top of page

Pathwork Guide Lecture No. 45 意識的な欲望と無意識的な欲望の葛藤
THE CONFLICT BETWEEN CONSCIOUS AND UNCONSCIOUS DESIRES 1996年版 1959年1月30日

 主の御名においてご挨拶させていただきます。親愛なる友人の皆さんに祝福を。この時は祝福されています。

 親愛なる皆さん、ご存じのとおり、人生の理由や目的は成長と浄化以外にはありません。従って、この道を歩む人は人生を無駄に過ごすことはありません。間違いなく、この道は自己認識かつ自己浄化への最短の道です。自己認識がなければ、自己浄化はありえません。自分自身を知らなければ浄化は不可能です。自己認識と浄化が必ずしも同じであるとは限りませんが、多くの場合、自らを完全かつ徹底的に認識できれば、既に多くの部分は浄化されています。抵抗や誤魔化しなしにそうする為には、今のありのままの自分を受け入れる謙虚さを持ち、これまでその重要性を無視していたかもしれないローアセルフの一部を認めることが不可欠です。そのように自らに正直になることで、感情を変えられるようになるずっと前から、皆さんは既に浄化の中にいます。

 皆さんは、感情の変化は命令できるものではないということを忘れがちです。意志の働きで、感情や感情的反応を変えることはできません。混乱した感情に明確な意味を見出すという、必要かつ多くの場合、退屈な作業を進める為に、意志を使うことはできます。この道を歩むことを完全に決断することも、意志を使ってできます。しかし、ローアセルフを認める謙虚さを繰り返し持たない限り、感情を変えることはできません。繰り返しますが、内なる反応の誤りを何度でも認識してください。このようにして、皆さんは達成したい変化そのものを培うのです。

 皆さん、自らを知ること、これまで気づかなかった部分である本当の自分を見つけることが、常に目的であり課題なのです。ではこれから、皆さんが更にその方向へ進むことを助けましょう。

 人格には非常に多くの側面があることは忘れられがちで、その為、「自らを知る」ことの本当の意味はめったに理解されません。皆さんは確かに、自らの意識的な目標や反応、嗜好や特異性等について知っています。しかし、大事な皆さん、皆さんが完全に無視している他の側面も沢山あるのです。自分自身や、過去のみならず、現在の生活環境で知っている多くの人たちのことを考えてみてください。特定の人達、家族、友人に対し、自分がどう変わるか、どれほど違う態度を取っているのかを考えてみてください。それぞれの状況で異なる「あなた」がいます。Aさんに対する態度で、Bさんに接したらどうなるかを想像してみてください。アルファベット全部で調べてみれば、自分にはそれだけ多くの側面があることが分かるでしょう。それは単に表面的なレベルに過ぎません。他の多くの側面は、決して表面的な人格には現れないからです。では、どうすれば自分をより深く知ることができるのでしょう?

 皆さん、最も重要な第一歩は、自らの欲望を見つけることです。欲望と言っても、人生における重要な目的や目標、あるいは大きな課題のことを言っているのではありません。そうではなく、どんなに小さくても、明らかに取るに足らない反応にも、何らかの欲望が含まれているということです。不調和を感じたり、腹を立てたり、イライラしたり、はたまた喜んだり、楽観的になったりした日の些細な出来事を思い浮かべてみてください。これらの反応のひとつひとつに欲望があります。自分が何者であるかを知りたければ、まず日々の反応のひとつひとつにある欲望を確認する必要があります。それは、あなたが考える程、難しくも簡単でもありません。ある種のテクニックや訓練が必要なのです。まず、私が度々勧めてきたデイリーレビューを行うことを学ばねばなりません。その次のステップは、「こんな時、怒り、希望、不幸、喜びを感じた」と認めるだけでなく、他者や外部の状況を見る限り、どれだけ明白な理由があったとしても、何故そのような反応を感じたのか自問することです。

 自らの反応の背後にある欲望が何であるかを自問しましょう。「今、怒ったり、恐れたりしているのは、この状況に関連して自分が本当は何を望んでいるからだろうか?違うものを望んでいるから怒っているのだ。欲しいものは何だろう?」あるいは「私が喜んでいるのは、私の欲望が満たされたからだ。その望みは何だったのだろう?もし私が希望を感じているとしたら、それは私の欲望のいくつかが満たされる可能性が高いと感じるからだろうか?この欲望は、分かりやすい簡単な言葉で言えば、何だろう?」

 友よ、このような自問自答を習慣づけてみてください。毎日、自らの全ての反応を取り上げ、この観点から検証してみましょう。欲望は何でしょう?そうすれば、親愛なる皆さん、自らをより良く理解するのに大いに役立ちます。何故今の自分になったのか、何故このような欲望を持つようになったのかを理解するのにも役立ちます。しかし、それは次の段階であり、現時点では時期尚早です。一度にひとつずつです。まず、自分の欲望について、簡潔で明確な認識を確率することを学びます。次に、それらが存在する理由を調べましょう。

 無意識の願望は、意識的な願望から外れていることがよくあります。これが葛藤や不満の主な原因のひとつであることを、皆さんはもう理解していることでしょう。それなのに、その意味をまったく無視しながら、しばしば同じような葛藤や不満を引き起こします。事実、あなたの行動を導く意識的な欲望や目標は、ハイヤーセルフの目的と一致していますが、同時に低次の利己的な目的も動機の中には存在します。これら低次の目的は、高次の目標の中に正当性を見出し、低次の目的の存在を隠すのに大いに役立ちます。親愛なる皆さん、重要なのはこの事実に気づくことです。行動自体は価値のある良いもので、崇高な動機が本当に存在していたとしても、その同じ目標の中に、高次の動機と低次の動機が共存しているのを見ることができなければ、その輝きは失われます。利己的で、尊大で、空虚で、恐れに満ちた動機が消えて無くなる程まで自己を浄化できるようになる前でも、その存在を認識しさえすれば、皆さんはかなり浄化され、皆さんの正しい行動も浄化されます。

 純粋かつ良いものを望んでいるにも関わらず、それが不調和をもたらすことに気づき、戸惑うことが良くありますね。それは、崇高な願望に関わる内側に存在する様々な動機を無視しているからです。意識的な崇高な動機によって、あなたの目的に何も間違いはないと納得していますが、実際には何らかの間違いがあることも感じます。その間違いとはつまり、同じ欲望の流れの中に共存する、他の部分を自らが知らないことです。皆さんは、「排他的」な態度に慣れてきっています。ある動機の真実が、別の動機の真実を排除すると思っているのです。多くの場合、本質は全くの逆です。ある動機が別の動機を排除するものではないことを本当に理解する為には、多くの自己実現が必要です。浄化とは、単に欲望を変えることではありません。最初に願望を観察して、良い動機と悪い動機を分けることです。決して感情に対して強いてはいけません。それは無理なのです。この点に関しては、どれほど強調しても十分ではありません。次のように言えるように努力してください。「私の欲望は、あれこれです。意識的な願望は良いものだ。しかし、数多くの利己的な動機が働いていることも私は知っている。良い行いは続けるつもりだが、利己心、虚栄心、それに関わる他のどんな傾向も全くないと自分を欺くつもりはない。私にできることは、これらの手に負えない流れが時間とともに弱まるのを祈り、望むことだけだ。今は、このように感じるしかないが、私はそれから自由になりたいと思っている。」

 このように繰り返し自らを観察することで、低次の流れは確かに弱まり、やがて消え去ります。こうしてあなたは、感情を無理に追い払うのではなく、浄化に向けて限りなく多くを成し遂げるでしょう。皆さんは、善意に満ちて感情を強制しようとします。特定の反応は利己的で愛情がないと知っており、そうありたくないと思っているからです。そのような傾向は、遠ざければ排除できそうに見えます。しかし実際には、単に覆い隠しているだけで、その存在を認識する場合よりも、遥かに大きな力を与えてしまいます。更に、実際以上に自らを純粋だと信じている為、自らを欺いています。無意識の中で低次の動機が沸き上がっていても、自分はそのようなものからは自由だと思い込むのです。

 人類は感情と思考を明確に区別します。スピリットにおいては、どちらも微細な物質の具体的な形であることはご存じでしょう。私たちの見方では、本質的に感情と思考は同じです。感情と思考の唯一の違いは強さと激しさであり、特徴や種類ではありません。感情は、あなたが抱くどんな思考よりも強力で激しいものです。感情で強化されない信念や意見は弱く、それは、感情で満たされた意見や見解よりもはるかに早く溶けてしまいます。この原則は、肯定的な思考だけでなく否定的な思考にも当てはまります。

 最も強い意識的な信念や思考は、全く無意識の感情の流れに比べれば何でもありません。この道を進めば、すぐにこの真実に気づきます。感情を意識化すれば、その感情は思考となり、更に望むなら、その思考は行動となります。こうしてあなたは、無意識の思考や感情に支配されたまま理由も分からずに、ただ行動を正当化する場合よりも、高次の意識の中で生きることになります。

 個人的な感情が関与していなくても、思考はすぐには変えられないことはご存知でしょう。感情を変えるとしたら、どれだけ時間がかかることでしょう!例えば、人生を通して抱いてきた一定の意見があるとします。感情的な関与はなく、その意見は表面的で、個人的な重要性はないかもしれません。習慣や周囲の影響に助けられ、その意見を保ち続けています。その為、とっくに廃れているにも関わらず、それを修正しようとは全く思いもよらないのです。個人的、心理学的要因、感情に関わる意見や態度を変えるのは、どれだけ難しいことか!人間の魂はいかに習慣に縛られていることか!怠惰やプライドの誘惑に打ち勝つ戦いの何と偉大なことでしょう!長年抱いてきた見方を変えるには、ある種の謙虚さも必要だからです。心の奥底では新しい見方が理にかなっていると理解し、感じていても、長い間持ち続けてきたというだけの理由で、ある意見に固執する人をよく見かけます。表面的な意見でさえ、変えるのには努力と謙虚さが必要です。感情の関与がない思考を変えるにも、一定のスキルが必要ですが、それを習得するのは必ずしも容易ではありません。ましてや、深く根差した感情に関わる見方や態度を変えるには、はるかに多くの忍耐と叡智が必要です。

 単なる思考でさえ、力ずくでは変えられません。誰も、自分自身でさえ、異なる考え方を強いることはできません。自ら熟考、比較、識別、選択しない限り、意見を変えることはできません。この過程で、新しい意見が生まれます。あるいは、意識的かつ慎重に考慮した結果、これまでの意見が正しいという判断を下すかもしれません。思考よりも強く、影響力のある感情では、力で成功することは更に少なく、当てにできません。未浄化な感情の性質をようやく認識したのに、未浄化の感情が変わらないと言って失望しないように。しばらくの間、その存在をただ観察せねばならない必要性を受け入れてください。それができるようになると、あなたは更に多くを学ぶでしょう。

 入り混ざった動機に気づくには、謙虚さが必要です。それは例え、今この瞬間はお世辞にも美しいとは言えない真実であっても、健全な真実の状態で生きることを意味します。ですから、自己認識を通して魂を健全にしてください。そのようにして、自らの感情が実際に異なるものになる時、ゆっくり、ひとつひとつ、意識や内なる概念の変化を経験するでしょう。それはあなたにとっての最大の勝利であり、安堵となります。しかし、それは一気に成されることではありません。このレクチャーで概説されている退屈なワークを行なわない限り、成果を得ることはできません。

 このワークを行なえば、問題や葛藤だけでなく、自らが持つイメージと、それがどのように形成されたのかを理解できるようになります。イメージを見つけるには、次のふたつの側面から取り組む必要があります。(1) 子供時代とその頃の自らの反応を調べる (2) 日常の出来事に対する現在の反応の中にある自らの欲望を調べる。これらは、ひとつの全体図を表します。今ある欲望を探究すると、何故、あるものが他のものよりも強いのかが分かるでしょう。良い動機と悪い動機の両方、及び人格のいくつかの層で構成され、逆流で壊されるものもあれば、ひたすらひとつの方向に流れるものもあります。そして何故、悪い動機の存在を意識から隠す必要があったのかが分かるでしょう。

 欲望を見つけることで自らを見出そうとする時に直面する別の可能性についてもお話したいと思います。意識的かつ外見的には、あなたの人生はうまくいっているように見えるかもしれません。しかし、内面は混乱しています。自分が何を望んでいるのか分からないことに気づくかもしれません。これは不可解で、多くの場合、動揺させられます。相反する欲望や、様々なものと絡む望ましくない欲望を抑圧した結果、魂は非常に混乱しており、結び目を解くにはあなた自身の努力を要するでしょう。最初は、本当は自分が何を望んでいるものが分からないと気づくのは、非常に恐ろしいことでしょう。その為に、まずは誤魔化しの欲望に逃げようとします。

 誤魔化しの欲望を見るには、内なる結び目のいくつかの糸を一本ずつ選び、引き離して、その方向をたどらねばなりません。結び目の小さな糸は、それぞれ小さな欲望を表しています。それぞれの背後には異なる動機があります。自分は多くの点で、知的で高度に発達した人であると知っているので、あなたは無意識の内に、様々な動機を全て認識することは不可能だと信じています。完全に矛盾した欲望がいくつもあり、それが互いに相殺し合っていることを、どうして認めることができるでしょう?それでも、内なる子供は、ふたつの不可能、あるいはそれ以上の不可能を望みます。この矛盾を隠すことで、あなたは自分自身からその矛盾を取り除こうと考えました。しかし実際には、この隠された矛盾の核心にこそ、あなたの不調和と失望の本質があるのです。

 唯一の解決策は、勇気と忍耐を持って、それぞれの糸を手に取り、日々の反応のひとつひとつについて自分が何を望んでいるか自らに問うことです。まずは、ただ欲望を書き出すことから始めましょう。「でも、こんなことは馬鹿げている。あり得ない。あるまじきことだ。」といった判断や評価は控えてください。そのようなアプローチは、結び目を解くことをより困難にするだけで、その作業を不可能にしてしまいます。あなたの隠れた感情は、外側の常識とは何の関係もないことを知ってください。抑圧され続け、成熟できなかったあなたの部分は、ふたつ以上の矛盾する欲望を叶えたいと思っていることを知ってください。表面下で葛藤しながら、手頃な表面的な欲望で矛盾する欲望の核心を隠したいという執拗な欲望の為に、内なる子供は不可能を望みます。欲望、感情、思考は強力な磁場である為、内なる葛藤に見合う状況を引き寄せます。そして、あなたは、自らの相反する欲望が外側の不幸や不満の原因であることに決して気づきません。それは論理的結果であり、内的状態が必然的に投影されたものなのです。

 おそらく、あなたはある種の充足を望んでいます。しかし同時に、その正反対の欲望の利益も望んでいます。後者の相反する欲望の動機は、あなたにとって好ましくは感じられないので、それを抑圧し、鍵をかけて閉じ込めます。感情や欲望が無意識であればある程、それが人生に及ぼす影響は大きくなります。その結果、意識的には望んではいないが、無意識に望んでいるものが手に入るのです。ただ、あなたは糸がついてない状態、不利益がない状態のそれを望んでいます。そして、理解できないのです!

 従って、自己探究をする時には、特定の目的の中で良い動機と悪い動機を分ける必要があるだけでなく、自分が本当は何を望んでいるのかが分からない可能性も考慮に入れなくてはなりません。相反する全て流れの原因を見つけ、これまで無意識だった混乱を理解して初めて、あなたは着実にひとつの方向に進むことができる、ひとつの明確な欲望が持てるようになります。そうすれば、魂は十分に成長し、代償を支払う必要があることに気づきます。そういうものなのです。簡単なことではありませんが、誠意を持って粘り強く取り組む人であれば、誰でも必ず実現できます。

 親愛なる友人の皆さん、私達は、子供時代に形成され、人生の不幸の原因となっている個人のイメージのワークに取り組み始めました。このようなに真剣に取り組んでいる皆さんは、大きく前進します。

 ここで、更に考える材料を提供したいと思います。それぞれの時代や文明には、個人のイメージだけでなく、集合的イメージ、民族的イメージ、国家的イメージ、歴史的イメージが存在します。親愛なる皆さん、これはとても重要なことです。何故なら、あなたの個人的イメージは、集合的イメージによって強化される可能性があるからです。もし、集合的イメージに関連する個人的イメージがなければ、集合的イメージの影響は受けないか、あるいは少なくとも、その時代の集合的イメージに何らかの形で合う個人的イメージがある場合に比べれば、その影響は半分もないかもしれせん。誰もが集合的イメージの影響をある程度受けます。集合イメージは、個人のイメージの性質に応じて多かれ少なかれ、あなたに影響を与えます。ですから皆さん、集合イメージの存在を認識することが重要です。それを認識すれば、内なる葛藤の解決に向け、更なる一歩を踏み出せます。そして、それぞれの集合イメージが、どのように個人のイメージを強めるかが分かるでしょう。集合イメージは非常にたくさんある為、その一部を列挙することさえ不可能です。しかし、続けて行く内に、あなたにとって重要なものは全て見つかるでしょう。

 いくつかの例を見てみましょう。寿命に関する集合的イメージが存在します。長い間、この集合イメージは、人間の平均寿命がおおよそ45歳という印象を保持していました。実際、大多数の人がその年齢で死んでいました。勿論、医療や生活環境の向上が現在の寿命の延長に繋がったとも言えます。私もそれは否定しません。しかし、このような向上があったからこそ、大衆イメージは変わり、この特殊な大衆イメージがなくなり始めたからこそ、その向上が実現されたのです。それは両方向から作用します。一方がなければ、他方は考えられません。もし人類が、古いイメージや幻想を手放す準備ができる程に心理的かつ霊的に成長していなければ、どんなに技術が進化しても寿命を延ばすことはできなかったでしょう。もうひとつの集合的イメージは、人はある年齢に達すると衰弱し、病気になるというものです。全人類がこのイメージの影響を受けています。

 考え得る全てのテーマに大衆イメージは存在します。友よ、このことについて考えてみてください。個人の生活に影響を与える集合イメージや幻想が、どれほど多く存在するのか分かります。類似する、あるいは関連する個人のイメージが関係している場合には、その影響はなおさらです。

 親愛なる皆さん、質問に移る前にもうひとつだけ言っておきたいことがあります。この道に取り組めば、多くの隠れた感情が表面化するのは自然なことです。隠れた感情が意識的になる程、仲間を思いやれるようになることを忘れないでください。無意識の支配下にある限り、他者に対して不快な形の行動を取らざるを得ない場合がよくあります。そのことに気づいていないかもしれません。勿論、本当に気づきたいと思うならば、自己分析のプロセスがなくても気づくことはできます。しかし、皆さんはそのような観察から逃げ腰になりがちです。何故なら、その観察は、心理が避けたいと思うような認識に至る可能性があるからです。この道を進むと決めたら、他者に与える影響について少し考える義務があります。自らを認識し、自らの感情を分析してください。けれども、それらを他者に放り出してはいけません。自己認識が深まれば深まる程、より無欲になり、周囲への影響をより意識するようにならねばなりません。

 それでは親愛なる皆さん、ここで質問に移りましょう。


 質問:守護天使について、もう少し教えていただけますか?

 回答:そのテーマについては、過去にもうお話ししました。今ここでは、こう言わせてください。神が守護者を与えない人間など、誰ひとりいません。多くの人がこの事実を否定し、子供っぽい迷信だと思っています。そのような人達は、人類が前の時代に持っていた集合イメージへの逆反応である、現代の集合イメージの影響を受けています。そして、守護天使やそれにまつわる全ては、正反対のものへと歪められました。人間は、良いことも悪いことも全てを霊的な存在のせいにし、自己責任を回避しようとしました。ここに、作用と反作用として続く、ふたつの対極的な集合イメージがあります。昨今では、そのような考えは微笑んで無視するのが流行りです。しかし、全ての人間には守護天使が与えられています。その守護の強さやパワーは、神の計画におけるその人の成長や責任課題によって決まります。守護天使は神の法を厳守し、神の法や守っている人間の個人的な計画に応じてのみ干渉します。それ以外に、その人の判断や決断の誤りを防ぐ権利はありません。良い薬になる可能性がある不幸を防ぐことはできないので、そばで見守ります。守護天使の役割は守られる人間の個人的な人生計画に従って導き、原因と結果の法則に反することだけを防ぐことです。

 ご存知のように、人間は自らの自由意志で転生前に立てた計画を変えることができます。良い変化であれ悪い変化であれ、守護天使はその変化を妨害することはなく、守られる者が自ら生み出した影響のみを受けるよう見守ります。守護天使は、導きや啓示がどの程度与えられるか、どの程度与えるべきなのかを知っています。人間が正しい方向に最初の一歩を踏み出す時、つまり直接的または間接的な形で神に近づく時、守護天使はその歩みに役立つ術全てをもって自由に対応することができます。その第一歩が自由意志から生じたものでなければ、守護天使は守っている人間に正しい判断を強いることはできません。人が神と向かえば向かう程、守護天使は守っている人間に近づくことができます。人が神から遠ざかれば遠ざかる程、守護天使は遠くに立つことになります。これはどうしようもないことです。まさにそういうものなのです。

 それぞれの人間の周りには沢山のスピリットがいます。組織化されていない、必ずしも悪いとは限らないスピリットと同じように、邪悪なスピリットもいます。けれども、皆さんの周りにいるスピリット達が勝手に来る訳ではないということを忘れてはいけません。例え、善悪の程度が大きく異なっていて、あなたの現在の成長段階とはかなり異なっていたとしても、スピリットは基本的な類似性によって引き寄せられます。従って、あなたが邪悪な人でなくても、周囲に邪悪なスピリットがいるかもしれません。あなたの内なる特定な流れが、取りついている邪悪なスピリットと同じ基本的性質を持っているからです。同じことが神のスピリットにも当てはまります。組織化されていないスピリットが、どれだけ影響を与えるかは皆さん次第です。自己認識が高まる程、自らをコントロールできるようになり、スピリットであれ人間であれ、他の存在からの影響からより独立した状態になります。意識がある程度まで高まっていない人は、自分では気づいていないかもしれませんが、他者の影響を受けやすくなります。そのような人にスピリットが与える影響についても同じことが言えます。多くの場合、守護天使には見守るしかありません。あるいは、守護天使がそのような影響を防ぐこともあります。それは様々な状況に左右される為、ここでは列挙することはできません。全ては神の法の完全性と叡智によるものです。

 質問:守護天使はすべて組織化されたスピリットですか?

 回答:勿論です。しかし、皆さんの役に立ちたいと思っている組織化されていないスピリットが、周りにいないということではありません。それらのスピリットは、全く邪悪ではないかもしれません。けれども、正規の守護天使は、組織化されたスピリットでなければなりません。

 質問:神の計画によると、人間の寿命は何歳ですか?

 回答:それは単なる数字では答えられないですね。神の計画はどんな瞬間にも存在する、集合イメージを考慮せねばなりません。同様に、あらゆる存在の転生の詳細も全て考慮に入れています。その為、多様なのです。集合イメージは強いものなので、考慮に加えなくてはなりません。そのように個人的な計画と組み合わされ、ある人間は他の人間よりも長生きします。集合イメージが変化するにつれ、個人的な計画はそれに合わせて調整されます。その結果、人類全体が成長すればする程、個人がひとつの生涯で成就するチャンスは増えます。しかし、個人の寿命が現在の平均寿命よりも遥かに短い場合は常に存在します。いつの日か、平均寿命が100歳にかもしれませんが、それでも20歳で死ぬ予定の人も大勢いるかもしれません。

 質問:私がお聞きしたかったのは、創造は完全なので、完全性においては、寿命は何歳なのかということです。

 回答:でもあなた、この人間の領域、地球の領域では完全はあり得ません。地球は一時的な領域であり、不完全さがなければ存在し得ない一時的な段階です。いかなる存在であれ、完全に達すればその存在は最早、誕生と死のプロセスを経る必要はなくなります。その存在は、時間を超越した永遠のスピリットになります。

 質問:転生の中にいる守護天使はいますか?それとも、守護天使はみな転生のサイクルから外れていますか?

 回答:それは人間次第です。多くの人間は、このような自己成長の道を歩んだり、霊的な使命をはたしたりする段階に達していません。平凡と言えるような人生を送り、経験によってゆっくりと学び、成長するか、あるいは足踏みをしたままの人々です。そのような人々には、当然、組織化されたスピリットであっても、未だ転生のサイクルから抜け出していない守護天使がいます。非常に成長が早く、このような道を歩みたいと望み、最終的に使命を全うする人には、より高次の強力な守護天使が与えられます。必ずしもではありませんが、このような守護天使は多くの場合、転生のサイクルから外れています。

 質問:人種的イメージや宗教的イメージも、集合イメージの一部を形づくると思うのですが?

 回答:勿論です。

 質問:そうすると、転生のサイクルで、魂はあらゆる人種や宗教的なイメージを体験することになります。そうしたら、転生は全てが混じり合ったものになります。これは浄化に役立つのでしょうか?

 回答:はい、まさにその通りです。

 質問:隠された欲望についてお聞きします。人は、時として欲望を含んだ喜びを感じることもあります。喜びを感じることがあるのは、神に少し近づいたからではないだろうか?

 回答:確かにその可能性はあります。自らの内なる勝利で喜びを感じることもあります。すべての喜びに低次の傾向があるとは言いません。全くそうではありません!その場合には、素晴らしい建設的な欲望が満たされたか、あるいは部分的に満たされています。しかし、改めて目を向けてみるのも悪くはありませんよ。それが答えの全てなら問題ありません。いずれにせよ、純粋な喜びを感じ、それを再び失うことを恐れず、不穏な不調和がなければ、そこを調べる必要はありません。この道を歩む皆さんは、主に不調和の要素を含む矛盾する感情を抱いた時にはそうしている筈です。これは一定の喜びを経験する時にも起こり得ますが、自分自身に耳を傾けるならば、喜びと共に他の感情も存在しています。

 質問:どんな気持ちにも必ず隠れた願望があるのですか?

 回答:隠れているかいないかに関わらず、あらゆる感情には欲望があります。しかし、全ての欲望が、悪くて間違っている訳ではありません。全ての気持ちは、欲望を含んでいます。何故なら、気持ちは感情の産物だからです。

 質問:悪い動機で良い行為を行卯ことは望ましいのでしょうか?それとも行為を慎むべきですか?

 回答:いいえ、慎むべきではありません。自己欺瞞なく、良い行為に悪い動機があることを認識するだけで良いのです。悪い動機が認識されるだけでも、全ての魂が最終的に通らねばならない浄化の大きな助けとなります。始まりは、常に自分に誠実であることです。

 質問:私たちが求めるものを引き寄せるという、守護天使についての回答に戻ります。それは親和性の法則ですか?

 回答:はい、そうです。

 質問:それについて、もう少し教えていただけますか?

 回答:親和性の法則については、これまでのレクチャーでかなり説明しました。常にこの特定の用語を使う訳ではありませんが、実際に私が話したり、教えたりすることはすべて親和性の法則に基づいています。霊的法則とは、全体としてそういうものです。それは原因と結果の法則であり、全ての普遍的かつ心理的プロセスを含みます。例えば、イメージを例にとります。あるイメージが存在し、人を人生の特定の状況に引き込む時、特定の人々がその人生に引き込まれます。これは親和性の法則によるもので、思考、感情、欲望の形が、それに対応するものを引き寄せるからです。親和性の法則の妥当性を理解しない限り、イメージの概念全体の理解はできません。オードの力と呼ばれる個々の生物からの放射、様々なオードの力から生じるさまざまな波動は全て、親和性の法則に基づきます。

 質問:集合イメージについての質問です。私たちは人種的イメージや信条的イメージの中に生まれるのですか?例えば、異なる信条の人がこの道を歩んだとしたら、より具体的には、キリスト教徒ではなくユダヤ教徒がこの道を歩んだとしたら、どうなりますか?ある意味、前者の信条に対する軋轢や憎しみが生じます。これをどう説明しますか?

 回答:一部の魂は、依然として自らの人種や信条のイメージと深く関わっています。何故なら、個人の心理的要因、すなわち個人的なイメージの流れが、それぞれの集合イメージと共に働くからです。そうなると暫くの間、そのイメージを壊そうとは思わないでしょう。硬直が緩むまでには、いくつかの転生が必要です。同じ人種や信条に生まれた者でも、既に自らの人種や信条のイメージを解消している者もいます。彼らは、既にある程度、個人的イメージを解消しているか、それぞれの集合的イメージとの相互依存性が低い、別な個人的イメージを持っていたり、個人的イメージが全くなかったりします。この点に関して、数多くの論争や個人的な感情がある為、偏ったイメージによって、殆ど全ての人がこのテーマについて何も聞くことができないでしょう。国籍についても同じです。ナショナリズムや、誇張された愛国主義の傾向が強い国に生まれる人がいます。彼らはその国に留まり、独自の物の見方が偏っていることに気づきません。同じ国に生まれても、外に出て、他の国や人々を見たいという衝動に駆られ、視野を広げる人もいます。宗教的な集合イメージも同じです。ある人は、まだ深くのめり込んでいますが、別な人はそこから抜け出そうとしています。少なくともこの点では、一方がより発達しています。別の点では、今なお一方的で偏っている人の方が、遥かに進んでいるかもしれません。しかし、この一点において、前者は、自らの文明の集合イメージによる影響を破壊し始めています。

 皆さんの時代に起こっていることは、ナショナリズムに関する集合イメージをゆっくりであっても確実な破壊です。その為、私たちの観点からすると、戦争の激動や酷い悲しみにも良い点はあります。これらの激動がなければ、人々は国から国へと移り住み、視野を広げることはなかったでしょう。これは、彼らの集合イメージを破壊し、多くの場合、最終的には個人的イメージに影響を及ぼします。同じことが、宗教にも起こります。従って、地球上の恐ろしい出来事、例えそれが戦争であっても、人類を成長や霊的実現に導かないと考えるのは短絡的です。成就は必然的であり、いずれにせよ必ず起こる筈なのです。人類が未だ平和への道を見出せなかったとしても、誤った選択肢も又、統一と幻想からの解放、即ち集合イメージからの解放という目標へと導いてくれるに違いありません。確かに、暴力や憎しみ、偏見や利己主義、戦争の原因は全て霊的なものではありません。しかし、多くの人々は未だにそのような状態にいます。そのような盲目状態を徐々に取り除くには、ただ前に進むことなのです。しかし、このような流れがあるにも関わらず、成長を止めることはできません。何故なら、戦争や動乱がもたらすものは、常に1つの目的に向かっているからです。それは、霊的進化、統一、自らの内なる鎖からの解放です。この視点から歴史を見れば、少し違った考え方できるでしょう。個人においてそうであるように、人類全体にとってもそうなのです。自らが蒔いた種で経験する苦難は、まさにそれから解放されるための薬なのです。戦争を広めるべきだという意味ではありませんよ。

 質問:キリストの下での統一を求めるローマ教皇の提案は、それに向けた平和的な一歩だと思いますか?

 回答:勿論です。結果がどうであれ、理想的な解決策がすぐに見つかるか否かに関わらず、宗教的な集合イメージが一歩一歩破壊されている兆です。

 親愛なる友人の皆さん、神の祝福と救い主イエス・キリストの愛と光を皆さんに残し、私の世界へ戻ります。皆さんひとりひとりに与えられた力と愛を受け取ってください。大事な皆さん、平和の内に。神の内に!


###


以下の注記は、Pathwork®の名称およびこのレクチャー資料の使用法を示したものです。Pathwork®の商標/サービスマークは、The Pathwork Foundation(パスワーク・ファウンデーション)によって所有され登録されており、The Pathwork Foundationの書面による許諾なく使用することはできません。The Pathwork Foundationは、その単独裁量権において、Pathwork®の商標を、協力団体やその支部のような他の組織および個人による使用を許可します。

著作権にかかる規定
Pathworkのガイドの著作物は、The Pathwork Foundationの所有資産です。このレクチャーは、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーに準拠して複製され、いかなる方法においても変更または省略することはできません。また、著作権、商標、サービスマークおよびその他あらゆる公示の削除は許可されません。
レクチャーを提供される側は、複製と配布のための費用のみを支払うこととします。The Pathwork Foundationのサービスマークまたは著作権で保護された資料を使用する任意の個人や組織は、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーを遵守することに同意したものとみなされます。これに関する情報またはこのポリシーを入手するには、The Pathwork Foundationにご連絡ください。Pathworkという名称の使用は、the Pathwork Foundationによって承認される変容のプログラムを修了したファシリテーターとヘルパーにのみ許可されています。

日本語版の取り扱いについて
Pathwork in Japan (パスワーク・イン・ジャパン) の許可なしに、無断でコピー(複製)、貸与、頒布、販売することを固く禁じます。また、文書およびインターネット上(ウェブ、メール)での引用・転載を含む公開も禁止します。

また、本レクチャーの受領者は、英語版から日本語版を作成する際に発生する複製・配布・翻訳などにかかる費用をご負担いただきます。

さらなる情報やPathworkへの参加については、Pathwork in Japanにお問合せください。
ウェブサイト:https://www.pathworkinjapan.com
お問合せ先 :pathworkinjapan@gmail.com

※ガイドレクチャーに関するお問合せはメールで承っております。下記メールアドレスまでお願いいたします。
pathworkinjapan@gmail.com

© Pathwork in Japan All Rights Reserved.

bottom of page