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Pathwork in Japan
No.236 悲観主義の迷信
Pathwork Guide Lecture No. 236
1996年版
1975年12月3日
悲観主義の迷信
THE SUPERSTITION OF PESSIMISM
愛する友人の皆さんに、ご挨拶と祝福を。あなたには神の愛、そしてあなたの最奥の実在の内で目覚めるキリストの力が注がれています。この愛と力はあなたの本質まで届きます。内的な眼差しを向けて耳を傾ければ、宇宙全体で目覚めつつあるこの新しい力の音色、美しさ、生命力を感じることができるでしょう。
あなたはこの道で、自らの内的存在へと旅をしてきました。これまで存在するとは知らなかった、多くの障害や否定性を知りました。その気づきによって、否定的な態度から否定的な体験が生み出されることにも気がつきました。今夜は、私が「悲観主義の迷信」と呼ぶ、特殊な種類の態度について新しい認識をもたらします。一度それが意識されれば、あなたの神聖なる本質を実現する上で、更なる障害を取り除くのに大いに役立つでしょう。
ある一定の意識レベルに達すると、次のような態度に出会います。「ポジティブなものを信じれば失望する。その中にある信念そのものが、そのことの実現を遠ざけてしまうかもしれない。だとしたら、良いことは何も起こらない、私は変われない、私自身の障害から成長して抜け出すなんてできないと信じる方が賢明かもしれない。」これはゲームです。意図的でありながら破壊的な遊びであり、迷信以外の何物にも基づいていません。
明白な迷信は、遥かに原始的なレベルのものであり、皆さんの殆どにはそのような信念はありません。しかし、微かな迷信が皆さん全員の内に存在しています。次のように言っている、あなたの内なる声に気づいてください。「私は敢えて、良いことを信じることはしない。良いことは起こらないだろう。」あなたが自分自身に語りかけるこの「言葉」を確かめるだけで十分です。
悲観主義という迷信は、最初は迷信的で破滅的な遊び心として始まりますが、あなたはやがてその痛ましい影響の中で迷子になります。当初は安全措置として考えていたものを、本当に信じるようになるかもしれません。しかし、神々を宥める為に、ポジティブなことを否定して、最悪のことを信じるのは破滅的です。あなたはそのような思考の力を分かっていません。そのような力で遊ぶことは、重大な結果をもたらす筈です。重大な影響を及ぼさないゲームなど存在しないのです。
このゲームの力を意識する必要があります。この力は、人生の多くのものに適用できます。病気を患っているなら、それはヒーリングに適用できます。孤独で愛されていないと感じる時、あなたは大丈夫だと思いながらも冗談めかして、その状態が永遠に続くような信念を表現するかもしれません。資金不足や、充実した仕事がない時、あなたは自らの内でこのように言います。「こんなものだと信じていた方が良い。そうすれば、いつか思いがけず手に入ることもあるかもしれない。」それはまるで、理想化された親的なものが現れ、不安を和らげて「我が子よ、そんなに悪くはないのだよ。全てうまくいくよ。」と言ってくれるのを当てにしているかのようです。
気づかない内に、あなたはそれを裏付けるような状況を創り出す信念を魂に植え付けます。そうしてあなたは、自分が迷信的な気持ちで、あるいは感情を操作する気持ちでこのゲームを始めたことを「忘れて」しまいます。無意識の内に創り出したものに深く巻き込まれるあまり、否定的なものが現実であると本当に信じ始めます。迷信的な安全措置として始まったものが、徐々に意識の別なレベルにおいて信念となります。信念が現実を創造し、あなたはその立場に留まります。
友よ、これはあなた自身の内でこれまで見てこなかった微妙な態度です。しかし、ワークに取り組み、成長を体験したことで、多くの皆さんがこの種の迷信を見抜くことができるようになりました。このようなマインドの策略は非常に危険です。言葉の力、思考の力、自己洗脳の力を誤用する危険性があります。
最愛の友よ、あなたの内にある自己欺瞞に遭遇したら、立ち止まって、それが人生に与えた影響について自問してください。自らの人生から少し距離を置き、あなたが何を行っているのか観察しましょう。その背後にある、意図のレベルに意識を向けてください。
次の段階は以下の取りです。「私は、この種の自己欺瞞を終わりにしたい。人生を欺くことはできない。私は正直であることを選ぶ。自分自身に語りかける言葉は、私の最奥の本質から本当に思うことでなければならない。それは、人生の真実と一致している筈だ。」このような悲観主義の迷信の習慣的な策略があるならば、マインドの活動への新しい道を見出す決意をもってそれに挑みましょう。
次の段階は最も重要です。とても単純に聞こえるかもしれませんが、実際はとても単純なことです。しかし、途方もない勇気、つまり良いことを信じる勇気が必要だと思うかもしれません。これはまさに、幻想の奈落のひとつです。結果が保証されない状態で、あなたはポジティブなものを信じて、未知の領域に足を踏み入れねばならないのです。永遠に良き宇宙への信念を示しましょう。あらゆる可能性が存在するという真実を表現します。
数多い道の中から、どの道を旅するのかを選ぶのはあなたです。敗北主義、否定、否定的期待を選ぶのか、それとも生命に本来備わっている無限の可能性の美しい展開を信じる道を選ぶのか。これらの可能性は、あなた自身の魂の内に深く錨を下ろしているのです。
あなたが実現できないものは、何もありません。本当に自分自身を尽くせば、経験できないものは何もありません。この拡張する流れからあなたを阻む錨を取り除いてください。無限の創造的可能性を秘めたこの無意識のプロセスが、あなたを永遠に新しい充足感の岸へと運ぶに任せましょう。内なるスピリットの最善から、勇気ある信念を示しましょう。勇気とは、信念の表明から、その成果が実現するまでの間のギャップを埋めるものです。
古い迷信の否定的な信念に頼りたくなる誘惑は、不確実な待ち時間を費やす必要がない所にあります。否定的な信念を口にすれば、それが現実になります。あなたは、すぐに結果が出るという、疑わしい確実性に強く惹かれているようですね。一方、ポジティブな展開の可能性を信じるようになる旅には成長期間、つまり熟成期間が必要です。これは、あなたのマインドのプロセスがこれまでの否定的な信念に慣れきっていた為に、美しさと豊かさという新しい土地に根づくには、自らを再調整する必要があるからです。
あなたは内なる存在のある領域から別な存在の領域へと移り、新たな根を張り、新たな成長を遂げようとしています。そのような期間には、これまで発芽のプロセスを見たことがない経験の浅い庭師が種を撒き、植物の芽吹きを待つ間に必要とするような信念が必要になります。これはあなたも同じです。あなたの勇気は、あなたの最奥の存在が与えるであろうものと、人生が与えるであろうものの最善を信じる所にあります。その信念を表明することは、強化されるべき重要な一歩です。
さて皆さん、ここで一つ警告しておきたい落とし穴があります。ポジティブな人生の展開を信じる勇気は、いとも簡単に希望的観測と混同され得ます。希望的観測とポジティブな力強い信念との間には、微妙ながらも非常に明確な違いがあります。あなた方は全員、希望的観測に容易に陥ります。そして希望的観測が期待外れの結果をもたらすことを既に知っている為に、「現実的」になろうと悲観主義という迷信に舞い戻ります。
希望的観測と、ポジティブな信念にある現実主義との間の違いを明確にしておきましょう。双方を区別する上で物事を簡潔化してくれる、非常に明白で、明確で、単純で、重要な要素がひとつあります。
希望的観測は代償を払いません。つまり人格、態度、アプローチ、思考、感情、行動、自らの存在を変えようとしないまま、成就の夢を見るのです。人生や創造のプロセスに投資することなく、自己浄化に努めて進化のプロセスに貢献することもなく、望ましい成就のあれこれが魔法のように無償で手に入ることを空想します。希望的観測は、望みの薄い希望を切望する受動的な空想で、その望ましい出来事や状態の実現を阻むブロックを取り除くよう、あなたに要求することはないのです。
望ましい出来事や状態を実現する為の努力を怠れば怠る程、それが実際に実現するとは信じられなくなります。悲観主義の迷信を正当化すればする程、人生は望ましいものではなくなります。あなたは益々そこから逃れることを望み、現実の代わりとなる空想に益々ふけるようになります。この空想は、現実の生活や充実に注ぎ込める創造的エネルギーを大量に消費します。空想は、悲観主義という迷信の裏返しに過ぎません。
ですから皆さん、悲観主義という迷信と空想は、非常に密接に関連し合っており、決して相互に排除し合うものではないのです。一日の内に、あるいは一時間以内にでも、あなたは空想にふけるかと思えば、ほんの数分後にはネガティブな迷信に浸るかもしれません。
本来はひとつである人生とあなた自身に、完全なコミットメントをして自分自身の最善を与えることで、方向を誤った創造性と膨大なエネルギーを費やしてあなたが空想している願望そのものは実現できるかもしれません。空想の実現に失敗すると、あなたの失望は迷信という悲観主義を強化します。
ゲームとして始まったものは、やがて否定的な信念を強めます。悪循環は加速し、そこから抜け出すことが更に困難であることに気づきます。否定的な迷信と、希望的空想との間を行ったり来たり揺れ動くのです。否定性から逃れようと希望的空想に陥れば陥る程、美しさ、充足感、豊かさ、愛、喜び、平和、感動を本当に経験できる機会が少なくなります。
空想的な願望は、ハイヤーセルフ、つまり内なるスピリットから来る欲望ではなく、しばしば矮小化したエゴによって生み出されます。これらの夢の中では、矮小化したエゴは、自らの発育不足を補う偽薬を求めます。例えば、生産的な仕事に就き、喜びと意義をもって人生に貢献する自分自身を視覚化することなく、人生の正当な表現として自らの努力の成果を純粋に楽しむ成功や豊かさを視覚化することなく、あなたは他者、おそらく家族やあなたを軽視した人々に感銘を与えるような偉大な人物になった自分自身の姿を空想するのです。
しかし、こうした自己満足の中にも、真の価値の根源的な要素は含まれます。あなたの尊厳は多くの場合、探し求めながらも置き換えられてしまう現実であり、制限されたエゴの些細なプライドと混同されてしまいます。あなたの内なるスピリットの真の価値観は、愛、豊かさ、友情、コミュニケーション、更には真価を認められることと尊重という豊富な充足感を目指します。しかし空想の中では、それは全て絵空事のように現れ、真の説得力がなく、あなたは当然ながらそれを信じることはできません。
多くの皆さんは自らのパスワークの中で、学びの初期にはかなり空想にふける癖があったことに気づいてきたかもしれません。おそらく、それに気づいたり、意図的に止めようとしたりすることなく、空想への欲望は薄れていったのでしょう。自らの存在の現実に向き合えば向き合う程、人生は更に現実味を帯びてきます。願望を満たす為の空想をでっち上げたいという衝動は薄れます。
しかし皆さんの多くは、少なくとも人生のある領域において、未だに空想に陥っています。その場合には、更に深く見てください。否定的な信念に基づく迷信に陥っているレベルを見つけてください。この観点で掘り下げてみれば、あなた自身は成就への障害を取り除くことなく、その障害が自分自身の中にあることさえ見ずに、何の努力もしないまま誰かが突然現れて無償で充足感を与えてくれることを、非常に微妙な形で望んでいることが発見できるでしょう。特別な権威者が、それはあなたが空想したように起こるのだと、自分で手に入れたり獲得したりせずとも与えられるのだと、保証してくれることを望んでいるのです。
このような気まぐれな儚い思考を解明し、簡潔にまとめることは、あなたにその不条理さを気づかせ、それを手放す助けになるでしょう。人生に自分自身を捧げ、人生の豊かさを受け取りたいと願うのと同じ様に、このプロセス全体に自らの内なる豊かさを惜しみなく与えたいと願う度合いに応じて、あなたは豊かさが手に入ることに気づくでしょう。
あなたは、幸福と喜びを持続させることの難しさに何度も直面しました。自己浄化に取り組むことで、その道は開き始めています。その結果が外的にも内的にも、あなたの存在に流れ始めると、あなたは怖気づいてしまいます。これは単なる古い習慣ではありません。それはあなたが、悲観主義の迷信という想像上の安全措置と希望的空想とに未だにコミットしている結果です。
内なる豊かさこそが、多種多様の充足感を創り出せます。しかしあなたは、内なる豊かさを差し控えながら、悲観主義の迷信と希望的空想を通して成果を切望します。人生の全ての瞬間を豊かにできる筈の、無尽蔵な源泉の井戸があなたの内側にあることを無視しています。
既にあなた方の多くに起こった大きな変化と成長は、自らが未だ信じられないような結果をもたらしています。皆さんの人生には、以前よりもはるかに多くの充実感、幸福、喜び、そして豊かさが現れています。しかし、未だブロックされている領域では、あなたは喜びを不快に感じる為に、それを拒絶してしまうのです。少なくとも、あなたは今このことを十分に自覚しており、その自覚は明らかに非常に重要です。
このメッセージは、更なる繋がりを築き、満足を夢見るのではなく、真の幸福へのあらゆる障害を取り除く助けになるでしょう。このレクチャーにある内容を活用し、自らの内で観察し、私が述べたことを当てはめれば、あなたの変容のワークに大きな変化がもたらされるでしょう。否定的信念を変容させることが実際に可能になります。何故なら、それを非常に微妙なレベルでの策略だと見抜けるようになるからです。その策略を手放しましょう。あなた自身の豊かさに対するポジティブな信念への勇気と、その豊かさを可能な限り与えたいというポジティブな意図への勇気を持ちましょう。 あなたは、人生がもたらし得る最高の未来を信じ抜く為に必要な勇気を創り出すでしょう。
親愛なる友人の皆さん、このコミュニティーにいる皆さんは、極めて重要で尊い使命を果たしています。宇宙の創造プロセスは、一人ひとりの存在にかかっています。あなたの内にある善意の最も小さな一歩、真実の中にいようとする意図、真実に向かい合う意図、自らの最悪の部分に対峙する意図、そして本来の最善へと変容させる意図、これら全ては、生命のあらゆる側面、あらゆる顕現に流れ込む創造力の大いなる源泉に加えられます。あなたの成長段階の一歩一歩は、それ自体が重要である、あなた自身の幸福と充足感をもたらすだけではありません。それは、あなたのコミュニティーやその他の核となるコミュニティーによって生み出される原子力のような強力な力にもなり、それが広がり増幅することでキリストの力は益々大きな推進力を得るのです。
質問:このレクチャーは、今の私の人生に非常によく当てはまるように思われます。殆ど奇跡のようです。始めたばかりの事業は、成功しそうに見えます。私はこれまでポジティブなことを数多く阻害してきたのに、今、とても良いことが起こっています。実際にそれが起こると、私は自分のエゴが強くなっているように感じます。気がつくと、自分が他者より優れていると考えています。これについて、意見を頂きたいのですが。
回答:それが勿論、あなたの破壊の仕方です。そのような考えに陥っていることに気づいた時には、非常に簡潔に、かつ毅然として力まずに、別の考えを思い浮かべましょう。例えばこのように。「私は自らを他者より優位に立たせたいとは思わない。私の一部がそれを望んでいたとしても、私はそれを望まない。異なる態度、ひいては異なる現実を創造できるよう、私は内なる神聖な力に祈ります。もし他者より優れていたいと願うならば、私は自分自身が僅かな充足感さえも得るには値しないと感じることになる。私は他者と比べて、優れている訳でも劣っている訳でもない。」
あらゆる人間は、神性の素晴らしい顕現です。ある花が別の花よりも優れていることはありません。ある鳥が他の鳥よりも優れていることはありません。山が海よりも優れていることはありません。松の木が樫の木より優れていることはありません。自分自身や他者をこのような視点で考え、他者が最善でいることを許せるよう、あなたの善意を示しましょう。そうすると、あなたは自らが最善でいることを許せます。それによって、あなたは自らの努力の成果を心から楽しみ、自らをそれに相応しく感じられるでしょう。
質問:私は失望したくないので、人生を通してレクチャーで語られてきたことをやってきたように思います。しかし同時に、どうしてもそれを手に入れねばならない、手に入らないことが耐えられないとも感じてきました。私は失敗そのものだけでなく、失敗が意味することを恐れていました。それは、私が手に入れるべきものではなかったということなのか…それとも何だろう?この迷信は安全だと感じてきましたが、それが私をどれだけ制限してきたかにも気づいています。
回答:そうです。この特定の形で願いが叶わない可能性について、最も建設的な考え方は次のようなものでしょう。「もし今、このような願いが叶わないとしても、私には、自分自身と対峙し、願いが叶わないことの意味を見つけ出す勇気がある。」その意味は悪いものでもなく、あなたに価値がないとか、恐れるべき恐ろしい何かが存在するということでもありません。
それは様々な意味を持つかもしれません。知っておくべき障害が、あなたの中に存在することを意味しているのかもしれません。それは単に、この特定の願望成就の為だけではなく、より重要な意味として、あなたという存在が完全に統一され、完全な状態へと至る全体的な成長の為でもあるのです。あなたが望むことが今その特定の形で起こらなくても、あなたを幸福にして完全にするものは、別の形で、もしかしたらより良い形で起こるでしょう。自らの可能性の真実を追求し、こう言いましょう。「私は一時的な失望を受け入れ、それを踏み台にすることができる。今この形で実現しなくても、恐れる必要はない。沢山の方法があるのだから。」
このような態度でいるとリラックスした内的環境が創られ、結果を出すことが決死の問題ではなくなります。そのような要求は多くの場合、願望の達成を妨げる直接的な障害である耐え難い緊張を生み出します。リラックスした成長を促す態度によって、あなたは窮地から解放され、最善を信じることができるようになるでしょう。あなたは扉を開き、自分自身について多くのことを知るでしょう。それは、単に願いが叶うことだけでは決して得られない、計り知れない程に豊かなことです。
質問:先程お話になった言葉で、私が理解に苦しんでいる言葉があります。勇気というものの要因は何か、また体の何処で、その勇気が感じられるのか詳しく説明して頂けますか?
回答:いいでしょう。勇気の要因とは、痛みや失望を経験し、そこから学び、それを出発点として使う能力と意欲です。それが勇気です。立ち止まって、小さな抜け道を確保し、新しい状況に完全に踏み出すことを避けるのではなく、勇気はリスクをとります。それが勇気です。愛することは勇気です。何故なら、愛する人は必ずしも、あなたの欲望や身勝手さに沿って応答するとは限らないからです。与えることは勇気です。何故なら、否定性の中にある狭量なハートは、与えることは失うことで、誰も何も返してくれないと未だに信じているからです。否定的な信念が真実ではないかもしれないと気づくリスクを冒すことも、勇気です。そして、落胆しない為には、更なる勇気が必要です。
勇気は愛の本質的な一部なので、あなたは全身で愛を感じるように、全身で勇気を感じます。あなたのマインド、意志、魂、ひいては全身を通して、あなたが自らに表現を許すあらゆる神聖な態度に、全細胞と毛穴の全てが共鳴します。
この集会を、あなたの中に宿る神が表現する祈りで締めくくります。以前に一度行ったように、内なる神に耳を傾け、内側で共鳴する言葉を聴いてください。発せられた言葉の反響を受け取ってください。これにより、あなたの内なる耳は神の声に整合し、次のようなメッセージであなたを満たすでしょう。
私はあなたを通して働きます。
あなたが聞きたいと願うなら、私はあなたの全ての思考の中にいます。
あなたが見たいと願うなら、私はあなたが見る全てのものの中にいます。
あなたを通して私が表現することを願うなら、私はあなたが話す全ての言葉の中にいます。
それがあなたのコミットメントならば、私はあなたの全ての行動の中にいます。
私が在り、あなたを通して顕現するにつれ、あなたは新しい形で人生を再発見します。
人生とは恐れるものなど何もない、輝かしいワンネスであることをあなたは知るでしょう。
私を発見したなら、何を恐れる必要があるでしょうか?
私と同一化したなら、何を恐れる必要があるでしょうか?
あなたが神であることを知りなさい。
だからこそ、あなたは決して死にません。
今あなたで在ることを、あなたの思考、あなたの存在、あなたの知覚を私に与えなさい。
自分自身を私に与えるなら、あなたは永遠である筈です。
私があなたと共にいる間、暫く自分自身に耳を傾けてください。愛する友よ、あなたは豊かに祝福されています。
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