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Pathwork Guide Lecture No. 37 正しい受容と誤った受容:謙虚さにおける尊厳
ACCEPTANCE, RIGHT AND WRONG WAY -- DIGNITY IN HUMILITY  1996年版 1958年9月26日

 至高の主と神の名においてご挨拶します。友人たち全てに祝福を。この時間が祝福されますように。

 心から神への賛意を表す人は幸せです!しかし、皆さんの世界にはそういう人がなんて少ないことでしょう!長い上り坂を進み、サレンダーすることができるようになった人もいれば、中途半端な妥協をしただけで、サレンダーしたと考える人もいます。

 神のために心からする決断とは何でしょう?それには常に、何かを諦めることが含まれます。意見、欲望、おそらく生き方を手放すということでしょう。しかし、実際には何も手放しません。皆さんにはサレンダーは「手放す」かのように見え、この手放しは実行されねばなりません。それを行う意志を示し、その一歩を踏み出すことで、手放したものより遥かに多くのものを実際に受け取っていると気づきます。何も手放していなかったことが分かるのです!この逆説は無知という雲で覆われます。神の為なら重要なものを犠牲にするのも厭わないことを示すと、それは自然に消えてなくなります。

 多くの人が、神のための決断を律する法則を、世を捨てて修道院に隠遁することだと誤解して解釈してきました。そのような禁欲主義者は何も手放さないことが多く、その一方で、世間に留まりながら自らの人生を真にサレンダーする人もいます。そのような人々が神の為に行った心からの誓いには、行い、言葉、意図において神の意志とその成就が表現されます。周囲の人たちがまったく気づかなくても当然です。多くの場合、神はその人が最初に手放したものを返してくださいます。神以上に執着するものはないと示せば、皆さんはもう一度、新たなより良い形で、それを受け取ります!手放さなくてはならないものは、必ずしも悪いもの、間違っているもの、不道徳なものとは限りません。頑ななまでに執着し、神の為に手放すことができないというだけで十分なのです。皆さん、これが重要な点です。

 神に全てを委ねようとしないのならば、友よ、どうしてこの道を進むことができるでしょう?浄化、成長、神との関係を二の次にして世俗的なものを重視するのであれば、どうして神の子になることができるでしょう?神に妥協することはできませんが、多くの場合、皆さんは妥協したいと思うのです。祈り、自らの過ちについて少しだけ考えるだけで十分だと考えます。そして、神と神の呼びかけがまるで存在しなかったかのように人生を続けます。片足をこの道に、もう片方を古い生き方に置いて立つことはできません。古い生き方は、あなたにトラブルしかもたらしませんでした。

 肉体にあるものであれ、肉体の外にあるものであれ、その基本的な試練は、神の世界から最終的にその信念を実践するよう求められる成長段階で来ます。最初のうちは長い間、信念も真実も見えません。転機が訪れるのは、実体が光を見始め、神の存在を感じ、神を信じるようになる時です。そして、その信念は証明されねばなりません!神が探究者にはっきりと語りかけるような出来事が起こります。「本気なのか?本気で信じているのか?あなたにとって、私は他の何よりも重要なのか?」折に触れて祈るだけでは十分ではありません。神はその全てを与えられるように、あなたの全てを求めておられます。神に自らを差し出すことによってのみ、あなたは自分との平和を得るでしょう。心の安らぎが欠けている時はいつも、魂の一部を天国の父から遠ざけていることの表れです。皆さんには、神を望み、自らを神の子として経験したいと望み、成長し、浄化したいと望んでいる部分もあれば、自分の方がよく知っていると考えている部分もあります。神の条件ではなく、自分の条件で神に近づきたいのです。完全かつ全面的に神にサレンダーすることは、何らかの形で自らの不利だと考えます。その為、自らの限界を至高なるものに投影するのです。

 完全に受け身になることが求められるという意味だとは誤解しないでください。神のために犠牲を払い、身勝手さを克服することは正しい活動です。ハイヤーセルフと戦う時はいつでも、誤った種類の活動をしているのです。

 天使の堕落の過程で、創造のあらゆる神聖なる側面は、その対極に変質しました。これは容易に見て取れます。愛は憎しみや恨みに、正義は不正義に、美しさは醜さに、調和は不調和にというように。神の子や、最早深い暗闇にはいない被造物にとって、これらの極端は危険なものではありません。しかし、善良なものや現実として示された多くの層によって覆われ、隠されている、歪んで誤った極端さがあります。皆さん、または皆さんのような多くの人々は、ハイヤーセルフ、ローアセルフ、マスクセルフといった、人格の中にある偽りの美徳と本物の美徳を区別することができません。この同じ真実と偽りの共存は、地球上のあらゆる神聖なる力、側面、内向きの流れに伴っています。

 最も誤解されている神聖なる流れのひとつが愛です。実際には愛とはまったく関係のない、他の多くのものが愛を装います。孤独の壁を打ち破りたいというエゴの切望は、愛を装います。独占欲もそうです。このことについては、エロスの愛とその意味、完璧な理想そその逸脱についてお話しする時にもっと詳しく述べるつもりです。しかし、今夜のテーマはそれではありません。

 今夜は、悲観的かつ否定的にならずに人生の逆境を受け入れるという神聖なる法則にどう従うかについて話し合います。皆さんの世界では一般的に、特に友人の皆さんの間で、このテーマについての大きな混乱が見られます。人生の受容は神聖なる方法です。良いことも悪いことも、人生がもたらすもの全てを受け入れ、かつポジティブな態度を失わないことです。困難なことを受け入れようとしない身勝手さの葛藤の中に歪みがあります。殆ど全ての場合と同様に、人生の条件を受け入れることの拒否は表面上にあったり、あるいは深層に隠されていたりする場合があります。悲観的で否定的になることも同様に、神の法則に反します。闇の力にそそのかされたローアセルフは、悲観的で否定的であることは、人生の困難を受け入れることだと信じたがります。一方、困難が存在し得ることを否定するのは、ポジティブで健全な態度の歪みです。

 正しい道は容易には見つかりません。自己診断や瞑想が、必要としている答えに自らを開く助けとなってくれるでしょう。あなた方それぞれが、何処でどのように正しい道から逸れるのか学ぶのです。しかしまず、それぞれの魂の内でどのように受容が実践され得るのか、原理的に説明させてください。

 人生の逆境を受け入れることは、全てを悲観的に見るということではありません。真の正しい道とは、「私は、人生が幸せと同じく不幸ももたらすだろうと思っている。人生の雲にはひるまない。暗闇を恐れない。勇気をもって逆境を乗り越えてこそ、幸せに耐えることも、幸せを与えることもできるのだ。」霊的な安定に到達するには、歪んだ自己愛、自己憐憫、臆病から不幸にひるまないことです。逆境から学び、最も暗闇の時に、神があなたに学ばせたいものは何なのか、不幸を招いたのが自分の中の何かを神に問うなら、それは正しい態度です。太陽は二度と輝かないと考えることを自分に許さなければ、建設的に暗闇を受け入れ、その暗闇の時間の内なる原因を見つけるでしょう。

 あらゆる困難とは別に、プライド、身勝手さ、恐れに関して試練や苦労がもたらされる度に、同じように誰もが学ぶべき一般的な教えがあります。不幸に抵抗し奮闘する探究者は、プライドから行動しているのではないでしょうか?人格は頻繁に感情的な爆発で反応していませんか?「なぜ私が不幸になるのだろう?不幸になりたくない!」完全な存在だけが、多かれ少なかれ無意識の内にあなたが幾度となくするような要求を正しく行えます。皆さんを不幸の中で苦しむようにしているのは、身勝手さではありませんか?困難な時、誰もがそれを学ぶことができます。不幸を必要な薬として受け入れることを学び、ずっと病気でいるだろうとか、いつもその薬が必要なのだというようなことを考えることがなければ、あなたの恐れは去るしかありません。人生を受け入れるというのはそういうことです。

 人生を受け入れるつもりがないことや、受容に対する内なる葛藤は、様々な形で現れる可能性があります。皆さんは知性でなんらかの教えを理解しているので、不幸になることを拒むことを素直に認めることができないかもしれません。果敢な抵抗、自己憐憫、何らかの形で人生や問題から逃れたいという願いは、人生が表すもの全てを感情的に受け入れている訳ではないことの証明です。個人的な人生の逆境に対して抱く調和を欠いた感情が何であろうと、人生のルールを内的に受け入れておらず、困難に対する個人的な責任を負うことを拒否し、薬を飲もうとしていないことを示しています。自らの感情を解釈し、その意味を知ることを学んでください。そうすれば、マインドの中でより明確な形が得られ、自分自身についてより深い意識に達する助けとなります。

 次のように自問してください。「私がこのように感じる訳は何だろう?私は人生の現実と戦っているのだろうか?私の葛藤は、人生が教えてくれる教訓をプライドや身勝手さから拒絶していることを示しているのか?私はこの教訓を、自らを愛し過ぎという証を恐れているのだろうか?小さな傷つきや不利益を恐れているのだろうか?」友人たちよ、探究の自問は、悲観的なことでも、否定的なことでもありません。悲観や否定性であればこう言うでしょう。「もう不幸しか期待できない。太陽はもう二度と私の為に輝いてはくれないだろう。」知性ではそれを受け入れたくなくても、感情はそのような絶望を示すこともあります。その感情を分析してください。多くの場合、人は否定的で悲観的になることで、人生の教訓を受け入れていることを証明できると考えます。実際、否定的な態度は、人生の教訓を拒否し、もがき苦しんでいる別の方法に過ぎません。

 神の属性のもうひとつの歪みは尊厳に関するものです。尊厳は神の側面です。それが歪んだものがプライドです。人間は、尊厳とプライドを取り違え、プライドを尊厳だと思っていることが多いことに私たちは気づきます。完全な謙虚さなしには生きないものが尊厳です。エゴの性向が非常に強く、身勝手さが優勢な人は、どうしても高慢であり、尊厳を併せ持つことは不可能です。身勝手さ、プライド、虚栄心、自己中心性が魂にあると、必然的にそれは行く先々で恐れを生じさせます。恐れと尊厳は共存できません。その時に応じて謙虚になれる魂は、真の尊厳を知っています。「私が間違っていた。許してください。」と仲間に謙虚に言う以上に気高いことがあるでしょうか?皆さんが頻繁に考えたり感じたりする思いとは裏腹に、尊厳を傷つけることは絶対にありません。屈服したくないからという理由だけで、頑なに自分の主張を貫き通すことがどれほど多いことか!どうしてですか?誤解された尊厳の概念は、尊厳の正反対であるプライドそのものに他なりません。霊的に目覚めてない人は、このふたつを簡単に混同してしまいます。

 皆さん、何が真実であり、良いものであり、正しいかを提示する、誤って示されるマスクされた神聖なる流れに注意してください。あなた方の世界では今、そのような歪みに執着する傾向が非常に強くなっています。かつて、闇の勢力はそのような手段に訴える必要はありませんでした。人類が原始的な発展段階にあった時、人を神から引き離すには真っ赤な嘘だけで十分でした。今日、人類は進歩し、明らかに邪悪なものが多くの人を惑わすことはなくなりました。闇の勢力が常に効果として狙うのは、良いものを混乱させ、歪んだ形で伝えることです。この新しい戦術によって、更に判別が難しくなりますが、明らかに皆さんには、その微妙なニュアンスを見極め、真実の歪曲を見つけ出す力があります。

 質問にお答えする前に、お話ししたいことがふたつあります。ひとつは、このグループは素晴らしい祝福を受けており、スイスにあるグループも同様です。スピリットの世界には壮大な計画があります。私の友人の何人かは、それを感じ始めているかもしれません。私たちは今、ここにひとり、国外にひとり、ふたりの霊媒を訓練中であることを嬉しく思っています。この取り組みは、訓練が終了した時だけでなく、継続中の内から、多くの目的を果たすでしょう。霊媒達と、顕現するスピリット達の浄化を同時に可能にし、また出席している人々の浄化も可能にします。このグループの教えに従う友人の皆さん全員が、これが持つ大きな意味に気づくよう、今夜この展開をお伝えします。

 現実的な理由から、特に参加者の浄化に関する話し合いを含むふたりの霊媒のトレーニング・セッションをテープに録音し、ふたつのグループ間でこれを交換することを提案します。このようにして、皆さんは互いに学び合います。継続的かつ定期的に交換を行うべきです。これは両グループにとって非常に重要です。こちらの小さなグループで始まったことは、海の向こうのグループにも非常に役立つでしょう。

 そして今夜、何人かの皆さんにお願いしたいことがあります。このグループは祝福されており、グループの一員は皆んな祝福されています。このような大きさのグループで避けられない非常に人間的な敵意や誤解が全て正され、霊的な態度で接することができれば、神の世界にとって大きな喜びとなるでしょう。勿論、皆さんには自由意志がありNOと言うこともできますが、もしやる気があるのであれば、嫌いな人に向かい合ってみてください。その人を特に嫌う理由を注意深く考えてください。客観的になるよう心がければ、きっと自分が何らかの形で主観的であることに気づくでしょう。もしかしたら、自らの虚栄心が傷つけられたか、知らず知らずの内に相手の虚栄心を傷つけ、感情的反応が生じたのでしょう。そのように、人の嫌悪は常に正当化できるのです。特別な出来事がなかったとしても、相手の良い点を見つけようとし、自らの反応の客観的な要因を静かに探ってみましょう。ごく僅かな良い意志によって、対立関係にある二者間に愛の絆が築かれる可能性は大いにあります。共通点を探してみてください。皆さん誰にでも、共通点はあるからです。傷ついたプライドの影響を受けたであろう思考や感情ではなく、その共通点に基づいて事を進めてください。誠意をもって、自らの良い面を示してください。時折隠れるように見えるあなたの心の寛大さを示してください。

 実際に何か出来事があった場合は、慎重かつ機転を効かせて詳細を検討しましょう。その出来事についていつ話し合うべきか、そもそも話し合うべきではないのかは、あなたがどれだけ恨みや盲目さから解放されているかによります。ことによっては、そのような出来事をグループで取り上げることは有用な場合もあります。いずれは「敵対する者」と自由に話せるようになり、誤解だと感じたこと、互いに傷ついたこと、何故嫌悪感を抱いているのかを冷静に説明できるようになる時が来るでしょう。当事者は常にどちらも傷つきます。正直に自らを客観視することができるなら、自己尊厳と思っている何かに邪魔をさせずに、静かに耳を傾け、相手の視点を理解する努力をしてください。不調和の原因はないことに気づくでしょう。

 友人たちよ、全ての誤解や傷つきは想像上のものに過ぎません。それらは、皆さんが少なくとも部分的に生きている、この暗闇、この地球上での副産物です。傷つく理由があると何度も思いますが、それは真実ではありません!勇気を以って、誤解しているかもしれない相手に向かって最初の一歩を踏み出してください。そうすれば、あなたは更に浄化されるでしょう。嫌いなものや、何らかの形で自分に向けられていると感じるものが強く見えることもあります。従って、はっきりとは見えないのです。知性的には相手に素晴らしい資質があると認めるかもしれませんが、感情的には本当にはそうは思わないか、少なくとも見つけたいとは思わないのです。

 この提案を実践することで、あなたは自らにとっても、また関わっている他の人々にとっても、良いことを為します。とはいえ、私がこのことを求める理由は、グループ全体にとって和解のエネルギーが重要だからです。友よ、自分を傷つけたと思う相手にハートを捧げることは、とても価値のあることです。

 悪い感情や悪い考えは、宇宙の破壊的な力を増大させます。こうした感情や感情のひとつひとつがどのように大きな醜いよどみに流れ込み、最終的にこの世界のあらゆる傷、犯罪、不正、戦争という邪悪の原因となるのかを漠然とでも皆さんが理解できればいいのですが!その気づきは、真実ではない思いを持つように自分自身を欺くものであってはなりません。歪みは正しい道ではありません。その道は、まずこのように言う勇気を持つことです。「これが私の感情だ。間違っているかもしれないと分かっている。でも、そう感じるのだ。」客観的に感情を観察し認めることができれば、自らの適切な浄化に向けた最初の一歩が踏み出されます。現時点で抱かざるを得ない誤った考えや感情は著しく強制力を失い、自分と宇宙の両方に加える悪影響は少なくなります。勇気ある認識と良き意志が、これらの影響が小さくし、変化させるのです。その存在に気づいていなかったり、それを正当化しようとしたりする時に、これらの影響は非常に強くなります。

 親愛なる皆さん、祝福を受けてください。


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