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Pathwork in Japan
No.10 男性への転生と女性への転生:そのリズムと原因
Pathwork Guide Lecture No. 10
1996年度版
1957年8月19日
男性への転生と女性への転生:そのリズムと原因
MALE AND FEMALE INCARNATIONS: THEIR RHYTHMS AND CAUSES
このレクチャーには、同性愛に関するひとつ以上のコメントがあります。同性愛に対するガイドの言葉は、これまでパスワークのコミュニティー内で論争の種となってきました。これらの言葉は、特に性的指向や、過去・現在における偏見の経験を考えると、痛みを引き起こす可能性があります。この話題についても、他の全ての話題についても同様に、ガイドは私たち自身の内なる権威を見つけるよう招いているということを、皆さんにリマインドしておきたいと思います。
(IPF評議員会 2022年9月)
神の名の下に、みなさんを歓迎します。親愛なる友人たちよ、皆さんに祝福を。
概して、「神の王国は私たちの内にあり、同じように地獄もまた私たちの内にある」という教えの本当の意味を理解するのは難しいものです。皆さんは、これが“なんとなく”の雰囲気、つまり何か捉えどころのない、非現実的なものを指していると思っているのではないでしょうか。人間は、自分が目で見て触れることのできるものだけを実在すると考えます。そして、感情の状態は目で見ることも、触れることもできません。皆さんに、考えや感情が何かの“現れ”であると説明すれば、これらの「現れ」がそれぞれに対応した領域を形成することがいくぶんか理解しやすいかと思います。風景や環境、はたまた衣類など、なんであれ、その中間にあるグラデーションとハーモニーを奏で、あるいは不調和を生み出しています。しかし、これでは、これら全てがどのように内側に存在するかの説明になりませんね。人間は、自らの内側にその風景や領域のスペースはないと信じています。そして、それは言葉で説明するのと同じくらい難しいと信じています。しかしながら私は、皆さんを、霊的な状態のより深い洞察に導くチャレンジをしたいと思います。
地上での時間と同じように、スピリットにおける時間という概念の現実は全く異なり、空間も同様です。上、下、右、左といった空間的次元は、地球という場所において理解可能な概念であり、霊的な次元には存在しません。人間は、肉体を脱ぎ捨てると、自らの内なる霊的な世界へと入って行きます。何故なら、宇宙とは実際、人間の内側に在るものだからです。これは事実です。
例を挙げてお話しすれば、完全ではなくても、この概念を理解できるかもしれません。オペラグラスを反対側から覗き込んだらどうなるか、考えてみてください。全てがとても小さくなります。そうなると、目に見える小さな世界が、あなたが見た現実の理解になります。あなたはこんな疑問を投げてくるかもしれません。どうして、広大な宇宙が、ひとりひとりの人間の中に存在することができようかと。次のようにお答えします。あなたの住む地球は実際の現実ではなく、具象化・象徴化したものですらありません。地球という世界は、単なる「反映」であり、鏡の中のイメージであり、現実の投影でしかないのです。
スピリットを宿す肉体は、分離を生み出します。肉体を去ることによってこの分離の壁が崩れた瞬間、全ての人間それぞれの内に存在する宇宙が統合されます。勿論これは、あなたが自分自身を、最早いかなる分離も存在しない領域に達するのに十分なだけ成長させていればの話です。ある存在が、自らを見出す領域の次元が低いほど、それが「今、ここ」であろうと「あの世」であろうと、分離はより根本的なものとなります。
霊的な事柄を説明する人間の言葉には限界がある為に、たとえ話以上のものにはなり得ない、大雑把な概要だけしかお伝えすることができません。それでも、それは天国と地獄、そしてその間にある全てが内側に存在するという考えを瞑想してみる手助けになるでしょう。その教えが説明しているのは、皆さん人間が想像する感情的な状態だけではなく、何か抽象的なことでもありません。あなたの為にある全てが抽象的であるということは、スピリットとしては具体的なことであります。あなたの為にある全ては形を持たず、霊的には形を、より高い物質で構成された形があります。手で触れることのできる地球上の物質は、鏡に映った鏡像か、あるいはひとりひとりすべての人間の魂の内側に完全に存在する宇宙の反映にすぎないという理解において、あなたが最初に出会う困難は、私の言葉を瞑想することによって、おそらくある程度は乗り越えられるでしょう。
このトピックについて質問はありますか?
質問:はい。このことに関連して、誰も見ることのできない「原子」についてお尋ねしたいと思います。原子は、人間の脳が認識できる最小の単位であると科学者たちは言います。つまりそれは、原子より小さいものはこの世に存在しないということです。人間が原子を分割できるなら、宇宙の秘密を見つけられるという宣言がありました。
回答:あなたが正しく理解されているように、原子を分割するということは、私が今ちょうど、十分なものではないにせよ、説明を試みてきた考えと関連します。つまり、皆さん方が物質として体験するものは、魂の内にある宇宙が映し出されたものにすぎないということです。原子力の学者は、そのことを皆さんよりも良く理解していることでしょう。何故なら、その桁違いの重要性を正確に知っているからです。原子が最小の単位であるということは、もちろん、人間の尺度において最小であるということを意味しています。あなたがたが理解できる最小のもの、ということです。けれども、スピリットにおいては、最小のものはまた、最大のものでもあります。あなたにとって、このことを理解するのは難しいでしょう。しかし、このことは繋がっているということをあなたは直感的に理解したのです。原子を分割することは宇宙の秘密を解き明かすことであると誰かが言う時、その意味はこのことです。このことすべてが、扉を幾分か開けてくれます。少しだけ、ベールをめくり上げてくれます。
これまで人々は、教会の教義の影響で、全ては外側にあると信じてきました。地獄は下に、天国は上に。天国とは自らの内にあると言う聖書の言葉を読む時、人間は、それが「なんとなくそんな感じである」というように受け取ります。ここに矛盾が起こります。実際に、原子力物理学者はこの矛盾に光を当て、どちらも同じことを言っているということを明らかにします。つまり、感情的な状態とは、実際、人間の内側にある霊的な領域だということです。
ある発達の段階を超えると、全ての霊的存在は、浄化のステージへと到達します。そこは、神聖なる流れに委ね、自らをその中に溶け込ませることが可能な場所です。更にそこでは、この液状になった人間の寿命、つまり生命を再構成することができます。それによって、その存在はもう一度、形態と形状を持った存在になるのです。発達の高いレベルにまで未到達の存在には、知覚できない非常に微細な実体ではありますが。
計り知れない程の喜びの感覚に包まれる時、誰もが、この「ワンネス」へと溶け込んでいく至福の感覚のかすかな残滓を経験することができます。愛する人とひとつになる時だけでなく、自然を通して、音楽を通して、瞑想を通して、あるいは単に神の存在を感じる時など、それがどんな形であろうと、魂が高揚し神に近づく時に経験する全ての事柄において、きっとあなたも、自らの内にそこに溶け込みたいという大きなロンギングがあるのを感じることができるでしょう。その時あなたは、自分の肉体が自らを制限していることを実感し、その制限を破って偉大なる流れに委ね、そこに飛び込みたいと願います。このような表現でこのことを考えたことは恐らくないでしょう。けれどもこの先、時折、この感覚を経験したときっと確認することでしょう。
魂が浄化されていなければいない程、自らに委ねることを激しく求めているにも関わらず、人はそれを恐れます。欠点や落ち度、弱さだけでなく、不安や不健全な傾向もここに含まれます。魂が霊的であればある程、それが委ねを阻止することは少なくなるでしょう。人間世界にはこのことを分かっている哲学も少数存在しています。このような洞察を通して、これらの哲学は、この状態が人類の最終目的地であるという結論に達しています。しかし、それは真実ではありません。融合し溶け込みはしても、その人格が、つまり「私」という意識が失われることはないのです。これまで何度も繰り返し同じことを言いましたが、それらの実在は、その形なき生命を凝縮させ、純粋な「being(在る)」という状態から「doing(する)」という状態へと移っていきます。「doing(する)」という状態において、それは完全で調和のとれた形とならなければなりません。そして、神が創造主(行為者)であるが故に、このプロセスもまた神自身の中で起こります。神の有効成分が凝縮を繰り返し創造し、もっとも純粋でもっとも純粋で完璧な形となっていくのです。このようにして神の成分だけが持ちこたえ、結果として、それもまた自らの内に溶け込んでいきます。このような概念は、皆さん人間にとって、理解することは極めて難しいでしょう。けれども、私の言葉が気づきの光をもたらすことを望みます。そして、おそらくその言葉が、かつて、私の大事な友人のひとりに尋ねられたけれども、その時には十分に答えられなかった質問の答えになるのではないかと思います。私の言っている意味がわかりますか?
反応:わかります。インドの哲学では、私たちが理解している限り、それがはっきりと表現されています。
回答:はい、私は同時に、人間の理解にもともと内在する矛盾についても説明しています。さらに同時に、二元論と一元論というトピックにも触れています。「在る(being)」という状態、溶け込むという状態の中で神を経験したことのある人は、それが唯一かつ最後の真実であると考えます。けれども、神が形として、創造主として現れたのを経験した人々は、これが究極の真実であると信じます。これが矛盾の発端です。私が申し上げたいのは、どちらの経験も等しく真実だということです。
神聖なる側面はひとつひとつそれぞれが「在るという状態」を含んでいなければならないが、常に存在する訳ではない。時には溶けていることもあり得ます。これは勝手に起こるわけではなく、全てのより高次の存在と同じように、法則的なリズムに従って起こります。神のこれらの側面は、皆さんが人格と呼んでいるものです。
質問:それは、プラーナを取り入れ、プラーナを吐き出すことを意味していますか? 私たちがあるリズムで呼吸することと関係していますか?
回答:その通りです。そして、皆さん方のリズムは、宇宙のリズムに繋がっています。
質問:だからこそ、プラーナと呼吸というのはもっとも重要な生命の働きなのですね?
回答:そうです。これらの言葉を瞑想すれば、より多くの洞察を得られるでしょう。
そして、親愛なる皆さん、一般的に重要だと思われる質問がまだあるようですので、質疑応答を続けたいと思います。
質問:私はあなたのご意見を非常に大事にしているのですが、インドの教えの中で強く勧められている、氷山と雫、あるいは氷山と水について瞑想することは、西洋人にとって好ましいことだと思われますか? あるいは、西洋人には向いていないと思われますか?
回答:一般化はできません。完全に個人によります。そのような瞑想は、ある人にとっては重要な瞑想になり得るでしょう。けれども、一定のレベルに達していない人にそのような瞑想を勧めたり、あるいはそのタイプではない人に勧めたりした場合、その瞑想は、本当の意味で助けにはなりません。ここでも、従うべきは直感とインスピレーションです。
質問:その場合、緩める練習が必要になる可能性がありますか?
回答:その通りです。それは常に、その人の問題が何であるかによります。自分の問題が何なのかを考えずに、決まりきったパターンで瞑想することは絶対に避けてください。何よりも優先されるのは、内面のブロック、誤り、そして弱さが何処にあるかということではないですか?人生の根本的な葛藤は、常にそこから生じています。
質問:物質に強く根付いている、ホロスコープに土のサインを多く持つ人は、水や火のサインを多く持つ人達よりも、この種の瞑想に対する耐性があります。風、水、火が多いと、この瞑想は合わない。この考え方は正しいですか?
回答:はい。その通りです。
質問:質問をさせて頂きます。一般的な概念や教えでは、男性は女性に、女性は男性に生まれ変わるとされています。この点について、明確に理解できるよう説明して頂けますか?
答え:根本的に、すべての存在は男性か女性として、殆どの転生で、それぞれの基本性質に従って生まれます。しかしながら、別の性としての人生を体験する必要があるケースもあります。説明します。「堕落」(神からの分離)をする前には、全存在は一体化しており、自らの内に能動と受動、すなわち男性性と女性性の側面の両方を包含していました。最終的には統合が起こり、分離した半分同士が一緒になり、ひとつの存在を形作ることは、誰もがご存知でしょう。これが起こるのは、生まれ変わる必要性を乗り越えた時、大抵の場合かなり後になりますが、男性的要素と女性的要素がひとつになった時のみです。堕落とは神からの分離であり、そして同時に二つに分かれ、更にどんどん分裂し分離して行く状態のことです。動物界、植物界、そして鉱物の世界についてはこれで説明がつきます。分裂がどんどん進み、さらに小さな破片となっていきます。
しかしこれは、補足的な説明にすぎません。あなたの質問に話を戻しましょう。統合された存在を想像してみてください。その内側で男性性と女性性が統合された、ボールの形をした存在です。でも、どうかこれを文字通りに受け取り過ぎないでください。このように説明する他なく、もし別の説明をしようとすれば、皆さん方はこの概念の理解に欠けてしまうだろうと思われるので、このような表現をしているのです。そのボールの一つの面はポジティブな面、男性性で、もう一つの面はネガティブな面、女性性です。ここでお伝えしたいのは、「ネガティブ」という言葉を価値判断のための言葉として受けとらないで欲しいということです。男性の要素とは創造者であり、ポジティブ(肯定)であり、活動的・能動的なのです。神が、能動的に創造するという目的を持って何かしらの形に凝縮するならば、男性性が作用しているということです。女性的、つまり受動的な性質は、それ自身を溶け込ませ、ゆっくりと、そして継続的にはぐくみ、成長させていきます。その性質は、自然の中に母性として存在します。母性は、一度で何かを創造することはしませんが、全てのものに継続的に作用し、その存在の内側にただ静かに在ります。
全ての創造的な顕現の内にある果てしなき多様性の中に、どちらの性質も見られます。つまり、男性性の極と女性性の極の双方を包含する統合された対の存在の中にも見ることができるということです。神はそのどちらをも完璧に、そしてそれぞれが本質的であるよう創造しました。ゆえに、男性性が女性的な役割を引き受けるというのは正しくありません。逆も然りです。
もう一度、ボールを思い出してください。一つの面はポジティブ、つまり男性性、もう一つの面はネガティブ、女性性です。それらが統合に向かう時、双方は完全な調和の下で作用します。分裂が起こった時、ちょうど真ん中で割れることは非常に稀でした。ふたつに分かれることは神からの分離の結果であり、それは神の完全なる秩序に属していない混沌とした出来事でした。このようにして、分離は整然と秩序だった形で起こることはなかったのです。したがって、偶発的に、男性的で在るべきものが女性性に、女性的で在るべきものが男性性に振り分けられることが起こり得るのです。
スピリットを神へと戻す発達のプロセスで、その分離の割合を同じくらいにしなければなりません:男性性に属しているのに女性的な面に振り分けられてしまったものは、逆の側、すなわち男性として転生する必要があります。分裂の状態が均等でなければない程、その存在が、本来のバランスを成り立たせるために男性として転生しなければならない確率は高くなるでしょう。もしもあなたが、自分が男性として、あるいは女性として何度転生したかを知っていたら、あなたがどのように分離したのかを知ることができるでしょう。繰り返します。全ての存在は、根本的に男性性か女性性そのいずれかを表しており、どちらかが彼あるいは彼女という存在を支配しています。健やかで調和のとれた女性性が男性に変わるのは非常に不自然なことです。なぜなら、そのどちらもが神聖なものであり、それぞれがそれぞれで完璧だからです。
質問:全ての人が、女性である/男性である意味を経験する必要はないということですか?
回答:はい、必ずしも必要ではありません。もし分離がちょうど真ん中で起こったなら、逆の性で転生する必要ではありません。
質問:ちょうど真ん中で分離する存在はいるのですか?
回答:殆どいません。非常に稀です。けれども、申し上げたように、分離の角度がそう広くないケース、真ん中からのズレが比較的小さいケース、また足りない部分を埋め合わせる必要があまりないケースの分離はあります。男性と女性を交互に転生する目的は、経験を積むことではありません。もしもこのことについて瞑想すれば、スピリットとしての経験、完全性へと向かう霊的な発達は、男性であるか女性であるかには全く関係ないことが分かるでしょう。そして直感的に、自分が本質的に男性であるか女性であるかを理解するでしょう。発達を通して、あなたは男性として、あるいは女性としての完全性へと導かれるのです。
本来の性的アイデンティティではない性を持って生まれてきた為に、それを補完する転生を経験せねばならない人達は、瞑想を通して気づくことができます。もちろん、経験を積む必要はありますが、だからといって完璧な男性が女性に、完璧な女性が男性になる必要はありません。それを信じるのは、人間の誤りです。神がその男性性と女性性においてどこまでも完璧であるのと同じように、それぞれが、それぞれを交互に体験する必要もなく、それぞれが自分本来の姿と働きを保ちながら調和のとれた形で創造を続け、ゆえに自分以外の全ての存在と共にいます。調和と体験は、神聖なる完全性をもう一度手にするための発達の道を歩きながら蓄積され、実現されるべきです。
質問:転生のサイクル全体を通して、女性性と男性性の間の分離は続きますか?男女両性の融合とは、スピリットの世界でのみ起こり得るものですか?
回答:融合はスピリットの世界で起こるものです。
質問:それが起こるのは、ある存在がこれ以上転生する必要がなくなった時だけですか?
回答:その時のみです。転生が必要とされる限り、スピリチュアルに溶け合う形での融合が起こることはありません。
質問:非常にオカルト的な質問をしても良いでしょうか?長い間私は、ずっとあることが気になっています。
回答:どうぞ。
質問:分離は、わし座で行われたという「マカマの拒絶」と関係がありますか?
回答:同時性はあります。手がかりは常に、偉大なる天地創造の中に示されています。
質問:私たちの生きている現実は、真の現実の反映に過ぎないとあなたは説明されました。私はそれが理解できません。たとえば木に触れると、木の樹皮をとてもリアルに感じます。今ひとつ私には、仰っていることが理解できません。まだ、そこに行けていません。
回答:このセッションが終わった後、友人達と話してみてください。それが、あなたがこのことの理解に近づくのを助けてくれるでしょう。このことを明確にするのは、これを理解するのと同じように難しいのです。もし、今日理解できなくても何も問題はありません。後になり、一年か二年、あるいは五年後かもしれません、突然この問題に光が差すでしょう。きっとあなたは。この意味する所を「ああ、そういうことか」と感覚的に理解すると思います。誰も、それ以上先には進めません。そうすれば、この言葉は全く違った形であなたに影響を及ぼすでしょう。
確かに、あなたが触れるものはリアルなものです。あるいは、あなたにはリアルに見えます。鏡に手を触れれば、それもまたリアルです。あなたは鏡をそこに感じます。鏡に映し出された生物は暖かく、その血管に血が流れていることをあなたは知らないと仮定してみましょう。あなたは、事実上どのようにしてその生物が触覚を通して経験されているかを知らないのです。こうしてあなたは、鏡に映ったイメージをリアルな人間と間違えてしまいます。これと同じようなふたつの現実の関係性について、想像してみてください。あなたが現実の中で意識していないものは、触れるとどんな感じか、どのように目に映り、どのように聞こえるかをあなたは知りません。あなたにとって基本的な基準は、触覚と聴覚、あるいは視覚です。なぜならあなたには比較の基準がなく、また、高度に霊的な知覚にも欠けているからです。
質問:ある人が女性として転生したにも関わらず自分のことを男性的だと感じる時、その転生に背くことは罪でしょうか? あるいはこのことは、もしかしたらあなたが先ほど説明されたことにあたりますか?
回答:罪であるとは言いません。感情的なレベルのみであったとしても、自分の女性性に抵抗している女性は、道を逸れています。その抵抗には神に対する抵抗、創造に対する抵抗、そして彼女自身の運命に対する抵抗が含まれていて、これは常に何かしら不健全なものが魂の中にあるという兆候です。いつか癒されねばならない場所です。現世、つまり今回の転生で与えられた人生を完全に受け入れ、イエスと言うこと、そして今回の人生の目的が何であるにせよそれを果たすことによってのみ、人間は完全な幸福を見出すことができます。最初のステップは、自分の使命を見出すこと、やるべき仕事を知ることです。これは、この癒しの道で、非常にたやすく発見できます。彼/彼女の運命に従わない人は、常に内面的に不幸せで、常に何かの問題に悩まされ、成功したり何か良い行いをしたりしている時ですら、満たされていないと感じます。不幸なことに、人は自らの不幸な状態から正しい結論を引き出しません。それが実は、自らのエッセンスからのメッセージであるにもかかわらず。彼らは自分の不幸をありとあらゆる外的な状況のせいにし、それが自分自身のもっとも深い部分からのメッセージであるという可能性以外のありとあらゆる種類の可能性について憶測を立てます。ある人が不幸せである時、彼女/彼は、これまでの所、自分は自分の運命をその最大限の可能性まで生きてはいないことを知るべきです。問題がある時、単に外側に現れている現象だけを排除しようとすることに意味はありません。問題の根を掘り出すべきです。どの程度自分が自らの使命を全うできているか。そして、この点で未だ何処が欠けているのか知る必要があります。これこそが不幸に対する、そして絶え間なく続く自分への不満に対する唯一の治療薬なのです。
質問:いまちょうど講義されていた分離についてバランスが取れておらず、ゆえに自分の根本的な性質の逆を生きなければならない時、その状態を発生させることなく、あるいはそれについてなんとか対処する能力を持ち、自分の適切な男性性もしくは女性性を発達させる為に、どのように自分の使命を果たせば良いのでしょうか?自分の女性性を発達させることができない、あるいはそれに多大な困難を伴う、男性性の強い女性を例にとってお話し頂けたらと思います。
答え:良い質問ですが、まずはあなたの誤解を正そうと思います。人々がいかなる状況にあっても誤ることなく自らを見つけるという仮説は正しくありません。そんなことは決してありません。分離が起こったのは、遥か遠い昔の「堕罪」の瞬間に、自分自身がそう決めたからです。日常の意識はもうそれを覚えてはいませんが、スピリットは覚えています。勿論、表層意識にその記憶を上げることはしませんが。
あなたの質問に関する限り、私はこう言います。あなたは知っていると思います。全ての男性の中に女性性の要素があり、全ての女性の内に男性的要素があるということは、心理学でもこれを認めています。同じことは占星術の中にすら見られます。ここにおられる友人が、それを証言してくれるでしょう。占星術でいう女性的な宮に男性が生まれることはあり得ますが、その人は完全に健全な男性ですし、同じことが、男性的とされる宮に生まれた女性にも言えます。もしもある男性が完全に健全で統合されているならば、つまりは、自らの発達を最大限に実現させることによって運命を成就させているならば、彼の内側にある女性的な傾向が彼の男性というアイデンティティが完全に展開されることを阻むことは決してありません。同じことが、完全に健全で統合された女性にとっても言えます。それどころか、異性的な傾向はさらに遠くなり、人格が完全に開き切るでしょう。たとえば、女性の中の男性的な要素が非常に厄介で問題である時、その女性は完全にスピリチュアルな意味で、生きてはいません。けれども、その女性が自分自身をスピリチュアルに発達させると、その同じ要素がサポート的な働きとなり、ポジティブで良い性質に変化することもあるのです。これが起これば起こる程に、それぞれの魂の流れと傾向が、より調和のとれた形で融合し、人格全体がより高いレベルの統合へと到達します。
ここでもやはり、全てはその存在の自由意志にかかっています。
人間の視点から見た時に、強みであれ弱みであれ、ポジティブな要素であれネガティブな要素であれ、それは本人が今生に持ってきたもの、あるいは既に身につけていたものではありません。決定的なものではありますが、大事なのは、本人がそれを使って何をするかです。非常に集中的に自らの霊的な道を歩む時には、いかに妨害的な要素と思えるものでも、内面的なものであれ外面的なものであれ、それが強みになります。霊的な道に足を踏み入れなければ、強みであったものですら弱みや問題に変わってしまうでしょう。この場合、女性の中にある男性的な要素は逆に働き、大きな内面の葛藤を引き起こし、その結果不調和が作り出されます。全てはその人がどれだけ自分自身の発達を切実に願っているかによります。お分かりになりますか?
質問:完全にではありませんが。でも、それについて考えてみようと思います。今ここで私たちが体験しているのは、現在進行形の両極性であると私は信じています。
回答:そうです。けれども、そこにはそれ以上のものがあります。
質問:相互補完的なプロセス、対極にあるふたつのものをひとつにするプロセスですか?
回答:その通りです。プロセスにおいて、それぞれの要素それ自体は中立的であることはお分かりだと思います。関係性の中に置かれることで、それは好ましい、あるいはそうではない形で作用してしまう訳です。こちらかあちらか、有害か有益か、いずれにもなり得るのです。男性的な要素が、ある女性の邪魔になっている時、その女性の発達は浄化の段階、つまり克服し、癒し、統合する段階にあるということです。その変化は、この道を歩むという彼女の決意を通してのみ成されます。彼女には「何もしない」という選択肢も、浄化の道を進むという選択肢も、両方があるのです。真ん中ではなく分裂したのは、偶然ではなかったのです。それは、その人の自由意志に基づいて起こった分裂であり、あるいは、もっと正確に言うならば、その時点で最も心地良く感じる方向に向かう選択によって起こったものです。従って、神へと還る発達は常に、その人が元々創り出した困難を克服することで成立します。
質問:このことは、重要な仕事に就いている女性についても当てはまりますか?
回答:はい。
質問:可能性として、転生で何かしらの技術的な間違いは起こり得るということですか?
回答:いいえ、違います。それはありません。
質問:良い意味で完全に女性らしいのだけれども男性として生きている人たちに会ったことがあります。私の質問は、ホモセクシュアルとは関係がありません。肉体的でなく、霊的な意味だけに興味があります。
回答:今私たちが扱っているトピックとはまったく関係のないカルマの結果として、そのようなケースが起こることがあります。もし関係があるとしても、直接的な関係ではありません。ここでその詳細に触れることはしませんが、転生の初期の段階で、自らの性に対する攻撃的な振る舞いを通してカルマを積み重ねた場合、女性は男性として転生し、男性は女性として転生します。それに耐えなければなりません。
質問:私が例に挙げた方達は、苦しんでいる様子は全くなく、むしろ幸せそうでした。
回答:まず、カルマは必ずしも苦しみと繋がっている訳ではありません。良いカルマもあります。カルマとは単に原因と結果を意味します。けれども、このケースの場合はそうではありません。あなたがそこに痛みや問題を見出さないとしても、信じてください、この種の人生というのはそう簡単なものではありません。
質問:では、両性具有者の場合どうなりますか?女性寄りのタイプであるか男性寄りのタイプであるか、何処で区別できますか?私が信じている科学的な記録によると、過去にひとりだけ、半分男性で半分女性という完璧な両性具有者がいたとされています。おそらくその割合も完全なものではなかったと思いますが。
回答:あなたは、大事な鍵となるとても興味深い質問をしてくださいました。科学は既に、有益になり得る情報を多く発見しています。もしも科学が「結果」と「創造」に対する基本的な問いとを結びつけて考えているのであれば。
なぜそのような痛みに満ちた転生が起こるのか、その理由はカルマです。その正確な根源は、現時点で私たちがお話しできる領域を超えています。しかしながら、ゆくゆくあなたは、実際の例や何かしらの説明を通じて、どのような状況がこのような種類の転生を招くのか、より深い理解を得ることでしょう。しかし、何にせよ、間違いが起こることはあり得ません。
質問:どんな種類の創造においても絶対的に間違いはありませんか? 100パーセント絶対でしょうか?
回答:絶対です。
別の発言:いかなる災害や惨事の理由も同じで、起こるべくして起こっただけです。
回答:その通りです。
多くのケースにおいて、創造に対する人間の見解は無数にあり、互いに矛盾し合い、対立している見解のそれぞれに真実の種が含まれます。このことは、あるのは男性的存在と女性的存在のみが存在し、入れ替わりはないという想定に対して、転生が男性と女性として交互に起こるのかどうかの疑問にも関連します。同じことが、人間は、実際には神を実体のないものとして、あるいは何かを神の一部として経験するのに反して、何故か「人」としての神を崇拝する傾向があることにも当てはめられます。何度でもお伝えしたいのですが、ことふたつの異なる意見に関して言うなら、一見矛盾するふたつの立場の根底には必ずひとつの真実の核があります。男性となり女性となる転生に関しても、どちらも正しいということにあなたは気づくでしょう。友よ、このことを瞑想し、学び認識してきたことのひとつひとつを比較し熟慮するならば、加えて、この真実を暗示するいくつもの類似点について考えてみれば、それはこうあるべきであり、これ以外ではあり得ないという理解に達することでしょう。言葉は常にそうですが、十分ではありません。この概念をあなたがたの言語に落とし込むことは簡単なことではありません。それは難しいのです。私が今お話ししていることを真に理解する為には、言葉のそのままの意味に固執せず、より広い意味で言葉を受け取ること、そしてあなたの知識を感覚と結びつけることが何よりも重要です。そうすることで、言葉ではカバーしきれない洞察が、あなたの中で育って行きます。
質問:これらの事柄について書かれることは、これまでほぼありませんでした。ガイダンスの助けを得て、私たちは自分で認識していかねばなりません。そうですよね?
回答:人類のさまざまな領域、又その他の領域にも、多くの人に広く知られている哲学や、今ここでお伝えしている内容とつながるヒントや類似点があります。知識と感覚をひとつにした時にのみ、あなたはインスピレーションに溢れた文学や哲学を読むことによって多くの洞察を得ることができるのです。
質問:このテーマに関する最後の質問をしたいと思います。ある存在の継続的で霊的な成長は、その肉体が男性であるか女性であるかには関係がないという結論に私は達しました。男性性の基本的本質は、女性として転生してもなお存続します。一時的に女性になったとしても、その人の根本が男性であるという事実は変わりません。これが本質的な真実であると私は信じています。
答え:そうですね、けれどもそれは、その人がその人生をどう生きるのか、その与えられた条件をどう使うのかによります。それによって、その人の人生はより楽で容易いものに、より美しいものにもなり得ますし、あるいはより険しく困難に満ちたものにもなるでしょう。
質問:瞑想には、霊的に働くものと、もうひとつ、より感情的に働くものと、2種類ある訳ではありませんよね?例えば、思考することなく「じっと動かず静かにして、自分が神であることを知る」ということを瞑想するとは、ただ永遠の神の本質が自らの魂に流れ込むのを許す、ということで合っていますか?
回答:まさにその通りです。もう一度、前にお話ししたことと似た内容を申し上げます。瞑想という形をとってすら、私たちは、男性性と女性性の本質をそこに見出します。そのうちひとつは知的に活発で、思考と深く関わっており、すなわち男性性です。もうひとつは、感情的で流動的な、すなわち女性性です。そのどちらも重要です。発達のある段階においてはどちらかが強まり、次の段階ではもう片方が強まり、やがて双方のバランスが取れ融合が起こるまで繰り返されます。それは、瞑想の中ででも起こり得ます。もっとも深められるべき瞑想とは、あなたがより難しいと感じる種類の瞑想であることを忘れないでください。何故ならそれが、究極の融合を実現するために欠けている性質であり、それが深められるべき性質であることを示しているからです。
質問:ある東洋の教えによると、人は過去世にもう一度転生することも可能であると耳にしたのですが、これは正しいですか?
回答:いいえ。正しくありません。
質問:人間の中の形而上学的な性質は神からのギフトです。何故ならそれを通してその人は神に近づくことができるからです。その旅路が熱心に、そして着実に辿られるならばの話ですが。そのような性質を持つよう選ばれた人々は、転生の初期にそれを得るのでしょうか?あるいは試練としてその強みを与えられるのでしょうか?もしもこの才能を使わなければ、次の人生では、この同じ才能はもう与えられませんか?
回答:ふたつの質問が含まれているので、順にお答えします。まずは、質問の最初の部分についてですが、どちらのケースも起こり得ます。霊的繋がりの為にワークし、それを手にしようと必死で頑張ったならば、その努力は次の人生で結実します。このことは、占星術のチャートにも見ることができるのにあなたは気づくでしょう。この才能は、ある人の中で容易に花開く一方で、この才能を得るために非常に苦労する人もいます。ワークを重ね、必死に頑張ったならば、次の人生においては、恐らく全てが何の苦もなく花開いてゆきます。
また、形而上学的な傾向が試練として使われるケースもあります。形而上学的な現実の体験が、成長を加速度的に促す目的で提供されます。これは次のような方法で起こります。人生において、必ずしも霊性の為のギフトとは繋がりのない功績をあげた人がスピリットの世界に入ると、その功績は法に則って正しく算定されます。全ての転生は注意深く計画され、ある段階を超えた魂は、自らも次の転生計画を決めることに参加しますが、次の人生をどうするかが検討される時、その過去世で成し遂げた功績の結果を次の人生でどう享受するかを決めるのは、その魂自身に任されます。霊性の開花という恩恵を自らの努力によって得た訳ではないケースもありますが、その場合ですら、過去世を基準として、来世においても同じように霊的な体験が起きることを強く願います。その切望がポジティブな結果をもたらし、霊性を体験する能力を創造する時、霊的なコンタクトを開く為に苦労することなく霊性を経験することができます。地上における人生での一時の安らぎは、霊的なレベルにおける幸福と比べればほとんど重要でないということを既に理解した状態で、ある人は健康を願い、またある人は繁栄を願い、また別の人はより早く霊的に成長するチャンスを望むのです。
このようにして、次の転生の計画を決めた存在たちはこう言うでしょう。「あなたの努力なくしてスピリットが成長していくことはありません。けれども、あなたの成し遂げた功績を基に、次の人生であなたがこの方向に進むために、あなた自身が自由意志を使って自分に差し出されたチャンスを掴む練習ができるようなサポートをします。その決定をするのはあなた自身であり、苦しみに打ち勝つことができるのもあなた自身です。そうすることで、霊的な解放という至福にあなたは到達するのです」そう、これは、最初のケースとは違うものです。
では次に質問の後半部分にまいりましょう。勿論そうです。この道(Path)を進むチャンスを得た人がこのチャンスを活かそうとしない場合、霊的な経験への扉はかなり長い間閉ざされると思ってください。これは私が説明する必要もないことです。このことを考えてみれば、そうなる以外道はないことは理解できるでしょう。その人は、何らかの理由で、この素晴らしいゴールへと到達する可能性を活かそうとしないのです。それは、怠惰、慰めに甘えること、虚栄心、あるいは恥など、開花させることなど不可能だとその人に感じさせることであれば、どんなことであれ理由になり得ます。そうなると、どんなに上手に自分を騙していても、個人的な落ち度の責任は負わねばなりません。その落ち度は、とりわけそれが霊的な道(Path)へと続く扉を閉ざすかんぬきとなっている場合には克服する必要があります。当然の成り行きです。そのような人は、霊性の開花の為に、より必死で努力せねばなりません。落ち度を克服したとしても、難しいということが分かるだけで、そして、後回しにしたところで難しさが軽減することはないのです。ただ、それにかかる時間が長くなるだけのことです。スピリットが経験すべき体験を抑えることは、結局のところできないのです。
親愛なる皆さん、そんなことは聞きたくないと思っているのは分かっています。既に何度も何度も必死で取り組み、克服し続けてきている人が、そんなことを聞きたい筈がありません。しかし、これが事実なのです。そして、確認の意味で申し上げますが、これは不当なことではありません。人間が手に入れることのできる最大かつ最高の幸せ、つまり自身が発達し進化するということは、最大限に努力し手に入れるものだからです。そして、もしも導きに助けられているにもかかわらず、未だ自身の最善を尽くしていないのであれば、それに従って原因と結果の法則が作用してなるべき結果になるのです。
質問:女性性と男性性の原理に関してですが、歴史もまた、女性性の時代、男性性の時代であり得るというのは真実ですか?
回答:真実です。様々な時代に、その影響が明らかに見て取れます。この点に関しては、ある霊的な存在が特に強く動いています。更に、このサイクルの変遷を司っているのは霊的法則です。この周期は、人類の進化のために必要なものだからです。
質問:例えば、20世紀は女性的な要素がより前面に出てきた世紀である、というのは正しいですか?
回答:そうです。まさにその通りです。平等化の実現のために必要な動きとしても作用しています。
質問:今日のレクチャーは、とても私の心の琴線に触れています。そして、今日のレクチャーでは、チャネラーを通してあなたの伝えたいことを表現するのに困難を感じておられるように見えました。それは何故ですか?
回答:私のお話しした言葉の意味に、難しい所はありません。チャネラーを通してある程度までは表現できています。あなたは恐らく、それを実際よりも問題と捉えたのでしょうね。私は伝えることができています。勿論、チャネラーを通すのがそう容易ではない難しい概念を取り扱うこともあります。これら全ては彼女(エヴァ)には奇妙に聞こえているでしょうし、それによって邪魔が入るのは何があっても避けたいところです。
質問:死後、スピリットがあちらの領域に再び入るとき、痛みは伴うのですか?
回答:いいえ。
質問:必ずしも伴うというわけではないという意味ですか?
回答:いいえ。痛みが伴うことは一切ありません。あなたの質問されたようなことは決してあり得ないことを証明する例がたくさんあります。
質問:痛みがないのは、その人が人生において成し遂げた功績に対する神の恩寵ですか?
回答:それについては、原因と結果、又は、神の恩寵であると言えます。両方でもあり得ますし、その人が生きてきた功績がこのような形で結実したとも言えます。あるいは、ある独自の人生の送り方を通して自ら創造した原因の結果であると言ってもいいでしょう。
質問:罪を犯した者が心の底から後悔し、償い、良い人間になろうとしたとします。その場合にも、その人は、罪を犯したことの当然の帰結としての結果を受け入れなければなりませんか?
答え:いいえ。その人が真に悔い改めることができれば、それは成長であり、このような形で成長することで、罪を引き起こすこととなった欠点を克服すると、その罪は消え去ります。どんなカルマであれ消すことができます。そしてこのことは、あなたが人生において引き起こした何らかのことに対しても当てはまります。
では、親愛なるみなさん。神の祝福をみなさんお一人おひとりに贈りながら、そろそろ私はこの場を離れるとしましょう。神の愛があなたに強さを与え、あなたを開き、そしてあなたを霊的な成長へと導きます。そしてあなたは、これまで以上に幸せな神の子となるでしょう。
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