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No.176 否定性を乗り越える

Pathwork Guide Lecture No. 176
未編集版
1969年10月10日


否定性を乗り越える
THE OVERCOMING OF NEGATIVITY


 ここにおられる、友人の皆さんにご挨拶と祝福を。早速、前回の続きである今日のレクチャーを進めていきましょう。前回のレクチャーを聞いていない、あるいはまだ勉強されていない方にとっては、この一連の流れを真に理解することは難しいでしょう。前回、私たちはマインドと意識、その創造的な側面とパワーの重要性について話しました。また、全人類の内に進行するプロセスである、ネガティブな創造についても話しました。もし、ネガティブな創造から自由であるならば、もし創造にネガティブに関わっていないならば、あなたは人間ではないでしょう。ある特定のレベルの発達を表わすこの意識の次元には住んでいない筈です。人間は一般的に、かなりの範囲で建設的な創造ができる程に自由です。しかし、人間の心理では、ネガティブな創造が様々なレベルにおいて未だ継続中なのです。このことは、ネガティブな創造から抜け出す為に奮闘し、否定性の誘惑から自らを遠ざけ解放することが、この領域での人間の課題だということを意味します。簡単なことではありません。何故なら、どのような創造プロセスであっても、創造の魅惑は人を捕らえるが為に、人はそのままで居たいと望むようになるからです。同時に、その人は打ち破り難く思えるいくつもの悪循環に巻き込まれます。皆さんが一歩一歩進み、歪んだ創造プロセスとのネガティブな関与の保持を更に解放できるよう助けることが、今の私の使命です。

 パスワークが特に重要視する具体的な側面について、お話しを続けましょう。多くの友人たちは、自らの内なる否定性の真実や事実に気づき、更にはその否定性が意図的であることにも気づき始め、どのように自分がそれに固執しているのか理解できるようになりました。この段階に至ったことは極めて重要です。自らがその運命を創造し、自らがネガティブでいることを望んでおり、どんなにそれが望ましくないように思えても、そのネガティブな態度を維持したいと思っている自分を知っている人間と、その事実に対して無知な人間との間には、考え得る以上に大きな違いがあるのです。

 普遍的自己の実現に真に繋がる道を歩む人は誰でも、自分についてこの洞察に至る必要があります。そうでなければ、その人がたどる道は幻想に繋がり、単に理論上の憶測や逃避的な理想を扱うだけにあり、実際の生きた経験にはなりません。

 ですから、友人の皆さんは人間である以上、誰もがネガティブな創造に関わっています。手放すつもりのない、意図的にネガティブな態度や感情は創造物なのです。自らの不幸や苦しみが、他者や人生にもたらされたと信じるのは全く愚かなことです。どのような不幸であっても、自らの外側や自分以外の何かからそれが生じていると信じるのは、人類の狂気です。私は確かに、この人生の事実について繰り返してきましたから、皆さんは理論的には随分以前からこれを知ってる筈です。皆さんは、これに対して表面的に同意していました。しかし、自らのネガティブな創造、つまりあなたが嘆き、他者に責任を負わせるその不幸が、実際にはそれを楽しみ保持したいと望むネガティブな態度から引き起こされているのだと明確に自覚することと、この考え方を知的に確信することとの間には天と地ほどの違いがあります。自らのフラストレーション、不満、痛みを社会のせいにするならば、あなたは完全に的を外します。これは、社会の中にある病が実際には存在しないという意味ではありません。それは確かに存在します。しかし、私生活で表現される否定性によって、あなたが嘆く社会の悪に無意識に深く関与して貢献していなければ、それに感化されることはありません。

 このような道の始まりにいる時には、この真実は信じ難いかもしれません。しかし、本当に専心するようになると、まさにその通りだと分かるようになる筈です。あなたは決して罪なき犠牲者ではなく、社会そのものは、あなたと他の多くの人々が絶え間なくネガティブに創造する産物の総和に過ぎません。否定性を放棄したくない場合に限り、この気づきは、はじめ衝撃的で痛みを伴います。その場合には、他者がそうするのだという幻想が必要になります。あなたは、自らの内で至福を不可能にする何かに出会うことなく、至福に至ることを願っています。自らの誠実さを損なうもの全てを放棄しないまま、真の自己受容と自己尊重のある人間に成ることを望んでいます。こうして、責められるべき誰か、あなたを犠牲にする他者がいるという幻想を生きるのです。これは、友人の皆さんの多くが様々な形で発見してきた、見せかけという頻繁に行われる有名な「ゲーム」のひとつです。これらの幻想や狡い意図が手放されれば、例えその殆どがまだネガティブに働いていても、はじめは衝撃的であっても、その創造力の働きの自覚は素晴らしい啓示と解放になります。

 ここから、皆さんが緊密に容赦なく囚われている、自らの幻想とネガティブな産物の迷路から抜け出す為に必要なワークのステップについてお話したいと思います。明らかな最初のステップは、自らのネガティブな態度、破壊的感情、微妙な嘘、誤魔化しの意図、良い感情への悪意がある、人生を破壊する抵抗を見つけ、決断し、認識し、見て、受け入れ、観察することです。これら全てはネガティブな創造です。このレクチャーは特に、自らの成長に向けて非常に個人的、かつダイナミックに取り組み、その方向に整然とワークしている友人の皆さんに向けられています。皆さんの殆どは、この意図的でネガティブな創造の産物と、ある程度のコンタクトができていると言えるでしょう。しかし、それにもっと気づき、より公平に観察することが重要です。これが最初のステップとなります。

 ふたつ目のステップは、自身の具体的事例において、このネガティブな創造の産物に対する自らの反応や感情、あなたの中で故意に選ばれた意図について深く内側で問いかけることです。そうすると、自分がそれを好んでおり、ある種の喜びを見出しており、それを手放したくないことが分かるでしょう。前回のレクチャーでは、創造の喜びについてお話しましたが、それはネガティブな創造にも当てはまります。これを感じて認めることが絶対に必要です。これが破壊的で間違っていることは概ね漠然と理解しているにも関わらず、あなたは依然として、自らのネガティブな創造の産物から与えられる倒錯した喜びに魅了されています。この認識は不可欠です。これがなければ、苦しみから成長して抜けることも、切望する霊的自己に到達することもできません。

 3つ目のステップでは、あなたのネガティブな創造の産物の正確な因果関係と結果について、どんな詳細も、どんな影響も、どんな副作用も、当たり前だと思って取り繕ったりせずに、きめ細やかに見ていく必要があります。それが自分自身や他者へ与える有害な影響に気づき、正確に理解し、明確にしなければなりません。自分を傷つけているだけだと自らに言い聞かせ、ネガティブな創造の全てに対する罪悪感を和らげても、それは役に立ちません。自らを害せずに他者に害を及ぼすことができないのと同様、他者に害を及ぼさずに自らを害することもできないと理解せねばなりません。これは天国にいる権威からの懲罰的な天罰の法ではありません。あなたは全てであり、私たちは全てであり、彼らは全てであり、皆がひとつの普遍的自己であるからなのです。従って、あなたに起こることは他の全員に起こる筈で、その逆も同様です。あなたに不利な影響を与えるものが、他者にも同じ影響を与えない等ということは考えられません。例えば、自己嫌悪は常に、他者を愛せない、更には他者を憎む衝動としても現れます。これは、ひとつの例に過ぎません。これも、理論ではないのです。この事についても、そうであることを見つけていくでしょうが、それは実際にこれらのステップをワークしていった場合に限ります。

 3つ目のステップは、自らのネガティブな創造の産物から得られる喜びが、それに支払っている法外な代償に見合うことは決してないと理解することから成ります。自分自身と自らの人生経験で最も嘆いている事柄は全て、その直接的な結果です。喜び、平和、自尊心、内なる安全、拡張と成長、存在のあらゆるレベルにおける喜び、有意義で恐れのない在り方を犠牲にしているということです。これら全て、そしてこれ以上のものが、ネガティブな創造の倒錯した喜びに見合う訳は決してないのです。

 また、あなたのネガティブな創造が、他者にどのように影響するのかを見る必要があります。あなたの深い部分では、それを非常に正確に知っており、正当に罪悪感を感じているが故に自らを憎み、罰し、自分から人生の真の満足を奪っていることも見なければなりません。罪悪感のない生活は、ネガティブな創造を放棄した場合にのみ存在できることを理解できるようになる必要があります。そうしたいという誠実で真剣な願いだけでも、安らぎがもたらされます。

 ステップ3のもうひとつの側面は、破壊的な感情や態度をとることで得られる喜びそのものを放棄せねばならない訳ではない、という理解に達することです。事実、この同じ喜びは、ポジティブな創造に転換され、ネガティブな状況下で重い代償を支払うことなく、自らの人生を犠牲にすることもなく、喜ばしく罪悪感なく拡張できます。大袈裟に言っている訳ではありません。要するに、原因と結果を正確にワークして、その繋がりを見ていくことは、否定性を放棄したいという欲求が可能になる最も重要な局面です。それがなければ、その動機が本当に十分に強くなることは決してありません。意図的に破壊的であることを認識するだけでは十分ではないのです。否定性を放棄したくないと思っていることは、認められなければなりません。どれだけの代償を払っているのか見なければなりません。このようにして、あなたは自らのネガティブな創造の原因と、それから受け取る影響の両方に強く経験的に繋がるようになります。この橋は確立されねばなりません。不安、心配、自己嫌悪、不安感、人生への不満、フラストレーション、自分自身と人生を無駄にしているような感覚、自らの傷と痛みが、あなたを最も不幸にしていることを明確に理解せばなりません。これらは全て、意図的に望まれるネガティブな態度の直接的な影響と結果です。ステップ2では、まだ影響から切り離されているのです。自らの破壊性という原因を見てそれを認めても、人生で嘆く全てのこととの関連性はまだ理解していません。原因と結果を結びつけるリンクはまだ欠けています。この繋がりのリンクが確立されない限り、否定性を手放したいと本当に欲することはできません。本当に手放したいと欲するようになるには、自らが支払う重い代償を理解せねばなりません。自分や他者にとって間違っていて有害であると何となく知っているから手放すべきだというような曖昧さでは、決してなし得ません。特定のリンクが確立される必要があります。これは、ステップ2に至るよりも簡単な段階です。

 この道で最も難しいのは、ステップ2に到達することだと思います。自らが選択した破壊的な態度によって、自らがネガティブに創造していると十分に気づくことです。この気づきの状態と、自分の不幸を世界に投影し、世界のせいにし、他者のせいにし、自らの内にその原因を見出していない、それ以前の状態とには天と地ほどの違いがあります。それを認めたとしても、他者をまだ非難しているかもしれませんが、以前と全く同じ程度になることはありません。従って、ステップ2が非常に重要です。それは、自らのパワー、自分らしさを知ることを意味します。何故なら、あなたが自分のネガティブな創造の内にあるこの創造的プロセスに気づく度合いに応じて、美しい人生経験を生み出すために何ができるのかについてのヒントを得るからです。ステップ2に到達するのが最も難しいかもしれません。これは確かに、自己認識と人生のプロセスの感じ方において、最も根本的な変化を構成します。しかしまた、ステップ3をワークすることも同様に重要です。先ほども述べたように、それがなければ動機に欠けます。ただし、ステップ3の難易度はステップ2の半分にもならず、ステップ2で生じる程の抵抗に遭うことはありません。

 ネガティブな方法と同じように、ポジティブな方法でも創造することへの魅力を同じく発見し始めると、苦しみ、罪悪感、恐れ、自責の念によって損なわれていないというだけで、表す言葉もない程の美しさと光とで世界はあなたの前に開きます。あなたは自ら選んだ人生の創造主になる自由を味わうことでしょう。

 この繋がりのリンクの認識を進めながら、また、自己認識と自己受容の非常に本質的な部分として、様々な見せかけの背後にある、妨げられず隠されていない破壊性と否定性を認識することになります。私たちは長年、見せかけ、防御手段、ゲームや策略、理想的自己像、自らの破壊性を隠そうと求める具体的な否定の方法について話し合い、取り組んできました。これらマスクの全ては偽善的です。マスクは常に、自らの内で拒絶し、嫌っているものと反対の状態を表して見せます。この隠蔽工作は実際、本来の破壊性そのものよりも無限に陰湿で有害なのです。何故なら、むき出しの破壊性に一度直面すれば、自らの内にある真実に向かい合うことになるからです。これは、将来の方向性についての誠実な選択の機会となります。しかし、まだ隠蔽工作、ロール(劇中の役)、ゲームに関わっているのであれば、撹乱の核心に至ることはできません。自らの症状の原因から遠ざけられる為に、苦しみはさらに悪化し、その結果、ますます孤立感と絶望感が増します。他者から、そして主には自分自身から隠す為、あなたは隠したいものと反対に見える何かを創り出します。そのロールは第二の天性のようになりますが、あなたとは何の関係もありません。その後ろのものを見ようとしない限り、手放せない習慣に過ぎません。世界に投影し、それが本物であると自らに納得させる為に懸命に努力している「イメージ」に幻滅することが特に重要なのです。あなたが夢中になっている、そのロールの人工的なマスクは外されなければなりません。例え、犠牲者を演じているだけであっても、それは常に何らかの形で「良い」ように見えます。それを演じているだけで本物ではないことを確認するには、正確に分析し、詳細に理解する必要があります。それは決して「良い」訳ではありません。あなたがそこまで無邪気であることは決してないし、他者もそこまで悪人ではありません。その一方で、このロールの下で、自分が本当はそうだと信じ込んでいる程、あなたは絶望的に悪く、受け入れ難い人間でもありません。何故なら、これらのロールは、実際の姿とは正反対の姿を伝えているだけでなく、自分で思い込んでいる自分の姿とは正反対の姿も伝えているからです。

 しかし、演じているロールには、あなたが一生懸命隠そうとしているものと同じ側面が含まれます。もし、あなたが隠れていて、あなたのロールが他者の憎しみと不当な非難によって迫害される者であるなら、この見せかけの中には憎しみそのものが存在します。ロールの見た目は、それが覆い隠しているものと本質的に異なることは決してありません。他者の憎しみの犠牲者のふりをするのは憎しみの態度です。これは一例でしかありません。他の例についても話していきましょう。そのゲームは何を隠しているかだけでなく、実際の側面や、それが本当は何を意味しているのかまで明らかにされねばなりません。ここで示されるイメージには、完全にネガティブなエネルギーが関わっています。友人の皆さん、これをより明確に、より動的に理解して頂く為、自らの隠蔽工作としてのロールは何か、それで何を隠しているのか、私に話してみるよう提案します。自己発見の努力をそこまで続け、上記の気づきがある人は、例え最初は恥ずかしく感じても、躊躇することなく、この視点での個人的発見を私に話してみると良いでしょう。そうすれば、このレクチャーで説明された影響のいくつかを皆さんが理解して、人生の流れを変えるまでの道のりをより早く進められるよう助けられます。明らかにすることの価値はあります。このような直接的で個人的なアプローチは、私が無作為に例を選ぶよりも遥かに良いでしょう。自らの破壊性と、それを覆い隠す為に選んだカバーにまだ出会っていない他の友人の皆さんにとっての助けにもなります。今夜このレクチャーの後と、次回の質疑応答でもこれができます。皆さんが選んだ様々なロールについて、できるだけ多くの時間を使いましょう。その役が何を伝えようとしているのか説明する、簡単な言葉の名前をつけてみましょう。そして、大部分が天使的である筈のロールそのものが、その背後に隠されたものと同じ位に破壊的であることもご説明しましょう。実際、それらが違う筈はないのです。何故なら、魂の流れのエネルギーを隠すことはできないからです。どれだけ忙しく人生を偽装しようとしても、誤魔化しでエネルギーを変えることはできません。

 意図的な破壊性を排除するという幻想の中で適応するロールやゲームは、あなたが直面しなければならない最初の層です。 その後、先ほど説明した様々なステップを開始できます。時々、これらのステップは重複することがあります。

 破壊的な態度を覆い隠す偽りのロールにしがみつく、人生を賭ける絶対的な負け戦のゲームへの洞察が深まれば深まる程、これら全てを手放す動機が更に高まります。意志は強化され、魂の物質の再創造を実際に行うプロセスである第4ステップにあなたは導かれるでしょう。瞑想によって、祈りによって、このようなこと全ての真実に対する意図的な思考を形成し、それを自らの破壊的な心理的物質に刻み込むことで再創造は始まり、それに長けてくればくる程、長続きするようになります。憎み、許さず、罰し、恨み、傷つけようとする自分の意志、古い傷を引き摺り出して誇張しようとする自らの企て、両親があなたにしたこと、又はされたと思っている事柄で他者を罰しようとする相当に意図的な行為、彼らの失敗を自分に対する憎しみからの意図的な行為と見なす拒絶。これら全てを繰り返し発見し、これら全てへのこだわりによって、自らの見方、態度、感情をかえないことで喜びを得ていると気づく時、その時に、あなたは再創造を始めることができるのです。自らの見せかけの虚偽に気づく時、その時こそ、個々の出来事にどのような粉飾で現れたとしても、非難と被害者意識の見せかけの下にあるものを知りたいという気持ちを自らに思い出させることができます。傷ついたというあなたの感情は、まずは非常にリアルに見え、それが全く本物ではないと発見するには、より深い徹底した調査が必要です。それらは培われた習慣です。あなたが演じるロールも同様、実際の性格のように現れます。ロールの見せかけ、そして、人々や人生経験に対するネガティブな感情の原因となる長引く傷の粉飾、これらひとつひとつを客観的に認識することは、より深い真実の中にいることや、偽りを手放して真実で正直な態度で人生と出会いたいと望むことを可能にします。この意図を生み出し、より高次のパワーの助けを自らの内に招くことが、4つ目のステップです。

 ステップ4のもうひとつの面は、最奥なる内的存在に尋ねる簡潔な問いかけです。それ以外の何を人生で活用できるだろうか?人生経験に応じるより良い方法だと、どんな気分になるだろうか?こうして、新しい何かが進化していくでしょう。この再創造のプロセスによって、健康で、回復力があり、適切で、正直な反応が、見せかけで封じる必要のない第二の天性となるでしょう。この再創造のプロセスでは、自分がやっている何がうまく行っていないのか、それは何故うまく行かないのか、別の方法を活かしたいということを簡潔な文章にしてください。それが本気あれば、これらの文章は大いなる創造力を持ちます。古い態度の中に居続けることで自らが何をしているのか完全に理解する時、その言葉は真正になれるし、真正であるに違いないのです。

 これらは最も深く、最も重要な方法の浄化のステップです。これらのステップを踏まずして、浄化は考えられません。浄化は能動的な助けなしには考えられません。ひとりでは難し過ぎます。意識的であっても無意識であっても、自らの存在にあるこれら側面に向き合うことを避けたり、飛び越えたり、素通りしたり、何かの「スピリチュアル」な魔法で除去することを望むのは全くの幻想です。自己実現、自己現実化、自らの霊的中心に到達すること、あるいは全生命のゴールを表すのに使いたいと望むどんな言葉でも結構です。それは、あなたの最奥の否定性や偽善に向き合わなければ生じません。これには、故意にネガティブで破壊的で敵意をもって恨んでいる意図から、頻繁に見られる、過去の誰かを罰する為だけに、自らの幸せを控える程度のものまであります。これには痛みが伴います。とにかく、最初は痛そうに思えます。しかし、最初は苦痛でも、その分だけ解放されることが証明されるでしょう。

 友よ、これが私たちの現段階です。そして、個人的な道においてこの自己認識に未だ到達していない方々も、その内に到達することでしょう。それは到達されなければならないし、その準備はできることも知らねばなりません。これらのステップを踏まない限り、 あなたは自らの魂に幸福を受け入れることはできず、偽りの罪悪感で言い逃れしようとする蔓延った罪悪感を取り除くことはできません。他者や人生の気まぐれが、あなたの望みのものを奪っていると今どれだけ信じていたとしても、実際にそうしているのはあなたなのです。何故なら、自らの意識と自己創造の中にその余地を一度創れば、人生がいつでも豊かに与える準備ができているものを受け入れることができるからです。精神的な高みに到達したいと思っているのに、私が今お話ししたことに直面せずに避けられるという、表現されない幻想を抱く多くの方々がいます。そのような人々はあちこち逃げ回り、自らの不快な真実に阻まれる度に逃げ出します。想像上の「逃げる」という欲求は幻想の証明です。自分自身から逃げる必要はありません。本当にその必要はないのです。

 破壊的な態度が向かい合われることなく放置されたままである時は常に、人は最も痛みがある両面感情の中で生きています。何故なら、ネガティブでありたいと思っていたとしても、決して一方向に進むことはできないからです。究極的な現実を求める真の自己の要求も常にあり、反対方向に引き戻そうとするからです。内的な方向性の統一は、その人格に隠された破壊性がなく、真に建設的である場合にのみ存在できます。相反するふたつの方向に分裂する痛みを感じられますか?恐らく、この葛藤は人間心理で起る他の何よりも、痛みがあり、混乱させられ、麻痺をもたらします。

 この地球上での人生よりずっと昔の、ネガティブな創造に関わる以前の自分を再確立する為、常にそうであり、これからもそうである本質的で究極的な自分自身を再体験する為、ポジティブな創造の可能性をテストして検討せねばなりません。そうすれば、ポジティブな創造の方がずっと自然で本当に簡単であることが分かるでしょう。これが有機的なプロセスです。ネガティブな創造や破壊的態度に慣れて自然に思えたとしても、それは人工的で不自然なものです。ポジティブなことは楽なのです。しかし、すっかり慣れきってしまったネガティブな感情を捨てるのは、あまりにも大変な努力を要するように思えます。否定性を手放すことで、肯定性を新しく創り出すのだと未だに信じているからそう思うのです。もしそうならば、殆どの場合、それは全く不可能でしょう。しかし、ポジティブな創造は既に自分の内に存在しており、ただ覆われているだけで、それを許した瞬間に展開して姿を現せるのだと気づいた瞬間、否定性を放棄することは、人生で、そして今生以前の多くの人生で、あなたを引きずり下ろしてきた重荷からの解放となります。あなたが憎む時、不信感を持つ時、物事を懐疑的に見る時、最悪の事態を予測して好ましい結果を妨げる時にも、愛し、信頼し、人生は良いもので信頼できるという知識はあなたの中に既に存在しているのです。これら全て、そしてそれ以上のものは既に存在しており、雲の後ろから現れる太陽のように、表に現れることを許されねばならないだけなのです。それを根底から感じることは可能なのだと分かるでしょう。その発見がなされると同時に、その人の存在全体に浸透する深い喜びも経験されることでしょう。友人の何人かは既に折りに触れてこの経験をしており、この究極の現実を取り戻す彼らの道はそれほど難しいものにはなりません。

 神が人の内にいるという意味はこのことにあります。あらゆる場所でその瞬間に必要とされる、非常に個人的で秩序ある無限の叡智を備えたこの素晴らしい意識だけではなく、創造的な力とエネルギーにおけるパワーだけでなく、至福、楽しさ、あらゆるレベルでの最高の喜びだけが存在するのではありません。勿論、これらの全ては存在します。しかしそれに加え、自らの否定性に悩まされる部分のすぐ下には、起こり得る全ての偶然への明確で、強力で、それぞれの場合で完全に正しく、あなたを完全に満足させる全ての反応、古くて新しい人生が存在するのです。反応する回復力と創造力は、見せかけで偽りのロールの背後、破壊性が踏ん張っているすぐ後に、既に存在しています。外的な生気のなさの下には、泡立つような活気が既に存在しています。はじめは、ほんの一瞬だけ輝くでしょう。しかし最終的には、あなたに定着した雰囲気として現れてくるでしょう。

 この定着した雰囲気で生きられるようになる前に、人間が未だに関わっている否定性に対処するふたつの基本的な段階を通らねばなりません。殆どの人間は、未だ否定性の最初の基本段階に自分自身を見つけます。この段階では否定性を起動しています。第二段階は、反応的な否定性です。第一段階では、人は幼少期の何らかのトラウマ的体験の際に自ら選んだ破壊的なパターンで、状況に自動的に反応します。子供の頃には止むを得なかったネガティブな反応を保持しています。それは、当時の状況下では生き延びる為でさえありました。しかし、その同じ反応がそうする理由もないような後の状況でも繰り返される時には、このような反応は「神経症的」と呼ばれるものであるだけでなく、関係している他者が両親と同じような行動をしているのかどうかに全く関わりなく、否定性を引き起こします。このレクチャーで説明した4つのステップは全て、この最初の段階に向かい合う為のものです。友人の多くが第2段階に近づいたら、ただ反応しているだけの否定性を乗り越えるのに役立つ手段について話し合うつもりです。そのような人は既に、否定性を起動することから解放されており、この点で浄化されています。他者が自分に対してネガティブに反応しない限り、その人の反応はポジティブです。しかし、他者の否定性の結果として、否定性は依然として、反応的に、対応的に燃え上がります。さて、皆さんは、それは全く自然だと言うかもしれません。更に言えば、全ては、あるいは何であっても「完全に自然」なのです。しかし、それはまだ浄化された状態ではありません。真実の状態ではありません。何故なら、そのように応答せねばならないというのは幻想だからです。ここでも、別のより良い対応方法があります。相手が確かに不当な敵意をあなたに大量に向けたとしても、それを恐れ、ネガティブなディフェンスを築くのは幻想です。引きこもったり、如何なる形でも防御的になったり、自らの感情で破壊的になることなく、自分自身をより適切に守ることができます。誰かがあなたに対して破壊的に振る舞うからといって、人生を暗く絶望的なものとして考える必要はありません。従って、この反応的な否定性も正さなければなりません。しかしこれは、最初の否定性の起動が払拭された後にのみ実行可能です。私がここで話しかけている皆さんも含めて、人類の大多数はまだ第1段階にいるのです。ほんの些細なことが気に食わない時や、いかなる程度でもフラストレーションを経験する時にはいつでも、あなたは元の否定性の反応を持ち込む傾向があります。フラストレーション、遅れ、批判、他者のネガティブな態度を経験するかもしれないという理由だけで、あなたは「予防的な」態度としてこれを頻繁に行います。

 さて、次回の集会でも同様に、根底にある破壊的な感情や態度をカバーする為に使う、皆さんのロールとゲームについて話し合います。皆さんがその自滅的な影響を理解するお手伝いをいたしましょう。

 殆どの皆さんは、このレクチャーの重要性を感じられていることと思います。勿論、単に理論的な議論として考えるのではなく、自らのものとして活用した場合に限ります。そうすれば、これが皆さんの成長曲線において、極めて重要な意味を持つことが証明されるでしょう。祝福されていましょう。ここにいる全員に、愛と力が与えられています。



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