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No.203 神聖なる光の火花を外的領域に相互浸透させる「マインドのエクササイズ」

Pathwork Guide Lecture No. 203
1996年版
1972年9月22日


神聖なる光の火花を外的領域に相互浸透させる「マインドのエクササイズ」
INTERPENETRATION OF THE DIVINE LIGHT SPARK INTO THE OUTER REGIONS -- MIND EXERCISES


親愛なる友人の皆さん全員に、ご挨拶と祝福を申し上げます。新たなワークの一年、特に意義深い年の始まりに、特別な祝福が与えられます。今年は、霊的な形が地上での形へと具現化する年だからです。

この形を築き上げるのは実に美しい冒険です。宇宙におけるあなたの使命を果たすことでもある為、あなた自身をも満たすでしょう。克服しなくてはならないどんな困難も、あなた方全員が形づくる「ボディ(体)」の総和の表現なのです。他の全ての被造物と同じく、このグループもそれ自体の霊体を持っています。ひとりの人間が多くの側面から成り立つのと同様に、その霊体も多くの側面から成立しています。

人間は一人ひとりが、全てがひとつである、より偉大なる意識の一側面です。あなた方の多くにとって、これらは単なる言葉に過ぎませんが、それでもあなたの意識の内に、全てがひとつであることを本当に知る為の内的経験をもたらしてくれるかもしれません。長年のワークを経て、自らの人格の多様な側面を認識し、対処できるようになった今、おそらくあなたは、この言葉がほのめかしていることを受け取れるでしょう。これらの側面のいくつかは、あなたの意識的な良き意志と調和しないものもあれば、調和するものもあります。最も深層には、あなたの内なる不調和、そして最終的には外なる不調和に調和をもたらそうとする、あなたの最善の意図や能力さえも、その美しさ、知恵、強さ、愛において凌駕する意識の一面が存在します。

あなたは、自らの側面の一つひとつと一体化し、それぞれを特定していくことを学びます。そうして、あなたは「あなた」として知っているもの、顕現された自らの存在の総和の兆しを得るのです。例え、好きではない側面であったとしても、あなたはそこから自らを切り離して、外的な力として顕現させるのではなく、それを受け入れることによってエネルギーを変容させることを学びます。

このことは、全ての創造に当てはまります。あなたは宇宙意識の一部なのです。あなたの中にある特定の側面が、あなたの人格全体の一部であることと同じです。小さな分離したエゴの意識と、全体意識との間の隔たりを埋めることに対する内在的な恐れは、「もし、このギャップに橋をかけたら自分を失ってしまうだろう」という考えから生じます。これは勿論、全くの誤りです。あなたが全体であることに気づけば気づく程、あなたはより自分自身になり、より完成されます。それ以下になることはありません。

この隔たりを埋め、あらゆる場所に全体意識を確立することが、創造の総合的な目的です。この隔たりは何故存在するのか、あなたは繰り返し自問します。いわゆる「堕落」つまりは恩寵からの堕落、天使の堕落、どのような宗教用語であっても、このことについては多くの説明がこれまでなされてきました。

同じプロセスの新しいバージョンを、皆さんにお伝えしましょう。これは単に宇宙論の情報を与え、教える為だけではありません。これから私が「創造」についてお話しすることは、あなた自身の成長にとって、即時的かつ実践的な価値を持つでしょう。それは、あなたの外側にある最も深遠な宇宙の真実へと更に開眼させてくれるだけでなく、あなたが望むのであれば、その真実の全てを自らの内に見出すでしょう。あなたはやがて、何故自らがこの分離したエゴの意識と同一化しているのか、何故大いなる意識と融合することをそれ程に恐れているのか、最も深いレベルにおいて理解するでしょう。あなたはこの恐れがいかに幻想であるかを理解し、苦しみが実際には自らの抵抗から生まれるものであり、故に不必要であることを理解します。これらの言葉は、より深い知識と、永遠に変わることのない真実の体験へと続く扉を開く助けとなるでしょう。

人間の言語という限られた枠組みの中で、現実を表現することがいかに難しいか、改めてお伝えしておきましょう。人間の言語での用語や概念は、現実の非常に狭い側面に基づいて形づくられているからです。従って、私の言葉が誤解され、歪められ、あるいは単に理解不能で、混乱させ、矛盾しているように聞こえる可能性は常にあります。あなたの三次元的な言語では、人間の理解を超える、多次元的な真理を包含することは殆ど不可能です。しかしながら、もしあなたが自らのハートや魂の理解、最も深い直感的理解で自らが満たされることを意図的に許すのならば、私の言葉もある程度あなたに届くでしょう。言葉にすることが難しい、内なる理解の響きがそこにあるでしょう。

創造は「始まった」。勿論、それは実際に「始まった」訳では決してありません。私が「始まった」と言う時、私は又しても人間の言葉では、他に表現しようのない概念をこの言葉に押し込んでいます。この真実を、感じてみてください!創造は神聖な火花と共に「始まった」のです。その火花は、巨大な真空の中でごく小さなものだったかもしれません。しかし、この小さな火花の中には至高の神なる現実があり、その最も力強い創造エネルギーの中には意識の全てである、素晴らしい叡智と愛が含まれていました。無限に良きものである神なる創造主は、この真空、無の真空を、全ての火花で満たそうとしたのです。火花は徐々に広がり、真空の闇と無に浸透し始めました。その火花は信じられない程の光と、輝く生命力、そして全体性を備えていました。真空は「外的」領域に無限を形成し、火花は「内的」領域に無限を形成しました。ここで、人間の二元的な言葉では矛盾が生じるかもしれません。どうしてふたつの無限が存在できるでしょうか?無限は存在し、それは真空と永遠の光である内的火花の両方であり、火花が真空を満たしている。これがどうして真実となり得るのか、人間の意識に伝えることは本当に不可能です。

永遠の火花は、その内なる無限の領域を容赦なく広げていきます。あなたもそれを絵画的に視覚化できるでしょう。濃厚で黄金色の泡立つ液体を想像してみてください。それは、エネルギーと輝かしい創造の可能性に溢れ、あらゆる種を含んでいます。輝き、躍動感に満ち、生きており、強烈な意識を持つそれは、世界と存在を創造する為の考えられる、そして考えも及ばない、ありとあらゆる力を授けられています。それは一見無限に見える無を満たそうとして、ゆっくりと広がります。その無限と永遠は、真空が消え失せるまで厳然とそれを満たします。これこそが「全体」なのです。

「全体」はこのように活気に満ちた意識と、力強いエネルギーである為、真空全体に浸透せずにいられません。外側の領域はやがて、光と生命の内的世界で完全に満たされるでしょう。

この広がるプロセスにおいて、「全体」の粒子である神聖なるこの火花は迷子になり、自らの全体性と繋がりの起源を「忘れて」しまうようです。これらの粒子は自らを孤立した意識の点であり、外の闇に投げ込まれ、それに飲み込まれないように苦闘している存在だと信じています。この苦闘は幻想であり、恐れも幻想です。一見孤立しているように見える点は、実際に孤立している訳ではありません。繋がりは常に存在しますが、浸透のプロセスにおいては、前進して広がる生命と全体性の顕現が部分的に弱まるのです。この弱まった状態において、火花の内的生命よりも、外の闇の方がより近く、より本物に見える時があるのです。

外部の真空は悪ではありません。何故なら、悪は無ではないからです。神聖なる火花の粒子が記憶を失い、真空との繋がりと苦闘の知識を未だ取り戻していない時に、悪は存在するようになります。実在、存在、生を放棄しようとする猛烈な苦闘が、神の現実とエネルギーを歪めます。その一時的な移行が、悪と呼べるような状態を創り出します。しかし、これは一時的なものなのです。

この一時的で、一見分離しているかに見える神聖な現実の一側面は、必然的に永遠に広がる「全体」へと引き戻されねばなりません。実際には、引き戻される訳ではありません。むしろ、広がり続ける火花の永遠に増大する充満が、縮小した形で前進してきた側面に追いつくのです。自然の全ては、その様々な生命の形をもって外的領域を満たす、この偉大で、ゆっくりと進む波の一部なのです。

あなた自身の生命、苦闘、発達は、この光の下で見るべきです。真実と神性をあなたの存在全体にもたらしながら、自分自身を感じてみてください。これは、あなたの内側から外側の領域へと突き進もうとする火花です。地球上の生命が霊性、正義、愛、真実、ワンネスにおいて進歩すればする程、この創造的なプロセスは達成されるでしょう。

あなたが自らの否定性、あなたの悪を手放すことに抵抗する理由を、これら全てが説明しています。孤立した側面が全体との繋がり、そして全体における自らの目的を見失うと、自らが属する全体意識と同一化することは最早できなくなります。従って、暗い真空に対する苦闘を表す否定的な態度を放棄することは、個人を消滅の危機に陥れるように思われます。悪を放棄することは、自主的に暗い無に入っていくように思われ、それは肉体の死と混同されます。神聖なる現実は、究極的には存在する全てのものを満たさねばならない為、全ての粒子は自らを再統一するのです。あるいはむしろ、常に「全体」と統一していたことを発見します。

真空が、一見分離しているように見える神聖な火花を飲み込んでしまうのではないかという恐れこそ、あなたの最奥の恐れに直面する時に経験するものです。私がここでお話ししていることは、哲学的、形而上学的、そして遠い話のように聞こえるかもしれませんが、あなたの現在の人生と無関係な遠い出来事ではありません。自分自身の奥深くに入る時、あなたは、この恐れが自らの内的人生と外的人生の中で絶えず続いていることに気づくでしょう。あなたは真空への恐れを見つけ、最終的には永遠の意識、つまりは全体意識を見つけます。それは、あなたであり、決して死ぬことはなく、ゆっくりと真空に相互浸透していくのです。

これらの真理の余地を早く作り、それに対する応答が早ければ早い程、あなたは存在の真の状態をより早く経験するでしょう。しかし、あなたの意識が唯一の「現実」と捉える分離の中に浸り切り、瞬間的な状態を究極的な現実と間違えている場合、あなたのマインドは経験を遮断してしまいます。

これが創造の計画であり、進化であり、目的です。あなた方一人ひとりが、いかにその一部であるかお分かりですか?あなたには使命があります。何故なら、あなたは神だからです。あなたの中にある究極なるもの、あなたの中の「全体」は、あなたを前へと送り出します。つまり、自らの一側面は送り出され、その側面は一見したところ、分離したエゴ意識として顕現します。この分離した側面の使命は、自らの深淵と可能性を証明すること、無限の生命、力、叡智、愛、美しさ、永遠を見出すことです。何故なら、全体は部分の中にも含まれているからです。あなたの全体意識にこれを気づかせ、意識的に意図的に自らの存在を真空に広げ、あなたの本質で満たすのが、まさにあなたの使命なのです。

あなたが深く瞑想する時には、自分自身、そして自らの人生を理解する為に、これらの概念を直ぐに使えます。皆さんの多くは、これらの言葉を使い、直感的に繋がる準備ができている程に十分に深く至りました。一度この真実を知れば、非常に重要な何かが変わります。何故なら、あなたが自らの内にある肯定的な側面と否定的な側面の両方を受け入れ、自己統合するにつれて、周囲についても同じように感じ始めるからです。全ての人々、あなたが彼らを好きかどうか、認めるかどうかに関わりなく、又彼らが発達しているか、してないかに関わりなく、彼らがあなたと同じく全体の一側面であると知るようになるからです。そして又、あなた自身のものであれ、他者のものであれ、否定的な側面は、肯定的な存在の一側面であるに過ぎないと知るでしょう。あなたは疎外されたように感じることも、それによって脅かされるのも止めます。しかしまずは、自らの内に存在するものから遠ざかり、恐れるのを止めることから始める必要があります。何故なら、あなたが自らの側面を恐れれば恐れる程、その恐れは外的人生へ、他者へ、外的状況へと投影されるに違いないからです。人生、他者、死への恐れを感じることを止める唯一の方法は、自らの内で最も恐れているものと会うことです。これが道です。繰り返します、これこそが道なのです!

友人の皆さん、私はそれぞれの道を先に進む助けとなる、より重要な素材と具体的な霊的練習を教えるとお約束しましたね。お伝えしたい最初の練習は、感情のレベルに関わるとても重要なものです。しかし始めに、短い説明をさせてください。

これまで、あなたは恐らくこれまで敢えて経験したり受け入れたりしてこなかった非常に深い感情に触れ、それをどのように表現するのかを学んできました。しかし、皆さん全員が依然として、感情について非常に重大な誤解を抱いています。否定的な感情は、どうにかすれば「取り除く」ことができるという誤解です。これは極めて僅かな歪みです。あなたがこれからも、未解決な否定的感情に悩まされるべきだと言いたい訳ではありません。人格が抑圧していると気づくことのない、停滞し残留した感情と、流動的な魂の状態にある人格が持つ、あらゆる感情を経験する生まれつきの能力とは、明確に区別せねばなりません。例えば、抑圧された怒りを恐れる気持ちが減れば減る程に、又その怒りを受容し、表現し、他者に投影することなく自らの責任を負うことを学べば学ぶ程に、あなたは「思いのまま」に怒りを生み出すことができるようになるのです。

感情を「取り除く」という観点からこのワークを考えた瞬間、あなたは混乱するに違いありません。不適切で破壊的な感情のエネルギーを変容させても、それを拭い去る訳ではないと、これまでもしばしば申し上げてきました。ここでつけ加えたいのは、未だ可能性に過ぎない状態も意識できるということです。その状態では、あなたは非常に柔軟で、自らを完全に掌握している為、あらゆる感情を解き放つことができるということです。何故なら、この潜在能力は常に、あなたの中に存在しているからです。高度に発達した霊的状態に対する誤った理想とは、怒り、憤怒、恐れ、痛み、悲しみが全く伴わない状態であるべきだという考えです。この考えは歪んでおり、硬直した非現実的なイメージに繋がります。あらゆる感情をも経験する能力が高ければ高い程、あなたが感情に囚われることは少なくなります。感情を呼び起こして経験する能力が低ければ低い程、あなたは感情を恐れ、それに翻弄されることになるのです。このことは、制御不能な破壊的行動、あるいはあらゆる創造的エネルギー、潜在能力、感情的な能力の停滞において具現するかもしれません。全ての虚偽と同様に、この誤解は二元的な葛藤、二重の拘束状態へと繋がります。

動きとは、生きていること、統一的な状態の不可欠な副産物のひとつです。真空は固定されており、全体性の火花は絶え間なく動いています。あなたは常に、これらふたつの状態の間で戦うのです。あなたは不動を切望します。その為、あなたは真空の恐れを経験します。自らが動きによって真空へと運ばれ、そこで意識が停止するという幻想の中で、あなたは不動を望むのです。しかし、内に在る生命の火花は動きに向かって押し進みます。

従って、あなたは自らの道において、体を動かすこと、感情を動かすこと、マインドを動かすことを学び、あなたのスピリットがあなたを動かせるようにするのです。動くスピリットは、顕現することを許されなければなりません。他の人格レベルの全てが、スピリットの本来の性質である動きと整合せねばならないのは、この理由からです。

体を動かすことで、エネルギーの流れが肉体全体に、つまり肉体的エネルギーに浸透します。感情を外に出し、その感情の動きを自らの内に感じることを学んで、あなたは自らの感情を動かします。新しい見方で物事を見られるようにマインドを開くことによって、あなたはマインドを動かします。これは重要な使命です。スピリットがマインドを動かし、より高次の真実によってマインドがインスピレーションを受けることを、あなたの固定観念は妨げます。私は、単なる一般的な概念についてお話ししている訳ではなく、あなたの現在の状況についてお話ししています。何が起こるかというと、あなたは特定の意見や判断を受け入れ、それらに多大なエネルギーを注ぎ込むが為に、最終的にそれが自らの真の感情だと信じてしまうのです。否定的なエネルギーは、硬直しているが為に避けられない、誤った思考によって生み出されます。あなたが真実全体だと信じている限定的な真実は、こうして誤りや自己欺瞞の道具となってしまいます。

その為、あなたが今感情だと信じているものは、多くの場合、単なる固定観念に過ぎません。そして、真の感情が展開されるべきところで、あなたは麻痺してしまい、それを自由に流せません。あらゆるパスワークの使命は、システム全体を動かすことです。しかし、何が、いつ、適切なのかを知る為には、非常に繊細に調整されたタイミングが必要です。さもなければ、それは害を及ぼす可能性があります。人格の全レベルには、それぞれ異なったアプローチが必要です。又、特定の練習が使えるようになる前に、ある程度、身体、感情、マインドに動き易さが備わっていなければなりません。そうでなければ、歪みが生じてしまうでしょう。例えば、故意に作り出された感情は、ドラマ化、誇張、誤魔化しによって歪められるかもしれません。身勝手さは見栄を張り、魂が柔軟で流動的状態であるかのような幻想を助長する為に、感情を利用するかもしれません。

又同じように、非難、告発、自己正当化する被害者意識に向き合うことから逃れようとする隠れた動機で、マインドが状況を見る為の新しい選択肢を練習しようとすれば、未だ処理されていない多くの否定的感情を覆い隠す付け刃的な、偽りの穏やかさをもたらすかもしれません。ここではタイミングが大きな役割を果たしていることが分かるでしょう。

ここで、否定的感情について私が申し上げたことについて考えてみましょう。つまり、否定的感情を完全に取り除こうとするのは歪みだということです。あらゆる感情を生み出し、経験する能力を培っている限り、例えそれが望ましくない感情であっても、その感情はあなたを支配する力を持ちません。自らの感情を完全に、そして決定的に過去のものにすることは決してできません。全ての目標が達成され、最早動く必要がなくなるような未来の状態はありません。この概念は、動きへの恐れ、動きへの拒絶、そして動きは望ましくないという幻想から生じています。あなたが真実の状態にあるならば、動きは望ましく、動かないことは避けられます。

肉体レベルを例に挙げてみましょう。筋肉ブロックを全て取り除く為に、肉体レベルと感情レベルにおいて十分にワークしたとしましょう。これは、今すぐ体を動かすのを止めてもいいという意味ではありません。もしそうしたら、直ぐに又、新しいブロックが形成されます。何故なら、静止したままでいようとする決断は、人生についての誤った概念に基づいており、否定的感情、この場合は恐れが育つからです。この恐れを認識し、受け入れ、それに挑戦することで対処しなければ、あなたは恐れという誤った考えに屈してしまい、恐れはあらゆるレベルであなたの前進を妨げるでしょう。

健全な個人は動き続けます。治療的な理由からではなく、喜びから動くのです。そうなると、動きは最早、面倒な作業ではなく、楽しみとなります。動きが面倒な作業である限り、停滞し、真空に陥りたいという誘惑は非常に大きくなります。これを克服するには、マインドを新しい方向へと動かすこと、あらゆるレベルで動くことを決意し、あなたのスピリットがその生命と真実をもって全てのレベルに浸透し、活気づけられるようにしなければなりません。あなたのスピリットは暗闇に光を、停滞に動きをもたらしたいと願っています。もし動きを止めれば、あなたは死に始めるのです。

感情レベルにおいても同様です。自己成長において進んだ人々は、残存する憎しみという感情を確かに解決しているかもしれません。残存する痛みを通り抜けたかもしれません。残存する怒りを消散させたかもしれません。このことは、そのような人々がこれらの感情をもう二度と経験できない、あるいは経験することがないという意味ではありません。逆に、残留感情が受け入れられ、最早恐れられ、拒絶されることが無くなれば無くなる程、魂の流れをいつでもどの方向にでも動かす本人の能力はより高まります。そのような人々は、いかなる感情も意のままに経験することができるのです。しかし、その経験は、窮屈な身勝手さから来るものであってはなりません。それは、滑らかで健全な内的意志から来るものであるべきです。もしこれができるなら、もし意のままに、激しい憎しみや怒り、痛みと悲しみ、恐れと戦慄、均衡と平和、喜びと楽しみ、愛と慈愛を生み出すことができるなら、あなたは確かに自分自身を保持し、内側から動かされることができるのです。

過剰にドラマチックになったり、我儘になったり、見せかけの感情を抱く傾向のある人々は、これらの練習を控えるべきです。何故なら、そのような人々は、まずは自らの真の感情に対する恥を隠すマスクを脱がねばなりません。他の感情に対する防御として、特定の制限された感情を使う傾向がある人々は、暫くの間、重ね合わせた感情を練習に使うことは意識的に控えるべきです。例えば、悪意、暴力、嫌悪、憎しみに対する防御として、恐れを使う人がいるとしましょう。これらの感情は全て、練習を試みる前にワークされていなければなりません。

強く収縮し、制限され、自らの核心から疎外されている人々が、いかなる感情も生み出せない、あるいは非常に僅かしか生み出せないことに気づくのは、あなたには難しいことではないでしょう。彼らは、そのレベルで無感覚になり、麻痺しています。一方、残留感情が処理されて、抑圧や防御から既により解放されている人々は遥かに柔軟で、怒ったり、悲しんだり、あるいはその瞬間に望むいかなる感情の状態にも容易に入ることができます。

このことをマインドに置きながら、練習は徐々に進めるべきです。各自、この点において自らが何処に達しているのかを評価する必要があります。これは非常に役立ち、あなたの成長を更に促進させるでしょう。いつ、どのようにこれを用いれば良いか、あなたの内なるガイダンスを使いましょう。これらの原則の知識は非常に重要です。益々感情を生み出せるようになると、これまで無視されてきた感情の痕跡をより表に出せるようになります。例えこれらの感情が完全に消え去ったとしても、魂の物質を活気に満ちた流れに保つ為に、感情の流動性は練習するべきです。

私は常に、魂の動きがいかに重要かについて言及してきました。あなたの内を常に通る宇宙的な動きは、感情の状態が機敏で、自由に表現できる時にのみ意識化できます。この練習からインスピレーションを受け、意識的に取り組んでください。勿論、これには多くの人々のエネルギーが必要です。これらの練習をひとりで行うのは遥かに困難ですが、最終的にはひとりでも行えるようになるでしょう。

まずは自分自身に耳を傾け、この瞬間に、最も強く感じられている感情を見つけましょう。最初は微かなもので、それを増大させる必要があるかもしれません。それを十分に、又強烈に経験して表現することを自らに許しましょう。その後、他の感情が現れ始めたら、それを探究してみましょう。又、別の時には、ヘルパーが特定の感情に集中することを決めるかもしれませんし、あなたのインスピレーションが導いてくれるかもしれません。常に瞑想と共にワークをし、ガイダンスとインスピレーションを求めましょう。

自分自身を流動的で柔軟にする練習は、あなたの神聖なる中心との究極的な整合にとって非常に重要です。いずれは、実践すべきマインドの練習をいくつかご紹介しましょう。まずは、具体的な練習からお伝えします。今、人生においてあなたを妨害し、悩ませている状況を取り上げます。あなたが自らを納得させ、不安な自己疑念を払拭する為に、きつく固定した結論に基づいてマインドの内に築き上げた構造を見つめてください。あなたの能動的な決断力を駆使して、あなたが選んだ選択肢以外の可能性を想像してみてください。これらの選択肢についてじっくり検討してみます。再び、あなたのスピリットがあなたにインスピレーションを与えることを許し、新たなチャネルに導いてもらいます。そこでは、現在の解釈に固執する見方を手放したとしても、あなたが消滅することはないと分かるでしょう。この固執する見方こそが、あなたが抱える苦しみの大きな原因です。このことを見てください。

多くの場合、まずは自分が本当に信じていることが何かを掘り起こす必要があります。それができたとしたら、それらの信念は柔軟にならねばなりません。他の信念にも目を向けてみます。特定の意見を用いて頑固に守ろうとしている、そのテーマについての視野を広げてみてください。あなたは自らの判断、思考、意見は、特定の厄介な状況の結果だと信じたいのです。それは逆だと、私は言いましょう。その厄介な状況は、隠された動機や意図からそのような思考、判断、意見を抱きがちな傾向があなたにあることに起因します。マインドがより柔軟になるのを許し、新しい解釈の選択肢を試してみることで、これらの傾向に向き合う抵抗は少なくなるでしょう。特定の状況下で、意見や判断を築いて固める傾向があるならば、それは常に潜在的な状態で存在し、現れる機会を待っています。言い換えれば、心理的な逸脱は固定的で柔軟性を欠くマインドの状態と関連しており、そのような傾向は能動的で集中的な練習において取り扱われる必要があるということです。あなたがそうする意欲を持ち、マインドが既存の枠組みの制約を超えられるよう、内なるガイダンスやインスピレーションを求めれば求める程、あなたのマインドはより柔軟になるでしょう。

年月が経つにつれ、あなたはこれをより上手く行えるようになります。あらゆるレベルにおいて流動的で柔軟である能力を通して、あなたの肉体的存在、感情的存在、精神的存在、あなたの存在全体を神聖なる中心と整合させましょう。それが、今シーズンからあなたが始めるワークのモットーです。

今日のレクチャーを終える前に、プライド、身勝手さ、恐れという三つの要素について、瞑想という形での別の練習をお伝えします。同じ厄介な状況を、プライドの視点から見てみましょう。あなたはどのようにプライドから行動しますか?次に、同じ状況を視覚化し、プライドを手放すとどのような感じがするかに焦点を当てます。もし唯一の選択肢が屈辱的であるように思えるなら、他の可能性を探り始めてください。プライド無く、更に屈辱も無く、尊厳を持って自分自身を経験できるよう、内なるガイダンスを求めてください。尊厳と謙虚さを調和させ、プライドと屈辱的な従属の両方を排除した、新しい見方で自分自身を見つめる為には、真の内なる意志の歩みが必要です。もし、この可能性を受け入れる準備があなたに整っているならば、それを経験する前から、神聖なる生命が内側からそれを生み出してくれるでしょう。しかし、あなた自身をそれに対して受容的にしておく必要があります。

次に、身勝手さについても同じ様にやってみましょう。身勝手でも、意気地なしでも、搾取される訳でもない、新しい反応をする自分自身を想像してみてください。その状態のあなたは、自己主張もできながら、手放して受け入れることもできます。適切なバランスは、状況に応じて、あなたの内なる核心から生まれるでしょう。しかし、マインドは新たな可能性を受け入れる為に、十分な開放性と柔軟性を備えていなければなりません。そして、内なるガイダンスに身を委ねられるよう、霊的な能力を培わなくてはなりません。

プライドや身勝手さを手放そうとする時に、最初に湧き上がる不安を通り抜ける勇気を持ってください。そして最後に忘れてはならない、恐れに向かい合います。プライドと身勝手さが放棄されるまで、恐れが消え去ることはあり得ません。何故なら、少なくとも理論的にはご存知でしょう、恐れはプライドと身勝手さ両方から生まれるものだからです。又、宇宙に対する不信という観点からも、恐れを見てください。あなたは明らかに、自らの身勝手さとプライドだけが、あなたを危険から守ってくれると信じています。このことは、宇宙は信頼できず、取るに足らないプライドと身勝手さだけが、あなたがかろうじて持つ安全装置なのだという信念を示唆します。この前提に疑問を持ち、新たな選択肢を模索してください。神聖なる現実があなたの内側に溢れるよう、自分自身を開いてください。今かもしれないし、もしかしたら後かもしれませんが、それは必ず訪れます。身勝手さ、プライド、恐れなく、あなたの外側の葛藤も内側の葛藤も乗り越えられた意識状態と共に、神聖なる現実はあなたに浸透します。

あなたに必要なものは何であれ、宇宙が与えてくれる可能性に自分自身を開く、信頼の練習をしてみましょう。少しの間、この考えを試してみてください。「もし私が宇宙を信頼したら、もしこの状況において私の不信感から生じる恐れ、ひいてはプライドと身勝手さを手放したら、どうなるだろう?」あなたの中心にある核心が、身勝手さ、プライド、恐れなく反応する状態の兆しが、あなたを満たすことを許してください。

友よ、これらはあなたの更なる成長の為に実践すべき、予備的なエクササイズです。

ここに集う全員に愛と祝福が与えられており、皆さんが活用できる計り知れない程の力も与えられています。それがあなたの内的存在を開き、外的存在へと流れ込めるようにしてください。宇宙は良いものであり、美しいものです。例え、あなたの現在の歪みによって違うように見えたとしても、内側にも外側にも恐れるものは何もありません。愛があなたの中に流れ込み、あなたから流れ出ることができるようにしましょう。祝福されていてください。平和の内にいてください。


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