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No.173 センターを開くための基本的態度と実践

Pathwork Guide Lecture No. 173
UNEDITED版
1969年5月5日


センターを開くための基本的態度と実践
BASIC ATTITUDES AND PRACTICES TO OPEN THE CENTERS


 こんにちは、みなさん。私の言葉がみなさんの最も深い理解に届きますように、そしてそのことが今生におけるみなさんの道のための祝福となりますように。このレクチャーは、ひとつ前の172番のレクチャーの続きとなります。そこでは、生き、感じ、経験する十全の能力を決定づける、センターを開くことの意義と重要性についての話を始めました。人間のシステムにおいて、物理的には見えないけれどはっきりしたこれらの領域が閉じた状態でいることは、不幸せやネガティブさ、感情の欠如を招きます。その閉じている程度が、まさに非現実に生きていて、それがゆえに争いと無感覚の状態にいる程度を決定づけます。したがって、喜びに満ち、実り多く、意義深く生きているということは、いろいろなセンターが同じだけ開いていることを示しているのです。

 これらのセンターについては多くの霊的哲学において議論されています。そして個々人がその存在に気づき、それらを開くことができるようになるための実践が与えられています。通常は、多かれ少なかれ、集中や呼吸のエクササイズを通した機械的な方法で行われます。以前に示したように、もしそのようなエクササイズが、今まさにここに存在する隠れた態度に向き合うよりも重きを置かれているなら、これらのエクササイズはほとんど何の結果ももたらしません。もし結果をもたらしたとしても、ほんの一時的にでしかありません。最悪の場合、霊的現実と同調し調和することなしにセンターを開くことは有害にさえなりえます。もしその人が強くなく、自立しておらず、最も深い意味において自己責任を果たせないなら、システムに流れ込むエネルギーの力はあまりにも大きくて耐えられません。これが、私たちが常に全体的な発達や成長に重きを置く理由です。と言うのも、この方法であればみなさんは間違えようがないからです。このパスワークにおける私たちのアプローチは、主にみなさんの感情や思考、自身のうちにある概念の真の状態に直面させ、そこから恐怖やネガティブな感情を創り出す間違った考えを取り除いていき、恐怖の感情そのものをも取り除きます。これがまさに必要とされる基本のアプローチなのですが、ひとたび自己欺瞞や幻想の古いパターンにしがみ付かないである程度自己に直面することが実践され、そうすることで解放と自己実現が達成されると、さらなる別の方法が用いられることがあります。

 前回のレクチャーで、私は2つの側面、つまり一般的に何がこれらのエネルギーセンターの機能を決定づけるのか、そしてそれぞれのセンターの特定の機能について話しました。このレクチャーでは、第三の側面、つまりセンターを開く助けとなるアプローチ、実践、そして態度についてお話しするつもりです。しかしながら、私はもう一度次の点を強調したいと思います。それは、多くの人にとっては、センターを本当に開くことはまだ可能ではないかもしれないということです。これがみなさんのやる気をそいではなりません。内面的に準備が整えばそれは必ず分かりますし、自然にやってきます。その間にも、明らかにうまくいかない試みでさえ間接的な価値があり、有益なのです。それは、固くなった精神物質を和らげます。それは、あなた方の中にあるより偉大なる叡智とのコンタクトをもっと取りやすくするかもしれません。集中したり瞑想したりする能力を高めるかもしれません。つまり、自分自身や他者の全般的な知覚や気づきを増大させるのです。このすべてが、より深遠なる緩みと、新しい気づきの感覚の前触れとなる前提条件なのです。

 ですので、私の提案に直ちに従ったり理解することができなくても構いません。私がお話ししたことが、かなり後になって活用され充分に理解されるということは今までに何度もありました。しかし、この瞬間のほんの束の間の知的理解でさえ、より短い期間で、より深い知覚とのアクセスを容易にする間接的で有益な結果をもたらすかもしれません。あなたが、今話されていることと自然で、自発的で、有機的な方法で関わるとき、それはあなたの中の何かが精神(マインド)のこの状態に向かって進んできたからなのです。自然で有機的なプロセスであるこの道を決定づける多くのさまざまなものがあります。最初のハードルが克服され、あなたがその道と調和するなら、その道は自らのニーズとメッセージを生み出す自己永続的な現実となります。上に述べたように、私にはあなたがいつ、本当に、真に、生き生きと私がここで言うことを活用できるのかを予見することができません。ただ、あなたはやってみることや瞑想を通して見つけるであろう自分なりの方法で、その一部でも活用することができるはずです。今あなたが自分の道のどこにいようとも、私の言葉のいくつかは自分のものにできるはずです。

 いずれわかるようになりますが、私の言う実践は、決して単なる機械的なものではなく、常にあなた自身の態度や生命の知覚、自分自身や生命の最も深い概念に直接かかわりをもたらし、それがゆえに起こる感情や思考のプロセス、行動にもかかわるものです。だからこそ、意味深く安全な取り組み方が確立されるのです。

 センターが開いているとき、人は内的にも外的にも、完全にリラックスした状態、つまりひきつったところのない状態にいます。「内的にも外的にも」という言葉が本当に何を意味するかを調べてみましょう。これらの言葉はどれもたやすく当然のことと受け取られ、軽く扱われかねません。みなさん、私が話している事柄を正確に理解することは本当に重要なのです。私は以前、別の文脈で、人間の中にあるすべての機能や臓器は物理的肉体だけでなく、その肉体が形成されるモデルとなる見えない体の中にも存在することをお話しました。(ここではそのようないくつものオーラ体があるという事実の説明を省こうと思います。というのは、ここでの話は「内的にも外的にも」という言葉で十分と思われるからです。)同様に、意識にも内側の意識と外側の意識が存在します。これは、必ずしも意識的なマインドと無意識のマインドと同じようにおおざっぱに定義できるものではありません。知るということにおいても、内なる知と外なる知があります。この場合、内なる知が必ずしも無意識であるというわけではまったくありません。内なる知覚や感じる能力もあれば、外にも同じものがあります。内なる論理的な思考過程もあれば、外なるものもあります。このように、あなたは内側で機能するものと外側で機能するものを併せ持っているのです。

 このことは、身体の自発的な反応と無意識の反応によって最もうまく説明することができます。あなたの身体機能の多くが自発的に起こります。あなたが直接アクセスできる脳は、コントロールし、身体のほかの領域に難なく反応するよう命令を発することができます。あなたは、手を動かしたり、起き上がったり、こちらやあちらへ足を動かしたり、声帯を使って音を発したりすること、もしくはしないことを決定します。これらの機能は、みなさんの外側の直接的な意志によって決定されます。そしてもうひとつは、直接に意のままには影響を受けることのない心拍、血流、消化器官などの内側の機能があります。しかし、それらは他のすべての内側の機能と同じように、間接的に影響を受けているのです。

 まったく同じように、体の中には外側と内側の緩みが存在しています。あなたが、自分自身、つまり自分のマインド、思考のプロセス、感じていること、感情的反応、そして体の状態により調和するようになるにつれて、現実のこれら両方の層をとてもはっきりと区別し経験できるようになるでしょう。それは常に外側の層から始まり、自然に気づくことはまったくありません。事実、自分が意識的に何を考え、感じ、経験しているかをはっきりと簡潔に確認できるようになるまで、相当の時間と注意をそれに向けなければなりません。通常は、これはあまりにも曖昧で混乱しており、あまりにも習慣的にごまかされているので、もしその場で今何を考え、感じているのか聞かれても、わからないと告白するに違いありません。体の状態に対する認識についても、たまたま滅多にない強い痛みか喜びの状態にない限り同じです。

 緊張状態があまりにも習性になっているため、外側の筋肉が体のあちこちで緊張しているという事実にもはや気づきません。これは、精神や感情のレベルについてもまったく同じです。ここでも、決まった方法で考えたり、特定の感情を感じたりすることにあまりにも慣れてしまい、ほかのことは何も想像できず、何を考え、感じているかさえ認識することができません。したがって、自己成長の大部分は、常にすべてのレベルにおいて自分が何を考え、感じ、経験しているのかという自己の感覚の高まりにあるのです。考えていること、感じていること、そして体の状態の外側のレベルにおいてこの気づきが得られたあと、内側での気づきは成長を始めます。能力は今や注意力、ありのままに「聞き取る」という新しい方向に訓練されています。ですので、それはもうそれほど難しくはありません。

 筋肉の緊張を緩めることに関して言えば、外側の体の機能から始める場合、後になって任意に緩めるためには、まず緊張を感じ、それに気づくことが必要です。これが機能の精神的および感情的レベルと対応します。そこでも、思考が真実ではなく、感情が破壊的な場合、それを変えるためにはまず、ある特定のことを自分が感じ考えているということを知ることが必要です。この外側の意識の達成の程度に応じて特定の反応や機能を変えられるようになり、自動的に機能の内側の領域に到達できるようになります。

 センターを開くという目的のためには、すべてのレベルにおいてリラックスした状態である必要があります。リラックスの状態とは、活動していないことや惰性、麻痺状態や動くことのない不活発さに陥った状態を意味するのではありません。それどころか、リラックスした状態にあるときにのみ、生き生きとしたエネルギーは組織を通して流れ込むことができるのです。ですので、実践のより重要な側面のひとつは、すべてのレベルにおける緊張状態を観察することです。いったん外側のリラックス状態がまれなことではなく普通になれば、内側にある絡ってきつくひきつれたものに対する気づきはとても自然についてくるでしょう。あなたは、突然今まで感じたことがない何か、つまり外側の体は気持ちよく感じ、調和し、痛みも緊張も感じていないのに、内側に「しこり」があるという感覚を発見するでしょう。そのしこりは痛くはないのに、それがあるということを感じます。あなたは、今まで気づかなかっただけで、それがずっとそこにあったことを知るでしょう。あらy

 ですので、緊張状態に対する集中的なエクササイズは、緊張を緩めるために極めて有効です。外側の体が健康的で活気に満ちていると感じるリラックスの状態になれば、自分の内側の体にあるブロックに対する気づきが得られ、そのブロックがなくなったらどうなるかを知るでしょう。意志の力で直接的にそれを行うことはできません。というのは、今あなたが相手にしているのは不随意な内側の機能であり、あなたが意志の力でこの瞬間に違って感じることができないのと同様に、肉体レベルを直接コントロールすることはできません。感じていることが間違った考えや非現実的な前提に基づいており、破壊的で不快なものなので、違って感じたいと「自分に向かって」宣言することはできます。いつか突然にまったく思いがけず、とても自然に新しい方法で反応するときまで、これらの破壊的な感情に間接的に影響を与えることができるようにより多くの理解を探ることができます。それは内側の肉体のブロックについても同様です。

 おそらく、内側の肉体のブロックを最初にどのように経験するかについての最善の表現方法は、たとえば、まるで体のある特定の部分に静止して停滞した領域があるかのように感じるということです。この気づきは、常にいかなる観点からも、最も大きな重要性を持っています。いったんブロックが壊されれば、楽しいエネルギーや生き生きとした感覚、喜びが存在全体を通って流れるのを感じるでしょう。あなたは、この状態が緊張した領域の「下」(もしこの不適切な名称を使うとすれば)に存在することを、実際に体験する前にでさえ感じ、知るでしょう。内なる知があなたにこれを教えるでしょう。

 あなたが今自分だと思っている状態と、現在は一時的に封じられているとしても潜在的にあなたのものである状態というこの2つの状態を知っていることは、あなた自身のあり方や経験の可能性にかなり近づけてくれます。もう一度言いますが、同じことが精神と感情のレベルでも言えます。あなたがとても静かになって自分自身に耳を傾けるとき、緊張しひきつった感情的活動を発見するでしょう。つまり、どれほどマインドが緊張の形として現れる過剰な興奮状態にいるか、もしくは、その感情的活動がどれほど鈍く停滞しているかを知るでしょう。それは、あまりにも不快で耐え切れなくなった隠された緊張が別の形で表れているのです。一体それが何なのかに気づいた後にのみ、それに建設的な方法で対処することができるようになります。決して気づく前にはできません。

 ですので、自己認識の同じ原理がすべての観点において深められなければなりません。静かな自己観察の状態が、あなたがこれを成し遂げることを助けます。この静かな集中が、あなたに異常な状態(圧倒的多数の人が人間の生まれながらの潜在能力を具現化していないという点において異常な状態の中で生きているということをはっきりさせましょう)の気づきを与えるだけでなく、すぐにその不自然な状態の「後ろ」に生まれながらに持つ正常な状態がすでに本当にあなたの中に存在しているという気づきを与えるでしょう。あなたや人生を経験するためのあなたの能力を十分に発揮するオープンで自由で生来の状態は、あなたが今まだそれを持っていないからといって必死になって獲得しなければならないものではありません。それはすでにあなたの中にあります。まずひきつったところやブロック、緊張を感じることができるのと同じように、ただそれを感じることができます。

 このことは、まったく利己的でも自己中心的でもなく、自分自身にとても明確に焦点を当てることです。実際、それは他者に対するあなたの知覚や理解を拡大し、他者とのより崇高な関係性をもたらすでしょう。あなたの他者との関係性は、あなたとあなた自身との関係性の中に正確に比例して存在します。これは、あなた自身の態度や反応、そしてあなたの存在のすべてのレベルの状態に対する理解と気づき、経験を含みます。このアプローチを意義あるものにするために、私は今まで厳密にはこの方法で言及してこなかった意識のある側面についてお話ししなければなりません。

 あなたの発達と成長の結果として、あなたは自分自身の内にあるより偉大な現実と知性の存在を経験し始めています。そしてそれを慎重に活性化し始めると、この偉大な現実と知性との接触は未来永劫に現実のものとなります。その導き(ガイダンス)は、想像できる限りにおいて最も信頼でき、賢明なものです。その声は、永久に明瞭で識別可能なものになります。あなたの内の何人かは、少なくともたまにはこの接触(コンタクト)を経験し始めています。あなたはこの接触を容易にし、それを使いたいときにいつでも使えるものにする瞑想において、確かなアプローチを習得しました。難しいのは、それが必ずしもすぐに利用できるものではないということではありません。難しいのは、あなたがそれを使うのを忘れている、もしくは使うことに抵抗していることです。しかし、それがどのようなものであれ、単なる理論として以上にそれを知っている人は、おそらくそれが太陽神経叢の領域のどこかにあると考えるようになっています。これはその通りなのです。というのは、前回要点を述べたように、太陽神経叢にあるセンターは、宇宙の真実の内なる叡智と通信する経路なのです。しかし、これは宇宙の真実がその場所に位置しているという意味ではありません。

 それとの接触と、それを使うことに対する抵抗についてもう一言申し上げます。それを使うときにあなたが受け取る答えは地に足のついた現実です。あなたの基本的な人間としての尊厳を決して否定せず、だからと言って感傷的にあなたを甘やかしたりもせず、あなたに抵抗を引き起こす未熟な欲求が勝手に自分は特別だと思い込むことを許さない、現実的な解答とインスピレーションです。ですので、この聖なる叡智は、あなたに完全な自己責任を持たせます。自己責任を持つことのみが本当に喜びと楽しみのうちに生き、動き、躍動することを可能にするという事実を見過ごし、あなたはそれを不利なこととして考えているのです。自己責任を持って初めて、あなたは安全を感じられるようになるのです。なぜならば、あなたの他者に対する依存が、あなたの中のそれほどまでの恐れを作るものだからです。この恐れこそが緊張を作り出し、この恐れは、その接触を活用「しない」と認めるのではなく、活用「できない」と主張し、それを放棄させる完全に間違った前提に基づいているのです。もしあなたが仮にも生命のセンターを開き、生命力をあなたの存在全体を通して流れ込ませたいのなら、このハードル(障害物)はどんな状況にあっても乗り越えなければなりません。

 このことには、何度も繰り返し向き合わなければなりません。妨げとなるすべての問題は、最良の機会を提供します。なぜなら、もしあなたがその瞬間の真実、問題の真実に、ほかのどんなものよりも価値を置き、ほかのすべての考えを手放してそう明言すれば、それは明らかになり、現在のあなたの持つ誤りやすさ、そしてその下にある可能性においての神聖さとの両方を持つ人間であることを知るでしょう。意識の層を理解し、あなたが無限の宇宙の意識の表現のひとつであることと外側の層がいかに切り離されているかを理解するために、この内側とその他の「脳」をひとつの同じ臓器として考える必要があります。外側はただ、本当の性質を「忘れて」いて、接触を「失って」いるだけなのです。あなたの意識的な意志を持った知性は、このつながりを再構築しなければなりません。それ無しでは、実り多く喜びに満ちた生活はありえません。

 では、この内側の宇宙の意識はどこにあるのでしょう?人は未発達であればあるほど、それから引き離されていると感じます。したがって、未熟な宗教においては、人はこの宇宙意識が自分の外で、より高いところにいる、遠く離れた「天国」に存在する特別な人格だと考えます。ずっと進んだ状態は、神が内にあるという理解です。それでもなお、この概念においては、宇宙の意識はまだ人格化され、ある場所が特定されています。それは今、太陽神経叢の中の特別な領域に「ある」ことになっています。これは、あなたの無知で破壊的な無意識があなたの中の特別な領域に「ある」というのと同様、真実ではありません。まるで「メッセージ」が太陽神経叢のセンターを通して出てくるように経験することがしばしばあるとしても、それはおそらくそれを伝達する出入り口でしかありません。あなたは、言葉を話す口がその人だとは言いませんね?それはここでは同じことなのです。ですから、宇宙的で普遍的な意識と同様、分離し個別化された意識は、脳の中にも太陽神経叢の中にもないのです。では、それはどこにあるのでしょうか?この時点において、答えを垣間見ることはとても重要です。そして、最初の段階ではそれ以上のことはできません。

 意識は、生命体のすべての原子、すべての細胞、すべての分子、そしてすべての最も小さな断片の中にあります。意識にあるこれらの微小なものの集合体のひとつひとつは、人の人格と同じくらい不変の法則に従って機能しています。あらゆる細胞意識と人との関係は、人と人類などとの関係と同じです。

 人格全般が、いわゆる自己実現、もしくは宇宙の真実の状態にある程度に応じて、その範囲で個々の意識の粒子は真実を受け入れ、誤認と間違いを捨て去ります。あなたの体の病んだ部分はどれも誤認なのです。「死にうる」物質でできた体そのものは、長期にわたる知覚の誤りの結果です。反対に、すべての有機体が真実を知っている程度に応じて、「小さい単位」はやがてそれを取り入れ、その起源を知り、その瞬間どれほど分離していようと、存在のすべての粒子に内在する根本的な宇宙の知恵と生命につながるでしょう。今後はますます、死は生命に、病は健康に、苦しみは喜びに、恐れは安全へと代わるに違いありません。このように、意識はあらゆる場所に存在します。聖なる法と叡智の究極の真実は、過ちを犯す個人、間違う細胞や分子、原子、そして精神物質のあらゆる粒子の「下」や「後ろ」に常に潜在的に存在しています。

 成長過程にある自己認識の中で知覚できるように、緊張しひきつった内側のブロックは、自由で流れていて喜びに満ちた別の状態を「覆って」いるだけなのです。ですので、あなたは自分のあらゆる病んだ部分の後ろに健康な本来の状態を見始めます。病気は、あなたの細胞、原子、分子もしくは他の最小の粒子の誤解の産物です。しかし、これらの誤解は、 あなたの性格を構成するそれぞれの要素と結びつくことなしに勝手に起こることはありません。誤解は、より小さな生命物質に緊張や誤解を生みだすあなたの間違った考えや偽の恐れ、不必要な防御の結果生まれ出るのです。また、すべての不和という感情的な状態は、間違った状態にある微妙な、目に見えない生命物質で出来ています。この誤解は個々人によって作られ、その人によって完全に取り除かれなければなりません。

 すでに自分の内にあり、「下」に存在する健康で喜びに満ちた状態に対するものとして、病気の状態を経験するというこの種の自己観察ができる程度に応じて、あなたは意識と存在のある領域から別の領域へと移って行きます。パスワークはこれをあなたにもたらします。私たちが過去にやった多くは、まさに否定的な感情や破壊的な行動を起こすすべての誤解に注意を払うことに関連していました。あなたは、自分が取り組んできたたくさんのことから、すべての恐れの状態が緊張を生みだし、そしてそれが誤解の結果なのだということをすでに知っています。すべての敵意の状態は、誤解の結果であり、別の否定的感情を作り出し、そして緊張を作り出します。どんな理由であれ、緊張しているとき、あなたは誤解の状態にあるに違いないのです。なぜならあなたは、恐れの状態にいるからです。そしてわずかであってもすべての緊張はセンターを閉ざすのです。

 身体的なものも別のものでも、あらゆる運動、あらゆる瞑想、自己考察、自己分析は、常に次のことを念頭に置くべきです。つまり、間違った概念や考え、幻想、そしてその結果としての実行不可能な偽の解決策や振る舞いのパターンを排除することです。一緒にこの道を始めて以来、私はあなたに繰り返し言っています。人生に対してあなたを閉じさせているあなたの誤認は何ですか?あなたに非生産的で、しばしば破壊的な態度を取らせているあなたの誤認は何ですか?緊張は常に誤解に関連しています。あなたのアプローチや実践のすべてにおいて、それがどんなものであろうと、この誤解の状態を観察し、心に留めてください。そしてこの観点から自分自身を見てください。詰まりを感じる場所がどこであれ、感情や身体の痛みに満ちた状態であっても、もしくはあなたが生命自体の持つ力やあなた自身が持つ力で十分に生きようとするのを邪魔する固まった何かがあると知っている中立の状態であっても、理解して、根底にある誤解を見つけようと試みてください。誤解はあなたの体の機能に入り込んでしまい、条件反射として緊張を作り出しているかもしれません。また、誤解は意識の最も小さな粒子の中に入り込んでいるかもしれません。しかし、これは常にあなたによって発見され、明らかにすることができるすべてを含む考えの結果です。あなたは単に身体的反応をあなたの内側にある間違った状態と関連付けようとするかもしれません。これは、極めて啓蒙的で解放された意識の高まりによる新しいレベルを証明するでしょう。これは、生命とエネルギーセンターを開けるためのひとつの必要条件なのです。

 フラストレーション(欲求が満たされないこと)への恐れは、このすべての問題の極めて重要な例であり側面です。第一に、どんな人間がフラストレーションを抱えるのを恐れないでしょう?この恐れは克服されなければなりません。というのは、それ自体が誤解だからです。そこには常に、不必要にフラストレーションと戦わせるその誤解と関連付けられる暗に含まれる意味があります。それゆえにあなたは、「あれを避けるために、これを持ってはいけない」もしくは「この悪いことを避けるために、あれを持たなければならない」という状態にとどまるのです。これらの「~なければならない」は、恐れと緊張の流れです。この「これかあれか」の二元性のレベルに執着している程度に応じて、あなたは誤解と緊張の状態にいることになります。生命はこの状態にいるあなたには流れ込めないので、あなたからその誤解を取り除かなければなりません。それには、もちろん、あなたの漠然とした思考や感情のプロセスから脱してその誤解をはっきりさせなければなりません。

 フラストレーションは、危険なものでも悲惨なものでもありません。私がこれを何度言ったとしても、みなさんの注意を引き、理解していただくには十分ではありません。みなさんは単に口先だけの同意をするだけで実行には移さず、自分自身のフラストレーションに対する反応を観察することはありません。自分を邪魔する望ましくないことに対してあなたはどのように反応するでしょうか?それは沢山あるでしょうが、みなさんは本当の自己実現とはフラストレーションの終わりを意味すると伝え聞いています。さて、これは真実ではありますが、フラストレーションを恐れ、それゆえにフラストレーションに対してひきつったような痛みを感じることによってそこに至ることは決して出来ません。まず、自分に降りかかるそのフラストレーションの衝撃を誇張することなく、脅えることなく、それを受け入れることを学ばなければなりません。あなたがそこに至る段階を飛ばして、統合の状態の究極の結果を手に入れたいと望む限り、統合対二元性の基本原理を理解するに至っていません。2つの選択肢のどちらも過度にあなたの機能を強めないときだけ、あなたは二元性を越えることができます。具体的に言うと、フラストレーションは、あなたを動揺させなくなる程度に正確に応じて存在しなくなります。あなたが現実的で用心深い方法で、フラストレーションはなくてはならない部分のひとつであると現在の現実の領域を受け入れるとき、充足のみがある新しい現実の領域を見つけるでしょう。フラストレーションなど許されないという全能であることへの子どもじみた欲求は、真に全能であることを最終的に発見する人間の聖なる力を現実のものとすることができません。人間の全能は、要求や絶望、貪欲さ、プライドや身勝手さから来るのではなく、これらの側面すべての背後にある幻想に出会い、うまく乗り越えることから来るのです。

 もしフラストレーションに対する態度という観点から個人の発達を示す大まかな図を描くとしたら、次のようになります。

 (1)最も子どもじみた、それゆえに厄介な状態は、フラストレーションが災難に思える状態です。それゆえに恐れ、緊張し、そのために生命のセンターが閉じており、結果としてすべてにおいて不幸で非生産的です。

  (2)次の状態は、一方では最終的にはフラストレーションを乗り越え、もしくはフラストレーションをなくすためのその人の最善の能力を使いつつ、欲しいものを持たないことを受け入れる感情の成熟です。限界が現在の現実であり、それゆえにフラストレーションも存在するのだと知り、現実のこのレベルがそうある通りでしかないと受け入れます。この態度は自分自身にも他者にも当てはまります。

  (3)いったん人がフラストレーションに直面し、対処するためにこの成熟した態度を学ぶと、すべての偶然性、人生におけるすべての可能性が広がり、それゆえに喜びとなるための同じだけの可能性を含んでいるという最後の状態に達します。それは、単にこの1つの方法だけとは限りません。宇宙のエネルギーが自由に流れる、常に開いたセンターの結果である平穏と喜びには、それらを形作るために状況を創造、再創造する力があります。これは、魔法や、自分の思い通りにするために力を用いて他者をコントロールすることによってはなされません。それは、幸せに対するより大きな永遠の可能性が明らかになる、その人の高められた能力と資源の結果起こります。

 ですから、自己観察のとても重要な面は、いかなる種類のフラストレーションに対してもあなたの本当の考え方に焦点を当てることです。それはあなたの中にある恐れと緊張の状態に関する良い物差しとなるでしょう。関係する恐れをその後言葉に表すことができるならば、あなたは重要なところに入ったことになります。あなたはまた、フラストレーションに対して緊張することが、自分自身にとってより大きなフラストレーションを起こしていることを知るでしょう。というのも、緊張とはまさに、今あなたにやってきている人生に対する否定だからです。外側の状況が、あなたがこの態度によって自分自身に負わせているほどのフラストレーションを作り出すことは決してありません。あなたの感情や生命力の流れこそが、すべての充足の究極の源なのです。それなしでは、いかなる外側の出来事も本当には意味を持ち得ません。そうなって初めて、あなたの無力さをほかの人のせいにすることなく、他者との充足も深くて深遠な方法でやってきます。このように、多くの恐怖と、起こりうる敵意を避けられます。フラストレーションに関する防御的恐怖心のために、人が自分の生命のセンターを閉じるとき、人は永久に自分自身に失望することになります。常習的な絶望の多くはこの事実に基づいています。

 このレクチャーの最後に、みなさんのセンターを開くための2つの特定の瞑想、もしくは実践的な練習法をお教えしましょう。ひとつは少し前の質問に対する答えの中でお話ししましたが、ここでもう一度簡単にお話しします。

 この器具が置かれているのと同じように、リラックスして座ってください。ドスンと座らないで、でも緊張もしないで、硬くならず完全に自分自身の中にいてください。背骨はまっすぐにし、椅子の背もたれによりかからず、自分のバランスを保ってください。目を閉じて、あなたの外側の体のあらゆる部分を感じます。そしてそれを意識して緩めていきます。次に、もし考えなかったら何が起こるか見てください。考えないことを無理強いしてはいけません。なぜならば、それはあなたを緊張させるだけだからです。むしろ、「考えたくないけれど、私はほとんどいつも不随意に起こる思考のプロセスなしでいることができない。だから、落ち着いて自分の思考プロセスを観察してみよう。どの程度その思考プロセスがコントロールできずに自分のマインドに入り込んでくるのだろう」というような気持ちで試してみてください。もう一度言いますが、観察を無理強いしたり抵抗したりせず、そのような方法で試すと、そのうちに恐らくほんの1分ほど考えないことに成功するでしょう。あなたはその瞬間、とても静かで、緊張がなく、それでいてバランスのとれた状態になり、動揺しているマインドのプロセスは静まるということに目を向け、その気づきとともに「そこ」にいるでしょう。それは散漫であることやうとうとすることとはまったく違います。この状態は十分に意識的で、目覚めた状態です。つまり、それは露ほどの緊張もない研ぎ澄まされた集中状態なのです。

 それからあなたは、思考のプロセスがあなたの中に入りたがっているのを見ている自分に気づくでしょう。あなたはまるで自分がはっきりとした無、もしくは虚無の入口に立っているように感じるでしょう。これを激しくない方法でやってください。おそらく自己発見や否定性の新たな方向づけの目的で用いる瞑想の前後がいいと思いますが、1、2分でやってみてください。また、あなたがそれをしている間、静かにしかしはっきりとあなたの腹部を通して呼吸してください。できる限り静かで規則正しく調和のとれた方法で、あなたの下腹部をリズミカルに上げたり下ろしたりするのを感じてください。すべての呼気も吸気も、徐々に意志によるマインドが働くのをやめ、ただ単に不随意のマインドを観察する状態となるまで、もっともポジティブな性質のマインドのあり方を表現しなければなりません。

 この練習は、忙しくて興奮状態にあるマインドを静めるのに役立ちます。結果として、太陽神経叢のセンターが開くでしょう。この練習を通して、太陽神経叢のセンターへの経路が緩み始め、ついには開くことになるのです。このように、あなたの高次の知恵との内なるつながりが確立されるのです。直接的ですぐに分かるような結果は得られませんが、できるだけ激しさがなく、静かな状態でこれをすることにより、あなたは突然この明らかな虚無の瀬戸際にいる自分に気づくでしょう。これこそは新しい開放の始まりです。あなたはまるでそれがまったくこれらの練習とは無関係に起こったかのように、その結果はさかのぼって間接的にしか経験できません。

 私が提案するもうひとつの練習は、外側と内側の体のブロックの観察というこのレクチャーのテーマに大変大きく関連しています。もう一度同じように座り直してください。このエクササイズでは、もしあなたが平らに寝たいのであれば寝ても構いません。もう一度リラックスして自分の体に波長を合わせてください。外側の機能のあらゆる部分を意識的にリラックスさせてください。そうすればあなたは、今までは特に気づかなかった緊張した領域を見つけるでしょう。どの程度までそれを意識的に緩められるか、どこが緩めることができないか見てみましょう。これは、その領域が外側のシステムに属しているか、内側のシステムに属しているかを示すでしょう。いったんその領域を明らかに区別し、ブロックやしこり、詰まりを感じることができたら、その意味を問いかけてください。これを作り出すマインドと感情とを結び付けてください。この緊張を作り出す恐怖は何ですか?特定の体の緊張と恐れの間にある直接的関係は何なのか、自分自身の中に尋ねてください。意識を持っているこれらの細胞にその思考を送ってください。「その緊張の背後にある間違った認識は何なのか」と尋ねてください。答えはやって来ます。おそらく最初は外側のブロックしか気づかないでしょう。しかし進歩すればするほど、内側の現実の気づきは大きくなります。その時にはそのレベルでも同じアプローチを用います。ただその時にはもっと簡単になっているだけです。

 もっともっとあなた自身のシステムとつながり、今まで注意を払ったことのない状態に気づくことによって、あなたは自分の体の緊張に気づくだけでなく、マインドや感情の領域でも同じことをするようになるでしょう。そこでも、流れるような緩んだ状態は、硬化し、この流れを妨げるブロックとは対照的に、喜び、活力、そして絶え間なく流れる喜びとエネルギーをもたらします。注意を払うようになると、このブロックははっきりと感じ取れるようにもなります。

 マインドと体とが一致したワンネス(統合)の感覚は、よりしっかりと結びつけられ、ゆるぎなく確立されるでしょう。マインドは間違った認識をもたらします。次に、感情はそれに対して否定的で破壊的な感情で反応します。その後体は、収縮、緊張、こわばり、硬直となってその感情を表します。それは、締まりのなさや不健全な方法での見せかけの弛緩の背後にある状態でもあります。妨げるものが存在する、これらの3つの機能のレベルをひとつにまとめることができれば、それを解決する次の段階に至るでしょう。その時が来たら、私がお手伝いします。

 ここにおられるみなさん一人ひとりを祝福し、今日は終わりにします。これが空虚な言葉だと信じてはいけません。みなさんが望めば、それはあなたを奮い立たせ、扉を開ける道具となる強さを運んできます。今のあなたがどれほど誤りを犯しがちであったとしても、平和のうちにいてください。そしてあなた自身であり、ありのままの自分を愛してください。その時あなたは本当に神になるのですから。


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