐れるのは、あなたが脅威を未だ信じているからです。新しい人生への希望は、同時に危険も孕んでいるというのが、あなたの誤認です。あなたの葛藤は「このまま現状に留まり、より孤独で孤立を深めるか、あるいは行動を起こして破滅に向かうのか」という問いかけに在るようです。これが、あなたが自らを見つけ出す内的状態です。この葛藤は、誤認を誤認だと真に理解した時に初めて解決されます。痛みは消えます。何故なら、痛みは、誤認とそれに続く葛藤から生じるのですから。
質問:今を生き、目の前に何があるのかを見ることに関して、私は常に安心感を求めていることに気づきました。このことから、私は自意識なしに生きていることがないと気づかされました。あらゆる行動は常に、この安心感を得ることばかりに向けられています。私は、今の自分ではなく、なりたい自分になる為に生きています。そのことについて、助けてもらえますか?
回答:あなたが安心感を求めるのは、自らが数に入っているのか、自らの本質的な価値が足りているのかという疑念に基づいています。あなたは自らの意見が妥当ではないことを恐れ、他者からの承認や保証を必要としています。あらゆる偽りのニーズには中毒性があります。人が偽りのニーズを必要とすればする程、不健全な追求は強くなり、あらゆる解決策の内なる源泉から更に遠のきます。又それに慣れれば慣れる程に、それが益々必要だと考えるようになるのです。
今の瞬間に入る時、具体的にどのような安心感が欲しいのか自問してください。それから、確信を持てない部分を自問してください。あなたの現在の真実の根底にある、不確実性を明らかにしなければなりません。普遍的な真実と照らし合わせて、自らの真実から目を背ける所には、何処にでも臆病な日和見主義があることに気づくでしょう。恐れに基づくこの日和見主義は、見せかけの反抗によって簡単に覆い隠されるかもしれません。
この発見は既に、今の瞬間の最初の段階です。これを知ることで、次の段階、つまり安心感を必要しているように見える疑念を探求する段階へと進めます。例えば、あなたは何処で、世間の期待に反して自らを危険に晒す恐れから自然の法則を捨て去り、真実を知りたいと望むことさえしなくなりますか?お分かりですか?
質問:はい、よく理解していると思います。それでは、私の疑念や安心感へのニーズが、私の男性性に関わるものだと仮定しましょう。これはお話にあった、周囲の期待に応えることとは異なる、自然の法則にどう当てはまりますか?
回答:自らの感情の善性を信頼しないということにより、あなたは自然の法則を放棄しています。それを切り離してしまっています。あなたの奥深くには仕組みがあり、このように言うのです。「いや、これ以上先には進まない。これまでは快かったから、私はここまで進んだが、自らの自然をありのままに解き放つような危険は冒さない。」あなたがそのように言うのは、部分的には世間の非難への恐れがあり、又、前の質問をされた友人と同じような誤認を抱いているからでもあります。あなたの恐れはそれ程強くはありませんが、それでも自らの内にある自然な感情に脅かされていると感じ、そのような感情を信頼すべきではないと言いそうな世間に迎合します。あなたは自らの内にある普遍的な力を否定しています。あなたは「安全に」やりたいのです。
友人の皆さん、これら全てのことを深く考えてみてください。学んだことを実践してください。勇気と謙虚さをもって自らにアプローチすれば、何かが展開するでしょう。宇宙の愛と叡智、そして素晴らしい力の源泉と豊かさを手にすることができるでしょう。愛する皆さんに祝福を。愛と真実が常にここにあることを感じてください。平和の内に、神の内にいてください!
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