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No.257 神聖なる流れの側面:コミュニケーション、グループ意識、自己開示(エクスポージャー)

Pathwork Guide Lecture No. 257
UNEDITED版
1979年1月10日


神聖なる流れの側面:コミュニケーション、グループ意識、自己開示(エクスポージャー)
ASPECTS OF THE NEW DIVINE INFLUX; COMMUNICATION,
GROUP CONSCIOUSNESS, EXPOSURE


 親愛なる友人のみなさんに祝福を。神の光があなた方を囲んでいます。この光の中にあなた方が必要としているすべてがあります。その光を感じてみてください、その本質を感じるようにしてください。それは、みなさんのために常に存在しているのです。浄化のプロセスを通して自分の内なる存在が磨かれていけばいくほど、すべての創造物、宇宙を通して流れるこの光に気づかずにはいられないでしょう。神の子どもであるみなさんが、浄化というこの道を歩むことによって、人生を最大限に生かすことを選択し、ゆえに奉仕できることは、特に喜ばしいことです。なぜならば、彼らは偉大なる計画に必要とされるたくさんのことを担ってくれるからです。

 このレクチャーでは、ニューエイジ(新しい時代)を迎えるにあたり、重要で具体的な側面についてお話します。ニューエイジというこの言葉は、最近あるグループによって頻繁に使われています。正しい理解の下で使うグループもあれば、決まり文句として使うグループもあるようです。こういったことは、真実という概念の下、起り得ることなのです。これが起らないように防ぐ手立てがほぼ無いのは、人間の口先だけの軽薄さが原因なのであり、怠惰であること、レッテルを貼ることによって、具体的な真実を感じないようにしているからなのです。しかしこれが、この罠にはまることのない人々に影響を及ぼし、彼らが真実を追究することを諦めることがあってはなりません。過去において私は時折、このような傾向に陥ることがないように警告してきました。また、同じ真実を表現するのに新しい言葉、異なった表現を提案してきました。また別のときには、特定の概念に関する本当の意味を繰り返し述べ、真実の持つ生き生きとした感覚を保ってきました。これまでのレクチャーの中で幾度となく、繰り返しの表現が見られるのは、そういった理由からなのです。

 ニューエイジに関しては、歴史上のある時期に新しい流れが地上に入ってくると以前にも話しましたが、それは人類がこのニューエイジ特有の流れに対応できるだけの成長を十分に遂げたからなのです。そして、今がまさにそのときなのです。これまでは、ニューエイジの意味と意義について、もっと一般的な言葉でこの話題を話し合ってきました。キリスト・スピリットの意識が、個人の意識をさら深く満たすべく、この世に浸透していると話しました。

 このようなパワフルな流れによって現われる初期の現象は、必ずしも喜ばしいものではなく、歓迎すべきものでもなく、好ましいものでもなく、建設的でさえないのは自明の理ですが、地球上で起きている多くの、望ましくない出来事は、まさしくこの流れの直接的な結果なのです。むしろ、こういった出来事なくして、ニューエイジ固有の意識の拡張と成長は起こり得ないのです。みなさんのマインドはまだまだ目先の結果や評価に向けられています。あなた方の考えでは、今、この瞬間において良い、正しいとみなしたものは、究極的に良いものであり、正しいものなのです。その逆もまた同じであると信じているのですが、実際にそうであることは滅多にありません。あからさまでネガティブな兆候は全体の発展には確かに必要です。これは地球全体、もしくは人類全体同様、個人にもあてはまります。

 このレクチャーでは、この新しい流れに伴ういくつかの具体的なテーマについて話したいと思います。ひとつ目はコミュニケーションです。コミュニケーションとは、高次に発達した意識の副産物です。進化したスピリットであれば、それだけ、ココミュニケーションを取る能力、十分に適切なやり方で聞き、表現する能力もあります。進化が阻害された分だけ、コミュニケーション能力は制限されます。あなたは、本当に感じていること、考えていることを言葉にするつもりもない、言葉にできない人々を数え切れないほど見て来たことでしょう。彼らは、プライドが高いのか、もしくは自分たちを理解してもらう手間をかけずに相手に理解してもらおうとするのです。というのも、確かにコミュニケーションを取るのは手間がかかるのです。コミュニケーション能力は全ての人が学ぶことができ、学ばなければならない技法です。それは善意を含み、ポジティブな意図、協力する意志も含んでいます。

 しかしまず、最も外側の層からこのテーマについて話しましょう。近代テクノロジーの主要な副産物のひとつがコミュニケーションであることは決して偶然ではありません。たとえ、このコミュニケーションのレベルが外側の出来事のみにあてはまろうとも、人類の内側の層に途方もないインパクトを与えます。まず、人々の距離間がぐっと縮まります。以前は、人との距離感がかなりあったために分離の感覚がかなり大きく、コミュニケーション不足によって、他者は本質的に自分とは異なっており、よそ者であり、ゆえに信頼できない敵なのだという幻想がありました。生きる、死ぬ、苦しむ、切望するといった基本的な部分で酷似しているのを目の当たりにすることで、敵意や恐れ、幻想がなくなり、ますます融合の方向へ貢献することになります。

 世界で起きている出来事を知ることでさえ、霊的な成長への影響は大きいのです。昔持っていた孤立の感覚は、分離を促しました。世界は、包含するにはあまりに広すぎるように思えました。個々の悲劇はそれぞれ独自のものなので、兄弟愛、姉妹愛の感覚は全く欠けていました。今日では、霊的なことに興味がない人々でさえ、この惑星全体を全く違った方法で体験しており、奇妙で異質であるといった印象は、もはやありません。地球の片隅で、まさに今起きていることを知ることによって、魂の成長は大きく影響を受けるのです。テクノロジーは、霊的成長や霊的な人生と対立するものではないのです。とはいえ、テクノロジーはこれまでは対立軸として捉えられ、その考え方が悪用されてきており、ゆえにそのようにみられているのです。

 以上の例を通して、宇宙とこの地球にある全てのもが、神聖なる意志と創造の本質的な表現であることを示しています。そしてそれは偉大なる計画に貢献できるし、またしなければならないのです。それが異質であるはずがないのです。スピリットの世界にルーツをもっていなければ、何も創造されなかったはずです。全ての悪魔的顕現は、神聖なる創造の歪められたものであり、誤った使い方によるものです。それらが自己創造的であるはずはないのです。

 観察する能力、それを各地の兄弟姉妹たちと体験することは、みなさんの魂に重要な影響を及ぼします。地球の片隅から反対側へと比較的スピーディーに移動できる能力は、あなたと霊的世界の法則とを限りなく近づけてくれます。そこでは、思考により、動きが瞬時に起こります。コミュニケーションとは、霊的に高度に進化した状態の、最も重要な副産物です。ここ数十年の間にこの能力は微細なレベルでかなり改善されてきました。心理的なアプローチを積み重ねることで、自己への気づきがさら増大し、自分自身や自分を他者に説明する能力も増し、コミュニケーションも増しました。この特定の流れが来る前の人類は、他者のことは言うまでもなく、自分自身や感情、ニーズ、本当の反応についてどれほど闇に包まれていたか想像できると思います。意味のある方法で、他者との架け橋を築くことは不可能だったのです。発達のまだ初期の子どもたちと状況が似ています。子どもというのは、痛い、寂しいと感じていること、もっと愛してもらいたい、注意を払って欲しい、理解して欲しいというニーズがあることを本当は知らないのです。もし子どもの中でこのことにはっきりきづくことができたならを、他者にこれらの感情を伝えることは、比較的小さなステップとなったことでしょう。コミュニケーションなしでは、あなたは闇の中に住み、他者と孤立した自己は霧の中で混乱したままでしょう。キリスト意識はまさにその反対を表わしています。気づきと、明確さ、兄弟愛の偉大な光を表わしているのです。

 これは明らかに、まずは自己とのコミュニケーション、以前は不可能だったその存在の内側のレベルとのコミュニケーションを意味しています。基本は常にここにあります。自分が気づきさえしないことを伝えたり、説明したり、コミュニケートすることはできないからです。私が教えようとしている道とは、まず、自分を知ること、自分を探求することが常に、第一にあります。しかし、決してそこで止めてはいけません。この地点はまだ準備段階です。次に有機的にもたらされるステップは、コミュニケーションの偉大なる技法を学ぶというものです。これには、思考、意図、練習、自己観察が必要とされます。他者がわかっている、と何も考えることなくそれを当然のこととして、半分だけ目覚めているような状態をやめるということなのです。それは、忍耐強く愛をもって、説明する努力をすること、手を差し出す努力、誤解という迷路の中を探す努力をするということを意味しています。他の全てと同じでここでも、練習することによってこれまでは自分自身に秘めて内面に留め、表には見せてこなかった部分を、自然に、自動的に外側に出す力がもたらされ、そしてそれを他者に伝えることができるようになるのです。

 このことによって、どれほど計り知れない違いを人間のコミュニケーションにもたらすことができるか、想像してみてください。その人が自分に意地悪をすると思っていたら、実際は、あなたを恐れて、防衛に入り、冷淡で拒絶するような態度を取っていたことが、幾度あったでしょうか?このようなことを知るだけで、自分の中の恐れや偽りのプライド、怒りを取り除き、全く違った方法で、その人に出会うことができるかもしれません。同様に他者を排除する相手のネガティブな防衛を溶かすことができるようになります。コミュニケーションによって、複数の魂がどのように結びつくのかわかっていただけたと思います。それは、恐れに満ち、人類を隔てる憎しみの壁を築く行為に取って代わるものです。コミュニケーションとは、善き生活に内在するものなのです。

 この技法は、自分のことを説明しようと試みることだけでなく、その説明の仕方をも、もちろん包含しています。もしあなたが、非難し、責めるような方法で自分を説明したら、さらに大きな壁を作ることになるでしょう。しかし、自分の気持ち、ニーズ、印象や仮定したことを、真実であると主張せずに、説明を試みれば、真の理解へと到達するでしょう。明晰さ、光、真実が築かれるでしょう。愛と兄弟愛は、どのようにコミュニケートするか、その技法と技術を通して育まれるのです。

 他者との架け橋を築かないで、孤立感がどのように癒されるというのでしょか?他者があなたと敵対しているという思い違いを本当の意味で明らかにしないで、他者への恐れを失くすことができるでしょうか?あなたが、十分に自分のことを探る煩わしさを引き受け、実際に自分は何を感じているかを理解できない限り、恐れは決してなくならないのです。自分が感じていることと、あなたの中で実際に起こっていることとは全く違っている、ということをあなたはどれだけ信じますか?一回きりの試みで済むことは滅多にありませんが、自分の置かれている状況を説明するリスクを犯す必要はあるのです。それは、自ら進んでプライドを捨て、非難されることを覚悟の上で、善意に満ちた会話を継続することを意味します。感情のレベルでコミュニケーションを取るということは、こういうことを意味するのです。これが、全ての人間と大いなるワンネスを次々と築くことを可能にするのです。そして恐れや憎しみを次々と取り除き、小規模、大規模な戦争をも一掃するのです。言い換えれば、このことが地上に天国をもたらすのです。

 とはいえ、コミュニケーションのより深いレベルで起きていることは、まだご存知ないと思います。先ほど話したレベルにあなた方が注意と気づきを向ければ、この深いレベルは、まだはっきりとしない状態ですが、自ずと鮮明になってくるでしょう。人間同士における全てのやり取りは最終目標である、調和、ワンネス、兄弟愛、愛、理解、真実に貢献するよう導かれているのです。ゆえに、個人間の最もネガティブな関わりもまた、最終的結論として、この目的に貢献することになるのです。

 個人であれ集合体であれ、2つの実体が、ネガティブなやり取りに関わっていて、しかもそのやり取りが現時点で最悪な結果を招いているときでさえ、そこには深い目的があるのです。双方の実体のハイアーセルフが、いつも働いているのです。ハイアーセルフが、ネガティブなやり取り自体を作り出したわけではありません。すでにあったものが、癒される目的で利用されているのです。このネガティブなものの癒しと、変容は、表立って現われてこなければ、決して起きることはなかったでしょう。たとえ関わった双方の実体が、やり取りの中で担っている役割に全く気づきが無く、一方的な見方で独善的であっても、高次の目的に貢献しているのです。このやり取り、関わりの完全なる真実は、彼らの今の視野からは隠されていますが、その真実を双方の実体が認識するまで、こういったやり取りをいったい、どれだけ続けなくてはならないのでしょうか。

 このように、ローワーセルフのやり取りの水面下では、同じ実体のハイアーセルフ同士のやり取りが同時に行われているのです。これは、みなさんにじっくり考えていただきたい重要な、新しい考えです。想像してみてください。二人の人間(集団)が、見た目にはお互いいがみ合っています。お互いを憎み、避難しています。互いが、互いに最悪のことが起こればいいと思い、傷つけたいと思います。同時に、双方は深いレベルでは、同意しているのです。双方は、表面で起きていることは、共通の善、真実、愛、融合することに貢献していることを、表層意識では何も知らなくても、理解しているのです。

 この道で深くワークに取り組み、双方が互いに対立しているときに起こる問題の真実に至ると、以前は憎み、非難しあっていた同じ個人同士が、愛によって結ばれるという素晴らしい和解を経験することがよくあります。先ほど私が説明したことを目の前で見るのです。この地球上、この次元では、和解は時間の連続性の中で起こります。まず憎しみがあり、次に真実の探求、その後愛と融合が起こります。存在のより深い層では、このような連続性は存在しないのです。真実、愛、融合は常に存在しているのです。

 この新しいヴィジョンを考慮に入れることはとても大事なことです。それは、状況がどうしようもないくらい混乱していて、どんなにネガティブに見えようと、内なる真実と愛、融合も同時に内包しているのだという見方を助けてくれます。この事実に関するあなたの理解により、時間の連続性が存在する層では和解が促進され、敵意/探求/真実/愛/融合が次々と即座に連続して続きます。

 キリスト意識の流れとは、霊的な価値や法則をみなさんの生きている次元にさらにもたらすということなのです。多くの霊的法則や霊的価値は宗教を通して一般的に知られており、内奥のレベルではもちろんのこと、深い意味でも理解、体験はされていないのです。未だに、人類はこれらの法則を混乱させ、歪めます。歪めてもわからないし、表層的に偽善的に服従すると内面に真理が届かないからか、結局は無視します。人類が成長すれば、それだけキリストの光からの流れが大きくなり、その分だけ真の霊的な価値を人間の意識の一部にすることができます。

 特にこのレクチャーでは、まず、兄弟愛の法則について触れていきます。これは今までも話してきました。兄弟愛なくして、愛はなく、愛なくしては兄弟愛はないのです。愛は融合であり、憎しみは分裂であり、不和であり、孤立です。愛とは相互理解を意味します。そのような相互理解を育むには努力と善意が必要です。つまり、愛とは、奇跡のように起こる何かではなく、融合の体験を指すわけでもないのです。神との融合の体験は、自分の敵であると思っているような人々さえも含めた、兄弟姉妹との融合を体験しない限り、あり得ないのです。外側のレベルでは、敵だと思っている人と友情を築くことは可能ではないかもしれません。そのためには双方とも本当に真実と融合を望んでいないといけないからです。しかし、内側のレベルでは、かなり意識的に、相手のハイアーセルフとおそらく繋がっているのです。

 神、そして他者との融合、愛はコミュニケーションの結果であるということを忘れないでください。そしてコミュニケーションは、可能な限り最善の方法で自身を理解してもらい、他者をも理解するための地道な努力、あなたの注意と努力、エネルギーを使うというコミットメントの結果なのです。その両方の目的のために、あなたのローワーセルフが繋ぎとめようとしている先入観を全て捨てて、マインドを空っぽにする必要があります。不信と敵意を脇に置く必要があります。深く、そしてオープンに耳を傾ける必要があります。自分の真実に対する善良な意志を他者に納得させる必要があります。他者はあなたが伝えたいこと、感じていること、考えていること、欲しいことを知らないのだと気づくだけの成熟した状態でいる必要があります。可能な限り最も深く、最も誠実に自分を説明する必要があります。そうすれば、あなたと他者の間では、解決できない問題など全くありません。どれほどの強さと自尊心がこの状態から育まれるかわかるでしょうか、みなさん!

 自分のプライド、頑固さ、自分の言い分を貫くことの中にある快楽(プレジャー)、自分が間違っている、悪い人間だということが明らかになることへの恐れを投げ打つ必要があります。全て脇に置かなければなりません。このようにして、あなたは、未だかつてないほど、ますますコミュニケーションの流れが広がるこの時代に大きく貢献することになるでしょう。このようにして、あなたは、自分と他者の内にあるキリスト意識の重要な側面を先駆者の一人として担うのです。こうしてあなたは、真の意味で神の計画に貢献するのです。孤立と怒りの中に自分を閉じ込める誘惑を断ってください。何が真実なのかを見つけ出す機会を得るまで、少なくとも一時的に、自身を中立に保つのです。 この真実を恐れてはいけません。この真実は、あなたと他者の両者が不完全であっても、あなたを本当に解放し、あなたが密かに自分を責めている状態からあなたを出してくれます。そしてそれは同様に他者に対する責めからも解放してくれます。しかも、これらの不完全さが、他者を傷つけたり、辱めたりすることや、あなた自身の傷、恥から自由にさせてくれるという新しい含みをもたらします。

 そうなのです、みなさん、こういったことが、これまでの長い道のりの中で起きていたのです。ですので、私は、新しいプロセスについては話すつもりはありません。しかし、あなた方がコミットしたことを貫き、深めることができるように、このプロセスに新しい光と視点をもたらしたいと思います。このようなことについて話す機会は、まだまだたくさんあります。

 新しい流れは、あなた方の世界にとてつもなく大きな流れで押し寄せ、広がっています。その流れは、立ち現われてくる現象によっていつも認識されるわけではありません。まず、人類の意識に到達するのです。わずかでも可能性があれば、ほんのわずかずつ、徐々に、この意識を変え始めるでしょう。それは人生に対する新しい考え方であったり、より深い方法で人生や自分のことを理解したいという望みをとおして、変わり始めます。

 しかし、準備がまだできておらず、十分に発達していない人々も、今開かれている偉大な計画に偶然にも、時折手を貸すことがあるかもしれません。新しい流れが通っていく手段としての彼らはネガティブに見えるかもしれませんが、彼らもまた導管になるのです。彼らが影響を与え活動する領域を通して、彼らは結果的に新しい状況をもたらす出来事に影響を及ぼすのです。以前にも説明しましたが、そのような人々のハイアーセルフが、この計画と密接に繋がり、彼らのネガティブな外的意志を使って計画に貢献しているのです。

 新しい流れ、いわゆるニューエイジは、私たちの外側で起る出来事にも影響を及ぼします。そしてこれはほとんど、わからない方法で起ります。現実において、全く望ましくないネガティブに見える出来事は、霊的な根拠、真実、愛を基本にした人生を再度確立し、新しい価値観を確立するために必要なのです。つまり、新しい、より良い形で築かれる前に、破壊性が強過ぎて、変更したり、練り直したり、変容することがもはや不可能な場合、いったん取り壊す必要があります。この地球上で起っているたくさんの破壊的な出来事は、そのような性質を持っています。みなさんには、今説明したような性質を持つ出来事と、明らかに生命に反して、不必要で、悪を表現している出来事の区別ができるようにならないといけません。こういった区別はすぐにできるようになるわけではなく、内なる視覚を鍛えることによって、このような創造のプロセスを意識することによって、みなさんの知覚はますます精確になっていくことでしょう。

 みなさんの多くは、新しい価値がいたる所で芽を出し、時代遅れの人生に対するネガティブで破壊的な態度や行動という、うっそうと茂った古い雑草の間を縫ってなんとか成長しようと苦労している様子を見てこられたと思います。新しい価値観はまだ小さく、デリケートな芽なので、滋養を与え、勇気と、人生におけるより大きな原因に対するコミットメントが必要で、個人の意識の発達と拡張を育むための自己に対する誠実さが常に求められています。この道を辿っていくほどに、その芽はより強く成長し、みなさんの住む地球に根付いていくでしょう。

 このプロセスはいつも細胞構造に沿っています。それは、単細胞 --- つまり変わる必要のある個人の意識、から始まるのです。この個人の変化は単独では起こり得ず、他者との協同で行われます。というのも、個人の意識は、偉大なる全体性、集合意識の一部だからです。個人の価値と発達は、他者との交流によって測られます。コミュニケーションは、もはや分離がない状態へと交流を改善させるひとつの側面です。多くの個人の細胞 --- つまり意識ですが、それが浄化され、聖なる意志と整合すればするほど、地球に住む全ての存在に影響を与えます。細胞一つひとつは個人としての命を保持しつつ、一つの構造に織り交ぜられていきます。

 この織り交ぜられていく過程で大きな葛藤が生まれます。一方で、人は「個」としての在り方を諦めることを恐れます。自分の個性、特定の神聖な顕現は、自分が分離することで可能だと信じています。全体との融合、ワンネスによって、自分そのものであるユニークさの全てを失ってしまうと誤解しています。現実には、正反対なのです。それゆえに、人は生きとし生ける全ての生き物に備わっている運命、ワンネスに向かって奮闘する運命に逆らうのです。悔しさのあまり、人はなんとか抵抗して、格闘します。というのも、このワンネスへの切望感は、満たされるまで決して和らぐことはないからです。魂はワンネスを深く切望しており、それを体験できないことは極めて堪え難いものです。この切望感の存在を知らずに、切望からくる痛みを感じないのは、無気力で、生気がなく、混乱した状況のなかでも、最悪の状態です。ワンネスを否定するまさにその痛みに端を発する長い連鎖反応の結果生じる二次的な痛みも決して理解できないでしょう。

 ニューエイジ、いわゆる水瓶座の時代はグループ形成やグループ意識をもたらすとしばしば言われてきました。これは以前には存在しなかったものです。もちろん、規模を拡大すれば、人類全体がグループであると言えます。ある程度までグループ意識が育まれていなければ、社会そのものが存在し得ないのです。世界全体にどのような影響を及ぼすかにお構いなく、これまで個人は主に自分たちのことだけ、自分の興味だけにしか関心がありませんでした。水瓶座の時代では、このような態度が消失していくわけではありません、むしろ消失からはほど遠いでしょう。しかし、新しい意識が育まれていく過程で、人類は自己の利益を追求する結果として、他者への被害が及ぶほどになったその先を見始めています。モラルや霊的法則や価値を侵す、それ以上のことが起るのです。目先のことしか見えないところからくる自己利益を追求することによって、自分が無視してきた人々が苦しんできた以上の、とまでは言わなくても、同等の苦しみを感じなくてはならないことを見始めました。

 人類はグループ・スピリットなしでは存在できません。しかし、社会における一般支配者層は霊的な価値観を未だ重要視していません。彼らは新しい流れに気づかず、最も目先にとらわれたゴールとご都合主義に則した古い基準、価値観によって押し進めます。さまざまな、新しいグループとコミュニティがこの時代、あちこちで生まれるのも、決して偶然ではないのです。多くのグループは誤った方向に導かれています。破壊的な力や悪のスピリットの影響を受け、多くは屈服するのです。こういった意識層でも同じことが起ります。神聖な流れが起ると、悪魔の力が影響を及ぼそうと、まだ十分に浄化されていない人々を誘惑し、破壊すべく手下を送り込むのです。しかしだからといって、新しい価値観を携えて、これまでにない生き方を実際に見せていく新しいのコミュニティが広がっていく事実が変わることはありません。ここで常に問われることは、目覚め続けること、自己浄化の作業を決して怠らないことなのです。これこそが、安全への唯一の鍵です。もし、神の意志を充たすべく、奉仕の精神で、浄化を徹底し続けるならば、あなたは悪の力によって混乱させられることはないでしょう。自分のローワーセルフが時折、現われたとしても、あなたはわかります。答えを見つけ、クリーンな状態でいられます。

 新しい流れの現われとしてお話ししたいもう一つのテーマはエクスポージャー(自分を開示すること/無防備な状態で自分を明らかにする)についてです。このテーマもまた、個人的にも集合的にも扱うことができます。それはあまりにも明白なので、見落としようがありません。心理学、そして近年では深い霊的ワークを通して自己を開示することは、新しく加わった、異なった文化に属する少数のマイノリティーを除いて、史上かつてなかったほどの新たな深みに到りました。自己をより深いレベルで開示することは、今や前例がないほどの深さです。知識がほとんどない人々でさえ、人生を決定づけるほどの深いレベルでのあり方が存在する、という一定の気づきを得ています。 現在では、当たり前のこととして受けとめられているでしょうが、いつでもそうだったわけではないのです。自己の探求する能力は、このレクチャーで話されている2つのテーマ、コミュニケーションと自己開示(エクスポージャー)の組み合わせによるものです。自分を進んで開示することは、コミュニケーションを持つことに繋がり、コミュニケーションはワンネスへと、この地球を偉大な力で席巻しているキリスト精神に整合するように導かれます。

 自分を開示することへの抵抗は、常にあります。自己を開示することを否定すると、孤立を助長することになるのは明らかです。自分を開示することを否定すると、取り除いて新たに再建する必要のある構造を、崩れかけている状態のまま維持する危険をはらんでいることになります。自己を開示することへの否定により、偽りの人生を望んでいることは明らかです。真実に身を捧げることによって、自らを進んで開示する気持ちと勇気を目覚めさせなくてはなりません。もし、自ら進んで開示しようという気持ちがなければ、秘密を公表されるといった危機的な出来事によって外側から、力づくで明らかにされるかもしれません。ひとたび、新しい流れが入ってくれば、それを止めることはできません。逆行しようとすると、ますます痛ましい危機に見舞われることでしょう。

 公共の場では、こういったことは明らかになってきました。最近では、深く秘められた破壊的なことが公でエクスポーズ(公表)され、コミュニケート(伝達)されてきています。これまではこのような方法で、しかも深く報道されたことはなかったでしょう。新しい何かが流れ込んでくる度に、こういったことは続くのです。コミュニケーションを通して、世界全体が、以前は公表されず秘密にされてきた政治の不正を知るのです。公表されることで、まずは、そういったものが白日のもとにさらされるのです。進化の途上にあるグループ意識を通して、大規模なやり取りや交流が行われ、人類全てがこの成長のドラマに参加できるようになったのです。

 世界の出来事をこういった理解の下で見ることは重要です。これはみなさんの辿っているこの道であなたが従うべきプロセスではありませんね。つまりローワーセルフをさらけだし、シェアし、他者に伝達するというプロセスに従うべきではありません。愛、信頼、親密さを築くのに、これよりも良い方法が考えられるでしょうか?この惑星と個人で起きている成長が、どれだけ同時並列で起っているか、何度でもみなさんにお見せします。みなさん一人ひとりが適用している全てのプロセスは、集合意識のレベルで、何らかの形をとって起っているのです。マスクは剥がれ落ち始めており、ローワーセルフは以前よりも隠すことが少なくなり、はっきりとその輪郭を見せ始めています。それゆえに、偽りや苦痛、混乱をきたす原因となった偽装が無くなり、出来事や意図はありのままに認識されることが可能になっているのです。

 自己を開示することは新しい流れの一部と言えます。この時期この惑星の内外に席巻しているキリスト意識が、直接表されているといえるでしょう。自己開示のない霊的な成長は、よくても中途半端な状態になり、やがては膠着状態になります。とはいえ、自らを開示することは愛で満たした上で行わなければなりません。そうでないと自滅します。進んで開示しようとする勇気を持つ人々に敬意を払う必要があります。進んで開示することを拒否する人は、その隠蔽によって環境を破壊したり、出来事に影響を与えるようなことがあってはなりません。自らを開示するために必要な勇気と強さは、それが適切で必要であればいつでも、大きな目的に奉仕するという内なる強い信念、つまり愛から生じます。自分自身を自分に対して、続いて他者に対して開示すればするほど、あなたはますます真実の、本質的な価値を見出すでしょう。そしてあなたは、自らを開示することを可能にする部分は、すでに発達したハイアーセルフだとわかるでしょう。これは、惑星の存在たちにも言えることです。政治の表舞台で起きている全てのエクスポージャーは惑星のハイアーセルフによって行われているのです。

 ニューエイジのことを一般的で曖昧な、ぼやっとした力(エネルギー)のことであるとのみ考えないで下さい。ニーズが生まれれば、地球のさまざまな所で立ち現われる具体的な局面を想像していただく必要があります。ニューエイジは、曖昧なものではありません。それは意識そのものです。全ての意識と同じように、それは調和のとれた全体性を完成させるべく、たくさんの側面によって成り立っています。このレクチャーではそのうちの3つの側面(1)コミュニケーション、(2)グループ意識、(3)自己開示(エクスポージャー)を特に取り上げました。順序は変えることも、取り替えることもできましたが、それは問題ではないでしょう。

 これら3つの側面が個人と集合意識のレベルで起きていることは不可避であり、同時並列であるということも話しました。みなさんは、パスワークでこれまで重点的にワークされてきて、個人レベルでは十分に精通していると思います。障害や抵抗はまだあるものの、大筋ではこのワークと巧く折り合って、その本質的な必要性と価値を理解していることでしょう。集合意識のレベルでは、みなさんは観察できますし、観察は個人として拡張していく助けになります。ミクロとマクロのレベルでこの原理原則が繰り返し行われているのを見て、より深い理解を得られるでしょう。このような理解と、懸命な努力を通して、成長のプロセスをともにする身近で親しい人々が集う小規模なグループの中で自己を開示し、コミュニケーションをすると、この惑星の発展に大いに貢献することになります。その影響を直接的に、即座に見ることができなくても、あなたはそれを徐々に実感することでしょう。

 今日お話ししたこれらの側面を自分のコミュニティで、どのように生かしていけるか、これが意識と注意をさらに向けていく必要があるところです。未だ自己を開示すること、そして他者を開示することへの無知が存在し、真実を明るみに出すことができずにいます。それゆえ、コミュニケーションは、そして愛と融合は著しく損なわれるのです。自分の状況を説明したり、同じことをするにしても、相手を脅かさない方法で助けるといった、より深い努力からなされれば、コミュニケーションはずっと良くなり得るのです。コミュニケーションはまた、みなさんが知っていることや教えなければならないことを、受容的に受けとめてもらえるように他者を助ければ、そして、他者の知っていることや教えなければと思っていることに対して、みなさんもオープンで、受容的な態度で受け止めれば、一層改善されるでしょう。大抵は味気なく、鈍って麻痺したような感覚がみなさんをすっぽりと覆って、半分は曖昧で、未完結で、意固地で密かに証拠もなしに決めてかかるような状態にさせ、すべての扉を締め出すのです。ここにこそ、みなさんの友人であるスピリットは、みなさんに改めて欲しいと思い、最高の存在に仕えてキリスト意識を表現しながら、ますますの栄光を讃えつつ、黄金に輝き、美しく成長を遂げていくコミュニティを創造したのです。

 同時に、みなさんには、特定の部分に注視して観察することに注意を払うよう強調しておきます。自分が属するグループのハイアーセルフの存在の成長と表現が内と外でどのように並行して現れるかをつぶさに観察して欲しいのです。あるときは外側が内側で起こっていることより先行することもあるでしょう、また別のときはその逆もあります。バランスが維持されるべきです。それは全く同時にはなりませんし、その必要もありません。どちらか一方が他方の後を追うことになるでしょう。そのような状態があまりに長期にわたり続いたり、双方の距離が離れすぎていなければ、それは容易に調整されるでしょう。いかなる危機もそこから生じることはないでしょう。すべては計画通りなのです。これまでのところ、みなさんの内なる成長は外なる環境よりも先んじていました。そしてこれこそが、真に重要なことで、地に足のついた、とてもしっかりとした方法なのです。しかし、外側が意識的に「追い付く」ときが来ました。そして、みなさんの内側が、より一層、外側に表現されるようにしてください。

 この背後には神の偉大な力が関わっているのだと理解し、すべてを見通せる目でこの美しい世界を見渡してください。生命を癒すパワーの持つ生き生きとした感覚でハートを満たしてください。そのパワーはソース(源)から流れ込み、これまで創造され、これからも創造される全てを包含しているパワーなのです。このソース(源)はみなさんのまさにセンター(中心部)にあり、みなさんがそこにつながることが難しく、一時の苦痛や現実を混乱したものと感じているときでさえ、常にそこにあり続けます。

 みなさんは偉大なる力(エネルギー)に囲まれており、それは宇宙を流れ、新たな活力をもたらしています。敬愛するみなさんに祝福を。最後までコミットし続けてください。神に仕える献身的な思いを諦めないでください。


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