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Pathwork in Japan
No. 21 天使の堕落
Pathwork Guide Lecture No. 21
UNEDITED版
1958年1月17日
天使の堕落
THE FALL
主の御名においてご挨拶します!皆さんは祝福されています。親愛なる皆さん、前回は悪がどのように存在するに至ったのかをお話ししました。この問題は、愛である神がどのように悪の存在を容認したのか想像がつかない多くの人々を悩ませてきました。今夜初めていらした友人の皆さんは、今日のレクチャーを理解するために、過去二回分のレクチャーを読まれることをお勧めします。
物質世界が存在するより大分前に、自由意志のみならず特定の力を与えられた被造物の一部が、その力をどのように悪用したかについては簡単に説明しましたね。これが、とてもゆっくりとしたプロセスで起こったことも説明しました。この「天使の堕落」と呼ばれる出来事はとてもゆっくりと起こりました。ゆっくりとした退化のプロセスと呼べるでしょう。これによって、神聖なものは全てゆっくりとその正反対の側面に徐々に変化していきました。そして、力を悪用した者と悪用しなかった者との間に分離が生じました。これまでも頻繁に言ってきたように、未だ地球上に住んでいたとしても、あなたの態度、意見、感情、思考は霊的な世界を創り出します。このことは、スピリットであれ、人間であれ、全ての存在に当てはまります。結果として、皆さんはそれぞれ自らのものとなる世界を創造するのです。同じ方法で、堕落に参加したスピリット達は、彼らの態度の変化に応じる新しい世界を創造しました。それは暗く、地獄と呼ばれるようになる世界です。不調和と憎しみの態度が、その表現に従って創造しました。この創造は、ひとつの可能性だけではありません。例えば、完全な状態にある存在が、その特別な特質として愛の大いなる強さ、神聖なる愛の火を持っていたと仮定しましょう。この愛の力は正反対に向きを変え、憎しみと邪悪の火を生み出します。こうして、とても不調和な方法で灼熱の世界が存在するようになります。ですから、これらの伝説は全て、皆さんから見えているような非現実ではないのです。別の仮定をしてみましょう。ある人が完全な発達状態にあり、賢明な冷静さ、判断力、冷静な思考という特定の特質を持っていたとします。これらの特質は、その存在が、この特別な創造力をゆっくりと展開していくことで、特定の方向に神の創造を進めることを可能にします。それが反対の方向に向けられれば、氷のような冷たさ、氷のような暗闇と孤独の世界を生み出すでしょう。無限に多様な神の特質が、どのようにその反対の性質に変化し、その変化した性質に類似する世界を暗闇に創造するのか。これには、神聖なる世界に無限の可能性があるのと同様に多くの可能性があります。霊的な意味での火の領域や氷のように冷たい領域は、ふたつの例に過ぎません。ヘドロや汚物の領域もあります。過密、あるいは孤立を通した激しい苦しみの領域。他にも本当に多くの種類があるのです。
神聖なる特質の最も重要な側面のひとつは、自由意志と選択の自由です。これも又、真逆にならざるを得ませんでした!この力を悪用する誘惑に最初に屈したスピリットは、ルシファー、サタン、悪魔と呼ばれ、他の存在達が自分に従うよう影響を与えました。この存在は当然のことながら、この新しい世界に存在するようになった最初のスピリットです。彼は、彼に従う全ての者に対して完全な権力を持ち、神に反して自らの力を行使します。神は選択の自由を与えます。このことには、皆さんが気づいている以上に深い意味があるのです。その自由をもって与えられた力を悪用し、神聖な法則に反して力を使用する可能性も当然ある訳です。選択の余地がなければ、自由も力も存在しません。自由な選択から達成し、維持できないのであれば、神聖な幸福など存在し得ず、神性など全くありません。更に、神や神の法に反対する側は当然、この自由な選択の禁止と弱肉強食の支配となる筈です。
これらの堕落した存在の救済に関する限り、この事態は解決不可能のように思われます。何故なら例え、彼らが神の下に帰りたいと願うようになったとしても、暗闇の世界を統治する者の支配と力の下にいるために、彼らは神の下に帰る力を持ちません。神はどのように自らの法を破らず、神を慕う存在達を救うことができたのでしょう?もし、与えられた力を自らのやり方で使うことを決めた存在達の自由意志と選択を覆して、神がその無限の力を行使するとしたら、それは原理的にルシファーと同じ行為となります。ここでは、神の原理を維持することが何よりも最重要でした。何故なら、神ご自身と神の法に真実であり続けることによってのみ、神の方法とルシファーの方法との間に根本的な違いがあるからです。全ての生き物が自由な選択と認識をもって同時に神の下に帰り、神性を再び手に入れることが神の計画でした。ですから、例えその目的が善きものだったとしても、神がその対抗者と同じ武力手段を使わないことは必須事項でした。結末だけではなく、手段も非常に重要なのです!これらの原理に忠実であり続けることによってのみ、堕落した存在の中で最も頑固な者も、いつかはこのふたつの方法の大きな相違と、この神聖なる原理に成立する尊厳を認めることでしょう。例えそれが、自ら創り出した惨めな状況から抜け出したいと望む者にとって苦しみの道を意味するとしても。スピリットとしての生活は、内的調和、悟り、全般的な態度と直接的関係にあるため、不調和になったスピリットを簡単に調和の世界の中に「入れる」訳にはいきません。皆さんが美しい国に旅行に行くのとは違うのです。霊的には、その国はあなたであり、あなたの産物です。従って、一度堕落したスピリットは、再び調和の世界を自然に生み出す状態に達しなければならなかったし、そうでなければならなりません。それが退化を伴う堕落が起こったのと同じ、ゆっくりとした発達プロセスでしか達成できないことは十分に自然なことでしょう。これもまた、自由な選択によって起こらねばならないこともお分かりですね。「神は何故、悪を廃止しなかったのか?」等の疑問は、最早あなたの熟考には上がって来なくなるでしょう。また、神の下に戻り、ルシファーの法ではなく神の法に従いたいと願う存在達が、神の法の枠組みの中でそうすることができ、それによって何者の自由意志も、ルシファー自身の自由意志でさえも壊されない手段を見つける必要がありました。これが、キリストが主要な役割を果たした偉大なる救済計画です。これについては次回、より詳しくお話します。
初め、これらの暗闇の領域は、ルシファーの支配下でスピリット達が住む場所として存在し始めました。最初は、スピリットがかつて持っていたロンギング(憧憬)や、光の感覚はありませんでした。自ら選んだ「薬」とその悲惨さを相当に試してから初めて、それが何かは分からないながらも他の何かへの漠然としたロンギングが、これら存在の一部を捕らえました。言うまでもなく、不調和が始まるに従い、神と神の世界の記憶は消え去っていましたが、彼らの態度が変化するにつれて記憶は復活してきました。しかし、それは非常にゆっくりとしたプロセスでした。霊的な光は知識です。霊的な暗闇は知識を無効にします。人間も同じですが、霊的な悟りがない場合には、この光のわずかな兆候を取り戻すために霊的なワークをする必要があります。最初は一部の、その後は更に多くの存在達が感じた漠然としたロンギングは、あたかも遠くの夜明けが少しだけ彼らの世界の輪郭を変えたかのような微かな光をもたらすのには十分でした。寒さはもうそこまで寒くありません。火はもうそこまで熱くありません。汚れはもうそこまで汚れていません。そして孤独は、もうそこまで耐え難く絶望的ではありません。
十分な数のスピリットがロンギングの状態となり、このロンギングが増大すると、時が満ちて物質世界が顕現しました。皆さんは、神がこの物質世界を創造したと言うかもしれません。それは真実です。何故なら、神聖なる創造力がなければ何も創造されることはないからです。しかし、より高次の何かに対するロンギングによって、物質世界が創造されたことも同様に真実です。皆さんが今住むこの世界は、より高みを追求する願望の産物であり、そこには特定の条件が存在します。その条件の下、発達を進めることができ、暗闇の世界では不可能だった神を求める自由な選択ができます。違う言い方をすれば、この地球領域は、堕落したスピリット達のロンギングの産物です。しかし同様に、神の下に留まった全ての存在のロンギングの産物でもあります。その存在達の最も深い願いは今も過去も常に、兄弟姉妹を神の下に連れ戻すことです。ですから、神の世界と暗闇の世界の両方が、この地球領域の創造に貢献しました。従って、ここでも自由意志を持った存在達の個々の態度によって、両方の世界の影響が存在し、顕現していきます。勿論、この地球領域での条件と状況は、この新しい物質の形態によって異なります。しかし状況は、あらゆる領域で異なります。
これらの堕落したスピリットが男や女として生まれる段階までに進化する大分前に、霊的な生命力は生命の様々な形態を創り出すよう働きました。動物、植物、無機物、その他自我の目覚めのない他の物質、それぞれの内で生命力は働き、自らを顕現させるものとしました。時が経つにつれ、益々多くの存在が光への憧憬を持つ状態に至りました。これは当初、その存在達が持っていた唯一の感情でしょう。徐々に、非常にゆっくりと、物質的な形態を持つ人間が様々な段階を経て現れました。これが起こった時、大いなる段階が達成されました。何故なら、これが自己認識の最初の閃きが生まれた、再誕した、あるいは再び目覚めた時だったからです。そして益々、より多くの人々が地球上で生きるためにやって来ました。
思考と決定を含むこの自己認識があってこそ、発達は可能になります。言い換えれば、自己認識は必要条件です。人間以前のあらゆる生命の形態は、この時点に至るまでの先導でした。
人間が自らの霊的世界を創造することは、皆さんもご存知でしょう。神の世界の影響も受け取れる地球上で、人は堕落以降初めて学び、変化し、神に向き直り、自らにとってより良い世界を物質的にも霊的にも創造する可能性を手にしました。人は肉体的な死の後や、睡眠中に体が休んでいる時にも霊的な世界に入ります。霊的世界から、人はあらゆる種類のインスピレーションや影響を受けることができるのです。これが、発達を早く進められない理由です。何故なら、転生した全ての存在は当初発達段階が非常に低く、常に自らの領域の影響を受けていたからです。地球上に、神の世界が作用していなければ、地球領域と暗闇の世界の領域との間には何の違いも存在せず、どちらの場合も暗闇の世界の影響のみが生じたでしょう。
友人の皆さん、この全てについて、私は非常に大まかな説明しかできないことをご承知ください。そもそも人間の言語と理解における制限が強いが故に、このことは人間には完全には理解できない非常に大きな疑問に触れています。ですから原則的には、私はこの事についてあまり話したくないのです。何故なら、皆さんとって大事なことは、自らの魂を知り、それによって霊的成長を学ぶことだからです。しかし、人が単なる表面的な好奇心からではなく、誠実にこれらの根本的な疑問について知りたいと思うことは良くあり、このことについての無知や間違った概念が人の成長を深刻に妨げる可能性もあります。私がこのシリーズのレクチャーをするように命じられたのはこのためです。もっとも、皆さんの内の何人かは、この題材を一般的なものではなく、それぞれの人生に特定に関わるものとして、真実と深い意義を感じとるだけの十分な内的感受性をまだ得ていないかもしれません。
神の世界の影響は、どのように顕現したのでしょう?神の天使達は、暗闇の領域から転生したこれらの人間達を導き、霊感を与え、繋がっていたのでしょうか?それは不可能です。普遍的な法則によれば、神の世界から助けを受け取るには、人は自ら最初の一歩を踏み出さなければなりませんから。もし人の存在全体がまだ粗雑で、神を少しも感じられず、神の世界について思いも及ばず、どうすべきか全く分からなかったとしたら、どうしてこの最初の一歩を踏み出すことができたのでしょうか?一方、神の世界はこの物質的な地球を共同創造したため、自由意志の法則に従って、その影響力を地球上に現す権利がありました。神の世界に留まった純粋なスピリット達も、常に転生していたというのが答えです。確かに、非常に少なくはありますが、そのような存在ひとつの影響は、闇の世界の百匹分の生き物の力と影響をはるかに上回ります。神の世界から転生したこれらのスピリット達は、光、愛、叡智を持ち込みました。彼らは地球での転生で偉大な使命を果たし、その影響は当初に見られたよりも広範囲に及びました。この影響は時代を経て着実に育ち、堕落したスピリット達は地上に転生している間、どちら側に耳を傾けるか自由に選ぶことができます。自らの低次の性質に至らせる側か、あるいはどんな困難な道だったとしても、自らを常に上へと押し上げる側か。この自由な選択により、神の法は、この観点においても犯されることはなかったのです。
ガイダンスや霊感を通すだけでなく、より直接的なコミュニケーションの形でも、遥か彼方とのコミュニケーションは、これまでもこれからもあるでしょう。つまり、皆さんが様々な形で「霊媒能力」と呼ぶものです。どの世界領域とのコミュニケーションになるかは、霊媒の態度、目的、全般的な成長度合いだけでなく、そのチャネルを利用する人々の態度、ゴール、それぞれの全般的な成長度合いにもよります。言うまでもなく、この初期の時代、堕落したスピリットであった人間は暗闇の世界としかコミュニケーションがとれませんでした。しかし、純粋なスピリットの転生である存在達には神の世界とのコミュニケーションがあり、これはルシファーの世界とのコミュニケーションから生まれる危険や損害をはるかに上回ったので、実に「価値ある」ものでした。一方の世界とのコミュニケーションがある場合、もう片方の世界とのコミュニケーションもあることが法にかないます。一方が不可能であれば、もう片方も同様に不可能でなくてはなりません。これが、人間の論法で大きな間違いがある所です。人は、あの世とのあらゆるコミュニケーションは悪魔的で危険であり、それ以外のものはあり得ないと主張します。もし、折々で転生してきた純粋なスピリット達が、人間に真理が届くように神の世界との直接的な繋がりを築けなければ、この初期の時代、発達が進むことは全くなかったでしょう。このレクチャーのはじめに説明したように、この恩恵を受けながら神の法の内に留まるには、各個人が自由に選択できる平等がなければなりませんでした。双方から、同等の影響がもたらされる必要がありました。影響力が同等ということは、地球上に住む神の世界の存在達の数が少ないことを意味します。神の世界の存在達の強さは常に悪の影響を上回り、その影響は持続するからです。しかし、この初期の時代は特に、物質世界とルシファーの世界との間に強い交流がありました。これらの闇のスピリット達は自らを神であると主張し、人が彼らの命令に従えば、あらゆる願いを叶えました。 先ほど述べたように、神の世界との僅かなコミュニケーションは、あらゆる害と危険であったこのダメージを何百倍も補いました。受肉した純粋なスピリット達は、一方では、神聖なる真理を広めるための悟りを自らの内に持ち、他方では、神の世界と交信する道具としての必要条件も備えていました。これが備わっていなければ、人類に十分なものが与えられることはありませんでした。何故なら、これら純粋な存在達が内なる悪を持っていなかったとしても、転生した物質的な肉体により、彼ら自身で十分な教えを生み出すにはあまりに多くのものが奪われていたからです。従って、真実は各時代の人類の準備に応じて吸収できる形で広まったのです。
これは、長いこと続きました。徐々に、かつて堕落したスピリット達の多くが、神を認識できる状態にまで至りました。彼らのロンギングは意識的になり、その意味において大きな影響を与えるものとなりました。そして、邪悪な衝動、低次の性質を克服する意志も育てられるようになりました。起こり始めたこの変化は、すぐに認められる以上の大きな影響をもたらしました。皆さんの誰も完全には理解していませんが、ひとりの人が自らの力において本当に最善を尽くして成長するならば、その人は自分自身を助けるだけではなく、最終的には決定的効果をもたらす偉大なる宇宙の溜め池に、最も貴重な無限のパワーを加えているのです。本人はその影響の一部さえ見ることはないでしょうが、その影響は大いに広がります。その人は、身近な環境でほんの一部を目にするかもしれません。その人自身の変化によって、突然、仲間の生き物達が少しずつ変わり始めます。しかし、その人が地上にいる限り、この方向に向かう自らの最小の努力が、どれほど広範囲に影響を与えるかを知ることはないでしょう。ですから友よ、どのような努力も決して無駄にはなりません!静かな池に石を投げ入れるようなものです。波紋が次々と続き外縁の波紋が遠く広がるので、あなたの目には見えませんが波紋はあり続けます。ひとりの人が只ひとつの弱さを克服することができれば、それはこの偉大なる救済計画への最大の助けとなるのです。
次回はここから続けて、イエス・キリストがこの救済計画の中でどのような役割を担ったのかについて、より詳細にお話ししましょう。
それでは、友人の皆さんの質問に答える準備ができました。質問に答える事により多くの時間を使いたいと思います。
質問:質問してもよろしいでしょうか。アインシュタインの脳の詳細な分析では、解剖学的には他の人間との相違は認められませんでした。生理的心理的な知能や知性を運ぶ、抽象的な意味での媒体は何なのでしょう?
回答:この実験は、知性が肉体に存在しないことを示す最良の例です。思考や創造といった能力等は、肉体的器官とは何の関係もありません。勿論、肉体的器官が損傷した場合を除きます。しかし、この損傷も対応するサトル・ボディに影響を与えるだけです。全ての感情がサトル・ボディの内にあるのと同じように、全ての思考も、別のいずれかのサトル・ボディの内にあることは、皆さんご存知のことと思います。これらのサトル・ボディは発達が進むにつれて統合され、最終的にはただ ひとつのボディになります。これをスピリチュアル・ボディと呼びましょう。そこでは、全ての浄化された完全な思考と感情が、この最後の究極的で永遠なサトル・ボディに統合されます。肉体レベルの他にどれ程多くの層が残っていたとしても、それらは最終的に全て分解され、浄化された形でスピリチュアル・ボディに達します。ここに至るまでには境界があり、それぞれの機能は特別なレベル、またはサトル・ボディに属します。肉体レベルには、その独自の機能として、様々な側面での肉体的な生活があります。しかし、思考や感情は別のレベルに属しているので、別のレベルまたはボディで起こります。
質問:思考は、メンタル・ボディにありますか?
回答:はい、メンタル・ボディの内です。
質問:イエス・キリストとの関わりにおいて、ボディサトヴァ(菩提薩埵)について少し話して頂けますか?もし何か関わりがあればですが。
回答:直接的な関わりはありません。私達には異なる用語がありますが、あなたが使うこの言葉は、神聖な世界における特別なタイプの存在を示します。全ての被造物は元来、特別に発達した神聖なる特定の側面を持っていました。創造の目的は、それぞれの存在が発達を通して他の側面の発達を促進し、創造を補完しすることで、完全性が一面だけでなく全面的に達するようすることでした。この方法で、全ての存在がこの創造力を使えた筈でしたが、この方法を使用したのは、与えられた力を悪用しなかった者のみでした。従って、絶対的な完全性は神と、神聖なる物質(実体)の大部分を持つキリストの内にのみ存在します。他の全ての存在の完璧さは相対的なものですが、共同創造者となることで完璧に至る可能性があります。ボディサトヴァと呼ばれる存在は、神性のある特定の側面を与えられた存在であり、それぞれが異なる側面を表します。その一面は、非常に特定な方法で、特定の様々な手段によって、彼らがこの偉大なる救済計画を助ける特別な力です。しかし、この計画が完了するまでは、これら純粋な存在達はその特別な力を助ける努力のみに使います。その後に初めて、それぞれの存在が自らを全ての方向において完全とすることにより、創造の計画は完全な結末に至ります。現在、あらゆる点で完全で、あらゆる才能が完全に発達しているのは、神を除けばキリストのみです。他の全ての存在には創造された内の特徴があり、神は彼らに、そして私達全員に、他の全ての特徴、側面、才能等を完全な方法で発展させることで神の創造を自ら継続するかを任せています。ですから、全ての被造物がかつて絶対不変なる存在のように完璧であったと言うのは、完全に真実とは言えません。私達はそれぞれのやり方で完全でしたが、それは常に相対的なものです。例えば、あなたは現在の成長の枠組みの中で完全であることはできますが、それは、あなたが完全に絶対であることを意味する訳ではありません。ここにいる皆さんに比べてはるかに発達段階が低い人でも相対的に、より多くを期待できる皆さん以上に完全である可能性もあります。ですから、神とキリスト以外では、創造計画が達成されない限り、完全性は相対的なものに留まります。これが、あなたの質問の答えになるでしょう。あなたが言及した存在達は、ある面において完全ですが、キリストはあらゆる面において完全です。
質問:前回、あなたは意志の力と自制心についての質問に答えました。しかし私は、自らの真の現実の中で自分を見ることが重要だと思います。ですから、自らを向上させるには、この自己実現を知る必要があるでしょう。どうすればこの自己認識に到達できますか?
回答:これはとても良い質問で、非常に重要な質問です。個人セッションで共にワークする友人達には随分とこのテーマで話しますし、過去にも時折、全体へのレクチャーでも扱ってきました。しかし、これは非常に基本的で重要なので、強調し過ぎるということはありません。間隔を開けながら、何度も繰り返しお話しする時間をとるだけの価値があります。あなたが言ったように、意志力と自制心を強化する前に、何故その特質を伸ばしたいのか、目標は何なのか、この意志力と自制心をどの方向に活用すべきなのかについて明確な考えを持つには、ある程度の自己認識が必要です。一方で、意志力を持つためには、マインドの中でその理由を明確に持たねばなりません。他方では、自分の本当の目標や願望を見つけるため、そして何よりも重要な自己認識を得るためには、初めからある程度の意志力を持たねばならないことは確かです。つまり、両方向で働くのです。しかし、いずれの場合も適切な順序における最初のステップは、問題が何であるかを見定めることです。何故自己認識を持つ必要があるのか、その利点は何なのか、それを達成するにはどれ程の代償がかかるのか、自己認識を持たないことの不利益は何なのか、という問題です。これを明確に理解すれば適切な決断を下せます。そして、低次の性質からの抵抗を気にかけず、本当にこのことを客観的に考えようとするなら、明確な理解を手に入れねばなりません。あなたがすべきことは、問題から逃げずに物事を最後まで考え抜くことだけです。これはそれ程難しいことではなく、ほんの少しの勇気と叡智が必要なだけです。誰でも、この内なる勇気と叡智を持っており、それを表面まで上がらせるかの問題なのです。ですから、意志力と同様に、ここでもまず適切な決意、きっぱりと決断することが問題になります。そしてこれは、あらゆる側面が考慮された場合にのみ可能です。人間の問題は、そうできない所にではなく、内的人生に関する決断を回避する所にあります。どうしてか、それを不快かもしれないと察知して逃げ出します。そして人は、自己耽溺の沼にはまりたがる怠惰な自分を甘やかすことなく問題を澄んだ目と偏見のないマインドで見ることをせずに問題を隠蔽したがるのです。だからこそ、自己認識における困難や不快感をも超える理由を明らかにする必要があります。これに答えるのはそれ程難しいことではありません。少なくとも、神と神の創造の多くの様相が未だ無視されていたとしても、神が存在することを知る人にとっては、それ程難しいことではないのです。微かな信念しかなくても、その考えや認識が最後まで続くなら、自らを成長させる必要があるという理解に繋がる筈です。そして、この自己成長は自己認識なしに行うことはできません。友よ!この自己認識こそが本当に重要であり、唯一のものなのです。それ以外に役立つものは何もありません。それ以外にあなたに成長をもたらし、何よりも神に対して、そして自分自身と同じく仲間の被造物に対して、真の信頼と真の愛を持つことを可能にするものはないのです。これら全てを達成し、皆さんの実存の最深部から切望する自由と調和に至るには、まず自分自身から始めなければなりません。どんな道を選択したとしても、この完全な自己認識がその道に含まれていない場合、またはそれが道における主要な要件でない場合、あなたは何も達成できません!どれだけ学び、読み、あれこれしたとしても、得た知識を使って自己認識の道を歩まない限り、これら全ては無意味です。
それでは、これはどのように達成するのでしょう。勿論、簡単なことではありません。しかし、その報酬は最も豊かです。この道は、あなたに解放をもたらす唯一の道だからです。従って、簡単でないのは当然なのです。それはまず、自尊心が傷つくことを意味します。そうです、友人の皆さん。誰もそんなこと聞きたがりません。何故なら、全ての人間の内に身勝手さ、エゴ、虚栄心は存在しており、それが完全さ、信念、調和、愛の最大の障害だからです。様々にある個人的欠点が何であれ、これは転生のサイクルを通過する全ての者、言い換えれば純粋なスピリットではない全ての者に当てはまります。従って、自己認識を得たいなら、まず「自分にとって最も難しいことをやらねばならない」という考えを受け容れることです。そこに鍵があるからです。自分の弱さを見せることが最も難しいのであれば、あなたの魂はその鎖から解放されるよう奮闘する必要があるのです。あるいは、どんな手を使っても虚栄心や利己心を手放すことが難しいのであれば、それがまさに飛び込むべきことです。人生に強制されるからではなく、あなたがそのように選んだからこそ自由に飛び込んでください。友である皆さん、神聖なる法は、あなたが必要とするものがどうであれ、あなたに届くようにつくられています。しかし、中間地点で会う方がずっと簡単です。「明らかに必要だから、これが欲しい。」と自発的に決めて、自分から踏み込むことです。もし、人生があなたの意志に反して強制したり押し込んだりするならば、はるかに困難になるだけでなく、人生から与えられるものは必要なものであること、そして自分から自由にそれと出会うことを自己認識から学ぶまで、それは何度でも繰り返し戻って来るでしょう。そうしてレッスンは学習され、人生はあなたに別なものを提供します。このプロセスによって浄化されればされる程、そのような不快なものは必要なくなります。むしろ、最初は不快に思えたものが不快ではなくなるのです。ですから、必要なものを避けることはできません。私は断言できます。しかし、あなた自身の性格におけるその必要性を認識し、理解して、自発的にそれと出会うまでは、それが止まることはありません。皆さん、それを覚えておいてください。
自己認識を得るために、座って、「私にとって日常生活で最も難しいことは何をすることだろう?」と考えることができます。ある人にとっては、動機が何であれ真実を話すことが最も難しい場合もあるでしょう。別の人にとっては、マスクや他の人々を感心させるような優位性を一切持たずにありのままの自分を見せるというような、ある種の謙虚さかもしれません。また別な人にとっては控えめでいること、目立たないようにすることが最も難しいことかもしれません。他の人にとっては、与えることが難しいかもしれません。物質的に与えるのが難しい人もいるでしょうし、霊的に与えるのが難しい人もいるでしょう。誰もが異なる難しさを抱えています。そして本当に取り組めば、比較的簡単に見つけ出すことができます。考え過ぎる必要はありません。今現在の生活を考えてみてください。その視点から、過ぎていく毎日を眺めてみます。そうすれば、ある程度の努力と訓練を経て、自らの反応をまったく異なるものとして認識し、見ることができるようになると保証しましょう。これまで全く気づかなかった、人生で起こる特定の事柄に対する自分の感情的反応を認識することを学びます。皆さんには即時的で外的な問題だけを見る癖があります。実はその問題が、それ程深く隠されている訳ではない何らかの原因の影響に過ぎないことに気づいていないのです。私がここで言っていることに耳を傾け、それを決断し、固持することです。そうすれば、全ての繋がりが目の前で明確になり、以前はそれが全く見えなかったことに深いショックを受けるでしょう。あなたの悩み事と、無意識ではあっても意図的に脇に置いてきた他の事柄との繋がりの認識は、この上なく幸せな影響を与えるでしょう。真実だけに可能な方法で、あなたを幸せにしてくれます。体と魂のための潜在的なパワーと治癒力を解放します。これを定期的に経験していれば、正しい道を進んでいると確信できます。しかし、これら全てを脇に置く誘惑はいつでも非常に大きいので、この誘惑から事前に身を守り、毎回新たに闘う必要があります。これを暫く効率的に行えば、この誘惑すらなくなるでしょう。一度それが習性になってしまえば、それ以上の努力は必要ありません。しかし、ローアセルフが供給するあらゆる「言い訳」を外的な自己が許して、このことを強く求めるスピリットが抑えつけられることを無くすには、最初かなりの努力と自らのローアセルフに対する絶え間ない警戒が必要です。私は今、とても大まかに話しています。個人に向けた話ではありませんが、この事は全ての人に関係します。
自分の欠点のリストを作りましょう。欠点が二つ三つしか思い浮かばない場合は、自分のことを分かっていない証拠です。最初は非常に難しそうに思える何かを行うことで、自己浄化と自己認識の機会を得られます。周りの人に、あなたの欠点を教えてもらいましょう。そうすることで自分についての知識が得られ、必要としている謙虚さも学べます。これを難しく感じる限りは、それを非常に必要としているという明らかな兆候です。これを簡単に感じ、恨みや抵抗、内側に何の重さも感じないようであれば、最早これは重要ではありません。あなたが他者に何を伝えようとするかではなく、あなたの欠点が誰かから伝えられた時に、自分がどのように感じるかが問題なのです。それが起こる時に何を感じるかを臨床的に観察し、その事で自らを誤魔化すつもりがなければ、自分が霊的に何処に立っているのか分かるでしょう。何故なら友よ、これはあなたが本当に無執着でいられる唯一の方法だからです。他者の目に映る自分の欠点が問題ではなくなる時、自らの屈辱が問題ではなくなる時、あなたは無執着なのです!心を煩わすものを避けている時ではありません。これは少なくとも最初は難しく、おそらく誰もが準備ができている訳ではありません。実際にその道を進む前に、より多くの時間や知識が必要で、そのエッジを試してみる必要がある人もいるかもしれません。しかし、これを実行する人は誰でも、本当に自由になります。そして、これら最初のステップが踏まれれば、神は自己実現の更なる段階に入ることを助けてくれるでしょう。これが、私のアドバイスです。まず他者との関係性の中で、何が最も難しいと思われるかを考えます。それを見つけてから、これが自分の中でどのような傾向と繋がるかを考えます。そして、自らの自由のためのみならず、神のため、あなた自身のスピリット、ハイヤーセルフのため、自らの成長のため、そうしなければ与え受け取ることのできない愛のため、あなたの完全なる充実のために、自らを縛る鎖をこの方法で克服する準備が本当に出来ているかどうか決めてください。その準備はできていますか?ここにおられる皆さんの内、準備できているのは何人でしょう?もしあなたが心からの「イエス」を決心したならば、親愛なる皆さん、あなたの意志力が必要になるでしょう。自分の欠点全てと闘うには、意志力と自己規律が必要になります。欠点は、表面に現れないように単に覆い隠して、潜在意識に押し込んでもうまく行きません。気づいていないものが存在しないと信じてはなりません。自己認識の次のステップである、欠点を取り除くプロセスは全く違うものです。簡単に言うと、このプロセスは虚栄心を持たず、現時点での自分よりも良くなりたいだとか、自分以上になろうと望まず、ありのままの自分をまず観察することです。自分自身をただ見積もり、当面は、なりたい自分ではなく本当の自分を見つめることに慣れましょう。この一時的な現実をふたつの理由から受け入れてください。(1)自分を変えられるようになる前に、感情的にならず、ありのままの自分に動じないようになる必要があります。これには、偽りの動機や言い訳、そして目眩しなしで自分自身を明確に見るという新たな習慣が必要です。(2)これは、霊的成長と真の無執着に至る主要な必要条件である謙虚さをも教えてくれます。この受容は、そのままでいるべきだという意味ではありません。目標はこれらの傾向を最終的に変えることですが、この段階を完全に学ぶまでは変化を起こすことはできません。ですから、対外的にだけでなく感情の中でも、自らの欠点がいつどのように現れているか毎日観察してください。自らの反応を観察してください。この反応から、自らを飾らずにどれだけ受容できるようになったかの判断ができます。これをマスターしたら、次の段階はこの特定の欠点の対極が実際には何なのか、既にそれが身についていたならどのように反応し、感じるのかを瞑想することから始まるでしょう。インスピレーション、助け、力を求めて神の助けと共に誠実にこれを暫く行えば、気持ちは変わり始め、内側で新しい反応が起こり、それはあなたに自由と素晴らしさをもたらします!また、特定の欠点ひとつひとつが、どれだけ愛の展開を直接妨げているかについても瞑想できます。個々の欠点はまさに妨げなのです。それは魂の中にある愛の力をぼやかします。このように進めば、神はインスピレーションを与え導いてくださるでしょう。そう考えて間違いありません。先ほど言ったように、これは難しい道です。しかし、これを受け容れる人、受け容れる勇気と叡智を持つ人は幸いです。
友よ、皆さんに強い薬を与えていることは知っています。こういったことを聞きたがる人はいません。簡単なことや非個人的なことを聞く方がずっと楽しいでしょう。しかし残念ながら、それは真実ではありません。そして、私は神の世界の真実のスピリットであるため、それが心地良いかどうかに関わりなく、皆さんに真実を伝えなければなりません。これは苦い薬かもしれませんが、皆さんがハートを開けば、私があなた方ひとりひとりに対して抱いている愛を感じられると思います。そして愛は、神の世界の側以外から来ることはありません。そして、私であれ、神の世界からの他のスピリットであれ、神以外の何者に対しても感謝の念を抱いてはなりません!どんなに助けられたとしても、神がなければ被造物は何者でもありません。そして、被造物がより高度に発達すればする程、名誉や称賛を望まなくなります。全てはひとえに創造主のおかげであり、創造主なしでは私達は無に等しいのです。それは我々も、皆さん人間も同じです。それが何であれ何かをしている時、何かを達成している時、それをするのは自分ではなく、神の恩恵によってのみであると認識してください!あなた自身を通せば、あなたは何者でもありません。この世に存在する最高の被造物であるキリストご自身も、何度もそう言っていたのです。
質問:この世に生まれて来る時、霊的な成長に関して一定の制限があることを理解しています。私達それぞれがこれを打ち破り、自らに設定された制限を超えて進むことは可能でしょうか?
回答:勿論です。ただし、これだけは言っておきます。一度の転生で全てを達成することはできません。それは不可能でしょう。しかし、これらの制限を打ち破ることは確実にできます。これはかなり頻繁に起こっています。先ほどの質問の答えとしてお話しした、全ての道のうち最も崇高なる道によってのみ、これは起こり得ます。もし人が本当に意志を持ち意志を実践するのなら、その人の制限は弱まり、一度の人生でより多くのことが達成できるでしょう。例を挙げると、この道を歩んで一回の転生で達成できることは、そうしない場合の二十回程の転生に相当します。それが違いです。これで、制限を打ち破る内なる力がどれだけのものかの検討がつくでしょう。
質問:でも、誰もがこの道に至る訳ではありません。何百万もの人々が…
回答:大事な人よ、そもそも、これはその道を歩む唯一の可能性ではありませんよ。そんなことは決してありません。確かに、神のスピリットの世界との直接のコミュニケーションによって与えられる助けは非常に価値あるものです。しかし、道を歩む可能性がほんの僅かでもあるならば、何らかの形で適切な場所と方法に導かれ道を選ぶことができます。人間またはスピリットの所に導かれ、その人は必要なワークの材料を受け取ることができるでしょう。教会を通して、特定の教師を通して、スピリットを通して、あるいは非常に強力な直接のコミュニケーションを通した霊感の形で起こるかもしれません。スピリットは何処に可能性があるかに気づきます。スピリットは、願望が何処にあるのか、何処を目覚めさせられるかに気づくのです。彼らはそれに応じて導きます。誰もが、必要なものを手に入れられると思って間違いありません。道に進む準備ができている人が、その機会を得ないという問題は一度も生じたことはありません。友よ、そのようなことはないのですよ。神聖なる世界の法則は、そのような事が起こり得ない程に、あまりに正確に機能します。問題はむしろ、道を歩むこともでき、いくつかの道に導かれた人々が、多くの割合で結局はそうしないことにあるのです。神の世界は頻繁に様々な機会を使って繰り返し試みますが、人々が理解したくないがために、その本質は決して理解されません。あなた方のサークルを見てください。何処でも同じなのです。実際に、これを行う人よりも、はるかに多くの人が来ています。これは、同じような機会を持たない他の人々を犠牲にして起こるのではないと信じて間違いありません。全てに十分な理由があります。ここであろうと他の何処であろうと、何百人の内の一握りの人がこの道を本当に歩むのです。全ての偉人、教師、司祭、あるいは神の世界とのコミュニケーションは同じことを教えるでしょう。更に多くの人々が、彼らに導かれています。そして、その導きの目的を果たすのは、その内ごく一部の少数でしょう。しかし、人類の大多数は、この完全性への困難な道を歩む準備が未だできていません。彼ら大多数がその人生で、より良い人になれるよう少しでも学び、結局のところ神は存在するかもしれないと受け入れられれば、次の転生での道に備えられるかもしれません。ですから、お分かりでしょうか。スピリットの世界は実際、ほんの僅かなチャンスあっても、その導きを受け取る人数以上の人々にその機会を与えています。何処にも導かれない人々は、願望も真の理解も持たず、この点で変化する可能性がその人生で非常に僅かか、あるいは既にその転生に必要で最適なものを見つけた人々であると確信できます。
質問:魂とスピリットとの間の違いを明確にして頂けますか?
回答:このレクチャーで既にお話ししたように、スピリットは究極の存在であり、永遠に生きる不滅の存在です。魂は、最終的には崩壊するサトル・ボディのひとつです。このことは明確にお分かりですか?あなたが知りたいのは、このふたつがどのように人間に顕現するかということでしょうか。どちらがどちらか気づけるようにと。そういうことですか?スピリットを意識的に顕現させるのは、勿論簡単なことではありません。これは、霊的発達が一定域に達した時、つまり人のハイヤーセルフにおいてブレイクスルーが達成された時にのみ起こります。その時にのみ、何かがあなたの中で考え、あなたを導き、あなたにメッセージを送り、深く疑う余地のない知識をあなたに与えていると感じます。これら全ては、通常の思考が行われる脳の領域からではなく、太陽神経叢の領域から来ます。しかし、あなたの魂の現れは感情生活、真の感情、潜在意識から見つけ出せます。このことでさえ、多くの自己認識が必要です。何故なら、殆どの人は自らの真の感情や感情的反応の大部分に気づいておらず、その奴隷となっているからです。それを制御して使いこなすのではなく、それによって使いこなされています。制御して使いこなすことを達成するには、自己観察、客観性、自己評価が不可欠です。もし、今夜のふたつ目の回答でのアドバイスに従うなら、その結果として、まずは魂の認識、次にスピリットの認識が生まれるに違いありません。
私達の時間は終わりました。残りの質問には次回答えましょう。皆さん、特に初めてここにいらした方々、今夜帰る時に結論を焦らないようにしてください。これは非常に広大な主題であり、初めての方々にも、定期的にいらっしゃる方々にも、多くの点で新しいものです。新しい見方に慣れるまで、少し時間が必要かもしれません。性急な結論で視野を狭めず、真剣かつ慎重に考え、潜在意識に潜む感情の罠で判断をぼやかさないようにしてください。それに気をつけてください。それで自分自身に大きな損害を及ぼす可能性があります。
神の祝福は、皆さん全員に行き届きます。意識的にこの祝福に気づいてください。皆さんの決断を助け、神の意志を認めてそれに応じた行動ができる程に自らを強められるように。平和の中に、神の中にいなさい!
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