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Pathwork in Japan
Pathwork Guide Lecture No.20 神:創造 GOD: THE CREATION 1996年版 1958年1月1日
主の名において、ご挨拶します。皆さん全員が祝福され、この時間は祝福されています。最愛の友人たちよ、皆さんの殆どが、私がレクチャーをする時、私の権限で、自由に、勝手気ままにテーマを決めていると思っています。全くそうではないのです。レクチャーのテーマがどのように決められ、皆さんの小さなコミュニティに関して霊的世界で何が行われているのかを知ることは、皆さんにとって興味深いかと思います。
最初に、徐々に大きくなりつつある地球上の皆さんのコミュニティの対の片割れとして、霊的世界において、このコミュニティに関する全てを統制する、相当大きなコミュニティが存在していることをご理解ください。この霊的世界における組織は、皆さんを助け、導き、全員に関わる多くの要因を、皆さんが理解できる以上に大きなスケールで決定しています。
それには偶然等ひとつもないことを強調したいと思います。あなたがたの誰ひとりとして、偶然このコミュニティに引き寄せられて来た人はいません。一度ここに来ても、何が起こっているのか理解する為の霊的成熟度が欠けていたか、もしくは霊的に発達したくなく、継続的な霊的栄養を必要とする、この完全なる道を歩みたくないという、どちらかの理由で、留まらなかった人達も同じです。
このコミュニティの初期段階に、後者のカテゴリーからの人達がより多くやって来たのも、偶然ではありません。これには、目的と理由があります。それを今から説明しましょう。このコミュニティを積極的に創り上げるのを手伝う、内なるサークルに属する人達が、自らの弱点の多くに十分に気づいたと証明するまで、この神の世界との会話をまだ十分には評価できない人たちの存在は、彼らにとってのテストになります。どのテストも試練も、直接的、間接的に、自らの不完全さの結果であり、その必然的な目的は学びを増やし、ひとりひとりの個人的弱点の気づきを強化するものでなければなりません。内なるサークルに属する皆さんは大きな責任を担っており、それ故に強くならねばなりません。表面上は取るに足らない、明らかに偶然に見えるものさえも含む、あらゆる種類の出来事を通してのみ、成し遂げることができるのです。目を開いて、本当に積極的に道を歩く全ての人は、自らの自己認識を更に増やすために、1日の間に自分に起こる全てのことを観察し、テストします。皆さんが霊的にも感情的にも、より強く成長し、より完璧になる程度に応じて、自分の個人的葛藤が少なくなるだけでなく、皆さんのグループに参加している大多数の人達の気質や霊的発達も変わるでしょう。ですから、お分かりになるでしょう。最初、皆さんの元にやってくる大多数の人達は、皆さんが望んでいる質の人達でないことは、単なる偶然ではないのです。これは既に変化し始めていて、時間が経つ程に、さらに変化していくであろうと、恐らく気づいておられるでしょう。
同時に、上記のカテゴリーに当てはまり、このようなコミュニティの初期に、あなたに近づいてくる人たちもまた、でたらめに導かれて来たのではありません。彼らは前世から、もしくは今生に、その生を通して霊的により遠く、より早く進歩させうる為の、特別な助けや導きに値するある功績を持っているのかもしれません。しかし、その助けが受け入れられるかについては常に、法則と、彼らの自由意志に任されなければなりません。これらの功績にもかかわらず、彼らは多くの場合、助けを受け入れる為に必要な霊的成熟を欠いています。それでもチャンスは提示されねばなりません。もし彼らがそれを掴めば、彼らにとっても、神の世界にとっても大いなる勝利を意味します。もし拒絶するならば、それは霊的に言えば、強い腕と肩を持つ人々が、彼らを待っている偉大な成就にふさわしく成る為に必要な、テストと学習という良き目的を果たすことになります。
単に経験する為に、あるいは好奇心から偶然に来たと思っている人は、それ以上のより大きなものがあると知る必要があります。霊的世界には、みなさんを管理する組織があり、誰が選ばれ、今回は少なくとも誰が迂回されるべきかを決めています。この使命を持ち、この仕事の為に訓練された特定の霊が、問題の個人に相応しい、すべての適切な環境を考慮するために、スカウトとして送られます。もしある人がみなさんに加わるべき、もしくは、少なくともチャンスを与えるべきだと思われれば、これらの霊のスカウトが、その人の守護霊に接触します。その守護霊は、その人をあなたのサークルの誰かに導き、その人物のグループへの加入は、その誰かによって提案されるでしょう。このことで、どれ程多くの労力や配慮が、最も小さな細部に至るまで関わっているかについての理解を得られるでしょう。
レクチャーのテーマの選択も、霊的世界において、相当の量の仕事を必要とします。というのも、適切な時の適切なテーマを決めることは簡単ではなく、私のみで行うことはできないのです。皆さんには、神の霊的世界が、どんな世界秩序や組織なのかについて、漠然としたアイディアさえ思いつかないでしょう。特定の使命や、関係するいくつかのチームワークに対して、専門的に訓練されたスピリットの効率の良さは、皆さんの理解を超えています。例えば、私がレクチャーのテーマを決めねばならない時や、ある個人にアドバイスを与える時、並びに、その他色々な決断をする時に相談する、私の上にいるより位の高いスピリットが何人かいます。他方では、これらのスピリット達も、私の意見、経験、アドバイスを考慮に入れてくれます。私には、皆さんのコミュニティを創ることに関して、私が派遣したり、一緒に他の使命を助けてくれるヘルパーが何人かいます。スピリットから入ってくる全ての報告を考慮した上で、毎回のテーマが決められ、不意に出てくる特定の質問に、私がどこまで答えるかの制限についても同じことが言えるのです。これらの決定は、関連する全ての法則が考慮された上で、沢山の数の構成要素や状況に基づいてなされます。それは、もしこう呼んでも良いなら、簿記仕事です。そこでは骨身を惜しまず、多くの細部にわたって考慮し、秤にかけねばなりません。
皆さんはこのコミュ二ティに関して、私たちの世界でどれほど沢山の労力が関わっているか分かっていません。未来に関する限り、考慮することがどれ程多くあるでしょう。その人の進歩の程度や、進歩の為にそれを取り入れる時期によって、どの情報が、ある聴衆や読者には害がって、他の人達には役立つのか決定するのは大変難しいのです。言い換えれば、正しい時期にちょうど正しい量の霊的滋養を与えることで、グループに属するひとりひとり個人の更なる進歩の方法を見つけ、同時にグループ全体の未来の為に賢明に前進する計画は難しいものです。
あなたがたの世界の皆さんは、あまりにも盲目的です。皆さんは、目の前にあるものだけを認識します。多くの場合、真実をあまりにも早く聴くことは、それを聞くのが遅過ぎるより、ずっと害が大きい可能性があることを理解していません。そうなのですよ、友人達よ。そうなのです。他方では、ある人達には、特定の真実を、霊的法則を、特定の時期に聞くことが必須に重要なことかもしれません。このような場合、与えられる情報は、まだ準備が出来ておらず成熟していない人たちには理解できない方法で、示されなければなりません。
これは、みなさんのグループと対の片割れである、霊的世界にある組織についての認識をみなさんに与えるかもしれません。この組織は、皆さんが完全に無視している沢山の細部に深く関わっています。愛と配慮と知恵で、皆さんが未だ知らない、将来合流するであろう人々も含めて、関係する全員の最大の利益へと導く為に働いています。これらの情報全てを計算するには、絶え間無い努力と、先見の明を持ち、聖なる法則の完全な知識を持ち、並びに、神と神の大いなる救済計画に対する献身を持って働く、訓練された専門家が必要とされます。皆さんのコミュニティの適切な成長は、救済計画において必須の重要性があり、みなさんの殆どが感じているより深い意義があります。説明を通して、最初は偶然の連鎖に思えたことが、大いなる導きが働いていたに他ならないことに、前よりは少し良く理解するかもしれません。このように、ひとりひとりの内的状況が、最も小さな細部に至って考慮に入れられ、一般的なレクチャーのテーマだけでなく、特定の説明のされ方や、どのように特定のテーマが扱われるかも、全ての要因を合わせて決められている事実を理解できるかもしれません。みなさんは、私がここにやってきて自由にテーマを選んでいるのではないと理解するでしょう。人々が神の世界とのコンタクトに成功する時は常に、コンタクトされた霊がテーマに関して自由に選択することは決してありません。何故なら、あまりにも沢山のことが考慮に入れられねばならず、あまりにも沢山のことが、皆さんが何も知らない賭けになるからです。
前回、私は堕天使について話すと言いました。皆さんが人間として可能な限りに理解できるよう、お話しするには、この順番で論じなければなりません。神、その創造、堕天使、救済計画。これらのテーマのひとつひとつについて、私は最も短く、凝縮した方法で触れることしかできません。というのは、この情報の全てをひとつのレクチャーにはめ込む事ができないからです。前回のレクチャーで、私はこれら全てのテーマの必須の要素であるイエス・キリストのスピリットについて話し始めました。最初に、私は、この情報を簡単に要約し、あとで補足の細部を付け足していくつもりです。私は、このレクチャーが現存する最大の問題に触れるものであり、それ故、霊的に進んだ人達でさえも理解できるよう紹介するのは非常に難しいということを強調しておきたいと思います。従って、皆さんは自分が聴いていることを、限られた知性だけで吸収しようとすべきではありません。これはあなたを何処へも連れて行かきません。その代わり、みなさんは、知的に理解するより、真実を感じることができるように、ハートで、魂で、自分の最も内側の感覚で聞こうとすべきなのです。このやり方だけが、みなさんに本当の理解をもたらすでしょう。ある意味、それは悟りの為の種子を含んだ物質かもしれません。
友人達よ、まずは、神について私は何を言うことができるでしょうか?神はあまりにも偉大で、その偉大さは言葉にすることは決して出来ません。特に人間にとって、神が何であるかを知ることのみならず、感じ、知覚することも不可能です。創造主について、私はこれだけを言いたいと思います。神は個性(人格)であり、原理であると。人間の宗教や哲学は、常にこの疑問について議論してきました。ひとつの意見では、神は個性(人格)であると考えます。別の意見では、神は物質ではなく、全くの原理であり力であると考えます。既に申し上げたように、どちらの見方も真実です。神は、その男性的側面において創造主であり、それと同じように、個性(人格)です。
男性的側面は創造的なもので、神と共にあるだけでなく、神から発しています。それは全存在と共に宇宙にある創造原理です。この能力において、神は、決断し、処分し、決定します。この能力において、創造主で個性(人格)としての神は、全ての法則やほかの存在を使って宇宙を創造しました。ただ、後者の創造は、聖なる女性原理との結合においてでした。神が自らの姿に似せて子供達を創造したと言う時、それが意味するのは、全ての聖なる側面が、これら創造された存在の内により少ない程度で再現したということです。従って、創造的能力は、あらゆる存在において、ある程度存在するのです。
神が最大限に持っていて、キリストはそれよりも少ない程度ですが、他の全生物より多く持っています。この聖なる物質は、最も輝く物質の流動物質として説明するのが一番でしょう。それは生命の力です。神、並びに発達の最高の姿にある全ての生き物は、この流動物質に溶け込み、小さな人格は流れとなり、原理となり、もしくは聖なる奔流となります。これは、決断し考えることのできる存在としての個人の消滅を意味しません。この流れる状態においては、聖なる女性的側面が、優勢なのです。それは存在する状態であり、ゆっくりとした成長と有機的な構築の状態です。神がそうしたい時にはいつでも、流動体は再び集められ、神の男性的側面が、再び優勢になります。同じことが、発達の最高状態にある創造された存在についても言えます。彼らの女性的側面が優勢なら、彼らは存在の状態において神と混ざり合います。彼らの男性的側面が優勢なら、彼らは神の意志と、聖なる法則に従って、創造を助けます。このこと全ては、皆さんが十分に理解することは不可能であると了解しています。これは、これからやって来るより深い洞察の為の、単なる始まりかもしれません。最高次のスピリットでさえ、愛や叡智、神の完璧さ、神の創造の無限の多様さを十分に把握することはできません。私たちにできることは、ただ、畏敬と喜び、そして神を讃えることの中で立ち尽くすのみなのです!
前回のレクチャーで申し上げたように、神は主の最初の創造としてイエス・キリストのスピリットを作り出し、この聖なる物質の大部分はキリストの中にあります。それ故に、いくつかの宗教では、父なる神、息子なる神について触れています。この言い方の中に真実があることを理解できるでしょうが、それらをひとつの同じ個性であると考えるのは間違いです。キリストのスピリットの後、他の多くの創造物が存在するに至りました。それはあまりに多く、人間が駆使する数字では数え切れない程です。かつてこのように尋ねられたことがあります。「神は何故、これらの存在をお作りになったのですか?全知の神は、そのような存在から不幸な結果が生まれるだろうと理解されていた筈です。」これは本当に重要な質問です。私は今から、この質問について短く触れていきたいと思います。
神は愛であり、愛は分け与えられねばなりません。それが、愛の本質です。神は勿論、自らが創った自由意志の存在が、その自由意志でそう決めれば、不幸は永遠に、もしくは一時的に存在するに至る可能性があることを理解されていました。それにも関わらず、主の偉大さを指し示すものとして、神は、与えられた力で自由に選択できる存在を創造されました。彼らはその力を乱用しない叡智を持ち、その結果、神の法則の完全性の中で永遠の至福の状態で生きるか、そうしないと決めた場合、死の谷を経て、神の法則の完全性をより一層理解するようになるでしょう。このようにして、彼らは、かつてそうであった以上により神らしくなるでしょう。間違った決断をするかもしれない人々の一時的な不幸は、自ら招いた不幸を経験した後に迎える永遠の至福や幸福には比べようもありません。その差は、あまりにも明らかなので、スピリットがこの事実を理解するのに、高次に発達している必要もありません。
このように、神は多くの存在や世界を、物質世界が存在する遥か昔に創造しました。調和の世界、幸福、無限の美、そして、すべての存在にとっての創造的聖なる側面を開く無限の可能性。ここでは、創造された存在の聖なる物質は自由に動き、異質で神らしくない物質で覆われてはいませんでした。私が何度も申し上げてきたように、皆さんの中にあるこの聖なる物質の覆いを外し、自分自身と神との合一を阻む神に反する層から、聖なる物質を解き放つことが皆さんの使命です。この聖なる物質は、人間のハイヤーセルフ、または神聖なる火花とも呼ばれています。それはまた、時には聖霊と呼ばれることもあります。聖霊は、ひとつの存在ではなく、また、良く解釈される感覚でいう、三つの構成要素からなる神の部分でもありません。それは単に神聖なる物質であり、他の物質からある程度自由なのか、未だ他の物質で覆われ自由ではないのかは別にして、全ての生き物がある程度持っているものです。ですから、三位一体という考えが、しばしば誤解されてきたことが分かります:しかし、それでもなお誤解の中に、多くの真実もあるのです。
さて、みなさんはこれらの異質な層が、それぞれの本来の神聖なる物質を、どのように覆い隠すことになったのかを知りたいでしょう。これは、天使の転落というテーマです。というのもこれらの純粋で、神のような存在、もしくは聖霊は天使だからです。しかしながら、誰の中にも存在するこの神聖なる物質が神そのものである、もしくは、創造主である神と全く同じであると推測することは、大きな間違いであると私はまず申し上げたいのです。神は存在であり、皆さんが内側に持っているものは、聖なる物質で、聖なる特質をたくさん持っていますが、神その人が持っているのと同じ程度持っている訳ではありません。皆さんの中にある神聖なる火花は、神のようなものです。浄化された自由な物質のみが、神と合体すること、従って、神とひとつでいることができるのです。神のようではない物質はどれも、神と合体することはできません。それぞれの創造された存在の中にある、神のような物質と、創造主である神の物質を混同することは、間違いです。
神は、神の創造物達に自由意志を授けるべきではなかった、何故なら、そうすれば転落は決して起こらなかっただろうからと、人々は良く考えます。もしくは、神は少なくとも、転落が始まった時、介入すべきだったと。しかし、この見方はあまりにも近視眼的で、あまりにも盲目的です。いかなる創造物にとっても、幸福は神との合一を通してのみ存在し得ます。そして、神との合一状態でいる為には、あなたは同じ物質でいて、同じ側面と特質を賦与されていなければなりません。さもなければ、あなたは神のようではなく、従って神との合一状態でいることは不可能でしょう。自由意志と自由選択は、自由意志を神聖な法則に相反する方向へと向ける可能性を、必然的に伴います。自由に正しく選び、力の濫用を控えることの中に、神聖さや愛、知恵、そしていくつかの更なる聖なる特性があるのです。この認識を把握することは、みなさん全員にとって最も重要です。何故なら、それによって今まで理解していなかった多くの疑問に答えることができるようになるからです。
神は、数限りない法則を創造してきました。これらの法則は、もし創造された存在が、神によって与えられた自分の力や自由を誤用した時に、神の元へと帰る可能性の為に前もって準備されました。これらの法則は、必ず閉じねばならない円を描くようになっています。何が起ころうとも、円はそのコースを辿り、究極的には、神や神聖なる法則から離れた全てのものは、やがて戻ってくるという方向で働くのです。神からの距離が遠くなればなる程、より不幸になります。何故なら、神の中にいて、神と共にいることのみに幸福があるからです。しかし、この不幸を通して、神へと戻る為のより強い動機が生じます。この考えもまた、深い瞑想にとてもよく向いています。この真実のいくつかを把握することによって、皆さんは今まで隠されてきた多くのことを理解できるようになるかもしれません。もしみなさんの目と内なる感覚が十分に浄化できれば、日常生活や、小さな出来事の中にさえ、この法則を理解するでしょう。
このように、霊的世界は、とてもとても長いあいだ存在してきましたし、そこでは全ての創造物が、至福の中で、思いもよらない方法で生きていました。存在するに至って以来、聖なる法則の中で生きるか、それともそれに反して行動するかを自由に選ぶための可能性は、すべての生き物にとって存在していました。あるとき、あるスピリットが法則に反して行動するという誘惑に陥りました。皆さんはこの象徴的説明を、楽園におけるアダムとイブの物語の中に見つけることができます。実際、これはとても違った方法で起こりましたが、誘惑という考えはそこにありました。おそらく、自分が大きな力を持っていると想像する時、このいくらかを理解できるでしょう。あなたはこの力をある方法で使うことが、あなたにとって危険であると証明するかもしれないと知りながらも、この力が開発されない限り、もしそれを使ったら一体何が起こるのか、好奇心を感じるかもしれません。この誘惑は、どんどん強くなります。それが強くなればなる程、この誘惑に逆らう方法を考えることができなくなります。あなたはこの危険な力を継続的に使う意図は持たないでしょうが、ただどうなるかを見る為に、少しだけ試してみなければならないと感じます。あなたが持っているであろう、それを一度試してしまうと、それに流されることに抵抗できなくなるかもしれないという知識は、どんどん強くなる誘惑の影響で消え去ります。
一旦、最初のスピリットが誘惑に負けると、それは、もはや変えることのできない何かを始動させます。このスピリットはかつて、ことの経緯を知っていましたが、誘惑に負けたあとは、それを覚えていたくはありませんでした。結果は、即座の変化ではなく、緩やかな変化でした。調和から不調和への変化は、丁度みなさんの個人的な不調和から調和へと起こる変化と同じくらい、緩やかに、ゆっくりと起こりました。後者は進化です。前者は後ろ向きの進化、あるいは退化と呼ぶことができますが、どちらも突然には起こり得ません。ここで、皆さんの理解を助ける、このプロセスのもうひとつの例をあげたいと思います。あなたが常習性のある薬物を摂取する誘惑に駆られたとします。その誘惑に負けない意図を持ち、誰もが知っているように、その薬物があらゆる点であなたの破滅を意味することを知っていながらも。それでも、只一度なら、試せるだろうと考えます、それがどんなものが単に見てみるだけだと。この一度の後、あなたは最早逃げることが出来ません。何故なら、あなたは捕らわれてしまっているからです。同じ原理は、聖なる法則に反する全てに対して有効です。
最初に誘惑に負けたこの一つのスピリットは、聖なる法則とは反対方向へと流れる力を発生させました。その力は依然として同じ力であり、ただ異なった方法で使われているだけでした。この力で、そのスピリットは、徐々に他の多くのスピリットに影響を及ぼし、感化していくことができました。しかし、全てのスピリットが影響を受けた訳ではありません。誘惑に負けた人とそうでない人の間には、境界がありました。前者には、「天使の転落」が始まりました。このプロセスで、あらゆる聖なる側面が、その反対の性質へと変わりました。調和が不調和へと変わり、美は醜悪さへ、光は闇へ、知恵は盲目へ、愛は憎しみ、恐れ、利己主義へ、合一は分離へ。それから、この誘惑という引力がより進めば進む程、全体性が更に分断されていきました。このようにして、悪が存在するに至りました。
かつて私は、霊的世界は心理的世界であると説明しましたが、それは、その世界が非物質的で形を持たないという意味ではありません。皆さんのおられる物質世界においてのみ、考えや感情は抽象的なのです。他の世界では、スピリット達は、独自の世界を創造し、そこでは、自分の心の状態に従って暮らしています。各々の心の状態は、風景や家、物体などで構成される領域を、反射行動として創造します。このようにして、同等の発達をしたスピリットのみが、ひとつの世界を分け合うことができます。そこでは、ある発達状態においては、一般的に生活を容易にしますが、同様の理由で、個人の発達速度を緩めます。あなたの態度や考え、感情や意見、ゴールがあなたの世界を創ることを心に留めておく時、最高次のスピリットの世界は、美しく明るく、堕ちたスピリットの世界は、暗く醜なるということを理解するでしょう。大いなる計画が始動して以来、調和と不調和の様々な程度において、かつての堕ちたスピリット達が到達した発達の程度に従って、多くの中間の世界が存在するに至りました。みなさんの物質世界はこれら中間世界のひとつです。
皆さんの殆どが、最高の状態にあるスピリットは、神聖さの男性性側面と女性性側面を兼ね備えていることを知っています。その点で、内側に境界や不統一はありません。切り離された存在としての、男性と女性という地球上での存在は、今はもうご理解されているように、この分断の結果です。それ故に、各々の人間はその片割れを持っています。正しいパートナーを見つけようとする人間の衝動は、その人の分離した別の部分との再結合への深い切望に他なりません。どの存在も皆、真のダブル、片割れとの特定の転生を経ています。というのは、このような再結合が必然的に伴う幸福を通して、何かを成し遂げる責務を見出すからです。特定の転生では、この片割れなしに通り去る必要があります。そこには違う種類の達成を見出せます。しかし、この後者の、真の片割れと会うことのない転生は、独身主義の人生を送る必要があるということを意味しません。大いなる幸福を築くだけでなく、他の責務を果たし、カルマが支払われ、別のパートナーもいるかもしれません。従って、もしあなたが真の片割れ無しの転生を送り、その代わりに、あなたが達成する何かを共にする別のパートナーを持ったとしても、スピリットの世界にいるあなたの片割れが、あなたが現在のパートナーに与える愛のせいで、傷ついたり嫉妬したりすると考えてはいけません。そうではありません。絶対的な現実では、物事はそのようには働きません。どのような学びでも、愛を与えることを学ぶなら、あなたは神、自己実現、開放、そしてあなたの片割れにも一歩近づくことになります。セックスにおけるこの種の愛の衝動は、もう一度全体になる為に、あなたの片割れとひとつになる為の切望なのです。その成就は、あなたがこの力をどのような方向に向けるのか次第です。
動物や植物、鉱物などの、低次の発達段階にいる存在は、未だにより大きな分断や分離の状態にいます。人間の状態、いわゆる半分に分断した状態は、その元々の状態が起こり得る、再結合前の最終形です。神からの分割や、いわゆる天使の堕落を通して存在するに至った不調和な世界は、地獄とも呼ばれます。これらの世界は、単にそこに住む生き物たちの心の世界を映し出しているだけです。これらの領域は、これらの存在の心の状態の直接的結果として存在するに至りました。しかし、地獄はたったひとつの領域ではありません:そこには、天国と呼ばれる神の世界に多くの領域があるのと同じように、沢山の領域があります。転落が起こった時、それに関係した全ての存在が、同等の不調和や悪の状態になったわけではありません。その程度は、とても独特で違っていました。このように違う領域が闇の世界の中に、常に個人の心の状態に呼応しながら、存在するに至りました。しかし、全体として、神の側面は多かれ少なかれ、その正反対へと変わったということができます。
完全な浄化が達成できない限り、堕落の特質のいくらかは、人の中にある程度いぜんとして残り続けます。皆さんひとりひとりが自らの魂の探求をし、このプロセスを明確に感じて意識化することは、大変役に立つでしょう。あなたが自らの個人的欠点を考える時、その欠点の起源である神の側面を見つけるようにしなさい。というのは、只ひとつの欠点でさえ、ひとりでに存在に至ることはできないからです。それは、かつては神であった何かの歪みに過ぎないのです。あなたの欠点全ての中に、この神の側面を見つけることができます。その時、あなたの欠点を浄化し、同時に、自分自身についての絶望感を失くすことは、ずっと容易くなるでしょう。しかし、そうするには、まず自分の欠点が何かを見つけ出し、それらに勇気を持って向かい合う必要があります。
これらの不幸な世界が徐々に存在に至り、より多くの存在に神からの分離が起こった時、これらの存在がかつて知っていた幸福な存在状態を再び獲得することを可能にする為に、神聖なる法則が与えられました。しかし、個人として、もしくはグループとして、常に堕ちたスピリット達の自由意思に従って、特定の決定や変化が行われなければなりません。これも又、神によって予見されており、正しい瞬間の為にとっておいたタイミングで与えられました。この全てが、神が、神に忠実であり続けた全てのスピリットと、転落の後、他の人たちを助けるのに十分な発達に達した、及び達しつつある存在達の助けを取り入れた、救済計画の部分なのです。私は、これについて、次回もっと多く話すつもりです。
例え、基本的な絵を完成する為のいくつかの情報が皆さんにとっては未だ欠けていたとしても、私が今まで言った全てのことを注意深く考えなさい。この不完全な絵であってさえも、みなさんが深く考え、瞑想し、理解することを助けてくださいと、神に頼む労を厭わなければ、いくつかの疑問に答えられることに気づくでしょう。この理解を得た時、あなたは人生の本当の意味、あなたがここに存在する理由、そしてこの生におけるあなたの個人的使命が何かを理解する位置にいるでしょう。使命を持たない人はいません!平安な心を持つ人は、自分の使命を見つけていることでしょう。この平安が見つかっていない人は誰でも、未だ自分の場所が見つけられていません。あなたの最奥の自己が語りかけてくる幸福や不安を通して、あなたは自らの使命を見つけたかどうかのメッセージを得られるでしょう。あなたがすべきことは、自分自身に尋ねることだけです。もしあなたが、今も不安や、焦りや神経過敏、心の平安の欠如を見出すなら、神に助けを求めなさい。使命が何かを見つけられるよう、それにオープンでいられるよう、主の導きが理解できますようにと。それでも、あなた自身と人生の使命の完璧な成就の間を邪魔するものは、あなたの個人的な発達かもしれません。あなたは、自分の性格のある側面について見えておらず、それが成就を妨げているのかもしれません。ですから、あなたの探求では、答えをあまり遠くに求めてはいけません。神が共に喜ぶ方法であなたの人生を導く、必要とされる全ての答えは、あなたのまさにその内側にあります。
次回は、イエス・キリストが主な役割を果たす、救済計画についてより多くの詳細へと入っていくつもりです。彼なしでは、堕ちた天使のひとりとして、帰って来ることはできませんでした。これを理解することは、みなさんの発達のある段階において、とても重要なことです。祝福されていなさい。
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