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No.12 霊的な世界の秩序と多様性–転生のプロセス

Pathwork Guide Lecture No. 12
1996年版 
1959年9月17日 



霊的な世界の秩序と多様性–転生のプロセス 
THE ORDER AND DIVERSITY OF THE SPIRITUAL WORLDS --THE PROCESS OF REINCARNATION 


 親愛なる友人のみなさん、みなさんに神の祝福をお届けします。

 誰もが、人がくり返しこう言うのを耳にしています。「もし神が存在していて、神の秩序というものが本当にあるのであれば、どうして地上にこれほど多くのひどいことが起こり得るのだろうか?」と。ご存じの通り、人間は自分の運命を自ら作り上げているのだということを、みなさんはすでに学んできました。そして、あなたがこれほど重い荷物を背負わなければならないのは、霊的な法則を、大抵の場合は無意識のうちに破った結果なのだということを学んできました。それでもなお、これだけでは、戦争のような出来事について十分に説明したことにはならないでしょう。戦争では、少数の人びとの決定のために、何の罪もないように思われる多くの人びとが過酷な運命に苦しむことになります。これに対しては、こうお答えしましょう。第一に、広域的な大規模災害や局地的な集団内災害においてでさえも、人は自分自身の運命に見合わない、いかなることも経験する必要はありません。第二に、すでに高い浄化の状態に達しているごくわずかの人びとを除いて、すべての人が戦争やその他の大規模災害への責任を共有しています。政治家や、目に見える形で公然と世界の歴史を作っている少数の人びとだけに、戦争に対する責任があるのではありません。不純な思考や感情で宇宙の「溜め池」を汚している人間一人ひとりが、戦争に対する責任を問われるべきなのです。こうしたことは、いつか必ずその影響を受けないはずはありません。

 憎しみ、分離、自己本位、不正、差別などの思考、隣人より多くのものを欲しがる思考の一つひとつ、つまり神の法則に背く思考の一つひとつが構成要素となり、巨大な霊的構造物、すなわち戦争を作り上げるのです。つまり、戦争のような霊的構造物は、物質界で実際に破壊として出現する前に、最初に霊的な世界で形作られるのです。もし人類のごく一部の人だけでも平和の種を蒔いていたならば、無節操な政治家が少数いようとも、戦争が存在することはなかったでしょう。友人のみなさん、あなた方も含めて大半の人は、心の中に不安の種や、仮にそれが憎しみの思考ではないとしても、ひとつのグループと別のグループとの間の集団間に生じるような不信や分離の思考を秘めています。そしてこうしたものすべてが兄弟愛の法則に背いているのです。こうした類の思考の一つひとつ、感情の一つひとつが、戦争の勃発に大きく寄与しているのです。

これは、思考や感情のみに当てはまるわけではなく、政治的な問題や見解全般に対する反応一つひとつにも当てはまります。人びとが、たとえ社会全般について間違った反応をしていないとしても、私生活において誤った否定的なやり方で反応していれば、このエネルギーは戦争やその他の広域的な大惨事の発生を促す一因となるのです。あなたが自分自身を内側から浄化し、自分の感情や考えを清めて、どこにいようとも最善を尽くして自分の運命を全うするときにだけ、あなたは平和の運び手ともなることができます。親愛なる友人のみなさん、人は、霊的な生き方をすることによって、間接的に、戦争に賛成するためであれ反対するためであれ、政治家よりもずっと多くのことを成すことができるのです。

権力者たちが戦争を推し進める手助けや後押しとなるこうした「毒」を放つときには --- 今まではおそらく無意識に放っていたでしょうが --- 自分自身に正直に問いかけ、自分自身の内を探り、自らを省みてください。あなたが問題を抱えたことがある何人かの相手のことを考えてみてください。彼らはあなたを傷つけたかもしれません。そして、あなたはそれを乗り越えること、理解することができないのです。それでも、その問題を違う視点から見るようにしてみてください。その人は、ただ無分別のために、無知のために、内面に抱えた大きな不安感のために、誤ったやり方で自分を守ろうとしてあなたに反応したのかもしれない、と見るようにしてみてください。あなた自身も、どれほどたびたび似たような反応をしてきたか、そして人を傷つけてきたかをよく考えてみてください。それは、そうしたいと思ったからではなく、自分自身の盲目的な不安感から、そうすることが自分を守るための最良の方法だと思ったためだったのです。自分がこうするとその分だけ、あなたはいや応なく人から、と言ってもあなたがした相手からとは限りませんが、同じようなことをされることになります。物事のこうした有り様を認め、理解した分だけ、あなたはちょうど私がここで説明したようなやり方で、これまでは理解し難かった他人の振る舞いが何によるものであったのかに気づくようになります。この理解により、痛みはあなたから去り、あなたの相手に対する理解は確実に増すことでしょう。あなたは自分自身でこれを経験し、そしてこれはあなたの意識の一部となったのですから。この理解から共感がやってくるのですが、それこそが愛のあり方です。この理解をもって、あなたは自らの幸福を築きあげ、知識と知恵を獲得し、あなた自身の人生を満たし、平和の種を蒔くことに寄与するのです。友人のみなさん、あなた方の一人ひとりが、この小さな務めを果たしてください。これを表面的にではなく真剣に受けとめてください。そうすればあなたは大きな解放を味わうことになるでしょう。あなたは自分自身を重荷から解放することになるでしょう。

ですから、常に自分自身や自分の痛みに焦点を当てようとしないでください。相手を見ようと努めてください。自分のことは今しばらく忘れて、私が先に説明したような意味で相手を理解しようと努めてください。自分の痛みではなく、相手の痛みを、自分の不安感ではなく、相手の不安感を見てください。そして、あなたの視点から見てその状況を描き出そうとするやり方ではなく、状況全体を実際にあるがままに見るために、真実の光と知識を与えてくださるよう神に求めてください。愛する友人のみなさん、私は誓って言うことができますが、もしあなたが他者の切なる欲求(ニーズ)と孤独を理解したいと心から望むならば、あなたは彼らの誤った振る舞いをあなたに痛みを与えるものとして体験することはなくなるでしょう。 「我」ではなく「汝」に集中することにより、そして真実の全体像を見せてくださるよう神に求めることにより、あなたは自分自身を苦しみから解放することができます。この望みが真に存在しているならば、それは叶えられるでしょう。ただし、私たちはよく知っているのですが、このためには、人は本物の願いによって真に動機づけられた精神を作り上げなければなりません。このことを、自分を試す機会と考えてください。

さて、大切な友人のみなさん、ここで、みなさんの中の何人かの願いにお応えして、特別に、霊の世界における生活についてお話ししたいと思います。これについてはいずれ機会があるときにもう一度お話しするつもりです。というのは、この短い時間では、霊の世界の計り知れない複雑さや、この世界とは違う有り方や相互関係性について、ごくわずかなことしかお話しできないからです。 

この世の彼方の領域についての話を聞いた人は大抵、こうしたことすべてがこの地球上での状況とあまりにもよく似すぎていて、信じられないと思うものです。ですがみなさん、本当に、あなた方の世界にあるものはすべて霊的な世界にもあり、それどころか、霊的な世界にはさらに多くのものがあるのです。地球上にあるものは、これに対応する霊的な形態のひとつの似姿、ひとつの模倣にすぎないからです。それらが最初に霊的に存在しない限り、あなた方の世界に実際に存在することはできなかったでしょう。このように、霊的なものというのは、人がよくそう思っているように象徴ではないのです。事実はその逆で、地球上のものこそが霊的世界の実存を表す象徴なのです。このことの中には、瞑想のテーマとなることがたくさんあります。しかしながら、霊の世界のものと霊的な存在との関係は、地球上のもの、たとえば地球上の風景と人間との関係とは異なります。霊の世界では、風景や物は精神の表現であり、それぞれの霊的存在の精神活動の産物です。これに対して、人間界では、物も風景も個人とは何の関係もないように思われます。それらは個人とは無関係に存在するものとして認識されており、いわば単に機能を果たします。もちろん人間にとってこれを理解するのは難しいことでしょうが、やがてあなた方の知識も増えていくことでしょう。

 最も高次で清浄なものから最も低次で不浄なものまで、無数の領域があり、そしてその間には、みなさんには計り知れないほどのグラデーションをなす層があります。もはや転生のサイクルに支配されていない存在が皆、すでに最も高次の霊的な領域にいるというわけではありません。彼らは霊の世界で起きる進化をさらに進めていかなければなりません。最も高次の世界は私たちが「神の家」と呼んでいる世界ですが、これをそのまま文字通りに解釈しないでください。高度に進化してはいるけれど最高次の領域に住むには至っていない霊たちには、折々こうした最高次の壮麗な輝きに触れることが許されています。これらの世界は、みなさんが想像することさえできないような無限の調和と美を備えた霊妙な物質でできています。この美しさに比べれば、地球上の最も美しい景観すら汚れに染まり調和を欠いたものに映ります。この霊的な音色に比べれば、地球上のどれほど優れた名手の奏でる楽器の音すら不協和音に感じられます。言ってもきりがないほどです。私にはこれを言い表す言葉がなく、みなさんにはこれを捉えるための適切な概念がありません。あらゆるものは光線から創り出され、そのすべてが絶えず動きまわり、変化しながら、なお平衡を保った静の状態の中にあります。この一見矛盾するさまを、あなた方の言葉による概念へと移し替えることはできません。ちょうど、この高次の領域や最高次の領域に見られる壮麗な輝きについて、そのほんの模倣ですらみなさんに伝えることが不可能であるのと同じです。

 そこに住む存在たちは、すべての存在が神のもとに帰るまで、大いなる計画における彼らの使命を果たさなければなりません。見事な秩序と体制がそこを統治しています。ここには、これ以上ないほどさまざまな領域が存在します。これらについては、今日はごくわずかなことしかお話しできません。音楽と色彩の領域があり、ここでは音色は色彩であり、色彩は音色です。そしてそれらは同時に香りでもあります。地球上では、すべてのものが分離していて、統一性(ワンネス)というものが存在しません。

 この霊の世界にあるひとつの領域は、科学の領域と呼ぶことができるかもしれません。ただしこれは、あなた方人間の科学とは違います。ここでは、存在するすべての知識が公開展示されています。人間はここにある知識のごく一部を少しずつ発見していっているにすぎません。もしそう呼べるのならですが、歴史の領域というものもあります。ここでは、地球上の歴史だけでなく創造の歴史も扱っており、すべての事柄を観察することができます。映画を思い浮かべてみると分かるでしょう。すべてのものが神の息吹の中に刻み込まれているため、あなたはこれを再び見直すことができるのです。進化において十分に進歩を遂げ、特定の関心を持つスピリットたちは、特定の任務を引き受けることがあります。こうしたスピリットたちは、その道の専門家である霊的存在たちによってこの領域へと導かれ、彼らの手助けを受けながら、自分たちが選んだ任務に必要なことや役立つことを学ぶため、ここでしばらくの修行期間を過ごします。彼らは救済計画、創造の歴史、また自分の任務にかかわるあらゆることを学びます。ここには、おおまかにまとめられた未来の計画もあり、これは決まっているのは常に枠組みだけで、それぞれの魂に自らの自由意志でいつ学ぶかとその学びによる結果を見定める余地が与えられるようになっています。この領域もまた想像しがたい美しさを備えています。また、子どものままで死んだ霊たちが訓練や教育を受けるために住んでいる領域もあります。この領域も素晴らしい美しさに満ちた領域です。そして、さらに多くの領域が数知れずあります。

そこまでの高みには達していない領域にも、驚くような美しさがあります。そしてそこでも、その美しさは、みなさんの地球上でもっとも美しいものをはるかに凌駕しています。今お話しした、こうした領域の可能性と多様性は、ここにも数多く存在しています。が、その完全性は、高次の極みにまで達した同種の領域ほど完成されたものではありません。すべては、そこにいる存在たちの進化の段階によって決まります。幸福、調和、完全さへの受容力は完全に進化の状態によって決まるのです。

 浄化の領域というものもあり、地球はその内のひとつです。進化のさまざまなレベルに、こうした浄化の領域が存在しています。さらに、多種多様な学校や大学も存在します。病院もあり、病に苦しむスピリットたちが看護や治療を受けています。また、肉体を後にしてきたスピリットたちや、偉大な使命(仕事)を完了した後、霊的な世界に休息を取りにやってきたスピリットたちのための、休息の場所もあります。こうした休息の地は、それぞれの進化に応じて、さまざまな段階に存在しています。こうした存在たちは、しばしの休息を必要としているのです。

 他に、歓待の領域と呼ぶことができる領域もあります。これらもまた美しく、ほとんどは地球の領域よりもはるかに美しく、至福に値するレベルにはまだ達していない霊的な存在のための領域です。とはいえ、彼らは自らの可能性の制限の中で十分に人生を全うし、進化の道を再び歩きはじめる前に、回復の時間を必要としており、そうした回復の時間を与えられる価値がある存在です。

 広大な広がりを持ち、さまざまな部門を備えたある領域には、転生の準備が行われるための場所がいくつかあります。非常に特殊な性質の病院では、私が先にお話ししたような医療的訓練を受けた霊的な存在たちが、流体を準備する仕事をしています。彼らは、流体を操り、その存在をしばらく無意識の状態にします。そして、この領域の別の部門では、転生についての検討が行われます。ここにいる、そのための訓練を受けた高次の存在たちは、霊的な法則と、それぞれのスピリットの過去の転生をすべて正確に把握しており、その人が次の生へと持ち越して負い続けなければならない重荷や、長所や能力、完了したことや、まだ残されていることについて検討し尽くしています。彼らは、それぞれの魂がたどるよう宿命づけられた道の全容を知っているため、それぞれの存在が最も進歩を遂げるために地球上に携えていくべき長所や障害も含めて、地球上での次の生のために最も都合のよい状況や条件について、確認したり計画を立てたりすることができるのです。これからまさに転生しようとしている存在たちは、次の生について高次の存在たちと話し合い、自身の希望を述べ、忠告に耳を傾けます。

 そして、進化の段階に応じて、それぞれに違った浄化の領域があります。それぞれの存在たちの運命がどのように展開していくか、その展開は浄化のプロセスにどのような影響を与えるのか、またこうしたプロセスはどのようなものなのか、といったことについては、将来もっと詳しくお話しするつもりです。そのとき、みなさんは、浄化のさまざまな異なる領域の機能を理解することができるようになるでしょう。ここではひとつの人生、ときにはいくつもの生を見ることができる領域がある、ということだけ簡単に言っておくことにしましょう。直前の過去生ともうひとつ前の過去生が結びつくとき、この2つの人生を比較するだけで、完全な理解がもたらされます。こうして、今地球上での生を終えたばかりのスピリットは、人間が好んでするように装ったり、言い訳をしたりすることなど金輪際できないほどの明晰さをもって、自らの人生を見ることになります。人間は自分の本当の動機をすり替えたり、仮面をまとったりする傾向があるため、彼らの清浄な流れは浄化されていない性質により汚染されています。が、ここでは、すべてが明白で一目瞭然です。

 これを、人が死後に自分の人生がきわめて簡潔なシーンの連続として眼前に繰り広げられるのを見る、というよく知られた現象と混同すべきではありません。それとこれとは全くの別物です。それは常に起きる現象ですが、この場合、この現象が起きるのは束の間のことで、人間の魂はこの過去の人生の光景をいわば無関心ともいえる状態で眺めます。それはまるで他人の人生であるかのように感じられます。あなたはまったく影響を受けず、感情を動かされることもなく、客観的にこれを眺めます。一方、浄化の領域におけるこのプロセスは、はるかに長期に及ぶプロセスで、自分がこれまで理解することを拒んできたものが何であるのかをあなたが理解するまで、必要なだけ続きます。これは苦痛をともなうことでしょう。あなたは、これが自分自身のことだと心から感じるようになります。あなたは自分の人生を再体験するのです。そうした後で、地球上での人生が、ここでは、まだ肉体の中にいた地球上での場合とはまったく違うように評価されるのだということが分かるのです。肉体が魂を包み込み、閉じ込められている限り、人生で起こる一つひとつの試練や打撃による苦しみは大変なものです。困難な体験をすることは、あなたには恐怖に思えるのです。一方、外側の物事がすべてうまく行っている限り、あなたは幸せを感じるのです。

 決して高次の領域ではないのですが、すでにこうした浄化の領域にいて、完了したばかりの自分の人生の光景が展開されるのを見るという体験は、まったく違うものです。あなたは地球上では耐えがたい運命に見舞われてとても悲しく思ったかもしれません。しかし、霊的な視点から見ると、あなたはこれをよく耐え抜いたのであり、そのため、今映画を見るように再びこれを体験するとき、そのことが無限の安らぎを与えるのです。この体験はあなたに幸福感をもたらします。なぜならあなたは試練に耐え、そこにあった学ぶべきことを学んだのですから。しかしながら、満足のうちに過ぎた楽しい時間は、もしあなたがその人生において霊的な課題を完了しなかったとしたら、あなたに大きな後悔を引き起こすかもしれません。あなたは肉体を離れて間もなく人生の再体験をすることになることが多いのですが、あなたはこれを違うふうに感じ、違う視点で判断することになるでしょう。これを理解するのは大切なことです。ですから、あなたがいつか再び自分の人生を見直すとき、地球上で過ごした幸せな時間は、そのときに感じる幸福感と同じでないかもしれません。地球上においてすでに、自分自身の人生についてこの深い理解に達することができ、自分自身の人生をまさに浄化の領域で体験するように体験し、感じることができる人は、多くのことを成し遂げたことになります。そうした人の浄化は、はるかに短く、苦しみの少ないものとなり、安らぎと充足をもたらすことでしょう。これこそが人間の誤解の背後にある真実で、地上でもっとも重い荷物を負った者が霊的な世界では大きな喜びを味わうことができ、その逆もまた真なり、です。ただ常にこの通りのことが起きるとは申しません。ある人は、運よく困難な運命に出会わずにすみ、そのため真価を発揮することもなく、かえって一層憤りを募らせるようになり、神からさらに離れていくかもしれません。またある人は、幸運期においてなお良く真価を発揮し、さらに意欲的に霊的な進化を推し進めるかもしれません。ただし、こうしたケースはごく稀です。大抵は、過酷な運命を十全に経験することが成長とカルマの負債の終息をもたらし、それによって背負っている荷物が軽減されてさらなる成長へと向かう助けとなるのです。

 このように浄化の領域で、あなたは、地球上での見方とは多くの場合まったく異なる視点から自分の過去の人生を見ることになります。そしてこの視点は真実と同じものなのです。私たちはくり返し、悲しみや深い後悔を見なければなりません。それほど多くの存在が、あれやこれやの状況で違うように反応しなかったことを後悔するからです。彼らはくり返し自問するのです。「なぜ私はこれが見えなかったのだろう?あるいは見ようとしなかったのだろう?今ならすべてが腑に落ちる」と。あるいは、「なぜ私は差し出された助けが分からなかったのだろう? なぜ私はそれに対して自分を閉ざしてしまったのだろう? なぜ私は人生の真の意味を知りたいと思わなかったのだろう、私がここにやってきたそもそもの目的を果たさなかったのだろう? なぜ私はこの生が唯一の現実ではなく、それ以上のことがあるのだということを、この生は鎖を構成するひとつの輪にすぎなかったことを信じるのを拒んだのだろう?」と。そして、取るに足らないこと、偶然の出来事として自分が押しのけてしまったことの多くがどういうことであったのかが、この浄化の段階で明らかになります。スピリットたちは深い部分で、その原因を理解することになるのです。その意味が、人生のこうした数々のシーンからはっきりと見えてくるのです。そうしたシーンは、外側の生活を反映しているだけでなく、魂のさまざまな流れと反応の反映でもあるのです。

 あまりにも不快だからという理由で他の選択肢を拒み、「どうせあらゆることに意味はないのに、どうしてわざわざ何かするのか?」と自分を納得させる方を選んだのは、あなた自身であったことをあなたは理解することになります。あなた方人間は、自分自身を成長させるための努力をしたがりません。そして多くの場合、あなた方は、少なくともあなた方の一部は、この事実を受け入れることを拒みます。

 霊的な世界におけるいくつかの領域は、人間、スピリット、そしてその他多くのものにかかわるさまざまな任務のために、スピリットたちを訓練するために使われています。ここでは、特別なスピリットたちが、ミッション・スピリットと呼ばれるものになるための訓練を受けています。彼らはさまざまなグループに分かれています。地球上での災難、たとえば列車事故を例にとってみましょう。死ぬべき運命でない人びとを守ることは、こうしたミッション・スピリットの仕事ではありません。これは常にガーディアン・スピリットの仕事です。ミッション・スピリットたちの任務は、まったく突然、何の準備もできていない状態で私たちの世界にやってくる存在たちを受け入れることです。その他の死に方をした人びとを受け入れ、導き、手助けするための特別な訓練を受けたミッション・スピリットたちもいます。別の種類のミッション・スピリットたちは、時折奈落の底へ、暗黒の領域へと降りていって、光をもたらし、助けを受けるに足る姿勢を示している者がいればこれを助けます。ミッション・エンジェルたちは、こうした存在たちの態度が変わると、彼らをより高次の領域へと引き上げることができます。他にも、ミッション・スピリットたちの中には、信仰をまったく持たない状態で肉体を離れた人びとの世話をすることを専門とする者もいます。ミッション・スピリットたちはこうした存在たちに手助けと導きを与えますが、彼らはこれを自分の自由意思にしたがって受け取ることも拒むこともできます。さらに多くの可能性があります。私がお話ししたのは、少しばかりの概略といくらかの例にすぎません。

 こうしたことすべては確かに、スピリチュアルな事柄にまだ関心を持っていない人びとにとっては、訳が分からず、奇妙なことに感じられるに違いありません。この理解は、内面の障害が取り除かれ、自己認識がもたらされたとき、そしてこれらの真実を受け入れることに対して何らかの抵抗がまだ残っているのかどうか、正直に自らを省みることを厭わない気持ちになったときにのみ、やってくることができます。私たちはくり返し、抵抗を目にします。前にも言ったように、人は、自分の真実の姿を知ること、この道において自分を成長させること、そして自らの抵抗を克服することを避けます。それどころか、人は自らの内にある認めたくない嫌なことを退けます。けれどもこれは、この道の出発点に立つ人たちだけでなく、あらゆる人にとって、霊的に成長するための必要不可欠なことなのです。

 また、彼らがその気にならないのは、こんなはずはないと失望することへの怖れ、この困難な人生は最後の、唯一の、最終的な生ではないという希望を持ち続けることへの怖れから生じているのかもしれません。これは、より大きな現実を受け入れることへの抵抗の底に潜んでいる可能性がある、もうひとつの態度です。この両方の動機が、一人の人間の内に同時に存在している可能性があります。

信仰とは高度な理解であり、信仰とはノウイング(知ること)であり、このノウイング(知ること)は神の恩寵です。恩寵は自ら手に入れるべきものです。恩寵は、その人の善意が明らかなものになり、真実を否認しようとする無意識の逆流に打ち勝つときに得られます。というのも、善意が揺るがなくなれば、無意識の否定的な流れが意識の中に入り込んでくるようになるからです。こうなったときに、この否定的な流れと取り組み、これを変容させ、外側の良い意図と整合させることができるのです。自分の低い性質を知り、これを克服するという意図が確固としたものであれば、実在に対するより深い知識と体験という恩寵を受け取る土台が確立されます。友人のみなさん、地球上の世界は実在ではありませんが、霊的な世界は永遠不滅で、あなたが常に信頼することができる唯一の真実なのです。

 さて、親愛なる友人の皆さん、今日は十分お話ししました。あなた方一人ひとりがこの道において進み続け、たゆまず努力し続けてくださるなら、私たちは幸せだということをみなさんにお伝えしたいと思います。あなた方一人ひとりが神の祝福を受けています。平和のうちにとどまり、勇気と、そしてあなたの努力のすべてが最大の助けになるという知識とを持って、あなたの道を歩いてください。この霊的な世界においてあなたが取り組むことで、消えてなくなったり、いつか無駄になってしまうようなものは何ひとつありません。何ひとつです! もう一度、神の祝福をあなた方と、遠近を問わず、私のすべての友人であるみなさんに送ります。神のうちにいてください!

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