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Pathwork in Japan
No.237 リーダーシップ:フラストレーションを超越する方法
Pathwork Guide Lecture No. 237
UNEDITED版
1976年1月14日
リーダーシップ:フラストレーションを超越する方法
LEADERSHIP-THE ART OF TRANSENDING FRUSTRATION
私の大切な友人であるみなさん、聖なる祝福とともにみなさんを歓迎します。安心感や平和、あなたの最深部にある魂の喜び、つまりあらゆる生命の源、すべての存在の源に至るために、多大な努力を続けるみなさんの役に立てることは、私にとって深い喜びです。私たちは、物質と二元性が支配するこの領域に新しい波動と意識の統合をもたらすという大きな目的を持ってここに集っています。あなた自身の成長のみならず、人類の進化という点において、このことについての重要性は人間の概念では推し量ることができません。私は何度も繰り返しお願いすることしかできませんが、あなたが創造の過程にあるあなた自身の道とこのコミュニティの持つ深い意味とに波長を合わせてください。みなさんのこの努力の重要性を感じてください。
私たちは、自らを開くこと、そして防御を手放し、自分を守ってくれると思い込んでいるだけで本当は簡単に壊れてしまう「硬さ」を手放すことの大切さについて何度も話しています。オープンで無防備な状態において、外部からもたらされるネガティブな経験によって生じる痛みをあなたは恐れるのです。同時に、美、愛、真実、叡智もまた外からやってくるもので、防御をそのまま持ち続けている限り、これらを受け取ることができないということにも、今のあなた方は気づいているはずです。このことは、人生や人びとは自分の切望する最高で最大のギフトを与えてくれているのに、なぜあなたがそれを受取ることができないのか、その理由を説明しています。
しかしながら、自らを開くことは、外側の世界に向かってだけでなく、2つの方向に向かって働きます。あなたが自らを開くとき、内側の最も深いレベルから来るものを外に出すことが可能になるのです。ネガティブなものはそれ自体、あなたの内なる存在の完全性を見えなくする、より微妙で捉えがたい保護層だと言えます。だからこそ、まずはそれを表に出す必要があるのです。この層を超えたところに、真のあなたという最もポジティブで創造力に溢れた現実の姿が存在していますから、オープンで防御のないあなた自身にコミットすれば、本当の自分が現れてくるのです。
このようなオープンな状態では虐待に対して身を守ることができない、とあなたは間違って思い込んでいます。これ以上に真実から離れている考え方はありません。ハイアーセルフが適切に機能し、保身や自己中心的な態度から離れ、生来の誠実さと謙虚さに対して正直になり、宇宙の聖なる法則、つまり公正、真実、叡智、愛の法則に従うときにのみ、あなたは強さを獲得し、自らを真の意味で守ることができるようになります。その時に初めて、あなた方は罪の意識から解放され、それによって心配、不安、混乱、恐れから解き放たれることができるのです。心配、不安、混乱、恐れこそが虐待から自分を守ることができない理由なのです。
自分を開くこと、防御を解くことについて語り考える際には、それが外側に向けた行為というだけでなく、自分の内側に向けて開くことであることを、そしてこちらの方がより重要だということを理解してください。勇気を持って、自らの最深部にある完全性を信頼してください。そうすれば、その上を覆うローワーセルフの層が現れても信頼して受け入れることができますし、その存在に気づき、変容することができるのです。
このように大変多くのことを要求される道を進み続けることができるまでに成長した人は、それだけ多くの充足と喜び、そしてリーダーシップを受け取ることもできます。この道において、私たちはさまざまな分野や方面で、そしていろいろな形で、新たなリーダーを創造しています。あなたが現在取り組んでいる浄化作業は、あなたが真のリーダーシップを発揮することを可能にするのです。では、真の意味においてリーダーシップとは何を意味するのかをこれからお話ししましょう。他者が示す、そして自分が示すリーダーシップに対して、あなたの態度はどのようなものでしょうか?
あなたは多くの矛盾した態度を抱えています。まずはそれらを見てみましょう。基本的に、あなたは他者の中にあるリーダーシップを羨ましいと感じます。同時に競争心を持ってもいるのですが、その感情を自分自身にさえ隠し続け、その結果、怒りを感じるようになります。あなたは、まさにこのような不当な感情や思考について、その正当性を立証するための論拠を作り上げることに非常に長けています。そして、あなたとってすでに過去のものとなっている権威に関する問題を、不要にも再び活性化させてしまいます。真のリーダーと呼ぶに相応しい人は敵となり、その人が自分のことを罰し、何かを奪うために存在しているかのように思い込んでしまうのです。
あなたはリーダーたちを羨むわけですから、自分もリーダーになりたいと願います。ですが、あなたの中のこのように子どもじみた未発達な部分、これは発達している部分に影を落とすことがよくあるのですが、この未発達な部分において、リーダーシップを発揮するのに不可欠な数々の責任を負うことを嫌がります。このとき、激しい痛みの伴う葛藤や対立が生じます。一方では他者のリーダーシップに腹を立て、嫉妬し、戦いを挑み、他方では自分は基本的な必要条件を満たすこともせずにリーダーシップが欲しいと願います。そして、真のリーダーたちが「リーダーシップを奪い取った」、または「リーダーシップという特権を与えてくれない」と言って彼らに対して腹を立てます。リーダーシップを確立するにはどのような態度が必要なのかについて考えようとも、そのことにコミットしようともしません。これがどれほど愚かな態度か、あなたには分かるでしょう。これは決して珍しいことではありません。けれども、いったん自分の中にもこうした部分があるということに気づけば、それが自分の中に、または他者の中に姿を現したとき、その事実に気づくのは難しいことではありません。n
さらに、ここにはまた別の矛盾した態度もあります。あなたは常に自分に利益をもたらしてくれるリーダーの存在を望みます。とても強く、影響力を持ち、いつも自分に対して優しさを向けてくれる人物、そしてあなたのローワーセルフの望みだけを気にかけてくれるリーダーを望むのです。そうすれば、自分は破壊的な行いや態度にいつまでも溺れることができるし、それによってもたらされる結果に向き合わなくて済むからです。この素晴らしいリーダーは、自分だけの神のような存在で、生の流れや法則をまるで魔法のように、あなたに都合のいいように変えてくれるのです。この人物はあなたに対して愛や責任感、公正さ、誠実さといったものを一切「要求」することもなく、あらゆる特権を与えてくれなければなりません。あなたの反応の意味をよく考えてみれば、私が誇張しているわけではないと容易に理解できるでしょう。今私がお話ししたことは、あなたが必死で正当化しようとしているきわめて非合理的な要求を、実に正確に言い表しているのです。
この現象については、みなさんの言葉で表現すると、「転移」と呼ばれる行為がちょうどこれに当たります。この素晴らしいリーダーはあなたの両親というわけです。けれども、どんな言葉も容易に本来の意味を失ったレッテルになってしまいます。いずれにしても、リーダーシップを受け取るのに必要な基本的な条件を自分の中で満たしていない以上、あなたには他者の中にあるリーダーシップを羨んだり、それに対して腹を立てたりする権利はありません。あなたがそのような態度を取ることを正当化することはできないのです。
自らの人生に対するリーダーシップを負わない場合、当然の成り行きとして、その人は自分の人生を決定してくれるリーダーが必要になります。リーダーシップがなければ、誰も存在することはできないからです。そうなると、あなたは舵のないボートのようなものです。誰かに人生を導いてもらい、しっかりと管理してもらわねばなりません。そうすれば、たとえ自分の人生を自らリードすることを選択しなくとも、他者がある程度はその代わりを務めてくれるからです。決して与えられることのない方法でこのリーダーシップを与えてくれるように、神経症的に要求するのです。自由と特権という、セルフ・リーダーシップを持つことによって初めて獲得できるものも要求します。そして、自分にとって都合の良い方向に導いてもらうことを期待しながら、その一方で、そうされることに怒りを感じるのです。その結果、このような数々の葛藤によって、あなたは引き裂かれてしまいます。
問題は、他者に自分を導いてほしいと要求するような、未発達で未熟な内的状態いまだに留まっているのか、ということです。もしかしたら、あなたはすでにリーダーになる準備ができているのではありませんか?まずは自分自身の人生から始めて、そこから今度はこの惑星に生きる者としての責任、ニューエイジの到来を告げる者としての責任をすべて引き受けることもできるのです。あなたのリーダーシップはさまざまに異なった形を取りますが、始めはどれもはっきりとは見えない、自分でも気づかないような態度であなた自身、そしてあなたを取り囲む環境に向けて、シンプルで小さなステップを重ね、今までに何度も話しワークしてきた自己責任を超えて現れ始めるでしょう。
ここで、また別の態度についていくつか考えてみたいと思います。親愛かつ最愛の友であるみなさん、私にはあなた方が、すでに成長を遂げて不要となった感じ方や態度にしばしばしがみついているのが分かります。これは非常に有害です。子どもじみたネガティブな態度からまだ抜け出せていない場合でも、それにしっかりと対処していれば、被害はそれほど大きくはなりません。依然として自分の態度と戦い、その態度やそこから派生するさまざまな問題について学び、
最も深いレベルでこの態度を見つけ出し、それが現実化してさまざまな形をとって現れるとき、
あなたは自分にとって必要な場所にいると言えます。ところが、自分が思うよりもはるかに成長しており、何年も前にあるいは数ヵ月前に手放したはずの感じ方や態度を何度も繰り返さざるを得ないような所にはすでにいないにも関わらず、その事実を否認してしまうことが本当によくあるのです。霊的な尺度では、この数ヵ月は人間の一生涯に当たります。それでもあなたは古い習慣にしがみつくのを止めず、もはや属していない場所に留まるのです。嫉妬、競争心、自己中心性、思いやりの欠如、与えないこと、愛を抱かないこと、他者を責めること、自分が与えないことで被る結果を他者のせいにして恨むこと、このような部分をすでに捨て去っているかもしれないのにそれを考えてみることはないのです。
あなたは今、このようなネガティブな側面を認識しています。しかし、自分がそこにまだ留まっていなければいけないのか、と自らに問うことができないのです。もしかしたら、私が、あなたは成長も進歩もしていないと言っているように聞こえるかもしれませんが、それは違います。あなたはすでに大きな成長を遂げたので、過去にあったさまざまなネガティブな側面はもはや存在しません。むしろ、大いなる正直さと自分に対する気づきが存在しています。その結果、あなたの中にはかつてないほどたくさんの愛が存在します。ですが、まさにこの成長ゆえに、あなたに残るこの停滞がよりあなたを圧迫し、深刻な影響をもたらすことになるのです。これが成長の法則です。あなたは今、過去のネガティブな反応がまた繰り返されるときに、別の選択をすることができますか?
ではここで、リーダーシップの意味についてお話ししたいと思います。あなたはリーダーシップをひどく羨み、それに対して激しく腹を立てます。なぜならあなたは、リーダーシップを発揮する立場にいる人によって何かを奪い取られたり、押し付けられたりして、それがひどく不公平だと感じ、まるで真のリーダーになるという自分の能力を発揮する機会が妨げられているかのように振舞います。理論上や原理原則としてではなく、最もいい意味において、リーダーは自己中心的になることなく与えたいと望まなければなりません。けれども私たちは、実際の生活の中では、けちで与えなかったり、自己中心的であったり、またよくあるように否定したり投影したりしています。大切なのは、どんな小さな行為にも自己中心性のない与えるという行為が真に存在しなければならないということです。もしあなたが自己中心的にならずに与えることを望まなければ、自分自身のリーダーシップを主張することはできません。もしあなたが、そうすることを要求されているからという理由で嫌々ながらに、そして不本意に与えるならば、それは与えることだとは言えません。
別の言い方をすれば、真に与えることが、あなたに求められているのです。というのも、もしもリーダーシップの特権が欲しいのなら -- 実際にたくさんの特権があります -- 「与えること」、これがその代償です。生命と創造の法則は、完全性において作られたがゆえに、いうなれば常にそれに従うことを「要求」します。けれども、あなたはまるでそれが不公平な代償であるかのように感じ、自分の中では何とか正当化していることに対して激しい怒りに満ちた反抗心や憤りを抱くのです。考えた結果、その動機を表に出さず、内側で損得を勘定して嫌々与えることになり、それはもはや与えることではありません。あなたの与えるという行為はもはや与えることではないがために、他者やあなた自身を空っぽにします。次の一歩を踏み出してそしてあなたは言うのです。「ほら、私は与えました。それによって私は何を手に入れるのでしょうか?」と。そもそもあなたの与えるという行為は実際には与えているのではないという事実をあなたは否認しているのです。このようにして、与えることへの抵抗を実に巧妙にいっそう強くしているのです。
与えることとは、その行動の背後に思考と意図を含むとてもシンプルな行為です。真に与えるという行為の中で、あなたは次のように自らの意志を表明します。「私を通して現れる神性を用いて外の世界を豊かにするために、私は神聖なる現実の道具となることを望みます。私のエゴを拡大するためではなく、また不純な動機からではなく、そして自分の利益のためにそれを望むのではありません。」このような考えや態度を持つことは、あなたにとても多くの利益をもたらします。それは自尊心、自分には価値があるという感覚、間違ったやり方で必死になって求めている豊さをついに獲得したという感覚をももたらします。このような態度は、根本から、全体に広がる内的な心理的状態となって行き渡ります。このような態度が存在するとき、そこに嫉妬心の存在する余地はもはやありません。他者の与えるという行為や価値によって、あなた自身の行為や価値が損なわれることはありません。みなさんはこの事実を知り、実際に経験することになります。
あなたの与えるという行為が見せかけのものであれば、他者の与えるという行為や、人生の豊かさも受け取ることはできません。また同時に、他の人びとが真に与え、感謝の気持ちを抱き、そしてそれによって物質・感情の両方の豊かさを享受するのを見て、あなたは嫉妬で埋め尽くされます。真に与えるという点においては、その嫉妬心そのものがあなたの今の居場所を示す尺度になります。当然ながら、真に与えることは愛の行いです。ですから、愛することをせず、さらには愛することについて学ぼうとしなければ、心の奥深くに存在する切望を満たすこともできないのです。
あなたは、与え、そして愛することができるように、祈っているかもしれません。ですが、仲間であるはずの人に対する自分の反応が、ほんのわずかで分からないほどであってもその反対の態度を示している、その領域を見ることができていないのかもしれません。本当の意味におけるリーダーシップは、真に与える行為の中にある愛の上に、また愛を真に与える行為の上に築かれるのです。この態度があれば、間違った方向に向かうことは決してありません。数々の対立や葛藤、そしてあなたの二元的な生に起因するあきらかな困難のすべての中に、完全な調和がもたらされるのです。
あなたを – まさにあなた方を -- 待ち構えている、リーダーシップにとってもうひとつの極めて重要な要素は、偏見を持たず、客観的でいる能力です。親愛なるみなさん、あなた方の多くには、この能力が欠けています。みなさんは、多くの場合、問題の中にある個人的な利害や欲望を見るのを拒み、その個人的で汚れた欲望の周囲に正当化を張り巡らせます。そして、あなたは客観性と公平さで物事を見ていると主張しますが、それは真実からかけ離れています。この能力に欠けているならば、より進歩を遂げた客観的で超然とした状態に向かうための次なる一歩を踏み出すことです。それは、自分の不完全さに気づき、そのことを認め、そしてこの問題について議論する資格がないことを認めることです。実際にこの次なる一歩は、より進歩を遂げた状態へと向かうための必須条件であり、すでにある程度この状態へと向かっていることの表れでもあります。自分の感情的な欲望やものの見方によって自分がどれほど現実を歪めているのかを認めてください。今まで自分に正直になることを実践してきた結果として、あなたにはそれができるはずです。パスワークによって、みなさんは正直さと公平さについて高度に発達した状態へと至るための訓練を受けてきました。自分がどれほど損得勘定をしているか、そして別の考えを信じたくないと思っているかをとても容易に認めることができるのです。実際にあなたは頻繁にそうしているかもしれません。あるいは、みなさんの中には「自分は客観的である」と言う人もいるかもしれませんが、それはありえません。本当に、不可能なのです。自己の利益や独善、怒りや要求、恐れや罪悪感、他人の持っているものをむやみに欲しがったり嫉妬心を抱いたり、あらゆるネガティブな感情や思考によって目を覆われて見えなくなっている以上、みなさんの評価は客観的ではなく、客観的であることは不可能なのです。
この領域でも、あの領域でも、あなたは心をかき乱されるような激しい感情や葛藤でいっぱいになっていて、それゆえに自分の意見を持つことができない、ということを知るのは偉大さの真の証です。それを知ることによって、みなさんは解放へと向かい、信頼のおける、頼りがいのあるリーダーになる能力の開発に向けて偉大な一歩を踏み出すことになるのです。他者を適切に評価し、真に客観的でいるためには、この方法しかありません。リーダーは、このような偉大さを持たなければなりません。しかし、歪められた現実を釈明したり、装飾したりするあなたの行為の中にある自分の利害が大きな障害となります。そしてあなたはそれによって自分を危うい立場に置くことになります。もしあなたがリーダーとしての地位をすでにある程度獲得しているとしても、公平性が欠如していると、いつか足元をすくわれてしまいます。そのことを認めず、あなたが意見を公表するに際して自分は個人的な利害とは無縁であると主張しても、それは自分の立場を危ういものにします。そして自らの地位を守らなければならなくなります。なぜならばあなたは、その権利もないのに、リーダーシップという立場を要求しているからです。
自分が現実を色付けしていることを知り(私が前出の問題との関連性においてお話しした通り)、そして自らリーダーシップの資格を手にしない決断を下す能力は、成熟と偉大さを示すサインです。その成熟と偉大さは、あなたに成長し続ける力をもたらします。現実をそのままに理解し、知り、そして恐れることなくありのままの現実について述べ、たとえ批判があなたに向けられていようともそれに誠実でいる力を得ることができるのです。強さ、自己信頼、そして安心は、自分が公正ではなくなるのはどんなときか、そして自分は公正でありたいと思っていないということを知り、認めるための正直な姿勢の結果としてもたらされます。これを私たちは次のように表現します。「自分は客観的ではないことを知るだけの客観性を持つことができます。」
リーダーシップのもうひとつの資質は、進んで自分自身をさらけ出し、非難を受けることも厭わないという姿勢です。リーダーシップから得ることのできる利益、権力や威厳を欲しいがために、自分をさらけ出して非難を受けることを恐れ、それから身を守り、なおかつリーダーシップをつかみ取ろうとするならば、あなたは目的に反しているのです。あなたは、自分の中に痛みに満ちた葛藤を作り出し、フラストレーションを生み出しているのです。真のリーダーシップは、外の世界を責め、正当にリーダーシップを手に入れた人たちを責めるような状況の下には存在することはできません。このことを認めたいと思うか、見たいと思うかはさておき、それが真のリーダーシップです。
誤解され、批判されるという一時の痛みに耐えることができないのなら -- その誤解や非難が正当で不当であれ – あなたには真のリーダーになるために必要な強固な基盤がないのです。リーダーシップとは、絶えざるリスクを意味します。自分は危険を冒すことを嫌がりながら、リーダーシップに不可欠とされるあらゆる責任を引き受けている人びとに対して嫉妬、怒り、反抗心を抱いているあなたが、どうしてリーダーシップを要求することができるのでしょうか?
このほかにも、リーダーシップに絶対に不可欠な資質があります。それは、子どもや子どもじみた性格を持つ人には欠けている資質で、考えてみようとすらしません。その資質とは、フラストレーションに対する態度です。この点については以前のレクチャーでもお話ししましたが、まだよく分かっていない人が多いようです。何かが自分の思い通りに行かないときにあなたが感じる怒りや激情を認識していないので、あなたは何が起こっているのかが分かりません。ですから、ここで少し時間を割いて、このとても大切なテーマについてお話ししたいと思います。
人格の真の統合と全体性は、フラストレーションと充足との対立がなくなり両者が調和に至るときにのみもたらされます。では、二元性の片方と戦い、そしてもう一方にしがみついているとき、どうしたら対立を調和へと導くことできるのでしょうか。もしあなたが「私は絶対に手に入れなければならない」と強い思いを持っているならば、一方で同じぐらい強く、自分の欲求とは反対にある「私はそれを手に入れてはならない」という思いを持っており、痛みに満ちた二元性の状態にいるのです。あなたは、フラストレーションをすべて取り除くことによって欲望を満たして、この痛みに満ちた状態から生じる緊張を軽減させようと、誤ったことを試みているのです。かくして、あなたはフラストレーションを超越し、それが二度と起こらいようにする方法を学ぶことは決してありません。当然ながら、そのような試みを続けても成功に至ることはなく、さらなるフラストレーションを抱えることになるだけです。フラストレーションを経験している限り、あなたはそれから何かを学ばなければならない、ということです。この点を忘れないでください。大雑把に言えば、フラストレーションに関しては、これがあなたの現状です。
では、フラストレーションに対して、どのようなアプローチが良い効果をもたらし、最終的にはそれを超越に導くのでしょうか。私が超越について話すとき、偽りの超越、つまり自分を自分の感情から切り離し、いかに自分が緊張し、不安を感じ、欲望を抱えているかに気づかないでいるということを意味しているのではありません。私は、躍動し、意識が目覚め、ダイナミックで、人生の流れと調和して流れる感覚で満たされた真の超越について話しているのです。この状態に到達するには、いくつかのステップを踏む必要があります。
この真の超越に向かうための最初のステップは、「もしこれが痛みに満ちていて、自分の望まないことであっても、私はとりあえずそれを信頼してみます。私は、それを引き受け、リラックスしてそこから学び、それをうまく扱い、そして最大限に活用します。私にはその力があると信じます。私はこのフラストレーションから何かを学び、それがあたかも災難であるかのように振る舞いません。これはおそらく災難などではなく、それから何か良いことがやってくるのです」という態度です。このようなまさにオープンな態度が最初のステップで、そうするとただちに不安は和らぎ、大きな安心を得ることができる新しい状態に至ります。というのも、不安というのは、あなたが依存し得ないものに依存し、最も子どもじみた誤認、そしてつかの間の満足を求める偽のニーズに合わせてあなたの周りの現実を操作しなければならないと思い込んでいるために、より大きなものになるからです。つまり、あなたの生、そして宇宙の生命の中にある、一連の因果の法則から完全に切り離され、すべてのことが刹那的で制限されたビジョン通りになるべきだというあなたの思い込みが不安を助長しているのです。そこで、最初の一歩としては、フラストレーションそのものや、それに対する恐れや怒りについてあなたが持っている嫌悪感や激しい憤りなどの反応を和らげるための余裕を持つことです。つまり、この反応の正当性に迫り、問うてみることです。また、可能性としてそれが間違っているのではないかと考えてみることです。そうすれば、あなたの中に、新しい能力のための余地が生まれます。その新しい能力は、新しい何かが起こることを許し、身勝手さが原因で曲げることのできない物事を扱うための新しい強さと知恵をもたらします。このことは、身勝手さへの絶え間ない服従からは決して得ることのできない、想像を超える自信と自立心を与えます。親愛なるみなさん、これは本当に大切な最初の一歩なのです。みなさんをさらに美しい存在へと導くための最初の一歩なのです。
フラストレーションを超越するために学ぶべき次なる一歩は、特定のフラストレーションの意味を積極的に、意図的に、そして新たに探してみることです。今抱えているフラストレーションは、あなたに何を教えようとしているのでしょうか?以前にも申し上げましたが、敢えてこうして何度もくり返しています。どんなフラストレーションにも、喜びであふれて、貴重で、あなたを解放へと導いてくれる大切なレッスンが必ず含まれています。ですが、ほとんどの場合、あなたはこの可能性についてまったく考えようとはしません。フラストレーションの発生と戦うことばかりに躍起になって、それが教えようとしているレッスンが分からなくなり、あなたの道においてとても重要な意味を持つしるしを通り過ぎ、大切な機会を逸しています。そして、回避不可能なこのような機会がいずれはまた訪れることになる新たな必要性を自ら作り出しているのです。あなたがどれほどそれと戦っても、それは必ず訪れます。戦えば戦うほどあなたはより硬直し、ますますフラストレーションが悪化し、その大きさ、激しさ、深刻さがさらに増し、最後にはフラストレーションに圧倒されてしまいます。ですが、このようにフラストレーションに圧倒されると、フラストレーションは憎むべき敵であるという考えは自分で作り出した幻想であることを発見する機会になり得ます。圧倒されるというこの経験には、フラストレーションに対する窮屈さ、ひいては人生全般に対する緊迫感を緩めるための力があるのです。
親愛なるみなさん、フラストレーションは大切な友人です。勇気を出して、知性を持ってその意味を探究したいと望み、そして、フラストレーションがその本来の姿である教師やセラピストとなることを許せば、フラストレーションを友人にすることができます。
それによって、みなさんは、フラストレーションの意味を発見する、という次の一歩を踏み出すことができます。扉を叩けば、必ずやその扉は開きます。探せば、必ず答えを見つけることができます。その答え、つまり意味を知ると愕然とすることでしょう。その叡智、このレッスンがどれほど必要であるかについての理解、新しく手に入れた強さ、叡智、解放をそこから得て、フラストレーションに対して今までとは違う見方をするようになっているはずです。ですから、また別の学ぶべきレッスンがもたらされるとき、それまでのようには恐れず、あなたに向けられたその深い意味を確信し、同じステップをくり返すことにそれほどの抵抗を感じなくなります。それは、人生における新たな信頼とすべての物事の背後にある意識についての新しい見方をもたらします。充足とフラストレーションとの間の対立を収めるためには、これはとても大切な意味を持っているのです。
さらなる一歩を踏み出すと、あなたはより深く、より繊細で光に溢れた世界に足を踏み入れることになります。このひとつ前のステップを通過してしまえば、とても美しいことを実践し始めるようになります。少なくとも理論的には、神の現実があらゆる瞬間、あらゆるもの、そして経験の断片の中に存在していることを私たちは知っています。スピリットであっても、人間であっても、創造物や物体であっても、経験であってもすべてに存在しています。聖なる現実に宿る喜びに満ちた真実、生きる喜び、深い意義、そしてその目的は、すべての物事の中で生きています。これまでもそうであったし、これからも常に生き続けます。これについては以前にもお話ししましたが、フラストレーションについてもあてはまるので、敢えてここでもう一度お伝えします。私が今日お話ししたステップを踏んでフラストレーションに取り組むにつれて、フラストレーションの核心部が小さくなります。瞑想的な調和の中でフラストレーションにフォーカスすることができるようになります。それから学ぶべきレッスンを学んだあとに、フラストレーションの核心部を十分に感じてみてください。それとともに流れ、ともに進み、それを受け入れ、大切に抱きしめてください。フラストレーションを拒絶するのではなく、態度を完全に入れ替えて、それを受け入れてください。すると、想像を遥かに超えた経験がみなさんの元を訪れるでしょう。フラストレーションの最も深いところにある一点に、生命の神聖さ、そしてフラストレーションの持つ神聖さを発見するでしょう。このとき、それはもはやフラストレーションではなくなります。それは、想像しうる限り最も深い充足となり、フラストレーションから逃げてあなたが求め続けていたものよりももっと深い充足となるのです。
親愛なるみなさん、ここまでに至ると、フラストレーションを乗り越え、マスターし、そして真に超越したことになります。不満でいっぱいの感情を否定するような間違った方法で超越するのではなく、マスク・セルフのレベルで気にしないふりをするのでもなく、真にフラストレーションを超越したことになるのです。フラストレーションを恐れず、それに対処できることを知り、そのために必要な道具や能力、資源、創造性を持っていることを知ってください。そうすると、すばらしいレッスンとしてそれを活用したことになり、その結果、フラストレーションの中の、すべてはひとつであるという神聖さへと至ることになります。そこには、神がおられ、充足があるのです。
親愛なるみなさん、これがあなた方の道です。これが今、あなたの道において必要なことです。ポジティブな意味で正当なリーダーであるすべての人が、この方法でフラストレーションを超越したのだと言っているわけではありません。ある程度の真のリーダーシップが存在する場合、フラストレーションに対する態度は、ほとんどの場合、成熟し、現実的であると言えます。そしてフラストレーションを感じるときに、怒りに満ちた侮辱的な態度はもはやそこにはありません。
障害物、自己中心性、決してフラストレーションを経験しないでいたいという執着、愛を抱かないこと、与えないこと、エゴの拡大、嫉妬、そして恨みなどから自分を解放するとき、あなたは充足を得るための妨げとなっている主なものを取り除いたことになります。ときには同じところをぐるぐるとまわり、あれやこれやの不幸せや満たされなさを哀れむこともあるでしょう。つまり、私がここでお話ししたこれらの態度とつながる選択をしないこともあるでしょう。あなたの満たされなさやフラストレーションはその態度が作っているのです。その態度とはつまり、愛を抱かないこと、自分勝手さ、公平性の欠如、先入観や一方的なものの見方、そして度を越した怒りのことです。自分が不満やいらだちを感じることを許さないと、あなたは自分の人生をとても狭い範囲に制限することになり、不必要に自分を傷つきやすい状態にしてしまうのです。
幸福にはさまざまな意味があります。それは今日お話ししたすべてのことを意味します。あなたはこれらの教えをすでに学んでいるわけですから、自分自身が持つ資源、内なる偉大さに到達することができれば、何らかの意味においてリーダーであるにちがいありません。リーダーシップは必ずしも目に見える形で現れるとは限りません。より捉えがたい形で存在することもあります。実際には、リーダーシップは常に、捉えがたく、気づかれることのないような形で始まります。けれども、最良の意味において、あなたならではの独自の権威を持つことができるのです。私が今日お話しした態度についてしっかりと見つめ直さない限り真の権威となることはできません。嫉妬や妬みという感情が痛みに満ちた幻想としていつまでも姿を現し続けることになるわけです。けれども、ほとんどの場合、あなたはそれらを真剣に捉えることはありません。自分がそれらを持っていることを認めず、正当化します。そして、自分よりも権威を持つ他者が自分の権威を奪ったかのように振る舞うのです。
親愛なるみなさん、どうか、今、本当はいることができる場所から逃げないでください。すでに無用となっている態度を捨てるのです。今がそのときです。あなたはそれらの不必要な態度を認識し、向き合ってきました。今度は、それを手放すのです。親愛なるみなさんには、以前にもこのことをお伝えしました。私のこのメッセージを何度も繰り返して言ってみてください。このレクチャーをあなたの中に深く行きわたらせてください。そしてそれを心にとめて、それを使い、レクチャーのあるべき姿、つまりみなさんの助けとなるように活用してください。そうすれば、あなた方が手にするのは喜び以外の何ものでもありません。みなさんの良き志、本来の自分になろうとする真摯な努力は必ず報われます。自分がなりたいと思っているような人物はまだ生まれていないと思っているかもしれませんが、あなたがオープンになって不必要な態度を手放し、生まれ出るのを待っているのです。みなさんを支配しているのは、外側で分離し孤立した自己の一部に過ぎません。なぜならあなたは、身勝手な人格と結びついてしまっていて、生まれようと待っている、もっと強い本当の自分と結びついていないからです。
そろそろこの場を離れる時間ですが、ただみなさんの目で姿が見えなくなるだけで、私はいつでもここにいます。みなさんの側で、あなた方すべてを深く愛しています。スピリットの世界では皆そうなのです。私たちはこの美しい創造物、そしてそのひとつであるみなさんを大変気にかけています。神の祝福を受け、喜びを感じてください。そして、あなたの人生が栄え輝き、さらに美しく充足に満ちたものとなることを信じてください。私の愛するみなさんが祝福に包まれますように。
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