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Pathwork Guide Lecture No.13 ポジティブシンキング:正しいやり方と間違ったやり方
POSITIVE THINKING: THE RIGHT AND THE WRONG KIND  1996年版 1957年9月27日

 神の名において、皆さんにご挨拶申し上げ、祝福を贈ります。神、絶対的真理、スピリットの世界とコンタクトを始めると、夢見ている驚くべき「証拠」を直接受け取ることで、その体験が確固たるものになると信じている人が沢山います。しかし、皆さん、そのようなことは起こりません。皆さんは、その証拠によって不安を取り除くことができると思うからこそ、この種の証拠を望みます。疑いそのものは、全く無理もないことです。しかしながら、皆さんが望む証拠のようなもので疑いを消し去ることは決してできません。
疑いは確信の反対です。皆さん、確信とは、皆さんがおそらく現在疑っているもの以外の何ものでもありません。それは、内なる体験です。内なる体験は外部の出来事によって発生することはありません。私達はここで、全く異なるふたつの意識レベルを扱います。内なる何かを成し遂げる為には、内面の障害や困難、つまり真の意味での確信への道にある全てのものを見つけ出し克服し、外側だけではなく内面の状態も整えることが不可欠です。

 最初に内面の障害を取り除くことなく、望みの証拠を受け取ったとします。その時、皆さんはきっと衝撃を受けるでしょう。「確かに不思議だ。素晴らしい。びっくりした。」と言うかもしれません。ところが、初めに受けた衝撃が消え去ると、内なる疑いが再び現れます。皆さんは自分自身に言い聞かせるでしょう。「おそらく霊媒は知っていたのだろう」あるいは「全て偶然だった。」と。外部で起こったことが内部で実体化されないと、最大級の外部からの影響はしばらくすると消えざるを得ないことに気づきます。何故なら。このふたつの意識レベルが互いに取って代わることは決してないからです。このふたつの意識レベルは、内面をしっかりと成長させることでしか統合できません。絶対的真理の体験とは生命体のようなものです。大事に育て、慈しみ、成長させることが必要です。奇跡のような外部の出来事によってもたらされることはあり得ないのです。

 身体は少しずつ徐々にですが確実に成長します。成長が緩やかに進行し、どのように新たな段階に達したかを認識するまで、成長中そのことに気づくことは殆どありません。全ての物理的な成長はゆっくりであり、そのプロセスは、霊的成長や感情的成長と異なるものではありません。近道が永続的な効果をもたらすことはなく、それは常に茶番です。緩やかな成長への努力を排除する近道や他の唐突な手段は、闇の力の法則によるものです。近道はとても効果的で迅速ですが、決して長続きしません。一方、ゆっくりとした成長や発達は神の法則に従うものなので、最終的には成功によって有終の美を飾るでしょう。

 どんなに驚くべきものであっても、たった一度の体験で、ここでお話しするような確信に到達することはできないと心に留めておくことは皆さん全員とって非常に重要です。むしろ、霊的ワークをすること、この完全への道を歩むこと、ありのままの自分を知ること、内面の葛藤を理解し、感情的反応に過ぎなかったとしても、どのように霊的法則を破ってしまったかを見つけ出すことによって、皆さんは確信を得るでしょう。一歩ずつ、皆さんが内面の鎖から自己を解放していくにつれて、疑いは少しずつ減っていきます。疑いは不意に消えてなくなることはありませんが、完全に消失するまで、徐々に弱くなり徐々に現れる回数が減っていくでしょう。皆さん、これが唯一の方法なのです。

 お話ししたように、これが神聖なるプロセス全てにおける法則です。実体のある永続的なものは、それぞれが最大限の努力をすることで少しずつゆっくりと成長します。プロセスが展開している時には、自分自身と自らの確信、絶対的存在における体験とそれに対する感覚が、どれほど成長したかに気付くことさえないかもしれません。

 この事実を知る必要があるのは、この道の初心者、あるいはこれから始めようとしている人たちだけではありません。既に内面的な成長を遂げつつある人たちでさえ、時折、頻度も影響も少ないとはいえ、元来の疑念に襲われることがあります。このような避けられない疑念が現れる時の為に、それと出会う時にどうしたら良いのか、皆さんに簡単なアドバイスをしておきます。

 皆さんの殆どは、人間の魂の内にふたつのパワーがあることをご存知です。ハイヤーセルフ、又は神聖なる輝きは、皆さんが向上しようとする努力の部分です。それは、全ての分離した部分の完全なる統合と、全人類の完成を望むあなたの一部です。ハイヤーセルフは、皆さんの意識が疑っている大いなる真理を知っており、その知識を皆さんの意識に届けたいと思っています。もうひとつはローアセルフです。ローアセルフは欠点や弱点だけでなく、無知や、神聖なる法則を意識的にもしくは無意識的に破る他のあらゆる態度からも成り立っています。ローアセルフは、霊的世界の確実性を恐れます。何故なら、知っていることは責任も意味するからです。実際に達成し難い、ローアセルフに打ち勝つ義務から解放されるが為に、ローアセルフの中にいる皆さんは、むしろ無知のままでいることを好みます。しかし、皆さんは不確かな霊的現実の真理に対し、切望も抱いています。何故なら、達成は難しくとも、真理は永遠の幸福と至福を意味するからです。ところが、恐れを抱く利己的なローアセルフは、失望しないで済むよう、真理を求める部分に疑いを生じさせるよう試みます。
そのため、ハイヤーセルフとローアセルフは互いに戦います。内面の不調和が生じる度に、このふたつの本質が争っているのです。疑いが再燃するときは常にロウアーセルフが話しかけています。疑いが去った時には、ハイヤーセルフが話しかけています。神、神の素晴らしい創造物、神の霊的世界においてはあらゆることが可能であり、不幸は存在し得ない究極の真理だということが分かります。一方、ローアセルフが優勢になると、最終的には、疑い、落胆、絶望が真理かもしれないと思います。さて、ここで皆さんへの問いです。どちら側が正しいのでしょう?実際に、どちらが真理なのでしょうか?疑いを感じたら、静けさの中に退けば良いのです。この問いを明確かつ簡潔な思考で定式化し、シンプルに神に問いかけてください。どちらが真理なのですか?そして自らの心を開いて答えを待つのです。いつもすぐに答えを得ることができるなどと期待しないでください。その後の日々、ただその問いを念頭に置いて過ごしてください。そうすると最終的に何らかの形で答えを受け取るでしょう。

 実際、まだ気付いていないかもしれませんが、皆さんの中で答えは既に出ています。疑いのある時には落ち込み、真理を体験している時は幸せを感じるという単なる事実によって明らかです。真理は皆さんを常に幸せにする筈です。例え、それが不快な真理であったとしても。この道を歩んでいる友人の皆さんは皆、時には、自分の内にある好ましくない面や不快な側面に遭遇する体験もしてきました。しかし、内なる真実への欲求が何よりも大きくなれば、この不愉快な真実は常に強まり、幸福をもたらすでしょう。更に、感情を注意深く観察すると、例え、その時点では心地良く思えたとしても、真理でないものから本当の平和を得ることはあり得ないことが分かるでしょう。ハイヤーセルフは常に正しい答えを持っており、皆さんは心の奥でそれを感じるに違いないからです。ですから親愛なる皆さん、皆さんは決して真理に失望することはありません。迷いの中、未だ解決していない問題への答えが見つかるでしょう。しかし、真実を告げる内なる声に満足するべきではありません。更なる答えを求めて感情を定式化し、更に神に問うべきです。「どちらが真実なのでしょうか?私は、あなたの答えを受け取る準備ができています。」と。皆さんがその問いを心から締め出してしまわなければ、答えがもたらされることをお約束します。むしろ、リラックスし穏やかな方法でその問いをひたすら念頭に置き、自分のやるべきことをやりなさい。そうすれば真実が示され、内面で争うふたつの内どちらが正解なのか分かるでしょう。

 皆さんが内面の困難を克服し、真実の状態に留まることができるだけ成長すれば、望んでいた証拠は一度のみならず何度でもやって来ます。しかし、そのような証拠の目的は、ありのままの現実をみせたり、あなたを納得させたり、疑いを克服することではありません。むしろ、その証拠は、かつて夢見ていたものよりも素晴らしいでしょう。証拠は神への道の歩みの中で、内なる勝利から派生した自然の副産物としてもたらされます。あなたが証拠を必要としなくなった時、それを豊かに受けるとることになるでしょう。このような出来事は付加的な確認に過ぎず、必ず皆さんを幸せにします。それなしで真理を信じて受け入れることができないという条件ではありませんが。これも又、深い叡智であり神聖なる法則なのです。

 ここで、皆さんがよく論じ合うテーマについて話したいと思います。ポジティブシンキングについてです。実際、ポジティブシンキングは霊的な成長を望む人にとって不可欠なものです。残念ながら、ポジティブシンキングはよく誤解、誤用されます。神の法則に従い、清く正しい思考を持つことは、勿論、霊的な道の基本のひとつです。皆さんの思考は実在するので、形や実体を持っています。汚れた思考は、皆さんの人生と運命に最終的に影響するに違いない不調和な形を創ります。意識的思考だけでなく、感情的衝動や潜在意識的思考もまた影響を及ぼします。いずれの場合も、不快なもの全てを潜在意識の中に押し込むことが、霊的、感情的に未熟な人にとっての大きな誘惑になります。それは、どんな意識的に最悪な思考以上に、無限の害を及ぼします。

 あらゆるものは意識的であるとき対策を講じて満たすことができますが、潜在意識の中に閉じ込められると時限爆弾のようにくすぶってしまいます。そこで、意識的思考によるものと同じく破壊的に不調和な形が作られます。その為、ポジティブシンキングの熱心な学習者は、しばしば自分にとって最悪のことをするように勧められます。彼らはどんな否定的な思考も心に抱かないようと心配し過ぎるあまり、全ての否定的思考を潜在意識の中に押し込もうとします。その結果、考えたいことと実際に考え感じていることとの間にある矛盾は無視されてしまいます。

 行動と同じく思考も、皆さんの意識的な意志の方向性によってコントロールできることに注目すべきです。一方、感情を直接にコントロールするのは不可能です。皆さんは憎むことは罪深いということをよくご存じでしょう。しかし、憎しみがまだ内にある状態で、単にこの内面の偏りを変えることは不可能です。何故なら、自らを強いることになるからです。同じように、もし愛していなければ、愛したいと望んでも、無理に愛することはできません。変化は、いわゆる遠隔操作で間接的にしか起こり得ません。皆さんが上を目指して道を一歩ずつ進むごとに、感情は自動的に、自然に、徐々に変化していくでしょう。

 変化をもたらす方法のひとつは、潜在意識を意識に知らしめることです。ところが、ポジティブシンキングの仕組みは逆に働きます。ポジティブシンキングは、単に上辺だけで内に根差さないものを信じるよう、とても熱心に促します。このようにして、善意からかもしれませんが、皆さんは偽りを生きています。これは最も害のある状態です!現実に内在しているものに正面から向き合い、それを受け止めることが必要不可欠なのです。適切な方法であれば道理となるポジティブシンキングをあまりにも気にしすぎると、自らの前向きな意志によって、または自らの内にある不快な流れを認めることを嫌う部分によって、皆さんは危険に陥ることになるかもしれません。自らに内在しているものを、それが意識的な否定的思考以上に困難に働くように発酵される場所に閉じ込めて無視します。これは皆さん全員が、心に留めておくべき重要な点のひとつです。

 確かに、皆さんはポジティブシンキングを実践するべきです。思考を観察しなさい、超然として力を抜いて、罪悪感を持つことなく、静かに観察しなさい。そうすると、思考あるいは望んでいる思考や感情のあり方と感情はいつも同じ方向にあるとは限らないことに気付きます。現在の一時的なローアセルフの存在を受入れ、分析することを学ばなければなりません。それが存在し続ける期間は全て、皆さん次第です。ローアセルフは、皆さんが現在生きているレベルに基づく現実です。例えどんなレベルであっても現実から目をそらすことはできません。

 ポジティブシンキングの原則から頻繁に生じるその他の誤解、誤用、乱用には次のようなものがあります。誰もが幸せになりたい。それはローアセルフもハイヤーセルフも求める、非常に自然な願望です。しかし、幸福のために支払うべき対価を理解しているのはハイヤーセルフだけです。対価とは道を進む上で行なうべきあらゆる努力のことです。自己認識、欠点の克服、広く霊的法則を学び、それを具体的に個人的に適用することなどです。ところが、ローアセルフは外部からの手段を使い、自らを克服する対価を払うことなく幸福に至ることを望んでいます。ローアセルフを克服する基本は自己認識、自己に対する誠実さ、自己分析です。自尊心の高いローアセルフは、これを達成するのに必要な、大抵面倒である作業を行うことなく完璧になろうとします。このように、ハイヤーセルフとローアセルフはどちらも幸福を望みますが、それぞれ異なる手段を取ります。ハイヤーセルフは内面を成長させないと外面の成長に至らないことを知っています。それが幸福なのです。ローアセルフは、いかなる対価も払うつもりはありません。ケーキを持っていることと、食べることを同時に願っているのです。

 もし人生に困難があるのなら、それはローアセルフが原因であり、ある点において、大抵の場合は多くの点において、神の法則を侵しているからだと皆さんはご存知です。十分に成長した人は、神を敬う手段として法則の仕組みを受入れる覚悟が必要です。彼らは対価の支払いから逃げようとはしません。誤用あるいは誤解されたポジティブシンキングは思考のコントロールを学ぶだけで外側の完成をあまりにも性急に得ようとしがちです。それでは十分ではありません。この原則はローアセルフが望んでいるものにぴったり当てはまるので、ローアセルフはそれを利用します。真のポジティブシンキングへの第一歩は、前世もしくはこの現世に関わるものであろうとなかろうと、自分が過去に行ったものの結果を受入れることです。「私は法則に逆らったので必然的にこのような結果になっている。まずは、この人生でその結果を受入れなければならない。」

 私たちはしばしばポジティブシンキングをとても熱心に実践しようとする人たちを観察します。本人たちは気づいていませんが、とても熱心に努力する理由のひとつは、思考が明確に定式化されていないからです。ローアセルフが幸福を望んでいると、困難や苦境に直面する度に、神や運命と衝突しやすくなります。神はそもそも人間が苦しむことを望んでいない、責任は自らにあるのだという真理を理性では理解しているかもしれません。けれでも、皆さんが対価の支払いを渋っている限り、皆さんの感情はこの真理をまだ学べていません。対価の支払いとは困難を受入れ、その困難は永遠に続くわけではないと理解することです。なぜなら、神は愛であり、すべての神の子の幸福を望んでおられるからです。ただし、単なる思考のコントロールで結果から逃げず、意識的に因果の法則を受入れない限り、幸福を達成することはできせん。

 わずかな痛みも辛すぎて耐えられない程に自分を深く愛しすぎると幸福は訪れません。この痛みを受け入れることによってのみ、あなたはエゴから十分に切り離され、最早、痛みがあなたの成長に必要でなくなるのです。小さな痛みと試練にもだえ苦しみ、観念して絶望的になるべきだということではありません。人生におけるあらゆる困難は自ら招いたものなので、きっぱりと取り除くには、その困難を体験し、耐えて、受け入れ、そして最も重要なことは自己の中にその原因を見つけることだと心底理解することが重要なのです。原因は自己認識の道でしか見つけることができません。外部へ現れた根本的な原因は直ちに消えることはありませんが、ゆっくりとした本質的な成長過程を通して解決される必要があることを理解しつつ、その困難の原因となった自己の欠点を見つけその欠点を取り除きなさい。このプロセスが続く限り、神の法則を受入れて神を讃えなさい。僅かな努力を避ける程、自分を愛し過ぎないように。自らの心地よさを大切にし過ぎることなく、勇敢にそして謙虚に努力を重ねなさい。これがポジティブシンキングを実行する真に最善の方法です。

 このような態度によって、神の世界は、恐れるものの何もない、楽しみなことに溢れた幸せな世界であるという心底からの確信が皆さんの中に浸透していくでしょう。時間の感覚も徐々に変化し、知的観念だけではなく、霊的で唯一の現実的視点から見れば、自らの小さな痛みの期間がいかに短いかを教えてくれる深い直感となります。皆さんが思っている程、実際の困難は重大なものではないと、私あるいは他の人から何度も聞かされてきましたね。そして、どのように困難に出会うべきかを示してきました。

 「人生に勝ちたいと思っている人は負ける。人生を諦める準備のできている人は勝つ。」友人の皆さん、これはどういう意味でしょう?つまり、ちょっとした痛みを恐れるあまり、エゴや小さな繊細さや虚栄心にしがみつくのであれば、自分の人生を諦めてはいません。むしろ、人生にあまりにしがみつき過ぎるが故に、それを失うということを意味しています。霊的感覚において「負ける」とは、内からも外からも平和、調和あるいは幸福を見つけることができないことを意味します。しかし、自己の心地良さやエゴに関係するものはすべてそれほど重要ではない、自己のわずかな痛みや傷ついた虚栄心はそれほど重要ではないと、あまり真剣に考え過ぎない人、「私が愛情や真の感情を表したらどう思われるだろうか?私は傷つくかもしれないし、自分を危険にさらすかもしれない。」等と常に考えたりしない人、真にエゴそのものを放棄する人は、霊的な意味における人生を授けられるでしょう。そのような人は法則に従うことで内面の調和を見つけます。そして自己に執着することでは決して見つけられなかった、他者からの愛と尊敬に気付くでしょう。

 従って、霊的な道では、真の意味で人生を諦めることを学ことが最重要であり、それには痛みの需要が必要となります。ポジティブシンキングの誤用は、ここで話している霊的成長の大部分を省いてしまうのです。
親愛なる皆さん、次回のレクチャーでは、わたしたちがどのように人間やその人格全体を見ているのか、そしてそれが浄化の過程、または完全への道、あるいは心理療法(何と呼ぶにしても)に影響しているかお話しするつもりです。このテーマについて霊的な視点を提供したいと思います。更に多くの皆さんに参加して頂けるよう、次回もまた英語でのレクチャーになることをお知らせします。その後、今後ドイツ語でのレクチャーを開催するか否かを検討します。いずれにせよ、ドイツ語でのレクチャーは、今後減っていくことでしょう。

 質問に移る前に、私の友人ウォルター、今後はあなたに質問をまとめてもらいたいと思っています。尋ねたい質問を事前に参加者全員と話し合うのが良いでしょう。質問を選分け、参加者の重要性と興味の順に質問できるように取り計らってください。時間中に全ての質問に答えられなければ、残りは次回のセッションに持ち越します。このようなやり方で質問を扱えば、レクチャーが途切れることもなくなるでしょう。現状では、質問したくても恥ずかしがって躊躇してしまう友人達もいます。他の誰かが質問しているかもしれないと思い、先に発言する勇気がないのです。その結果、不必要な中断が起こっています。この時間を活用できる筈です。今、皆さんのサークルはどんどん大きくなっており、このようなことがきちんと組織化されれば、更にうまくレクチャーが進むでしょう。予定された質問に移る前に、前回のレクチャーについて質問したいことはありますか?その後で、予定された質問を始めましょう。

 さあ、皆さん、質問をどうぞ。できる限りお答えします。

 質問:私たちの疑いに対する答えは、何故、期待外れな感じがするのでしょう?

 回答:それが何故かお話ししましょう。人間が神そして霊的世界からの答えを待つ時、人はどういう訳か、とてもドラマチックな、あるいは更にメロドラマチックな形、すなわちある種の奇跡のような形で起こるに違いないと考えます。しかし、神はそのような形をとりません。神はあなたを使って、あるいは他者を使って示します。とても自然なかたちで授けられた答えが降ってくるように見えるので、その時点では、本当に答えなのかはっきり分からないかもしれません。また、これにはひとつの非常に根拠のある理由、実際にはいくつかの理由があります。それは、かの世界の存在、あなた方とその世界の近さの事実の体験である、至福と神の愛が、あまりにも安易なものではならないということです。真理の中で生きるに値するか見極める為、繰り返し試され続ける必要があるのです。要するに、皆さんはその為にワークしなければなりません。つまり、内なる感情や霊的世界に見合った意識を常に心掛けておくことが必要なのです。それを軽く見てはいけません。観察と認識によって内なる感覚を鍛えねばなりません。このようにして、霊的世界から与えられたあらゆるものを使って、皆さんは更なる高みへとワークします。これがあるべき姿なのです。皆さんが正しくそれに応じれば、非常に素晴らしい結果が得られるでしょう。皆さんは外部の出来事や経験ではなく、自己の内部で成長した強さや叡智によって支えられます。岩の上に築かれ決して足元から引き倒すことのできない不変の強さと幸福を見つけることでしょう。

 このようにして、殆どまるで偶然のように「世俗的な」形で答えはもたらされます。超自然的ではなく自然に。こういう訳で、答えは期待外れのように見えるのです。もし確信が持てないなら、その不確かさを受け止め、疑問をはっきりと口にし、真実を求めてください。これが答えであるかどうか尋ねれば、疑いの余地なく、答えを受け取ることになるでしょう。悲しいことに、あらゆる些細な問題や不安のため常に神に祈り頼っている人々でさえ、確信が持てないことは稀にあります。皆さんは、感情の中で不確かなものを発酵させ、魂に乱れを生じさせます。大小を問わず、明確にされていない葛藤は全て、あなたを弱らせるのです。従って、不確かな時はいつも全てを神に頼ることが賢明でしょう。啓発を求め、真理を求めなさい。決断を下す時は神の意志を求めなさい。そうすると、皆さんが憧れている状態にずっと早く到達するでしょう。

 質問:欲望を失くすことは、どこまで完全なる道への必要なステップなのですか?特に東洋と西洋の教えの違いについて触れています。

 回答:西洋人だけではなく東洋人も頻繁に無欲を誤解しています。言うまでもなく、人の心にとどまるべき欲望もあります。またお馴染みの話です。どのようにが、その正確なニュアンスが重要なのです。答えはイエスでもノーでもありません。ある意味では、欲望はなくてはなりません。別の意味では、徐々に欲望を絶つ必要があります。神に届く為、神を体験する為、神に仕える為、神に仕えるように兄弟姉妹に仕える為に欲望は必要です。この願いは適切なことを忠実に認識する知性からのみ来るものであってはなりません。唯一この願いによって、むしろその実現によって、幸福がもたらされます。霊的成長によって、人が望むものは変化していくのです。しかしながら、エゴに関する限り、無欲を目標とすべきです。繰り返しますが、このような無執着は、自らを強制することによって得られるものではなく、霊的成長の自然な結果なのです。この状態には、直接的ではない方法でのみ到達することができます。ここでも、先に説明したように、痛みを健全な方法で受け入れられるかが重要です。痛みに対して頑なで、それを考えるだけで内側のあらゆるものがすくむのであれば、あなたは痛みを得たくないと強く願っていることになります。それは、無欲の状態ではありません。自らの痛み、虚栄心、心地良さが、他者のそれと比べてもさほど重要ではないと思えるよう訓練する必要があります。個人的に知っている訳でもない他の誰か以上に自分自身を重要視せず、より大事とも思わないと次第に感じるようになれば、皆さんは無執着に一歩近づき、そして幸福へと近づきます。

 個人的な成功や失敗が自らの内面を支配しない時、(一方は喜ばしく、他方は不快な状態で支配すするものですが、)あなたは真の安全が見つけられる無執着にいくらか達したと言えるでしょう。そうでなければ、皆さんが求めている安心は、常にあなたのコントロール外にあるものに左右されるからです。幸福、満足、安心を感じる為には、全てが皆さんの思い通りになる必要があります。しかし、そうでない場合、皆さんは途方に暮れ、自分でコントロールできない内なる力に捕らわれます。言い換えると、皆さんはその力に支配され、穏やかさあるいは物事がうまくいっている時には穏やかさだと思っていたものを失います。しかし、私が意味する方法で無執着になると、皆さんは支配されなくなります。調和と安全を得る為に、外部の条件を必要としなくなります。流れに乗って泳ぎ、決して流れに逆らいません。皆さんに手を出し困らせるものは何もありません。

 それ程まだ進んでいない人にとっては、このことは理解しがたいと分かっています。この状況について多くのことをお話しするつもりはありません。成長が正しく進めば自然に起こるので、あまり話す必要がないからです。真の趣旨を感じる以前にこれらの言葉を聞くと、無執着に恐怖さえ感じるかもしれません。なぜなら、親愛なる友よ、それは皆さんが誤解するからです。このような無執着とは最早、愛したり関心を持ったりしないこと、諦めて無関心になることだと考えるかもしれません。しかし、これは少しも真実ではありません!無関心とは、生き生きとしていないこと、活気に満ちていないことを意味します。道が高くなればなる程、みなさんは益々生き生きとします。関心を持つことも、愛することもするでしょう。しかしそれは、エゴの苦しみもなく、あらゆる善が、あなたの存在する次元での影がない状態です。

 欲望やそれが満たされることでは、本当には幸せになりません。一瞬の満足は与えてくれるかもしれませんが、それはあなたが無意識に恐れている決して失われることのないマインドの平和、穏やかさ、ゆるぎない幸福とは違います。何故なら、あなたは自分が十分に成長していないが為に維持できない感情を恐れているからです。親愛なる皆さん、だから恐れることはありません。この状態は実に楽しみなものなのです。突然起こるものではなく、あなた自身がそれに成長していきます。他の全てのものと同様に、道を進めば徐々に有機的に成長することでしょう。最初のうちは、変化が内側で起こっていることさえ気付きもしないでしょう。そして益々安心を得るようになります。最早うまくいかないことに影響されることもなくなります。初めは以前より少なく、最後には全くなくなります。怒り、不安、敵意に支配されることもありません。喜びの状態にいることがどんどん増えていきます。小さな喜びからあまり満足を得られないと考えてはいけません。それどころか、今は自らの乱れた魂や、満たされることのない欲望や願望によって、喜びの潜在性が妨げられていますが、新しい状態では、本当に楽しむのです。

 恐れや不安をもったエゴの支配下にいる限り、今を生きることはできません。皆さんは時々過去に生きています。これは悪いことです。同じく悪いことですが、皆さんはしばしば未来に生きていることもまた真実です。全く同じことが老人にも当てはまります。明日や1時間後を考えることが大切だと信じる時、この瞬間を生きていません。これはどういうことでしょうか?未来に関わる欲望があるということです。不安は不適切な欲望によってもたらされます。何かを恐れれば、そのことが起こらないよう望みます。皆さんの殆どがそうでしょう。どういう訳か、人生のほぼ全てを未来に生きているのです。その結果、人生はあっという間に過ぎてしまいます。皆さんはすぐ目の前にある最も美しいものを見て感謝する機会を逃しています。自らの欲望に忙しすぎて、目の前のものを見ていません。欲望のため皆さんの多くは「今」を失っています。この種の無執着が達成されなければ、今ある幸福を絶えず逃してしまいます。無欲や無執着をまだ少し怖いと思っている親愛なる皆さん、皆さん全員にお願いします。そのことを考えないように。この幸福の道を歩めば、それは副産物としてもたらされるでしょう。私が言うべきことはそれだけです。

 質問:ポジティブ・シンキングについてのお話では、私たちは自分が感じている憎しみや憤りを意識すべきだと仰いました。しかし、私たちが持つべき思考と、自分の中にある感情とをどのように関連づければ、対立しないのでしょうか?

 回答:瞑想しながら、内面に耳を傾けなさい。内なる感情、反応、傾向をただ観察しなさい。どんな動機であれ自らの真の感情を覆い隠そうとしてはいけません。神に言いましょう。「私は、自分の真の感情や思考全てについて、一時的な真実も含んだ真実を私は望みます。」というのは、それが不愉快なものだとしても、まずは自らの一時的な真実を発見しない限り、絶対的な真実に到達することはできないからです。従って、神に自らの真実を求め、それに向き合う準備をしなさい。とりわけ、これらの言葉を瞑想することで、その意志を持てるよう祈りなさい。自らの真実を見つけることなくゴールに達することはできないので、自らを知り、向き合い、克服することによってのみ、あらゆる鎖から自由になることができます。自らを臨床的に観察してください。そして自らの感情にただ注意を向けなさい。無執着を得る為にその感情を記しなさい。自分自身に言い聞かせましょう。「これが、私の考えたい、感じたいものだ。しかし、いろんな点において、真の感情や内なる思考は、まだ知的に理解しているものから外れている。この理解は、まだ私の感情に到達していない。」毎日、続けて自らを観察しなさい。より大きな乖離がある時もあれば、より小さな乖離がある時もあるでしょう。これは、多くのことに左右されます。

 このプロセスを暫くの間実践していると、一度にいくつかのことを学びます。まず、ありのままの自己を受入れることと、皆さんの多くに欠けている謙虚さが学べます。何故なら、皆さんは、現実には第一の谷にさえ到達していないのに、完璧になって山の頂上にいることを望んでいるからです。これもまた怠惰と一体となったプライドの一種です。目的地へ向かって確実に進むことなく、目的地にいることを望むのです。繰り返しますが、ローアセルフは対価を払うことを望みません。ですから、謙虚さを学びなさい。ありのままの自己を受入れることを学びなさい。見たいと思う側面だけでなく多くの側面から自己の真の内なる本質を学びなさい。

 このプロセス全体は非常に健全で、ポジティブシンキングの誤解された理論によって促される、どんなタイプの魅力的な希望的思考より多くの力を皆さんに与えるでしょう。これはポジティブシンキング以上のものです。何故なら、過去の行いで創られた一時的な現実に生きることを、皆さんが学ぶからです。暫くの間、このプロセスだけを行い、それほど不安を感じることなくローアセルフの中に住んでいることの不完全さを受入れることに客観的に、ほとんど冷酷に、慣れてくれば、次の段階に入るでしょう。次の段階では、皆さんの内なる傾向が壊してしまった神の法則を瞑想します。この道を歩む人は誰でも、この道を誠実に歩きたい人は誰でも、それぞれに特有な性格や問題に最も適任の、まさにうってつけの先生によって間違いなく導かれます。外部からの教えなしでこの道を歩むことはできないので、そのようにやらなければならないし、いつもそのようになります。こうして、皆さんの問題にはどのような特別な瞑想を使うのが最善かを学ぶでしょう。憎しみや恨みに対して、人はそれぞれ異なる原因や動機を持っているかもしれません。同じ問題であっても、各個人は異なるアプローチや瞑想法を必要としているかもしれません。このことは、後程お話しします。

 まず、第二段階を始める前に、ハイヤーセルフの視点からローアセルフの臨床的観察を実践し完全に習得する必要があります。ありのままに自分を受入れること、皆さんが現在いる高い場所から降りることを初めに学ばなくてはなりません。謙虚な気持ちで、罪悪感を持つことなく、自らを受入れなさい。「実際の私はこうだが、私のありたい状態はこうです。その差を埋める為、私は忍耐強く絶えずワークする意志の力を持つ必要がある。そうでなければ、求めている霊的な場所へ辿り着くことはできないだろう。」このことを学んだ後、それぞれに特有の第二段階が知らされることになります。その点は、安心していてください。


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