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Pathwork in Japan
No.74 混乱と曖昧な動機
Pathwork Guide Lecture No. 74
1996年版
1960年11月25日
混乱と曖昧な動機
CONFUSIONS AND HAZY MOTIVATIONS
親愛なる友人の皆さん、こんにちは。神は皆さん一人ひとりを祝福しています。この時間は祝福されています。
この国の人々は、感謝祭を祝ったばかりですね。友よ、この機会にお伝えしたいと思います。霊的な世界にいる私達は、浄化と成長に向かって努力する全ての人間に感謝しています。この方向へのあらゆる努力は、全宇宙の進化計画に有効な働きをします。あなたが解決する全ての問題と、誠実な自己認識から得られる洞察の全ては、普遍的で宇宙的な力の進路を変える上で、ある程度重要な役割を果たしています。人間一人ひとりの努力と奮闘がどれ程大切か、あなたには想像もつかないでしょう。この真実が理解されていれば、より多くの人々がより努力する筈です。
あらゆる苦しみは無知と、真実と向き合いたいという思いの欠如から生じます。従って、このワークを誠実に行う人々は、自分自身や宇宙全体との関係において未だ無知に沈む人々に、最終的には何らかの形で影響を及ぼすに違いありません。勇気をもってこの道を歩む皆さん、どうか知っておいてください。霊的な世界にいる私達全員が、皆さんの努力に感謝しています。それは私達の為だけでなく、他のあらゆる存在の為でもあるのです。
さて友よ、ここで言っておきたいことがあります。このことは、奮闘し、努力を重ねながらも、常に自らの内の新たな困難に直面する方々の助けになるでしょう。困難を乗り越え、より明確な全体像を把握するのに役立つかもしれません。あなたの道の特定の段階では、このような明確化が必要になることが多々あります。
このワークの過程で最も重要なことのひとつは、特定のテーマについて混乱している事実に気づくことです。もしかしたら、自らの内に混乱があるのに、何についての混乱かさえ分かっていないかもしれません。このテーマについて詳しく説明する必要が大いにあると見ています。
以前のレクチャーから、どのような内的な問題も遅かれ早かれ、何らかの形で外的な問題として現れるということは既にご存知でしょう。外的な問題は内的な問題の結果であると同時に、その両方の原因である誤った態度を修正する為の道具にもなり得ます。不調和、不快感、不安、怒りを感じるような外的な現象が起こる時、あなたは自らの内になんらかの混乱があることを忘れがちです。その混乱が何であるか、意識的または無意識的な思考の何が誤っているのか正確に分からないのです。
まず混乱が何であるかを正確に把握する必要があることは、いくら強調してもし過ぎることはありません。単なる気分であれ、不快な内的反応であれ、明らかに他者によってもたらされた実際の外的な出来事であれ、何かに悩まされている時はいつでも、どのように混乱しているか、思考がどのように曖昧か、一般的な行動原理についての考えや、当然と思われる反応がどのように明確ではないのか調べてみましょう。正しい原理に矛盾がないか確認してください。この混乱を簡潔に以下のように書き出します。「私は〇〇が分からないから混乱している。」それをいくつかの質問に分けます。質問がより簡潔であればある程、混乱が何であるのかがより正確に掴めるでしょう。
質問への正確な答えを見つけるずっと前から、書くことは混乱を解消するのに最も建設的な役割を果たします。それから答えを求めて祈り、同時にその答えを受け取ることへの内なる抵抗も確認しながら質問に取り組めば、あなたは大きく前進し、新たな自由を与えてくれる最も重要な新しい洞察に備えることができるでしょう。友よ、特定の複雑さ、問題、混乱に関して、自らの疑問に気づくことの重要性を決して忘れないでください。簡潔な質問が明確に具体化された瞬間、あなたは既に安心を感じているでしょう。完全な解明に向けて、道をなだらかにし始めたのです。
この道を少し進んでいる方々は、登山者が山を登る途中で行うように、少し立ち止まって振り返り、全体像を把握すべきです。前進している間、あなたの視線は途上にある特定の目標、又は部分的な目標に向けられています。その為、既に進んだ距離や乗り越えた障害を忘れ、包括的な全体像の視野を失ってしまうかもしれません。時々振り返り、地形全体を見渡すことは非常に役に立ちます。
今これをお話しするのは、具体的な目的の為です。もう一度、人生におけるあなたの主な問題は何かを探求すべきです。ただし、より包括的な視点を持ってです。問題を簡潔に書き出し、それが人生のどの分野に関わるものであっても、明確な言葉で説明してください。これまでの発見を通じて、あなたは今や出発点よりも有利な立場にあるかもしれません。つまり、目的が曖昧で人生の目標が複雑な動機と混ざり合っている場所こそが、人生の問題ある分野であることが既に分かっているからです。これが分かっていれば、更に進む為の大きな助けになるでしょう。
表面化した根深い感情的反応は、常にあなたの中に潜む子供っぽさを露呈します。その子供は自己中心的で無知です。この自己中心性や無知から無意識の内に、あるいは時々半意識的に、利己的な動機が生じます。あなたは人生、あるいは人生の特定の領域で、自らが何を望むのかが明確ではありません。あなたは漂流し、あらゆる目標は混乱と無意識の霧の中にあります。真の利他的な動機でさえ、あなたの思考の中で明確に表現されません。そのような状態の時にはいつでも何処でも、あなたは困難、不満足、欲求不満を抱えることになります。困難が外的障害である場合、あるいは外的障害の兆しが未だ見えていなかったとしても、内的には落ち着かない気持ち、罪悪感、緊張、不安、焦りを感じているかもしれません。言い換えれば、例え当分の間、外面的に物事がうまくいったとしても、人生のこの領域では内的平和に欠けているということです。
このような状態の時には常に、あなたの動機に否定的な結果を生み出す、無意識の利己的な動機が混ざり合っている筈です。もう一度、人生を振り返って見てください。顕在化した問題、あるいは不安や不調和が何処にあるのか正確に見てください。そして、自らの本当の動機は何かを確かめてみましょう。一見ポジティブに見える外観の後ろを見てください。発見したもの、あなたのイメージ、誤った結論を活用してください。そこから否定的で混乱した動機を抽出し、問題のある領域に当てはめてみましょう。あるいは、この特定のゴールが本当に欲しいのか、何故欲しいのかさえ知らずに、特定の方向に迷い込んでいないか確認してみます。このような曖昧さは、明確に否定的な動機以上に有害であることが多く、職業上の充実、結婚、友情といった人生のいかなる領域にも当てはまる可能性があります。曖昧さは、特定の人間関係において緊張や葛藤を引き起こす可能性もあります。
意識的な動機の背後にある真の動機を確かめてください。明確な目標があるかどうか確認しましょう。生きる理由を確認してください。あなたの人生の目的は何ですか?自らの能力を最大限に発揮して自分自身を成長させること以外に、人生に何を望みますか?それから、本当に望んでいるものを見極めましょう。何故それを望むのですか?ひとつの動機は常に、別の動機を排除するという誤解がないか気をつけてください。そうではないと、あなたは知っています。この点でも、他のあらゆる点においても、自分自身に正直であるよう努めてください。自らの質問に正直に答えることで得られる安心と恩恵は、その答えがどれ程否定的であろうとも、計り知れない程大きいものです。
そのような手順の最も傑出した特徴のひとつは、明確な動機の欠如や破壊的な動機の存在を認識した瞬間に、人生における原因と結果の法則が作用していると気づくことです。それによって、一部の人々は意識していたとしても殆どの人々が無意識である、不公平だという気持ちをあなたは瞬時に失います。人生に対する一般的な恐れ、未知への恐れについて話し合った時、あなたはその恐れの原因が常に、歪んだ神のイメージであることを学びました。気まぐれで罰したり、褒美を与えたりする恣意的な神がいることを、あなたは無意識の内に恐れているかもしれません。例えあなたが実際にそのような神を信じていなくても、それがあなたの人生観であり、あなたの役割なのです。もし自らを迷子で無力な、コントロールできない状況の餌食だと考えているなら、あなたは「チャンス」や「幸運」にすがりつこうとします。大海原を漂流する小さなボートのように感じます。時々海が荒れ、波が流れに逆らってあなたを運びます。人生が不幸をもたらすという意味です。そして時には、波が穏やかで「幸運な状況」にあなたを運んでくれるかもしれません。あなたは「どちらにしても、私にはどうすることもできない。」と言います。これは殆ど全ての人々に深く根付いた感情であり、人生におけるこのような概念を意識化することが極めて重要です。それに成功した人もいますが、それでも未だ出口は見えていません。「分かった、じゃあどうしたらいい?」とあなたは言うでしょう。
欠けているものが何であれ、その原因となる曖昧で混乱した目標を認識することで、答えは見つかります。この特定の混乱と動機の欠如は、あなたがそう呼びたければ、満たされないこと、あるいは成功の欠如の直接的な原因です。それをもたらしたのは自分自身であり、混沌とした宇宙や神ではないと気づくと、あなたの恐れや不安のいくらかは自然と薄れます。例え今はそうしていなかったとしても、好ましい状態を生み出す力が自らにあることを知るでしょう。少なくとも道は見えるでしょう。動機を明確にし、自らが本当に望むものを確立することを考え始めます。それは、あなたが望むべきだと信じているものではありません。そのように確立された動機を意識し、明確に定義し、目標に向かってワークしましょう。利己的な動機を未だ取り除くことができないかもしれませんが、それが存在することを認め、自分自身に対する正直さと明確な視野を持つことで、全く新しい内なる力とエネルギーが解放され、自らの運命に対する責任は自分自身にあることを理解するでしょう。そうすれば、意識的なものであれ無意識的なものであれ、未知の運命への恐れは無くなります。
友人の皆さん全員にとって、今の時点でこれらの問いについて考えることは非常に重要なことです。今日お話ししたことは、この教えに従ってきた皆さんにとっては、全く新しい訳ではないかもしれません。しかし、あなたは今おそらく、新たな明かりの下で私の言葉を理解し、より有効に活用できるでしょう。私の言葉はより深く響き、より建設的な取り組みができるようになるでしょう。
このテーマについて質問はありますか?
質問:混乱していると、質問するのはとても難しいものです。混乱しているからこそ、それが何かが分からないのです。あるのはただ感情だけです。
回答:その感情を言葉にしましょう。簡潔な思考へと落とし込むよう努めましょう。それが最も難しく、最も重要な部分であることは確かです。この方法によってのみ、混乱の根源に達することができます。想像するほど難しくはありません。落ち着いて、それをやりたいと思う必要があります。質問を簡潔に明確にしましょう。最初の質問が不十分でも問題ありません。あなたは最初の質問から、より核心をつき、根源に近づけるような更なる質問を引き出すことができます。そうすれば、単に問題の周辺を扱っていた初めの質問は取り除かれ、あなたは進むにつれ核心に近づくでしょう。
質問:しかし、人は自らを悩ませるのを止められないから混乱するのではないでしょうか?
回答:「られない」などということはありません。あなたの言い方からすると、解決策などないと考えているかに聞こえます。あなたは無意識の内にそう思っているのかもしれません。あるいは無意識の内に、自分では解決できないので、誰かから解決策を与えられることを望んでいるのかもしれません。それは全て誤りです。あなたが混乱を引き起こしたのですから、それを解決できるのはあなただけです。
質問:試してみることはできますが、大抵は小さなことでしかできません。
回答:その通りです。小さなことから始めてください。人生における本当に大きな問題は、あまりにも深くに埋もれてしまっているので、すぐには辿り着けません。しかし、外側の小さな混乱は、より大きな隠れた混乱の兆候です。従って、内的状態を示す為には、外的な出来事が必要なのです。日常の小さな混乱、それ自体は取るに足らない、または「重要ではない」ものこそ、まず取り組むべき最良のものです。あなたはそれを掴み、集中できます。あなたは、自らで把握できるものについてのみ考えや質問をまとめることができるのです。あなたを混乱させる、一見取るに足らない些細なことが、より深い混乱を招きます。これらの小さく些細なことのひとつを分析すると、必ず危機に瀕した生命力のある何か、あなたが混乱し、混乱させられている重要な根本原理が関わっていると気づくでしょう。従って、私が何度も言ったように、最善策、いや、唯一可能な方法は、日常的な出来事を取り上げてワークすることです。それは難しいことではありません。
質問:ふたりの人間が些細な顕現ではなく、重大な外的現象に巻き込まれている時、片方が自らを知り、自己認識を求めて努力した場合、他方がそうしなかったとしても、その状況は実際に変わりますか?それとも片方にとってのみ変わるのでしょうか?
回答:例え、片方だけがこのワークを行うだけでも状況は大きく変わります。勿論、両方が行う方がより望ましいですが、片方が行うだけでも多くの変化が起こります。混乱した思考や感情に支配されている限り、あなたは必ず相手の抱えている問題ある流れに影響を与えることになります。この世界で、感情、思考、反応、態度といったもの程、伝染力の強いものはありません。それは日常生活の中で観察できます。自己観察の訓練を積めば積む程、この真実に気づくようになります。例えば、相手があなたに対して非常に強い競争心を見せる時、普段は競争する気もなかったとしても、すぐに何かがあなたの内にかき立てられます。あなたは、自らの内にその競争心をもたらした相手と競争したくなります。あるいは、自らを見せつけたり、承認を得ようと戦ったりすることについて考えてみましょう。相手がそうすると、恐らく相手よりかは遥かに小さいあなたの内的傾向も影響を受け、前面に押し出され、あなたも同じことをしたいと思うようになります。肯定的であれ否定的であれ、良いものであれ悪いものであれ、どのような感情もそうなります。
あなたの葛藤、イメージ、誤認には伝染力があり、相手に即座に影響を与えます。しかし、自己浄化の道でワークをする人は、このような影響への免疫が高まっています。あなたはそのようなイメージや葛藤を解消し始めるだけでなく、伝染の法則に敏感に気づき始め、この気づきこそがあなたの免疫力を高めます。従って、あなたの無意識は益々、他者の否定的な影響を受けにくくなります。同時に、あなたは自らの問題を解決することで、相手の人格の健全でポジティブな部分にも、益々影響を及ぼすようになるでしょう。このワークによって気づきは高まります。そして気づきこそが、世界の悪に対抗する唯一の真の武器なのです。無意識の内では、ふたりは一方から他方へと悪循環を作り上げ、時と共にそれは益々悪化します。しかし、関わるふたりの間に善循環を築くには、片方が自己認識のワークをして、内的に最適な状態へと成長すれば十分です。
このワークがあなたの環境全体に及ぼす影響について、どれ程強調しても足りません。あなたの周りの誰もが、このワークから恩恵を受ける筈です。イエス・キリスト、仏陀、その他の偉大な導師達、かつて地上に生きた偉大なスピリット達の言葉を分析すれば、時に表現の仕方は異なっていたとしても、彼らの教えの中に、この気づきの必要性が示されていると気づくでしょう。あなたの放射が他者に直接影響を与えると知ることは、宇宙全体にとって非常に重要です。人々の間に対立があると、強いエネルギーが衝突します。この点では、各人のエネルギーは身勝手さの表現です。誰もが、自らが望むものは正しく、良いものであると信じています。しかし、あなた方は皆、閉ざされた世界の中で相手を見ずに、自らの明白な動機しか見ません。その動機そのものは良いものであっても、全体像を示すものではありません。
あなたは自らの動機の表面にしか気づいておらず、自らの動機も自分自身も完全に理解している訳ではないので、あなた自身とは現れ方がとても違う、他者の真の動機を理解できません。自らが「正しく」、相手が「間違っている」と確信すればする程、あなたの身勝手さのエネルギーは他者の内に益々強い抵抗を引き起こします。同時に、あなた自身もそれに対して、より強い身勝手さや強制的な流れで抵抗することになります。片方の人が、弱さや恐れから不当な要求に表面的に従うのではなく、無意識な動機と反応の理解を通して自己分析や内的成長という建設的なワークをすることによって自らのやり方を変えない限り、この絶望的で無益で疲弊する戦いをなくすことはできません。
質問:愛する人が本当に自分に誠実か、どうしたら分かるのでしょうか?真に成熟した愛とは、求めることなく愛することです。他の誰かにも恋している人を愛し続けるのは、成熟していますか?
回答:この質問は単純な説明では答えられません。しかし、様々な構成要素を分析してみましょう。
誰かがあなたに誠実かどうかは、どうしたら分かるのでしょうか?まず言いたいことは、ここには外的行為を過度に重視し、内的な状態を軽視するという、人間の昔からある誤解が存在するということです。そのことを私は非難も容認もしません。しかし、私は外的な顕現には関心がありません。問題の根源を考えようとするならば、外的な顕現は重要ではなく二次的な問題です。人が不貞行為を全く犯さない可能性もありますが、「貞節」の動機が、人を不貞に導く動機と同じ程度に不健全で未熟である可能性もあります。外的な貞節は、真の貞節ではないかもしれません。つまり、全体像から外れた外的行為そのものだけでは適切に評価できないということです。
では、外的動機と内的動機をどのように見分けるのでしょうか?自分自身とある程度距離をとり、問題となっている状況やパートナーの本当の気持ちを真に理解することを妨げる、子供じみた未熟で自己中心的な関心に気づかない限り、それは不可能です。より具体的に言いましょう。人が不貞行為を働いた場合、それは大抵、個人的な侮辱や拒絶と受け止められます。勿論、そうとは言い切れません。確かに、これが繰り返されるパターンであれば、それは未熟さの特定の側面を示していると言えるでしょう。それが何か分からないままに、何かを探し求め、切望しているのかもしれません。多くの場合、それは誤った方向へ向かう自己表現の探求や、同じく誤った方向に向かう自己主張への憧憬です。これは成熟した意識的探索とは対照的な、盲目的な探索です。このような行為を説明できる動機は数多く存在するかもしれませんが、全ての可能性を検討することはできません。
当事者がこのことを認識すると、個人的な痛みは取り除かれます。個人的に拒絶された感覚は、少なくともある程度は和らぐでしょう。しかし、そのような行為の真の動機を、単に理論的にではなく本当に認識するには、自分自身を理解するようになるにつれて得られる、唯一有効で建設的な内的理解を通してのみ可能です。その理解を通して初めて、あなたは相手を理解するでしょう。そして、まさにその理解によって状況が変わり、最早パートナーが不貞を働く必要がなくなる可能性も十分にあります。一夜にして無くなることはないかもしれませんが、不貞に対する欲望は着実に減少する可能性があります。
必ずしも唯一の理由ではないかもしれない、別の理由もあります。パートナーの両方に、そのような不貞さを引き起こす要因が数多くある可能性も十分に考えられます。この言葉を使いたいのであれば、このように裏切られていることに気づく人には、愛する能力が不足していることがあるかもしれません。このパートナーにおいては、自由で自発的な愛の表現が麻痺し、抑制されている可能性があります。しかし、このパートナーは外に向けて愛情を与える能力に優れている為、抑制は非常に微妙にしか現れず、すぐには分からないかもしれません。
このワークを通して自らの人格を探究すると、相手のまさに最も傷つきやすい性質の部分に絶えず影響を及ぼす、自らの微かな抑制に気づくかもしれません。その為、相手は不貞という形で応えるのかもしれません。何故なら、相手はまさにその自由な自己表現を求めており、それを表現できるようにすることをパートナーに求めるからです。誰もが真の魂の融合と一体化を切望しています。意識的に待ち望む人もいれば、無意識の内に待ち望む人もいます。又、それを恐れて抵抗する人もいるでしょう。だからと言って、切望が存在しないという意味ではありません。あなたの中に無意識の抑制や恐れが多ければ多い程、同じような抑制のあるパートナーを引き寄せます。両者とも、解放に向けて相手を助けられるだけ自由な、別なタイプのパートナーが必要なのかもしれません。しかし、変化しなければ、両者ともそのようなパートナーを引き寄せることはできません。自らの抑制を見つけ、それを解消できれば、現在のパートナーを解放へと促すことができるかもしれません。そうすると、パートナーは不貞を働く必要性を感じなくなるでしょう。あるいは、パートナーがあまりに未熟だと分かった場合には、自らの変化した性格により合っている別のパートナーを引き寄せることになるかもしれません。
自分が何らかの点で不十分であり、パートナーに十分な満足を与えられないと考えると、大抵の人は強い反応を起こします。感情は自己憐憫でいっぱいになります。「かわいそうな小さな私。私は十分ではない。」自分ではどうすることもできず、生まれつき不十分であるかのように。いいえ、それは真実ではありません。あなたの真の価値が危機に瀕している訳ではありません。しかし、成熟した愛を与える代わりに愛されることを求める子供じみた切望によって、又、自己中心的な関心とプライドの表れである恐れ、抑制、恥によって、相手の不貞を助長しているかもしれません。何かを失うことを恐れて、あなたは真の自己を隠します。そうすることで、実際あなたにとって最も大切なものを失うことになるかもしれません。何故なら、それが自然の法則だからです。
とても微かであったとしても内的に何が自分に不足しているのかを学ぶこの質問に、勇気と建設的な自己分析の精神をもって取り組めば、安らぎを与えてられるだけでなく、これまであなたの内で完全に隠されていたものの解放を可能にする深い洞察が得られるでしょう。それはあなたが気づいていない、真の自己です。それが何か、どのように現れるか、あなたは知りません。真の自己によって、あなたは建設的に与えられるようになります。自傷、従属、自虐的な自己懲罰といった態度に屈することなく、与えること愛することに創造性を出し惜しむこともありません。本物の「あなた」を偽りの「あなた」と置き換えることもなくなります。
今の自分がどれ程、真の自己ではないかに気づくまで、この道での多くのワークが必要です。このワークの初期では、これは単なる言葉に過ぎません。一生懸命ワークに取り組み、いくつかの主要な洞察を得て、おそらくいくつかの古いパターンを変えることに成功した後、あなたはこの言葉を完全な意味で理解するでしょう。人生を通して、自然で、美しく、自然発生的に正しい反応を生み出す真の自己が、いかに絶えず妨げられてきたかに気づきます。あなたの真の自己は多くの場合、パートナーが無意識の内に探し求め、必要としているものです。そして、それが見つからない場合、パートナーは状況が理解できていないので、他の何処かで探し始めます。充実が自然で必然となるように、内側から真の自己を解放する為に内側に向き直るのではなく。
言い換えれば、そのような状況がある場合、両者が何らかの形でその状況に貢献したとして、双方に責任があるとみなすべきです。この責任は、状況は変えられるという建設的な精神で受け入れるべきものです。何者も無力ではなく、例え十分に優れていなかったり、十分に愛らしくなかったりするからといって、辛い運命に耐えねばならない訳でもありません。そのように考え、感じる時、あなたの内に存在する最も不健全な部分が声を出しているのです。あなたの内なる子供は、子供であることを放棄したくないし、抱きしめられ甘やかされたいと思っています。自らの人生に気をかけずに、むしろ誰かに世話をして欲しいと思っています。内なる子供がこの状態に留まるという主張がどれ程間接的、あるいは微妙な表現であっても、人は不幸、無力感、絶望という、非常に高くて不必要な代償を支払うことになります。
真の意味で大人になるということは、あらゆる否定的な出来事を受け止め、自らがその出来事にどのように貢献したのか、それから何を学べるのか知ることです。あなたはハートの奥底で、真実だと知っている答えを必ず見つけます。この真実が、あなたを自由にするでしょう。もしあなたが人生に対してそのような態度を取らず、大人になることを選ばなければ、あなたは自分を無実の犠牲者だと信じ込みます。迫害され、不当な扱いを受けていると感じ、自己憐憫に浸り、無力で小さな可愛い子供になります。例え多くの苦しみを味わったとしても、このような役割を演じる自分を好きにさえなるでしょう。この話は特定の誰かに向けられたものではないことを知っておいてください。これは非常によくあることです。
質問:この質問をした人が言いたかったのは、「自分だけではなく、他の誰かにも恋をしている相手を愛している場合、そのようなパートナーを愛し続けることは成熟しているのか?」ということだと思います。
回答:そうですね、答えはこのテーマでお話ししたことに含まれていると思います。そのような状況が続くのであれば、幸福は得られません。それはパートナー双方に問題があることを示しています。自己探求の可能性や知識を持つパートナーは、自らの障害を見つけようと誠実に努力すべきです。そうすれば、いずれにせよ状況は、可能な限り最も自然な形で変化する筈です。自らの感情にも、相手に対しても、強制的な手段を用いる必要はありません。そのような強制的な手段は、実際には決して効果がありません。有機的で自然な成長は、有機的で自然な変化をもたらします。
もしある人が、ふたりの人に恋をしてしまう程に内面的に分裂している場合、相手にしている両方のパートナー共に、そのような相手を引き寄せる、それ相応の未熟さと分裂を内面に抱えているに違いありません。繰り返しますが、そのような引き寄せを可能にする、内なる障害や分裂を見つけることに、その薬(解決策)があります。
「愛してはいけない」と言うのは無駄です。感情を本当に変えられるのは、それを理解する時のみです。抑圧しても変えることはできません。そして、理解は私が常にお話ししている手順によってのみ得られます。この手順が続く間は、外的な状況が耐え難いものにならない限り、人生に大きな変化をもたらそうと試みることさえすべきではありません。この時期、人の感情は自虐的な従属性と、相手に対する敵意に満ちた恨みの間で揺れ動くのが普通です。どちらの感情の根底にも、強く執着する強制的な流れがあり、大声で訴えています。「私は欲しい!欲しいものを手に入れるには服従して不当な扱いを受け入れるか、あるいはこれ以上耐えられないと憎むかだ。」これら全ての感情は、その根源に深く迫るまで観察し、最後まで追求すべきです。友よ、これが唯一の方法なのです。
質問:創造性について質問したいと思います。教師として、私は何人かの生徒に独立心や創造性の兆しがあることに気づきました。しかし、どういう訳か、彼らの多くはその才能を伸ばすことができません。私たちの教育制度には、このような創造性の発揮を妨げる何かがあるのか、お尋ねしたいと思います。このテーマについてお話し頂けますか?
回答:第一に、現在の教育制度については、理想だけでなく現実的にも、本来あるべき姿、そしてあり得る姿からは言うまでもなく大きくかけ離れています。いつの日か、その姿は実現するでしょう。現在、教育は細分化されています。あらゆる知識の分野を結びつける統一原理は、完全に軽視され、無視されています。その結果、人間のマインドは多くの分野、多くのテーマ、これら全てが分離しているという考えの下で発達します。知的概念によって育まれた分離は、魂の力を逸らし、内なる分離を増大させ、創造性を阻害することになります。創造性は全体性の中でのみ機能し、分離や区分化においては機能しません。
教育において最も重要な側面は、統合性です。若い人々に、あらゆる知識の分野には、ひとつの統合された共通項があるという真実を示す必要があります。それを強調することで、最終的には魂の流れに作用し、影響を及ぼすでしょう。それは間接的に、彼らが統合へと向かう助けとなるでしょう。
しかし、より直接的な方法として、知識の統一性を重視することと並行して育むべきは、自らの個人的葛藤を処理し解消する力です。前世での発達によって人格がより逞しければ、現在の問題はより弱い結果となり、創造力はより自由に流れます。そのような人々にとっての自然な態度とは、問題によって思考停止に陥るのではなく、問題に対処し、その体験を吸収して成長することです。この態度が優勢であればある程、創造性は更に顕在化するでしょう。その態度の存在が薄ければ薄い程、創造性は更に埋もれることになります。そのような場合、自己探求や内的な再教育のワークが最も重要です。しかしいかなる場合でも、新たな人類を創造する為に最も重要なのは内的な再教育であり、いつの日か、このパスワークにも似た治療、不健全な流れの治療が、人生の一部分として自然に受け入れられるようになるでしょう。それは、成長期にある全ての子供達にとって、教育の不可欠な要素となります。これは教育の基礎となるでしょう。世界はこの目標に向かって進んでいます。
この問題に向き合う上でのもうひとつの側面は、家庭における異なる教育的アプローチです。これは、親が再教育を受ける必要があるという意味です。親は親としての責任を十分に受け入れられるよう最大限の自己探求に取り組み、親自身の問題が子供に及ぼす影響と重要性を、親自身が理解できるようにする必要があります。そうして、親の健全で成熟した愛の能力は最大限に高まり、子供達にも良い影響を与えます。子供達は頑固さ、麻痺、イメージ、問題を抱えることがより少ない状態で成長するでしょう。
おそらく皆さんの内の何人かは、今生で、この話に沿った変化の体験をする人もいるでしょう。
質問:教師が個人として、実の子供ではない生徒の創造性を促す為に、何ができるのかも知りたいと思います。
回答:教師ができることは、何よりもこれらの気づきを得ることです。例えあなた方の世界の状態があるべき姿、あり得る姿から未だ程遠くても、そのことを認識するだけで役に立ちます。
教師の自己探求や成長の必要性については改めて述べるまでもありません。何故なら、それはあまりにも明白なことなので、あえて強調する必要はないからです。このような自己成長と、あるべき姿との比較の上での一般的な現状認識によって、教師は各生徒が何を必要としているかについて十分な直感的洞察を得られるでしょう。この道を進むことで、直感的知覚がもたらされることは皆さんは既にご存知です。
教師がコーリング(呼びかけ、使命)を最大限に果たしたいと真に望むのであれば、その人の最も重要な動機のひとつは助けたいという内なる欲望です。この動機は優勢で、明確で、利他的な動機でなければなりません。それは意識的に洗練すべきであり、薄れたり弱くなったりした時には抑制し、その美しさの全てをもって前面に出てきた時には強化されるべきです。この動機は常に明確にされ、育まれなければなりません。無私無欲に助けたいという内なる願いは、祈りと意図によって表現されるべきです。それを行動の中で育てようとするエネルギーも、決して放置してはなりません。それも又、確認され、育まれなければなりません。毎日少なくとも、ひとりでも若者が豊かに育まれるように、という願いを形にすべきです。そうすれば、導きやインスピレーションは自然に訪れるでしょう。このような援助は大抵とても精微なものです。おそらく種は蒔かれ、このように取り組もうとする教師には、それが何処でどのように行われたのかが分かるでしょう。
質問:私はグノーシス主義について少し勉強しています。ここで説明されている教えは、多くのグノーシス主義の思想にみられるものと非常に似ていると思います。もし似ているのであれば、グノーシス主義が衰退し、事実上消滅した理由を説明して頂けますか?
回答:グノーシス主義は消滅していません。それは再生し、常に異なる形で現れ続けています。再生しなければならないという事実は、あらゆる真実が、それを理解する準備ができていない大衆によって常に弱められ、歪められる傾向があることを証明しています。真実を理解する少数の人々がこの世を去り、多くの場合、その教えの遺産は、善意と意志に満ちていながらも真実を正しく扱うことができない人々の手に委ねられ、真実は薄れていきます。時が経つにつれ、真実は次第に硬直し、真実ではなくなります。新たなチャネルが生み出されなくてはならず、まさに同じ真実が、その時代の文明や特徴に適応した新たな形で再び現れるのです。
歴史上、特定の人々を通して真実が伝えられなかった時代は一度としてありませんでした。真実は教えられ、広まりましたが、既にお話ししたように、大多数の人類はそれを内面的に用いるには、依然として未熟過ぎました。彼らは外的な規則や規制を設けることで、真実を歪めるような制限を課しました。宗教の歴史を詳しく研究すれば、伝統的なものを含めてあらゆる宗教には、真実の生命の輝きがあることが分かります。しかし、宗教が広がるにつれて真実は薄れ、ハートと魂ではなく文字だけの宗教となってしまいました。
人類は真実や宗教の本質を理解しません。何故なら、理解したくないからです。考え、向き合い、自己責任に基づく決断を下す必要がないように、教義や規則に頼りたがります。このようにして、真実は歪められます。このようなことは太古の昔から続いており、残念ながら今後も暫く続くでしょう。しかし時が経つにつれ、新しい真実のそれぞれの現れは、真実を切望するまでに魂が進化したより多くの人々の間で、少しずつより深く浸透していきます。
常に全く同じ言葉で理解される訳ではないとしても、数百年前、あるいは僅か50年前と比べても、今日では遥かに多くの人々によって真実が理解されているのが分かるでしょう。特定の科学や心理学の普及が、この理解に大いに貢献しています。心理学の本質や根源も十分に深く探究されれば、常に精神まで達し、いつの世も数少ない賢者達によって示されてきたように、本質的な霊的真実が明かされるでしょう。
質問:ここで、ひとつ指摘しておきたいと思います。キリスト教、特にカトリック教会は今日までなんとか生き残りましたが、あなたの教えにより近いグノーシス主義は生き残れませんでした。より偉大な真実の方が、活力に欠けて見えるのは理解し難く思えます。
回答:外的な力は、しばしば外的な成功をもたらすかもしれません。おそらく、より多くの真実がグノーシス主義に根づいていただけで、それを実践する人々の原動力は弱かったのかもしれません。しかし、あまり目立たないからといって、真実の内なる力によってもたらされる真の意味での成功が、より少なかったという意味ではありません。言っておきますが、外的な顕現はあなたに不公正を信じさせるかもしれません。個人についても同じです。実際は利己的で、成熟さや愛にかなり欠けているのに、外的にはとても成功している人がいるのは何故かと疑問に思うことがあるかもしれません。ここで、私達は成功の真の意味について合意しなければなりません。ビジネスマンは、外見上は「成功」し、権力を持ち、経済的に安定しているように見えたとしても、内なる動揺、不幸、罪悪感、不安でいっぱいなのかもしれません。それは、あなたには決して知ることができません。何故なら、いかにも説得力のある見せかけを掲げているかもしれないからです。従って、幸福、内的な安心感、内なる平和といった、本当に価値があるものという意味合いでの成功はしていません。
同様に、あなたが言及した強力な教会は、外的には成功したかもしれませんが、内的にはそれ程成功していません。あなたはグノーシス主義の無視された真実の教えは、あなたが知る限りその信者が少ない為、外的には弱く見えるのでしょう。しかし内的には、あなたが全く見ず、知らずにいる力を保持しています。あなたは、それが宇宙の力に及ぼす強い影響を完全に無視するかもしれません。「成功した宗教」が持つ外的な力の範囲に関わらず、それは少数でも多数以上の比べものにならない程の強い影響力を持ちます。
ここでも又問題となるのは、外的な顕現に集中せず、物事の内的な意義を知覚するように意識を訓練することです。その観点からすると、成功はあなたが考えている所にはありません。多くの人がその教会の信者かもしれませんが、そうでない人の方が遥かに多いのです。そして、信者であっても中途半端だったり、表面的だったりして、その教えが本当は何のことなのかは本当には理解していない者が多いのです。それは強さではなく、そのような教会は成功しません。同時に、あからさまな力を持たなくても真実の教えに集中する数少ない人々は、歴史の様々な時期にどのような形で現れようとも、人間の目では測ることができない痕跡を宇宙に残します。真の意味での普遍的な成功にとっては、ほんの一握りのそのような人々の努力と理解の方が、何千もの人々が教会に通うよりも重要なのです。
皆さん、最も聖なるものの名において祝福を。道を更に進み、障害を乗り越える助けとなり、あなた方の内にある光、融合、全体性に向かっての奮闘が成功するよう、私達の力と愛を受け取ってください。平和の内に、神の内に。
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