


パスワーク・イン・ジャパン 公式サイト
Pathwork in Japan
Pathwork Guide Lecture No.14 ハイアーセルフ、ローワーセルフ、そしてマスク
THE HIGHER SELF, THE LOWER SELF, AND THE MASK UNEDITED版 1957年10月11日
神の名のもとにご挨拶します。私が友人のみなさんに話すことが許されているこの時間は、祝福されているのです。
私は今晩、スピリットの世界において、私たちがどのように人間の人格全体を、人格のすべてを見ているのかについてお話しすると約束しました。人は肉体だけでなく、さまざまないわゆるオーラ体を持っていることをご存じでしょう。オーラ体はそれぞれに違うことを表しています。あなたは、人の思考がはっきりとした霊的な形を持っていることを知っています。しかし、思考だけがこのような形を作り出すのではなく、感情もまた、この霊的な形を作り出します。というのは、感情は本来「まだ考えるに至っていない考え("unthought thought")」、意識化されていない思考に他ならないからです。思考は、感情とは違うタイプの形を作りますが、それでも、どちらもはっきりしており、私たちスピリットにとってはそれらの形は実在するものです。それぞれのオーラ体も肉体も、いわゆるオーラを持っています。これらの思考の形、感情の形は、オーラにそのイメージを与えますが、これらのイメージは単にその形の現実が反映されたものに過ぎません。これらの形は本当に存在していますが、人格の周りや外側にあり、そのイメージは単に人格のオーラの中に映し出されているだけなのです。これらの形は、スピリットの世界にその領域を作り出し、その思考や感情の強さに従って、ぼんやりしていたり、弱かったり、はっきりしていることもあれば、強くて丈夫であったりします。言い換えれば、これらすべての形は多かれ少なかれ変動し、変化し続けます。ですので、スピリットの中では、すべては永遠に動き続けるということをより深く理解できるでしょう。
肉体のオーラは、肉体的な病気または健康、もしくは物理的な存在としてのすべての状態を表し、感情的、知的、霊的な反応は、それぞれのオーラ体のオーラの中に表れます。
生きている人はみな、ハイアーセルフもしくは聖なる輝きを持っています。このオーラ体は最も美しく、最も輝いており、その振動は最も速い周波数を持っています。お分かりのように、オーラはそれぞれのオーラ体の振動であり、放射で、霊的成長が高いほど、振動もしくは周波数は早くなります。「天使の堕落」以来、ハイアーセルフは、ゆっくりとしたプロセスをたどって少しずつ進む段階の中で、まだ物理的な肉体にはなっていない、より密度の高い物質のさまざまな層に囲まれました。しかし、みなさんの視点からは肉眼で見ることができないので、これらの層もまた微細なエネルギー物質です。しかし、それらはハイアーセルフよりは限りなく密度が高いのです。このようにして、ローワーセルフが存在するに至ったのです。霊的成長の目的は、ハイアーセルフがそれまでに身につけたすべての層から再び自由になるために、ローワーセルフを取り去ることです。実生活において、みなさんは、自分のそして他者のハイアーセルフに、すでに解放された部分と、まだ隠されている部分があることを容易に感じることができるでしょう。どれくらい自由で、どれくらい隠されているか、時にどれほど厚く覆い隠されているかは、それぞれ個人が全体としてどれくらい成長しているかによります。ローワーセルフは、単にありふれた短所や、人それぞれによって異なる個人の弱さだけから成っているのではなく、無知や怠惰も含まれます。それは変わることを嫌い、乗り越えることを嫌います。つまり、ローワーセルフは、とても強い意志(必ずしも外に現れていないかもしれませんが)を持っていて、代償を払うことなしに自分の思い通りにしたいと願っているのです。それはとても尊大で利己的です。そして、常にかなりの虚栄心を持っており、エゴが残さず現れ出ているかのようです。これらすべての特徴は、他の個人的な欠点とは関係なく、一般的にローワーセルフの一部です。しかしながら、人間には影の部分やローワーセルフがその姿をあらわにすることが可能な状態があります。そして、これはさまざまな他の要因によります。例えば、ローワーセルフに共通するこれらの特徴に違った影響を与えうる個人の短所によることもあるし、良い性質、他のさまざまな環境によることもあり、それらすべてがローワーセルフの現れ方、その強さや程度、そしてこれらの一般的な傾向が向かう方向に影響を与えます。
私たちはハイアーセルフを、そしてローワーセルフを見ることができます。けれどももちろん、これはある程度の発達を遂げたスピリットにのみできることです。すべてのスピリットが、生き物のすべてのオーラ体を見られるわけではありません。言い換えれば、スピリットがその肉体を離れているというだけでは、必ずしもみなさんが見るよりもたくさん見えることを意味しません。しかし、ある程度までの成長を遂げたスピリットは、ローワーセルフを明らかにできるだけでなく、ローワーセルフを通してあらゆる輝きを持つハイアーセルフも見ることができるのです。なぜならば、密度の高い物質は、それが実体を持つ物質であれ、スピリットの世界での高密度物質であれ、私たちの目や知覚にとっての障害にはならないからです。ですから、私たちはどの思考形態がハイアーセルフから来ていて、どれがローワーセルフから来ているかを明らかにすることができます。また、ハイアーセルフから来ているどの傾向、願い、欲求、努力が、ローワーセルフから来ている他の傾向と混ざり合い、もともとの暗い部分がねじれ、色がつき、汚れているかを明らかにすることができます。ハイアーセルフからの「メッセージ」が、ローワーセルフの動機に汚されると、魂に混乱が生み出され、その人を感情的に病気にします。友人のみなさん、これらのさまざまな傾向すべては、違った色、違った音色や匂いを持っているのです。例えば、ある人が何か利己的なことを欲しているとします。その人はこの身勝手さを認めたくないので、この利己的な欲求を合理化し、自分をごまかし始めます。私たちは、このすべてをとてもはっきりと見ることができます。そして、実際に、人はこれに似た自己欺瞞をかなり頻繁に用いています。ハイアーセルフの形は、ローワーセルフの形とは全く違う特徴を持っています。
このことは、もうひとつ別の層についての説明へとつながります。残念ながら、人はまだその層の重要性を十分に理解するまでに至っていません。それは私がマスクセルフと名付けたものです。このマスクセルフは次の方法で作られます。自分のローワーセルフに屈することで、周囲と対立することになるかもしれないと認識するとき、それでもまだローワーセルフを取り除くために代価を払う準備ができたとは言えません。これの意味することは、まず、あなたはあるがままのローワーセルフに直面せねばならず、その動機や何がそれを突き動かすのかを見つめなければならないということです。なぜならば、あなたは自分が十分に気づいていることにしか打ち勝つことができないからです。これが、狭い道を行く、つまり霊的な道を歩むことを意味するのです。ほとんどの人はそこまで深く考えたがりません。人はローワーセルフに向き合うことなど考えることさえなく、感情的に反応します。そして、いわゆる潜在意識が、困難や不愉快さ、あらゆる種類の不都合を避けるために、自己の異なる像を示す必要があると感じます。このようにして、人は、現実とも、ハイアーセルフの現実とも、ローワーセルフの一時的な現実とも無関係な、自己のこのような別の層を作り出します。それは、みなさんが「偽物」と呼ぶものです。それは偽りです。そして非現実です。
先ほどの例に戻りましょう。ローワーセルフは、人に、利己的な欲求について無情であれと命令します。最も限られた知性でさえも、この欲求に屈することにより生じる結果は、他者から排除され嫌われることだと理解するのは難しいことではありません。そんなことは誰も望みません。ゆっくりとした成長のプロセスによって利己的な振る舞いを克服する代わりに、そのような人は、本当は利己的なのに、まるで利己的ではないかのように振舞うことがよくあります。その人は自分が利己的であることを感じています。その人は自分のローワーセルフの願いに反した行動を「強いられる」のを嫌います。その人は、それを行動に表さざるを得ない衝動を感じ、内なる静寂を破ります。なぜならその静寂は、未だ優勢なローワーセルフの性質と一致していないからです。与えることや寛大さは見せかけだけで、感情と全く一致していません。言い換えると、浄化されていない感情があるために、正しい行動がまったく支えられておらず、そのためにその人は内側で戦争状態にいるのです。その人にとってのふさわしい行動は、自由に選択する代わりに、必要に迫られた行動、衝動的な行動となります。これは本当の意味での代価を払うことではありません。というのは、その人は何かを与えていながら、与えることを嫌っているからです。利己的でいなければならないと信じてしまうだけでなく、現実に背き、偽りを生きるという、真実ではない状態にあることになります。このことから、自分の低次の性質に屈するのが懸命だと言っているわけでは決してありません。人は光明のために戦い、感情と欲望を浄化するために成長しようと努力しなければなりません。そして、もしこれができなくても、少なくとも自己欺瞞があってはなりません。人は少なくとも自分の感情と行動の食い違いについて、はっきりとした真の実像を知るべきです。この方法においては、マスクセルフは形成されることはありません。しかしながら、このような人は自分が利己的ではないと信じようとするケースがあまりにも多いのです。その人は自分の本当の感情や、それを表に出さない動機について自分を欺いています。そしてしばらくすると、悪の根っこが潜在意識に沈み込み、そこで発酵し、その影響を与えるような形を作り出し、取り除くことができなくなります。なぜならばその人は、それらに気づかないからです。利己的であるということはひとつの例にすぎません。友人のみなさん、これと同じプロセスを経るべき、他にたくさんの性質や傾向があります。
人が感情的に病んでいるときは、常に何らかの方法でマスクセルフが作られています。その人たちは、自分が偽りを生きていることを認識していません。彼らは自分の現実とは関係のない、非現実のこの層を作り上げてきたのです。従って、彼らは自分の本当の人格に対して誠実ではないのです。以前言ったように、自分自身に対して真実でいることは、自分のローワーセルフに屈するべきだという意味ではありません。しかし、ローワーセルフに気づいていてください。自分がまだ「必要」に従って行動していて、光明のビジョンや内なる確信から行動していないなら、自分を欺いてはいけません。自分の感情はいろいろな点において、まだ浄化されていないことに気づいていてください。そうすれば、あなたは今から始めるのに良い基盤を持っていることになります。自分のローワーセルフの層の下には、あなたがやがてはたどり着く、究極で絶対の現実である自分のハイアーセルフが生きていることを理解するとき、自分自身と向き合うことがより容易になるでしょう。そしてそれにたどり着くためには、まず自分の一時的な現実であるローワーセルフに、それを覆い隠すことなく直面する必要があります。なぜなら隠すことは、自分と絶対的現実もしくはハイアーセルフとの距離を、より大きくするからです。そしてローワーセルフと向き合うためには、どんなことをしてもマスクセルフを剥ぎ取らなければなりません。あなたがそうしようという気になるのは、私がここで論じているこれら3つの自己をあなたが視覚化するときです。自分に嘘をつき、自分の感情や真の動機についてまったく考えず、考えることなく感情的に反応することは、ときに適切なことのように見えますが、そうではありません。
幸せで健康で、自分自身と良い関係でいたい人、真に自分の人生を全うしたい人、神と調和し、自分と調和したい人は、しっかりと理解する必要があります。本当の私は何だろう?私のハイアーセルフは何だろう?私のローワーセルフは何だろう?そして、マスク、偽りはどこにあるのだろう?ということを。本当にたくさんの人が、いくつかの点においてマスクを持っています。親愛なる友人のみなさん、このマスクセルフは、私たちにとってはとても醜い色として表れるのです。それは、ローワーセルフの傾向がバリエーションとして持っている暗い色や黒、不吉な色ではありません。マスクセルフの色は、病的に甘ったるい感じです。もしあなたが芸術家もしくは芸術的傾向のある人なら、本物の良い色と偽物の甘ったるい人工的な色を見分けることは簡単でしょう。みなさんは趣味の悪い芸術や色に対する言葉さえ作り出しました。みなさんはそれを「駄作」と呼びます。マスクセルフの色合いだけでなく、匂いにも同じことが言えます。それも吐き気を催させるようなものです。私たちはむしろ、ローワーセルフの発するものや、その影響の方を好ましいとさえ思います。それらは私たちにとって不愉快ではありますが、少なくとも正直です。
自分自身や他者をその視点から見る、内なる目を鍛えようとすることは、みなさん全てにとって重要です。霊的に目覚めれば目覚めるほど、自分や他者をその視点から知覚することは容易になるでしょう。この点についても、あなた自身の霊的成長を通してひとたびあなたの直感が目覚めれば、ハイアーセルフとコンタクトするに至るとき、マスクセルフとのはっきりした違いを感じることでしょう。どれほどマスクが心地いいもののように思えたとしても、マスクセルフ(まずはもちろん自分自身の)が現れると吐き気を催すように感じるでしょう。
もし人間の心理学者や心理分析家、精神科医が、患者をこの視点から見始めれば、もっとたくさんのことが成し遂げられるでしょう!彼らがまだ成功していない領域で、成功するはずです。そして彼らがこの知識を手にする日がやってくるでしょう。彼らが成熟し、思考の中に霊的現実を取り入れるのに十分な勇気があれば、この全てを発見し、自分の患者との間で成功を収めることによりそれが真実であることを証明するでしょう。彼らはたとえ私たちのようには見えなくても --- それは今のところ解決することはできませんが --- 自分の患者たちとの問題を解決するでしょう。人間の人格のこれら3つの部分に関する単なる知識が、彼らの手にするであろう結果に、とてつもない違いをもたらすでしょう。なぜなら彼らは、いくらかの実践と研究のあと、ある段階で彼らが3つの自己(セルフ)のどの部分を取り扱っているかを比較的簡単に区別できるようになるからです。彼らは異なる自己(セルフ)に対して、異なった対処法を開発するでしょう。そして、その情報を使うために、その人の「意識と意志を方向づける部分」にいかに指示を出せばいいのかを知るでしょう。これは大きな違いを生みます。もし人がその点において助けを受け入れる準備ができれば、その人の「意識と意志を方向づける部分」は正しい道の上にいます。しかし、達成すべきこととして残っているのは、人格の潜在意識の層にこれらの真実をも浸透させること、そうすればすべての内なる抵抗は克服されるでしょう。
もしあなたがこの道を歩みたいなら、もしあなたが自分の感情的な病を治したいなら、この全てを理解することが大切なのです。たとえあなたが「神経症」と呼ばれるものでなくても、たとえ、あなたの場合、自らの内にある法則をほんの少し逸脱しているだけであるとしても、この全てを理解し、それについて瞑想することはとても役に立つでしょう。このことは、頑なに学派にこだわりいかなる霊的真実も認めず、直感が働かない医者に心理分析を受けている人が、治療を始める前よりも精神状態が悪化するという危機に陥ることが、どれほど頻繁にあるかを説明しています。もちろん、良い直感を持ち、ガイダンスについての強い感覚を持つ医者もいるかもしれません。その場合には、望ましくない結果はこれほどしばしば、あるいは強く起こることもないでしょう。これは、医者がこのマスクセルフを引き剥がすことに成功し、患者がローワーセルフに直面するときに起こります。その患者はこの経験によってずたずたになり、完全に打ち砕かれてしまうかもしれません。その人は助けを諦めるかもしれず、そのことはもっと深刻な結果さえも招きかねません。もう一方で、もしこの人が、私がみなさんにここで話していることを告げられ、起こるであろうことに備えていたら、それほどの困難や、悲劇さえも避けることができます。もし患者がそれぞれの人間の中に存在するローワーセルフと向き合わなければならないことを知り、不愉快かもしれないけれどそれが究極の私、つまり真の自己ではなく、完璧であるハイアーセルフがこれら不完全の層から成長してくるのを待っていることを知っていたら、このショックは決して起こらないでしょう。そしてそれゆえに、この知識は心理学者やあらゆる種類の医者、すべての教師、親などにとっても同じく重要なのです。それは大きな助けとなります。親愛なる友人のみなさん、おそらくみなさんはこのテーマに関連して質問があるでしょう。
質問:アレルギーを形而上学的に説明するとどうなりますか?人は、例えば、自分の好きなものにさえアレルギーになることがよくあります。
答え:これについては諸説あるかもしれません。一般的に言うと、例えば、本当の人格が進化することを許さず、マスクがその上を覆い、内側の反応とそしてハイアーセルフによる反乱がその人を目覚めさせ、その理由を見つけるために、ある肉体的な症状を作り出している可能性があります。これは単なる説明のひとつに過ぎません。他の説明もあるかもしれません。例えば、他の可能性としては、人間の魂は相反する欲求に引き裂かれていることがよくあります。人格の一部分はある方向へ行きたいと思っていて、他の部分はその反対方向に行きたがっています。これらは交互に引き合います。多かれ少なかれ潜在意識の中にこれらすべての傾向を残していることによって、魂は自分自身と和解に至らず、秩序がもたらされることもありません。そして、これは大きなストレスと摩擦を生み出します。これらの流れを意識の上にもたらし、検討し、それに取り組まない限り、そしてそれらが真に意味することとその動機を理解しない限り、この内なる戦いは止むことはありません。もう一方で、ローワーセルフは、いかなることをもオープンにすまいと働きます。そして、人格の「意識と意志を方向づける部分」が問題の責任を負わない限り、この内なる戦いと摩擦は続きます。これが潜在意識の中で起こるというその事実のために、外に現れるのは症状だけで、疲労やアレルギー、他のさまざまな肉体症状となります。これらの相反する傾向は、実際に魂の中にショートを起こします。3つ目の可能性は、その人の人生におけるショック反応があるかもしれないことです。今、この人はその出来事を潜在意識に入れているために、それを意識的には全く覚えていません。しかしたまに、食べ物や植物、動物などがこのショックに関係していて、直接的ではないものの何らかの役割を果たしているか、取るに足らない間接的なものかもしれないながら、その人はこれに関連付けて、それに従って反応しています。この出来事は子ども時代か、乳幼児期、もしくは過去世で起こったのかもしれません。必ずしも実際に起こった出来事を思い出す必要はありませんが、思い出すと役に立つでしょう。しかし、重要なことは、この悪の根を作り出した、間違った内なる反応を取り去ることです。そして、何かが潜在意識に追いやられるときはいつでも、内なる間違った反応があるはずだと十分に確信できます。大まかに言うと、このうちのどれかが、またはこのうち2つが、3つすべてが結びつき、互いに影響し合いながらアレルギーを引き起こしているのかもしれません。他の可能性も考えられますが、今これらすべての細部に入っていくことは不可能です。ここでは一般的な概略だけを話しています。
質問:この世界には偽善がはびこっています。もちろんそれはマスクセルフです。世界は善きものを見たがっているので、偽善は世界によって助長されています。人類全体の視点から見れば、たとえそれがマスクであったとしても、誰もローワーセルフを根絶することができないなら、ローワーセルフにとどまるより、正しいことをする方が好ましくはありませんか?
答え:もし人が本当に望むなら、誰でもローワーセルフを根絶することができます。問題は、あなたが今生で、どの程度根絶できるかということだけです。しかし、みなさんは罪を犯さず、他の人に害を与えないためには十分なくらい根絶することはできます。しかも問題は、ローワーセルフに屈するか、マスクセルフを作り上げるかのどちらかなのではありません。説明したように、たとえ感情はただちに浄化できないとしても --- そしてこれは非常に長い時間と努力と忍耐が要ります --- 大切なことは、マスクが自分の本当の性質で、真の自己だと信じ、そのようにして自分を騙し、内なる嘘を作るかわりに、社会の基準に沿って行動しながら、自分が不完全で、不浄な欲望や低次の性質を持っていることに気づいていることです。言い換えると、あなたは人食いになるか --- もしこれがあなたのローワーセルフでその言いつけに従うとしたら --- 、偽善的になって自分を欺くかの選択をしなければならないわけではありません。違うのです。もしあなたが、自分自身を浄化するために必要なワークをできない、もしくはする気がないなら、あなたの感情がまだ浄化されておらず、外側の行動と必ずしも一致していない状態にいながらも、必要性や自分自身の利便性に従って行動していることに気づいているべきなのです。たとえあなたが浄化の道を歩んでいるとしても、一定の成功が見込めるまでは、あなたは待ってはワークし、ワークしては待たなければならないでしょう。その間にも、この自己に対する正直さは、この最も素晴らしい冒険において成功をつかむためには、絶対的に必要で、欠くことはできません。しかし、たとえあなたがこの道を歩む気にならないとしても、この不健康で病的なオーラを作るより、自己幻想を持たない方がはるかに良いのです。もう理解しましたか?
質問:霊的世界は、私たち人間がお互いを見るように、私たちを人間の形で見ているのですか?それに加えて思考の形や色もすべて同じに見えますか?
答え:いいえ。もしそのスピリットがまだ地球にしがみついている場合、そのスピリットはあなたが自分を見ているのと同じように、あなたの肉体を見ます。しかし、そのスピリットは高度に成長したスピリットに見えるものは見えないでしょう。一方で、高度に成長したスピリットは、必ずしもみなさんが見ているようにみなさんの肉体を見ていません。私たちは、ぼんやりした輪郭を見たり、あまりはっきりしないものさえ見たりします。もしある目的のために私たちが肉体を見る必要があれば、いくらかの努力で目の焦点を合わせて見ることができます。これを可能にするためには、ある条件を満たす必要があります。そうすると、しばらくの間、肉体の輪郭や肉体を見ることができるのです。しかし通常は、肉体を見ません。しかしながら、私たちはとても簡単に血流を見ることができます。血流の色やその中にある斑点で特定の病気を判断することができます。私たちは、血や骨、肉を通して見ますし、その形の反映でオーラ体を見ます。スピリットが密度の高い物質を通り抜けることができるのはそのためです。みなさんの肉体は、現実のものではなく、霊的な体が本当は重要なのです。みなさんが、永遠に続くものは霊的価値だけであるとよく耳にする理由はそこにあります。霊的価値はどんなものであれ、腐敗することはなく、常に変化し、変動していますが、絶えず続いていきます。ですので、それが実際の真実であり、単なる美しい詩的な言葉ではないことに気づくことができます。
質問:いろいろな神秘的な教えによって与えられている色は正しいのですか?言い換えると、私たちの色のスペクトル(波長による分布)は、本当にいわゆる原罪や否定的性質を反映していますか?
答え:はい、その通りです。しかし、とても大雑把で簡略化した形で正しいと言っておきます。なぜなら可能性は無限にあるからです。ここにはもっと多くの種類があります。そして、スピリットの世界にはみなさんが知っているよりたくさんの色があります。みなさんが名前さえ持っていない、みなさんには描写することができない色があります。なぜなら、描写することなど不可能だからです。ある程度簡略化して述べていますが、かなりの部分で真実です。これを何かに例えると次のようになります。仮に千ページの長編文学があって、それがどのような作品かというおおよその内容を伝えるために、それについて5ページの概要を書くとします。人類に与えられた色をこんなふうにみなすことができるでしょう。
質問:それが意味するのは、あなたが人を分析するとき、形にプラスして、色の分類から写真のようにその人の印象を直接得ているということですか?
答え:こう言いましょう。形は色を持っています。匂いがあり、音色があり、放射するものがあり、違う周波数の振動があります。そしてこの全てが一緒になったものが、私たちにある全体像を与えます。しかし、みなさんがこれらの像を正しく解釈するためには訓練が必要です。すべてのスピリットにそれができるわけではありません。成長のある段階にいるすべてのスピリットは、人間であれスピリットであれ、その人のおおよその成長を認識します。そのスピリットは、神に対する態度や、神との調和、そして関係性を認識するかもしれません。そのスピリットは、確かに闇以外により多くの愛があることや、この種のさまざまな印象があることを認識するかもしれません。しかし、この仕事のために特別に訓練されていない限り、人格の総体から発せられるすべての異なった影響、そしてそれらがどう相互に作用しているか、相互依存関係にあるか、何が何によってもともと引き起こされたのか、などの意味を説明することはできません。
質問:霊的なものの形は普通、丸や曲線ですか?そして霊的でないものの形は、矢印やジグザグですか?
答え:そうです。その通りです。それは全くの真実です。なぜなら丸みや曲線は調和を意味するからです。それは完璧に真実です。調和のとれたものは全て、丸いか円か曲線です。スピリットの世界では、すべてが円か循環を描いていることをみなさんはよく知っています。しかし、本当の意味での「悪循環」もまた存在します。これは闇の力が、それ自身の目的のために使う唯一の円形です。私たちが見ると、「悪循環」は調和の循環とは違う不快な特徴を持っていますが、闇の力はこの円形を歪めないことが必要だと考えたのです。あなた方人間にとって、円形が示すものというのはとてもはっきりと知覚できるからです。闇の力によって循環が採用された理由は、とても自然なものです。循環には、みなさんが哲学的に感じる、深く重要な意味があります。調和のとれた循環では、良きものはさらに良きものを生み出し、そしてまたさらに良きものを生み出していく、という法則が働きます。そして、同じ考えが悪循環についても働いています。それゆえに、人にとって難しいのは、常にこのような悪循環をある地点で壊すことなのです。
質問:ローワーセルフが、肉体的病気という方法で現れたものを、元に戻すのはどうしたら可能になりますか?どのように元に戻せますか?
答え:親愛なる友人のみなさん、まず、結果を最初に取り去ろうとするべきではありません。それはあまりにも簡単すぎます。言い換えれば、もしあなたのローワーセルフが病気を作り出したのなら、この病気はまず受け入れられるべきなのです。そして、ローワーセルフのどの部分が根っことなってこの病気を作り出したのかを見つけに行くべきなのです。このようにして、ローワーセルフに本当の意味で出会い、完全に探求するのです。あなたの目的は、浄化と完全性それ自体を成し遂げることでなければなりません。そしてあなたの中に存在する神の愛のためにそれに取り組むのであって、不快を我慢するのを避けたいがために取り組むべきではありません。まず動機をそこまで浄化するには、たくさんの克服すべきことや内なる戦いが必要です。しかし、それは必要な基盤なのです。そしてこれをしている間に、自ずとたくさんのことを学び、自分に対して完全に正直でいることを学ぶことにより霊的な強さを育てます。あなたの動機が純粋なものになるときには、病気はあなたの魂の状態の半分も問題ではなくなるでしょう。そして、エゴや快適さとそれに付随するすべてのことが、あなたにとって大切ではなくなるほどに、あなたはとても重要な霊的法則に従ってきたことになり、それゆえに徐々に健康を取り戻すでしょう。この法則は、イエスがその人生を持って教えた、自己(エゴセルフ)を手放すという法則です。このようにして、こうしてのみ、あなたは健康を勝ち取るのです。ですから、勇気を持って、楽観的に、謙虚に、そしてもしこの表現を使っていいのであれば、戦争に赴くほどの意気込みを持って自分のローワーセルフに出会うことから始めるのです。そしてそれを発見するとすぐに、マスクやその上を塗り固めているものすべてを脱ぎ捨て、その後ローワーセルフのこれらの異なった側面に取り組み始めるのです。あなたは、毎日自分を観察すること、自己をテストすることによってこれに取り組み、自分の中の内なる流れが、そうあって欲しいと望む状態からどれくらい逸れているかを繰り返し何度も観察するのです。それに取り組むにつれ、自分のローワーセルフを知り尽くすようになるにつれ、そして真の意味で自分に正直でいることを学び成長への動機がますます純粋になるにつれ、あなたの視野は広がり、光明があなたにもたらされ、次第に病気は消えていくでしょう。ですから、最初に病気のことを考えるのではなく、問題の根本を考えるべきなのです。永続する成功は、これ以外にはありません。親愛なる友人のみなさん、これが唯一の成功です!あなたの願いがスピリットの世界で認識され、自分自身を浄化したいという願いが本当に誠実なもので、自分が見て気づくことのできる不快な結果を単に取り除きたいわけではないことが認識されたら、あなたのもとに助けの手が差し伸べられ、その助けとともにあなたが自分のローワーセルフとの戦いに向かうことができるように、ガイダンスがあなたにもたらされるでしょう。なぜならば、それをひとりでできる人はいないからです。
質問:私は以前、なぜヒンドゥー哲学には堕天使の記述がないのかを尋ねました。あなたは今晩それに答えると約束してくださいました。
答え:それにはおおよそ3つの理由があります。そしてそれぞれもっともな理由です。理由の1番目は、東洋哲学は、霊的成長に何よりも重きを置いており、創造において起こった他のすべてのことは、二次的な重要性しか持ちません。友人のみなさん、これはまさに真実なのです。しかし、遠い昔に起こったある事実に光を当てることが役に立つ場合もあります。なぜなら地球上に存在する理由、悪の理由などを知る必要がある人たちがいるからです。たとえそれらの事実が一般的で大まかな像しか伝えられないとしても、その事実を理解することは、完璧さと浄化へと向かうこの道を歩もうと決心する妨げともなり得る疑念を取り去るでしょう。ほとんどの場合、東洋に転生した魂は、西洋の考え方よりも、この点については調べ探求しようという衝動を強く感じないのです。従って、彼らは「私たちは、他に何も知る必要はありません。重要なのは、どのように成長するかです」と言うのです。
理由の2番目は、みなさんにお伝えするには、やや複雑です。私はかつて、神の2つの主な側面について講義しました。神の持つ能動的な男性的側面と、受動的な女性的側面です。能動的側面では、神は人格を持っていると説明しました。能動的で、考え、計画し、実行する創造主です。女性的側面では、神は「ある」という状態の中にいます。この講義の説明から、東洋の教えや東洋哲学では、神は女性的で受動的な顕現において経験されるということを容易に理解することができるでしょう。そしてこのことが部分的にこの質問への答えになります。天使の堕落は、神が創造主として、つまり神の男性的側面において、顕現した天地創造の中の出来事を示しています。この悲劇において、神は新しい条件を制定し、作り上げ、それによってすべての生き物がいずれ神へと戻ることが約束されたのです。それゆえ、女性的側面において神を経験する哲学が、神の男性的側面に関する光明を受取りにくいことは無理からぬことです。一方、神の能動的な側面を経験する西洋の哲学は、神の女性的側面の経験や光明について見ることができません。
理由の3番目は、また別のものです。天使の堕落はイエス・キリストのスピリットと大きく関わっています。イエスは天使の堕落の中で重要な役割を果たしています。東洋の宗教は、とても偉大で、高貴で、霊的に高度に発達したスピリットであるたくさんの使者を受け入れてきました。それゆえに、東洋の宗教は、多くの点で自分たちよりも霊的に進歩していない他の宗教が、より偉大な、実際には生きているものの中でもっとも偉大な使者を受け入れていることを理解したくないのです。これは当然のことで、典型的な人間の性質です。というのは、人間の論理的結論は、全体像が欠けていて、未だとても限られているからです。これら3つの理由すべてが合わさり、この質問への説明、もしくは、少なくとも最も重要な説明となるはずです。他にも理由は見つけられると思いますが、これらが間違いなく最も重要な理由です。分かりますか?
質問:まだ理解できません。天使の堕落に重要な役割を果たしたイエス・キリストが理由のひとつに関係していることは理解しています。けれども、なぜヒンドゥーにはそれに似たものがないのでしょうか?
答え:なぜなら、先ほど言ったように、他の理由も重要だからです。彼らにはこれらのことを知ることがあまり重要ではなかったからです。また、彼らは神の能動的側面でなく、神を違ったふうに経験していたからです。そして、ひとつの理由がもうひとつと関わり、ひとつがもうひとつを支え、3つ全部が全体を成しています。
質問:おそらく、あちらでは神の女性的側面が、そして西洋では神の男性的側面がより多く認識されていたことが理由なのでしょうか?そして、それが東洋と西洋が一緒になるべき理由でしょうか?
答え:その通りです。それは、東洋において霊的発達がはるかに進んでいることも説明しています。そして、より霊的に目覚めていて、導きやすいのは通常は女性です。西洋においては、今度はこれが典型的な男性的側面であるために、技術や物質的発展は、はるかに進んでいます。その発展を現実のものにするのは、作り出すこと、行動することなのです。そして東洋と西洋の両者はひとつになるべきです。なぜなら2つはお互いを補完し合い、互いにより進んでいることを交換し合うことができれば、素晴らしい全体を作ることになるからです。
質問:それは、一般的に東洋の教えはブラーフマン(ヒンドゥー教における宇宙の根本原理)の違う段階を通して生きてきて、これら全てのものがひとつであるというブラーフマンを見つけに行きたいという意味でしょうか?
答え:そうです。そして、そうであるべきです。もう一度、この点において、霊的、宗教的教えに関する限り、そこでも、西洋と東洋はひとつになるべきなのです。なぜなら両者は、一緒になるときにのみ、全体像を与えることになるからです。それぞれは今、半分しか持っていません。そして、ふたつがひとつになるとき、ふたつが「結婚」するとき、人類は霊的真実についてより大きな理解へと至ることでしょう。そして、より多くの光明がそのあとに続くことでしょう。
質問:天使の堕落はマヤの時代にありますか?
答え:いいえ、違います。違います。マヤは天使の堕落の結果です。
質問:スピリットはどのように言語を学びますか?そして、霊媒が知らない言語を使うことができますか?
答え:両方の質問にお答えしましょう。スピリットの世界にいるスピリットたちは、もちろんお互いの間では人間の言語を使いません。私たちは霊的な言語を持っているので、必要ないのです。前に説明したように、思考は自動的に形を作り、明らかになります。ですから、それが私たちの言語なのです。私たちスピリットは、とてもはっきりした良い目的のためにのみ言語を学びます。言い換えると、人間とともに成し遂げるべき使命がある場合です。霊媒との関係においてのみでなく、霊媒では全くない人間を導く使命がある場合、私たちはそれぞれの人間の思考を見るのですが、そのスピリットは導かれる人間の知っている言語を知っている必要があります。
さて、守護霊として選ばれるのは、地球で最後に使っていた言語を覚えていて、新たにその言葉を覚える必要のないスピリットであるケースがあり、もちろんその方が多いのです。そのスピリットは、同じ言語を話す人に割り当てられます。しかし、言語を学ぶことが必要となる特別な事例があります。そのために、みなさんに学校があるように、私たちにも学校があります。学校にはとてもたくさんの学科があって、言語はそのひとつです。しかし、私たちはより簡単に言語を学びます。というのはここでもまた、物質が私たちの邪魔をしないからです。そしてそれは言語にさえもあてはまります。どのようにそれが当てはまるのかはみなさんには想像することが不可能で、私はそれを表現する言葉を持ちません。みなさんはただ、自分の直感や感情を使わなければなりません。そうすればおそらく私が何を意味しているかを感じるでしょう。ですので、私たちにとって言語を学ぶことは人間にとってよりも簡単なのです。
あなたの2番目の質問に関しては、スピリットが、霊媒の知らない言語で霊媒を通して話すことができるかどうかですが、答えはイエスです。そしてそれは何度も起こっています。しかし、それにはとても確かな全く別のタイプの霊媒が必要となります。トランス状態になる霊媒だけをとってもそうですが、他の霊媒も言うまでもなく、たくさんの異なるタイプの霊媒がいます。スピリットの実際の声を部屋の別の部分で聞く「直接の声」があります。物質化や空中浮揚や、他のもっとたくさんの、ここでは数え上げることすらできない現象があります。
そのような現象のひとつに、聖書で「舌」と言う言葉を使ってそれを表現していますが、霊媒の知らない言葉が話されるというものがあります。しかしこれらすべての異なるタイプの霊媒のために、霊媒の、そしてまたその霊媒に関係するスピリットの特別な訓練が必要になります。これは物質化または変貌の別の形です。例えば顔が、骨格さえも全く違う形になる霊媒もいます。これは「変貌」と呼ばれるものです。知らない言語を話すことは、聴覚の変貌です。しかし、前にも言ったように、これらのタイプの霊媒には違う条件が満たされなければなりません。神の霊的世界は秩序の世界です。そして、ここである人間が霊媒としての仕事を遂行出来ると認識されると、まずその人の特別な才能がどのタイプの霊媒に最も適しているか、その人の生活条件や環境にとって最も重要な使命は何かが吟味されたうえで決定されます。私たちの視点から見て、世間をにぎわせるようなセンセーションや現象としてではなく、最も重要なのは常に霊的成長にとって何が最善で最も効率的に偉大なる計画に寄与するかを十分に考慮して、それに沿って、その特定の霊媒の使命遂行の訓練のために力(エネルギー)が動き始めます。ひとたびこの使命が選ばれ、そのための取り組みが始まると、現実的でもっともな霊的理由がない限り、霊媒のタイプに変更が加えられることは滅多にありません。このように神の世界は働き、そして神の世界は、前に言ったように、どこにもまして秩序の世界なのです。
質問:霊的世界がこの新しい惑星スプートニクについてどう考えておられるかを知りたいのですが。
答え:それは、関係するすべての人の霊的、道徳的、倫理的態度次第です。私たちに関する限り、その惑星それ自体は何の重要性もありません。私たちの視点からは、何物もそれ自体に重要性はありません。唯一重要なのは、人間がそれから何を作るかです。
それでは、友人のみなさん、これで私は主の祝福とともにみなさんの元を去ります。平和の中で自分の道を進んでください。自分の内に神がいると考え、神を見出そうとしてください。闇の力の雲に、あなたの目に映る真実や、あなたのハートに何度も触れてきた真実の感覚を破壊させてはなりません。神のうちにいてください!
###
以下の注記は、Pathwork®の名称およびこのレクチャー資料の使用法を示したものです。Pathwork®の商標/サービスマークは、The Pathwork Foundation(パスワーク・ファウンデーション)によって所有され登録されており、The Pathwork Foundationの書面による許諾なく使用することはできません。The Pathwork Foundationは、その単独裁量権において、Pathwork®の商標を、協力団体やその支部のような他の組織および個人による使用を許可します。
著作権にかかる規定
Pathworkのガイドの著作物は、The Pathwork Foundationの所有資産です。このレクチャーは、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーに準拠して複製され、いかなる方法においても変更または省略することはできません。また、著作権、商標、サービスマークおよびその他あらゆる公示の削除は許可されません。
レクチャーを提供される側は、複製と配布のための費用のみを支払うこととします。The Pathwork Foundationのサービスマークまたは著作権で保護された資料を使用する任意の個人や組織は、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーを遵守することに同意したものとみなされます。これに関する情報またはこのポリシーを入手するには、The Pathwork Foundationにご連絡ください。Pathworkという名称の使用は、The Pathwork Foundationによって承認される変容のプログラムを修了したファシリテーターとヘルパーにのみ許可されています。
日本語版の取り扱いについて
Pathwork in Japan (パスワーク・イン・ジャパン) の許可なしに、無断でコピー(複製)、貸与、頒布、販売することを固く禁じます。また、文書およびインターネット上(ウェブ、メール)での引用・転載を含む公開も禁止します。
また、本レクチャーの受領者は、英語版から日本語版を作成する際に発生する複製・配布・翻訳などにかかる費用をご負担いただきます。
さらなる情報やPathworkへの参加については、Pathwork in Japanにお問合せください。
ウェブサイト:www.pathworkinjapan.com
お問合せ先 :pathworkinjapan@gmail.com
※ガイドレクチャーに関するお問合せはメールで承っております。下記メールアドレスまでお願いいたします。
pathworkinjapan@gmail.com