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No.7 助けを求めることと他者を助けること

Pathwork Guide Lecture No.7
1996年版
1957年6月17日


助けを求めることと他者を助けること
ASKING FOR HELP AND HELPING OTHERS


 神の名の許に、皆様を歓迎いたします。皆様に、神の祝福がありますよう。

 感情的反応、考え、意見や傾向、そしてとても小さな性格の特徴であっても、これらはそれぞれ、あなたの目には見えない光輝く光線であり、個々の存在が持つ、とても個人的なものです。同じように、不動のものでありながら永遠に動き続けているスピリチュアルな法則もまた、光り輝くたくさんの光の糸を創り出します。このスピリチュアルな法則は、内面的・外面的反応のすべての可能性や法則性に付随しています。あなたの個人的な光がこれらスピリチュアルな法則と合致するときにはいつでも、あなたは自分の人生を成し遂げ、調和と祝福の中に在ります。個人的な光がスピリチュアルな法則からかけ離れているときには、自分自身が不調和の中に在ることを見出すことでしょう。

 間違った信じ込みであるものの、多くの場合、これによりあなたは、運命は自分に何か不幸な一撃を食らわすに違いないと信じてしまうようになります。苦しみの根源を隠し、無意識の彼方に押しやることによってその根源から自己を離してしまうほどに、傷つき、ひびの入った根源とのつながりを知覚し、溶解させ、もしくは引き出すことが難しくなってしまいます。あなたが幸せになりたいと望むのならば、自己の内にある傷ついた根源へと入っていかなければなりません。この「根本的な」アプローチ、根源へと入っていくアプローチは、完全な浄化のための癒しの道であり、もしもあなたがそのように呼びたいと望むのならば、魂の癒しでもあります。この目的を持って神の世界とのコンタクトを捜し求めているあなたは、(実際、このコンタクトなしで浄化はあり得ないのですが)偉大なるサポートとガイダンスを得て、あなたにとって最もふさわしい道を辿ってすべてが発展していくことでしょう。あなたは実際に、素晴らしい保護の下にあることとなるのです。

 この癒しの道を進むのに、あなたは外部からの助けやアドバイスを必要としています。これらの助けやアドバイスによって、あなたは神の世界へと続く道をブロックしている最初の石を取り除くことができるのです。

 外部からの助けの目的は、内面の助けを可能にすることです。別の言い方をすれば、内面の知覚や直感に自主性をもたらすために、「助け」は最初に外部からの知覚を通り抜けなければなりません。外部からの助けは、この癒しの道の高いレベルに既に到達した人、もしくは神の魂を経験した人によってもたらされます。しかし、外部からの助けだけでは十分ではありません。十分であると考えられるべきではないのです。それは単に一つの刺激であり、あなた自身のワークを通して実を結ぶべき種でしかないのです。あなたは、内面の自己の発見を、自分で成し遂げなければならないのです。

 それがどんなに光に照らされていても、何かを受け入れることはとても難しいことであるとあなたはよくご存知のはずです。なぜなら、誰かの言葉を借りれば、個人的で内面的な無意識的抵抗がそこに存在するとき、特に不可能であるからです。

 万物の真実、すべてのスピリチュアルな法則(すべての人間が完全に理解することのできるものです)は、純正な内面の知識となるために個人的に経験されなければならず、そしてそれは個人的で生産的なやり方で適用されなくてはなりません。このような癒しの道を辿ることによってのみ、内面の知識を個人的に使うことが可能となるのです。少なくとも、あなたが神の世界との個人的なコンタクトを樹立できたときにのみ、すべての真実への洞察が生まれます。そしてまた、あなたの魂がハイヤーセルフに対して開かれたときにのみ、このようなコンタクトが起こってくるのです。

 神に「真実をお見せください」と頼み、自分自身を真実に対して開く人は、必ずや答えを得ることとなるでしょう。しかし、たいていの場合、あなたはこのステップを踏んでいないことが多いのです。最も大事なものを隠し、内面に押し込め、取るに足らないちっぽけな心配事で自分を忙しくさせているのです。あなたは、最も本質的なものがなんであるのかを忘れています。完全な真実という観点から見れば、心配事はちっぽけで浅はかなものであるにもかかわらず。あなたの内面の意志を奮い立たせ、それに向けて自己を開いてください! そして神に、神の真実の認識を求めてください。

 もしもあなたが、心から完璧な自分を望むのであれば(つまり、最初は自分自身を知ることから始めなくてはなりませんが)、歩みを進めるにつれ、あなたは必要とされるスピリチュアルな助けを受け取るようになるでしょう。それは常に、拡張というやり方であなたのもとにやってきます。外面のガイダンスと認識、そして洞察とが交互にやってきて、答えや手がかりをもたらしてくれるでしょう。

 神の魂の世界とのつながりは、たいていの場合「霊媒能力」とされています。すべての人々が、私がいま媒介を通して言葉を話しているように、トランス状態にならなければならないわけではありません。すべての人が、あるやり方を用いてスピリチュアルな世界とコンタクトすることができるにもかかわらず。

 このことに対して、寛容になってください。こんなことを私もやってみたい、などと言わないでください。ただ、オープンにし、自らを、導かれるままにしてください。そうすることでガイダンスが、しかるべきときに、しかるべきやり方であなたのもとを訪れることでしょう。言葉だけでなく行動でも自分自身を完全に神にコミットさせてこの癒しの道を辿る人の人生は、大きく変わることでしょう。いずれの変化もそれ自身と同じくゆっくりと、そして自然にやって来ます。それは、どんなにか素晴らしいものでしょう。有害であったり、不調和を作り出すようなことは決して起こりません。あなたは、内面のアンテナを伸ばした状態で保つように自分を開き続けることによって、自分の役割を果たさなければなりません。自己を開いたままでいる能力は、より強くなることでしょう。

 さて、今から、一般的な説明をしたいと思います。「悪い」の反対にあるという理由でそれは「良い」ものだと信じる人々がいます。そして、どちらも両極端であるがゆえに、どちらも間違っているのです。

 例を挙げてみましょう。高く発達するにつれて、その人には、自分の周りを同じようなレベルの人間の魂で取り囲み、お互いに助け合い、刺激し合い、実り多いコンタクトを形作るようになるということが重要となってきます。このようなコンタクトが、どんなに純粋にその姿を現したとしてもほかのコンタクトが魂に害を与えることがあるように、魂に害を与えてしまうことはないでしょう。ここでは、「強制される」ということがないのです。これについてのガイダンスを得ることができるように頼んでみてください。ガイダンスは、あなたが想像しているよりもより叡智に富み、より素晴らしいやり方であなたのもとを訪れることでしょう。ガイダンスを経験する人だけが、魂の奥底にあるその驚異を知ることができるのです。

 一方、既に高いレベルまでの発達を成し遂げ、十分な強さを得ている人々は、自分より低い発達レベルの人々との不快で有害な経験に気づいているために、そのような人々とコンタクトしたくないと思ったときにはしないようになるでしょう。神の魂の世界とのコンタクトのための訓練を積んだ人々は、どのような関係性を保ち、どのような関係性は手放すべきなのか、わかるようになるのです。

 あなたが強くなるほどに、自己の癒しの道により深く根づくようになり、そして自分よりも低い発達レベルの存在から害をこうむる危険が少なくなり、彼らを助け、影響を与える素晴らしい機会が増えていくのです。

 しかしながら、人々の最初の反応は、最も簡単なやり方をとることです。発達のレベルが低い魂とのコンタクトを通じていまだにスピリチュアルな害を受けている人は、たいていの場合、これらのコンタクトは自分にとって不愉快なものになるはずはないという立場にまだ立っており、だからこのコンタクトを手放すことはないのです。このような人々は、実際にはそのような助けを自分に与えることができるほどの能力を持っていないので、助ける代わりに自分を弱まらせてしまうにもかかわらず、既に自分が得たものを使って自分を助けることができると自分に確信させています。むしろ、彼らは、自分たちを強くしてくれるコンタクトを捜すべきなのです。

 一方で、これらの不調和的なコンタクトは自分自身を強くすることができるかどうかを試すテストであり、もはやそれによって害されることはない人々は、これらのコンタクトは犠牲的行為であるという立場に立っています。このような人々は、同種の魂とのコンタクトのみを望み、自分たちに喜びをもたらさない相手は避けるのです。このような人々は、自分にとって以前は真実であったものを当てはめたがりますが、もはやスピリチュアルなレベルの低い人々とのコンタクトは有害であるという以前と同じやり方を当てはめるべきではないのです。

 本来ならばできるにもかかわらず、自分より弱い相手と一緒にある任務を成し遂げないことによって、ときに間違いを犯してしまう人がいます。既にこの癒しの道をかなり遠くまで進めた誰かの魂がもしもまだ幸せでないとしたら、もしも、スピリチュアルなワークを既に成し遂げたにもかかわらず常に幸せでないとしたら、その原因は、助けなければならない誰かとの不快なコンタクトからの逃避、既にある任務を遂行しそこから何かを学んだ魂からの逃避ではないのでしょうか。

 おわかりのように、ルールは常に一定ではありません。あなたが完全に幸せではないとき、考えてみてください。あなたよりスピリチュアルな発達のレベルが低い人との任務を避けることがあなたの不幸の原因なのではないかということを。より高く発達した人の魂は、とても繊細です。調和の不足は、何かが間違っているということを物語っています。しかし、自分は必ずより高く発達した人間というポジションにいると早合点するのはやめましょう。その考えはあなたにとって都合がよく、あなたはコントロールを手放したくないというだけなのですから。

 問題は、あなたが最も難しく、もしくは不愉快に感じる経験は、おそらく、何か泥沼にはまっている部分、適正に扱われていない部分であるということでしょう。あなたはこれをきちんと理解しなければなりません。このようにして、あなたは、もしもあなたが完全に自分自身の道を辿り、自分の人生を生きることにコミットしたならば、あなたのものになっていたであろう幸せから遠ざかっているのです。この点について、もっと深く考える必要があります。すべての人は、ここから何かを学ぶことができますが、それを強制することはできません。

 正しい行動へと導かれるための準備をし、助けを求め、そして自己を開いてください。それが、あなたがするべきことのすべてです。しかし、もしもあなたがガイダンスに従う準備ができていなければ、助けを得ることはできません。助けを受け取るために何度も繰り返し自分自身を開いた人だけが、十分な助けを得ることができるのです。ガイダンスに従う準備ができていない人々は、ただ助けを求めるのを忘れているだけであるにもかかわらず。そしてこのような人々は、そのことについて考えようともしていないのです。このようなやり方をすることで、どんなにたくさんの祝福と幸福を失ってしまっていることか!

 スピリチュアルな世界の光り輝く光線と素晴らしい力は、あなたを抱きしめる準備が整っています。しかし、あなたが発する光線が違った方向に向いているがために、それを不可能にさせているのです。この場合、偉大なる現実の光り輝くたくさんの糸と調和することはできません。だから、良い影響や助けがあなたに届かないのです。

 私の親愛なる皆さん、ここで、質問にお答えしましょう。

 質問:私は今、プレンティス・マルフォードの本を読んでいて、そこには、教えには完全に同意することが書かれています。しかし、私には、どうしても一点だけ、完全に理解できないことがあるのです。人間は、ネガティブなもの、特に自分自身の欠点や誤りにのめりこんではならないと書かれています。このような状態は、さらなるネガティビティを生み出すとも。ネガティビティを確認し、その辺で切り上げるだけで十分だと。しかし、あなたは、自分たちの欠点や誤りと直面するだけでなく、それらと戦うべきと教えてくださいました。しかしそれらと戦うために、私たちは、その欠点や誤りについて毎日考えなければなりません。ここに、あなたの教えとこの本との矛盾があるのですが。

 答え:矛盾ではありません。これは、どのように欠点や誤りと直面すればよいかの質問です。何度もお話してきているように、自分の欠点にのめりこみ、罪の意識の中にどっぷりと浸るのが好きな人は多いものです。このような人々は、嘆き悲しんでこう言います。「私は罪深い。何て悪い人間なんだ。自分の罪を乗り越えることなど、とてもできやしない。なんと恐ろしいことだろう!」そして、自分の欠点や誤りに遭遇したときには必ず、自分自身を、同じような実のない流れの中に投げ込むのです。このようにして、自分の持つ罪悪感という感情を増幅させていくのです。このような罪悪感はさらにひどい結果と連鎖反応を引き起こします。このようなやり方で自己の持つ欠点や過りに浸りきることは、明らかに間違っています。このようなやり方では、ネガティブな力を引き寄せてしまうだけでなく、自己欺瞞の渦中にはまってしまうことでもあります。簡単に出口を見つけ出したいと願うだけの現実の中で、このような人々は、希望などどこにもありはしないと口に出すことで、自分がとてもみじめな人間だと信じています。これはよく見られる態度であり、「苦労をせずして既に完璧である自分を見たいと願う」ということと誤りの両極端を成しています。その本で言っている「欠点や誤りに浸る」とはこういうことです。著者は、あなたがネガティビティに浸ることを思いとどまらせようとしてくれる、スピリチュアルな理解の深い人間なのです。

 一方で、このスピリチュアルな癒しの道を歩む道程で、自己を知り、自己の持つ一時的な現実を受け入れることは絶対に必要となります。何もせずにただ座っていなければならないなどと言っているわけではなく、自分自身にこう話しかけるということです。「これが私だ。私にはこの欠点がある。この欠点を根絶させるには大きな努力と意志の力、そして忍耐が必要だ。私は根絶させることができるし、そうするだろう」これはとても実のあることです。より近く問題を見つめることで、あなたは恐ろしいほどの狼狽や混乱を認識するでしょうし、欠点や短所、誤りに対する過大視しすぎた罪悪感はプライドと尊大な態度の一つの形にほかならないということに気づくことでしょう。

 あなたは、実際にあなたがそうであるよりもよりよいものになりたいと思っているのです。あなたは、完璧になるための苦労をせずして完璧になりたいと思っているのです。自分がまだ完璧ではないと認識しなければならないとき、あなたは困惑し、途方に暮れてしまいます。なぜなら、あなたのうぬぼれた虚栄心が傷つくからです。今ある状態のあなたを受け入れないことは、不健全です。これらの言葉の真実を感じる人は誰でもこのことについて考え、瞑想すべきですし、そうすることで、新しいドアが開いていくのです。

 何度も同じことを申し上げるのは、それがとても重要だからです。ディフェンスや不調和の感情を持たずに、混乱した観察者として一度すべての欠点を含めて十分に自分を見ることができれば、あなたはポジティブなものを作り上げることができます。そして、それからなのです。それから、あなたは、真実の礎を作り上げるのです。嘘や偽りの上に作り上げることはできません。自己欺瞞を通じて、もしくは知りたくないと思うことによって自分自身とその真意を知らずにいる人々は、偽りの上に作り上げているのです。

 あなたが穏やかに、今この瞬間にあなたが誰であるかを認めるとき、あなたは真の謙遜を手に入れます。真の謙遜とは、深い内面からの変容の力を動かすことができるものです。そうすることであなたは次にその逆の面、すなわちあなたの欠点や誤りの根本にある本来の素晴らしさを見ることができるようになるのです。ポジティブなものを視覚化することによってあなたは新たな思考形式を創り出し、自分の意思をまっすぐそれに向かわせるのです。

 親愛なる友人たちよ、あなたが何とか手に入れるために努力すべき完璧性について私がお話しすると、それは外面から得られる何かであり、自分の中にある何かではないと漠然と思うのではないでしょうか。もちろん、そうではありません。完璧性は、あなたの中に深く入っていった部分の硬い殻で覆われた層の下で眠っています。あなた自身のロウアーセルフによって隠されているのです。しかし、ただ隠されているだけなのです。そう、完璧性は、既にあなたの中にあるのです。あなたに必要なのは、その硬い殻を動かすことです。まずはそれを認識することで動かすことができます。認識するには、このような形の硬い殻がそこにあるという考えを受け入れることが必要です。これができたときにだけ、その層は薄くなり、その場所、つまり自分の欠点が自己の内面の完璧性とのコンタクトを確立することを困難にしていた場所にいるハイヤーセルフと出会うための突破口を開くことが許されるのです。

 完璧性は既に自分の中にあるということをはっきりと理解したとき、困難を乗り越えること、そして、あなたの自由を奪う唯一のもの、つまり完璧でないという鎖につながれた自分を自由にすることがよりたやすくなることでしょう。それから、あなたの内面に隠された完璧性が開かれてくるのです。ロウアーセルフをはっきりとある形に具体化し、それを自己の内の異質の存在として見たときに、あなたは自己認識のプロセスの中で動くポジティブな形を作り始めることができるのです。

 一つ例を挙げてみましょう。一人の人が、自分の利己主義と戦っています。利己主義という欠点は、おそらく誰の中にもあるものでしょう。ある人はより強く、ある人はより弱く、それぞれの個人によってその強さの度合いは違います。しかし、誰でも、必ず自分の中にこの部分を持っているのです。一日の終わりに自分の反応を省みながら、徐々に、次の階段を上っていくのです――最初は、自分のいったいどこが利己的であったのかを認識することはとても難しいでしょう。次に、真実を見たいと繰り返し自分に問いかけ、自分自身を開いていくにつれて、自分が今まで無視してきたある出来事を、自分の利己的な振る舞いの一つの例として認識するのです。最初のうちは、この認識によってとても居心地の悪い思いをするでしょう。混乱し、ばつの悪い思いでいっぱいになってしまうでしょう。そして次に、これらの感情はその認識に対する抵抗を創り出します。この側面において、この戦いは抵抗を克服するためのものであり、それでもその瞬間の自己を受け入れるためのものです。

 根気強くこの戦いを続けることで、計り知れないスピリチュアルな強さがもたらされ、最高のやり方でスピリチュアルな成功を促進します。この側面の進歩において、人間は、さまざまな角度からその抵抗に立ち向かっていかねばなりません。自分自身の本来の姿を見るために、強さと意志の力に祈る必要があります。プライドと尊大な態度によって自分の欠点について恐ろしいほど狼狽し混乱してしまう状態、つまり謙遜に欠ける自己に対する深い内面での認識に到達するために、瞑想する必要があります。自己をありのままに受け入れることができないときには自分が真実からは程遠い場所にいることを知るために瞑想する必要があります。そしてまた、さらに自己の奥深くに分け入り、自分の持つプライドと尊大な態度が次にどんな特質を浮かび上がらせるのかを見つけなければなりません。

 このようにして、より自分のパーソナリティや無意識の感情的な波について、より良い理解を獲得するのです。ある期間の後、このような自己発見、回顧、瞑想、祈り、そして決意といった毎日のたゆまぬ努力によって、その人は新しいやり方で反応することができるようになるでしょう。毎日の静かな時間で得たものを新たなやり方として適用することに成功し、何が起ころうとも、この知識の部分から反応するようになるでしょう。もう一度この静けさの中に入ると、自分の問題への対処において進歩を成し遂げたことを認識することができます。しかしそれでも、自分の感情はまだ、新しい制御の下にある反応とは反対に位置していることにも気づかねばなりません。自分の行動の裏には、内面的な分離があるのです。

 行動を制御することは、感情を制御するよりも簡単です。そして危険なのは、感情的な反応を隠し、その感情が無意識の中に沈みこむまで、そんなものはそこに存在しないかのように振る舞うことです。それは、まさしくこの分離であり抑圧であり、それによって不健康な魂の流れが起こってきます。あなたは正しく行動しようとすることでしょう。なぜならあなたの意識が、自分が学んだ正しいことと間違っていることに従うべきだと主張するからです。もしくは、これは周囲からの認証と愛を獲得する行為であるとあなたが信じているからです。しかし、行動と感情の一致が見られないとき、それは嘘になってしまいます。もしもあなたが、勇敢にも内面の真実のために戦うならば、あなたはこの嘘を退け、自分の正しい外面的な行動の下に隠された間違った感情的な波を見極めることができるでしょう。そして、感情を変えるにはより多くのスピリチュアルなワークが必要であることを悟り、このようなワークから逃げ出すことはないでしょう。そうすることであなたは、瞑想の中で、健全で素晴らしいスピリチュアルな形を創り出すことでしょう。例えば利己主義やあなたの持つその他の欠点や誤りから解き放たれた自分自身の姿の視覚化によって、そして、今までは自分自身を解放したいとだけ願ってきたが、他者を解放することをも成すことで、どんなに素晴らしい喜びを経験できるかを感じることによって。やがて、この形はより強さを増し、ロウアーセルフの残していった部分と同じように明確に認識することができるようになるでしょう。あなたは常に、矛盾に気づくようになるのです。今のように、混乱し戸惑うことなしに。ゆっくりと、古い、間違った波は自らの姿を変容し、外面的な行動、そしてあなたが正しいと認識しているものと一致し調和していくのです。これは、一つのプロセスです。

 もちろん、これらすべてをしないで済めばもっと都合がいいでしょう。このように自己に誠実である中で何度も繰り返し自己に直面することは、面倒なことには違いありません。そして人々は、工夫を凝らして言い訳をみつけては、なぜ自分がそれを必要としないのか、もしくはできないのかを正当化しようとします。一番簡単に済ませたいと思うことから離れられないのです。しかし、簡単に得る方法には、たいした価値はありません。内面の鍛錬を通じて得られるもの、困難なものに打ち勝つことだけが、永遠に続く幸福を私たちにもたらすに値するのです。それ以外にはあり得ません。

 質問:現在個人的な癒しの途上にいない人が恐れを溶かすにはどうすればよいのでしょうか? 心の奥底に深く埋め込まれた恐れや不安を溶かすにはどうしたらよいのでしょうか?

 答え:それができるのは、このスピリチュアルな道だけです。自分ひとりで成すことはできません。二種類の助けを通じて、あなたはそれを成し遂げることができます。つまり、外面的な助けと内面的な助けです。言葉や一般的な信仰という部分だけでなく、結論を受け入れた内面の態度を通じて、一度、この癒しの道を歩むことを決心し、自分自身を完全に神にコミットしたならば、その決心に従って、外面的にも内面的にも、あなたは内面のドアを開くであろう外面的な助けへと導かれるでしょう。そうすることで、内面の助け、言い換えれば神の魂の世界との個人的なコンタクトが構築されるのです。この助けを使って、あなたはどんな種類の感情的な歪みも取り除くことができるのです。これらの言葉の持つ真実を、私の友人の何人かは、その人生において既に経験しています。

 このような決意をする人には、彼らが望むものすべてが与えられます。コンタクトを捜し求め、完璧性の道を歩むことを決意した人はまた、すべての不完全から自己を解放したいと望むことでしょう。そして、恐れが存在するとき、それは不完全の現れであり、スピリチュアルな法則への冒涜なのです。このような恐れは大きくなり、実際にスピリチュアルな形として存在する混乱を増長させます。この癒しの道では、もつれを一つ一つ解きながら完全に解決してあなたが恐れを持たずに生きられるように、その混乱を収束させるのです。もちろん、それぞれの個人によって、恐れの源は皆違います。それゆえに私は、その根本がなんであるのかといった一般的なルールを定義し、それを解決するための方法を明確にお話しすることはできません。今夜の講義のトピックもまた同じです。それが神についてや重要なスピリチュアルな問題、もしくはさして重要でない世俗的な問題であっても、いつでも裏口を探している人、いつも警戒し、何に対しても完全に自己をコミットさせていない人は、自分の恐れを増幅させる感情的な波に呑み込まれていることを知るでしょう。自分の選択の結果として、このような人々は、足元がしっかりしていないのです。どこにも属さず、おそらくは無意識であるけれども間違った信じ込みの中で、しがみつけるものが何もないのです。この信じ込みとは、何に対しても自分をコミットさせることがなければ危ない目に遭うこともない、というものです。この態度は、恐れの増大を引き起こします。

 恐れについて、もう一つの頻繁に見られる要因は、信頼の欠落です。強い信頼の恩寵という状態が満たされていないのです。したがってこのような人々は、自分自身に頼るしかないのです。彼らは、すべてが自分にかかっていると信じているのです。しかし、逆説的に、彼らは、本当に自分の責任の下にあることをするのを顧みず、そうすることで本当はもたらせる変化をもたらしていないのです。同時に彼らは、自分がたくさんの点を完全に神に頼っていると感じながらもその感情をはっきりとは経験することのないままに、孤独の中で迷うのです。なぜなら、彼らは自己を神の手に委ねるために必要な正当な状態を満たしていないからなのです。このような人々が偉大なる真実についての知識を多少持っているときでさえも、その知識は非現実的で中身のないあやふやなものであり、彼らをサポートしてくれることはないのです。このような考えが彼らの中で多くを占めるにつれ、知識というチャンネルだけを通して自分を育てようとするにつれ、彼らは、すべてのポジティブで神聖な影響から自分自身をさらに遠ざけてしまうのです。そして、彼らの不安は増大してしまうのです。このように「知らない」ということで、彼らはスピリチュアルな法則を冒涜し、より偉大なる現実の直接的な影響の可能性から自分自身を遠ざけてしまうのです。

 さらに、自己憐憫の情やうぬぼれ、臆病さやプライドを持って必死でエゴにしがみつくという行為からも、恐れが生み出されます。要するに、エゴを育むすべてのもの、つまり、自分が「特別だ」と感じたいすべてのものから、恐れが生み出されるのです。そしてまた、これらはほとんどの場合無意識のもので、プロセスがより無意識であるほど、それを終わらせるのが難しいのです。これが、無意識下にあるすべてのものを意識の上に浮かび上がらせ、真実の光のもとでそれを観察することが重要である理由です。大きく成長してしまったエゴはあなたを孤独にさせ、ある特別な場所にあなたを置きます。それは、あなたが想像してきたものとはまったく異質のものです。それはあなたを周囲から分離させ、真実を見る目を曇らせます。なぜなら、法則が冒涜されているときには、ヴィジョンが現実となることがないからです。この場合には、ブラザーフッドの法則が冒涜されているのです。分離の壁で自己を取り巻く人々は、孤独で、自己をより周囲の人々から分離させます。これは、もしかしたらとてもアクティブであるかもしれないその人の社会的な人生とは関係ありません。このようなとき、分離は恐れを増大させます。

 これらが、恐れについての主要なポイントです。そしてこのポイントは、そのほかの個人的内面的な波ともかかわりがあります。前にも申し上げたように、自己認識と浄化の道を通じてのみ、これを認識し克服することができるのです。自分自身をこの癒しの道にコミットできる人は誰でも、想像でき得る限りすべての助けを得ることができるでしょう。

 質問:ある一定の期間、私は、毎晩続けて洞察に満ちた夢を見ます。ある時点でそれは終わり、それからは、眠る前にその夢を見ることを祈りつつ眠るにもかかわらず、夢を見ない期間が長く続きます。疲れているときや働きすぎたとき、私は夢を見ませんが、このことは、私の肉体的な強さと関係があるのでしょうか? また、魂の世界とのつながり、私たちがいわゆるオーディック・フォースを必要としていることと似ている気がするのですが?

 答え:はい。オーディック・フォースと関係があります。精神と肉体の相互影響はとても強いのです。しかし、要因はこれだけではありません。夢は、リクエストして見られるものではないのです。何かの兆しや答えを知りたいと頼むことはいいことですが、その形をあなたが決めることはできません。自己の発達のある期間において、今までとは違った形で答えを受け取るのは、より素晴らしいことです。自分が求めた形と違った形で助けが現れるのはなぜなのか、現時点では、あなたが判断することはできません。しかし、おそらく、あなたの洞察的な夢は習慣的なものになりすぎてしまい、その意味を受け取るのにあまりスピリチュアルな努力をしなくて済むのでしょう。もし、さらにスピリチュアルな努力を怠らないという意図を持つことができれば、また別の形で答えを受け取ることになるでしょう。何かを認識することが必要なとき、ほとんどの場合には自分に慣れ親しんだ方法が使われますが、全般的に、ガイダンスとは、理解するのにより大きなスピリチュアルな努力を必要とする方法で、あなたのもとへと下りてきます。その目的は、さらに違ったやり方でのつながりを確立するということです。

 質問:実際にはまだそのステージに到達していないにもかかわらずスピリチュアルな癒しの可能性を確信するようになった人が、医師の判断を仰ぎに行った場合、これは、その人の信頼の欠如を表しているのでしょうか? その人は、医療面での助けを使わずに病気と闘うべきなのでしょうか?

 答え:いいえ。医師もまた、神の遣わし手なのです。医師の助けを得ることができるのであれば、医師のもとをたずねるべきでしょう。医師の助けが得られないとき、スピリチュアルな方法を用いた癒しを求めることができます。ある一つのことにあまりにも焦点を合わせすぎるのは、賢明ではありません。それは、間違ったやり方で何かを求めることを意味します。もう一度申し上げますが、ここは誤解しやすい部分です。健全な意思を持ってすべてのゴールを求めることはとても重要です。しかし、細部にわたって窮屈なまでにのめりこみすぎる意思を持ってワークを進めることは、大きな障害物になり得るのです。

 病気には、また違った原因があります。カルマ的、または今生にまでつながっている魂の歪みの現象です。このような現象は、その根幹が残っている限り、取り除くことはできません。その根幹がなくなったときに、その現象が消えるのです。したがって、病気という問題は、このような観点からの考察も必要とされます。外面的な現象を取り除いただけでは十分ではありません。病気の根幹は、その人の魂の中に見つけなくてはなりません。それが、解決法です。

 親愛なる友人たちよ、私は、そろそろ自分の世界に戻らなくてはならない時間がやってきたようです。皆さん方すべてが、この癒しの道を、諦めずに進んで欲しいと思います。そうすることで、あなたの人生はよりよいものとなっていくのです。誰も、独りではありません。すべての人は、神と、その世界からの祝福を受けているのです。



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