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Pathwork in Japan
No.241 動きの力学とその本質への抵抗
Pathwork Guide Lecture No. 241
1996年版
1976年5月5日
動きの力学とその本質への抵抗
DYNAMICS OF MOVEMENT AND RESISTANCE TO ITS NATURE
愛する友人の皆さん、全員に祝福を。注がれる愛と真実を、皆さんの存在全てに浸透させてください。今日のレクチャーのテーマについて話す前に、これらのレクチャーが何処からどのようにして来るのかをお話ししたいと思います。
スピリットと真実の私達の世界には、それが何処であろうと三次元の世界と繋がる役割、非常に集中した目的があります。度々お話してきたように、これらの繋がりは非常に異なる才能と専門性を持つ多くの存在で成り立っています。私たちの意識の領域における核心は直接的にも間接的にも、あなたの個人的な道、あなたを取り囲むガイドや守護者といった存在達と常にコミュニケーションをとっています。私達は又、全体的な道のニーズの総合、やり遂げるべきワークの段階にも焦点を当てます。個々の道全てがひとつの存在、ひとつの全体性を創り出します。レクチャーが多くの皆さんの答えになり得るのは、この理由からです。異なる時期にこのワークを始め、異なる段階におり、異なるニーズや問題を抱えた多くの人々全員が、今必要としているものを受け取ることができます。人間の視点からするとこれは不可能なように見えますが、私達の目から見れば不可能ではないのです。そうは言うものの、全ての人に役立つこのひとつの共通点を見つける為には、まず私達の世界で多くのワークが成し遂げられる必要があります。
特別な関係において、皆さんはここに一緒にいます。皆さんがどんなにそれぞれ違っていようとも、ひとつの共通点があり、これは全てにおいて最も重要なものなのです。それは、自らの存在全てを捧げて、完全に代償を支払うところまで成長、変化、動き、拡張することへのコミットメントです。このコミットメントが既に存在しているという事実は、外見的な現れがどれほど多様であろうと、皆さん全員に共通する特定の成長レベルに由来します。
このような理由で、もしまだ数年は、そのテーマに深く関わらない人がいたとしても、どのレクチャーもその人のニーズを満たすのです。それでもやはり、レクチャーは真に心を開いている人全てに反響を呼び起こします。それはまさに、全部の断片をつなぎ合わせる為に必要な答えとなるでしょう。ですから皆さん、テーマは常に慎重に選ばれ、準備されているのです。その準備は容易ではありません。それは人間の言葉、つまり人間の概念、用語、言語にテーマを押し込めなければならないからです。それは容易な仕事ではありません。我々には専門家がいます。皆さんには奇妙に思われるかもしれませんが、それほど奇妙なことではありません。何故なら、地球上に存在するあらゆるものは、我々の世界に存在するもののごく小さな現れに過ぎないからです。
予告したように、今夜のレクチャーのテーマは、動きの力学、動きの本質、動きに対する抵抗の本質です。変化、成長、拡大しようとする衝動が目覚め、益々強くなっていくにも関わらず、皆さんはそれぞれの道において、それぞれ独自の方法で、自らの内にある別の側面に気づいています。それは動くことへの抵抗です。この点に関して、皆さんは多くの認識をしてきました。この動きへの抵抗を創り出す、個人的また一般的にある多くの誤認を発見してきました。
まずは、宇宙的な意味での動きの本質についてお話ししましょう。以前に、生きているものは何であれ動くとお話ししました。あなたは自らの領域でこのことを目の当たりにしています。生きているものは何であれ、動くことをあなたは見ています。例え静止していても、それは動いています。呼吸は動きであり、血流は動きであり、心臓の鼓動は連続的な動きです。しかし、肉体が死ぬと、肉体から動きは無くなります。生きているスピリットは、殻から抜け出します。
無生物は動きません。宇宙には、生命がないものは何も存在しないので、あなたからは「死んだ」ように見える物体でさえ動きがあります。ただし、その「死んだ」意識レベルでは、動きは異なる振動速度となります。振動機能の周波数があまりにも遅い為、あなたの視点では、動きは知覚できません。宇宙を活動の度合いで捉えると、活動の度合いがより高ければ、動きはより多くなる筈だという明白な結論が得られます。その動きが僅かで、内面的で、外からは見えないとしても、それは非常に力強く、生き生きして、活気に溢れています。私が言っているのは、無生物に内在する動きのことではありません。あなたの視点で見て、生きている生物について述べています。樹木は静止しています。あなたが目を向けてもその動きは感知できませんが、その内側では非常に力強い動きがあります。
運動状態にある人間は常に、外的に動いているとは限らないでしょう。しかし、外側から見て休息や静寂の時でさえ、その動きは、喜び、活気、変化する力、柔軟性、生命体全体の絶え間なく脈動する本質において感じられています。同じ意味で、外側に動きがあっても内側に「死」つまり相対的な死があるかもしれません。動きは全てのレベルに存在します。あるレベルでは健康的な運動状態にあり、他のレベルではそうではないかもしれません。そのような場合、動きに抵抗がないレベルで、過剰な補償が起こる可能性があります。
動きは、生命が生まれながらに持っている表現です。個人の人生における発達、進化という観点から動きを見てみましょう。以前、別のレクチャーの別の文脈で、人生は列車の旅のようなものだという象徴的な例えを使いました。列車に乗っている夢や、列車に乗り遅れる夢を見るのは、この為です。殆どの場合、夢は自らの道に対して持っている特定の態度に当てはまります。あなたが自らの生来の性質と計画に沿って動く時、そこには調和があります。そして、あなたの列車、すなわち思考の列車、エネルギーシステムの列車、あなたの全存在と方向性の列車は前進し、絶えず変化する局面を通り抜けます。このプロセスが調和している時、あなたの内なる列車が到達するそれぞれの精神の空間は拡大であり、喜び、充足感、自由、幸福である神聖なる生命のより深くより広い表現なのです。
私は又、皆さんの何人かが甘んじていたり、安全だと信じながらも停滞も感じていたりする狭い制限を超えて、自らの空間を拡大することを想像するよう勧めてきました。あなたは、神聖なる生命、自己表現、創造的な人生を実現し、生まれつき持っているものの更なる発展の実現への可能性を失っているように感じています。まずは、未知の空間のように見えるものへ向かって前進する勇気が必要です。この地球でのあなたの列車が、見たことのない環境に向かって、ある国を通って別の国へと移動するに従い、あなたは一時的に不安を感じるかもしれません。しかし、健全であればある程、信頼していればいる程、この新たな領域に馴染もうとするあなた自身の期待や自信は、益々喜びに満ちたものになります。新しい環境に慣れて順応するにつれて、あなたの安全は更に大きな自己表現の領域に広がります。あなたは外国の領域を自らのものにしました。より多くを見て、より多くを理解します。あなたは今や、地球上で利用可能なより大きな空間の中で生きています。自らの為に更なるホームグラウンドを創り出したのです。
内的人生は、外側の旅よりも重要で、ダイナミックで、不可欠なものです。内なる拡張と、無限に大いなる展開に向かう動きは、あなたの人生計画です。全ての人間がやるべきことです。外側の旅や旅行は、内なる人生に適用する為の象徴的な表現やメッセージに過ぎません。新たな精神の空間、つまり意識の新しい状態、反応すべき新しい様相、人生や自分に対する新たなアプローチ、これらに慣れ親しんでこそ、内側に含まれる豊かさに気づくことができます。それが全ての生命の動きなのです。
厳密に人間の観点からすると、肉体的レベルで人間存在の人生サイクルを見れば、このことが良く分かります。勿論、赤ちゃんは殆ど動くことができず、制限され依存的な状態です。その経験は、極めて限られています。成長するにつれ、世界に向かって最初の動きを始めます。自らの足で立つことを学び、歩くことを学び、両手を伸ばします。その成長の結果、新しい空間が利用可能になり、その空間を獲得する為に自らのパワーを使います。その小さな存在は今や、世界の新しい部分を発見し、それを自らのものにします。子供が成長するにつれ、より多くの新しい経験ができるよう、更に多くの能力が現れます。成長すればする程、子供はより自立していきます。より多くの経験を得て、より満たされるのです。
完全な大人は、子供には決して得られないような自由と幅広い経験を達成しています。これは生命の物理的レベルではごく普通の現象です。しかし、内的な現実も同一の規則や法則に従っていることは、一般的には否定されています。ある存在が不注意で無意識の内に動きを止めてしまい、これらの規則や法則から逸脱した場合、ダメージが起こります。あたかも大人を幼児の境遇に押し込もうとするかのように、その存在は、無知な人格によって最早占めるべきでない狭い空間、文字通り収まり切らない空間に押し込められているのです。控えめに言っても、これは不適当で、不条理で、窮屈なことです。しかし、これが無意識の内に人類が行っていることです。非常に大きな範囲で、内なる動きが止まっています。その結果、徒労感に苛まれ、人生を逃すことを恐れるようになります。
ニューエイジの教育が皆さんの世界に広がり深まると、これらの事柄は全て、非常に重要なテーマとなるでしょう。人間はこうしたプロセスを理解しながら成長し、拡張のニーズに気づくようになります。内側の動きを促し、それに対する抵抗も認識し、抵抗の本質を理解し、それを克服する方法を知るでしょう。抵抗を認識する結果、意識的な人格は常に、抵抗を克服する可能性と選択を持つことになります。
狭くなり過ぎた状態に閉じこもり停滞していると、経験し損なうという感覚が死の恐れを創り出します。これは非常に身近な恐れです。しかし、自らの潜在能力に従って人生を完全に十分に生きる人は死を恐れません。
よくある誤解が、動くことへの抵抗を助長します。人生における動きは時間経過でもあるので、動きはあなたを肉体的人生の終わりに近づけるというものです。あなたは、時間を止め、死を防ごうという不合理な考えで動きに抵抗します。しかし、もし十分に動いて生きているならば、死を恐れることはありません。ここには悪循環があります。動きを恐れ、動きを止めることで、人生を逃してしまうのです。あなたの心の奥底でこのような声がします。「時が来て、肉体を残して去る時、私はできた筈のこと、自分自身と人生を満たす為に今もできる筈のことはやり遂げられないだろう。」この徒労感という、誤解され、誤訳されたメッセージは、意識レベルで死への恐れを創り出します。恐れの不合理な意味はこうでしょう。「もし私が動きを止めるなら、時間は止まり、私は同じ位置に留まれるだろう。」
しかし、これは動きに対する抵抗の、ほんの一面の、かなり表面的な側面に過ぎません。親愛なる友人の皆さん、それよりも更に深く、更に重要なものについて説明したいと思います。あなたが動く時、全ての動きは、次に行くには何かを置き去りにしなければならないことを意味します。言い換えれば、列車の旅で次に来るものを得る為には、何かを諦めなければ動けません。今までに行ったことがない場所を経験したいのに、その場所に列車が行くことを許さない旅を想像してください。列車が連れて行ってくれる場所が、今留まっている場所での不都合の多くがない、より幸せな場所であることを良く分かっているにも関わらず、あなたは今いる場所を離れたくないのです。過去そうであったものに貪欲にしがみつくという、どうしようもない状況にいるのです。古い慣れ親しんだ環境を何ひとつ諦めたくないと主張しながら、新しい場所に向かって必死に努力します。新たな場所に到着できないと文句を言いながら、古い構造に不満を持ちます。これが、皆さんの多くが置かれている不条理な立場です。このようにして、矛盾した動きや態度が生まれます。一方では、焦って突き進みます。あなたは落胆し、何故もっと早く成長できないのか、何故もっと効果的に、もっと完全に問題を解決できないのかと考えます。何かを諦めたり、手放したりはしたくないので動きたくないという、強い声が自分の中にあることを知りたくないのです。それは態度、防御、お馴染みの行動パターン、反応の仕方、人格的特性かもしれません。それが何であれ、それは手招きしている新たな自由、喜び、充足感にあなたが到達することを妨げています。
この「手放したくない」は極めて重要な意味を持ちます。これは、多くのレベル、人生における多くの表現に当てはまります。あなたはいつも、愛、感情、物質的な物であれ何であれ、自らの与える力を抑えていた方が、より安心でより豊かだと考えます。時間を、お金を、自らの感情を、あなたのハートを固く保持したいと願っているのです。固く保持することで、自らの別の部分が切望する動きを妨げていることに気づきません。あなたは、その動きを絶対的に不可能にしてしまうのです。
あなたは信頼できないからこそ、この保持を手放して諦めたくないのです。愛する友人の皆さんは、既に知っていますね。人生や他者に対する態度は、自分自身についての最も深い、最も隠された疑念と同じものになります。あなたは、自分が保持して与えることを望まず、吝嗇で、少なくともこの点では愛に欠け、与えることをしないという事実を意識的に何とか否定し、無視できるかもしれません。多くの点で、あなたは愛ある寛大な人でもあるでしょう。しかし、そうではない部分が認められないままでいると、あなたは正当な理由以上に、自分自身を非難するかもしれません。何故なら吝嗇で与えない部分を、あなた自身が現実の全てだと捉えてしまうからです。
従って、あなたは宇宙を疑うことになります。宇宙もそれと同じように与えず、吝嗇で、抑制的で、貯め込み、心が狭く、あなたを貧しいままにすると思うのです。あなたは自分自身として感じているまさに同じものを宇宙に期待します。それは、拒絶的で、愛のない、心の狭い、過度に慎重な宇宙です。あなた自身の動きのない、抑制的で、与えない態度から投影された疑念は、あなたに人生を恐れさせ、人生をあなた自身と似たものとして見せます。そのように投影された宇宙では、信頼して自由に動き回り、自らのエネルギーを解放することは望めません。制限された、狭い柵で囲まれた場所で、閉じ込められていると感じて不幸せなのに、それでもその場所を離れることを拒み続けるのは当然のことです。
貪欲な思考はこのようなものです。「このこと、この状態、この時、この経験を置いて次へ進めば、取り返しのつかないものを失ってしまう。何も手放したくない。全てを貯め込みたい。次の時間を経験したいが、この時間を手放したくはない。愛を受け取りたいが、自分のハートを注ぎ込みたくはない。」あなたの両手は、いうなれば象徴的に握りしめられています。その為、次の経験は訪れません。あなたが切望する意識の拡大状態、人生と自分自身をとても美しく経験する状態は訪れないでしょう。信念、寛大さ、手放す勇気、諦める勇気、内なる手と心を開き、信頼する勇気を持つ時にのみ訪れます。諦めること(giving up)は、与えること(giving)のひとつの形です。そこへ行く為には、これを手放す必要があるのです。
各段階を乗り越える度に、より良い状態へと繋がっていくことを想像してください。道において、以下のような段階が現れる時があります。多くのローアセルフを既に解消し、そのエネルギーの多くが変容して問題の多くが解決され、ワークにおいて活発な浄化プロセスが進行しています。その結果、あなたはこれまで以上にポジティブな経験を創造します。しかし、この新しい進化した状態に浸り続けるべきではありません。更に良い状態がまだやって来るのです。この動きに身を委ねる為には、瞑想し、求めて、自らを能動的に感じることが必要です。より良い状態に達する為に、この進化した状態をも手放そうとする意図を貪欲と混同してはなりません。貪欲で性急な態度を支持している訳ではありません。むしろ、生命の無限の本質、あらゆる生き物の運命である無限の拡張についての深い内的な理解のことを言っているのです。
あなたが自らのネガティブな視覚化を観察する時、それは最初、無意識のレベルにしか存在せず、後から半意識のレベルに現れるかもしれません。あなたは、自らの動きへの恐れが次のようなメッセージに翻訳されることに気づくでしょう。「もし私が動いたら、次は更に悪いことが起こるだろう。だから、今いる場所にとどまる方が良い。」あなたの隠れた存在の片隅から届くこのメッセージに挑戦してください。挑戦し、そのメッセージを真実で置き換えてください。自分自身の道、あなたの最奥の存在の動きへの完全な献身とコミットメントの結果、あなたは宇宙の豊かさを正当に求めることができるという真実です。この完全な献身、人生に自らの全てを与えるコミットメントの精神において、自らを価値ある存在だと感じること、より良いことしか起こり得ないと知ることは、それ程難しくはないでしょう。あなたは、喜びと信頼をもって動くことができます。周囲の全てに、あなたのハート、手、マインド、存在から与えると、与えることは受け取る道であることを知るでしょう。それはひとつの同じものになります。手放すことは与えることなので、動きは愛と信頼の重要な要素です。あなたを豊かにする準備ができたものが、あなたの目の前に置かれたとしても、マインドが与えない状態にある時には何も受け取ることはできないと、心に留めておいてください。あなたはそれに気づかないか、気づいたとしても誤解し、見逃してしまい、それは通り過ぎてゆきます。しかし、宇宙はあなたを豊かにしたいと切望しています。それが宇宙の本質だからです。
内にも外にも存在する全ては、人生の最も豊かな材料です。すべての粒子には、想像し得る最も豊かな経験の可能性が全て含まれています。あなたが想像できるものよりも、遥かに、遥かに多くの可能性が詰まっています。あなたの旅、あなたの動きの道においては、想像力でさえ拡張しなければなりません。全てが成長し、動くように、個人的な充実、幸福、豊かさの範囲を視覚化し、拡張するあなたの力も又、成長する必要があります。あなたが可能性として認識できないものを経験することはできません。あなたは、これから起こることに少なくとも何らかの予感は感じている筈です。そして、それはあなたの想像を超えて、より良く、より豊かなものになるでしょう。より多くのものが実を結ぶことができるよう、あなたの想像はどうにかして蕾を開き、花開かねばなりません。
愛する皆さん、自らのどの部分が未だ停滞しているのか、どの部分が「自己成長の道でもっと動きたいのに、私は何故停滞しているのだろう?」と未だに感じているのか、注意深く見てください。これは、何かを手放したくないが為に、動きを止めてしまう部分です。あなたは、現状の良い側面が決して失われることはないという信頼を持たずに、現状維持を望みながらも、同時に次の状態にも進みたいと思っています。友よ、それは不可能です。物理的、精神的、感情的、霊的にも不可能です。それは明らかに矛盾しています。ポジティブな意図が根付き、花開く為には、信頼と時間が必要であるように、手放すプロセスに対しても忍耐と信頼が必要です。そして、古いものを手放すことと、新しい経験や意識状態が展開することとの間の「中間の瞬間」は、それ自体が喜びに満ちた経験となります。動いているプロセスにいる間、旅は非常に楽しくなるかもしれません。繰り返しますが、列車の旅は効果的な比喩です。
列車に乗り込むのを想像してください。電車は駅を出発します。目的地に着くまでは暫定的な時間があります。この期間、あなたはある種の無人地帯にいます。古い場所を去り、まだ新しい場所には到着していません。次の駅に向かう途中なのです。そこは、あなたが新しい状態に馴染んで、新たな経験を創り出し、その先の場所に向かえる強さを蓄え、準備する為の一時的な滞在場所があります。しかし、列車を出発させることがなければ、到着することは決してありません。そして、例え出発させたとしても、不安、恐れ、不信感に満ちているのであれば、旅を楽しみ、あなたを待ち受ける素晴らしい新たな経験の全てを享受することはできないでしょう。あなたは盲目と恐れで強張っているのです。
信頼を学ばなくてはなりません。そこへ行く為に、それを手放すことを。これは自分の中で観察できる内なる動きです。あなたの視覚化を通じて、最も抵抗していると感じる、まさにその領域でそれを実践できます。友人の皆さん、これは皆さんにとって非常に重要なことです。このメッセージを使用し、適用すれば、繰り返し簡単に決断することができます。「私の意識状態において、態度において、人生へのアプローチにおいて、価値観において、思考プロセスにおいて、経験に応答する感情において、私は手放し、内面的に前に進みます。」
あなたのパスワークの中で、ヘルパーと共に、何よりも速やかにこの新しい態度を適用すべき所を見出せます。これを実践できる具体的な領域を見つけてください。敢えて言いますが、人生において問題が最も苦痛に感じられる場所こそ、あなたが最も動きたくない場所、すなわち、その状況に対する態度や習慣的なアプローチを変えることを拒む場所です。一度状況を異なる角度から見る為の積極的な試みを開始すると、多くのことが起こり始めます。内側に抑え込まれてきた動きは解放されます。この動きは最初、一時的な混乱を引き起こすかもしれません。これは、これまで決して許されなかった動きが、ネガティブに蓄積された結果です。しかし、遅かれ早かれそれは、これまで絶対不可能に思えた調和、平和、喜び、豊かさを与える秩序ある新しい状態へと移行します。特に、長年あなたを悩ませてきた分野で、全般的には勿論、具体的な面においても移行します。
人生を拡張し、経験の範囲を深めるビジョンと共に、新たな空間へ入っていく勇気と信念を実践しましょう。より多くのエネルギーと霊的活力の元が動きに加わり、既に自分が許している動き以上に祝福された結果をもたらしてくれるでしょう。
動きの力学について、更なる側面について述べたいと思います。有機的な動きが適切であり、成長する生命体の一部であるにも関わらず、それが拒否されると、しばしば不均衡が生じます。否定された動きは出口を求め、不適切で不自然な所へと動こうとする衝動として現れます。例えば、ある人が防衛的な古い態度に固執し、それを手放そうとはせず、内面的に停滞しているとします。その結果、強迫的な落ち着きのなさが生じ、それは静止できない、「そこに」完全にいることができない、何事も最後までやり遂げることができない、頑張ることができないというような症状へと育つかもしれません。そのような人は、多くのことを始めながら決して完了させなかったり、同じ場所に留まることに耐えられなかったりするかもしれません。強迫的な落ち着きのなさが、その人に世界中を旅させ、自らの外側に新しい場所を探させることになるでしょう。
さて、親愛なる友人の皆さん、リラックスしましょう。手放し、自分に集中し、静かになりましょう。ここにある力強い祝福を感じてください。この力強いエネルギーが、皆さんのコミットメントを後押しできることを視覚化してください。そして、全員で声をそろえて、この言葉を唱えてください。
私は神の意志に身を委ねます。
私は自らのハートと魂を神に捧げます。
私は人生で最高のものに値します。
私は人生の最善の目的に尽くします。
私は祝福された神の顕現です。
(上記の文は、130人あまりの参加者全員によって一斉に唱えられました。これまで経験された過去の集会の内で、最も強いエネルギーでした。)
愛する友人達よ、今の皆さんの斉唱は、強い変容の力を解放しました。与えられ、創造され、受け取られた祝福は、皆さんの人生と課題に更に浸透していくことでしょう。平和の内に行きなさい。
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