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No.219 クリスマスメッセージ―子どもたちへのメッセージ

Pathwork Guide Lecture No. 219
1996年版
1974年3月1日


クリスマスメッセージ―子どもたちへのメッセージ
CHRISTMAS MESSAGE – MESSAGE TO THE CHILDREN


  1973年12月から1974年3月までの間、レクチャーは行われませんでした。レクチャー購読者は、その代わりに、1973年のクリスマス・イヴの日に、「集いの場」の開館を記念してセンターで行われたふたつのレクチャーからの抜粋を読むことができます。以下がその抜粋です。「集いの場」と名づけられたこの部屋は、子どもたちのための広いスペースです。ここで子どもたちは、遊び、作業をし、音楽に耳を傾けることができます。ここは、子どもたちが、それぞれのあるがままの姿で、好きなように過ごせる場所なのです。

クリスマスメッセージ

――参加者たちに祝福を贈ったあとに、ガイドはこう話しました。

 ここにいる全てのみなさん。あなた方は、自分の人生を新しく創り出すことができます。心の内側から、新しい方向をセットすることができるのです。この現象はすでに起こりつつあり、それに意識を向ければ向けるほど、繰り返し何度も起こってきます。このときあなたは、意識という領域で、ある象徴的な事象、キリストの意識の誕生を祝っています。キリストの意識とは、あなたという存在の奥底にある神聖な意識のことです。人間は、通常の意識をしのぐ何かが存在していることを知らぬままに、一つの人生、否、たくさんの人生を生きています。この特別の意識、荘厳で崇高な意識は、それぞれの存在がそれぞれの進化の旅の道筋を辿る中で、目覚めるべきものなのです。

 この道にはたくさんの障害物があり、あなたは、これらを一つひとつ取り除いていくために学びの道を歩んでいます。この特別な瞬間、キリスト意識の誕生が祝福されるとき、私たちはその発生の意味について話すことにしましょう。親愛なる友人たちよ、もちろんこれは誰の身にでもすぐに起きるものではないことをあなたはよくご存知でしょう。それは徐々に、繰り返し起こってきます。起こり、失われ、そして再び起こる、その繰り返しなのです。その象徴として、一本の木を想像してください。その木にはたくさんのキャンドルがあり、あなたはこれらのキャンドルに一つひとつ火を灯していくのです。あなたという存在が顕現する外側のレベルで永遠に輝く完全なる意識をもたらすために、あなたの内側で火が灯され、炎となって輝きます。一つひとつの認識、一つひとつの洞察、正直に受け入れる姿勢、一つひとつ部分的なマスクを外していくこと、一つひとつ防衛を打ち壊していくこと、自分のネガティビティに責任を持つときに存在する勇気と誠実さという一つひとつのステップ、これらはまたひとつ別のキャンドルに火をともしていることになるのです。暗闇の中に真実をもたらすことによって、自己の魂に光をもたらすのです。

 しかし、自己の持つ影の部分から目を背けたいがために、自己の暗闇を外部に投影しているときには、あなたはキャンドルに火を灯すことができません。人生という名の「木」全体を輝かせることとは、今まさに進行中のプロセスなのです。そして、より多くのキャンドルに火が灯るにつれて、より大きな喜びが、そして栄光があなたのもとを訪れるのです。親愛なるみなさん、あなた方は、今、大きな喜びを持って、この栄光と喜びがどれほど大きなものであるのかを知ることが可能であり、その状態を保つこともまた、可能なのです!

 みなさん、これはうわべだけの言葉ではありません。この道を辿っているあなたは、外部のことに気をまわすことをやめ、自己に意識を戻すということがどんなに骨の折れる作業であるのか、よくわかっていることと思います。この作業は、外側で起こっていることのせいにして腹を立てることをやめ、自己の持つ憎しみ・妬み・貪欲さを認識することへの恐れを見つめることを始めるという作業だからです。

 今から、自己受容の必要性についてお話しします。このことの重要性を洞察せずにいると、自己嫌悪の中で行き詰まり、いずれあなたはほかの誰かやほかの何かに罪をなすりつけるようになるでしょう。これは危険です。自分自身を嫌うようになればなるほど、あなたは他者にその嫌悪をぶつけるようになります。なぜならば、自己受容というものがあまりに最終審判のように思え、まるで自己を完全に消してしまうことのように見えるからです。そして、自己嫌悪を外側に投影すればするほど、それだけ真実や現実をつかみ取ることから遠ざかり、さらに深く強い自己嫌悪に陥ってしまうのです。みなさんは、記念すべきこのとき、つまり自分の内面にいる永遠のキリストの子どもが誕生するこのときに、自分の中の全ての側面を受け入れることにコミットできますか? このメッセージの中で、私は、たとえそれがどんなものであってもニーズが拒絶されることはなく、あなたが受け入れられないもの、許すことのできないものなどない、ということをお伝えしたいと思います。真に破壊的で堪え難いこととは、唯一、受け入れないこと、許さないこと、それが行動に表れること、それだけなのです。

 ネガティブな特性の中には、ポジティブな特性が埋め込まれています。私はこのことを、ごく普通の言葉を使って何度も話してきました。ネガティブな特性とは、ポジティブで神聖な表現の歪みにほかなりません。この特別な瞬間に、おそらくみなさんは、今は嫌悪し非難している部分にも愛と理解が存在するという可能性へと自己を開く心のステップを踏み始めることができるでしょう。憎しみの中にあるとき、みなさんは暗闇の中にいます。憎しみを否定することでより深い暗闇の中にいることになってしまい、自己を光からさらに遠ざけてしまうのです。そして、もはや自分がどこにいるのかすらわからなくなり、絶望に陥ります。しかしみなさんは、一歩一歩、帰り道を見つけることができるのです。嫌悪の感情を認めることで、それはもはや完全な暗闇ではなくなります。これを真に認めることでキャンドルに火を灯すのです。自分の中にある幼稚な自己中心主義を受け入れるとき、もう一つ別のキャンドルにも火を灯したことになるのです。この受容によって、みなさんは自身の内なる子どもが成長したことを知るでしょう。子どもじみた自己中心主義を受容することよってのみ、自己の内面のキリストの誕生、つまり、全てを含合する永遠の意識を発見することができるのです。真の強さ・真の創造性・真の愛・真の安心、これら全ては、あなたの誠実さ、勇気、真実、あなたが培ってきた信念によって火を灯すことのできるキャンドルであり、これによって少しずつ、あなたは自己とともに道を歩むことへの恐れに打ち勝つことができ、恐れを通り抜け、絶望の深い淵などないという可能性を開くことができるようになるのです。そこには、通り抜けるためのたくさんのトンネルがあるだけです。トンネルを通り抜けることで、最終的に、クリスマス・ツリーというシンボルのもとにより多くの光がもたらされ、光が一点に集中します。この一つのポイントが全てです―-必要とされる全てなのです。それは創造性の核であり、ここからあなたは人生を創造し、環境を創造し、愛や豊かな成功を創造するのです。もはや自己の内面の暗闇から目を背けることはないと決めたとき、希望が存在しないように見えるところにも、現実的な希望が成長します。

 友人たちよ、これらのほとんどは、すでにみなさんに起こっています。そしてこれらの言葉は、みなさんがこの美しい道を進み続けることを励ますために与えられているものです。いい機会ですので、みなさんから私にある特定の特性や側面を提示してもらい、それについてワークしてみましょう。みなさんに、その特性や側面がもつポジティブで美しいエッセンスを示すことができますから。そこでみなさんは、自分の中に、拒絶され、受け入れられないものなど何もないことを学ぶでしょう。そこには、歪みがあるだけなのです。どんなにネガティブで、破壊的で、悪意に満ち、暗い何かがあったとしても、それは何か美しいものの歪みにすぎないのです。私の友人たちよ、たとえこの道を深くワークしていたとしても、この真実を忘れてしまうことや、どうやってこれを現実に使っていけばいいのかわからないこともあるでしょう。それでもみなさんは、特別なつながりを持ち続けることをあきらめてはいけないのです。そのために、歪んだ、悪い表出しかしか見ることのできないあなたの特性、つまり本来の美しいエッセンスではないいくつかの特性を私に提示してくれることは、役に立つのです。ポジティブで特別な、真にあなた自身を成り立たせているものについての理解が深まることで、みなさんに新しいたくましさや前に進む力を見出すことができるでしょう。そしてそれは、みなさんが道を歩むときに小さなトンネルや大きなトンネルを通るための力であり、より多くのキャンドルに火を灯すことでもあるのです。

 質問:私はいつも他者をジャッジしてしまいます。その部分において、本来のポジティブな構成要素とは何でしょうか?

 答え:ある程度自分の中にジャッジメントが存在していることを認識したくないという、自分自身に対するとても厳しいジャッジメントの明らかな投影である場合を除いて、批判的であることの中にある本来のポジティブな特質は、識別し区別する大きな能力、つまり事実を鋭く認識する力です。もしあなたがこの能力を創造的かつ建設的に使ったならば、それは明らかに、不完全な人間の証明なのではなく、素晴らしい長所です。おわかりですか? このような部分を全て切り捨て、破壊し、打ち消してしまう必要はないのです。ただ、変容させることが必要なのです。自己の内にある真実を正直な目で建設的に見るほどに、他者に対する知覚や理解はより鋭くなるのです。それには、あなたが質問されたときにおっしゃっていた批判的な態度とはまったく違う方法を使わなければなりません。この長所を、自分自身と他者に対して使ってください。ただし、まだあなたの中にあり、つい使ってしまう、敵意や否定といった種類のものをそこに含めないようにしてください。そうすることで、許しと理解をもって、真実を優勢にすることができます。究極的で拒絶的な方法でジャッジするのではなく、より深いつながりを理解しようとすることで、真実の占める割合が大きくなるのです。ネガティブなジャッジメントを、認識に変容させましょう。

 質問:私の中にある、どんなものも私に影響を与えることはできない、という特性は何なのでしょうか? そこには、抵抗心や悪意が・・・。

 答え:抵抗、悪意、頑固さ、強情さ、これら全ては同じ妨害物から派生したものです。これらの特性の元来のポジティブな本質は、いつでも他者から支配され、影響を受け、それゆえに自主性を失っているといった状態ではなく、内面の中心にあること、しっかりしていること、自己主張ができること、自分の足で立っていること、自己の中に安心して存在していることです。友人たちよ、こういった歪みの背後にある本来のポジティブな姿を認識することは大変重要です。しかし、この知識を、正当化したり体裁をとりつくろったりするために使っていては歪みがそのまま定着してしまいますから、気をつけてください。この知識を使ってください。そうすることで、あなたは、全てのことを拒絶し、追い払おうとすることがなくなるでしょう。ここで私が話している目的は、「あなたの中にあるものは全て元来神聖なものである」とみなさんに教えることです。否定し、排除するべきものなど何もないことを学んでください。しかし、本来の姿と歪んだ姿の間の区別はつけなくてはなりません。

 質問:私にはまったく信仰というものがなく、神を信じたいとも思いません。

 答え:これは、自己責任や独立に対する健全で現実的な態度の歪み、そしてそれをあなたに代わってしてくれる権威は存在しないという知識に対する歪みです。つまり、言い換えれば、自己責任を負うべき主体者はまさにあなたであるという真実の歪みです。その主体者とは、現実においてはもちろんエゴが委ねるべき、深くて賢い神なる自己の対極にいるものではありません。この神聖なる自己のみが、真実の自我や自主性、真の独立をもたらすことができます。信仰の欠如と歪んだままでいることに、あなたが自ら関係しているのです。この関わりの本質がなんであれ、あなたは、それを探り出さなければなりません。あなたが真実を知ることを望まなかったら-- それは、光を締め出してしまうことを意味します。

 この道においてあなたが学ぶべき最も重要な側面の一つは、全てのドアを開けることのできる能力です。自分が、わざとドアを閉めたままにしておこうとしていることに気づいてください。あなたは常に、自分が失敗をし、見方が間違っており、真実ではないと決めてかかっています。真実のために防衛を手放そうと意図し、自分の意見の苦しさや恐ろしさを手放すと、その問題について最初の段階であなたは正しかったのかどうかを知ることでしょう。それが真実であるとわかったならば、あなたはまったく違ったやり方で、同じ知識に戻ってきます。今私は、あなたが私に尋ねた、神は本当に存在しているのか? などといったある特定の問題について話しているわけではありません。一般的に、ほとんどの場合間違って歪んでいる信じ込みへのきついしがみつきについて話しているのです。間違った信じ込みほど、あなたを不幸にするものはありません。

 質問:恐れ、不安な状態のポジティブな側面はなんですか?

 答え:恐れとは、一般的に、警告、つまりどこかで起こる何かよくないことへの気づきの歪んだ形です。また、特に人間という存在において、不安は常に抑圧のサインです。このような状態は、あなたにとって一つの物差しとなります。それがあなたに何か見たくないものがあることを伝え、あなたを不安にさせるのです。だから、不安とは、何かポジティブなものの歪みではないのです。自己について無知でい続けたいと思っていることを示してくれる道標であるという点では、これはポジティブです。不安の中にあるときはいつでもこれをはっきり理解するでしょう。というのはこれが真実だからです。あなたが否定し拒絶していることは何なのかを具体的に見つけるために、真実に完全にコミットし始めましょう。可能であれば人前で、友人のサポートを得ながら深く瞑想してください。全てをそこに投入し、あなたがしがみついている全てを手放してください。友人の瞑想のエネルギーにもあなたをサポートしてもらいましょう。そうすることで相手も共にワークすることができます。あなたがそのことに明確に気づいたとき、また、新しいキャンドルに火が灯ります。この選択はいつでも存在しています。事柄の真実を否定することが、不安を生み出します。ほかのさまざまなことにとっても同じことが言えるでしょう。

 質問:私はとても反抗的です。権威に反抗し、真実であるとわかっていることにすら反抗してしまいます。こんな破壊性の中にでも、本来のポジティブな側面が存在する可能性はあるのでしょうか?

 答え:歪みが生じる前の本来の側面は、勇気と独立の精神、つまり服従させられることと戦う精神です。歪んだ状態においてのみ、それは、見えないうちに駆り立てられる無分別な破壊性へと姿を変えるのです。

 質問:自分の人生において、つい責任を取ることを避けてしまう私の傾向の持つ、本来のポジティブな姿は何でしょうか?

 答え:この傾向の本来の姿、神聖な表出は、手放し、流れに委ねるという特質、エゴのコントロールを永遠なる存在の流れに乗せて流すという特質、エゴの力に束縛されてそれに呑み込まれてしまわないようにするという特質です。そこには、存在の流れに全てを明け渡し委ねるという意味も含まれます。

 私が今ここでみなさんにお伝えしている知識は、実のところ何がネガティブで破壊的なのかに直面することを避けるために使われるべきではない、というのは重要な点です。やたらにそれを歪みに当てはめ、軽んじて使うことはやめてください。この知識は、一時的にディフェンスや間違いが作り出したものを除けば、それ自身の中に悪い部分など何もないという真実を知覚することができるように、お伝えしているのです。

 質問:犠牲者のゲームを続けることの本来のポジティブな意味とは何でしょうか?

 答え:ここにある歪みは、他者を有罪にすることで自己の責任を免れようとすることです。あなたはその相手の犠牲になっているふりをします。真実は、あなたの核の中に含合される、完璧な状態へのロンギングです。それはすでに固まった完璧性ではなく、あなたの奥底の魂の動き変化する完璧性です。

 質問:冗談を言うことの背後にある防衛や衝動は何ですか?

 答え:人生は、楽しく、喜びに満ち、明るく、心和む、そしてユーモアに富むものです。ユーモアとは、重要な神聖なる側面です。ユーモアのないところに、美や愛は存在しません。

 質問:競争心は? 自己中心主義、つまり注目の的になることを望む気持ちは?

 答え:自己中心主義は、自己の内面の中心を探すことの直接的な歪みです。もしあなたが自己の内面にある神聖な自己と共にあれば、虚栄心やエゴイズムは止まります。神聖なる核が分離したエゴに適用されているところには、虚栄心とエゴイズムが存在します。野心や競争は、自己のできる最高のものを作り出そうという内面の動きの歪みです。しかし、ここでもやはり、それが分離したエゴと共に機能するとき、片方の自己の対極に自己を置こうとする試みへと変化してしまいます。実際に、内面の真実の神聖なるレベルにおいては、競争や野心など存在しません。お互いに妨害しあうことはなく、全てがそれぞれの最善を尽くすことができるのです。「どうすれば、能力の全てを発揮してベストを尽くすことができるだろうか?」これが、本来の姿の中にあります。それが歪んだ姿で現われると、「どうすれば、他の人たちより上に立つことができるだろうか?」となります。

 質問:権威を持った者の力の乱用については?

 答え:真のリーダーシップの歪みです。真のリーダーシップとは、リーダーシップの対価として、責任を取ることです。この部分が歪んでいると、その人は、利己的で無益な方法で栄光や利益を手に入れることを求めます。

 質問:他者を排除し、「クール」であり、他者とは違う自分を装うという自分の傾向に、ポジティブなものを想像できないのですが。

 答え:この傾向の本来の神聖な側面は、自己充足・自給自足・公平、静穏さといったものです。すべての健全な人生には、活動的な相互作用をもって他者との親密なシェアリングを動的なやりとりの中で行うことと、内部からのエネルギーを補給するために一人でいることとの間に調和の取れたバランスが存在します。それらが共存するには、感情的に完全に心地の良い状態が必要となります。片方が欠けていると、再びバランスが取れるまでの間、必然的に他方も欠けることとなってしまいます。もしあなたが親密なコンタクトを恐れているのならば、自分の中に他者との遮断、つまり隔離した部分がないか探してください。それは本来、エネルギーを補給するとき、自己の内面に分け入るときであり、自己の内面の存在とコンタクトし、内外の自己の本質が親しく交わるとき、それが本来の美しい姿なのですが、それよりも孤独でお涙頂戴の感傷になってしまいます。隔離を探すことで、自己充足が再び結実します。それが、正しいバランスです。


1973年12月24日

 2.子どもたちの部屋の落成式での、ガイドとのセッション
 
 愛すべき、私の小さな友人たちよ、ようこそいらっしゃいました。大きな喜びを持って、今夜、あなたたちにお話しします。みなさんが必要としているものが得られるよう、そして私の伝えたいことを理解してもらえるように話をしてみようと思います。これは簡単なことではありません。というのも、私はたいてい、みなさんが慣れ親しんでいる人間の言語とはかなり違う方法で話しているからです。だから、これらの言葉をわかりやすくするのはとても難しいのです。大人を相手に説明するときでもとても難しいですが、みなさんにお話しするのは、特に難しいのです。ですが、できる限りわかってもらえるようやってみます。もしわからないことがあれば、いつでも尋ねてください。時には、しばらく経ってから意味を理解することもあるでしょう。大人にだって、そういうこともあるのです。たいていの大人たちは私の言うことをすぐには理解できないのですよ、私の小さな友人のみなさん。そういう大人たちは、心の理解がブロックされているために理解することができないのです。それでも理解は後からついてきます。ですから忍耐強くいてください。もしも私の言うことが理解できなくても、私の言葉を心に留めておいてください。

 さて、みなさんの質問に答える前に、あなた方の助けとなるような話を、いくつかしてみたいと思います。

 みなさんは、真実と共に、そして多くの人が理解していないことを理解しながら成長していくことができます。これはとても幸運なことです。みなさんが覚えていられるように、簡単な言葉を使って、これらの基本的な真実のいくつかをお話ししましょう。

 私の小さな友人たちよ、もしもみなさんが、目に見える存在よりももっとたくさんの存在を信じることができるならば、自分の中にたくさんの知恵を取り込むスペースを作ることができるのです。そして、人々を混乱させるようなたくさんの物事は、あなたが成長するにつれ、混乱を生まなくなっていきます。大人たちだってあなた方と同じように混乱することがあるということを知っておいてください。多くの場合、見たり触れたりできるものだけを信じているせいで混乱してしまうのですが、これはとても狭い視点なのです。見たり触れたりできない物事の方が見たり触れたりできる物事よりもっと本物(リアル)である可能性が高い、と考えられるようになれば、人生について新たな理解ができるようになるでしょう。

 もう一つ、みなさんの役に立つことをお伝えします。それは、一見正しくないように見えても、正しくないものは存在しない、ということです。正しくないことや不公平なことについて文句をいうのは時間の無駄ですからやめましょう。もしも他の人があなたより多くを手にしているように見えたとしても、不公平だと決めつけてしまう前に、一呼吸おいてください。この世界には、目には見えないものがたくさんあるのです。そして、あなたが羨ましいと思っている誰かが持っていないものをあなたは持っているかもしれません。出来事というのは一連のつながりをもって起こるものですが、そのつながりがまだ見えないときには、その出来事が不公平なように見えてしまうのです。同じようにこれもとても大切なことです。誰かがみなさんよりたくさんのものを持っているように見えても実はそうではないということもあるし、それだけでなく、その人がたくさんのものを持っているように見えるからといってあなたよりも愛すべき人、愛される人だということでもないのです。そのことを信じてください。そして、みなさんは神様から大変愛されているのだと知ることを、自分に許してあげてください。神様は、みなさんの中に、あなた方一人ひとりの中におられるのです。周りで起きていることに心が忙しすぎて、それに気づいていないかもしれませんね。けれども、みなさんの内側には何かがあって、それを見つけ、それに気づき、それを耳にするでしょう。そしてその何かは、人生で見つけるものの中で最も尊いものなのです。

 おそらく今話している言葉は書き記されているでしょうから、あなたはのちに読み返し、思い出すことができると思います。忘れてしまうことも何度もあるでしょうが、そういうときにはいつでもあなたはこの言葉に戻ってきて、思い出すことができます。この言葉は、あなたの人生にたくさんの光をもたらしてくれることでしょう。

 さあ、私の愛するみなさん、あなた方の質問に答える前にもう一つ言っておきたいことがあります。今日のこの機会は、この場所に、この子どものたちの部屋に祝福を与えるためのものですね。ここでみなさんは大いに喜びや楽しみを経験することができます。そして、学校で習うこととは違うようなこともたくさん学べるのです。そういう種類の学びもあるのだということを、みなさんは知っていますよね。それを、人生の学びと呼ぶことにしましょう。人生の学びは、学校での勉強よりももっと大切なものです。人生の学びは、人生の道(the path)があなたに教えるものです。みなさんは、一緒にこの部屋で楽しい時間を過ごしながら、人生を学ぶこともできるというわけです。

 例えば、みなさんの中でも年齢が上の人たちは、ずっと望んでいた自由を手に入れることができます。大人たちが持っていて、羨ましく思っていた自由です。自分で責任を取っていくことで、あなたはもっともっと多くの自由を手に入れることができます。今、この言葉がいったい何の関係があるのか、あなたにはわからないかもしれません。でも、少しずつ、あなたはこの意味が何だったのかを学ぶことができます。たとえば、自分より小さな子どもたちが何かあなたを怒らせるようなことをしたときに、その仕返しをするのではなく、彼らを注意深く見てあげ、彼らを手助けし、わからないことは教えてあげることを意味します。自分より小さな子どもと一緒にいる機会を作ってみることで、今話したようなやり方で、あなたは自分で責任を取ることができるのです。あなたはいらいらするよりも、忍耐強くならなくてはなりません。それが、責任を取るということです。あなたは要求することより、与えることをしなくてはなりません。それが、責任を取るということです。さらに、責任の取り方はほかにもあります。口げんかをしているとき、また何かすれ違いがあったときに、「おまえが間違っている。ぼくが正しい」「あなたは悪い子。私はいい子」というかわりに、こう問いかけることができます。「多分、あんまり正しくないことが、僕の中にもあるんだろうね」これは、きちんと責任を取っている言葉です。あなたは自分の中に、正しいこととそんなに正しくないこと、どちらも見つけることができます。こうすることによって、あなたは素晴らしいものを創り出すことができる――責任を取ることができるのです。そして、この責任の恩恵にあずかり、心から楽しめる自由を手に入れることができるでしょう。

 これらの言葉を勉強し、よく考え、そして少しずつ、行動に移してみてください。もしもほかの人があなたを愛し、大事にしているように見えなくても、それは、必ずしも真実ではありません。厳しい言葉は、あなたが愛されていないことを意味しているわけではないのです。大事なことは、たとえあなたがいたずらっ子であっても、何か悪いところがあったとしても、あなたには愛される価値があるということを知ることです。そして、あなたは、ときには間違います。なぜなら、全ての人間も同じなのですから。あなたも人間ですよね?

 さて、みなさん、質問にお答えしましょう。

 質問:私は、同じ年の子と仲良くすることがとても苦手です。自分より年上か、年下の子とならば仲良くできるのですが、同じ年の子とはだめなのです。

 答え:一言で言うと、あなたが怖がっているからです。怖いから、あなたは自分と他の子との間に壁を作っているのです。あなたは、彼らに対して批判的で、彼らもあなたに対して同じように批判的であると感じています。そして心の中では、彼らがあなたよりも力を持っているように思っています。なぜなら彼らはあなたを批判し、拒絶しているからです。このようなやり方で、あなたは、自分よりも彼らのほうが力をもっていると思ってしまっているのです。実際には、彼らは、あなたのジャッジメントや批判を恐れています。あなたが彼らのそれを恐れているのと同じように。そして彼らは、あなたが自分の心の中で彼らにしているのと同じように、あなたに実際よりたくさんの力を与えています。わかりますか? 何よりも、あなたは、自分が彼らのジャッジメントをどれだけ恐れているのかに気づかなければなりません。それに、気づいていますか?

 質問:そうは思います。でも、はっきりと理解しているわけではありません。

 答え:それでは、この観点で自己をより深く観察する必要があるようですね。そして、彼らのジャッジメントに対するあなたの恐れに目を向けるにつれて、あなたは、次のステップに進むことができるのです。次のステップとは、どんなにあなたが彼らをジャッジしているかを見ることです。ほかの人たちをジャッジしていることに、気づいていますか?

 質問:はい。

 答え:それが、あなたの恐怖を測るものさしとなります。そしておそらく、あなたは自分と似た仲間を見つけ始めるでしょう。あなたが優しい言葉に対して応えるように、彼らも優しい言葉に応じることでしょう。こうすることで、あなたは自分を分離させる恐怖を取り除くことができるでしょう。

 質問:ええと、僕は、名前がソロモンに変わることにパパが反対することがとても怖いのです。パパは絶対にだめだというので、それが怖いのです。

 答え:私の大好きな子、Dよ。あなたは何も恐れることはないのです。あなたの名前が変わろうが変わるまいが、あなたは恐れる必要はありません。あなたは安全で守られており、それは、名前によるものではありません。多分、遅かれ早かれ、名前は変わるでしょう。でも、そんなことはたいしたことではないのです。あなたとの個人セッションにおいて、あなたの本当の恐れをたくさん見ることになるでしょう。そしてそれは、どれも、名前とはまったく関係がないのです。私の言っていることがわかりますか?

 質問:はい。わかります。

 答え:あなたの恐れが幻想であると知ることは、とても大事なことです。しかし、あなたの恐れが幻想であり、何も恐れることはなく、あなたは守られ、導かれ、愛されていると心から信じるためには、これらの恐れがなんであるのかを見つめ、ヘルパーと共にワークしていかなければなりません。もしあなたが望めば、大人のグループで、大人の仲間からのサポートを得ながらワークすることもできます。ここにいる人はみな、あなたの友達です。だから、彼らはあなたを助けることができるのです。そして、その助けを受け入れるか否かは、あなた次第です。全ての私の小さな友人たちよ、みなさんは助けを求める権利を持っています。どうか、あなたと大人の世界との間に壁を作らないでください。あなたが作らない限り、そこに壁は存在しません。そして、彼らのサポートを得た結果、あなたの恐れはさらになくなっていくことでしょう。わかりますか?

 質問:はい。ありがとうございました。

 質問:私は、いろいろなことに悩んでいます。とくに、心配しなくてもいいような問題について悩んでいるのです。この問題を克服するにはどうしたらいいのか、あなたの助言をいただきたいです。

 答え:悩む必要のない問題について悩んでいるのは、おそらく、根本的には先ほどのDと同じことを、あなたなりのやり方で行っているのです。つまり、あなたは自分が本当に感じていることや本当にあなたを困らせているものから目をそむけ、その代わりに何か別のものを作り出しているのです。だから、あなたにもDと同じことをお伝えしたいと思います。あなたは、自分自身の力で、あなたが本当に何を恐れているのかを見つけ出すことができるのです。これらの恐れは、あなたがどこかで何か誤解や考え違いをした結果として生まれました。大人たちにもみな、あなたと同じような誤解や考え違いがあります。もう一度言いますが、これは特別変なことではないのです。だって、あなた方はまだ子どもなのですから。子どもたちの中には、とても発達した魂を持った子どももいます。でも、あなたはまだ誤解しているようです。今生であなたが、まだ小さなうちに助けを得て、自分の恐れから自分を解放すべくこの特別な道へと導かれてきました。恐れとはつまり、誤解からのみ生まれてくるものです。おそらく、これからいつでも、自分の恐れは誤解であり、間違った思い込みだということを思い出すことができると思います。そしてあなたは、大人の友人たちに、何を誤解しているのかを見つけ出す手伝いを頼むことができます。彼らの助けを得て、あなたは恐れる必要のない痛みに満ちた何か、もしくは今あなたが必要としていない何かを見つけだすことができます。それは間違ったことだと思うかもしれませんが、悪いことではないのです。わかりますか?

 質問:わかると思います。ありがとうございました。

 質問:ときどき私は、何もかもが面倒になり、だらしなくなります。物を放りっぱなしにして住んでいるところを汚くしておきたいと思うのです。そして、ときどきは全てをきちんときれいにしたいとも思うのです。なぜ私は、だらしなくしたり、汚くしておきたいなどと思うのでしょうか?

 答え:おそらくあなたは怒っていて、でも自分が怒っていることに気づきたくないのでしょう。その可能性はありますか? あなたが言うように、無秩序にだらしなくなりたいと感じるときに、自分自身に聞いてみてください。「私は怒っているんだろうか? 何について怒っているんだろう?」と。多分この問いかけは、とても役に立つことと思います。自分が何を感じているのかを知らないより、本当は何を感じているのか知ることは、とてもいいことなのです。何を感じているのかわからないと、違うやり方でまたそれが起こり、あなたは混乱してしまうでしょう。この混乱を避けることはとても大事なことで、パスワークはこのような混乱を避けるために、あなたが怒っているときにそれを理解することを教えることによって、あなたを手助けすることができます。

 怒りについて、私は少しだけ、みなさんにお話しすることができます。あなたはたくさんの怒りを抱えて、それゆえ同じように恐れも抱えていることになります。その怒りというのは、あなたが常に欲しいものをすぐに手に入れないからなのです。あなたの幸せと満足のために、そして恐れのない人生のためにとても大事なことは、私の言葉が意味することを正確に理解することです。欲しいものをもっていないということは、恐ろしいことではありません。自分の心に、欲しいものを得られなくても大丈夫だと思うことを許してあげてください。自分自身にこう伝えることもできるでしょう。「そう、もちろん、欲しいものを今手に入れられたらすごくいいと思うけれど、多分私は、違うときに、違う方法でそれを手に入れることができる」と。あなたがほかのものやほかの人に、今あなたがしている恐れに満ちたやり方を使って強要しないこと、それが本当の意味で自由になる方法です。みなさんのように小さなうちからでも、この真実を身をもって学ぶことができるのです。

 それを今すぐに手に入れる必要があるのかどうかよく考えることを、あなたは学び始めることができます。たとえそれを持つことが喜びであったとしても。あなたの中いる愛溢れる神様は、あなたに幸せになってほしいと願っています。そして、あなたがこれらのレッスンを学び、「もし自分の望むやり方でそれが手に入らないのであれば、私は幸せになることができないだろう」などと考えるのをやめることができるとき、神様はすぐに、あなたを幸せにすることでしょう。今すぐ自分の思い通りに行かない限り自分は幸せになることができないという誤解のために、あなたの抱えるたくさんの怒りや恐れが生まれたのです。あなたの抱えるたくさんの怒りと恐れは、直ちに自分の覆うようにならない限り自分は幸せになれないという誤解からもたらされるのです。だらしなさ、そして乱雑でいいかげんになりたいと願うのは、あなたが怒っているからです。そしてあなたが怒っているのは、何もかもが自分の思ったとおりにならないからです。おわかりですか?

 質問:はい。

 質問:あなたはよく、「これこれは子どもじみている」とおっしゃいますが、どういう意味なのか教えてほしいです。

 「子どもじみている(Childish)」と「 子どもらしい(Childlike)」とを区別しましょう。「子どもらしい」とは美しく素晴らしいもので、子どもらしさを保っていない限り、大人もまた真の意味で楽しみ、創造性を発揮し、幸せになることはできないのです。子どもらしさとは、楽しみ、冒険し、新しい興奮を見つけ出し、まっさらな気持ちで尋ね、学び、固定観念に縛られず自分はすべてを知っていると思い込むマインドを作動させないという能力を意味します。それが子どもらさであり、自己の中であなた方がずっと育んでいくべきとても貴重な性質です。

 子どもじみているというと、つまりそれは未熟であることを意味します。未熟さとは、人生とは何かについて学び見つめる必要のある若者の持つ誤解や無知のことです。フラストレーションを受け入れられないことは、子どもじみたこと、言い換えれば未熟さです。もしも欲しいものをすぐに得ることができなければ私は死んでしまう、もしくは何か悪いことが起きる、もしくはもう二度と幸せになることができない、―というのは間違った信念です。これは子どもじみています。同じように、自己規律することができない人は間違った理解に支配されるという考え方において、これも子どもじみており、とても大切な子どもらしい性質とはかけ離れています。私の言っていることが、わかりますか?

 質問:私が知りたいのは、私が大きくなってもパスワークのセンターがあるかどうかということです。私は、本当にそれが心配なのです。

 答え:センターはいつもあります。本来、センターはあなた自身の中にあり、そのうえであなたはいつでも外部のセンターを見つけることができるのです。しかしこの特別なセンターは、今からは想像もつかないほど、実に進化したものとなっていくでしょう。これは始まりに過ぎないのです。そしてさらに、もっともっと美しく素晴らしいものとなり、もっと生き生きと活動的で、もっと喜びに満ち溢れ、ここにいるみなさん全て、私の小さな友人たちがこのセンターを育ててくれます。みなさんが成長するとき、みなさんがこのパスワークセンターの中心となり、その責任を担っていくことになるのです。

 質問:私は、子どもだと思われることがとても怖いのです。これを理解するために、あなたの助けを借りたいのです。

 答え:多分あなたは、子どもでいることは悪いことであり、子どもは劣っていて発言権を持たないと考えているから、恐れているのでしょう。しかし、そんなことはまったくありません。あなたがそれを恐れている可能性はありますか? 子どもであることは絶望的ですか? 誰かに依存しなければならず、その依存する誰かを信じることができないのですか? 今私が言ったことは、理解するためのほんの一部分の質問に過ぎません。あなたの中に存在する神様があなたを正しいほうへと導いてくださることを信じられるように、心の中で祈ってみてください。そして、どんな年齢であることも、どんな年齢になることも、恐れないでください。なぜなら何歳であれ、どれも正しく、よいものなのですから。どんな年齢にも、その年齢特有の美しさ、素晴らしさ、長所があるのです。

 質問:(大人からの質問)たくさんの子どもたちが、夜になるとクローゼットの中からモンスターが出てくるとか、そんなことを怖がっています。これについて何かアドバイスをいただけますか?

 答え:この質問には次のようにお答えしたいと思います。この質問への答えには2つの部分があります。もしもモンスターの話に興奮し、モンスターの本を探して読むなどしてとても興味を持ったなら、あなたはンスターに対する恐怖を作り出すことができます。そして答えのもう一つの部分は、もしもあなたがとても怒っていて、自分の中に憎悪を抱えてそんな自分をとても悪い人間だと考えているならば、あなたはモンスターという概念を作り出すことができます。そしてもしあなたが「はい。私は憎しみを抱えていて、それは誤解によるものです。私はそれをワークし、自分の嫌悪とワークします」と本当に言えるのなら、モンスターの恐れは消え去ります。そんなに気味の悪いものにそれほど引き付けられることもなくなるでしょう。

 さて私の小さな友人たちよ、今日のミーティングは、とても意味深いものであったとお伝えしたいと思います。そしてもしあなたが望めばいつでも、私とまたセッションすることができます。疑問があればどんどん尋ね、助けが必要であれば私に助けを求めてください。あなたのためだけの個人的なセッションという形でもよいし、一般に開放されたセッションに来るときでもよいのです。大人にとってのセッションと同じように、子どもたちのためのセッションがありますから。ほかの人と同じように、あなたにも、助けを求める権利があるのです。それを知っておいていただきたいと思います。


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