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Pathwork Guide Lecture No. 17 呼びかけ THE CALL UNEDITED版 1957年11月22日

 神の名のもとにご挨拶いたします!親愛なるみなさんに神の祝福をお届けします。神をまったく信じない人はほとんどいません。ほとんどの人は少なくとも何らかの形で高次の知性、つまり優れた叡智を持つこの宇宙の創造主を信じています。にもかかわらず、結果的にはこの前提からいかにして歩みを進めるかを知る人はあまりいません。彼らは常に神に制限を設けます。神が存在していることを認める人はたくさんいます。神とか高次の知性とか、それを何と呼ぼうとも、もちろん同じです。さらに、この驚きに満ちた創造において、もしある条件が整い満たされるなら、人間よりも高い知性を持つ存在が人間という道具を通してあなたのもとに現れることが可能であると信じないのです。みなさんはこれを信じ難いことだと考え、信じることができません。しかし、友人のみなさん、なぜそのことを信じるのはそれほどまでに難しいのでしょうか?人類よりもたくさんの愛を持つ、より高次の知性、そしてより偉大な叡智を持つ生命体が存在することは確かに信じられないことではないのです!ですから、そのような存在と交信できる可能性はあるのです。百年前、機械が空を飛んだり、つまみを回すと何百マイルも遠く離れたところで演奏されている音楽が聞けたり、映像が見えたりすることなどは不可能だと思われていました。単に、みなさんが信じていると思われるほかの人びとが、これが可能であり科学的であると宣言するのでそれを認め、あなた自身は自分では一度も経験していなくても信じるのです。同様に、神の霊的世界との交信があなたのもとに現れると、単に科学がそれについて承認していないという理由で疑います。あなたはまだ心のどこかで不可能だと言うのです。トリックでなければ、妄想や霊媒師の潜在意識か何かに違いないと。友人のみなさん、それは本当に理にかなっていますか?もしほかにもそれほどたくさんの驚くべき出来事がみなさんのこの世界で可能なら、神がみなさんのために真実の使者をみなさんのもとに送ることが、なぜ同じように可能ではないのでしょうか?このこと自体は、みなさんが抵抗なく受け入れてきた他の数多くのことに比べて驚くことではありません。

 さらに言うと、霊的世界との交信が可能であることを知り、認めている人びとがいくらかいます。彼らはそれを経験しているので疑問の余地がありません。それでも彼らは、自分たちよりも高次の存在とのそのような交信の可能性を否定します。これはさらに理にかなっていません!聖なる生命体との交信がより難しい事はまったくの真実ですが、それが不可能だというのは非論理思考の骨頂です。もし神が地球の反対側にいる人びととの交信の可能性を作ったなら、神はあなたを霊的に進化させ、神により近づける教えを受けることのできるより高次の領域との交信手段も間違いなく与えているはずです。ですから、友人のみなさん、聖なる領域との交信は可能なのです。それは今までも常に存在していましたし、これからも常に存在するでしょう。どれくらいの頻度で交信が可能かはその人次第で、その人が必要な条件を満たしているかどうかによります。折に触れて話してきましたし、これからも話すかもしれませんが、必要条件とは何か、ということに踏み込むとあまりにも長くなるので控えます。しかし、本気で興味のある人にとっては、交信の仕組みや聖なる領域との交信を得るために必要なこと、とても賢明な交信と世俗的で道を踏みはずしたスピリットとの交信の違いは何か、それをどう判定するかを見いだすことは可能です。実際、本当に交信が可能かどうかを判断したい人はそうする義務があります。そうでなければ、自分に対してさえこれが不可能だなどという権利はありません。友人のみなさん、試しもせずに不可能だと判断する権利はあなた方にはないのです。

 「呼びかけ」を受けている人はたくさんいます!神が彼らを呼んでいるのです。この呼びかけがいつ現れるかはその人の霊的な進化によります。とはいえ、そのような呼びかけを経験していない人びとが地球上にはたくさんたくさんいます。彼らはまだ霊的に子どもの状態で、そのような呼びかけは彼らにとっては無意味なのです。彼らはまだ呼びかけに従うために必要な強さを持っておらず、成長も遂げていません。それゆえに神は、彼らが経験と叡智、そして段階を踏んだ霊的成長を積み重ねるためのさまざまな転生の道程の中で、必要とされる成熟に到達するまで待っているのです。しかし、ある時、この呼びかけは必ずやって来ます。友人のみなさん、あえて申し上げますが、この部屋に座っているみなさんの一人ひとりは呼びかけられたのです。この呼びかけはどのように感じられるのですか、と尋ねるかもしれません。くり返し申し上げてきたように、人はハイヤーセルフとローワーセルフという互いに戦っている2つの性質で成り立っています。ハイヤーセルフはこの呼びかけに気づき、ある方向へとその人を押し出しますが、自己は意識的にすぐ解釈できないのです。意識的自己は、たとえあなたがこの世のすべての義務を精一杯果たしていたとしても、はっきりしない願望と現在の生活に対する不満だけを感じます。それでもなお、あなたの内には確かな声があり、どこに行くかはまだはっきりしないある方向へと、まるで押し出されるような何らかの圧力があります。あなたが呼びかけと戦ったり、ローワーセルフに屈しなければ、あなたはその呼びかけを見つけるでしょう。しかし最初は、どこで、そしてなぜ呼びかけられるのか、もしくはそれが何を意味するのかをあなたは知りません。もしローワーセルフもまたあなたの内に住んでいないならば、呼びかけに従うのは比較的簡単でしょう。ローワーセルフは努力をしたがらず、変化も求めません。ハイヤーセルフからあなたを引き離し、なぜハイヤーセルフに従うべきではないのかという数多くの言い訳を用意します。言い訳は多岐にわたり、「時間がない」や疑いの形をとるなど挙げだすときりがありません。それらはすべて合理化です。そしてマスクを剥ぎ取ること、言い訳や自己欺瞞を見分けて剥ぎ取ることに不慣れなあなたは、ローワーセルフの声を信じるのです。なぜならばあなたはこれらの合理化を信じたいからです。それはハイヤーセルフの声を信じるよりもずっと簡単なのです。しかし、この戦いが首尾よくきっぱりと終わるまで、あなたに平和は訪れないでしょう。友人のみなさん、決して訪れることはないのです。なぜならば、この呼びかけは時が経つにつれてますます強くなるからです。そして、抵抗すればするほど、あなたは自分の人生に対して不満を持つようになります。あなたの基本的な霊的発達に応じて、神があなたに期待できることが多いほど、この呼びかけに従わなければあなたはより大きな不満を感じるようになります。

 人類は、再三再四、他者より劣っているのに幸せな人がたくさんいるのはなぜなのか、と問うて来ました。これは不公平に見えます。これはなぜなのでしょうか?なぜなら低学年の子どもは、高学年の子どもよりも求められることが少ないからです。そして、もしあなたが自分の発達に従って行動しなければ、あなたは外的人生だけでなく内的人生にも不満を感じることになります。

 さて、みなさんは呼びかけがどのように感じられるのかを理解されました。では、呼びかけのあとに何がやってきて、あなたに何が求められているかを説明しましょう。みなさんのローワーセルフはそれをある程度知っています。そうでなければ、それと戦ったりはしないでしょう。では、神が呼びかけるとき、神はあなたに何を求めているのでしょうか?神はあなたに殉教者になることや、とてつもない使命を果たすことを求めてはいません。みなさんのうち何人かに対してはおそらく後者を求めていますが、ほとんどの人には求めていません。神が求めていることは、自分だけのこととして実現できますし、それについて誰も知る必要はありません。使命が大きいとか小さいとか、誰が分かるのでしょうか。単にあなたが有名で脚光を浴びているからといって、誰にも知られることなく静かにスピリチュアルなことに取り組むよりも大きな使命を課されていることにはなりません。みなさんがその使命を実現し、他者に与えられるようになる前の最初の一歩、必要な準備として神がみなさん一人ひとりに求めているのは、マスクを引き剥がし、自分自身と自分の内側と外側の動機についてのすべての自己欺瞞を剥ぎ取る自己成長、自己浄化、そして自己認識です。神はこれをみなさんに期待しています。幸せでも調和的でもない人は誰もが「私は神の呼びかけにまったく従ってこなかった」と自分自身に答えるでしょう。あなた自身だけが、これについての質問に答えることができるのです。あなたはどれくらい幸せですか?あなたはどれくらいバランスが整っていますか?あなたはどれくらい調和していますか?あなたの内面についての問いであり、必ずしも外側のことではありません。というのは、外側では問題を抱えているかもしれませんが、もしあなたが本当に正しい道を辿り、神があなたに求めていることすべてを実現していれば、あなたの外側の困難が何であろうと、あなたは幸せに違いないからです。友人のみなさん、これがあなたの立っている場所や使命の成就の度合いを測るための物差しであり裏付けなのです。私はみなさん一人ひとりに、「私はどれくらい幸せだろうか?どれくらい自分の人生と自分自身に満足しているだろうか?」と今晩家に帰ったら考えてもらいたいと思います。そして、もし不調和や不満があれば、今なら答えがわかるでしょう。もしあなたが呼びかけに従いたいなら、あなたにはできるのです!「どのようにすればいいか、何を頼りにすればいいか分からない。一人ではできない」などと言わないでください。もちろん一人ではできません。けれども、まず、本当にそうしたいと思わなければなりませんし、明確にそして無条件に決心しなければなりません。そうすれば神は、あなたが行く必要があるどんなところにでも、あなたにとって最善のあらゆる手段を使ってあなたを導きます。それによってあなたは外側から必要な助けを受け取り、あなたに期待できる最高度まで内面を成長させることができるのです。ちゃんとした生活を送り、人に害をなさず、世の中の法律を犯さない、いわゆる倫理的な人間であるだけでは十分ではありません。これは若い魂を持つ人にとっては十分かもしれませんが、友人のみなさん、みなさんには十分ではないのです。ですから、「たとえそれが自分の意志の力、努力、忍耐を使い、おそらくいくらかの痛みを経験することを意味したとしても、私はどれくらい本当に呼びかけに従いたいだろう?」と問い、自分自身を調べ、今夜答えを出してください。なぜなら、自己を認識することやマスクを引き剥がすことは、たとえそれがあとになって大きな安心となるものであっても、その過程においては常に痛みを伴うからです。あとに訪れる安心は、いったんあなたが最初の抵抗を克服したなら、あなたの魂にまさに新しい平和をもたらすでしょう。

 ですから、みなさんはまず自分のローワーセルフとの戦いが必要なことを理解しなければなりません。ローワーセルフを征服できるようになるための、意識的な意志の力を得なければなりません。ハイヤーセルフと結びつき、あなたの意志が指向する意識が勝利しなければなりません。しかし、これを実体のないものにしてはいけません。何度も何度も、どれだけ誠実に、どれだけ深く神の意志を行いたいと望んでいるかを検証してください。快適さや自己欺瞞、利己主義、さまざまな自分の欠点や弱さにしがみつくことなどを犠牲にすることになりますが、あなたはどれほど喜んで犠牲にするでしょうか?あなたにはこのすべてをどれだけ進んで手放すことができるでしょうか? あなたにとってみれば、最初はとてつもない犠牲のように思えるでしょう。しかしそれはあなたが戦っている間だけのことです。あとになって、自分の不幸の直接的な原因である重荷や鎖から自分を解放したのだという理解に至るでしょう。あとになって、あなたに向けられる神の意志は犠牲を意味しないのだということを、何の疑念も残さず理解するでしょう。なぜならそれは存在のすべての面、つまり肉体的、精神的、感情的、そして霊的なすべての面においてあなたに幸せをもたらすからです。しかし、実際にこの戦いに勝利していない間は、その決心とあとに続く結果はあなたにとって犠牲のように思えるでしょう。そしてこれもまた、神があなたに求めることなのです。神が前もってこのすべての理解をあなたに与えないで、あとになってのみ与えるのは、これが理由なのです!言い換えるなら、これが何を意味しようとも、あなたが完全に神の意志をなす決心をするまで、そしてあなたが自分のローワーセルフを服従させるまで -- これは、あなたが自分の意志の力を意識のすべての層に浸透させればできるのですが -- あなたは何をすべきか、自分のこの決心に基づいて起こる結果は何なのか、を考えようとさえすべきではないのです。あなたに次にやってくることは、ガイダンスやインスピレーションを通して明らかにされるでしょう。あなたが今それを心配する必要はありません。この偉大なる決断を下せるように、まず土壌を準備し、自分自身の内にあるこの最初の戦いを経て、基礎の石を置かなければなりません。その時にのみ、神への道に至る最初の敷居を越えることができます。しかしこの戦いは一日で決着するものではありません。戦いは時には激しく、戦いに入っていくとき、あなたは自分が何に巻き込まれているのかを知らなければなりません。しかし、友人のみなさん、私は約束できます。もしこの方法で取り組み、「私は呼びかけに100%従いたい」と言える段階にいったん到達すれば、あなたはすべての戦いの中で最も重要で最も難しい、この道でそのあとに続くものとは比べものにならない戦いに勝利したことになるのです。あなたは勝利した者としてだけでなく、以前よりもはるかに強く、それゆえにより幸せな人間となってこの戦いから立ち上がるのです。あなたはもはやこの戦いに赴く前のあなたではなくなるでしょう。そしてその時、神はあなたが次の段階に向かう助けを与え、あなたはこれを信じて良いのです。この戦いに勝利するための強さをくれるよう、神に頼んでください。あなたがすべきことは神に助けを求めようと考えることだけです。多くの人が美しく、詩的な言葉で素晴らしい祈りを作りますが、そういう人は目の前にある霊的問題についてほとんど考えません。これが大いなる間違いなのです。というのは、この問題に関連しても決まった法則があるからです。あなたが助けを求めれば、助けを受け取れるのです。特に私が述べたような助けは、受け取ることができるのです。あなたはこれらの困難とともに神の方を向くことを期待されているのですが、それがあなたに起こらないとしたら、それは残念なことです。もしあなたが心からこの助けを本当に求め、そして神に乞うなら、神は答えるでしょう。私は約束できます。唯一残る問題は、どれくらい正直に本当に助けを求めたいかということです。あなたを反対の方向に引き戻すに足る力を持つローワーセルフが、どれぐらいまだあなたの中にありますか?あなたがこれに直面せず、その重要性を理解したがらない限り、あなたは勝利を得ることはできませんし、あなたの祈りは中途半端で疑念に満ちているので望む通りの効果を得られないでしょう。私がこれらの言葉を伝えるのは、あなたが戦いに勝ち、呼びかけに従うための方法を知ってもらうためです。その時初めてあなたは平安と調和、そして切望している充足を見出すでしょう。

 利己的であることが間違っていることは誰もが知っています。同様の理由で、誰もが兄弟姉妹に与えることが正しいと知っています。それは聖なる法則に沿っていて、与えることはあなたを幸せにします。さて、この与えるという行為にはたくさんの違いがあります。このように言うのは何ですが、多くの人にとって最も安易な方法は、金銭的に与えることです。それは最も痛みが少なく、最小の犠牲を意味します。他方で、愛を与えるのが最も素晴らしいギフトであることは誰もが知っています。そしてみなさん一人ひとりが愛を与えることができるなら他に何もいらないと思っています。しかし、自分自身に向かって「そうできたらいいけれど、どうしたらできるのか?私にはできない。でも与えたい。自分が愛したいと望むほどには愛することはできない」という態度を取っていることをどれだけの人が見つけられるでしょうか。親愛なるみなさん、そうなのです。これはみなさんの魂が何かしら病んでいることを意味するのです。それは治癒されなければなりません。一人でこれを治すことはできませんが、神があなたを助けてくれるでしょう。もしあなたの内なる流れが聖なる法則に沿っているなら、あなたは間違いなく愛することができるのです。みなさんの欠点や短所の一つひとつは、愛が開かれていくことへの直接的な障害です。開かれていくという言葉を私が使うとき、あなたが与えたいと願う愛がすでにあなたの中にあるということを意味します。外側からそれを受け取ることはできません。その愛は本当にあなたの中にあるのです。それはあなたの愛が輝きそして現れることを遮る特定の層によって覆われているだけなのです。先に述べたように、これらの層とは、あなたの欠点や恐れ、そしてあなたの霊的法則に対する無知です。ですから、これらの層は消失しなければなりません。とても個人的で真剣なあなたの努力によってのみ、これは成し遂げることができるのです。これが神への道です!これが呼びかけに従うことを意味します!みなさんの欠点の一つひとつは、愛することへの直接的もしくは間接的な障害です。愛することを直接自分に強要しても、決して愛を学ぶことはできません。しかし、愛は自分自身を浄化した結果として成長し、進化するでしょう。最も良い瞑想のひとつは、「私の欠点は何だろう?そして、この欠点は明らかに私自身の中に隠されている愛の出現に対してどのような障害となっているのだろう?」と考えることです。私はみなさん一人ひとりに例を示していただきたいと思います。なぜなら、最初は、欠点の多くは愛が開かれていくこととまったく関係がないと考えるかもしれないからです。けれども、関係があるのです!

 一方で、たった今説明した間接的な道に加えて、素晴らしい直接的な道があります。あなたの中にある愛の成長をさらに進めるためには、その両方を同時に選択し進まなければなりません。もし私が今からお話しすることを実行するために学ぶのなら、みなさんは自分の魂の中にある多くの病んだ流れを治す強力な武器を使うことになりますし、あなたの中にある愛を開いていくことになります! 生きている人はそれぞれ、他者より優れていると思われたいというそれ自体当然ともいえる傾向を持っています。人は自分の欠点を隠し、短所を隠し、自分の最良の面を見せたいと思うのです。なぜでしょうか?なぜなら人は賞賛を欲しがり、受け入れてもらうことを望み、愛を切望するからです。自分の最良の面を見せることによって、愛を受け取れると思うのです。しかし、もし愛を受け取りたければ、まず与えなければならないことをみなさんは知っています。他者に良い印象を与えることによって、本当に愛を与えることになるのでしょうか?というのは、意識しているか無意識のうちかは関係なく、これが実際にみなさんのしていることだからです。一方、もしあなたがマスクをつけることなく本当の自分を与え、そして表現すれば、たとえそれが少し屈辱的であっても、あなたは明らかに最も深い意味で愛を与えています。そうなのです、友人のみなさん、このようにしてあなたは最も素晴らしいギフトを与えるのです。なぜでしょうか?なぜならみなさんの仲間は、あなたと同様に不安を感じているからです。もしその人たちが、あなたをあなたが見せたがっているようにあまりにも完璧だと思ったとしたら、彼らの劣等感はより一層大きくなるでしょう。彼らは、意識しているか無意識のうちかは関係なく、「彼もしくは彼女はすごく完璧だ。なぜ私はあんなふうになれないのだろう?」と考え、感じるでしょう。そして彼らは一層孤独になり、自信をなくし、もっと自分を嫌いになり、そして無知ゆえに唯一の防御として自分の周りにさらに強固な殻を築くでしょう。それは彼らの兄弟姉妹から、より一層彼らを引き離します。彼らは、自立していて強く、そして完璧に見られたいがための懸命の努力によってあなたがしていることと同じことをしようとしているのです。一方で、もしあなたがあなたのすべての弱さや嘘偽りのない本当の自分を見せるなら、それは素晴らしい、そして寛大なギフトとなります。なぜなら、あなたの兄弟姉妹は「おや、彼は私と変わらないじゃないか」と言い、そして感じ、そのことがその人を元気にするからです。彼はリラックスし、孤独感を軽減します。そして、何が起こるかご存知ですか?この方法でのみ、あなたが手に入れようと試みたまさにそのことを受け取るのです。それは愛、賞賛です!まずそれを手放したから受け取るのです。まず手に入れたいものを手放さなければならない、という霊的法則をあなたは知っています。あなたは賞賛と感銘を与えることを手放したのです。あなたはとても素晴らしく見せることで他者から愛を欲しがることを手放し、その代わりに彼らの想像上の不完全さの中にある孤独を和らげることによって他者に贈り物をしたのです。人はいつも他者の不完全さを見て批判するにもかかわらず、自分の不完全さについてとても孤独だと考えるからです。これは、無知で未発達な自己の逆説のひとつです。あなたは虚栄心を捨てたのです。あなたは、あなたのエゴのいくらかを手放したのです。だからこそ、ローワーセルフが今まで無知の中で選択してきた他の方法で受け取れなかったものを、この方法で、この方法でのみ受け取れるのです。もしあなたがこの方法で自分自身を手放すならば、他の人間に与え得る最高の贈り物を授けることになり、その結果霊的法則は効力を発するのです。

 親愛なるみなさん、それはこれほど簡単な方法なのです。あまりにも簡単で誰も今まで考えなかったでしょう。しかし、最初は簡単には思えません。意識的もしくは無意識のうちに自分のために築き上げた高い場所から自分を引き下ろすことは難しく思われます。しかし、抵抗があっても、いったんこのステップを踏み出せば、あなたは自分自身の内側と外側で聖なる法則が働いていることが分かります。この結果は間違いなくやってきます。あなたが解決できない問題がどこにあろうとも、これを試してください!試すのです!大げさに捉える必要はありません。誰か知らない人のところへ行って自分をおとしめる必要はありません。これがもし自然に、そして気取らずに実行されなければ、それはかえって他者を当惑させるかもしれないので、自分をおとしめる必要はないのです。マスクをはずして自然でいればよいのです。あなたが本当は何であり誰であるかを見つけ、そしてその人であってください!ここでまた、あなたが神の助けを求めるという決断をくだせば、いつどのようにそれが出来るかに対する助け、機会、そしてインスピレーションを受け取るでしょう。もしあなたがそれに対してオープンであれば、突如としてそれを意識するようになり、おそらくあなたの家族もしくは友人に対して、今まで自分が演じていただけで本当の自分を与えていなかったことを人生で初めて発見するでしょう。そして、いったんこれを意識するようになると、あなたは偽りのない本当の自分として行動できるようになるでしょう。

 胸の悪くなるような誇張はいけません!極端はいけません!というのは、他のすべてに両極があるように、ここにも両極があるからです。自己嫌悪にふけり、他者の目から自分を引きずり降ろしている人もいます。彼らは「私はとても悪い罪人だ、私はこれだ、私はあれだ」と言います。これはもう一方の極端にある偽善的マスクです。こういう人は、これらの方法で他のグループの人たちが望んでいるのとまさに同じことを成し遂げようとしています。この方法はしばしば無意識に行われますが、とても利口なやり方です。自分自身を非難することによって、他者の手から武器を取り上げるのです。このようにして、他者はあなたを非難することが不可能になり、あなたの自責に反論したいとさえ思い、それゆえにエゴが増強するのです。さらに、あなたはしばしば自分を非難するだけでそれ以上何もせず、欠点を克服する必要がないと考えます。この態度は確かに存在し、これはもう一方の極端と同じくらい悪いのです。ですから、もしあなたがこれらの言葉について考えるなら、これらの両極について考えてください。どちらか一方の極により偏りがちな人は誰でも、反対の極に行くことがそれほど簡単であることがわかりません。手始めとして、あなたの弱さが何か、あなたがどんな傾向を持っているのかを知ること、ただそれが大切なのです。本当に偽りのないものだけが効果があり、それについてみなさんは確信を持つことができます。これもまた法則です。

 では友人のみなさん、質問を受け付けます。

 質問:私の体の状態の裏に潜んだ心理的問題を見つける手助けをしていただけますか?

回答:分かりました。あなたの質問には、部分的にあなたにもあてはまる方法でお答えします。まったく個人的に今お答えすることはできません。他の人にとってそれは公平ではないし、あなた自身にとっても公平ではありません。あなたが正しい方向を模索する助けとなり、同時に誰にとっても役に立つ一般的な説明をしたいと思います。いわゆる心因性の病気がどこにあろうとも、その原因もしくは根本は潜在意識の中に見出されなければなりません。これを一人で発見するのはとても難しいことです。それでも、私があなたに教えることができ、それを知ればこの道を少しでも先に進むことができるかもしれないあるポイントがあります。第一に、私はみなさんに自分のすべての欠点を見つけることお勧めします。というのは、このような外からの援助を得て浄化のプロセスを経験していない限り、自分の欠点すべてに本当に気づいている人はほとんどいないからです。これらの欠点は見つけることができます。簡単ではありません。特に私がたった今述べたことに関しては、欠点を見つけるのは少し屈辱的なことでもあるかもしれませんが、それはみなさんにとって良いことであり健康的なことなのです。できれば一番近くにいる大切な人、自分のことを最もよく知っている人に「どうか教えてください。私の欠点は何ですか?率直に言ってください。怒ったりしません。私はそれについてよく考えてみるつもりです」と頼んでみてください。そして、その人にそうしてもらったあと、たとえそれが不当だと確信していても、言われたこと一つひとつをよく考えてください。不当だとしても、あなたはもっと先に進む手がかりを与えてくれる真実の種を見つけるでしょう。これはとても重要で、根本へと至るとても直接的な道です。最初に自分で知っている欠点が少ないほど、自分のことをよく知らないと証明していることになります。

 その後、夢分析は別として、自分の潜在意識を見つけるために、私がお勧めするのは最良の方法は私がデイリー・レビュー(日々の振り返り)と呼んでいるものです。どうすればいいのかは今ではみなさんよくご存知ですね。その方法で、みなさんは特定のことについての自分の本当の反応を見つけることができます。その方法で、特定のマスクや偽りを引き剥がし始めることができます。そしてその方法で、あなたは自分がどこで霊的法則に反した行動をしたかを見つけることができます。これは次のやり方で行う必要があります。あなたの1日が、あなたの目の前をそして記憶の中を通り過ぎるのを許可してください。そして何かしらの調和を欠いた感情や反応を起こした出来事すべてについて考えてみてください。他者がどれほど悪かったかは関係なく、あなたがそれに触れて反応を起こした瞬間、あなたの中に何か間違ったことがあるはずなのです。あなたがしばらくの間これを続ければ、いずれそこから浮かび上がるはっきりとしたパターンを見ることができるようになります。ただし、たった一度や二度では良い結果をもたらすことはないので、本当に誠実に、そしてしばらくの間定期的に真摯に取り組むことが大切です。最初はこれらの出来事は関連性がなく、切り離されたものに見えるでしょう。つまりそれらは、最初はあなたにとって意味をなさないのです。しかし時間が経つにつれて、まずパターンに気づき、次にはっきりと理解するでしょう。あなたに起こること、自分の反応、そしてその関連性について短い言葉で書くことをお勧めしたいと思います。これは大いに助けになるでしょう。このデイリー・レビューを行うときには、いつも必ず光明とガイダンスを求めて祈りをささげてください。そうすればひらめきや考えがあなたに流れ込み、最初は意味をなさなくても、やがてはさらなる手がかりを与えてくれるでしょう。これらの考えを追い出してはいけません、抵抗してはいけません。あとになって、これらすべてがはっきりとした全体像を形作ります。パズルと同じで、一つひとつのパーツを見てもその全体像は見えませんが、我慢強く取り組むと成功します。このように、あなたは自分の病気の原因となる隠された不安や強迫観念を明らかにするのです。病気の原因のほとんどが不安や恐れなのです。どんな形であれ、ほとんどすべてはあなたが意識的に理解することを許さず、潜在意識へと押し込めた恐れなのです。ですから、それを取り出さなければなりません。意識的なマインドの中で、そしてあなたの魂の内側で、逸れてしまったある霊的法則の気づきの中で、適切にこの恐れに取り組むまでには時間と努力が必要になります。自分の欠点を認識することは最も重要であり、隠された不安と直接関連します。この認識こそが問題を解決するための唯一の方法です。親愛なるみなさんに申し上げます。あなたの中には大きな恐れがあります。あなたはそれに気づきたくないのです。みなさんの人生のある側面において敵意を生み出す恐れ、これもあなたが気づきたくないと思っている恐れです。これを見つけるとき、あなたは根源にたどり着き、そのあとに達成されるべきことは、ある特定の感情の流れの再教育です。もし真面目にそれを行い、結果を明日や来週に期待せず取り組み続けるなら、必ず根源へと至り、あなたの魂の中にある特定の肉体症状を作り出す結び目を解くことになります。分かりますか?

 質問:お尋ねしたいのですが、テレーズ・ニューマン(ドイツ)の奇跡を説明していただけますか? 

 回答:それについてあなたが分からないのは何ですか?

 質問:彼女は毎週血を流し、何年も食べていないことなどです。

 回答:この短い時間では、これらのことがどのように働くのかについての技術的説明のようなものはとてもできません。ただこの世界には可能なことがとてもたくさんあります。みなさんが「奇跡」と呼ぶのは、多くの人が霊の世界との交信を統制する法則や霊が霊媒を通して現れることを知らないのと同じように、単にみなさんが理解していない法則なのです。こんな短い時間ではこれを説明することはできません。ある程度までこれを試みるには、多くの講義が必要になります。肉体の統制を司るたくさんの霊的法則が存在します。そしてそれを成し遂げた人物はこの人だけではありません。他にも肉体の機能を完全にコントロールする人は存在します。このようなことが起こるとき、霊的世界からのいくらかの影響が現れます。そのような現象はすべて似たようなものです。

 質問:そのような人は必然的に霊的に高度に発達していることを意味しますか?

 回答:普通はそうです。それらの人びとは果たすべき使命を持っています。彼らは、人類を目覚めさせる何かをもたらします。彼らは「奇跡」と呼ばれるものを起こします。みなさんは知っていることですが、ここで強調したい重要なことがあります。全宇宙を奇跡だと考えない限り、奇跡という言葉が通常理解されている意味においての奇跡などというものは存在しません。そして宇宙はもちろん奇跡なのです!そこにはただ法則があるだけです。みなさんはそのうちのいくつかを理解していますが、理解していない法則も数多くあります。そして人類は理解できない法則や出来事を「奇跡」と呼ぶようになりました。

 質問:動物の進化についてお尋ねしたいと思います。最も高度な動物が人間になるとき、たとえば行儀がよく優しい馬が最も低次の部類に入る人間、おそらく犯罪者になる、ということを想像することができません。

 回答:いいえ、一頭の馬が一人の人間になるとは言えません。それは正しくありません。全体を形作るたくさんの部分があるのです。そして必ずしも犯罪者であるとは限りません。いいえ、そうではないのです。そのような人は単に知識がほとんどなくまだ無知なだけで、もし犯罪者になるとしたら、それはただその人の自由意志が、その人の性質の低い部分に屈服するように向かわせただけです。もし視覚的に説明するならば、動物の中にある魂の粒子は、人間の内部にある組成の性状とは異なっているのが分かります。もしこのように大雑把に説明するとしたら、おそらく一頭の馬は人類のひとつの側面を表し、もう一頭の馬は別の側面を表しているなど、そのように説明できます。というのは、動物の魂は全体ではないからです。それは単に全体のうちのひとつの粒子なのです。そして転生が起こる前に、これらそれぞれの動物の魂のグループが霊的世界に集められ、長い長い時間をかけてきわめて複雑なプロセスを通過させられます。そのことはみなさんに説明するのは不可能です。それらは無意識にさせられ、それらの流体やオーラ体は分解され、かつてそうであった状態により近い、原初の神聖なる輝きの周りに新しいオーラ体が形作られる過程を通過します。そしてその時、最初の転生を始めることができます。その時白紙の状態で始めるのです。この存在が決めることはどんなことでもすることができます。何となくは分かりますか?これはみなさんの誰にとっても理解するのはとても複雑であることは知っています。

 質問:たとえば、動物は人間と同じ病気になります。人間は自分の病気から学びますが、動物は病気になることで何を学ぶことができるのですか?

 回答:そういう問題ではありません。人間に転生する前の段階では、学ぶことは何もありません。それはただ通りすぎるだけのものです。

 質問:偉大な考えは霊的世界から始まりますか?それともここで始まって、戻されるのですか? 
回答:いいえ、違います。それらはもちろん霊的世界で始まります。これは以前お話しましたが、それぞれの専門分野、芸術、科学のための特別な領域があって、それぞれの領域には違った生命体が住んでいて、働き、創造します。そして、これらの存在が転生するときには、それに関する何か、もちろんそのほんの一部を持ってくるのです。彼らはそのすべてを覚えていることはできません。彼らは状況に応じて彼らを導く霊的世界の友人の助け得ながらこの世界でそれを明らかにしていきます。しかし、これは霊的世界で作られるのです。というのは、地球の全領域は、起源でも原因でもなく、ただの結果なのです。ですので、すべては霊的世界で作られるのです。

 質問:霊的世界のスピリットや医師やマスターは、物質的問題に関して私たちに助言を与える能力の範囲において制限されていますか?

 回答:はい、彼らは確かにそれに対して制限されています。彼らはとてもしっかりと賢明に制限されている法則に従ってのみ助言を与えることができます。ここでも、あなたはご自分では理解することができない質問に触れています。あなたは漠然とした考えを持つことしかできません。たとえば、スピリットたちはもしその介入が自由意志を妨げるなら、ガイダンスにおいて介入することができません。なぜならば、みなさんはこの地球に、とても明確な目的のために自由意志を持って生きているからです。すべてが楽しいとか、痛みがないとかはあまり重要ではありません。みなさん人類だけが、これが最も重要だと考えているのです。みなさんが病気になったり、痛みがあったり、問題を抱えたり、ある種の不幸に見舞われると、みなさんはこれがこの世の終わりだと思います。みなさんの目標はいつも幸せでいることと、簡単な方法で問題を取り除くことです。しかし、それは違います。重要なのは、どのように克服するか、どのように自分の問題を解決することができるか、霊的観点からどのように問題に向き合うかなのです。それによってのみみなさんは強くなり、本当に自立するのです。もし不適切な介入があれば、みなさんは学ばなければならないこと学ぶことができないでしょう。

 質問:たとえ私たちがある具体的な助けを求めたとしても?

 回答:もちろん助けは与えられます。そしてこれも法則に従って規制されています。助けを求めるという事実そのものが、すでにあなたが何かを学んだ証です。しかし、ここでもどのように求めるかに注意深くならなければなりません。私は次のように求めることをお勧めします。「父よ、私の困難に対する本当の理由を、私が解決できるように示したまえ。」単にこの困難が取り除かれるように求めてはなりません。それは間違った、未熟な求め方です。しかし、正しい方法で求めれば答えを得られるでしょう。自分の困難から学ぼうとしてください。親愛なるみなさん、あなた方がこの方法で求めるとき、その祈りに対して答えを得られる可能性が高まります。おそらく、あなたが考えたのとはまったく違う方法で。

 質問:回復途中にいる友人に対する私たちの瞑想や祈りは、どの程度役に立つと期待できるのでしょうか?

 ヒーリングというこのテーマについて、私ははっきりしたことを示すことはできません。なぜなら、祈りを通して癒す力を持っている人は本当にほとんどいないからです。しかし、瞑想の中のみなさんの祈り、友人やさらには誰に対してでもあなたが考えることはとてつもない助けになります。みなさんは、自分の祈りがどれほどの助けとなっているか見当をつけることすらできません。なぜなら、みなさんご存知のように、一つひとつの思考や感情は、霊的世界においては実体のある形だからです。そして、考えたことは決して失われることはありません。特にあなたの愛や善意からもたらされる建設的で良い考えはなくなることはないのです。これらの思考は、悪のエネルギーに比べて善のエネルギーをずっと強めるために宇宙の貯蔵庫に加わります。ここでは深くお話しできないことがたくさんありますが、それによると、もしこの友人が直接的な助けを与えられるとしたら、あなたの祈りがすぐにでも結果をもたらすでしょう。けれどもこれは、おそらく現時点では人類が思い描くことができるものとは違った形です。一方で、もしこの愛する友人が、その人自身の最終的に得られる永遠の幸せと束縛からの解放のために、いくらかの困難を通り抜けなければならないとします。その場合にもこの祈りはなくなることはありません。みなさんはそのことを確信することができます。この形は、言ってみれば保存されて残り、適切な時に適切な結果をもたらすでしょう。この種のものは決してなくなることはないのです。ですから私は、ある程度まで自分の魂の中に神を見出した、数少ない特別に恵まれたな人びとが、自分自身のためにだけでなく、他者のために祈りをささげることを強くお勧めします。一般的な成長段階にいる魂やまだ微かな光にさえ達していない不幸な魂のために、祈ってください。とても多くの思考が非生産的で有害でさえある悩みに無駄に費やされています。もしその同じ時間を生産的に使うことができたら、その時あなたは全宇宙で起こっている救済計画に大いなるエネルギーを加えることになるでしょう。そしてそれは祈りのほかにはありません。

 質問:すべてのことは人間の信念の顕在化なのかどうか知りたいと思います。

 回答:友人よ、人間の信念の顕在化とは、正確に言うと何をさしていますか?これらの言葉の意味は何ですか?

 質問:つまり、私たちが地球上で知っているすべてが、人間がそうであると信じている結果なのですか?

 回答:この質問にイエスかノーかで答えるのは大変難しいです。こんなふうに当てはめてみましょう。地球の領域または物質世界は、ある目的があって人類のために創られました。これは何度もお話ししてきましたので、今もう一度詳しく話す必要はないでしょう。主な目的は成長です。この地球の領域においては、成長はより早く進みます。地球上にあるものすべて、景色や山、海、家やあなたの持っているものは目的を持って存在しており、人びとの態度によって形を変えることはありません。言い換えれば、みなさんはこの部屋を、とても高度に発達した人とも、とても低い発達の人とも同じように見ます。この部屋にあるものは、標準の感覚知覚を持ったどんな人間にも何ら変わることはありません。しかし霊的世界は、そのスピリットの発想、態度、思考、精神構造を本当に映し出します。そこでは、すべてが考え、感情、行いの結果なのです。従って、常に同じ発達段階にいるスピリットがひとつの領域に集まります。他のスピリットは、たとえば低いスピリットを例にとると、彼らはより成長を遂げているスピリットが見ることのできる景色や見えるもの、そして彼らの人格から生み出されるものを見ることさえできません。しかし地球ではそうではありません。そして、それには非常に正当な理由があります。それでもあなたの言うことには若干の真実がありますが、実際の物体に関する限り真実ではありません。それはある意味、人間が自分の人生でなす以上のものです。人は、かなりの程度、自分の人生を導き、決めることができます。その意味においてあなたは正しいのです。十分な信仰を持っている人は誰でも、おのずと聖なる法則に従うでしょう。そして、真剣に聖なる法則を学び守ろうとする人は誰でも、この道の最初にはまだ不足していたこの信仰を手に入れるでしょう。ここでも、この信念を、自分に強いることによって手に入れることはできません。それはただ自己発展によって有機的に成長することができるのです。それはたとえ最初は難しくても、これらの法則を生きることで成長するでしょう。そしてその時、人は自分自身の人生を導き、神を見つけるために必要なすべての状態を作り出します。これらの聖なる法則に従わないでいる時、人は好ましくない状態を作り出します。この点においてはあなたが考えていることは真実です。違いが理解できますか?

 質問:これを聞く理由は、聖書には「信仰によって、あなたは動かざるものを動かすことができる」と書いてあるからです。

 回答:そうです。それはまったくの真実です。これらはいわゆる奇跡、超自然的な出来事と呼ばれています。ほかに質問はありますか?

 質問:神秘主義と白魔術・黒魔術の違いを簡単に説明していただけますか?

 回答:これは今晩のテーマとしては長すぎます。次回のためにその質問を覚えておいて、できればこの質問に入っていく時間がもっとある時に、質問時間の最初に尋ねられてはどうかと思います。

 私は神の祝福とともに退き、みなさんの元を去りたいと思います。神の愛を受け取ってください。なぜならこの部屋には今実際に大いなる祝福があるからです。おそらくすべての人がこの輝く力を見ることはできないでしょうけれど、みなさんが神の愛にオープンであるならそれを感じ、受け取り、神のためにそれを使うことができます。平和のうちにいてください!


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