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Pathwork in Japan
No. 196 コミットメント -- 原因と結果
Pathwork Guide Lecture No. 196
UNEDITED版
1971年12月17日
コミットメント -- 原因と結果 COMMITMENT -- CAUSE AND EFFECT
親愛なるみなさん一人ひとりに安らぎと祝福と愛を贈ります。みなさんがこの道において取り組んできた骨の折れるワークと、このパスワークにともなう勇気と正直さと謙虚さは、みなさんが注ぎ込んできたものに応じた充足感と安らぎをみなさんにもたらしてきました。今やあなた方の多くは、問題の解決がどのように起こるかを体験する段階---あなた方が心の中でいつも疑ってきた段階---に実際に差しかかっています。今やあなた方は、まわりの人たちとの間に、より親密で心からの関係性を築いており、グループ全体の内部における関係性は特筆に値します。これが可能になるまでには、長年にわたる努力が必要でした。
安らぎ、充足感、光、希望、そして親しい友人に対する信頼にみちた親密さが欠けている場合には、これを、自分の中の何かが間違っているという判断の基準にしてください。これは本当に正確な基準です!あなたは、自分自身の内なる道において成し遂げた進歩に応じて、人生の状況や内面的な状態を体験します。これ以上に正確な尺度はありません。あなたは他人と比較して自分を評価することはできません。あなたが今いる場所はあなたにとってちょうど相応しい場所かもしれません。そこは、まさにあなたがいるべき場所かもしれません。もしそうであれば、あなたは明るく希望に満ちた気持ちになるでしょう。同じ内面の岐路に立つ他の人は、もしかしたらその人自身の道において遅れを取っているかもしれません。自分の持つ可能性に追いついていないかもしれません。その人は、この転生で全うすべくたずさえてきた自分自身の計画を遂行してはいないかもしれません。だからこそ、自分自身や人と衝突するのでしょう。あなたの人生の計画の達成度を測るための信頼できる現実的な唯一の尺度は、自分自身について、自分の人生について、そして周囲の人びとについて、自分がどう感じるか、ということです。
今夜のレクチャーは、前回のレクチャーの続きから始めましょう。これは、前回のレクチャーの続きであり、あなたが自分の道においてさらに一歩進むうえで、特に最近明らかになったネガティブな意図から抜け出すにあたり、歩みを進める助けになるはずです。多くの人にとっては、このネガティブな意図を明らかにし、認め、これを正直にオープンに表現し続けることが必要です。とはいえ、あなた方の多くはすでに十分にこれをやってきており、今はもうこれを手放し、ポジティブな意図へと置き換える準備ができています。
多くの人にとって、ネガティブな意図から抜け出すための出口を見つけるための鍵は、一方ではコミットメントということについて、また一方では原因と結果ということについて完全に理解することです。これら2つはまったく関係のない別々の事柄のように思われますし、これらはどちらもネガティブな意図とはまったく関係がないように思われます。が、実はこれらはすべて本質的にはつながっており、もう少し話が進めばあなた方にもこれを理解できるようになるでしょう。
まずコミットメントについてお話しましょう。コミットメントとは実際にはどういうことを意味するのでしょうか?私たちは、このコミットメントという言葉を、それが意味することを本当には理解も探究もせずに何度も繰り返し使っています。これが意味するのは、何よりも、注意を一点集中し、それがどのようなものであってもコミットする領域に全身全霊で打ち込む、ということです。もしあなたが、何に対してであれ、自分の最善と自分のすべてを与えることにコミットしているならば、あなたはあらゆる角度からそのことに集中します。あなたは自分のすべてのエネルギー、すべての注意を注ぎ込むことを避けたりはしません。あなたは自分が活用できる思考、直観、瞑想といった能力を使います。言い換えるなら、あなたはこの試みを建設的なものにすべく、まだ現実化していないこの眠れる霊的な力を活性化するために、自分の物理的なエネルギー、精神的な能力、感情、意志を総動員するでしょう。このためには、意志がネガティブな対抗勢力によって分断されていないときにのみ可能となる、アプローチの一体性が必要とされます。言い換えれば、完全にコミットするためには、ネガティブな意図が存在していてはならないのです。
コミットメントは、想像し得るあらゆる取り組みの中に存在します。コミットメントは、人生における最も大切な仕事とも言える、進化のための霊的な道のような偉大で重要な試みのためにだけ使うのではなく、毎日の生活のあらゆる平凡な小さな任務にも使います。あなたがコミットしている度合いに応じてその分だけ、あなたが行うことは、喜ばしく、葛藤から解放され、実り豊かで、満足感が得られるものとなるでしょう。それは、一つの方向に向けられ、深みと意味をもち、成功をもたらし、祝福が刻み込まれ、至福の感情をともなうものとなるでしょう。
もしあなたがある取り組みに自分の全てを、半分ではなく全てを与えるならば、それは価値や満足感を与えるものである以外に、何になり得るでしょうか?けれども人が自分の全てをもって何かに取り組むことは、どちらかといえばまれなことです。人は大抵の場合、取り組みに対して自分の半分しか与えません。そうした後で、結果がそれに相応した不完全なものになると、うろたえ、腹を立て、失望します。
ここで、原因と結果が関係してきます。ある結果が、ある原因が作動した結果もたらされたものだと認識されていない場合、すなわちコミットメントが半分しかなされていないことが原因である場合、あらゆる類の負の連鎖反応をともなう分離が意識の中に存在しています。その結果もたらされる混乱は、まず無力感と不当感を生み出します。もしあなたが、自分がある試みに対して自分の一部でしかコミットしておらず、自分の別の部分はノーと言っていることに気づいていない場合、そしてまた、そのことのために望ましくない結果がもたらされていることを無視する場合、あなたは苦々しさを感じずにはいられません。あなたは、この世界は道理もなにもない危険な場所だと感じずにはいられません。するとあなたは、恐くなり、防衛的になり、不信感を抱き、強奪的になり、不安を感じ、冷酷非情になり、その結果、全面的なコミットメントを妨げている反対側の力を変えようとする代わりに、他者を押しやることにエネルギーを使うようになります。あるいは、失敗や受け身な態度の中に引きこもるようになります。
コミットメントに関して、原因と結果の間が切断されていると、間違ったやり方で調整を求める必要が生じます。コミットメントが欠けている場合には常に、そこにはネガティブな意図も必ず存在しています。
友人のみなさん、あなた方の大半は最近このワークをする過程で、自分のネガティブな意図の探求を始めています。内側にネガティブな意図があるところでは、意図的にこう言います。「私は自分の感情、あるいは努力、注意、あるいは自分の正直さ(あるいは何であっても)の持つ最善を与えたくない。私が最善を与えるのは、それを求められているから、あるいは全額払わずに結果が欲しいから、あるいはそのこと自体とは別の隠された動機があるからだ。」これに気づくことと認めることがいかに大切かは、強調するまでもありません。それは必要不可欠なつながりをより深く理解するための鍵なのです。けれども、もし原因と結果の間にそれらを結びつけるものを確立することができなければ、この気づきだけでは十分ではありません。このネガティブな意図に気づいていながら、この原因と結果とを結びつけるものを確立することがまだできない、ということは十分にあり得ることなのです。
実際にこの道の途上にいるあなた方の多くは、少なくともある程度まで、いくつかのネガティブな意図、いくらかの意図的な抑制、いくらかの意図的な悪意のある態度を認めることができるようになっています。あなた方の中にはまだこれを十分に認めることができない人もいますが、あなた方の大半はこれを認められるようになっていますし、かなり多くの人が自分の中にネガティブな意図が存在することを完全に認めています。けれども今のところ、自分が最も嘆き、苦しんでいる人生の側面が自分のネガティブな意図によって発動された原因の直接的な結果であることに気づいている人は、あなた方の中でもごくわずかです。あなた方はまだ、望ましくない苦しみを他の要因のせいにしています --- 他者の間違った行い、偶然、不運のせいにしたり、あるいは自分ではまだよく把握できていない自分の中の何か理解し難い「問題」のせいにすることすらあります。
これは最も重要なポイントです。私がすべての方にお勧めしたいのは、自分の人生の中で最も自分を不幸にすることを探求してみることです。あなたが苦しんでいるのはどんなことでしょうか?あなたの苦しみは、たとえば伴侶との間で満足感が得られないとか、相応しい伴侶がいないといった明白な状況によるものでしょうか?そうであるなら、自分自身の内部を調べて、「この点に関して、私の持っている意図は何だろうか?」と自分に問いかけてみてください。そして、自分の中に、「いいや、私は愛や関係性や異性に自分の最善を与えたくない」と言っている声があることが確かめられたならば、あなたの苦しみの説明がついたことがわかるでしょう。あなたは原因と結果の結ぶものを引き出すことができます。
もしあなたが経済的な安定性を欠いているのであれば、こう言っているネガティブな意図が見つからないかどうか探ってみてください。「私は自分の面倒を見られるようになりたくない。もし私が自分の面倒をみたら、両親が責任を取らなくてもいいように仕向けることなる。あるいは自分が与えたくない何かを与えなければならなくなるかもしれないからだ」と。ここでもまた、自分のネガティブな意図---たとえそれがどれほど巧妙に潜んでいようとも、その意図を達成しようと方向づけられた過活動の陰に隠れている場合があるとしても---がその結果を招いたのだという因果関係を結びつける必要があります。この過活動はあなたを欺いているのかもしれません。そしてあなたは、隠されたネガティブな意図の力を無視して、この過活動はポジティブな結果をもたらすのに十分なはずだと思いたがっているのかもしれません。もしあなたが後者のことにすでに気づいているのであれば、あなたはその重要性をいまだに否定しているのかもしれません。あなたがこのことにまだ気づいていないのであれば、今こそ、この望ましくない結果への手掛かりを握っている可能性がある、自分の心の内なる領域の探求を始めるのに格好のときです。
あなたは恐れを感じますか?安全ではないと感じますか?不十分だと感じますか?説明のつかない不安や緊張を感じますか?自分でもどうしてかわからない罪悪感に苦しんではいないでしょうか?そしてこの明らかな罪悪感は特にそのレベルではまったく不当なものに思われることから、そのような罪悪感を抱く必要はないのだと自分に言い聞かせてはいないでしょうか?自分の弱さを、自分が自己主張できないことをひどく嘆いてはいないでしょうか?友人のみなさん、これらは全て、あるレベルにおける意図的な何らかのネガティブな意図の結果であり、これらすべてを認めて、明るみに出さなければなりません。例えば、あなたが恨み、頑固さ、反抗心、悪意、憎悪、プライドなどを抱いていると、これらの特性はすべて、必ずあなたに罪悪感を抱かせます。このような罪悪感は、何年も前にお話ししたように、不自然で不当な罪悪感の中にはけ口にします。この罪悪感もまた、あなたを自己破壊的な行動へと導きます。それは、弱さや不安を招いたり、自己主張をできなくさせたり、あなたが解放されたいと思うすべての苦しみを引き起こします。あなたが、こうして現実化していることとネガティブな意図の原因の間を結び付け、ネガティブな意図の原因を手放すことができれば、そのときにのみあなたは本当にこの苦しみから自由になることができるのです。
この結びつきに気づかないと、あなたは、自分が迫害されている被害者のように自分を位置づけていることに気づくでしょう。そして、あなたの中でネガティブな意図を認めたくない気持ちが強ければ強いほど、あなたは被害者であることを利用し、自分の恨みがましい、非難にみちた自己憐憫と無力さを使って人生や他者に対して自分の思い通りの結果を与えて欲しいと「説得」するのです。けれども、望ましい結果というのは、ポジティブな意図からしかもたらされません。けれどもポジティブな意図はコミットメントを求めます。それも完全で絶対的なコミットメントです。あなたがそのやり方で自分自身を注ぎ込むのが嫌な場合、あなたは正当でない手段によってその結果を得ようとします。これは、当然のことながら、ますます罪悪感を強化します。この罪悪感は、自分自身と正直に向き合うことへの恐れを増すため、あなたはますます、自分が満たされないのは外部の原因や、今はまだわかっていない罪のない内部の要因のせいだと自分を納得させようとします。そうして、悪循環が続いていきます。
あなた方のなかには、このネガティブな意図を一瞬垣間見たことがある人もいるでしょう。これは、それ以前のまったく気づかない状態と比べれば進歩です。けれどもあなた方はあまりにも早くこれを忘れてしまいがちです。あなたはその衝撃を無視し、必要な結びつきを引き出すことに失敗します。そしてまた、自分のやり方、つまりそれまでのやり方を続けることになります。
前にもお話しましたが、あなた方のなかには、破壊的な態度にしがみつきたい、憎しみや、復讐、報復などにしがみつきたい、という欲望を完全に認めている人たちもいます。しかしそうではあっても、あなた方はまだ、これがはっきりした一定の結果をもたらすことを理解できていません。つまり、自分の精神状態、自分自身に対する態度において、明白な結果をもたらします。そしてそれはまちがいなく、他者からもたらされる結果です。なぜなら、あなたがこれらのネガティブな意図をどれほど隠していようとも、あなたが、これもまた実際に存在するポジティブな態度をどれほど強く表現しているつもりでも、ネガティブな意図はあなたが実際に思っているよりもずっと、あなたの他者に対する行動や表現に大きな影響を及ぼすからです。そして、それはさておくとしても、ネガティブな意図は他者の魂の物質や彼らの無意識の感じ方にいや応なく影響を及ぼします。平均的な人間の場合、この感じ方は無意識のレベルに留まっているため、意識的なやりとりに加えて無意識でのやりとりも生じることになります。両者にとって、多くの場合不可解で不思議な亀裂やトラブルが引き起こすのはこの無意識のやりとりなのです。混乱、自己非難、無感覚(感情の死)などは、他者の中のまだ探求されていないネガティビティを引き出す反応の代表的な例であり、こうして、それは堂々巡りになります。霊的に成熟した人だけが、このような無意識で受け取ったネガティブな意図を意識化することができます。そしてそれは恩恵です。なぜならばそれによって無意識の状態で起こる致命的な混乱を避けることができるからです。
自分の人生における原因と結果の関係を真に理解することができれば、あなたはネガティブな態度やネガティブな意図を手放し、ポジティブな意図を取り入れたいという気持ちになるだけでなく、気づきを得て、感情的にも霊的にも成熟することができるようになるでしょう。成熟とはおおむね、原因と結果を結びつける能力のことです。この原因と結果を結びつける能力は、成長を通してその人がどれぐらい気づきを得ているか、その度合いをも示しています。
乳児を例にとって考えてみましょう。乳児が痛みに満ちた肉体的の感覚を体験する場合、乳児は知性が不足しているため、原因と結果を結びつけることができません。痛みをもたらす主体は乳児の意識からは完全に消し去られています。そのため乳児が体験するのは単に結果、すなわち痛みだけです。この子がもう少し成長して幼児になると、原因と結果が密接に結びついている場合には、原因と結果の関係を推測することができるようになります。幼児が火に触って火傷を負うとしましょう。この子は、火が原因であり、火傷の熱い感覚が結果であることを理解できます。この子は、火傷の痛みの感覚を味わいたくなければ火に触ってはいけない、という人生のレッスン(教訓)を学びます。ここでは原因と結果が密接に結びついています。子どもはこのレッスンを学ぶことで、人間の成長の道程において成熟という課題で最初の単位を取得したことになります。
しかしこの子は、原因と結果がもっと遠く離れている場合には、それらの関係を理解することはまだできません。けれども、もう少し大きな子どもであれば、例えばおなかが痛くなったのは何時間か前に食べたいだけ食べ過ぎた結果だということを理解できます。この場合、もう少し長時間の範囲にわたる因果関係を理解できるということは、成熟度がさらに上がったことを暗示します。人は年を経れば経るほど、というよりはむしろ、成熟すればするほど、それほど明確でもなく、はっきりとも見えない、そしてより長期間にわたる原因と結果の結びつきを引き出す能力が高まります。
感情的にも霊的にも未熟な人は、原因と結果の関係を現実的にたどっていくことにあまり意識的ではありません。そのような人は、自分の体験や自分の精神状態がある特定の原因によってもたらされた直接的な結果であると判断することがまったくできないか、あるいはそう判断することを好みません。その人は、過去の行動が結果をもたらすことも、また内面の密かな、率直でない、不明確な態度がその避けられない予測可能な結果をもたらしたのだということも理解しません。そしてその原因と答えを求めて、別のあらゆる方向を探すことになるでしょう。おそらく自分自身の中を探すときですら別の方向を探すことになるでしょう。そして、原因と結果の関係を結びつけることができない場合には、堂々巡りをすることになります。この道における進展を示す螺旋状の動きではなく、円の中をぐるぐる回り続けるのです。
原因と結果の関係は、人間の意識にとっては、ひとつの人生と次の人生との間で途切れているように思われます。このような道において気づきが育ってゆく場合にのみ、霊的に成熟した人は、、これまでの数々の転生から今生へと引き継がれる原因と結果の重要なつながりを十分に感じられるまでに成長し、さらには内的にもそれを知ることができるようにさえなります。深く、意義深い方法で自分の人生の鍵となる重要な点を説明してくれるこの内なる知識は、成長を通して獲得されるべき天啓であり、霊能力者から前世についての話を聞くのとはまったく違うものです。このような内なる知識は有機的なプロセスなのです。
一方、透視能力者や霊能者の未来を予言する能力は、魂の内にある原因、避けられない正当な結果を現実化せざるを得ないような原因を見抜く能力に基づいています。このプロセスはしばしば見誤られがちです。これは「超自然的」で神秘的な現れと思われています。例えば、運命的にあらかじめ定められている宿命、という考え方などあらゆる類の間違った考え方が、この誤認から生じています。
原因と結果を結びつける能力の徐々の成長、そしてそれに関連する成熟のプロセスと気づきの深まりにより、このような安らぎと光がもたらされるのです!とはいえ、自分が嘆くようなことを自分がどのように作りだしているか、また、まったく別の人生体験をしたいと思ったら自分が固く握りしめているものをどのように手放さなければならないかということを理解するのは、最初はひどく居心地が悪いことかもしれません。しかしいったんこれらの法則の美しさを理解し、これを認めてしまえば、これによって生まれる安全や自由の感覚は言葉では表しようがないほどです。それが伝えてくれるのは、私たちがなんと安全で、公正で、愛に満ちた宇宙に生きているかということです。他の何ものも、このようなことを感じさせることはできません。
今生と以前の過去生との間の原因と結果の関係もまた、内なる態度によって確立しなければなりません。例えば自分が生まれる場所や自分の見た目、顔、身体、才能など自分のコントロールを超えた宿命のように思われるもの、この全ては自分が原因で、自分が望んだものだと感じられるでしょう。ときにそれを望んだのは賢明である場合も、破壊的である場合もあります。原因と結果のまさに同じ原理が、この宿命と思われるものの中で、そして今、この生においてあなたの内側で起こっていることの中で働いています。あなたは自分の内側で、ポジティブな意図とネガティブな意図の両方を持っているのです。それぞれが必然的にまったく異なる体験と精神状態を作り出します。スピリットがその乗り物を変えるときに、なぜこの原理が変わってしかるべきなのでしょうか?この原理は完璧であり、免除も、中断も、変更も必要ないのです。
要約します。原因と結果を結びつけられるようになればなるほど、すなわち成熟度が増すほど、気づきが深まれば深まるほど、ポジティブな態度とポジティブな意図がますます養われるようになり、それと比例して、安らぎと充足感が増していきます。そしてそれと同じ割合で、いつでも手に入る宇宙の豊かさを現実化するようになります。安らぎや充足感が欠けているときには常に、気づきの不足、成熟の不足、原因と結果の関係に対する気づきの不足が伴い、これはネガティブな意図とつながっています。
私たちの道やこれに類するものは、次のような段階に区分することができます。あなたは、誤認、ネガティブな意図、残留する痛みから成る深い内奥の層を探求すべく、まず手探りで模索し、ワークし、もがきながらも懸命に取り組みます。これらの側面のどれかについて取り組むときのアプローチは、それぞれに異なります。この内なる道がそれを作りだします。アプローチは常に重なり合っています。この道は常に、人に何度となく行きつ戻りつすることを求めます。探求し、学ばなければならない態度や側面も、当然ながらたくさんあります。それらの多くについて、私はこれまでのレクチャーでお話してきました。しかし、最も重要な浄化は、これらの3つの側面からなります。最も内奥のレベルにおいて誤認を真実へと置き換えることができるとき、ネガティブな意図がポジティブな意図へと置き換えられるとき、そしてその人が痛みを体験することに対してもう防衛しなくなるとき、初期の浄化のうち相当数の段階が完了したことになります。
ネガティブな意図は、痛みを体験することに対する防衛です。誤認は、ネガティブな意図と防衛、両方の結果です。そのため、これら3つの側面の間には本質的な関係があります。成熟とは、自分が生み出したものを、それと戦わうことなく体験する能力の中にあります。成熟した魂は、自分が生まれながらにもっている固有の感情に対して気軽に、受容的になり、それらを十分に味わいつくします。これこそが、悪を消滅させるための唯一の方法です。悪はあらゆる防衛の中に存在しています。悪はいかなるタイプのネガティビティの中にも存在していることは明らかです。そしてそれは誤認から生じます。
悪を取り除くこと、それを本来の状態、すなわち純粋なエネルギー、愛にあふれ真実に満ちた意識へと戻すのは、この進化の道の途上にある人すべての責務です。だからこそ、この浄化の段階を達成するために、数多くの転生が必要とされるのです。
悪は痛みを生み出していますが、痛みへの恐れと痛みに対する防衛は、さらに多くのさらにひどい痛みを、そしてさらに多くの悪を生み出します。防衛の幻想は、人が痛みを体験することに対して完全に開いた状態になったときに体験することができます---が、私がここで言っているのは偽の痛みのことではありません。みなさんがご存じの通り、そしてみなさんはこれについては今まで十分にワークしてきていますが、それ自体が防衛であるような痛みというものが存在します。これは、強制する流れから生じる耐え難く、ねじれた苦い痛みで、「分かっているだろうが、人生よ、私にこんな仕打ちをするな」と言っているのです。それは、コントロールしたり、操作したり、隠したりすることをやめて、存在するものを存在するままに、ただ痛みのままにしておく、成熟した意欲を欠いています。このような成熟したやり方で痛みを味わうことで、あなたは、あらゆる安らぎと至福をともなう状態へと近づきます。あなた方の中にはすでにこれを少し味わったことがある人もいますが、あなた方がすべての防衛を手放し、そうして自由にポジティブな意図を選び、人生に対して最善を表現することができるようになるまで、それを味わう人がもっと増えるでしょう。
偽の、防衛としての痛みには苦さ、自己憐憫、恨みが含まれています。したがって偽の痛みは安らぎを破壊します。本当の痛みは穏やかです。なぜならば、自己操作をせずに完全に自己責任を担っているからです。本当の痛みは、「かわいそうな私、私だけがこんな目にあって」などと言ったり、「私は駄目だ、自分の容疑を晴らすこともできないほど駄目な人間だ」などと言うことはありません。これらの態度はどちらも真実ではなく、そのため、悪の本質的な部分です。
防衛のない本当の痛みは、扉を開き、光をもたらし、自己の中核を、その回復力、創造性、そして感情と知識の深みをともなった自己の中核を明らかにします。いったん魂が人生の差し出すもの --- それは時には痛みであるとしても --- にいつでも応じられるよう準備を整えておくことを学べば、ネガティブな意図はもう必要ありません。残っている痛みが徐々に消えたあとは、現在の痛みは、それが生じたときに、否認や誇張もなく、その出来事に偽りの解釈を押し付けることもなく、まさにそれそのものとして体験されます。そうなると、誤認も、ネガティブな意図も、悪も、苦しみも存在しません。この状態は、恐れに終息をもたらします。死への恐れも、人生への恐れも、存在することへの恐れも、感じることへの恐れも、宇宙の至高の愛を体験することへの恐れもなくなります。奇妙に思えるかもしれませんが、至高の愛を体験することへの恐れが人間の最も大きな恐れなのです。
進化の歩みにおける第2の主要な段階は、魂が宇宙の至福に順応することを学ぶことです。悪が存在する分だけ(つまり誤認、防衛、ネガティブな意図、自分が生み出した痛みを体験することへの拒絶が存在する分だけ)、至福は耐えがたいものとなります。けれども、魂は、たとえ悪から解放されていても、最初は、スピリットの巨大なパワーに耐えられるように強化される必要があります。至福にあふれた純粋なエネルギーというものは、そのパワーのなかでくつろいでいられるのは最も純粋で最も強力な存在だけ、というほどに強いものです。この原理が真実であることは、人間の発達の中である程度認識することができます。至福、喜び、恍惚、幸福に耐えられないという体験は、あなた方の誰もが体験していることではないでしょうか。人は曇りがある状態(グレーな状態)にいる方が居心地良く感じます。宇宙のスピリットのパワーは、悪、防衛、未経験の痛みのゆっくりと動くエネルギーとは相容れないものです。
今この集まりの中でそうであるように、この純粋な霊的なパワーが流れ込むとき、あなたの最初の反応が泣くということになるのはそのためです。これはあなたの成長の結果なのです。あなた方はみな、この強力な感情につかまれ、そうするとまず、あなた方の中の涙が引き出されます。それにより、あなた方がまだ味わっていない、悲しみ、切望、痛みなどのいまだに残っている感情が引き起こされます。けれどもこれを味わっている間にも、あなた方はすでに解放感や霊的な滋養、歓喜、精神的高揚、あふれだしてくる愛を感じます。これらはかつて言葉にすぎませんでした。けれども、あなた方が互いに真実の自分を正直にさらけだす結果として、それらは今、現実となっています。これが愛の絆を強め、至福や与えられた力の強大さに耐える能力を高めています。だからこそ、あなた方がこの力を体験するときにまず泣くという反応をするのは、きわめて理にかなったことなのです。いずれは、あなた方の中に新たな歓喜が現れることになるでしょう。この新たな歓喜の兆候はすでにあります。今でさえ、あなた方は以前の感じ方とは違うふうに感じています。まさにあなた方の涙が、あなたの歓喜のチャンネルを開いているのです。
あなた方の中のいまだに防衛が強すぎる人たちは、この力が自分の中に入ってくるのをまだ受け入れません。あなた方は自分自身を固くして「安全」にしています。とはいえ、スピリットのパワー、開いた状態でいることのパワー、自分の中にある悪の一時的な真実に正直にさらけ出すことのパワーに繰り返し身をさらしつづけると、最終的には手放すことができるほどに強くなり、感じることができ、真実でいることができるようになります。けれども、裁いたり疑ったりすることで自分の防衛がいかに強固であるかを正当化することだけは決してしないでください。この正当化こそが、自分が自分であることや、本当の自分であることに対するあなたの最大の防衛なのです。それはなんと愚かなことでしょうか!自分を人生から締め出しておいて、あとで愚痴を言っているのです。
ですから、親愛なるみなさんに申し上げます。この探求の道を大きく前進してください。そして自分のネガティブな意図、恨みに満ち、意図的に差し控えているものも認めて飛躍してください。それを認めるのです。そして、次のつながりを作りだしてください。自分の人生において、また自分の状態においてあなたが最も嫌っているものを探ってください。あなたが変わってほしいと願うものは何でしょうか?この2つの側面の間に橋をかけてください。これにより、あなたには、痛みや切望、悲しみ、恐れなどのまだ体験していない古い感情を感じたいと願うための原動力と動機が今まで以上に与えられます。自分の中にあるものを感じることに完全にコミットすると、あなたは自由になり、本当に生きている状態になります。防衛を手放すにつれて、あなたの感じる痛みは、不満に満ちた苦さという偽の痛みから、穏やかで、心なごむ、喜びに満ちた本当の痛みへと移っていきます。そうです、それは喜びに満ちた痛みなのです。この本当の痛みは、本当の人生の芽を宿しています。あなたが自分の感情に、また人生をありのままに体験することにコミットすると、この芽はすぐにあなたの意識へと達し、植物へと成長を遂げます。あなたにとって人生がどれほど喜びに満ちたものになることでしょうか。ただ頑固さを手放すだけです。あなたの人とのつながり、あなたのポジティブな関係性は、どれほどあたたかく豊かなものになり得ることでしょうか。
友人のみなさん、偉大なる計画に組み込まれると大きな責任が生じます。この道をたどるあなた方一人ひとりが、このような責任を負っています。あなた方一人ひとりが、です。このような責任は、重荷というようなものでは決してありません。それは、人が体験し得る最大の特権です。これほどに人を幸せにし、人を満たし、自由にするものは他にはあり得ません。成熟のもうひとつの証は、責任に対する態度です。子どもっぽい人は、責任を重荷として、また歓迎などできない望ましくない締め付けとして体験します。けれども成熟すればするほど、人は、自由と責任は互いに結びつき、相互に依存しあっており、引き離すことはできないことをますます理解するようになります。責任を感じないとき、あなたは決して自由ではあり得ません。
あなたが自分のネガティブな意図のために生み出した不幸は、あなただけではなく、あなたから滲み出て他者にまで撒き散らされます。あなたは必ずそれを人に、避けようもなく与えることになります。あなたが知ろうと知るまいと、あなたはそのことで罪悪感抱かずにはいられません。それは当然の罪悪感です。あなたは、ネガティブであったり抑制したりするときにはいつでも、愛がないばかりでなく、実際に人から奪い、人を傷つけているのです。これは行動のレベルで起こっているわけではないかもしれませんが、前にもお話したように、目に見えないやりとりのレベルでそれが起こっていることは火を見るより明らかです。起こっていることを相手が直感的に理解できない場合や気づくことができない場合には、ますますそうなります。
物理的な行動のレベルは結果にすぎません。内なるレベルと内なる現実こそが原因であり、それが結果を決定づけるのです。見かけ上は良い行動が時に破滅的な結果をもたらすことがあるのは、このためです。これは、当事者の双方が正しい振る舞いをしてはいるが、この振る舞いが秘められたネガティビティによって損なわれている場合に、そうなります。一方で、一見かなりひどい出来事が恵みとなることもあります。この場合には、潜在する動機や要因、そしてその体験にどう向き合うかという内なる態度が真実でポジティブなのです。顕在化していないレベルは、顕在化しているレベルよりも、はるかに本質的で鋭いものです。そのため、あなたのネガティブな意図は、たとえそれが明白な行為として現れていなくとも、あなた自身だけでなく他の人々に対しても悲惨な結果を及ぼします。それは傷つけ、奪うのです。
もし他者が彼ら自身の防衛から十分に解き放たれている場合、彼らは、気づいているために痛みを体験することになるでしょう。彼らは痛みを潔く体験するため、それは彼らに傷を残すことなく去っていきます。それは一瞬の痛みであって、それが、抑圧された残留物の淀みに付け加わることはありません。けれども、自分のマスクと防衛の中で自らのネガティブな意図といまだに闘わなければならない人は、自分の反応を実際には意識していないとしても、苦い痛み、新たな拒絶を体験します。その後、この痛みを意識化し、そこから自分自身の進化の道を歩み続けるか、あるいは古びた、防衛的でネガティブなパターンを強化し、正当化し、これを増大させるかは、もちろん彼ら次第です。
友人のみなさん、この全てを申し上げるのは、あなた方が取り組んでいる素晴らしいワークの結果、あなた方の責任が大きくなりつつあるからです。そして、あなた方が放つあらゆるものへの影響もまた同様に大きくなります。あなた方が進歩すればするほど、あなた方の中にまだあるネガティビティの持つ影響力もまた大きくなります。これはまた別の霊的な法則なのですのでこれについては別の機会にお話しすることにしましょう。このグループ全体としての進歩は、効果的なワークそのものをもしのぐ新たなポジティブなエネルギーを作りだしています。このワークは目に見える結果を生み出していますが、この段階においては目に見えない成果もあなた方の理解を超えてもたらされています。自分がやっていることに対するコミットメント、あなた方が互いに助け合っているさまは、とても素晴らしいものです。あなた方はこうして霊的な責任を果たしているのだということに気づいてください。目に見えない次元では、ポジティブな行動と態度とネガティブな行動と態度の両方が、同等に影響力と結果とを強めています。これを実感して、これを助けとし、またやる気を起こす刺激剤としてください!
これで一通りのことをお話しましたので、次の言葉でこのレクチャーを締めくくりたいと思います。みなさん、自分の真実に、自分に最善を与えることに、ネガティブな意図そして恨みに満ちた抑制を手放すことに、全身全霊をもってコミットしてください。今やあなた方はそれを理解しています。それを手放したいと願い、あなたの内側にいる神にそれとは反対のポジティブな態度を作り出すサポートをしてもらってください。その祝福は本当に計ることなどできません。このレクチャーもまた、前回のレクチャーと同様、あなた方が新たなポジティブなコミットメントを何度も何度も繰り返しするために、さらなる一歩を進める助けとなるでしょう。まだ自分の中に残っているネガティブな意図の別の面を見つけるときにはいつでも、それに対応するポジティブなコミットメントをしてください。このやり方で、あなた方にますます大きな祝福を永遠にもたらしてくれる新たな霊的なエネルギーを引き出してください。
私はそろそろここを去ることにしましょう。そうするとあなた方がこれまでもやってきたように、自分たちで少しワークができるでしょう。それはとても素晴らしいことです。このワークにより、あなた方はさらに親密になり、それは純粋で強力なエネルギーを生み出します。そして、みなさんには、これが本当にそうであることがたやすく感じられるでしょう。互いに助け合い、自分をさらけだし、認め合ってください。そのようにして、自分の憎悪をオープンに表現することにより、あなたは愛するように、真に偽りなく愛するようになります。ますます大きな祝福が永遠にもたらされるはずで、実際にもたらされます。問題が起こるときには、真実を求めてください。そうすれば全てうまくいきます。真実にコミットしてください、そうすれば全てうまくいくはずです。親愛なるみなさん、祝福を受けとってください。宇宙の愛はみなさんを包み込んでいます。
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以下の注記は、Pathwork®の名称およびこのレクチャー資料の使用法を示したものです。Pathwork®の商標/サービスマークは、The Pathwork Foundation(パスワーク・ファウンデーション)によって所有され登録されており、The Pathwork Foundationの書面による許諾なく使用することはできません。The Pathwork Foundationは、その単独裁量権において、Pathwork®の商標を、協力団体やその支部のような他の組織および個人による使用を許可します。
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Pathworkのガイドの著作物は、The Pathwork Foundationの所有資産です。このレクチャーは、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーに準拠して複製され、いかなる方法においても変更または省略することはできません。また、著作権、商標、サービスマークおよびその他あらゆる公示の削除は許可されません。
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日本語版の取り扱いについて
Pathwork in Japan (パスワーク・イン・ジャパン) の許可なしに、無断でコピー(複製)、貸与、頒布、販売することを固く禁じます。また、文書およびインターネット上(ウェブ、メール)での引用・転載を含む公開も禁止します。
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