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No.172 生命のエネルギーセンター

Pathwork Guide Lecture No. 172
UNEDITED版
1969年3月28日


生命のエネルギーセンター
THE LIFE ENERGY CENTERS


 こんにちは、親愛なる皆さん。愛、強さ、理解という祝福が、あなた方の内側でこれらを生み出す程度に応じてあなた方にもたらされます。その範囲で、あなた方はあなた方に流れ込む祝福を感じ、受け取ることができるでしょう。

 今夜のレクチャーでは、前回話し始めた人間構造のエネルギーセンターを取り上げます。これについてはとてもたくさんお話しすることがあります。ですので、その内容を3つの基本となる側面に分けてお話しします。最初の側面は、これらのエネルギーセンターの機能を決定づけるものについて扱います。2つ目の側面ではそれぞれのセンターの特定の機能を扱います。最後の質疑応答では、私がすでにその機能について質問を受けており、お答えできる限られた範囲ですでに簡単に回答を述べているので、そのときその場におられた方々にとっては繰り返しになります。そして3つ目の側面は、これらのエネルギーセンターの活性化を扱います。そしてエネルギーセンターへとつながっている詰まった経路が開かれるように練習します。あなた方が関わっている、まさにこのパスワークでは、自己分析と真の自分自身を見つめるための勇気を育むこと(これは、実際に始める前にあなた方が考えるほど、その半分も簡単なことではありません)が、このような練習に何よりも不可欠な側面です。というのも、単に集中力を高めるエクササイズや呼吸の練習を扱うような機械的などんな練習もその目的を果たし得ないからです。ですので、基本は常にあなたの意識、ビジョン、自分自身の真実の理解、その結果としての宇宙とのつながり、そしてまた宇宙の法則と創造との関係性を拡大させることなのです。このことは、今まさに取り上げようとしている最初の側面について私が話すことにより、はっきりと理解されるでしょう。

 人間の生命力、つまりはエネルギーセンターの適切な機能を決定づけるものは、人間の性格の全構造に対する視野を手に入れるときにのみ理解することができます。そのためには、繰り返しになりますが、改めて要点を述べます。生命力そのものは全宇宙を躍動させる創造力です。それは、無数の形態で生命を具現化し表現するすべての生命要素とすべての可能性を含みます。これはとてもパワフルな力なので、このすべての力を受け入れるに足る十分な意識の強さを持たない生命体が破壊されないように、調節、修正されなければなりません。そのため、それぞれの生命体は、その生命体に流れ込むこの力を変化させ、適合させ、修正してバランスを取る役割を持つ特別なセンターを持っているのです。生命力はそれ自体に、生命表現、エネルギー、健康や無上の喜び、そして自己表現方法へのあらゆる可能性を有しています。人間のエネルギーセンターは、たとえば草の葉のセンターと比べると、まったく違っており、より複雑です。なぜならば、人間が草の葉に比べてより多くの多様な自己表現の可能性を持っているからです。生命体に流れ込む生命力の流れは、「吸収され」、分配され、調整されなければなりません。さもなければ、すでに述べたように、その力は強すぎるのです。もし人間の意識が分裂し、衝突し合っていて、一方でその多様な力が「吸収される」準備が十分にあり、しかしもう一方ではバランスを失い不安定であれば、センターは閉じてしまいます。それらは詰まった状態になります。自己実現のプロセスというのは、それらのセンターの開放をも意味しているのです。

 人間の肉体は本当の体、つまり霊的な、永遠の体の未熟な反映にすぎないことをさらに深く理解しなければなりません。本当の体においては、肉体構造に見られるよりも、はるかにすべての機能と臓器は非常に優れており純化されています。永遠の存在としてのこの体は、もちろん人間の目で見ることはできません。しかし、それにも関わらず、人間の目で見ることができるどんなものよりも本物です。この体は、ある存在がまだ霊的自己と統合していないときに存在するさまざまな意識レベルに準じていくつかの未熟な像を持っています。他のオーラ体は個々人の精神(マインド)や性格のさまざまな状態を映し出します。肉体のレベルは、霊的存在であるという源からもっとも遠く離れた意識のレベルを表す、もっとも未熟で、一時的な現象にすぎないのです。

 エネルギーセンターは完全な形で存在し、霊体の中で機能します。肉体において心臓や腎臓が見ることができるのと同じように、そこではそれらのセンターは実際に見ることのできる臓器です。他のさまざまな意識の状態は、特定のオーラ体によって表わされ、これらのセンターを内包しています。しかし、霊的構造と不調和を起こしている程度によってその機能が変えられています。肉体の組織においては、これらのセンターは間接的にのみ見つけることができます。腺組織はそれらのセンターを反映し、その機能はそれらによって決定づけられます。しかし、センターの開閉や円滑な機能、または詰まりははっきりと経験することができます。その影響は肉体にはっきりとした跡として現れます。しかしながら、センターそのものは人間には見ることはできません。

 さてそれでは、これらのエネルギーセンターの円滑な機能とそれによる生命力の適正な生理作用は何によって決定づけられるのでしょうか?それは、もっぱら意識の状態によるのです。意識はすべての源泉であるため、それが最も重要な生命機能のシステムを決定づけます。すべての信念、意見、概念、そして考え方が、人生に対するその人の感情、反応、態度、そして表現を決定するのです。個人が深く根差した考え方に影響を受けず、無関心でいるとは考えられません。私は単に意識的な考え方や意見だけのことを言っているのではありません。さらにもっと重要なのは、無意識の考え方や意見です。なぜなら、それらを新しい方向に向けることができないからです。まだ肉体の中にいても、すでに肉体の状態を超越していても、どちらにしても私たちが自己実現した人と呼ぶ人は、真実の中にいます。その人はすべてを知ってはいませんが、オープンな精神を持っています。間違った考えから解放されています。間違った信念が恐れや防御、ネガティビティや破壊的な感情を生み出すこともないのです。自分自身に対して真実の中にいる人は、宇宙の慈悲深い本質に気づきます。その人はオープンで、喜びに溢れ、ほんの少しも不安がありません。ですから、その人は調和に満ちた方法で広がっていきます。この光の中で、そして肉体、精神、感情が穏やかで、防御することのないリラックスした状態の中で、センターは開くのです。センターは生命力が円滑に、自由に流れるのを許し、特定の側面において偉大なる力が必要とされるところでは、その生体組織に正しい種類のエネルギーを供給するのです。そこには恐れがないので、詰まりや流れを遮るものはありません。ネガティビティや制限という概念がなければ、恐れは存在しえないのです。

 あなたが成長すればするほど、間違った考え方がいかに破壊的な感情やネガティビティ、自己と人生についての制限された概念を生み出すのかに気づくようになります。ここでの教えの中で、統合された世界での視野とは対照的な二元的な世界での視野の重要性については何度も話しています。意識の二元的な状態というのは、人生をつねに二者択一(どちらか一方)、良いか悪いか、これかあれか、というような言葉で認識され、一方を排除する状態です。人間の領域全体がこの間違いを教え込まれています。これは、生命の最深部にまだ深く入っていない人にとっては理解するのが難しいことです。かなりの程度まで深く入り、それゆえに自分自身についてのいくつかの根本的な幻想やそれについてのブロック(障害となるもの)を克服した人は、いかに宇宙があらゆる可能性をその人に向けて広げているかを発見するでしょう。失わなければならない、不満足な選択をしなければならないと信じている場合でも、誠実さと客観性の中で成長することで、結果的には何も失うことがないという状態に達するのです。間違った、子どもじみた貪欲さと自己を制限する犠牲を捨ててこの二元性から離れるとき、完全な経験が現れるのです。

 生命のセンターが適正に機能するのは、人間がまだ二元的な葛藤に巻き込まれているうちは不可能です。おそらくもっとも基本的な二元性 – 他のレクチャーにおいても別の文脈の中で説明しているように - は、道徳対快楽、自分本位対他者本位、自分に与えないこと対他者に与えないことです。善と悪というすべての概念は、根拠がなく、不必要で、間違った人生の概念に起因しています。すべての人類文明、ほぼすべての哲学は、人間の意識におけるこの基本的な分離によって毒されています。みなさん、あなた方が良い人間でいようとするか、自分の優位性を得ようとするか、どちらかの選択をしなければならないと信じている限り、ひどい葛藤に陥るでしょう。自己に与えないことは結局他者に与えないことで、逆に言えば真の優位性(「これか、まったくそれではないか」という制限された恐れに満ちた視野からくる、近視眼的で子どもじみたものではないはずです)を得るということを認識し体験したときにのみ、あなたは最終的には他者に益をもたらし、葛藤から解放されるのです。このような意識の広がった状態に至るには、まず、深く根を張った制限への確信、自分対他者という決断を下さなければならないという確信、一方のためにもう一方をあきらめるのはやむを得ないように見えるこのような状況を理解し、経験しなければなりません。なぜならば、あなたの信念どおりに、あなたは経験するからです。あなたの信念が状況を作るのです。従って、その人が信念と経験との関係を理解するまで、間違った信念が真実であると証明されることになるのです。もしあなたが、あなたの内面にある「見えない」信念が、あなたの優位性対他者の優位性の均衡を保たねばならないという苦境を生み出すことを受け入れるなら、あなたは自らが創造した、制限された状況に対処し、知性と全労力と、礼節と高潔さを持って個別にそれぞれの事例を扱わなければなりません。恐れに満ちた感傷が、あなたの権利に対する見方を鈍らせることはありません。子どもじみた欲深さがあなたの自己中心性を正当化することもありません。両方とも理解され、克服されなければなりません。このことから、それぞれに違った多くの決断がなされます。失うものはすべて幻想なのだとすぐに発見するでしょう。そしていつか、あなた自身の優位性を捨て去るでしょう。なぜならば、その優位性の程度が自分を満足させることを保証するものではないと知るからです。またあるときには、あなたは他者本位を捨てるでしょう。なぜならば、その他者本位の程度が自分に与えないことを正当化することはないからです。そしてもっともっと、あなたは真実の考察によって統制され、非難されることへの恐れや、他者からの高い評価への依存、そして欲求不満に対する恐れと不満を我慢できないことに左右されなくなります。これを続けるにつれて、あなたの充足感や関心事と他者のそれとの間に境界はないのだという洞察を得るでしょう。ついには、それらはすべてひとつに融合するのです。根底にある真実は、その両方を調和させるのです。しかし、労せずしてこの意識状態に到達することはできません。あなたがそれぞれの課題に全力で取り組み、関わることが求められます。それがどれほど取るに足らないことでも関係ありません。そのようにして、二元性を超越し、結果として恐れや貪欲、喪失感、その先にある怒りや敵意、そこから派生するすべてのものを超えることができるのです。そしてもっともっとあなたの意識は、宇宙がすべての生物に対して備えている無制限の豊かさを知り、経験し、自分のものにすることができるのです。その最初のステップは豊かさが存在する可能性を知ることであるべきです。

 あなたが人間のこの基本的な葛藤、つまりこの意識の分離の中に生きている限り、寛大で愛すべき人間でいるために自分自身を捨てなければならないと信じなければなりません。そのような苦しい状況が恨みや欲求不満、怒り、自己嫌悪や罪の意識を誘発するというのは自然ではありませんか?また、このような感情が霊能力や健全なエネルギーが流れるのを封じているというのは自然ではありませんか?このようなネガティブな感覚のために感情が締め上げられるとき、肉体構造もまた結果的に締め付けられます。肉体と魂のエネルギーセンターの緊張は、不安、怒り、憎しみ、恐れの感情の現れなのです。

 この基本となる二元性は、ここで述べている連鎖反応を創り出します。それは、ネガティブなものの見方、制限された考え方、自己と他者との間の葛藤、つまりネガティブな感情です。そしてそれゆえに、それが経験の制限になるのです。かすかではあるけれど確かにあなた自身が拡大するのを妨げているものを意識しなければなりません。自己分析の過程の中で、あなたがより自分自身に気づくようになるにつれて、あなたはどのようにしてあなた自身が自分を拡大することや喜びに満ちた経験を阻んでいるのかを示すかすかで小さな反応を見抜き始めます。あなたは、いかにあなたが自分自身の最大の潜在能力を使うことを恐れているのかを見抜くのです。

 あなたの可能性に対する制限された考えはどれも、このような連鎖反応の結果です。人間の本当の病は、良き人生を創造し、最上の環境を創造するための全潜在能力を使っていない結果なのです。拡大し、より良い状態を作り、あらゆる可能性においてより深い喜びの感覚を経験し、あなたの潜在能力を抑え込むために、あなたは悪循環の中に居続けるのです。それは結果として欲求不満や制限となり、あなたに関して言えば、次に続くのはそれが人生の本質だと思い込むことです。こうして深まっていく確信はネガティブな感情、強く張った防御、閉ざされたエネルギーセンターを増大させます。善良さと喜び、道徳と快楽、利己主義と愛という対立の中で痛ましい決定を下さねばならないと思う限り、あなたは十分に決定を下せず、何が自分を支配しているのかを知らないままに盲目的に、厳格に反応し、混乱しかき乱されることになるのです。もしこの言葉を使うならば、最大の「罪」とは、あなたの潜在能力を無視し、幸せへの可能性を無視し、あなたがそれを超えて進むことができないと考えてしまう不必要な柵をあなた自身の中に置くことです。あらy

 これらすべては特定のエネルギーセンターにどう影響を及ぼすのでしょうか?それを理解するためには、まず各センターの意味と特有の機能を学ばなければなりません。話の流れを中断しないためにも、前回の質疑応答で私が話したことの一部をもう一度お話ししなければなりません。

 最初のセンターはセクシュアル(性)・センターで、脊椎の基部に位置しています。私がセクシュアリティというとき、それは制限された生殖器の快楽を超えたものを意味しています。それは異性への個人的な愛を完全に超えたものを含んでいます。それは、わずかにでも不安や緊張、貪欲さや分離のない、肉体的、感情的、精神的、霊的というすべてのレベルにある歓びを経験するための個々人の能力です。防御なく与え、そして受け取るための能力です。それは間違いなく、エゴがコントロールを必要とすることなくあなた自身を不随意に感じるプロセスへと向かわせるための能力です。それは、信頼に足る、その人自身の反応や動きを伴う無意識に向けられた態度を受け入れることを意味します。あなた方の知っているとおり、これは人間にとって最も難しいことです。しかし、もしこれを成し遂げられれば、セクシュアル・センターは開かれます。最初にコントロール下に置く必要のあるエゴによって詰まってしまうことはなくなります。人生への意識と知覚全体が、人が露わにするのを恐れる制限、与えないこと、そしてその結果として起こるネガティブな感覚と同調しているとき、人はいかに脅威を感じることなく反応できるのでしょうか。それゆえに、センターは部分的に、または完全に閉じられるのです。したがって、再生へと向かい、生命をもたらし、健康を促進させるエネルギーの機能を伴う生命力の完全な流れはほとんど活動できなくなり、それがために与えることができなくなるのです。

 第2のセンターは太陽神経叢です。そこが開くと、霊的な叡智とのつながりが創造され、宇宙存在としての意識と、そこから生まれる愛の感覚が強められます。なぜならば、あなたが真実の中にいるとき、あなたは愛するからです。セクシュアル・センターが開かれると、人は終わりのない、ずっと続く、愛する人との恍惚(エクスタシー)の経験ができるようになります。これに触れるには、愛する人とのかかわりが必要です。太陽神経叢の経路が開くと、終わりなく続き、変わらず存在する究極の現実としての真実、そして善とのつながりが作られます。この継続する本当の生命が、折に触れて探求され、認知され、感じられるようになります。これは、あなたが本当に愛し、それゆえに二元的な葛藤を超えたときに起こります。または、あなたがこれまで見ようとしなかった内なる真実を発見するときに起こります。その発見はしばしば、一見取るに足らない出来事によってなされることさえあります。そのような発見の精神は、そのとき、自己と生命を拒絶するのではなく、受け入れるのです。偉大さ、叡智、愛、そして歓びという無限の驚異の中にある、終わりなく続く生命のプロセスを知ることは、「私は新しい状態に到達しなければならない」という言葉に表されるものとはまったく違います。そのような達成は、現実のもうひとつのレベルにすでに存在していなければ不可能なのです。あなたが本当にしなければならないことは、まずその可能性を熟考することによって、この生命のプロセスが存在するのを発見することです。そうして、あなたはすでに存在する祝福、必要とする叡智、調和とバランスのとれた機能や態度、力の具現化、創造性に溢れた潜在能力、そして壁によって分離された自分の存在の全容を知り得るのです。あなたはこの壁を取り払わなければなりません。しかし、もうひとつの人生の継続するプロセスがすでにそこにあるのです。みなさん、あなた方は、調子のいいとき、これに気づいています。あなた方は、常にそこにある現実の別の次元に自分が接触していることに気づいているのです。この次元では、完全なる平和と喜びがあります。そこにはすべての答えがあり、永遠の生命があり、恐れることは何ひとつないのです。あなたがこの現実から切り離され、疑いを感じたり忘れてしまったりするときにだけ、あなたは自分が実際の闘いの中にいると感じるのです。

 不安のない究極の喜びは、今ここにあなたの中にすでにある、変わらず存在する現実です。そしてそれからあなたを分離させているものは、これを知らないということです。あなたの恐れ、不安、言うなればこの現実を経験しようというあなた自身の同意の欠如です。ですから、絶えず生き生きとして適切な叡智は、あなたの人生のある瞬間においてあなたがそれを必要とするとき、すでにそこにあるのです。ただ単に、あなたの知識の欠如や、せいぜい粗末な代用品にしかならない叡智の他の情報源に共感することによって、分離されているだけなのです。その代用品は、あなたの知性かもしれないし、あなたの中にある探求していない感情かもしれません。その感情というのは、あなたがまだその本質をしっかりと見られていない態度、他の人びとのあなたに対する見解、またはそれらが混ざり合ったものへの単なる反応なのです。多くの場合、あなたはこの経路に接触することで得られる深い叡智から来る良い感覚を恐れているために、すぐに手に入れられることをすでに経験している場合でさえ、その経路との接触を確立するのをやめてしまいます。あなたはこれらすべての経路やセンターを開き、宇宙の壮大な動きとの調和の中で自分自身を流れるように動かしたいと思わないのです。そうするにはあなたの恐れが大きすぎ、そして怒りを感じすぎているのです。そしてこの恐れと怒りが、何よりも先に、意識化されなければなりません。また、失望への恐れと幸せであるための勇気の欠如が、すべてのことに対する解決を発見できるその現実の領域へとあなたが拡張していくのを押しとどめているのです。あなたが知る必要のある、または知ることのできるすべてのことに関する究極の叡智とつながるのは太陽神経叢においてです。そのような深い叡智は恐れを取り除き、愛を流れさせます。

 混乱を避けるためにご説明すると、センターはいくつかの部分で構成されており、または対になるセンターがあります。ときどき、これらは個々の独立したセンターだと解釈されることがあります。たとえば、脊椎の基部にあるセンターには、骨盤と生殖器において、それを射出しまたは集中するポイントがあります。背中のセンターには、背部のより高いところと低いところに集中ポイントがあります。

 次のセンターは背中にあります。そのセンターのつかさどる能力は意志です。今までのところ、私たちは3つの基本となる人間の機能を取り上げてきました。つまり、感じること、知ること、意志を働かせることです。もしこれら3つの機能の間に調和が存在すれば、完璧な相互作用があり、一方を犠牲にしてもう一方に負担をかけすぎることはありません。意志のセンターはエゴ、攻撃性、自己主張、気骨、利己心、自己責任、自律性のセンターでもあります。これらのすべての態度は背中に集められ、出ていくのです。たった今お伝えしたように、そこには2つの部分があります。ひとつはうなじのところ、もうひとつはもっと下の、おおよそ肩甲骨の間にあります。それらは2つとも、霊体においてより「内側」、その2つのちょうど真ん中ぐらいに位置するセンターの反射なのです。肉体においては、主としてこれら2か所で現れます。

 もしエゴが最も健全な感覚において完全に成長していなければ、このエネルギーセンターは活動が鈍くなります。エネルギーがスムーズに流れません。同様に、もしエゴがきつく締め付けられ、こわばり、不安を抱き、固すぎて身勝手すぎたら、同じく困難な状況のもうひとつの様相を示します。いくつかの性格は、より功利主義的で、弱さを脚色し、その結果そこから財産を作ろうと試みます。他の性格は、見せかけの強さを過度に強調することによって彼らの弱いエゴの恐れに対抗します。この両方の態度は、結果として肉体と精神の中に似たような問題として現れます。背中の緊張は、スムーズな流れを歪め、それを詰まらせます。

 では少しの間、弱いエゴが前に述べた2つのセンターの他の機能にいかに影響を及ぼすのかを調べてみましょう。もしあなたが弱く、依存しているとしたら、あなたは恐れでいっぱいのはずです。したがって、あなたは生きるという偉大な経験とエゴを超越するより深い叡智を得るための勇気を欠いているはずです。弱いエゴはあなたを非常にきつく縛り付けるので、あなたはあなたが見える範囲を超えたところにあるものへと開くことができません。信じ、愛し、幸せでいること、そして生きるということの中で不随意のプロセスにその役割を果たさせるということは強さを要求します。もしエゴが柔軟性を欠き、強くなく、生命の偉大なる現実というものが信頼に足る唯一の機能だと信じることなく依存しているならば、その生命の偉大なる現実への認識は妨げられます。

 次のセンターはのどにあります。このセンターは、取り込むための能力、つまり摂取と消化、吸収と受容の象徴です。内側の無意識の問題が大きな混乱を引き起こしている硬直した状態にある人は、人生や環境、予期せぬ成長、他の人びと、そしてその人自身の無意識的な矛盾した行為や予知に関する柔軟な受容性と自分自身とを敵対させているのです。エゴの弱さと依存のない自分自身の自己責任の欠如、そして意志の弱さは、それに対抗するものとして何物をも取り込まず飲み下すのを拒む硬直した外見を持っています。その人は、心の奥深くでは自分の足で立つことを望まないがゆえに、だまされるという可能性を恐れます。また、自分に正直でいること、言ってみれば真実の高潔さよりもむしろ承認を渇望するがゆえに、自己の基幹を成すものの欠如を恐れるのです。したがって、人生がもたらすもののほとんどを受け入れられず、対処できないのです。

 次のセンターは両目の間にあります。東洋哲学においては特にこのセンターに重きが置かれます。それはしばしば「第三の目」と呼ばれます。このセンターは、完全な霊的全体性と成就、つまり頭頂部にあるセンターで表される神聖なる自己の完全な悟りの前段階の現れです。目の間にあるセンターは想像し、そして見て理解するための途方もなく大きな潜在能力なのです。もし前述した他のセンターが開き、流れていたら、まったく新しい人生観、宇宙観、自己観を与えるような調和のとれた霊的な視野と知覚が訪れるでしょう。 このセンターが開かれることは、頭頂部にあるセンターで表される全的統合の到来を告げているのです。その頭頂部にあるセンターはすべてを統合させます。これが起こるとき、人は制限などなく、すべてはひとつなのだと知るのです。

 みなさん、もちろんそれぞれのセンターを開くことは非常に多くのワークが要求されます。あなたの意識、つまりもっと言えば無意識の完全な変化が求められます。たいていあなた方の意識的な部分は、正しい知識を持ってはいますが、無意識の知覚や反応によって支えられてはいません。だからワークは長くて濃いものになるのです。しかし、主となる抵抗が克服されたのち、あるときから、それは喜びに満ちたものになります。特定の期間を経てこれらの抵抗を表に出すとき、あなたの意識の拡大はそれ自体で喜びに満ちた生命の表現となるのです。

 人類の性格の分離についてもうひと言だけお話しします。どんなことにでも対処できるその人の内なる能力を台無しにする二元性は、あなたがそこから成長しあなたの恐れや防御があなたの内側奥深くで緩み始めるのを助けるためにあります。最初の段階は、これまでの無意識の恐れに気づくためのものでなければなりません。これは、この道に取り組む人であれば良く知っているように、口で言うほどに容易なことではありません。しかし、あなたがいったんそれらに気づいたら、この恐れが作り出す緊張を手放す方法を見つけなければならないのです。これは、あなたが抵抗する代わりに受け入れるときに成し遂げることができます。けれども、あなたは何を受け入れなければならいのでしょうか?欠乏感でしょうか。満たされないことでしょうか。それとも自分を犠牲にすることですか?宗教はこのことを世紀を超えて何千年にもわたり間違いを教えてきました。「私はこれを受け入れなければならず、もう一方を経験してはならない」とあなたが言う限りにおいては、あなたはきつく縛られた不安の防御の状態におり、受容が起こらなければいけないことは真実です。あなたは乗り越えられない苦闘の中にいるのです。これは恐らく人類が超越すべきもっとも困難なレッスンです。どうしたらあなた方は幸せを捨てることなく「せねばならない」に固執しなくなれるのでしょうか。このことは、ネガティビティや服従、さらには自虐的な自己否定といともたやすく混同されます。良い人間は犠牲を払わねばならないという宗教の前提は間違っています。もともとの意味は2つの側面を持っています。(1)自分が得ることができるものよりも他者の方が大切だというような場合、ときとして自分本位さは克服されなければなりません。愛の感情はしばしば、まったく失うこととは無縁のこのような行為を経験します。しかし、そのような愛は恐れや支配の状況では発展することはできません。(2)もっと重要なことは、ここでは手放すという態度が強調されているということです。すべての正真正銘の霊的預言者は人類にこのことを伝えようとしてきました。精神(マインド)の二元性の中でだけ、手放すということが「私は自分の欲しいものをあきらめなければならない」という意味になるのです。二元性を超えると、そうではありません。もしあなたが、自己実現や充足をあきらめることなく、必要ならば手放すことを学ぶことができれば、あなたの欲求の特定の顕現はその二元性を精神に持っている限り満たされることはないということを、まず本当に受け入れる必要があるのです。これは、拡大することを許さないあなた自身の内側にある制限された概念と閉じられたエネルギーセンターの結果です。あなたは依然としてそれらの結果に苦しみ、それらの結果はしかしながらまったく打ち負かされることなく一時的に受け入れられる(飲み込まれる)ことになります。もしあなたが恐れに満ちた、従順で自分には与えないという犠牲的な感覚の中で手放す場合、あなたは二元性の中にとどまっています。締め付けをほどく動きはいっときだけのものです。けれども、これから起こることを信頼する精神で手放すことができれば、一時的な喪失はいずれ得るものへと変わるでしょう。もしあなたが今現在の制限された形にこだわらなければ、あなたは、新しい、違ったことを経験する可能性のための場所を作ることになります。もし、そのような方法で手放すことを学べば、あなたは二元性を超えるのです。あなたは、一方では恐れや欠乏、もう一方では罪の意識や不安にきつくしがみつくことに対処するための葛藤から抜け出すことになるのです。「この方法で得ることができないとしたら、そのときはおそらく別の方法があるのだろう。今ではなく、もう少しあとで」という信頼の精神の中で手放すことができれば、あなたは恐れ、センターの緊張、喪失の感覚をなくすでしょう。そのとき、すべての組織、そして肉体、精神、感情と霊性というすべての有機体を通して、生命力が泡立ち、にわかに高まります。それらは完全なる調和の中で働き、生命が定められた方法で機能し、それは無条件の祝福となり、永遠により大きく広がります。そして、エネルギーセンターは調和の中で機能し、あなたの組織の中に今溜まっている不要なエネルギーを捨て去ります。組織から出されるべき未処理のエネルギーの不要物質ほど有毒で精神に毒作用を及ぼすものはありません。このことは、食べ物、水、そして空気など、ほかのすべてのことにも言える真実を含んでいます。これとまったく同じ原理がエネルギーと精神の物質の「吸収」にも適応されます。機能は常に新しくし、不要なものを捨て、新しい物質を集めるためにそこから始めなければなりません。

 ここで私が述べたことの一部でも、理解しようと努力してください。私が言ったこれらの言葉を学び、活用してください。そしてそれらとともに進み、自分自身のものにしてください。人生が本当に今とは違ったものになり得るのだということを動機にしてください。最高の状態にいる今の時点のあなたが経験することは、まだこれからのあなたの行く先に待っていることのほんの小さな表象でしかありません。そしてあなたが経験する困難は、言ってみれば一種の病であり、不必要なものです。もしあなたがその意味を正しく理解することを学べば確かに取り除かれるものなのです。そしてもちろん、それは最も大切なことです。なぜならば、大半の人間は、まるで偶然に降りかかることのようにその困難を経験するからです。「これが人生だ(人生はこんなものだ)」という考え方は、たとえその困難がいかに外側から自分を苦しめることに思えるとしても、自己の必要不可欠なものとして現れる困難を見るための意識とのつながりを阻みます。自分を苦しめるものでは決してないのです。あなたの人生の経験をまだ馴染みのないあなたのその部分として理解する程度に応じて、あなたは幸せを妨害するものを真に克服するでしょう。あなた方がこれを実現するためには助けが必要です。そこから訪れる勝利、解放、そしてこみあげる歓びと平和は無比のものです。あなたの意志に従って起こることは、あなたの困難に対する気づきと理解と同じぐらい平和を与え、喜びをもたらし得ることなので、外側からやってくるものには何の価値もありません。それは本当にあなた個人の超越と進化なのです。そのとき、あなたの意識の中で、あなたがまだ切り離されている他の次元に存在する本来の力どおりに、喜びは永遠に広がり、人生はさらにあるべくしてあるように、すでにそうであるように変わるのです。

 ここに集う親愛なるみなさんに祝福を。宇宙の愛、ここにあるすべての愛が、あなた方がどこにいようとあなた方すべてを包み込みます。


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