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No.226 自己へのアプローチ「ローアセルフを容認することなく自らを許すこと」

Pathwork Guide Lecture No. 226
1996年版
1974年12月18日


自己へのアプローチ「ローアセルフを容認することなく自らを許すこと」
APPROACH TO SELF -- SELF-FORGIVENESS WITHOUT CONDONING THE LOWER SELF


最愛の友である皆さん、ようこそ。ここにお集まりの皆さんそれぞれに祝福を。皆さんが、与えられた愛と祝福で包まれますように。

今夜のレクチャーでは、全ての人間、全被造物にとって何らかの形で永遠の道となる、道における特定の様相について探究したいと思います。友よ、あなたが今いる発達段階において、その道のプロセスをいかに前進させられるかについてお話ししたいと思います。この特定の段階では、あなたは自らのより深い存在のレベルにおいて、より深く理解せねばならない障害を見つけるかもしれません。その障害を取り除き、自らが益々その永遠に動き続けるプロセスの一部となる流れを強める為にです。あなたは全てのステップにおいて、絶えずこのプロセスを起動しながら、又その一部とも成るのです。何故ならば、このプロセスはそれを起動せねばならないあなた以上に大きなものだからです。

あなたは確かにこれを益々大規模に行っています。成長し、変化し、内なる世界の驚異を発見しているのです。しかし、自分が何をしているのか、これらの内なるリズムが何であるのかの気づきを同時に深めることも役に立つでしょう。プロセスで繰り返される起動によって間接的に発動されたプロセスも展開し、稀にある高揚の瞬間にあなたはそれを感知します。このプロセス起動の揺らぎと、プロセスに従う揺らぎが常にあるのです。自らが真実であることへのコミットメントと、成長と変化への望みを通して発動されたプロセスの一部に自分自身が成っていることに、あなたは未だ気づいていません。

勿論、真実であることへの普遍的なコミットメントと、否定的で破壊的なものを変えることは、プロセスを起動させる基本的な側面です。しかし一方、人間としての生活にある二元性の中で見失われる特定の課題に関して、人間の精神は極めて混乱しているが為に、求められる具体的な見方へのより深い理解があります。今夜のレクチャーでは、そのような見方についてお話ししたいと思います。それを始める前に、脱線のような話をする必要があります。しかし、これは実際には脱線ではありません。後程、その関連性が明らかになるでしょう。

あなたの最も基本的な恐れのひとつは、死への恐れです。死への恐れは、二元的な思考と認識における混乱にその起源があります。恐れそのものが更なる混乱を招きます。死への恐れはそれについて考えないようにすることで和らげられますが、それでもなお、人格が神聖なる現実と完全に融合するまで恐れは魂の奥底に潜んでいます。神聖なる核心と繋がり、成長した結果として知的な理解を得て内的経験が時折起こったとしても、その恐れは持続します。時に生命の連続性への深い理解が存在するものの、この理解が広がるのはゆっくりとしたプロセスなのです。魂と人格の全ては、揺らぎなく、不完全に誤った形で世界を考えたり経験したりする誘惑もなく、真実で満たされていなければなりません。生命の永遠性に深く気づいているには、この大いなる問いとは殆ど関わりがないように見える他の多くの態度に左右されるゆっくりとしたプロセスが必要です。このような確信は、例えマインドで何を信じていようと、多くの障害を乗り越え、この基本的な恐れと様々なレベルで向き合った後にのみ得られるものです。この恐れは様々な形をとりますが、その形が何であろうと、まずは意識的あるいは無意識的な死への恐れのレベルについてお話ししましょう。

生命は非生命ではあり得ません。何故なら、生きていることが生命の本質だからです。表面的なレベルでは、これは不要な説明に聞こえるかもしれません。しかし、自らに深く耳を傾けながらこの一文を考えると、ここにより深い意味があることに気づくでしょう。皆さんは深く考えることなく当然のこととして、生命の固有の本質が突然正反対のものへと転じて非生命になり得ることを受け入れています。もし、このことを本当に深く考えれば、これは全くのナンセンスだという結論に至らざるを得ません。生命は生命でしかあり得ません。全被造物、存在するもの全ては、それ自体でしかあり得ないのです。例え、表面的な見かけがそれ自体ではないものに見えたとしても、それ自体でないものにはなり得ません。二元的な状態においてのみ、あなたは魂の内で相反する対極を抱えて生きるのです。しかし、全被造物に照らして見れば、これは明らかにごく限られた状態に過ぎません。この意識状態にいる間でも、あなたが本当に自らの道をワークする時、やがて全ての対極は幻想であり、それは同じワンネスの異なる側面であると分かるでしょう。あなた自身、内的人生の多くの領域で既にこのように相反する要素を融合させ、もはや対立が存在しない和解に至ることに成功しています。これは、あなたの現実レベルにおける全ての対極に当てはまる筈です。つまり、もし生命についてワンネスが在れば、存在し得るものは生命だけです。従って、死は幻想に違いないのです。

あなたは意識レベルにおいては殆ど、もしくは完全に顕現の次元に集中しており、起源や源の次元には集中していません。生命は外へと放射します。それは、その光を、その流れを、エネルギーの流れを、光線を送り出します。しかし、これらの光線は、生命を徐々に持ち出す外的な「使者」に過ぎません。かつて私は別の文脈で、この創造のプロセスについてお話ししたことがありましたね。

成長の螺旋の動きは反復を必要とし、これらの反復を様々に異なる事情や関連と結びつけることを必要とします。私は以前、神性と生命はひとつであり、神性である生命は徐々にボイド(虚空)に浸透し、それを満たすと説明しました。ボイドに生命が浸透すると、それは決してボイドには戻れません。人間の言葉で表現すると、生命とボイドが出会う境界線において、生命の主要な側面となるエネルギーと意識は、凝固し、物質へと固まります。この次元は、顕現の次元とも呼ばれています。これを真の生命、源と混同してはなりません。進化の過程で十分に自らを変容させ、再変容させることで、ついに生命と完全にひとつとなるまで、物質あるいは顕現は生命によって活気づけられ動かされます。しかし、それが未だ「境界外」にある限り、それは生命の火花によって一時的に活気づけられているに過ぎません。しかし、その火花はその性質上、繰り返し、繰り返し戻ってくるのです。

要約すると、生命の光線は、生命とボイドの出会いによって生み出される物質を活気づけているということです。ボイドは完全に生命で満たされねばなりません。これは、避けられない進化の宿命です。生きている全てのものは、永遠の神聖なる意識によって活気づけられているのです。そして、意識は永遠に前進し続け、無数の形態で顕現を変化させます。

さて友よ、上記のことをどのように応用しますか?哲学的思考として熟考するだけではなく、あなたの人間としての制限と、あなたのパスワークに具体的に当てはめてみましょう。それを上回る偉大な真実も、創造の普遍的事実も、大宇宙の事象もありません。個人的な発達、成長、自己対峙、あなたの身近な小宇宙に応用できないもの等、何ひとつありません。偉大な真実を用いながら、それを自らの道におけるワークに結びつけることをしなければ、それは自己からの逃避、個人的浄化の回避、転生の使命を果たすことの失敗に、スピリチュアリティーを用いることになります。

あなたは顕現の次元に合わせられており、永遠の生命によって活気づけられた顕現と、永遠の生命そのものを混同しています。より高い意識の認識に達した時初めて、この焦点が切り替わります。おそらく、最初は殆ど何気ない感覚の内に。それは、浄化の為のワークの副産物にしか見えないでしょう。生命は、自らが生み出した物質から一時的に退き、その物質が元の実在へと自らを溶解させるがままにできるのです。その後、生命は新しい形態を創り出し、活気づけます。進化の過程は絶えず変化し続けるプロセスなのです。

私がここで提示する真実を探究する為に、人間の意識はマインドを開く必要があります。何故なら、あなたの恐れは、源によって活気づけられた顕現と自らを同一化することから生じるからです。あなたが源なのです。現在の人格、思考や感情、存在や経験、意思決定の能力さえも、これら全てが源です。非生命は、これらのことは何もできません。例え、顕現した人格が自らを修正し、変化させ、拡大したとしても、あなたが自分自身として知り、感じるものは全て源であり、顕現ではありません。そこに、存在しないことへの恐れを生み出す混乱が潜んでいます。

今あなたで在る全ては、その不完全さの中であっても永遠に存在する永遠の生命であり、決して存在しなくなることなどできないと学ぶ必要があります。今のあなたの限られた顕現の中には、意識の拡大、経験の拡大、人生や人生の形を形づくる能力の拡大、自分が本当は何者であるのかという感覚の拡大という無限の可能性が秘められています。友人の皆さんはどういう訳か、自らが生命と非生命の出会いによって創り出した物質から生命を退かせる時、自らが存在することを終えるのだと部分的に何処かで信じているのです。しかし、あなたが自分自身として知り、自覚している全ては、あなたが自分自身として知る限られた人格であったとしても存在し続けねばならず、存在しないことはできません。それは今のありのままであり、その潜在的可能性をも含んで今に存在します。これらの潜在的可能性が物質を益々活気づけるにつれ、自己認識は拡大し、あなたは自らの無限の連続性についての真実を知るようになります。そうして、物質は源と融合します。

マインドの飛躍を遂げる為、また、ここで私が展開する考えを理解しオープンになる為には、以前にお話ししたある特定の障害を乗り越えねばなりません。多くの障害があり、あなたはそれら全てと何らかの形でワークしています。死への恐れは、最も重要な障害のうちのひとつと関連しています。それは、根気のいる道、自己浄化の道における自己へのアプローチです。今、このことについて詳細に話したいと思います。何故なら、それに対する大きなニーズがあるからです。問題は、ローアセルフの側面ごと自らを受け入れること、否定性に真正面から向き合いながら、その破壊性とローアセルフゆえの損害の結果を見ることに対するあなたの混乱です。

あなたは自己受容と自らを許すことと、ローアセルフの否定性を容認して美化することと混同しています。又同じように、自己壊滅的な罪悪感と自己嫌悪と、実際に誤っており変える必要があるものを正直に認めることと混同しています。この特定の二元論的混乱は、明らかに極めて重要です。あなたの道において、それがいかに大きな障害となり得るかは容易に分かるでしょう。どちらの選択肢も、あなたが成長し、拡大し、あなたが自らの神とひとつになることを妨げるからです。否定的な側面は、人格全体との関連性の中で完全に受け入れられ、許され、理解されねばなりませんが、決して容認されてはなりません。このことは、これまで何度も語られたことですが、それでもなお、多くの皆さんが躓くブロックとなっています。あなたはこの特定の二元性に繰り返し躓くのです。

死への恐れ、非生命への恐れは、これと深く関わっています。それは、一見相反するふたつの形で関わっています。意識的でも無意識的でも、死への恐れが心に潜んでいる限り、自らを許すことは極めて困難です。何故なら、最悪の罰のひとつが消滅の脅威だからです。自らへの許しの欠如が、この脅威に焦点をあてます。それがトリガー(引き金)となるのです。

死への恐れは又、動きへの恐れも生み出します。勿論これは、現実とは完全に相反するものです。何故なら、生命は永遠に動き続けるものであり、生命が退く所では動きは止まります。時間の流れが不可欠となる権限の次元での逆転した立場から見ると、人生は死へ向かう絶え間ない動きのように見えます。従って、変化は死のプロセスを加速させるように見える動きとなります。動かないことで、時間の停止と現状維持という幻想が保たれます。これが、変化や成長への抵抗と不信の主要な内的理由のひとつです。この幻想は原始的過ぎて迷信同様なのですが、半意識的な思考や推論のレベルでは驚くようなものではありません。あなたは自らの道において、自分がこの次元でがむしゃらに支持し、抱えている数多くの荒唐無稽な誤認を見出してきました。それらは人生を支配し、あなたの意識的で成熟したマインドが初めは理解できず理解しようとも思わない程でした。

強調するまでもなく、停滞したままでは顕現の次元での停止を招きます。それでは、この顕現から退いて新たに始めようという、物質を活気づける意識の意志を加速させるだけの話です。変化を決意し、神聖な可能性を引き出すと決意してコミットする時、二元性は融合して統一性となり、その中であなたは自らに対して寛容で慈悲深くなり、ローアセルフにきちんと向き合うことができます。何故なら、自らを含む全ての存在に対して基本的な愛と慈悲深さを持つからです。あなたは自らのローアセルフに惜しみなく向き合うことができます。誤魔化さず、言い訳も正当化もせず、他者のせいにすることなく、しかも自己嫌悪の痕跡もなく。可能性として、あるいは必要性として認識されれば、その人格、その態度に手が届くようになります。そうすれば、それは望むべき目標となります。これらふたつの方向性の不均衡を絶えず確認して修正することで、意識的にそれを実現していく必要があります。

自らを動かし、変わることへの完全なコミットメントを受け入れる程度にのみ、あなたは自分を自分自身として知り、経験するあなた自身が存在し続ける筈だと信頼するのです。神聖なる可能性に従おうと顕現をいくら変えたとしても、あなたはあなたであり続けます。何故なら、あなたは神だからです。あなたの可能性において、この変化を永続させればさせる程、あなたは、よりあなたになるのです。

友人の皆さん、これは理解すべき非常に重要なことです。存在し、生きて呼吸するもの全ては、最も微細な形であっても神の顕現であり、従って本質的に永遠なのです。この事実を認識しない躓きのブロックはとても一般的なものです。このことについて様々な文脈で何度もお話ししてきたにも関わらず、これは決して解消された訳ではありません。あなたは未だ自らの内にある自己嫌悪に躓いています。あなたは往々にして、自己嫌悪を認めて痛みを感じることに対する防衛で躓きます。何故なら、あなたはこの自己嫌悪の正当性を密かに信じており、それがこの痛みを耐え難いものにするのです。一方には、自らの容赦のなさへの恐れがあり、もう一方には、前者の解毒剤として自らを甘やかし、放任し、ローアセルフを否定する態度が同時に常に存在します。これらが、この特定の混乱と躓きのブロックの表現です。これらは、自己尊重と完全な自分への正直さという統一性の歪みと反転なのです。

従って、必要なのは繰り返しあなたの神性の存在の為の空間をあけることです。そうすることで、自らの内に存在するものが何であれ、それに向き合うことが可能になります。ローアセルフとは、生命と非生命との出会いによって生じた被造物に過ぎないことに気づいてください。生命が非生命に出会う時、エネルギーは物質を創り出し、意識は断片へと分離します。断片の限られた視点ゆえに、真実と現実は混乱します。真実は弱められ、限られた見方に押し込められます。あなたの二元性の全ては、限られた見方です。あなたは、マインドを混乱させる
人工的な思考の分離という人工物を創り出しました。それも、生命と非生命であるボイドとの出会いによって生み出される物質と同じく、被造物なのです。生命はついには非生命に浸透し、自らを押し込み、それを活性化します。例え、その繰り返される絶え間ないリズムのダンスというプロセスにおいて、生命の顕現から周期的に自らを引き離すことがあったとしても。

物質が崩壊する時、例え一時的であったとしても生命の核を一度宿したことで、その物質は既に霊化されています。そして、それは再び目覚めるでしょう。物質そのものは生命の被造物です。何故なら、ボイドは本質的に生命によって満たされるまでは非生命であり、創造することはできません。従って、物質が崩壊しているように見えても、それは生命の不在ではなく、単に逆転した間接的な道行を辿っているだけなのです。物質の崩壊は新たな組み合わせで再び物質を結びつけ、より明白で偉大な生命の火花はそれを活気づける為に再び戻ってきます。その崩壊と再統合のプロセスそのものが、同じゴールへ向かう動きであることに気づかねばなりません。動きがある所では、生命は未だ存在している筈なのです。先程お話ししたように、不活性な物質の中の生命は逆行する動きであり、著しく減衰した生命活動です。しかしそれも又、避けられない賢明な法則に従って、あるがままでなければなりません。今、これら法則の本質を説明することは、このレクチャーの範囲を超えることになるでしょう。

意識のレベルでも同じ原理が存在します。私達が頻繁に話す現実の分離の認識は、多様な形態で存在して人類が経験する苦しみを生み出します。生命の運動が進めば進む程、これらの分離した概念は統合され、苦しみは取り除かれます。気づきのあるマインドは意識の一単位を認識し、活気づけ、分離した概念が明確になり統一されるまでそれを模索しようとします。明確化と統一は、神聖なる真実へのコミットメントへの勇気を持って初めて可能となります。何故なら、真実は愛であり、愛は真実だからです。

一度、神聖なる真実にコミットしたならば、生命をありのままに経験することが益々増えるでしょう。それは全てであり、決してそれ以外の何ものになり得ません。生命は、火花を宿した顕現と混同されることはなくなるでしょう。その火花の中に、あなたが知る自分自身の全てがあります。今あなたで在る意識は肉体に縛られてはいません。しかし、その意識の粒子は、あなたの意識が想像した物質の各原子、各細胞、各分子の中に反映として残っています。従って、あなたの体はひとつの表現であり、あなたの意識の反映です。しかし、意識が体から離れた時、それはまさに今あなたが自らを知っているままの姿で残ります。顕現の次元での限定された意識の視野では、活気づけられていた体は崩壊していくように見えます。しかし、それ自体もまた、各細胞が新たな細胞を見つけ、新たな形態を生み出し、新たな乗り物の為の空間をつくるという途方もないプロセスを辿っているのです。活気づける生命が去った後の体の各細胞は、その生命の小さな火花を宿しています。

先程お話ししたように、いかなる形でも生きていない、生命のプロセスの一部ではない、不活性の物体などありません。その微かな火花は、無限の法に則り、意味深く、調和的なチャネルを通り抜け、引き寄せとその反作用の法則に従います。これらの法を説明することも、人間の意識の枠組みに持ち込むこともできません。細胞が新たな組み合わせへと再結合する時、これらは遺伝子を創り出し、人間の構造内にあるこれらの遺伝子は意識が変わるのと共に変化していきます。その存在が成長し、動いている限り、現在の遺伝子は数年後のものと同じものではありません。

これら物質の粒子は、人間の目には見えなくても物質です。これらは、意識の固有な側面を内包しています。従って、死体の中の細胞で、かつてその細胞を生かし、活気づけていた人格全体の表現ではなかったものは何ひとつありません。それも又、崩壊と再統合を繰り返す細胞の更なる旅路を決定するものです。
このことは、自己愛や自分に対する正直さへのアプローチ、あるいは歪んだ形として自らを甘やかすことや自己嫌悪の話、言い換えれば、一方で自らを許すことを学ぶニーズと、他方で自己対峙を学ぶニーズの話とは、一見あまり関係ないように思えるかもしれません。しかし友よ、この繋がりは極めて重要です。おそらく、深く瞑想する時、あなたはその繋がりを感じ、直感的に理解するでしょう。自己嫌悪、罰への恐れ、死への恐れ、細胞構造の崩壊には直接的な繋がりがあります。崩壊した細胞の構造は、特定のチャネルに落ち込み、その後、矛盾しない新たな形へと引き寄せられます。

今あなたが考えている思考が、独自の細胞構造と物質をもつ被造物ではないと信じないように。その物質の密度があなたの目には見えなかったとしても。もし、あなたがローアセルフについての真実に向き合う為に自らを嫌わなければならなかったり、あるいは自己嫌悪や、死ぬ事、死、非生命への恐れを感じたり経験しないように、ローアセルフの真実を否定せねばならない分離した二元性の中で生きているならば、あなたはその特定のチャネルに生きており、永遠に繰り返す混乱と苦しみのパターンをあなたに運ぶ思考や、目に見えない形態を創り出しているということです。

友人達よ、今や皆さんは、自分自身に対する全く新たなアプローチを包括する準備が整いました。これは本当に新しいものでありながら、それ程新しくはありません。これまでもあなたは、このアプローチに向けて小さな歩みを少しずつ歩んできました。そして今、自己対峙と自己尊重、自己愛と自らへの許しへの完全な献身という姿勢を、真のバランスで完成させる為に、更なる大きな一歩を踏み出す準備が整っています。あなたは今や、ローアセルフにとって真実であるものを甘やかしたり否定したりすることなく、あなたの内に在る神、最も健全で神聖な方法での自己愛の状態、そしてその最も神聖な態度が出現するがままにできます。それは、あなたがそう選んだ瞬間に成り得る神なのです。あなたは未だ存在する不誠実さ、臆病さ、そしてローアセルフの小さな醜い態度全てを見ながらも同時に、自らの素晴らしい苦闘や正直さへの尊敬、愛、慈愛を持つことができます。そして決して、自らが本当は何者なのかを忘れることはありません。ローアセルフと向き合うという事実そのものが、人類が何千年もの間、外側に存在する神に祈り求め続けてきた慈悲、許し、愛に値します。彼らは、外側から与えられる特赦は、彼ら自身が自らに与えないものを埋め合わせると考えていたのです。

皆さん、このレクチャーのメッセージは以上です。皆さんへの大いなる祝福と共に、ご提案を残します。自らの思考プロセスにより注意を向けてください。その思考プロセスとは、あなたが慣れ切ってしまい、あまりにも当然のものとして受け入れ、その創造的なパワーについて考えようとも思わず、他の考えを選べるとも思いつかないような、日常の小さな思考パターンです。こうした日々繰り返される思考パターンは、おそらくあなたの最大の敵です。これは知らない間に蔓延します。何故なら、あなたはあまりにもそれに慣れ親しんでいるからです。自らの思考パターンから少し距離を置くことを学んでください。そのような思考パターンに従い、それに生命を与え、活気づけ、エネルギーを与え、それによって恐れ、自己嫌悪、不信、絶望の状態を創り出している自分自身を観察してください。これが皆さんに求めることです。これからの人生の日々を、あなたの思考への新しい観察をもって進んでください。

これと共に、大いなる素晴らしい祝福を与えます。皆さんはそれを益々感じ、受け入れるようになるでしょう。これは、確かに感じられる生命力です。これは私達にとって、私達の世界では、明確に目に見えるものなのです。何人かの皆さんには、僅かに見えるでしょう。しかし確かに、あなたはその現実を経験し、それに浸っているのです。私は繰り返し語りかけ、与えるべきものを与え続けます。愛する皆さんに祝福を。


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