


パスワーク・イン・ジャパン 公式サイト
Pathwork in Japan
No.231 新しい時代の教育
Pathwork Guide Lecture No. 231
1996年版
1975年5月7日
新しい時代の教育
NEW AGE EDUCATION
私の最愛の友人たちよ、こんにちは。ここにおられるみなさん一人ひとりに祝福がありますように。私たちは、真実と光を創り出すために集められています。今晩の講義は、ニューエイジ、つまり新しい時代の教育を扱います。この新しい時代とは、今まさに訪れつつある、古い時代の抵抗を排して進み広がる時代のことです。古く停滞した時代は、そう易々と退きたがりませんが、そうならなければなりません。新しい時代は、あらゆる点において最も質が高く優れた人間を輩出するでしょう。転生した多くのスピリットたちは、人生へのまったく新しいアプローチをするための準備ができています。そのアプローチというのは、この道において、内なる存在の深みを徹底的に探求しながら学ぶというものです。
新しい時代の教育に必要な基礎要件として、この道でみなさんが学んでいる原理や、それだけではなく人間の意識とその相互作用のレベルをも理解するための機会を作らなければなりません。みなさんは理解し始めていると思いますが、この道は、子どもたちに、単なる理論としてだけでなく、実践的経験として教えることができるのです。
教育は、双方向の道でなければなりません。まず、教育はハイアーセルフの内に存在するもの -- そのユニークさと創造の無限の可能性 -- を引き出さなければなりません。転生した人はそれぞれ、現存する社会に対して果たすべきその人独自の貢献を持っています。これらの潜在能力は開発されなければならず、そのためのチャネルが必要です。そのチャネルは、その過程のすべてを完全に意識化した状態の中で作り出されます。補完的アプローチは、外側から学びます。それなしでは、このような育て方はほとんど不可能なのです。
この双方向のアプローチは、絶えず交互に入れ替わるプロセスとして考えなければなりません。もし内なる宇宙に存在する世界の豊かさを享受する知識や概念、余地がなければ、内側にあるものを引き出すことはできません。もしこのような周波数を合わせるプロセスを利用しなければ、内なる潜在能力を育てるためのチャンネルは開発されないままでしょう。しかし、もしあなたが意識の他のレベルがあるのを教えるなら、子どもは少しずつ内側の聖なる現実の言葉を発見することを学びます。それはみなさんと同じです。子どもは、内側のレベルに耳を傾け、知覚し、外へ引き出すことを学ぶでしょう。
しかし、今まさに過ぎ去っていこうとしている時代、そして新しい時代においても、すべての子どもたちが学ぶ必要のある基本的知識を学ばないという意味ではありません。現在は、一つの余地しかなく、他の方向性がありません。この交互に入れ替わるアプローチこそが本当に重要なのです。他方を犠牲にして一方のみを開発すべきではありません。多くの点で人はこのような傾向がありますが、両方とも重要なのです。
もしみなさんが、この両方の目的で子どもたちにアプローチするなら、とても違った学びと教育のプロセスが開けるでしょう。その法則が理解されれば、内なる声をはっきりと識別できるでしょう。子どもは、法則を学ぶ必要がありますし、同時にローワーセルフの落とし穴についても学ぶ必要があります。そうすることで、その声を聞き分けられるようになります。この教えは、子どものカリキュラムの本質的な側面にならなければなりません。そこには内なる存在についての学びの重要な部分があります。ハイアーセルフを引き出すこととローワーセルフの浄化についての学びです。子どもは、ハイアーセルフとローワーセルフをどのように区別するかを学び、マスクセルフについて理解するようになるでしょう。教育は、マスクの形成を防ぎ、早い段階で自己浄化を始めることになるでしょう。このようなものが新しい時代の教育のための基盤なのです。
親は、その基本的基盤づくりを一人で引き受けることはありません。すべての親がこの知識を持つほどには十分に発達しておらず、子どもの教育のこの側面を扱えるという保証はありません。ゆえにその教育は、幼稚園くらいの、できるだけ早期に始まり、専門学校や大学まで続く学校カリキュラムの一部にならなければなりません。したがって、教育の大部分が、学びのための基本的な道筋として、ハイアーセルフの実現を扱うことになるでしょう。
知的な知識は、そのとき二次的なものになるでしょう。とはいえ、重要でなくなるわけではありません。子どもたちが内なる存在についての基礎を理解すれば、知的な知識は実を結ぶことができます。知性は、重要な道具の一つとして鍛えられ、使われる必要があります。これらの法則やプロセスを知的に把握して理解することなしに、人は内なる自己へとつながる道にアプローチし始めることさえできません。もしマインドが、発見し、探求すべき内なる世界が存在することを知らなければ、その妨げとなっているものを認識し取り除くことはできず、もしくはそれがどんな助けなのかを認識することはできません。
従って、新しい時代の教育は、感情的あるいは霊的な教育の問題だけではありません。それは、真の意味で、法則性の知覚と理解なのです。物理や化学の法則や、数学の法則があるように、人間が学び理解する必要のある、内なる世界の法則があるのです。
来たる時代の教育の他の側面を見てみましょう。みなさんは、子どもの好奇心を養い、学びを非常に興味深く、魅力的にしなければなりません。不幸にも現在実践されている教育は、子どもが本来持っている好奇心を抑え込み、失わせています。子どもたちは、ごく小さな頃からたくさんの疑問を持っています。みなさん、それをご存知でしょう。親や教師は通常、それに対してイライラし、飽き飽きし、我慢できなくなります。せいぜい誠実とは言い難い不十分な答えを与えるか、質問そのものや質問者を真面目に受け取らないのです。
この好奇心を養うことは極めて重要です。いったんそれが押し込められると、学びのプロセスは、学びの精神や生命を殺す、退屈な「せねばならない」ものとなります。教育は、本質的にワクワクし、楽しい冒険に満ちたものでありえます。それなのに人間は、教育に退屈という集合的イメージをくっつけるのです。
親は、子どもたちを尊重し、最も早い段階から子どもたちの質問に喜びを見出し始めるべきです。一生懸命にやろうし過ぎたり、あなたが知っている以上に知っているふりをしてはいけません。みなさんがするべきなのは、誠実に接し、興味を持つことだけです。もし答えを知らなければ、そう言ってください。しかし、子どもには学校がその答えを見つける場所であることも教えるのです。子どもに、また尋ねるよう奨励し、そしてその質問をメモするのもいいでしょう。両親は、意味深く真実に満ちた答えを見つけ出すために一致団結して努力し、その答えとともに子どものもとへと帰ることもできます。子どもの精神は、世界をマスターし、世界における使命を成し遂げるために、手を伸ばして世界を探求します。好奇心がなければ、何かが死ぬのです。知りたいと願うことはとても重要です。あなたは、子どもの質問への答えを携えている教師や他者の元に行くことができます。本当の努力をしてください。そのような質問は、そのスピリットの独特の好みや方向性を示すものかもしれません。子どもが大きくなり、より多く取り入れることができるようになる間に、何度でも質問に答えてください。
来たる時代の学校は、スピリットが敢えての覚悟で地球領域へとやってくることを知ることになるでしょう。そして、好奇心こそが、その存在に転生してその使命を果たしたいと思わせた冒険心を示すものだということを知るでしょう。この方法でアプローチをすれば、そこで扱われることは学びをワクワクするようなプロセスにし、もうつまらない義務、退屈で難しいものではなくなります。学びは子どもが楽しみにするものになるでしょう。それは人生に対するたくさんの鍵を与え、深いところで求めてきた答えをもたらすでしょう。友人たちよ、このことはここにいる親にとってとても大切なことです。そして教師にとっても、今はまだ新しいカリキュラムで新しい学校システムを作ることができないながらも非常に重要です。これらのアプローチを知り、みなさんの意識の中にこのことに対する余地を作るだけでも、みなさんに新たな意識を与え、成長過程にいる人間を扱う際の新たな風土を作ることになるでしょう。
ほとんどの人が、まだ、自由と自己規律の間に申し分のないバランスをとることに困難を経験しています。それは学びと教育にも等しく同じことが起こっています。学びたいという自由は重要です。できれば、その後ろに鞭があってはなりません。学ぶということは困難で、退屈で、つまらない仕事だというイメージを心に抱く大人は、たとえそうは言わなくても、子どもに同じような影響を与えるでしょう。学ぶことや宿題をすることが楽しいことを始める前の「払われるべき代償」だという態度でいると、たとえ学びたいと強く望んでいる子どもであっても、当然学ぶことを嫌いになるでしょう。
自己規律の必要性は大きいのです。自己規律なしでは何も得られず、人生のどのレベルにおいても何も成し遂げることはできません。ほとんどの人が片手に自由と自発性、もう一方の手に自己規律を有することは相容れないと思っていますが、そうではありません。実際、それらは相互に作用し、相互に繋がり、相互に支えあっています。ほとんどの大人は、自由と自己規律が互いに相殺し合うという二元性に苦しんでいるので、言葉でなくとも態度によってそれが子どもに不可避的に伝わるのです。
自由とは最も楽で安易な方法に屈することを意味し、ゆえに自己破壊的である、というのは間違った信念です。もしくは逆に、自己規律とは報われることのない、骨の折れる努力の単調さを意味するというものもまた間違っています。友人たちよ、みなさんのほとんどが、これがどれほど真実でないかを分かり始めています。このように人為的に分離させてしまうことが、みなさんの魂の物質、内なる意識、人生全般に苦しみを負わせています。
みなさんは、親もしくは教師として、自己の道においてこの誤認から自分自身を解放しなければなりません。喜びと解放された自己表現を伴う真の自由は、自己規律も同じく自身の中に存在する、その程度に応じてのみ存在することができるのです。そして自分自身で選んだ規律と、外側から押し付けられた規律とを明確に区別しなければなりません。独裁的に課される残酷なものを除いて、外側から押し付けられる規律は、自己規律が欠けている場所においてのみ存在します。そしてその場所で、大人もしくは子どもは自分たちの周囲や自分自身に対して破壊的に振る舞うのです。子どもたちの自己破壊的行動は、年長者によってやめさせなければなりません。大人にとってこれは非常に難しく、好ましいことでもありませんが、今はこの話題に入っていかないことにしましょう。
自由に選択できる自己規律という概念は、自己規律を欠いているときに他から負わされる規律と対照的なものとして、何の苦も無く子どもたちにも理解できます。子どもは、外側の規律が「将来のための備え」としてだけの構造であることをとてもよく理解できます。もし子どもが、学ぶことの自由に反応しないなら、もし学びたいと思うことの必要性を理解しようとしないなら-- それの意味することが時に、抵抗を克服することや、その瞬間に最も楽しそうなことをしたいという誘惑に打ち勝つことを意味するとしても -- 外面の規律は子どもにとっても、コミュニティにとっても必要不可欠です。
自分のために決定することを学ぶことのできる子どもは、人生の主要なレッスンを学んでいます。自己決定や自己責任を学び、この理解へと導かれ、子どもたちは深い本質と土台を手に入れたのです。もし子どもたちが、「はい。たとえ外に出て遊びたくても、私は今宿題をし、毎日のレッスンを学びます。なぜなら私は、勉強が知識や強さ、安全、そして後の成功 -- 自分が望ましいと思うすべてを与えてくれることを理解しているからです。だから私は自由にそれを選びます」と言えるなら、その子どもは人生のとても早い時期に、真の自由というレッスンを学んだことになります。
これは実際に可能なことです。子どもの中でこの側面が育つように、ガイダンスが明に暗に与えられますので、子どもたちは自由に自己規律を選ぶことになります。そして外から負わされる規律はもはや必要なくなります。そのとき外部の規律は、必要なときにのみ使われる備えになります。新しい時代においてさえも、私がここで言っていることを理解するのに十分発達していない人はいるでしょうし、そういう人は子どもも大人も同様に、故意に破壊的なやり方で態度に表すでしょう。
外的な法律がもはや存在しなくなり、人間が神聖な自己の内なる法則によって統治され、自分にとって何が正しいかを知る --- そんな時代がやって来るでしょう。みなさんの生きるこの時代には来ないかもしれませんが。人間は、殺したり盗んだり、害を与えたり、破壊したりしなくなるでしょう。けれども彼らを押しとどめるのは、罰に対する恐れではなくなるでしょう。
誰にでも一様に適用される硬直したルールはなくなるでしょう。それぞれの人が自分のハイアーセルフと十分に結ばれているでしょう。良心と誠実さが十分に強いので、人びとは正しいことや必要なことを自由に行うでしょう。罪悪感や承認されないことへの恐れから従順になるのではなく、「これが自分にとって正しいことだ」と人びとは知っているでしょう。それが他の人と一致しようがしまいが関係ないのです。人びとはまた、権威に対する反逆心や、他の人を利用しようとする密かな欲求からも自由でいるでしょう。
自由のためのひとつの必要条件として、自己規律についての基本的理解を得ることは、基礎教育の一部となるでしょう。子どもたちが自己規律を自由に選び、自分たちの選択であるがゆえにそれに喜んで取り組む時代がまもなく訪れるでしょう。教育についての内なる風潮すべてが、小さな子どもの魂が真に渇望する知識を育むものになるでしょう。計算や綴り方、歴史など、今は退屈に思う人もいるでしょうが、この新しい意識で教われば、興味深いものになるでしょう。教える人のアプローチや意識が助けになります。
子どもは、創造的で自由に流れるプロセスが花開くのは、基礎準備がなされたときだと理解することができます。いかに退屈なことがあっても、自由にそれを選ぶことが、それ自体でその退屈にとって代わる大きな満足であると理解することができます。このアプローチは、それぞれの子どもの魂の創造性へと入りこんでいくでしょう。新しい道が意識的そして意図的に内側から創造され、子どものハイアーセルフがその表現を助け、それはすべての人の大いなる喜びとなるでしょう。
コミュニケーションは大変重要です。それは2つのレベルで起こります。ひとつは、すでに表現された言葉や説明の意識レベルで起こり、それは真の教えです。もうひとつは、気づきや感情、内なる意識のレベルで起こり、必ずしも多くの言葉では表現されていません。これら両方のレベルで、教育システムにおける改善が求められています。
子どもが質問をするとき、聴いたり、耳を傾けたり、学んだりしたがっているように、彼らは聴いてもらい、耳を傾けてもらうことを求め、必要としています。子どもは自分自身を表現する必要がありますが、あまりにも多くの場合、この自己表現は制限されています。反応を返してもらうことと同様に、感情や考えを伝達することを奨励されることは、その人の人格の開花に必要不可欠な側面なのです。
これは、内なるレベルにおいても同じように重要です。子どもは多くの場合、あからさまには表現されない他人の感情や考えを知覚します。これらの知覚を真剣に取り上げることを奨励されない限り、子どもは2つの重要なレッスンを学ぶことができません。ひとつは、自分たちは夢想しているのではなく、本当に何かを知覚しているのだということ。ふたつ目は、自分自身の投影が自分の知覚したことの本質に干渉したり、歪めたりするということです。
もしこのコミュニケーションの法則が早期に教えられるなら、子どもたちはそれらを理解するでしょう。これは、自分自身や他者を扱うことにおいて、どれほど大きな違いを子どもたちの人生に起こすことでしょう!子どもたちは、自分の反応を切り捨てることも、盲目的にそれらを真に受けることもなくなるでしょう。子どもたちは、親や教師とだけでなく、他の子どもたちとも調べ探求するプロセス、最終決定を据え置くというプロセス、精査するというプロセスを学ぶでしょう。この全ては子どもたちが受け取った印象を自由に自己表現すること、そしてそれらを互いに表現し合うことによりもたらされます。
それではここでみなさんの成長における新しい段階について述べたいと思います。この段階は、成長の中間段階だと言えますが、大変重要なので理解しておく必要があります。みなさんが、自分のローワーセルフや、自分では決して認めたくないと隠していた意識レベルや態度により気づくようになるにつれて、自動的に他者のローワーセルフ、つまり隠された部分に気づくようになります。自分の内なるバランスを持ち続け、その根底にある聖なる本質を知ることにより、大きな打撃を受けたり、完全にその存在を否定することなく自分のローワーセルフを受け入れることができ、そうなると他者のローワーセルフに気付いてもそれに圧倒されて壊滅的な打撃を受けることもなく、そのことで彼らを嫌いになったりジャッジしたりもしなくなるでしょう。
あなたがまだ自分自身の一部と戦っていたとき、他者のネガティビティに対してのあなたの気づきが不安と不快感を伴ってあなたを満たしました。みなさんは自分自身のローワーセルフに脅えています。それと全く同じように、他者のローワーセルフに脅えていたのです。あなたが知覚したことは、部分的には正確だったかもしれません。それらにはあなたの投影と、そして自分自身の良心を安堵させるために他者の不完全さを見なければ、というあなたのニーズが混ざっていました。ここで話している新しい種類の知覚においては、気づきは異なったものになります。そこには内なる静けさと確かさがあります。今、あなたの知覚は明確で混じりけのない純粋なものです。このことは全く今までとは違う風潮を生み出します。
あなたが自分自身を全面的に受け入れ真実の中で自分を見るとき -- ローワーセルフとハイアーセルフの両方として自分を見て、同時にマスクが解け始めるそのとき --あなたは他者のローワーセルフを今までとは異なる新しい方法で知覚します。あなたはとても自由です。動揺することなくそれを理解します。自分の中に憎しみや恐れを作りだすことのない明晰さでそれを見ます。
この状態において、あなたはいつ、どのように自分の知覚を伝達するべきか、それを伝えることが適切なのか、他者やその関係性のためになる可能性があるか、そしてまた憤りを向けられるリスクを取るかべきかどうかを選択することができます。伝えない方が適切だと感じるのであれば、自分が知覚したことを伝えないと決めることもあるでしょう。このような自由な知覚においては、それが言葉として表現されようがされまいが、他者が自らのネガティブな態度や振る舞いをどのようなものにするのかについての全責任を負います。他者にその責任を負わせる(その人のネガティブな態度に対する自己責任)という態度は非常に微細ではるけれども現実という強いレベルで発達します。そして、何らかの形でそれを感じ取ることができます。私がここで言っていることは、教育というテーマから逸れているように見えますが、辛抱強く見てみれば教育に非常に関連していることが分かるでしょう。
この段階まで到達すると、それはまずある種の一時的な体験として表れます。あなたはより明晰に他者を知覚することができるところにすでに達しており、自分の見る物事に個人的利害はなく、ゆえに個人的に巻き込まれることもありません。あなたは自分の直感的インスピレーションに従って、自分の知覚しているものを表現するかしないかを決めることもできます。この時点で、あなたがまさに自由な状態で他者の中に隠されたものを見ているために、あなたに対するとてつもない憤怒や怒り、敵意が作り出されます。彼らは、あなたが自分の知覚を表現しなくても、これを感じます。ローワーセルフが激怒するのです。意識的人格では、潜在意識レベルで何が起こっているかに全く気づいておらず、その激しい怒りを正当化するかもしれません。この時点では、あなたは自分がなぜこのような辛辣な憎しみをぶつけられるのかを全く理解していないかもしれません。それはまるで、他者はあなたの知識の明晰さに耐えられず、あなたとその知識を消し去りたいと思っているかのようです。あなたはこれを通り抜けなければなりません。なぜならそれはひとつの学びの段階であり、また別の段階への入り口を表しているからです。
この時点で、あなたはもはや今までのあなたではありません。あなたは、個人的に動揺したり自分の見るものによって傷つけられることもなくはっきりと見ることができます。また、個人的なかかわりや歪みもそこにはありません。しかしあなたが見ると、あなたが見ているその側面を未だに防衛している人たちの一部分に、激しい憤怒と攻撃を生み出します。その人たちはそれに向き合ったり、認めて変えようという意図を持っていません。おそらくこれは、自らの闇にとても深く関わり、必死で支配力を手に入れようともがいている肉体を持たない存在たちにもあてはまります。彼らは、あなたから流れ出す光の明晰さに対して、集められる限り全ての攻撃手段を使いたいと思います。あなたがもっと理解し、さらに確固たるものにするときにのみ、光は強くなり、これらの反応があなたに軽く触れて行くことさえできなくなります。そのとき光は彼らを盲目にし、彼らが憎悪の触覚を伸ばすときにもその光が彼らを寄せ付けないでしょう。
マスクの外層を突き破り、溶かし、ローワーセルフを変容させようとしている人たちにとっては、この原理を理解することが非常に重要です。というのは、みなさんの世界との関係性が変化するからです。互いに偽るレベルではもはやみなさんは機能しません。互いに投影し合い、責め合うことは、もはやローワーセルフに直面させないようにするために必要とはされません。
もし子どもたちがこれらの原理をはっきりと理解してその理解とともに育つのであれば、とてつもなく大きな保護を彼らに与えるでしょう。この理解なしでは、混乱や恐れ、傷つきやすさが新たな防衛を作り出すでしょう。内なるレベルが相互に影響を与えるという霊的法則を理解することは、成長過程にいる全ての人にとって大変重要です。大人になってからこの道を歩み始めても、新しい教育システムの中で子どもの間に始めてもそれに変わりはありません。新しい時代を生きる人は、これらの基本的な人間の相互作用の法則や、人間の魂にはさまざまなレベルが存在するという法則を学ぶでしょう。これらの法則は、言語や数学や他テーマと同じくらい基本的なものですが、より一層重要なのです。
この「人生の学び」-- 人生や自己、私たちが生き、動き、創造する宇宙の全てを包括する知識 -- は、少なくともカリキュラムの50%を構成します。それは最も魅力的な勉強であり、他の全てのテーマの授業に対するアプローチを変えるでしょう。そのとき、他の学びは簡単になるだけでなく、新たな味わいを持つので、そのために必要な規律はほとんどの場合、真に自分で選ぶことになるでしょう。
新し時代の学校は、新しい意識と、創造し得る限り最もワクワクする冒険として学校を体験するという新しい気づきでエネルギー的に浸透するでしょう。教室は人生が開花する場所、理解の鍵が子どもに手渡される場所となるでしょう。子どもたちは、たとえ学びが大変な勉強や目下の楽しみのいくつかを手放すことを含むとしても、学校を楽しみにすべき特権として経験するでしょう。子どもは、自分が常に知りたかった全てのことを発見し、物事が本当にどのように働くかを見つけることに喜びを感じるでしょう。学校や教育システム、カリキュラムを作る人が、新しい意識で参加するなら、これはワクワクするものとなるでしょう。
友人たちよ、このビジョンを育ててください。たとえまだそれを完全には始められなくても、あなた自身の意識の中で実行に移してください。そのとき教える人は、ビジョンを意識化することを通して、彼らが少しずつ与えなければならないものを引き出すことができます。みなさんが自分自身の学校を作るときはそれほど遠い先のことではありません。とはいえ、最初はあまりたくさんの子どもたちはいないかもしれませんが。
そのときは訪れます。その試みは世界へと広がり、人生への全く新しいアプローチを作りだすのです。新たな文化を作る、という私たちが共有してきたビジョンもまた世界へと広がり、霊的に準備ができ、このアプローチを渇望している人々の間で、ますます受容されていくでしょう。新たな種類の政治、科学、経済学、社会学、芸術 -- 文明化した世界で生きるということに関係する全て -- は、ちょうどヒーリング技術と教育がそうであるように、この新しいアプローチとともに浸透していくでしょう。
自らの道を辿る結果としてもたらされる内なる現実についての知識は、何をやろうともそのすべてに全く違うものの見方やアプローチ、動機を与えます。これらの原理に根ざした政治家は、今普通の政治家が持っている世界の政府や政治理念とは違うアプローチを発展させる必要があります。現在の政治家は、古い時代の学校システムとその後ろにある意識の産物です。彼らのアプローチは、主にどう見えるかが重要で、表面的で二元的なエゴ重視の方向性を持っています。そしてもちろん、同じことが人生の他の領域すべてにはまります。芸術家は違ったふうに創造するでしょう。経済学者は、違った観点から問題を解決するでしょう。仕事のあらゆる領域でこの新しい意識を具現化することになるでしょう。
大人になってこの道を歩み始めた人でさえ、人生、そして人間の共同体における活動領域に対して大きく異なるアプローチをしてきています。私がここで説明したような教育システムで育てられる子どもたちが、とても新しい方法で世界に影響を与えるだろうことをみなさんは想像できます。真実が、どれほど力強く個々の人間の違う領域から流れ出ることになるか、想像してみてください。神の法則、聖なる世界の法則が、流れがあって柔軟な、常に変化する方法でみなさんの世界に流れ込み、本当に新しい世界を創るでしょう。
この講義が、霊的な意味で、そして後に物質的な意味でも、別の新しい建物のための礎石となりますように。そして自分の最も深いところにいる存在の中でこの新しい種がもう一度芽吹くのを助けることができますよう。たとえ今すぐに、直接的にこれを応用できなくても、違った意味でみなさんを個人的に助けるでしょう。自分の最も奥深くに存在する自己へと向かう道が、自分が信じるよりもはるかに進化した人生への新しいアプローチへの鍵であることを理解するとき、ここに来ようと思った最初の動機となった個人的な問題を超越した壮大な計画がその背後にあることを、意識的な気づきとして知覚するかもしれません。今、みなさんの内なる存在はもっと多くを知っており、心により大きな計画を持っていたことがはっきりしています。このより大きな計画への気づきは、みなさんが今その道のどこにいようとも、みなさんに光や励まし、そして強さをもたらすでしょう。親愛なるみなさん、みなさんは祝福されています。平和のうちにいてください。喜びの中にいてください。みなさんの人生において、今後永遠に展開する美の中にいてください。
###
以下の注記は、Pathwork®の名称およびこのレクチャー資料の使用法を示したものです。Pathwork®の商標/サービスマークは、The Pathwork Foundation(パスワーク・ファウンデーション)によって所有され登録されており、The Pathwork Foundationの書面による許諾なく使用することはできません。The Pathwork Foundationは、その単独裁量権において、Pathwork®の商標を、協力団体やその支部のような他の組織および個人による使用を許可します。
著作権にかかる規定
Pathworkのガイドの著作物は、The Pathwork Foundationの所有資産です。このレクチャーは、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーに準拠して複製され、いかなる方法においても変更または省略することはできません。また、著作権、商標、サービスマークおよびその他あらゆる公示の削除は許可されません。
レクチャーを提供される側は、複製と配布のための費用のみを支払うこととします。The Pathwork Foundationのサービスマークまたは著作権で保護された資料を使用する任意の個人や組織は、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーを遵守することに同意したものとみなされます。これに関する情報またはこのポリシーを入手するには、The Pathwork Foundationにご連絡ください。Pathworkという名称の使用は、The Pathwork Foundationによって承認される変容のプログラムを修了したファシリテーターとヘルパーにのみ許可されています。
日本語版の取り扱いについて
Pathwork in Japan (パスワーク・イン・ジャパン) の許可なしに、無断でコピー(複製)、貸与、頒布、販売することを固く禁じます。また、文書およびインターネット上(ウェブ、メール)での引用・転載を含む公開も禁止します。
また、本レクチャーの受領者は、英語版から日本語版を作成する際に発生する複製・配布・翻訳などにかかる費用をご負担いただきます。
さらなる情報やPathworkへの参加については、Pathwork in Japanにお問合せください。
ウェブサイト:www.pathworkinjapan.com
お問合せ先 :pathworkinjapan@gmail.com
※ガイドレクチャーに関するお問合せはメールで承っております。下記メールアドレスまでお願いいたします。
pathworkinjapan@gmail.com