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Pathwork in Japan
No.254 サレンダー
Pathwork Guide Lecture No. 254
1996年版
1978年10月18日
サレンダー
SURRENDER
愛する友人の皆さん、永遠なる神の光は、皆さん一人ひとりに、そして神と神の壮大な進化の計画に奉仕するコミットメントによって神聖化された、あなた方のあらゆる努力に、大きな祝福として降り注がれています。
神の手は、地上の様々な現象に見て取ることができます。神の存在は強く感じられ、それを遮断すれば、神の不在も又強く感じられます。永遠のスピリットの神聖なる創造性を常に見ることができる地上の現象のひとつは自然です。あらゆる生物種を守り、維持する為、細部にわたってデザインされた、叡智と洞察には驚嘆せずにはいられないでしょう。地球上の生命を維持する数々のシステムを考案したのが、想像し得る限り最も偉大なマインドであったことを、全ての被造物が示す豊かさ、美しさ、潤沢さは、明確かつ雄弁に物語ります。
又、人間の無思慮や貪欲さによって自然の均衡が乱されていることも、多くの人々に明らかになりつつあることです。この点が明らかになり始めているのはとても大切なことです。しかし、自然には神の愛の精神とは矛盾するように思える残酷な側面もあります。自然の破壊力、嵐、洪水、地震等は確かに存在します。しかし、別な角度から見ると、それは、あらゆる存在が霊的法則との内的調和を回復する為に通り抜けなければならない、必要とされる危機に過ぎません。
自然の残酷さの他の顕現は、別な分類に入ります。例えば、ある種は自らの生存のために別の種に依存し、その種を犠牲にして生き延びることがあります。これは捕食者と被食者です。個々の動物に公平な勝負のチャンスがあるよう、獲物には常に特定の防御手段が備わっているものです。しかし、大局的に見れば、ある種は別の種を支える役割を果たしています。これらの条件は、自然界全体のバランスを維持するのに貢献します。しかし、ある動物が栄養の為に他の動物を殺すことは残酷に見え、神の存在を否定しているようにも思えるでしょう。しかし又、人間が犯し得る無益な残酷さや破壊行為に、動物が耽溺することは決してないことも事実です。人間のより進化した意識こそが、人間の行動を善の方向、あるいは悪の方向に向かわせるかを常に選択できます。それでも、ある動物が全体の生命のプロセスに奉仕する為に、パニックや痛みに耐えねばならないというのは、ある意味で悲劇的であるように思えるし、実際に悲劇的です。
今、皆さんに理解して頂きたいのは、この自然界における顕現は、善と悪が混在する人類の全体的な二元的意識状態をまさに反映しているということです。人類の信念は常に、この二極性によって特徴づけられます。人間の信念の総体が環境を創造する為、地球領域はこの二極性を正確に反映します。表面的には人間の意識状態とは何の関係も無いように見える、最も遠い顕現においても、二極性は観察することができます。これらの顕現は、人間の信念、態度、感情、意図と関わりなく独自に創り出された事実のように思われますが、実際はそうではありません。最も低い次元から最も高い次元に至るまで、あらゆる領域、世界、次元は、常にその領域に集う存在達の全体意識の状態を完全に反映しています。天国と地獄は、意識の状態に過ぎないとはよく言われます。ある意味で、それは本当です。しかし、このようなことを言う人々も又、意識状態が内面そして周囲の物理的環境さえも創り出すという事実について、多くの場合に見落としがちです。
この世界が二極性を生み出す両極端の組み合わせを反映しているならば、一方の極が他方を圧倒的に上回り、二極性が消滅したかのような他の世界も存在する筈です。悪の領域、あるいは地獄には、痛み、恐れ、苦しみだけが顕現し、美は一切存在しないでしょう。一方、善の領域には、いかなる痛み、恐れ、苦しみもないでしょう。虎と鹿が、相互に愛情深く友情を育む世界を想像してみてください!そのような世界では、いかなる動物も自らの生命を維持する為に、他の動物の生命を必要とはしません。
芸術は時に、この至福に満ちた世界を映し出します。何故なら、魂はそれを知っており、そこへ戻りたいと切望するからです。画家、音楽家、詩人、ダンサー達は、この至福の完全な世界のほんの一部を明らかにします。そのような世界ではいかなるものも死なず、衰えることもありません。生命は、その連続性を断ち切るような意識の断絶も一切なく、輝かしくも永遠に新たな表現を見出し続けるのです。この意識状態を受け入れる準備ができている皆さん、あるいはそれに近い状態の方々は、そのような芸術的表現や自然の美しい表現を、深い癒しと安らぎを与えてくれると同時に、勇気を与えてくれる、この上なく魅力的なものとして経験するでしょう。しかし、そのような神聖な啓示や表現は、より悟りを開いたスピリット達には滋養となる一方、未だに深い暗闇に沈んでいる者達にとっては苦痛を伴うものとなります。この理由から、地獄の領域には、光も、真実も、愛も、神聖な啓示もありません。それが耐え難いからです。そこに存在する者達は、それらの光が更なる成長をもたらす手段となり得るまで、つまりはより進化した状態になるまで、徐々に成長する必要があるのです。
もう一度繰り返します。あなたは、両極の片方が他方を排除しない中間領域に存在しており、その領域は、あなたのマインドの状態を確実に反映しています。愛、光、至福に満ち溢れる経験をしているにも関わらず、時折感じる心地の悪さに思考が漂って行くような時を思い出すと、光に耐えられない者達の状態を理解しやすいかもしれません。否定性、不和、破壊は、時に否定的な喜びや興奮をもたらします。最も低次の暗い意識状態、あるいはそのような世界に存在する者達にとって、あらゆる光は耐え難い苦痛なのです。
何故、このようなお話を今この時にするのでしょう?それは、あなたのワークの次の重点が、この二元性を徹底的に理解した上で、それを乗り越え、超越することにあるからです。従って、あなた自身の現在の生活や意識の領域は、意識の全体的なスペクトルにおいて、他の組み合わせや異なる分布として存在する要素の組み合わせに過ぎないと認識する必要があります。そのように変化しやすいものが存在するならば、肯定的な意味でも否定的な意味でも、二元性のない意識領域も又存在する筈だと考えることは妥当でしょう。
意識が初めてボイド(虚空)に遭遇した時、その暗闇はあまりにも深く、一時的にマイナスの統一が生じます。意識が徐々に拡がるにつれて、対極であるプラスが地平に現われて二元性が創り出されます。その段階では、二元性は進化計画に沿う前進の動きです。意識がその潜在能力を最大限に発揮できるようになると、初めて統一性は、完全に肯定的なものとなります。この完成された状態においては、痛み、苦しみ、例え一時的なものであっても、死もありません。最早、いかなる葛藤もないのです。
今の私の使命は、人間のマインドの現状を襲う落とし穴や精神的な困難を見られるように、二元性を理解し、乗り越える為のより多くのアプローチを皆さんに提示することです。二元性は常に、葛藤と緊張を生み出します。前回のレクチャーでは、この緊張の非常に具体的な側面について詳しく説明しました。今回は、あなた方全員にとって、極めて重要な別のテーマについてお話しします。それが完全に理解されれば、あなたが常に戦い、絶えずそこに在る、痛みに満ちた二極性を乗り越える助けとなってくれるでしょう。
あなたは「サレンダー」という言葉を頻繁に使います。この言葉には、霊的な充足についての重要な側面が含まれていると感じているのでしょう。しかし、この言葉には、探求する必要のある多くの誤解も付随しています。サレンダーできない人間は、自らの核心、あるいは神聖な本質を見出すことができず、愛することも、真に学んで成長することもできません。彼らは非常に頑固で、防衛的で、心を閉ざしています。しかし、サレンダーの能力は、あらゆる良きことが流れ出す不可欠な内なる動きなのです。
あなたは、神の意志にサレンダーする必要があります。さもなければ、あなたは常に、苦痛と混乱をもたらす、極めて近視眼的な身勝手さに伴われるでしょう。サレンダーとは、エゴ、抱えてきたアイディア、目標、欲望、意見を、真実の為に手放すことです。何故なら、神こそが真実だからです。
あなたは自らの感情にもサレンダーする必要があります。そうしない限り、あなたは絶えず自らを不毛にし、自らの感じる本質を閉じてしまいます。あなたはロボットのようになってしまうでしょう。
あなたは愛する人達にもサレンダーする必要があります。これは信頼し、好意的に解釈し、真実の為ならば進んで譲歩するということです。
自らが学びたいと願うならば、どんな分野であれ、教師にサレンダーする必要が確かにあります。教師にどれほど能力があり、どれほど与える意欲があったとしても、生徒に基本的なサレンダーの姿勢が欠けている場合には殆ど何も受け取れません。このことはスピリチュアルな教師にも当てはまります。常に信頼を寄せず、警戒心を抱き続けるなら、最も重要な力動が育つことが妨げられます。内的に距離を置いている教師からも、あなたは精神的な知識を吸収できると考えているかもしれません。ある程度、それは本当です。しかし真の学びには、外的な精神プロセス以上のものが関わっています。あなたには内的、感情的、霊的、不随意的なレベルの学びも又必要なのです。このレベルでは、教師にサレンダーしなければ、何も吸収することはできません。この規則は、あなたが学びたいと思うどんなに些細なことでも当てはまります。単なる精神的な推論として学ばれたプロセスは、本当に吸収したとは言えません。自らのものにする為にはまず、それが自らの内的現実にならねばなりません。ましてや、霊的な成長においては尚更でしょう!
サレンダーを拒むのは、信頼の欠如、疑念、恐れ、そしてサレンダーすると自立と将来の意思決定能力を失うという誤解に関わります。サレンダーを拒むことは、過度に発達した身勝手さを創り出し、人格に悪影響を及ぼします。サレンダーを拒む者は、真に不毛になります。サレンダーとは満ち溢れ、全てを委ね、手放す動きであり、サレンダーの後には自然の法則に従って豊かさが訪れる筈です。過度に発達した身勝手さは、常に争いをもたらします。あなたの世界を見れば、ふたつの身勝手さが衝突することで、どのように大小様々な戦争が生み出されるのか分かるでしょう。個人間であれ国家間であれ、平和を実現する為には譲歩がなければなりません。
しかし、単にサレンダーが鍵だと宣言すれば良い訳ではありません。物事は決して、それ程単純ではないのです。本当に、信頼できない相手にサレンダーするべきなのでしょうか?真実の中に留まるよう、状況があなたに闘志を求めている場合でも降参するべきなのでしょうか?良き大義の為に立ち上がって戦うこと、正しい立場を守ること、正当な主張をすることのニーズは、生産的で健全な人生には不可欠です。いつ信用すべきか、いつ信用すべきでないかを区別するニーズも又不可欠です。「では、どうすればそれが分かるのだろうか?」とあなたは大抵自問します。
まさにここで大きな混乱が生じます。人間の人生において、偽りのサレンダーや偽りの主張ほど、多くの誤解と転移がもたらされるものは他にありません。人生におけるこの最も重要な側面に、どうしたらより気づいていることができるでしょうか?サレンダーを装った降伏と屈服を、どのように避けられるのでしょうか?サレンダーが適切な時に、どうしたら頑なに固執することを避けられるでしょうか?この精妙なバランスを見つけることを可能にする、重要な鍵をいくつかご紹介しましょう。
自己責任を否定する依存的なエゴには、サレンダーは全く不可能です。そのようなエゴの場合、サレンダーは自律性の放棄となってしまいます。だからこそ、密かに、そして大抵無意識に、最も依存的な人、完璧な権威に支配されることを最も強く望む人は、同時にあらゆる譲歩に対して最も強く抵抗するのです。彼らは、自己を手放すことは、自己が強く健全な時にのみ可能であることを漠然と感じています。そして自己は、それ自身を手放すことによって、更に強く健全になるでしょう。ですから友よ、ご自身や他者にサレンダー、信頼、明け渡すこと、譲ることができない時には、根底にある依存心と、真の自己責任の否定の傾向を探してみてください。反抗が大きければ大きい程、「決して指図されないよう私の自律性を守らねば。」という思いが強ければ強い程、自分の人生を自分で統治したくない、自らの決断とその結果の責任を負いたくないという、内なる願いはより切実なものとなります。
パートナー、友人、教師、信頼できる相手、ある程度のサレンダーが必要な相手を選ぶ時、あなたはどれ位頻繁に希望的観測から目をくらませ、自らの歪んだ欲望や目的を満たそうと、相手に特定の状態でいることを要求しますか?あなたの一部分ではこのことを知っている為に、例え相手が実際には信頼に値する人物であったとしても、あなたの不信感はある程度正当化されます。信頼し、委ねる為には、非現実的な期待をある程度手放す必要があります。皆さんの目は常に澄んでいなければなりません。あなたの視線は、子供じみた動機や破壊的な動機に惑わされることなく、明確で歪みない状態でなければなりません。その状態であれば、あなたの直感は働き、観察も明確で頼りになるものとなり、あなたのチャネルも開くでしょう。あなたの信頼を保証する為に、信頼する相手が完璧である必要はないと分かるでしょう。そうする必要がある場面で、あなたはただ譲ることが出来るようになります。
サレンダーとは、判別力や自律的な決断力を手放すという意味ではありません。それが適切な状況である場合には、方向転換を示すかもしれません。何故なら、人生は絶え間ない変動だからです。あらゆる物も人も、全てが変わります。今日正しかったことが、明日も正しいという保証は何処にもありません。正しい方法でサレンダーする能力が高ければ高い程、あなたはより強くなり、視野も明らかになるでしょう。
皆さんの多くは現段階で、自分自身が未だ十分に完成しておらず、全体性もなく、視野も十分な客観性を持ち合わせておらず、内的にしなやかな態度へと真に手放すことが未だできない過渡期にあることに気づいています。この姿勢がなければ、真の意味で全体性のある人間になることは不可能です。従って、あなたはあらゆる方法で、意識的に、自己責任を更に深める努力をしなければなりません。表立った形でも、また微妙な形でも、内面においても外面においても同様です。同時に、信頼に値する人々を信頼できるようになり、その人々の導きに従い、自らの身勝手さをサレンダーできるように、意識的に意図的に祈る必要があります。身勝手さをサレンダーすることは常に、神へと向かう行為です。あなたの身勝手さは、神の意志と置き換わらねばなりませんが、時に、神の意志があなたを通して直接顕現する前に、他者を通してのみ働ける場合もあります。神が導いた霊的なリーダーシップにサレンダーすることも又、神の意志です。あなた自身の内にある最も美しい不随意のプロセス、例えば、愛の感情や深い直感にサレンダーすることも、神の意志です。従うこともできるようになるのと同じく、毅然と立って戦えるようになることも、神の意志です。自律性と自己創造の中で育つにつれ、あなたはサレンダーと、毅然と立つことの間には葛藤も二元性もないことをはっきりと理解するでしょう。実際、一方は他方を前提とし、片方なしには他方も成り立たないことが、明確になるでしょう。
あなたの人間としての苦闘は悲劇です。あなたは、充実をとても深くから切望しています。それは、確かに可能であり、あなたが時々疑う程、非現実的という訳ではありません。しかし、あなたは魂がサレンダーに向かおうとする自然な動きをブロックして、この充実への切望を不可能にしてしまいます。それが創造主であれ、他の人間であれ、あるいはフォロワーとなることであれ、あなたが宇宙のより偉大なる力に内的にも外的にもサレンダーした時、真に良きことの全てがあなたの元に訪れることが可能になります。
しかし、これらの実現の為には、理想的な権威に全てやってもらおうという受動性と無責任さを捨て去ることで、自ら闘う必要があります。内なる暗闇の力に決して屈服せず、全てが無益だと信じ込まされることもなく、絶望と偽りのサレンダーへの誘惑に屈することのないように、あなたには能動的でポジティブな攻撃性が必要です。あなたはここで毅然と立ち、自らの思考プロセスの中に、内的意志の中に、恐れよりも信念、臆病さよりも勇気を選ぶ能力の中に埋まっているパワーを自覚しなければなりません。神の真実と、自らの生きる力を信じ、それを体現すること以上に、勇気が必要なことがあるでしょうか?
行動、思考、態度といった人格の能動的な動きと、真のサレンダーとの間には、精妙なバランスが存在します。真のサレンダーは、人格を弱めることは決してありません。ポジティブなエゴをより健全で強くします。あなたがより自律的で活動的になることを可能にします。真のポジティブな能動性と自己肯定は、あなたが自己を手放し、委ね、未知の源泉から湧き出る新しい動きと共に流れるがままになれるように、十分に強く、張りのある状態にしてくれます。先程お話ししたように、これらの力はあなたの内側から湧き上がってくるかもしれません。それは、教師に従うこと、あるいはパートナーを愛することのリスクをとるよう求めるかもしれません。これは決して現実に目をつぶるという意味ではありません。むしろ正反対です。常にあなたの全能力を開いて、個人的な動機なしに客観的に観察するのです。自らが依然として自己責任から逃れたいが為に、あるいは譲歩したり、従ったり、サレンダーすることに対して常に身構え、そのことを正当化したいが為に、相手に完璧であって欲しいと思っていないかを確認してみてください。同じ理由から、相手をより悪く思いたいかもしれません。それで「誰も信用すべきではない。私は常に身構えていなければならない。」という事ができるからです。
皆さんの誰もが、何処かの領域ではサレンダーを経験してきました。そうでなければ、今楽しんでいるポジティブな状態の充実を知ることはできません。この道で経験してきたあなたの成長は、このプロセス、あなたのヘルパー、コミュニティーのリーダー達、私(ガイド)を信頼することを自らに許した結果です。これら全てが、あなたが更に心を開き、神に信頼を寄せる助けとなりました。この信頼は依然として、あなたの存在のあらゆる側面を網羅している訳ではないかもしれません。しかし、その信頼がどの程度あるにせよ、あなたは解放され、自由で、強く、自信を持っています。私がここで言っていることは、確かに大きな逆説のように聞こえます。自分自身を委ねた時にこそ、真の強さと自律性を見出すことが出来るのです。
皆さん全員が、この完全に身を委ねるという動きから、未だに自分自身の一部分を差し控えているということも又事実でしょう。あなたの魂には、全てなるものと融合する美しい動きからまるで身を守るように、常に小さな一隅が残されています。残しておくものが多ければ多い程、問題は大きくなり、より多くの恐れ、痛み、葛藤が人生に存在する筈です。皮肉なことに、あなたはまさにその逆を信じています。あなたは自らの分離を保ち、疑い、頑固でいる時にのみ安全だと信じています。本当は、神への完全なサレンダーによって、真の安心と安全が見つかるだけでなく、人生において適切な時には、他者に対してもサレンダーできるようになるのです。神に完全にサレンダーした時にのみ、あなたのチャネルは真実と虚偽を認める程十分に透き通り、誰を信じて従うべきか、誰を信じるべきではないのかが分かるようになります。そうして、あなたは自分自身を失う危険なく、自らの魂が求めるように自己を安全に手放すことができるのです。あるいは、別な言い方もできます。自らを失うことができる時、あなたはより完全な、真のあなたを見つけられるのです。
自らを委ね、自己を失う能力は、健全で全体性のある人間であることと同じことです。更なるプロセスを開始する意欲を持てるように、まずはサレンダーの重要性を精神的に理解せねばなりません。次に、随意的なレベルで決断する必要があります。あなたがかなり意識的に、そして意図的にこの動きを否定していることは容易に分かります。意図的に自己を手放し、委ねるという決断は、最初は恐ろしく感じるかもしれません。しかし、その決断を何度も勇気をもって繰り返す内に、あなたはそこから生まれる大きな安心と安全を見つけるでしょう。
次に、サレンダーを差し控える不随意的なレベルに対処しなければなりません。初めは、自らの内にあるこの抵抗する側面については、直接的に気づくのではなく、現象を通して間接的に認識するかもしれません。この引きこもり、否定的で、内的に頑なな核心を認識できるようになるには、まずは不快さが比較的少ない現象から探求する誠実さと根気が必要となるでしょう。この不随意的な部分は、意識的な部分とは少し異なるアプローチが必要なのです。意識的な部分は、あなたの意志の指示に直接反応できますが、不随意的で隠れた部分はそうではありません。あなたがやる必要があることは、内なるキリストがこの変化を可能にしてくれるよう祈ることです。あなたのポジティブな意図や、良き意志に直接応答しない部分の為に祈りましょう。創造主に完全に委ねたいという願望において、意識レベルでは、あなた自身の全てを統一することへの熱意を強く持ち続けていましょう。又、他者に譲歩する能力を培う必要もあります。しかし、この不随意の部分は、最初は遅れをとるものであると理解しておいてください。この部分はすぐには応答できず、変化を起こそうとするあなたの意識的な力にも関わらず、大抵は頑固にしがみついています。全体の大きなプロセスの中に、あなたの魂の隠された一隅があなた自身に追いつく為の小さなプロセスの余地をつくっておきましょう。
あなたは自らのスピリットがどれだけ強いか、全く分かっていません。あなたは常に、自らを過小評価し、実際よりも遥かに弱く、無力だと思い込んでいます。あなたは自らの信念に基づいて物事を経験するしかない為に、自分が本当はどれだけ強いのかを知ることが難しいのです。あなたは何でも創造できます。何故なら、あなたには神聖な創造力の全てが備わっているからです。そして勿論、その通りに創造しています。あなたの創造の中には否定的信念や、歪んだ概念から生まれた、望ましくないものもあります。あなたの思考、信念、態度、欲望の中に宿る、計り知れない力をあなた自身が見ることさえできれば!
あなた自身の生きたスピリットの力は、発見される必要があるのです。この発見を阻むブロックがあります。多くの場合、あなたは自らが無力で、逆境に打ち負かされているという概念に浸りがちです。一般的な神への信仰さえも、あなたが無力だというその概念を助長し得ます。繰り返しますが、全ての力は神と共にあることは矛盾ではありません。神は万物の源です。だからといって、あなたがその神聖な力と統一し、自らを通してその力を流すがままにできない訳ではありません。あなたはこの大いなる力に対して受容的になり、積極的な担い手となることができるのです。あなたには、創造力の中継点となる生まれ持った能力があります。ただ、それに気づき、賢明に活用しさえすれば良いのです。
このブロックが存在するのは、一方では、限定されたマインドの身勝手さが、しばしば神の意志と霊的法則に反するからです。身勝手さに固執し続けると、創造力が麻痺する為に力が失われます。他方では、完全に成長し、自らを創造する存在になるのを望まない部分が、あなたの中にあるからです。それは、あなた自身の人生創造の責任を負わずに、ただ与えられたいと願っている部分です。この未熟な部分は、別な形であなたを弱くします。上記のそれぞれの弱さは、どちらも本来備わっているものではありません。これらは、偽りの態度と無知から生じた、不必要で人工的な構造です。創造し、変化し、自らの魂の物質や、周囲の人々や環境に影響を与える本来備わった潜在力に一度目覚めれば、あなたは自らが何者なのかを知るでしょう。
この新たな気づきは、とりわけこのレクチャーでお話しした次のような二元性を統一するものです。すなわち、サレンダーすることと毅然として立つこと。譲ることと自己主張すること。真実という大義の為に、屈服することと戦うことです。
両方の側面をいつ、どのように表現するべきかという精妙な境界線を模索する中で、それらが決して互いに排反する選択肢ではないと気づくでしょう。確かに、どちらの姿勢も人生において必要な要素ですが、真実の為に、そして真実の中で戦う力を強めるのは、完全に委ねる力であるということも又事実です。逆に、客観的に真実の為に戦い、自らの利益や隠された意図を度外視する勇気は、手放すリスクとエゴを捨てるリスクを冒すだけの十分な強さを与えてくれるでしょう。あなたはあらゆる状況に適切で正しく、調和のとれた自動的な反応を生み出します。しかし、この状態に育つには、意識的な努力と試行錯誤が大いに求められます。そうして初めて、あなたの反応は、本来あるべき自然な機能の仕方に再調整されるのです。
サレンダーとは、ある種の内的で不随意なリラクゼーションと言えます。この不随意的なプロセスは、外的なレベルでの多くの随意的なワークの結果として徐々に起こりますが、まるで自然に起こるかのように見えます。あなた方の何人かがご存知かもしれない現象を例に挙げると分かりやすいでしょう。人が極度の痛みの状態を通り抜ける時、それ以上耐えられない痛みに陥る瞬間があります。その瞬間、不随意的なレベルにおける痛みへの抵抗は放棄され、意識的で随意的なマインドと意志を超越した、痛みへの完全なサレンダーが優位になります。その瞬間、あらゆる痛みは消え去り、エクスタシーに変容します。この現象は政治、あるいはその他の権力の為に、他の人間を拷問する極悪な実践者達にも知られています。彼らはこの変容を目にすると、拷問を止め、犠牲者が再びサレンダーに抵抗し始める状態を取り戻すのを待ちます。ここで私が伝えたいのは、サレンダーを正しく理解し、魂に取り入れることができれば、痛みをも含むあらゆるものが超越できるということです。
愛しい友人の皆さん、これらの考えを取り入れ、マインドの中でそれに空間とゆとりを与えてください。それは新たな自己表現の方法によって、あなたの人格を豊かにする新しいプロセスを始めるでしょう。毅然とした態度を示す余地もあれば、自己肯定の姿勢で立つ余地もあり、又それが適切で実りある態度である時と場においては、サレンダーする余地もあります。神へのサレンダーは常に、適切で実り多いものです。リーダー、教師、ヘルパー、パートナー、特定の状況に、自分自身の全てと自らの感情をサレンダーすることは、多くの場合、自分自身を完成させる為に必要な動きとなります。
大事な皆さん、最愛の友よ、あなた方は神の手に豊かに支えられ、大いに祝福されています。万物の究極の源との繋がりを知る時に現れる、あなた自身のスピリットの強さを知ってください。
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