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No. 26 欠点を見つける

Pathwork Guide Lecture No. 26
UNEDITED版 
1958年3月28日  


欠点を見つける 
FINDING ONE’S FAULTS


 神とキリストの名のもとにご挨拶申し上げます。親愛なるみなさん、私はあなたに祝福を届けます。前回、少しの瞑想といくつかの奇跡の公式があれば地上での困難は消えうせる、という誤解を抱えた状態でこの道を歩むことの難しさや、道に近づくことの危うさについてお話しました。一方で、この道での難しさを過大評価することも、等しく真実からかけ離れています。ここで私には、あなた方が少しばかり恐れているのが分かります。そして、この不当な恐れが、浄化と改善を避けようと常に望んでいるローワーセルフの言い訳として働いているのです。さて親愛なるみなさん、確かにこの道は難しいですが、あなたが持つであろう恐れについて詳しく見ていきましょう。もちろん個人にもよりますが、神は賢明で公正なので、あなたが耐えられない、または達成できない状況を与えることはありません。さらなる発展を遂げていけば、あなたはますます強くなります。それゆえに、あなたはさらに期待されることになります。しかしあなたがまだ弱いならば、おそらく最小限の努力で十分でしょう。霊的な観点で言えば、その人の運命が定める最大限を達成しない場合、いかなる場合においても、誰一人としてその人生で真に幸福を実現することはできません。そしてこの道は、私の指示とガイダンスがあれば、目標に近づく助けとなるはずです。したがって、もしこの道が自分の手に負えないと恐れを持ってしまうならば、あなたの取るべき適切な態度は、それを神の手にゆだねるということです。神に決めるように頼んでください!しかし神の決定について、疑いの気持ちに襲われたとき、神にゆだねる人はほとんどいません。多くの場合、一時的な決定であったとしても、あなたは自分自身ですばやく決定を下すのです。そしてそれは手に負えないものとなり、この点について神の意志を尋ねるという考えすら思い浮かばないのです。

 この点における大きな誤解とは、私の導くこの道に従うことが、他のやり方で進むあなたの人生を無視することになる、という間違った考えです。みなさん、私にはあなたの思考、そして感情の形を見ることができます。常に正しい決断に反対して戦うローワーセルフは、あらゆる言い訳や口実を述べ、なぜこのような考えになるのか、この思考の背後にあるのは何か、ということをあなたに知らせることはありません。ある人は、霊的な成長にかなりの時間と努力を費やすことは、生活を維持するための努力から多くの時間を割くことになると信じているかもしれません。仕事をする十分な力が残らず、経済的な苦難を強いられると恐れているかもしれません。またある人は、人生を楽しむ十分な時間が残されないと信じているかもしれません。しかし、これらすべては間違っています!一般的な霊的成長、そして特にこの道での成長は、あなたの人生の「余分な活動」ではありません。単に他の活動に追加するような、あなたが他の仕事や喜びのために使える力、時間、努力、熱意を減らしてしまうようなものではありません。みなさん、これは実際まったく逆なのです。実際は道を進むという浄化を行えば、それはあなたの人生の基礎となります。象徴的に言うと、これはあなたが歩く地面なのです!もしこう表現してもよいのならば、それはあなたが人生の道筋を、別の経路(チャネル)へとシフトさせるということです。これには次のような効果があります‐‐少なくともしばらくの間は大きな問題が日々起こり、消えないかもしれませんが、私が説明するように、今のあなたには馴染みのない強さ、鋭い洞察力、生命力、以前には決してなかった人生を楽しむ力が与えられ、新たな人生の火花が目覚めます。したがって、あなたはよりよい仕事をします。余暇の時間からさらなる休息を得ます。あなたが何をしようとも、さらなる喜びを人生から得ることになります。今はまだ、多かれ少なかれあなたにとっては平坦なものですが、私が示すやり方で霊的なワークを行えば‐‐すぐでなくてもある一定の期間が経ち、内的な勝利をいくつか収めたあと、約束した通りの結果がもたらされます。この時点で主な葛藤が消えていなくても、自己中心的な視点から見てさえ、この道は歩む価値があると分かるでしょう。霊的な道では、あなたは最終的に深い感情、反応、思考の中でこの事実に気付き、行動に移さなければ霊的な法則の多くを破ることとなります。これに気づくと徐々に内面の流れと感情的な反応を変えるようになり、今まで閉じ込められブロックされていた強さと生命力が自動的に解放されます。

 ここで私は神からの褒美として、あなたに奇跡が起こると約束しているのではありません。しかし、この道を歩かずにはいられないことを、簡潔かつ論理的に示しています。なぜならこれは、まったく自然かつ非個人的に働く原因と結果の法則に基づいているからです。ですから、この道に向かって進むという決断を、自分の人生において、余分に追加する活動であると捉えるべきではありません。例えば、他の必要なこと、やりたいことのための時間と努力が奪われると思うかもしれませんが、何か新しいことをやり遂げるためのレッスンを受け始めたのだと考えて下さい。しかしそれこそが人生の基礎なのです!それこそがあなたの人生を完全にするものなのです。つまり、あなたの人生を統合された完全なものにならしめるのです。というのは、もしあなたが内面の問題と過ちを正せば‐‐この道においてのみそれが可能なのです‐‐前回私が述べたように、日々これが起こること期待せずしても、最終的には外側の問題を解決するに違いないのです。なぜならあなたは多くの人生を無駄にして、思考と感情の間違った習慣は1つの転生から次の転生へとさらに深くしみ込んでいき、その結び目はより固くからまったものとなるからです。そこで結び目をほどき、ゆるめ、関係性における内的傾向の働きを理解し、霊的な法則と真実のために時間を取らなければなりません。もしあなたがある程度これを成し遂げたときには、あなたの外側の問題は終わるでしょう。しかし、常に外側の問題の原因である内面の問題に気付くことなく、外面の問題にのみ努力と集中を向けるときにはこの問題は終わらないのです。

 魂が再び健康になり、内なる反応が霊的法則に従えば、あなたはそこからさらにたくさんのものを手に入れることができます。そのときにだけ、あなたは幸せになることができるでしょう。では、どれくらいの人びとが幸せを得られるのでしょうか?親愛なるみなさん、そんな人はほとんどいません。大多数の人びとは、不幸せと同じくらい幸せを恐れています。あなたは大いなる幸せを望んでいますが、みなさん、それは手に届かない状態になればなるほど、もっと望ましいもののように思えるのです。一方で、時々そんな幸せを手にできるチャンスがあるかのように思えると、あなたは尻込みしてしまうのです。みなさん、本当にそうなのです。人生を振り返り、このまれな瞬間の感情をよく観察し、この視点から分析すると、私が正しいということに気がつくでしょう。これはもちろん、その人の魂が病気であるという兆候であり、一つ以上の霊的法則から逸れているということです。というのも、恐れず、自己憐憫に浸らず、傷つけられることを怖がらず、心から人生を受け入れる人のみが、とても重要な霊的法則に従っていると言えるからです。そして霊的法則に従う人のみが、真の幸せを経験することができるのです。自己認識と完全性の道を歩み、神が望むことを行えば、人生であなたが行うすべてのことが香りに満ち、さらなる気づきと生命の輝きを得ることができるでしょう。それは、あなたが自分の周りの環境に合わせて理性的でいようとするのに費やす時間と同じぐらいの時間しかかからないのです。みなさんに少しの意志と決断力、毎日の生活に適切な秩序があれば、例外なく霊的成長に1日平均30分は使うことができます。あなたは肉体に食物を与え、休息を与え、そして肉体をきれいにするために時間を使います。だからと言ってもちろん、これらのことが他にすべきことや喜びから何かを奪っているとは感じません。あなたはこれを、言うまでもなく生活の一部として当然のことだと思っています。しかし、魂のために同様のことを行うとき --- 肉体にかけるほどの時間は必要がない --- という疑問が生じます。そして、恐れ、疑い、疑問があなたの道を塞ぐのです。しかしみなさん、労をいとわずそれについて理性的に考えるならば、それらが道を塞ぐことはあり得ません。しかしあなたは、それを理性的には考えません。なぜならば、あなたはこの疑問に適切な長所(メリット)があるとは考えないからです。あなたはむしろローワーセルフに刺激されて考えているのです。このローワーセルフがどのように働くのか、どのように現れるのか、どんな方法を使って見事な言い訳の陰にローワーセルフを隠してごまかしているのか、を認識しない限り、あなたの神に対する愛がどれほど忠実であってもローワーセルフを征服することはできないでしょう。もし美しい祈りや瞑想の中で神への愛が顕現すれば、それは素晴らしいことです。しかしワークも行わなければなりません。ワークとは何でしょうか?今私が述べていること、みなさん、これらがワークなのです。ローワーセルフを征服することは、キリストが主として大切にしたワークです。人に対してよい行いをすることもその一部です。真実に沿っていないものの考え方をあなたに強いる不純な流れ(傾向)がある限り、あなたは他者に本当によい行いができますか?いいえ、できません。あなたはよい行為を約束し、それを善であると考えることができるかもしれません。しかし、純粋な気持ちに支えられていなければ、それはよい行為とは言えません。そしてみなさん、浄化された感情こそがこの道における目的なのです。そのためには、毎日一定の時間、一定の意志力、一定の客観的で分別のある常識的な思考が必要なのです。それ以上は必要としません。

 全身全霊で決心した人もいれば、決心していない人もいます。しかし両方とも、潜在意識の中で働き、言い訳ばかりを繰り返すローワーセルフをいかに扱うかについて理解することが重要です。浄化の道を喜んで歩んでいる人びとでさえも、道の途中でローワーセルフと何度も戦うことになるでしょう。おそらくこの道全体ではそれほど多くなくても、ローワーセルフが手放したくない個人の傾向についてはそうなります。ですから、あなたを道から外させようとする疑念や恐れ、あるいは必要な自己理解を得るのを難しいものにする疑念や恐れ、これらの下に何があるのかを理解できるように、自分を鍛えることが大切です。みなさん、これが最初に向き合い、常に心に留めておくべき要素なのです。疑念やためらいを通して見るようにしてください。何かを理解したいと思うとき、時折でてくる頑固さを見るようにしてください。あなたが自分の全体像、本来の自分、自分は誰なのかを理解するにつれて、常にあなたを道から引き離そうとしいているローワーセルフの中にあるものを克服することがより簡単になるでしょう。

 前回のレクチャーと今回のレクチャーとの間で、みなさんの中にはある考えがあるのが観察できます。「品行方正な人間であれば十分ではないのか?神はみなを愛しており、よい人間であり正しい行いをしようとすれば十分なはず。なぜこれを経験しなければならないのか?」という考えです。みなさん、これは違います。中には十分な人もいますが、私の話を聞くように導かれた人は関わる義務もあるということを忘れてはいけません。この義務は、他者に危害を加えない「品行方正な人」と一般的に思われるだけでなく、もっと多くのことを期待されることを意味します。みなさん、これはそれほど簡単なことではありません。この義務を自分自身のために成し遂げることは、それとはまた別の何かです。それは、自分のローワーセルフを克服することにより、自分自身の鎖から自分を解放することになるためです。私は多くの過去のレクチャーの中でこれを論じてきました。けれども、今ここでは、自分が善良で他人を傷つけなければ十分だと考えている人の間で私が観察してきたことについての話を続けましょう。「他者への害」には何があるのでしょうか?誰かに害を及ぼすというのは、人からものを盗む、陰で悪口を言う、そして殺人を犯したり、類似の罪を犯すことのみではありません。十分な愛を持たないことで他人に害をもたらしたかもしれません。外的な、そして強制的な親切心を自分に課したところで、この愛があなたの魂の中でまだ欠けているという事実を軽減してくれることなどありません。または、無知なままで、十分な理解力を持たないことで害を与えるかもしれません。というのも、もしあなたが自分自身を理解できなければ、必然的に周囲も理解できないからです。そして、あなたの中にあるすべて、そして一つひとつの欠点が、純粋な愛、洞察、理解が開かれていくのを邪魔しているのです。それにより他者に害を及ぼしています。神の愛、そして私たち一人ひとりの魂の中に宿っている素晴らしい光を想像してみてください。そして、ローワーセルフは、あなたとこの光、そして本来であればその光があなたの周囲に与えるであろう良い影響との間に立ちはだかっているのです。ですので、あなたは実際の悪い行為、悪い考え、不純な感情によってのみ害を与えているのではなく、この転生の目的を最大限に達成したとしたら手にすることができる愛と理解を怠っていることによっても害を与えているのです。これが自己成長の方法を意味します。欠点と呼ばれるものだけがあなたを妨害し、それゆえに直接的にでも間接的にでも他者に害を及ぼすのではなく、例えばあなたの恐れ、つまり欠点とは考えられていないものもあなたを妨害していることになります。あなたは、それらが自分の人生だけではなく、他者の人生にも大きな害を引き起こすことを理解していません。恐れもまた、あなたの愛の光、理解、そして真実を隠します。ですから、これはあなたの性格の弱点を克服するだけの問題ではないのです。自身の恐れを克服することが同じように重要なのです。心の中に恐れがある限り、あなたは他者に害を及ぼします。というのも、あなたは不快な影響をもたらすあるエネルギーの光線を放射していることになるからです。スピリットの世界では、恐れにはとても不快な匂いがあることを知っていますか?あなたのスピリット、あなたの潜在意識は他者の恐れの匂いを嗅いでおり、常に悪影響を受けていることを知っていますか?他者の恐れの放射物、そしてその結果としての自分のネガティブな反応から自分を守る唯一の方法は、自分の恐れを追放することだけです。そうすれば、あなたは他者の恐れを意識的に理解することができ、それ以上それの害を被ることはなくなります。あなたは、他者の恐れに対する直感的な気づきを、あなたの全意識に行き渡る洞察へと変えることができます。しかし、あなたが本能的に無知のままで、これらすべてのことにまったく何も気づかずに生きている限り、あなたは重大な影響を受け、今度は他者にも悪影響を引き起こすことになります。ここには悪循環が働いています。そしてこの悪循環は、これらの事実について、自己の気づきと理解が十分に得られれば、そのときにのみ壊すことができるのです。もしこれがなされなければ、あなたに届く他者の恐れが、あなた自身の恐れを増幅するのです。これはあなたとあなたの仲間の間に固い壁を作り、あなたの、そしてその仲間たちの魂から広がっていく神聖なる側面が消されてしまいます。というのも、ポジティブなものでもネガティブなものでも、内面のエネルギーの流れ(傾向)ほど「人から人へ伝わる」ものはないからです。ですから、ただ「品行方正な人間」であれば十分だと思わないでください。この言葉も、その人の全体的な霊的成長と達成や浄化において、その人に何ができるのかによって、さまざまな意味を持ちます。つまり、神は個人によって異なる評価をすることを意味します。そしてさらに、より明らかな悪い行為を慎むだけで誰かに害を及さなくなると思わないでください。なぜならば、心の中に恐れがある限り、あなたは害を与えるのです!はっきりとしない微妙な方法ですが、それでもなお、まったく同じように影響を及ぼすのです。

 そこで、親愛なるみなさん、あなたに言ったすべてについて考えて欲しいのです。前回示したように、今私が始めたこのコースでは、本当にこの道を歩みたいのであれば、この講義を聞いた後で、たった一度レクチャーを読むだけでは十分ではないのです。レクチャーの中にはそれについて瞑想できる文章があるはずです。また、より光明を得て、より深い理解へと至るために、その中のある意味について何度も読む必要があるものもあります。ただ漫然と読んで、そして忘れる、ということではいけません。レクチャーの中にあるこれらの文章は、あなた個人にとって深い意味を持ちます。それゆえに、これらのレクチャーについてワークをしていくことが重要なのです。そしてこのようにワークするために以前の各レクチャーを選ぶのではなく、あなたにとって大切かつ必要なことは、いくつかのレクチャーで意味がわからず未消化の点がある場合、それらのレクチャーに立ち返ることです。あなた自身がそれを判断しなければなりません。

 私はこの道について、実際どう始めるべきかを示すと約束しました。たくさんの方法があります。人はそれぞれ異なる反応をします。もちろん、これらの全体に向けてのレクチャーでは、この道でどのように取り組めばよいかという個人に向けたガイダンスを与えることはできません。しかし、あなたの携えて進む、そして自分自身のプランを立てられるような、基本的な事実を示します。私の言葉に文字通り従って取り組む必要はありません。つまり、やり方の詳細やタイミングを決める要因はさまざまです。あなたが基本構造を心に留めておけば問題ありません。

 みなさんご存じのように、自己認識を得ることは避けて通ることができないほど重要です。では、どうすればそれを得られるのでしょうか?もちろん、最初のステップは、あなた自身、あなたという人について、自分の持っているすべての長所と欠点を、できる限り客観的に考えることです。私がしばしば助言してきたように、これらをリストとして書き留めてください。なぜならば、書くことで今までに気がついたことをぎゅっと凝縮して、そこに集めておき、そうすることでこの認識に関して理解したことを失わないようにできます。文字として書かれたこれらの言葉は、理解という新たな光をあてて、自分に対する今までの概念からほんの少し離れるのに役立つでしょう。その後、自分について、自分の無意識の傾向についてのさらなる認識を得たとき、もしそれが明確にそして簡潔に表現されていたとしたら、あなたは特定の要因とこの最初に見つけた認識とを組み合わせることができるのです。意識的にこれに取り組んだ後、次のステップは、あなたをよく知る人に、彼または彼女があなたのことを本当に正直にどう思っているのかを教えてくれるように頼むことです。少し勇気がいることは分かります。このことは、あなたのプライドを少し克服する最初の努力であると考えてください。こうすることで、内面の小さな鎖からあなたを解放する、いくらかの勝利を得るでしょう。ここにいるみなさん、このレクチャーを読んでいるみなさん、そして個人的にはこのセッションに参加できないけれどこの道を喜びとともに歩もうとするみなさん、私はみなさんに次のことを提案します。同じように努力している友人、同じ目標を掲げる友人の一人か二人と一緒に集まってみてください。このレクチャーを読んでいて、このグループに属さず、霊的な関心に一人でワークし、一緒にワークする適切な人を見つける方法で悩んでいる人がいれば、私はガイダンスを求めて祈るように助言します。すると何が起こるか分かるでしょう。扉をたたく人、正しいたたき方を知っている人、良きもののためにたたく人には答えがもたらされるでしょう。あなたの望みが誠実であれば、あなたは導かれると、私は約束できます。ここにおられる友人のみなさん、あなた方に限っては、何の問題もないはずです。なぜならば、一人でここに来ている人でも、ここには常に一人かそのほかたくさんの友人がいます。そしておそらくはこの道におけるあなたのワークについて、週に一度は会って話すことができるからです。というのも、いろんな意味で、まったく一人では取り組まないことが大切だからです。第一に、ここには霊的法則があります。別の人に向けて自分をオープンにすること、自分のハートを真に開くことは、自分一人だけでは受け取ることのできない霊的な助けをもたらしてくれるのです。お分かりですか?これが兄弟愛の法則です。常に一人でいる人は、どれほど懸命にその人が努力をしても、どれほど知性を使ってレクチャーを読み、勉強したとしても、どれほど努力して自己への正直さを得ようとしても、完全な理解と評価の妨げとなる孤立状態の中で閉じ込められることになります。完全なる理解と評価は、他の魂への自己開示があって初めて自動的にその人に流れ込むものなのです。まったく一人の状態に留まることにより、あなたは微妙な方法で兄弟愛の法則を破ることになります。最初は手に入れるのが難しい謙虚さというものも必要としますが、他の人と実りのある協調関係を築いた後では、自分の困難、弱さ、問題についてオープンに話すことができるようになります。それだけでなく、自分に対する批判をも受け取れるようになります。そしてその謙虚さが第二の天性となるのです。そしてもちろん、このことはあなたの魂にとっても同じく健康なことです。自分自身を他者に向けて開くということをすでに試みた人は、何の助言も聞くことなく長い間自分の中で抱えていた問題を話し合う、というそのことが、その問題の誇大化された部分とその恐れに満ちた側面を突然失わせることになると確信するでしょう。少なくとも一人の人でもいいので、その人に対して、できる限りマスクもディフェンスもなしで、本当の自分自身でいることにより、あなたは自分のためにとても健康な薬を飲むことになります。同時に、他者に対して愛の行いを約束していることにもなるのです。他者よりも優れていると見せるために努力するのではなく、自分自身の人間的な弱を見せることで、その人をより助けていることになるのです。そしてパートナーや同僚もあなたに同じことをしてくれるでしょう。まだこれをしてない人は、行うようにしてみてください。しばらくしてこれがどれほど助けになり、実りあることかが分かるでしょう。それは、あなたの思考の糧を与えることになるでしょう。あなた方はお互いに助け合い、兄弟愛、謙虚さ、客観的理解の中で多くを学ぶでしょう。

 自分の欠点について誰かに尋ねるとき、あなたが霊的な同僚として選んだ人と組むことが常に可能なわけではありません。なぜならば、ここに来ているすべての人が互いによく知っているわけではないからです。あなた自身の友人や家族は、このワークに同じ関心を持っていないかもしれませんが、彼らの方がここで見つけた新たな友人よりもあなたをよく知っていて、あなた自身についてさらに伝えることができるからです。そこで私の助言は、あなたをよく知っている人に尋ねてみることです。なぜなら、彼らはスピリットやトランス状態のセッション、霊媒などに対する理解は持ち合わせていないかもしれませんが、彼らが何を信じていようとも、あなたが成長するため、欠点について学ぶため、そして彼らの言うことを聞くことができるように、というあなたの真摯な努力に対して敬意を払うでしょう。そしてそのときには、二つの目より四つの目の方がよく見えるということ、よりよい自分になるために自分自身を知りたいということ、たとえ自分にとって公正でないと思われることを相手が言ったとしても、傷ついたり怒ったりしないということを説明し、正しい方法でお願いしてください。友人であるみなさん、お分かりだと思いますが、それぐらいしてやっと、説得したいと思ったまさにその人たちの扉を開けることができるのです。彼らがまだ見ることのできない真実を証明しようとして、単に説明するだけでは彼らにはその真実は届かないのです。そして彼らがあなたの欠点を言うとき、それについて静かに考えてください。あなたに言っておきたいのは、おそらくあなたにとってまったく正しいとは思えないことを誰かが口にするのをまず聞かされることになります。つまり、あなたは傷つくだろうということです。また、さらに言うと、もしあなたに真実が語られるとしたら、あなたはより傷つくことになるでしょう。しかし、あなたに向けて語られたことが正しくないとはっきりと確信しているとしても、それについて考えようとしてください。そこには1%だけであっても真実があるかもしれません。他者は少し異なった見方をしたり、表面的な結果を見ているのかもしれません。その人は、結果として現れているものと、その下にあるものとを結び付けて理解していないのかもしれません。あなたがなぜこのように反応するのか、そして魂の複雑なすべてのメカニズムとその働きを理解していないのかもしれません。また、その人が本当に言いたいことを表現する正しい言葉を選んでいないのかもしれません。しかし、あなたに語られたことの中にある1%の真実は、新たな理解の扉を開くかもしれません。これはあなたにとってまったく新しいものではないかもしれませんが、まったく同じ欠点やその特質に違った光をあてて、新しい角度から考えてみることは、その同じ欠点が持つさまざまな影響を理解するために、しばしば必要なことなのです。日々祈りや瞑想を行うとき、あなたはこの点に集中する必要があります。おそらく今は一般的なことがらを考えることにあまり時間と労力をかけず、その代わりに、自分について誰もがよく持っている歪んだ見方をしないで真実の中で自己を認識できるように、神に助けを求めてください。正しい反応と、あなた自身についての悟りへのインスピレーションを神に求めてください。正しく生産的な方法で、他者からの不快な真実を受け入れられるよう頼んでください。この方法で始めるのであれば、あなたはとてもよいスタートを切っています。あなたがこのような方法でさらに明確に欠点に気づき、それを瞑想に取り入れ、あなたの望みが真に誠実であれば、想像し得る限り最善のスタートを切ったことになります。

 そこで親愛なるみなさん、もしこれを行うのであれば、自分の中の不快さに取りくむ際には、自分自身の内なる反応を観察することを学び、訓練してください。これが一番重要です。このレクチャーを始めるにあたり、ローワーセルフというのは常にあなたの努力に抵抗しているという説明からスタートしました。例えるならば、ここであなたは、ローワーセルフが働き、反応するときに、はっきりとありのままにそれを観察する絶好の機会を得ていると言えるのです。自分が第三者であるかのように、これをよく見ようとしてください。ローワーセルフに少しでも巻き込まれないようにしてください。自己観察からもたらされる力とローワーセルフ、エゴ、傷、自分の不快な部分に取り組むときに巻き込まれやすい虚栄心との間に少し距離を置いてみるように努めてください。このようにして、自分自身の反応を認識し、理解し、それらがどこからくるのかを知り、そしてそれをあまりにも深刻に取らずに少しユーモアを持つことによって、あなたはさらにもう一段梯子を上がることになるのです。けれども、もう一度、あなたに助言をしておきます。これは一日にして成ることではありません。これは継続して取り組むものです。毎日の仕事のあと、例えば30分ほど、この種のワークに取り組めば、あなたは進歩を遂げるでしょう。あなたとあなたの小さな傷ついたエゴとの間の距離をはっきりと感じるとき、あなたが少しユーモアを持ってそれにはまり込まないとき、あなたは進歩することになります。これを達成すると、さらなる自己理解への扉が開かれます。

 親愛なるみなさん、これはスタートするにはとてもよい方法です。ともにワークするにふさわしい仲間をまだ見つけていない人は、ガイダンスを求めて祈れば、助けが与えられるでしょう。そして、週に一度時間を作って、これまでに達成したこと、まだ難しさ感じているところ、自分の内なる反応が何なのかについてお互いに話し合い、次回のここでの講義で尋ねる質問について共に考えてください。これはあなたにとって大変な喜びとなるでしょう。そして、自分の「たな卸しリスト(自分の中にあるもののリスト)」を作成することから始めてみてください。最善を尽くしてこれに取り組んだあと、あなたをよく知っている人に頼んで、彼らが自分をどう見ているかということと、自分が見つけてリスト化したものと比較してみてください。そしてこれらのリストを完成させ、ワークしてください。あなたをもっと助けてくれるように、日々の祈りの中でこれらすべてを神に伝えてください。これはみなさんにとってすばらしい始まりであり、努力は無駄にはならないと約束できます。

 あなたがこのワークのいくらかを毎日行い、加えて私がここで示した適切な言葉について毎日少しずつでも瞑想すれば、あなたは間違いなく成長します。あなたの人生の中で実際の結果がでるずっと前の段階で、あなたは深い充足感や平安の感覚を持つようになるでしょう。この平安は、神が期待したことを達成した人にのみ起こるものなのです!あなたがよい一日、つまり力があふれて生き生きとした意欲的な一日を送るとき、神と、そしてあなたの中にある神の真実とコンタクトするのはより簡単です。これから再び交互にやってくる困難なときのために、この日々を力の源になるものと考えてください。しかし、最も重要なのは、あなたに元気がなく自信もなく、疑い深くなっている日々です。これらの気分に屈することなくいかに戦うかを知ることが大切になります。特にこのような日々には、私がここで述べていることを読む選択をおこない、そしてそれについて考え、神に相談してください。人間にとって、正しいときに正し思考を形成することは最も難しいことです。これ自体が訓練なのです。適切なタイミングで適切に思考するために、多大な時間や努力はいりません。習慣を作るだけにすぎないのです。そこでもし元気がなくて、自信がなくても簡単にあきらめないでください。もしあなたがあきらめそうになったら、このテーマのこの話について勉強してください。この瞬間に神に適切な理解と光を求めてください。レクチャーのコピーにしるしをつけ、簡単に読み返せる場所に置いてください。そしてまだ疑うようであれば、神にあなたのための真実と意志を求めてください。これを受け入れることができるように、キリストに助けを求めてください。そして祈るのです。「父なる神よ、これがあなたの真実、あなたの意志ですか?私はあなたの答えを受取るために心を開いています」と。みなさん、あなたが疑っているとき、これ以上のことは何も求められていません。あなたがこれを真摯に、心から行い、この瞬間にも常に近くに潜んでいるローワーセルフの抵抗を無視できれば、そのときあなたは大きな勝利をおさめたことになります。このことをあなたにはっきりと理解してほしいのです。今晩、この道において、最初の実際的かつ具体的な始まりとして、このことを持ち帰ってください。

 質問に入る前に、もう一度申し上げます。みなさん、人生であなたが苦しむすべてのことは、直接的にでも間接的にでも、あなたの欠点とあなたの持つ恐れに起因します。あなたに欠点がなかったとしたら、あなたの中に恐れは存在しないでしょう。この恐れはあなたをとても惨めにし、人生の喜びを遮ります。これを覚えておいてください!この道を歩むことによって、恐れの鎖を砕くための力は、あなた自身の中にあるのです。これはあなたの中にある力、手の中にあるあなた自身の力なのです。そしてもし望めば、あなたは必要な強さを受け取るでしょう。どれだけ人生が忙しくても、あなたには今までのように義務を果たすための時間だけでなく、比べものにならないほどのいい時間を持つことができるのです。親愛なるみなさん、みなさんは人生を楽しむ時間を得ますが、常に魂に存在し多くを台無しにしてきた恐れや不安がなくなると、もっとよい時間を得ることになるでしょう。この道において、必要なワークを行うための強さを持てないなどと思わないでください。この強さというのは、まずあなたがそれを決意し、そのために必要なものは神が与えてくださると信頼すれば、霊的にも物質的にも、必要なだけすべて少しずつあなたに与えられます。さて、それではみなさん、質問にお答えします。

 質問:キリストが述べた「柔和な人たちは幸いだ。彼らは地を受けつぐであろう」とはどのような意味か教えてください。

 回答:「柔和な人」とは憎しみ、強い怒り、強情さのない人、そしてこれらの性質を持たないがゆえに恐れのない人を意味します。そうするとその人は、理解し、愛し、十分に謙虚でいることができます。常に自分が正しいのだと証明する必要がないからです。多くの人はこれを実践するための勇気を持っていませんが、心の奥底では実践ができないことに苛立ちを感じているのです。このように柔和でいることは、健全な魂を持つということです。これは強さ、力、自立を意味します。神聖なる法則に抵抗しながら泳いで、ゆくゆくは不調和な流れを作り出す代わりに、このような人のために働いてくれる神聖なる法則とともに生きることを意味します。一方で、明確に理解すべきなのは、イエス・キリストの言うこのような柔和さというのは、自分をあなたの兄弟(仲間)のローワーセルフに征服させることではないということです。そうではないのです。イエス・キリスト自身、そうはしませんでした。イエス・キリストはたびたびそれに対して戦ってきました。ときにとても強い姿勢で戦いました。悪と戦うこと --- 自分の中の悪だけでなく、他者の中の悪とも戦うこと --- は、傷を受け入れられるようになること、そしてそこから学ぶということをも含んでいます。けれども、他者の低次の性質にあなたの柔和さを利用されるのを許してはなりません。これらの明らかに矛盾した道がある中で、進むべき正しい道を見つける方法は、最初にそう見えるほどには難しくありません。あなたのエゴがかかわっているところ、つまりあなたのプライドや身勝手さを調べれば、その場ですぐにあなたは謙虚に受け入れるということを学ぶはずです。そのときその人に湧き上がる闘争心は、抑えられるべきです。そして、もしエゴが排除され得るならば、そのときにのみ闘争心が働くのを許してもいいでしょう。適切に自己成長していれば、しばらくするとこの客観性を、判断力を手に入れることができます。あなたがもし、このエゴがどのように徐々に消えて行くのか、そしてもはや宇宙は自分を中心に回っているのではないということをはっきりと感じられるならば、もし自分自身に起こることを何らかの形で他者にあてはめなければ、そのときあなたは正しい原理のために立ち上がることができ、正しく戦うことがどういうことなのかを知るでしょう。あなたの小さなエゴが中心に立ち邪魔をしているかぎり、あなたの判断は常にその影響を受けるでしょう。そして、あなたのエゴがかかわっているのかどうか、どれぐらいかかわっているのかをはっきりと識別できるようになるまで、あなたはこの道においてさらにワークを進めていかなければなりません。長い時間をかけて、あなたは自分の反応、感情、そしてものの見方、さらには一般的な話題でさえもがどれほど自分自身のエゴの影響を受けているのかを見つけていくのです。これは、みなさんが学ぶべき最も重要な側面を表しています。表面にエゴを持たないということは、私たちの言う謙虚さを持つということです。そしてこれこそが、イエス・キリストの言う柔和さの意味することです。柔和さそのものが、あなたを本当に強くし、自分がいつ個人的な痛みや不正にしがみつき、そして静かにそれを許しているのか、いつ悪に向かって立ち上がり戦うときなのか、それが自分の人生に触れていようがいまいが、そのときを識別する力を与えてくれるのです。ここまで来るためには、あなたの最も隠れた感情と、その本質を探る、鋭い「探偵」でいる必要があります。そして自分を訓練して、最も厳しい自己観察を手に入れなければなりません。親愛なるみなさん、実際にイエス・キリストの述べたこの言葉をエゴに当てはめてください!

 質問:異なる主な宗教は、この霊的世界においてどのようにそれぞれの活動を続けるのでしょうか?彼らは互いに争うのでしょうか?そしてどの程度人間に影響を及ぼすのでしょうか?

 回答:すべての領域において、そしてそこにある一番高い領域から一番低い領域までのそれぞれの段階において、これらの異なった宗教が表現されています。それぞれの領域で、そして成長度合いに見合って、その宗教が違った働きをすることは自明の理です。まずは一番高い領域から始めましょう。そこには、これらの異なった宗教の宗派もそれぞれの組織を持っていますが、人間が想像するのとはまた別のものです。それらの宗教は、誠の真実、合一の状態を知っています。そしてまた、その宗教一派が持つ、同様に他の宗教が持つ欺瞞と彼ら独自の真実を知っています。しかし、それらの宗教は、その宗派の救済計画の中で働き続けるのです。なぜならば、彼らには達成すべき任務があるからです。この最も高い領域のスピリットたちが、もし異なる宗教組織の内側に、そして特定の教会に属する特定の人びとを通して、この地球に来ることがなければ、救済計画は適切かつ効果的に機能することはできないでしょう。同様に、とても高次のスピリットも、グループ、国、宗教に縛られていない個人に働きかけ、インスピレーションを与えます。この偉大な計画では、達成しなければならないことが多くあり、しばしば既存の条件や無知な状況をくぐり抜けて行われなければなりません。ですので、このようなインスピレーションがなければ、欺瞞を引きはがすことは不可能でしょう。真実はゆっくりと成長する必要があります。したがって、地球のどんな宗教にも、その成長度合い、問題となる個人の欲望、真実に対してどれぐらいオープンでいるかに従って、その特定の宗教に属する使者がすべての領域から送り込まれます。したがって、インスピレーションは常に個人に与えられます。あなたは常に自分の目的と態度に呼応してインスピレーションを与えられます。最も高い領域においては、スピリットたちは長い視野を持って計画を立て、そのインスピレーションは、人間にはほとんど理解しえない究極の目的を持っているということを知っています。スピリットたちは、人間の宗教の持つ教義を超えることはできません。というのも、人間は彼らの宗教の、高次に成長した生まれ変わりのスピリットからもたらされる真実にしか耳を傾けないからです。人びとのマインドは強く固定化しているで、スピリットの世界からのインスピレーションに対して開かれることはないでしょう。このような場合はいつでも、扉は閉ざされています。とは言うものの、スピリットの世界が良きことを行えるように、十分に真摯な善意が存在するでしょう。神のスピリットの世界では、最終的な合一という偉大な目的を達成するために、あらゆるグループ、あらゆる宗教において働き手が必要です。私たちはまだこの合一が達成できていないことを知っています。けれども、破壊しようとするのではなく、価値あるものを打ち立てることによってこのゴールに向けて最善を尽くして働きます。それゆえに、神の世界では、異なった宗教が戦うことは一切ありません。宗教には同じ目的があります。宗教は低い発達段階のスピリットの限界を知り、建設的なものを構築することにより、ゆっくりと限界を取り除こうとしています。しかし、まだ神の世界に属していない領域では、状況は異なります。そこでも、さまざまな宗教が戦うことはありません。なぜならば、ほとんどの場合戦う機会がないからです。個々のケースについて例外はあるかもしれませんが、ここでは複雑すぎるので説明できません。けれども、グループとして、彼らは彼ら自身の領域を持ち、そこに留まります。私はあなたによく、スピリットの世界では、あなたは自分と同種のスピリットの中で生きていると話してきました。これは摩擦を減らしますが、発展する可能性をも減らします。例として、ある特定の宗教を強く信じている人のケースを取り上げます。その人は、多くの点でまだ不完全であり、亡くなった後も一番高い領域に達することができません。その人がスピリットの世界に入ると、その人は高次の、そして低次の両方のスピリットに囲まれることになります。気の合うスピリットたちに囲まれ、そしてこの宗教のグループに属することになります。高次のスピリットは、その人にその人が犯した個人的な間違いについてのあるアドバイスやヒントを与えようとします。しかし、頑固な人の場合、同じことが起こると、その人は信念に洗脳され、このような言葉に対して心を開くことはなく、すべてを真実ではないと拒絶するでしょう。そこで自由意志は決して侵害されるものではないので、自分の信念を変えないスピリットたちといることを選ぶ自由があります。彼らは、それを選びますが、スピリットの世界では地球上に比べるとあまりそんなことは起こりません。地球上では、少なくとも神に近づく他の手段、神から何かを学ぶ手段を知る知識と機会を得ます。しかし霊的世界では、その人は自分の世界に住んでおり、自分の見方を変えるには長い長い時間がかかるかもしれません。確信を持っているがために、同じ環境にまた転生する場合は特に、長い時間がかかります。これらの領域にいるスピリットたちの中には、自分が思っていたほど美しくもないことに失望を感じるものもいるかもしれません。しかし同時に、彼らはこれが彼ら自身の不完全性のためであり、宗教の信条とは何の関係もないのだと気づくのです。ローワーセルフの中心には、頑固さや偏狭さがあり、他の物事の中にもそれはありますが、そのローワーセルフが彼らの一方的な態度の原因であるということに気づくことができるのは、浄化のさらに進んだ段階に至ってからのことです。この頑固さがある限り、その人の持つ頑固な信念と矛盾するインスピレーションを受け取ることは誰もできません。まれに神の恩寵により受け取ることがありますが、このような恩寵は他の方法で得なければなりません。私がしばしば述べてきたように、人やスピリットは、あらゆる宗教の中で成長を遂げることが可能です。もしある程度の発達段階へと至ることができれば、すべての真実が最終的には一つの普遍的な形となる、という気づきが訪れるでしょう。この気づきへと至ったとき、そこに宗教の分派は存在せず、「このやり方だけが正しく、他のすべては間違っている」という態度はもはや存在しなくなります。そのとき、あなたには多くの誤りが見えますが、あなたはなお、真実とともにいることができます。

 質問:例えば、無神論者はどうなりますか。

 回答:あらゆる可能性に対する領域(階級/または自分の属する集団と表現することも可)があります。あなたが期待されていることを転生の中で最大限に達成すれば、どの宗教を信じているかはそれほど重要ではないことをご存じだと思います。無神論者であれば、その人の達成したことに従い判断がなされます。もちろん、同様のことがみなさんに当てはまります。これらの達成は個々に評価されます。つまり、過去の転生、長所、怠慢などです。その人は無神論者であるかもしれませんが、それでも何かを達成してきました。おそらくその人は、ある弱さや共に転生してきた人に対する憎しみを克服してきました。そして、このことはその人に有利な評価となります。そこでその人は自分の属する領域、つまり自分の感情、思考、普段のそして特定の態度によって築かれた領域の中にいることになります。友人のみなさん、あなた方は常に忘れてしまうのですが、領域というのはそこに最初から存在していて、そこにあなたが押し込まれるのではありません。領域というのは、自分自身が作り出すものなのです。あなたがそれらを築くのです。あなたが何を築いたにせよ、それがあなたの領域です。そこがあなたの一時的な家なのです。

 質問:私は常に、無神論者は神聖な光から切り離されているので暗闇の中に留まった状態にいるのだと考えていました。

 回答:はい、ほぼそうだと言えます。しかし、ここでもまた、一般化することはできません。無神論者が暗闇の中にいない瞬間があるかもしれません。その人は確かに、至福、美、神聖な調和の領域にいることはできませんが、恐ろしく悲惨な状態にいる必要もありません。みなさん、それは非常に多くの事柄によって左右されます。というのも、特定のケースの判断、あるいは評価というのは完全に相対的なものだからです。もし人がまだあまり発達していない場合、その人への期待は大きくはありません。例えば、まだ数回しか転生していない、若い魂の場合を見てみましょう。その人の本能はまだ非常に粗野で、粗暴です。そこで、そのような人は、これらの本能に屈してしまう誘惑に駆られ、もしかしたら人を殺してしまうかも知れません。このような人が神を信じていないとしても、もしこの誘惑をいくらかの良識でもって克服することができたなら、彼らの魂は大きな評価を得ることになるでしょう。これは高度な発達を遂げた人びとが手に入れるものと、比べものにならないほど大きな評価となるでしょう。

 重要なのは、ローワーセルフを克服するための努力です。若い魂の中で、ローワーセルフがまだこのような暗い傾向を包含しているかどうか、あるいはローワーセルフがあなた方すべての人が持つ欠点、弱さ、そして病的な流れ(傾向)を包含しているかどうかは取るに足りないことで重要ではありません。努力が重要なのです。したがって、私がここで例としてあげたような魂は、その人の領域の中に差し込む光を得るでしょう。その明るい光は、希望、勇気、あるいは次の転生でその魂に流れ込む、ある強さを表しています。スピリットの世界では、評価というのは決して一般的になされるものではありません。それは常に個人に向けたもので、すべての個人的な事柄を考慮に入れて判断が下されます。すべてのことが考慮され、それゆえに判断は常に完全に公平です。人間がこのことを想像するのは非常に難しいことです。というのも、あなた方人間は、過度な単純化や一般化する傾向がおおいにあるからです。

 みなさん、他の質問には次回お答えすることにします。そして、私は自分の世界へと戻ります。みなさん一人ひとりに、神のあたたかな祝福を残してここを去ります。来週みなさんはイースター(復活祭)の祝日を祝います。親愛なるみなさん、このイースターというのは、非常に大きな犠牲が支払われたときでした。今の時代を生きる私たちは、特別な感謝の気持ちを持ってこのことを考えましょう。例外なくこの犠牲は、みなさん一人ひとりのために支払われました。今晩あなたに与えられた強さをもって歩んでください。その強さがさらにあなたを強くし、あなたを愛と勇気で満たしますように。平和のうちに、あなたの道を進んでください!そして神のうちにあってください。



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