


パスワーク・イン・ジャパン 公式サイト
Pathwork in Japan
No. 48 宇宙の生命力
Pathwork Guide Lecture No. 48
1996年版
1959年3月13日
宇宙の生命力 THE LIFE FORCE IN THE UNIVERSE
主の御名においてご挨拶します。最愛の友人である皆さんに祝福を。
今夜は、宇宙の生命力についてお話します。宇宙の生命力は、すべての天体や世界、すべての無生物、抽象的なアイディア、生きている人間に含まれています。それなしには何も存在できません。他の領域、皆さんの手も届かず、理解も及ばない高次の領域における、その生命力の顕現についてはお話ししません。理解できないのですから、友よ、それには意味はありません。皆さんの日常生活にあわせた言葉で話しましょう。
無生物は石化した生命力です。美しいアイデアや真実は、流れる生命力です。生命力は永遠であり、全ての生命は永遠なのです。死は幻想に過ぎません。あなたが死んだと見なす無生物は、一時的にそうなっているだけなのです。全ての生命は、それがどのような形で現れようとも、永遠に存在しなければなりません。何故なら、永遠ではない生命は生命ではなく、無意味な矛盾なのです。生命力は全て、神の属性を含んでいます。それは、存在に至った訳でもなく、何かをする訳でもなく、働く訳でもなく、持っている訳でもありません。それはただ、そうなのです。これらの言葉の意味と区別を理解しようとしてください。生命力はあなたの周りにあり、あなたの中にあるのです。
生命力と完全に調和しながら生きている人間は死にませんが、肉体に留まることもありません。何故なら、皆さんの物質(肉体)は生命力が石化したものであり、何らかの形で生命力の場が乱された所にのみ存在するからです。様々な教えで聞いたことがあるでしょう。死は原則的に不必要なものであり、いつの日か無くなります。完全に自己実現した人は、徐々に肉体を霊的な形に変えていきます。その実現は、地球時間で測ると非常に遠い未来ではありますが、そうなります。原則的には、確かに可能なのです。
生命力が侵害されていない所なら何処でも、完全な調和と平和の幸福が手に入ります。その幸福は、皆さん人間にとっての一時的な幸福につきまとう、生命力を再び失うことへの不安や恐れのないものです。
皆さんは、これまで聞いた教えから、自らの魂の中で絶えず、霊的法則を犯していることを知っています。例え、行為、言葉、思考ではなかったとしても、少なくとも無意識の感情の中で行われています。そのような反則が起こる度に、あなたは自分の中に流れる筈の生命力を捻じ曲げてしまいます。生命力があなたを復活させることを妨げているのです。私がこの自己発見の道で示しているのは、自らの内にある全ての壁、岩、石化を溶かし、生命力があなたの内で働けるようにする為の、段階的でゆっくりとした方法です。これ以上に早い方法はありません。僅かでも勝利を経験した人は、抵抗に打ち勝ち、真実を見出し、不快なものをも認識しました。というより、まさに、その不快なものであったでしょう。この人々は、次の障害に取り組むまでの間、平和で力強く、生き生きとした感覚を味わいました。こうした稀な瞬間は、私が話すことが単なる美しい物語でも、今とは何の関わりもない、遠く離れた抽象的な理論でもないことの生きた証となる筈です。それは究極的な現実であり、あなたが内面に目を向ければ、いつでも手が届くものなのです。
魂の中に障害が存在するのは、あなたが何らかの形で神の法を犯しているからに他ありません。神の法を犯す時、生命力は働くことができません。あなたにとって、「法」という言葉には、間違った含みがあることが多いので気をつけましょう。殆どの人は、この言葉を聞くと、私が意味する所とは全く関係なく、感情的に反応します。法とは、皆さんにとって、しばしば無意識の内に、強制され従わざるを得ないもの、自分も強い権威を意味します。このことは、先日のレクチャーでも概説しました。法の概念と、このような感情的な結びつきは、その真の意味とは完全に対立するものです。真実で神聖なる意味合いでの法とは、力や強制とは何の関係もありません。全く逆なのです。自らの外からであれ内からであれ、力や強制が働いた瞬間、神の法が犯されたことになります。何故なら 神の法則とは内なる自由だからです。
誤りから自分を解放することによってのみ、内なる自由を得ることができます。最初の必然的なステップとして、誤りを意識せねばなりません。その後に初めて、そこから自らを解放できるのです。ですから、神の法則を犯すと言うかわりに、神の真実を犯すと言った方がいいかもしれません。なぜなら、真実は生命力であり、真実は間違いなく神の法則だからです。親愛なる友人達よ、皆さんは知っていますね。私が皆さんを導く道は、あなた自身の真実を示しているのです。
生命力とは再生です。石化した生命力は退化を意味します。あなたが抱えているイメージ、間違った結論、意識的または無意識的な無知と誤りの中で、あなたは真実の中で生きていません。従って、様々な特質がありながら、常に、身体、マインド、魂、スピリットを癒す力となる生命力を邪魔してしまうのです。このように、肉体的な病気の全ては連鎖反応に過ぎず、妨害された生命力の最終的な外的症状であるとすんなりと信じることができるでしょう。
魂の中に障害物がある場合、その病を取り除く唯一の方法は、まず生命力を適切に受け入れる準備をすることです。最初のステップは、真実でないものに向かい合うことです。勿論、それは気持ちの良いことではありません。多くの人々は、この道が正しい筈はないと考えるようになります。神は美しく、調和がとれていて、至福に満ちているのだから、それとは正反対のことを経験するのは、何か神に反することが起きている証拠だと考えるのです。友よ、何という誤解でしょう!自らが魂に植え付けた不調和を全て回避するだけで、神の調和を直接体験できるなんて、どうしたら信じられるのでしょう?
神の真理を厳密に理解するためには、まず自分が引き起こした誤った原因を理解しなければなりません。もしあなたが庭に毒のある植物を植えて、すべての良い植物を台無しにしてしまったとしたら、その毒のある悪い植物に触れずに取り除くことはできるでしょうか?この作業は決して楽しいものではありません。毒に触れる内に、一時的に毒の影響を受けることもあるかもしれませんが、それは避けられないことです。毒のある植物を庭に放置しておくよりはましでしょう。
自分の中にある痛みの原因となってきたものを取り除く為には、何らかの方法で痛みに耐えねばなりません。友人の皆さん、悪化するものと再生するもののふたつの基本的な種類の痛みを区別することを学んでください。それは肉体的な領域にもあります。病気になるという痛みと、発症した病の症状を感じる痛みがあります。ひとつは、下降線をたどる時です。そして、それとは別の痛み、治癒のプロセスに伴うより切実な痛み、再生の痛みです。これは大抵、いや常に、完治や治癒が起こる前に必要とされる痛みです。こちらの痛みは、上昇する曲線を描きます。例えば、手術を受ける前に、まずは病気だと知るよりも前に、病気になる痛みのようなものを感じます。あなたの医師は、原因を見つけて手術をします。
治癒のプロセスでは、まったく別の種類の痛みに耐えることになります。膿を出して、浄化された状態で組織が再生しないと傷は治らないことを、皆さんご存知ですね。これが再生の痛みです。
魂にも同じことが言えるのです。友よ、この現実から逃れることはできないのです。あなたの選択肢は、下降線上に留まり、症状に苦しみ、悪の根源に行くことを拒むか、勇気を奮い起こして問題に近づき、傷口を切り開いて、自然のヒーリングの力に任せるかのどちらかです。誤りや誤った結論といった膿を出した後は、再生する痛みに暫く耐えねばなりません。手術そのものは、自らの誤りを直視するという不快なものです。それは、上昇曲線が可能になる前の、高い所、あるいは低い所と言ってもいいでしょう。
これを視覚化することで、今、陥っている罠から抜け出しやすくなるかもしれません。暗闇や絶望に耐える必要はありません。大事な皆さん、向き直ってみてください。そして、私がここで言うことを理解し、症状だけに気をとられずに、本当の苦悩にアプローチしてみましょう。この道を最も進んでいる人でさえ、「手術」の鋭い痛みに対する無意識の恐れから、原因ではなく悪の症状に目を向ける誘惑にかられます。一度、勇気を出して 「手術 」に踏み切れば、その痛みの時間はとても短いのだと理解してください。しかし、症状に執着し、その起源である自らの内側から目を背けて、下降曲線に留まるならば、苦しみは長く続きます。あなたが本当の問題に向き合い「手術」を決意しない限り、痛みは続きます。
このアドバイスは、この道全体に対してのみならず、この道における全てのステップに適用されるべきです。この道を歩んでいたとしても、魂のある種の病を故意に見過ごし、外的世界に治療薬を求めているかもしれません。これもまた、症状への執着です。あなたの魂に宿る誤認や誤解や虚偽に向き合うことで、内面にある弊害や石化が解消されればされる程、あなたの中に生命力が流れることを許せます。そうすればする程、あなたはあらゆるレベルで早く復活することができるでしょう。
このレクチャーの冒頭でお話したように、完全性とは、時間的な意味だけでなく、範囲的な意味でも、無限かつ永遠のものです。あなたは地上にいながらにして、この全てのごく僅かな部分を感じ体験できるのです。石ころだらけの険しい自己発見の道を歩む者は誰でも、徐々に、少しずつですが、信じられない程の変化、自己発見の道に力を注がない者には信じ難いような変化を経験するでしょう。友人の皆さん、私は奇跡をお約束する訳ではありません。そのような意味での奇跡は存在しません。そのような救済を信じることを望む者は、それが個人的な努力が伴わないから、そう望むのです。それなら簡単です!しかし、そのような救いは存在しません。この道は全くの現実であり、おとぎ話は存在しません。私が皆さんにお見せする現実は、やるべきワークを避けずに、代償を払うつもりがあれば、誰でも体験できるものです。そうです、この道では奇跡は起こります。しかし、それは努力して手に入れた場合に限ります。それが、本来あるべき姿であり、理にかなっているからこそ安心して信じられる道なのです。そして、もうひとつ忘れてはならないのが、人格の微妙な変化は、まず内面に現れるということです。他人からは気付かれなかったり、状況の変化として現れたりします。最初の顕現は、常に自分の内面で感じ方や反応が変わることです。あとは後からついてくるものです。
ですから、親愛なる友人の皆さん、生命力を魂に入らせてください。単にそのように意志して、神聖な気分になろうとするだけではできません。それも、少しは役には立つかもしれませんが。祈りは、自分の役割を果たす為に必要な力を与えてくれるでしょう。しかし、やるべきことをしなければなりません。自分自身と向き合い、一度やそれ以上に壊してしまった生命の流れを、反抗や怠惰や自己憐憫を克服する努力によって再生させるのです。あなたが経験していることが、どれだけ不正で不公平に見えたとしても、一瞬たりともそのように信じないように。結局のところ、絶対的な真実と現実においては、あなたがそれを引き起こしているのです。原因を見つけ、これまでの方向性や、長い間留まっていた状態から抜けだす方法を見出さねばなりません。親愛なる友よ、このことをよく考えてください。
そして、イメージ探しに取り組むにあたり、もう少しアドバイスをしましょう。このテーマに関するレクチャーでこれまで私がお話ししたことは、全体的で一般的な主題や概念が人間の心理に及ぼす影響をお見せしたに違いありません。従って、一般的な態度を調べる必要があります。一般的な概念やアイディアに対する態度は、人間のマインドと魂において非常に個人的なものとなります。何故なら、全ての人間が、人生において、そのような主題に当てはまる個人的な体験をしているからです。私がこれまでに紹介してきた方法は、改めて列挙はしませんが簡単に言えば、個人の人生の物語やデイリーレビューの実践などです。このような材料が手元にあれば、あなたは確かに自らの探究において成功を収めるでしょうし、実際に成功しています。さて、この方法に加えて、もうひとつのアイテムをお渡ししたいと思います。皆さんの中には、全く気づかずにそれを使ってきた方もいるでしょう。しかし、これからはワークの不可欠な部分として取り入れるべきです。それは次のようなものです。一般的なアイディア、概念、原則の全てを取り上げ、人生にとって重要なものを全てリストアップします。愛、エロス、性、権威等、既に説明したものもあれば、今後お話しするものもあります。お金、仕事、様々な感情、人間関係、その他多くの一般的な主題について、その人の最も差し迫った問題に合わせて調べてみましょう。その主題に対する各人の態度を調べます。まず一般的な考え方や、その人が困難を抱えているような主題への観点を話してもらいましょう。それから、子供時代、思春期、青年期など、特定の視点から、その人の人生について質問を始めます。
その人に、両親の態度、あるいはそう見えた態度がどのようなものだったのか教えてもらいます。そうすると、十中八九、知的な概念と感情的な行動や態度が全く異なっていたことが分かるでしょう。これは、イメージや誤った結論を導き出す重要な手がかりとなる筈です。この方法を全体のメソッドに組み込み、機が熟したと思われる時にはいつでも使います。それを明確なプログラムにしましょう。とはいえ、厳格なシステムであってはなりません。あなたの直感を頼りに、その人の個性に合わせて行ってください。ひとつのケースでは、ある主題を最初に選び、別のケースでは、異なる主題が適切かもしれません。そして又、別のケースでは この種の調査は完全に待った方が良い場合もあるかもしれません。
今後は、この種の一般的な主題について、無意識下での誤った解釈の観点と、正しい反応がどうようなものであるべきかを考えていきます。
さて、親愛なる友人達、皆さんの質問に行く前に、非常に興味深い提案をしたいと思います。皆さんの間には非常に多くの軋轢があります。これはどのような人間集団でも避けられないことです。皆さんは善意に満ちており、衝突を望んではいません。問題は常に、どうやって軋轢や衝突をなくすかということです。様々な方法があります。試したことのあるもの、試したことがないもの、あるいは忘れてしまったものもあるでしょう。
では、新しい提案をしましょう。これを使えば、とても上手くいく筈です。弁護士が全く異なるふたつの側面から事件を弁護できることをご存知ですね。まず、彼らは一方の視点から事件を代弁し、とても説得力を持たせることができます。次に、反対の立場に立って、同じように説得力を持たせることができます。このことは、弁護士であれば誰でも実践できます。多くの弁護士は、トレーニングの一環としてこれを実践します。
もし、あなたと兄弟姉妹の間に軋轢があるなら、私のアドバイスは、あなたがその兄弟姉妹の弁護士になることです。その弁護を引き受け、相手がどのようにその件を見ているのかを確認し、それをまず自分自身に提示します。それが最も簡単でしょう。次に、その葛藤から距離がある客観的な立場の第三者、恐らくは一緒にワークしてくれる人の所へ行き、その人の立ち会いで同じプロセスを繰り返します。これが第二のステップです。そして、もし本当にこの特定の件において最上の段階に到達したいのであれば、対立している相手の所に行き、その人の弁護人になることです。そうすれば、相手も同じことをするでしょう。それには勇気と謙虚さが必要です。この道で成功を収めるには、このふたつの特性は必須です。しかし、あなたが三番目の最高のステップを踏む気になれないのであれば、ひとつ目、そしてふたつ目のステップを試してみてください。
中途半端な気持ちからではなく、真剣に取り組んでください。自らを忘れるようにしてください。あなたが実際に弁護士であり、自らの評判がかかっているかのように、相手の為に弁護をしてください。自分の正しさを証明したい思いが心の片隅にあるが為に下手な弁護をすると、自らの役割を全く果たしていないことになります。ゲームをしましょう、相手の為になる説得力のある論拠を提示できるかに、自分の人生がかかっていると想像してみましょう。あなたが相手を上手く弁護すればする程、あなたにとって有利になるのであって、あなたが信じ続けているように、相手を上手く弁護すればする程、あなたが不利になる訳ではありません。まず相手があなたの話を聴いた後、相手は「依頼人」として、あなたがより上手く弁護できるように追加の情報を提供してくれるでしょう。あなたの 「依頼人 」の弁護をより強力なものにする為に、耳を傾けてください。
大事な皆さん、これが皆さんに何をもたらすかお分かりですか?新たな理解の展望が開かれるのです。あなたは、自分の弁護だけすることに慣れています。そこでは、あなたは完璧です。そこでは これ以上の改善や練習は必要ありません。反対側を見ることを学びなさい。自らの弁護士ではなく、相手の弁護士になりましょう。これが、私のアドバイスです。軋轢を無くす、あるいは軋轢を最小限に抑える為の最も確実で早いこの方法を実行すれば、とても良い練習になるでしょう。グループワークの良いアイディアであるかもしれません。まず自分のケースを簡潔に述べ、次に相手の弁護士になります。自分の為の弁護と相手の為の弁護と、どちらが優れているか、他の人々に判断してもらいましょう。
それでは、友人の皆さんからのご質問の準備ができました。今夜話されたテーマについて、何か質問はありますか?
質問:科学は、生命は光と意識だと言っています。それは今夜あなたが仰ったことと一致しますか?知性と光なのでしょうか?
回答:勿論です。ただ、それだけではありません。知性と光はふたつの細部に過ぎません。生命力とは、存在する全てのものです。全ては良いのです。そして、否定的なものや有害なものは全て、石化した生命力であり、神の真実や神の法則は守られていません。
質問:チーム・ヘルパーの主な資格と前提条件は何ですか?また、一般的に、チーム・ヘルパーとして働き始めるには、どのくらいの期間のトレーニングと自己浄化が必要なのでしょう?
回答:これは一般論で答えるにはかなり難しい内容です。でも、答えてみましょう。一般的な資格のひとつは、ある種の心理的な才能です。それは言うまでもありません。この才能がある人とない人は、割とすぐに分かります。大抵の場合、その才能の有無は、本人でさえ自覚している筈です。この才能を持っていなくても全く恥じることはありません。誰もが同じ才能を持っている訳ではありません。自分自身にそこそこ正直な人であれば、この特定のワークに必要となる才能を自らが持っているかどうかは知っている筈です。例えば、洞察力、直観力、推理力、観察力、他人への非常に温かい関心、前向きな感情、又ある種の基本的な冷静さ等です。
時間的要素を確定するのは不可能です。多様なのです。ある人には、このワークを他者より早くこなせるかもしれません。それは人によります。他者とワークをする前に、イメージの全てを見つけ出し、解明させることは前提条件ではありません。ただ、いくつかの発見はなされている必要があり、その探究の結果のいくつかは得られている必要があります。しかし、絶対的な前提条件のひとつは、自分の道においていくつかのワークを成功させ、認知による安心感を味わい、内的変化を経験したという点です。
この経験と安心感を味わう前に、人は他者を助けることはできません。それがどのような感情なのかを味わってこそ、確信を持って助けることができるのです。ある種の安心感と勝利が訪れない限り、あなたは暗闇の中におり、自分の困難に巻き込まれており、他者の為に開かれた目を持つことはできません。必要な客観性と直観が欠けているのです。これが、あなたが継続したり判断したりするための基準です。
準備ができているかどうかは、自らにこのように問いかければ、自分が一番良く分かっている筈です。「私はその経験をしたか?私は完全に確信を持っているか?自分の中にある基本的な問題を克服できたか?自分の中の何が主な問題を引き起こしているのか、本当に理解しているだろうか?」 繰り返しになりますが、イメージが解消されている必要はありませんが、自らの人生における因果関係を理解することで必然的に得られる安心感は、経験されていなければなりません。
質問:前回のレクチャーの「壁」について読み返すと、「壁」を見つけるということは、その壁がほぼ物理的に存在していることに気づく必要があるように思えました。それは正しいでしょうか?
回答:「物理的に 」が何を意味するのか分かりませんが。私が言いたいのは、あなたがそれを視覚化し、魂の中の具体的な何かとして、それを感じるべきだということです。暫くすると、その境地に達するでしょう。しかし、それを物理的に見ることはできません。ただ、自分の中に硬さを感じるだけで、完全に空っぽで流れを妨げる何かを感じるのです。
質問者:夢想や目覚める前にも見ることもできそうに思いますが。
回答: それは可能です。夢の中で見ることもできます。
質問:「壁」がなくなって初めて、霊的に生まれ変わることができるのでしょうか?その消滅は、「壁」の背後にあったもの全てを意識した時に起こるのでしょうか?それとも実際に自らを浄化した時に起こるのですか?
回答: 霊的な再生は、「壁 」の向こう側にあった全てを完全に意識した後に起こります。それによって、自然の再生力が働き始めます。しかし、完全に意識するとはどういうことかに気づこうとしてください。それは、常に自分の反応にその知見を適用することを含みますが、それはそう簡単なことではありません。
質問:自分の誤った傾向全てを完全に意識することはできますか?
回答:その時は来なければなりません。皆さん全員にとって、この人生でその時が来るべきだとは言いません。それが可能な人はごく少数かもしれませんが、いずれは全ての人に訪れる筈です。その時が来るまで転生は続きます。しかし、今世でかなりの距離を進むことができるでしょう。それによって、後に続く人生のスピードを加速することができます。何故なら、あなたの魂は自己探究のプロセスによって充満するからです。それは第二の天性となり魂に残るので、あなたと言う存在は、未来の転生でその習慣の恩恵を受けることになります。
私は自分の世界に戻り、皆さんに神の祝福と力を残します。ここにたどり着いた新しい友人達が、この道が提供する多くの答えを見つけられるよう、手間を惜しまず忍耐強く見極めることができますように。誰ひとりとして性急であってはなりません。祝福の内にある生命力の少なくとも粒子を受け取ってください。どれだけ吸収できるかは、全てあなた自身の心の状態にかかっています。苦々しさ、怒り、自己憐憫、これら全ては生命力を阻害します。それを忘れないように。さあ、あなたのドアを開けてみてください。親愛なる皆さん、祝福を、平和の内に、神の内にいなさい!
###
以下の注記は、Pathwork®の名称およびこのレクチャー資料の使用法を示したものです。Pathwork®の商標/サービスマークは、The Pathwork Foundation(パスワーク・ファウンデーション)によって所有され登録されており、The Pathwork Foundationの書面による許諾なく使用することはできません。The Pathwork Foundationは、その単独裁量権において、Pathwork®の商標を、協力団体やその支部のような他の組織および個人による使用を許可します。
著作権にかかる規定
Pathworkのガイドの著作物は、The Pathwork Foundationの所有資産です。このレクチャーは、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーに準拠して複製され、いかなる方法においても変更または省略することはできません。また、著作権、商標、サービスマークおよびその他あらゆる公示の削除は許可されません。
レクチャーを提供される側は、複製と配布のための費用のみを支払うこととします。The Pathwork Foundationのサービスマークまたは著作権で保護された資料を使用する任意の個人や組織は、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーを遵守することに同意したものとみなされます。これに関する情報またはこのポリシーを入手するには、The Pathwork Foundationにご連絡ください。Pathworkという名称の使用は、the Pathwork Foundationによって承認される変容のプログラムを修了したファシリテーターとヘルパーにのみ許可されています。
日本語版の取り扱いについて
Pathwork in Japan (パスワーク・イン・ジャパン) の許可なしに、無断でコピー(複製)、貸与、頒布、販売することを固く禁じます。また、文書およびインターネット上(ウェブ、メール)での引用・転載を含む公開も禁止します。
また、本レクチャーの受領者は、英語版から日本語版を作成する際に発生する複製・配布・翻訳などにかかる費用をご負担いただきます。
さらなる情報やPathworkへの参加については、Pathwork in Japanにお問合せください。
ウェブサイト:https://www.pathworkinjapan.com
お問合せ先 :pathworkinjapan@gmail.com
※ガイドレクチャーに関するお問合せはメールで承っております。下記メールアドレスまでお願いいたします。
pathworkinjapan@gmail.com