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No.98 希望的空想

Pathwork Guide Lecture No. 98
1996年版
1962年2月16日


希望的空想
WISHFUL DAYDREAMS


 最愛なる友人の皆さん、ようこそ。神は皆さん一人ひとりを祝福しています。この時間は祝福されています。

 この道を一歩ずつ進む度に、あなたは宇宙の力強い永遠の流れに近づきます。それを生命力、神の側面、純粋な理性、純粋な愛、純粋な存在と呼ぶこともできます。小さな勝利の一つひとつが偉大な自由と、永遠の流れの一部であることの無限の喜びを垣間見る機会を与えてくれます。人類は利己主義、自己中心性、恐れ、臆病といった心の中にある障害物によって、この流れから切り離されています。例え、一瞬の認識によってでも、これらの障害物が部分的に取り除かれる度に、人々は自由、再生、人生の意味をより大きな尺度で経験できるのです。

 私達の観点からすると、あなたは分離の壁の背後に自らを閉じ込めているように見えます。この壁は役に立たない、幻想上の自己防衛の形態です。結局のところ、これは幸福と自由を妨げる単なるバリケードです。ですから友よ、自らの障害物を解消するのは、永遠の流れという大いなる流れに入ることが目的なのだと常に理解してください。生きることの究極の動機は、人生を意味深いものにすることです。しかし、この流れに溶け込まない限り、それは実現できません。

 多くの人は、意識的であろうとなかろうと、人生は無意味だと感じています。自己発見を成功させるだけでなく、人生に新たな意味を見出す為のもうひとつのアプローチがあります。それには、あなたがすること、あなたが望むことの目的を自問してください。その目的には、他者も含まれていますか?それとも活動そのものから得られる満足感が目的でしょうか?あなたの人生に意味を見出したいなら「私は自らの目先の即時的なゴールのために奉仕するだけではなく、他者にも同じく意味、援助、幸福をもたらしたい。」という思考を育んでください。もし、このような思考が真摯であれば、これ以上に素晴らしい祈りはあるでしょうか?このような祈りが叶えられない訳があるでしょうか?

 内なる人格はしばしば意識せずに、そのような欲望を育てることがよくあります。そうすると物事が動き始めます。逆に、外的に善意があったとしても、内なる人格が分離の壁から去ることに抵抗するかもしれません。そうすると、何事も起こりません。人生は無意味なままです。真に生きることは絶えず先送りされます。そのような場合、自分は内なる孤立を手放すつもりがないことに気づいてください。あまりにも恐れがあり、利己的で、否定的な意味で自己中心的過ぎる為に、自分と他者の間の壁を取り壊すことができず、それ故、人生を十分に経験することができないのです。

 私の友人達の多くには、このような新しいアプローチは重要かもしれません。それは、差し迫った人生の問題に対処する為のより直接的な方法かもしれません。もし、あなたが進歩できず、自らの存在の退屈さと無意味さを和らげる十分な新しい洞察が得られないのであれば、普段のワークの方法や内的探求と併せて、このアプローチを試してみてください。もし、あなたが他者に与えることに消極的であること、与えるとしても義務感から与えているだけであることを確認できれば、その気づきはあなたに変化をもたらし、内なる孤立を手放す準備を整えてくれるでしょう。

 さて皆さん、ここで希望的空想という新しいテーマについてお話しようと思います。その起源、弊害、恩恵について理解しましょう。何故なら、それは当てにならないことが多いのですが、恩恵があるからです。

 基本的に、希望的空想は二種類あります。ひとつは、衝動から生じる思考によるものです。これらの衝動は、理想化された自己像、自己賛美、不足感、自信の欠如に関連しています。時に意識的であっても、空想にふけらない人間はいません。空想の中で、あなたは自分を軽んじてきた人達に、自分がいかに優れて偉大であるかを示す自らの姿を見ます。そのような空想では、あなたは軽んじられることなく、称賛され、満足感、復讐、満たされたプライドを味わいます。そうして、根深い不足感や劣等感とは正反対の生き方を楽しむのです。好ましくない現実を空想によって「修正」します。

 貴重なエネルギーをそのような希望的空想に費やすのは、明らかに有害です。そのエネルギーは、自らの不足感の根源を見つけ出し、それを解消することで遥かに建設的に使えるものです。そのような空想の中で生きていると、一時的な安らぎを得られるかもしれませんが、それは全くの幻想に過ぎません。空想は現実逃避であると言うだけでは不十分です。それは事実ですが、どうしてそうなのかをより正確に理解しましょう。過ちを犯して誤認に執着している自分自身についての真実を見出すことに抵抗すれば、自らを受け入れることはできません。同様に、他者や人生全体との折り合いをつけることもできません。少なくとも、問題によって影響を受けている領域を受け入れることは学べません。そこで、あなたは空想の中でその逆を体験して、その不足感を取り除こうとします。ファンタジーが退屈な人生に気晴らしを与えるのは事実です。しかし、そのような気晴らしを手に入れると、問題の因果関係を見出し、より建設的なパターンを確立しようとする努力が阻まれます。

 しかし、空想には恩恵もあります。現実的な解決策を求めていない為、空想の中で人生を修正する行為は、攻撃性、敵意、破壊的衝動を取り除きます。もうひとつの恩恵は、空想が症状として作用することです。症状がなければ、どうして病気を見つけられるでしょう?もし、身体的疾患が内臓に隠れて症状を表さなければ、手遅れになる前に原因を探って治療する機会はありません。魂の生活にも同じメカニズムが当てはまります。

 しかし、大抵の人は空想という症状を楽しみ、それが何かを認識しようとはしません。その為、その恩恵は受けません。人生をより良くする為に、空想への欲望を抑制するだけでは、何の役にも立ちません。それでは別のはけ口や症状を伴う、より大きな不安を引き起こすでしょう。空想の特定のパターンを観察することで、空想という活動から少し距離を置くのが良いでしょう。それらを書き留めてください。その全般的な目標を認識してください。そのことは、あなたの問題の根源に関わる貴重な材料を提供してくれるでしょう。空想を抑圧したり、観察や理解を試みることなく耽溺したりせず、空想を有益な症状として捉えましょう。そうすれば、それが未だ必要と思われる限り、破壊的な行為を建設的なものへと変えることができます。あなたの心は現実の人生を愛せるようになり、その程度に応じて空想を手放すでしょう。そうして、空想は自然に消え去ります。この消滅は、自然で有機的なプロセスでなければなりません。

 希望的空想のふたつ目のタイプは感情的なもので、衝動ではなくニーズから生じます。抑圧され、認識されないニーズは、抑圧されているという理由だけで、更に強い力を生み出すことがあります。この力には、はけ口が必要です。健全な欲求の充足が、偽りの解決策、非現実的な恐れ、誤ったイメージによって歪められ、建設的なエネルギーや機知が麻痺してしまうならば、想像というはけ口は必要となります。その場合、肉体的、感情的、精神的、霊的な充足は、空想の中でしか得られません。これは真の安らぎであり、退屈な現実からの単なる逃避ではありません。

 孤立を手放すつもりがなければ、ニーズを満たすことはできません。そのテーマに関する以前のレクチャーからもご存知のように、あなたは自らのニーズへの気づきを抑圧するか、本物ではない偽りのニーズに置き換えてしまいます。この置き換えは、混乱や葛藤を引き起こします。それはあなたの自発性、感じる力、生きる力、現実を体験する力を麻痺させます。その結果、多くの悪循環が生じ、破壊的パターンから抜け出すことが更に難しくなります。心は現実の生活を奪われることを拒む為、蓄積されたプレッシャーは多くの場合、何らかのはけ口を必要とします。そうすると、空想の中で何らかの充足感を経験するかもしれません。自らの空想を観察し評価することは、それらを分類するのに役立ちます。あなたは真のニーズと偽りのニーズの両方で、充足を生み出している可能性が高いでしょう。

 空想の充足で満たされれば満たされる程、その充足を実現する為に問題を解決しようという動機は薄れます。空想の中では、あなたは孤立の壁に隠れて自分だけの人生を生き、他者の干渉を受けることなく、障害物に遭遇することもなく、全て自らの思い通りにすることができます。こうして、空想は人生よりも好ましく思われます。しかし、このような空想に生きれば生きる程、外的な障害物に対処できなくなり、空想の力に取りつかれます。最終的に、あなたは人や状況を選んだ通りにすることができないので、現実の充足は不可能だと考えるようになるでしょう。勿論、充足に対するこの否定的な見方は全くの誤りです。何故なら、あなたが望む時、望むように物事が起こらなかったとしても、充足は可能だからです。しかし、柔軟になり、人生の流れに身を任せない限り、充足は得られません。現実で満たされることは不可能だという無意識の確信の為に、あなたは生きることから完全に引きこもり、自らのニーズを本当に満たすことへの努力をしなくなるかもしれません。不安定な偽りの充足は少なくとも何かしらのものであり、今この時の現実で経験できるものより遥かに大きなものに思えるでしょう。このことが、あなた自身に当てはまるかどうか、又どの程度当てはまるかを判断してください。これは、とても健全で役に立ちます!

 こうした空想は、あなたが現実での充足を求めることを促すかもしれません。その場合、空想には確かに有益な効果があります。それは、あなたがどのレベルで空想するか、その空想に対してどのような態度を取るかによって決まります。

 未熟な人であればある程、空想は「成功」し、「今ここ」にある彼らの人生を生きる力も意欲も低下します。彼らは空想の中でしか得られない、状況の完全なコントロールを望みます。これは逆にも作用します。つまり、あらかじめ考えていた思いとは完全に一致しない外側の状況と、柔軟でレジリエントな態度で出会おうとすると、自らの充足を経験する力が低く感じられるのです。他者を思い通りに行動させ、感じさせ、反応させることができる空想と、柔軟性や忍耐を必要とする現実は多くの場合で異なっており、その乖離は未熟な人にとって大き過ぎます。その為、彼らは今日の空想が明日の現実になることを期待しながら、未来の充足という空想の世界に生きることを好みます。当然ですが、明日が来ることは決してありません。現実は、空想の中で苦労して準備された幻想と一致することは決してありません。それが、フラストレーションを生じます。実のところ、現実は空想とは比べものにならない程の満足感を与えてくれますが、それには勇気と柔軟性が必要です。全てをコントロールするニーズを手放し、青写真を捨て、自然発生的に生きねばなりません。

 このこと全てから、空想することの弊害は、現実に生きることを妨げる可能性であることが明確になったでしょう。

 では、このような空想にはどんな恩恵があるのでしょう?空想はより多くの洞察を得られる症状を示し、より充実した人生を送る為の働きかけとなるかもしれません。又、内なる変化のバロメーターとしても機能します。空想の感情的な質の違いや、空想から得られる満足の種類は、まさにあなたの成長の方向を示すものかもしれません。それらを見極めることは非常に有益です。

 更に、この種の空想は抑圧されたニーズへの気づきを促します。それがどれだけ重要かは、既によくお分かりのことでしょう。しかし友よ、多くの場合、あなたは自らのニーズを漠然としか気づいていないか、気づいていてもきちんと評価していません。空想の中でしか、これらのニーズを感じることを自らに許しません。現実の生活に足を踏み入れた瞬間、あなたはこの気づきを切り離し、この部分があなたの人生の残りの部分とはまるで何の関係もないかのように生きるのです。現実の人生に対するあなたの反応は、意識を高めることで修正できる分離を創り出します。つまり、空想による弊害は、それが現実の生活にもたらす筈の恩恵を活用できていないことにあります。

 空想への認識が高まると、多くの恩恵を得られます。この道を歩むあなたへのアドバイスは、空想にふけっていることに気づく度に、新しいアプローチを展開することです。緊張、強制、プレッシャーなしに、穏やかに静かに観察し、判断しましょう。自分自身、あなたの真の欲求、衝動、空想での偽りの充足感、その目的について学ぶことで、空想を本来あるべき有用な症状にしてください。

 では、このテーマに関する質問はありますか?

 質問:私はよく空想します。やめると恐れが活発になります。恐れが和らぐと、又空想を始めます。何故でしょうか?

 回答:友よ、それはどちらにも同じ共通項、同じ根源があるからです。どちらも自己疎外の表れです。意識的な恐れが真の恐れではなかったという、あなたの最近の発見から、そのことはよくお分かりでしょう。それらは置き換えられた恐れです。向き合いたくない基本的な恐れ、つまり自分自身であることの恐れではなく、あなたが抱きたいと思う恐れなのです。真の恐れではないので、それは空想と同じ逃避メカニズムを表します。あなたは代替の恐れ、又は代替の充足のいずれかを経験します。自分自身になるという問題に取り組まないので、あなたは誰もが内側で求めている充足感を得ることができません。その為、代替の充足を創り出し、空想の中で部分的に経験します。まるで「真の恐れと向き合わなくても良いなら、他の恐れがあっても構わない。しかし、この態度でいる限り満たされることはないので、代替の充足が必要なのだ。」と心が言っているかのようです。両者は互いに結びついています。これが、空想の中で偽りの恐れと偽りの充足を交互に経験する理由です。

 質問:空想と恐れを具体的に結びつけることができません。

 回答:その必要はありません。自分自身であることを恐れる理由と向き合い、そこから成長すれば、他の部分もうまくいきます。もし望むならば、自らの空想の本質と恐れの本質を観察し、今お話しした繫がりを見つけることができるかもしれません。

 質問:衝動とニーズの違いは何ですか?

 回答:ニーズは人間の極めて基本的な機能です。ニーズは偽りのニーズに置き換えられたり、上書きされたりしない限り、真実のものです。衝動は、先にも述べましたが強迫観念から生まれます。強迫観念は、誤認、イメージ、自らへの信頼の欠如、理想化された自己像、偽りの解決策に頼ることから生まれます。これらの欠点が強迫的な衝動を生み出します。一方、ニーズは不健全な望みに変化する可能性があります。

 質問:もし人が全く空想しない場合、それは想像力の欠如の兆候なのか、あるいは成熟の兆候なのでしょうか?

 回答:成熟の兆候にもなり得ますが、必ずしもそうとは限りません。この質問に二者択一で答えるのは、性急で単純化し過ぎでしょう。意識的に空想をしない場合、何かを示している可能性もありますが、必ずしも想像力の欠如を意味するとは限りません。これはあまり意味のないレッテルです。想像力の欠如とは何でしょうか?創造力が抑制されているのかもしれません。意識的に空想にふけらないということは、諦めや停滞の兆候かもしれません。これは逆説的に聞こえるかもしれませんね。何故ならたった今、現実の生活を犠牲にして、過剰に空想にふけるのは不健全だと話したばかりですから。そして今度は、空想にふけらないことは未解決の問題の症状かもしれず、それも又不健全であると言っています。しかしながら、これはよくあることです。

 症状があることは、症状の欠如と非常に類似した何かを示す場合があります。実際の生活を犠牲にして空想にふけり過ぎるのは、心の一部が生きることを諦めていることを示しているかもしれません。逆に、空想することが少な過ぎるのは、内なる諦めを示しているのかもしれません。どちらなのかの正確な判断は、空想の種類やその他の考慮事項によって左右されます。

 意識的な欲望、願望、目標、これらの喪失、又はこれらに対する絶望感は、孤立や分離から抜け出る勇気がない為に生じており、生命力を麻痺させ、最早いかなる方向への努力もしなくなる可能性があります。例え、空想の世界の方向でさえも。しかし、単純な答えを出すことはできません。

 質問:若い頃に空想にふけるけれど、年を重ねて、もう目標には手が届かないと分かると、空想を完全に諦めることはよくあることではないでしょうか?

 回答:勿論です。しかし、空想は諦められてはおらず、単に異なる形に変わっているだけという場合も多いものです。

 質問:私は調和と幸福について混乱しています。私は常にそれらは同じものだと思っていました。又、宇宙の法則は調和的だと言われますが、全く調和していない自然現象も沢山あります。

 回答:あなたはこれらの法則の断片しか見ていません。全体の一部の断片を見ても、その意味は理解できず、従って調和も理解できません。高次の存在の状態では、愛、真実、叡智、そして他のあらゆる神聖な顕現が全てひとつであるのと同様、調和と幸福は同じものです。しかし事実、断片は全体とは対極に見える場合もあります。その人の発達レベルが低い程、これらの顕現は同じものには見えません。例えば、真実は少なくとも一時的に痛みを引き起こすこともあります。いかに不快な真実であっても、それは霊的に発達した人にとっては解放感をもたらすものとなり、愛と矛盾するものではありません。発達レベルが低い人程、不快な真実を厳しく、愛のないものとして経験します。魂の不完全性と分離が存在する所に、概念の分離も存在します。全てがひとつになり、これらの概念が統一されるのは、発達の進行と共に起こり、それと共に現実への気づきが高まります。現実の中にいればいる程、視野は広がり、多くの小さな断片によって全体が構成されます。この融合は、個人においても、又宇宙においても感知されます。

 創造の中における宇宙の全ては、その特定の宇宙領域に生きる存在の平均的な状態に準じます。従って、宇宙の法則における調和は、時に一見困難として表現されることもある筈です。この困難がなければ、統一は起こり得ません。友よ、これは神による恣意的な罰を意味する訳ではありません。それは環境の条件に応じて作用する法則に内在するものです。例えば、湿気の多い環境と乾燥した環境では、電流は異なる現れ方をします。宇宙の法則の強大な力は、その時々の「傾向」によって決められます。言い換えると、あなたが法則をどう扱うかによって、その現れ方は変わるのです。それを意識的に行うか無意識に行うかは関係ありません。つまり、法則は時に良い結果をもたらすことも、一時的に悪い結果をもたらすこともあります。しかし、それさえも最終的にはバランスを確立することを目的としています。

 質問:未解決の問題があり、それを解決しようとリラックスして眠りにつくと、目が覚めた時に解決策が見つかることがあります。この場合、無意識のマインドが解決したのでしょうか?

 回答:どのような用語を使うにせよ、無意識の意味について知っておくべき重要なことは「 気づきの欠如」ということのみです。無意識である時に気づきはありません。勿論、無意識にも程度はあります。あなたの無意識のマインドを完璧で賢明な超人、又は怪物のような動物のどちらか等と想像しないように。無意識に対して極端な態度を取る人が多くいます。無意識のマインドが必ずしも、あなたの真の自己、ハイヤーセルフ、あるいはあなたが否定するローアセルフと関連している訳ではありません。どちらの性質の側面も、部分的に意識的であり、部分的に無意識的である可能性があります。

 例えば、あなたは自らの特定の側面や一般的な概念は意識しているかもしれませんが、それらの全体的な意義は意識していません。あなたの意識は完全に欠如している訳でも、完全に存在している訳でもありません。そこにはある程度の気づきが存在するのです。

 無意識のマインドに指示を与え、眠っている間に問題を解決できるのは、あなたが気づいていない知識があるからです。寝る前に解決策を見つけるよう意志を集中させる等、特定のリラクゼーションや集中した状態になると、無意識の知識が気づきの表層に到達することができます。この地球上でのあなたの努力の全ては、自らの内に既に蓄えられているものへの気づきを高めることにあります。そのようなリラックス状態に入ることで、スピリットのヘルパー達が、あなたの知識を表面化させる助けを提供することも可能になります。言い換えると、それは霊的世界と、あなたの真の自己との働きの融合なのです。

 そのような気づきに必要なのは、あなたの内なる意志の建設的な働きです。従って、人が混乱や問題と向き合い、例え利己的な目的を諦めることになっても、可能な限り最善の方法を用いて解決したいと心から願うなら、その人は内なる開放的な状態を創り出し、そこに宇宙的で真実の生産的な力が働き始めることができます。混乱に対処せず、何に混乱しているのかを十分に認識していなければ、そのような答えは出てきません。従って、殆どの場合、意識的な努力が必要です。勿論、時に本人が気づいていない無意識の欲望が存在していることもあります。

 皆さん一人ひとりに祝福を送ります。これらの言葉から恩恵を受けられますように。あなたの問題、あなた自身、人生経験へと向かう新たなアプローチの助けとなりますように。皆さん一人ひとりに祝福を。皆さんの素晴らしい努力が祝福されますように。人生で何をしようとも、誠実に自分自身を見つける一歩一歩に、大いなる意味があるという知識を喜びましょう。それがあなた自身のみならず、多くの人々、宇宙全体に影響を与えることに未だ気づいていないとしても。平和の内に、神の内にありなさい!

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