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No.9 祈りと瞑想-主の祈り

Pathwork Guide Lecture No.9
1996年版 
1957年7月15日


祈りと瞑想-主の祈り
PRAYER AND MEDITATION -- THE LORD'S PRAYER 


 ご挨拶申し上げます。皆さんに神の祝福を。

 皆さん、今日は祈りと瞑想についてお話しします。このふたつの違いは何でしょうか?多くの人々はその違いを明確に理解していません。この言葉の意味の定義はいつも問題となります。私は次のように区別をしたいと思います。祈りは、瞑想の前段階で、考え方の問題です。瞑想は感情を伴う祈りであり、思考より魂の力が関わっています。第二のステップ、また更に進む為には、祈りを通して学ぶある種の規律と集中力が必要です。殆どの人は、精神的にも肉体的にも活動的でいることには慣れていません。まず準備状態として集中を学ばなければ、瞑想に入ることはできません。

 この最初の入口を通過した人は、規律、定期的なワーク、そして深く眠る魂の隠れた力を解放し、神のエネルギーの光線との繋がりを見出す為に神に近づき、毎日時間を割こうという最高の意志なしには、何も得られないという洞察が何よりも必要です。これは、できれば常に、同じ時間帯に行う自己鍛錬と定期的な練習によってのみ実現します。しかし、全ての人に適応する有効なルールを確立することはできません。ある人達にとっては、より自発的な方法が良いかもしれませんが、それは、自発的であっても、一日も欠かさず、時間と場所だけが異なる場合に限ります。通常、規則性がある方が有利です。

 人間は集中に苦労することがあります。私の友人達も、最初は日常のありふれたことに邪魔され、あれこれ考えることを何度も経験します。そして、再び集中することが出来ずにがっかりしてしまうのです。いつも言うように、このような妨害は気にせず、うろたえたり混乱しないようにするのが大切です。すぐに高望みをせず、静かにリラックスした状態で練習を再開してください。暫くすると、一定の継続性と集中力が得られるようになります。これが祈りです。人間は頻繁に忘れますが、繰り返し神に助けを求めることも忘れないでください。これがどれだけあなたの救いになるのでしょうか。「本当の祈り、本当の瞑想を学ぶのを助けてください。」と言うのはどうでしょう。混乱した時には、いつでも助けを求めてください。ここでも「ノックすれば開かれる 」という言葉が真実を支えます。

 祈りへの集中は、訓練として有益であるだけでなく、それぞれの思考が形を作り上げるのです。祈りの思考によって調和のとれた形が作り上げられるので、「感情の祈り」や瞑想を学ぶ前であっても、「思考の祈り」によって有益なエネルギーが活性化されます。思考の形は、感情の形ほどの力はないかもしれませんが、自らをだますことなく、真摯な意志が定着している満ち足りた心においては、自らの偉大さを現します。

 これは、この道の特別な一部分の初めのステップ、つまり祈りの中で集中することで思考の純粋な力、精神の緩みをもたらす感情の流れの解放です。これが「瞑想」です。

 一度ある程度まで祈りの集中力を身につけ、そのために定期的な自己訓練をしていると、機械的になりすぎてしまうという問題にぶつかるでしょう。ここまで進むと、祈りが足かせになるような全く正反対の過度な訓練に陥らないように必死に格闘する自分に気付きます。それは、あなたに祈りを魂の奥底にまでに浸透させることを学ぶ時が来ているということなのです。

 この時も、役立つツールがあります。祈りは、私が言ったように、思考の領域にあります。思考は、ここ(頭を指す)から。瞑想は、人間の精神的な領域とである、ここ(胸を指す)から来ています。みぞおちには、その人の精神的な全体像が刻み込まれています。ここで感情を解放し、いつ、どのように神とつながるかを見極めた人は、内なる障害を克服することで、ある程度は自らをコントロールすることができるのです。

 では、どうやってこの波動に入ることができるのか?と尋ねたいかもしれませんね。次のようにご説明します。間違った経路へ方向転換させられた全ての内なる流れは、障害となります。潜在意識の中で認識されず、混乱しているもの全ては障害になります。この波動に調子を合わせるのが難しい所、抵抗を感じる所は何処でも、魂の中で法則が無認識のまま違反されていることを確信できます。自己認識、自己分析、そしてこれらの流れを掘り起こすことが唯一の手段で、そのためには外からの導き、助け、指示がなければできません。

 これを除いては、一般的なルールを確立することはできません。それは、人それぞれなのです。自ら内に波動を感じる場所を見つけなければなりません。すぐに、そして毎回そうなることを期待しない方がいいでしょう。時々、魂に内なる障害が残っていても、精神的な影響が人間を高い波動に引き上げることがありますが、そのような影響はめったに無いでしょう。「いつでも波長に合わせられる訳ではありません。」「その気にならないとできません。」と言って問題を避けないように。「アチューンメント(整合)」は、気分によって支配されるべきではありません。自らコントロールしなければいけませんし、あなたの精神と成長を意図的に高めなければ不可能なのです。自分自身の主になり、気分に左右されないように。全身に浸透するような神との繋がりを気分に頼ってはなりません。これがこの道の目的であり目標ですが、すぐに達成できるとは考えてはいけません。この道では、純粋な力が自分の内から自由に動けるようになるタイミングが判る所まで進めます。その為には、長く険しい道を進むしかこのゴールには到達できません。この点でも、助けを求めて祈ってください。具体的には、キリストがあなたを助けてくれでしょう。彼はあなたを助けると約束しているのですから、彼に頼る人はだれでも彼の助けを得ることができるのです。

 魂の力を自由にする手段はいくつかあります。ある人にとっては、前に神とつながる強い波動を感じた時のことを思い出すことが役に立つかもしれません。あるいは、その時のことを想像してみると、感情的に追体験できるかもしれません。また、ある人は、聖書のある特定の一節や、特定の祈り、精神的な法則などの助けによって、より簡単に繋がることができるかもしれません。手段は様々ですから、各々が個人的な繋がり方のポイントを追求する必要があります。何よりも素晴らしいのは、自分自身に打ち勝つこと、本当の、完全な、心の底からの自分への理解です。あなたが抵抗力を負かした時、神の御心と真実に向かって自らを開きます。このような勝利は、多くの力を解放し、最初のうちは毎日できなくても、瞑想に繋がる素晴らしい波動を引き起こします。魂の祈り、瞑想については、別の機会に詳しくお話します。

 今日は、先日の約束を果たす為、主の祈りの更なる解釈と、主の祈りの瞑想について皆さんとシェアしたいと思います。

 前に一度、この祈りの意味と瞑想方法についてお話ししました。多くの可能性と方法があります。その時は、一般的なお話でしたが、今夜は、この祈りについての他のヒント、またどのようにこの祈りを込めた瞑想できるのかをお話します。それには1時間はかかるかと思いますが、あなたが必要とするものは常に何でも、この中から見つけ出せるとお伝えしておきます。この祈りがどのようにして極個人的なことに使われ、どのように全ての問題を解決することができるかをお伝えします。

 「私たちの父よ」。この言葉の意味を考えるとき、たぶん神をすべての生命の父として思い浮かべるでしょう。しかし、この言葉を心の底から自分に言いながら、あなたの嫌いな人、気に入らない人、敵対心を感じる人、たまたま仲たがいしてしまった人達にとっても神は父であるということをはっきりと深く考えてみてください。常に深い嫌悪感を抱く必要はなく、ちょっとイライラする位でいいのです。穏やかな静寂の中で、その人たちも神の子であることを、じっくり考えてみてください。自分に不快な思いをさせる人も自分と同じように神の子であることを認めてこそ、自分を神のこと呼べるのです。そうすれば、あなたの態度、つまり感情も微妙の変化を経験し、より自由にリラックスするでしょう。

 自分の気持ちは簡単には変えられないので、最初は抵抗を感じるかもしれません。強い否定的感情がある時には、硬い内なる結び目がある筈です。そのような抵抗は、内なる結び目を解くことがいかに大切なのかを伝えるシグナルだと受け止めてください。もし否定的感情を抱いているのなら、相手がどんなに誤っていたとしても、自分の中に解決されてない何かがある筈です。このことを理解すれば、自分の内にある問題を取り除こうとする意志と新しい認識やインスピレーション、教えを受け入れる準備ができます。そして、未解決の否定的な状況から自らを解放するための実践的な手段も得られるでしょう。これらの言葉の深い意味、またそれを自分の人生にどのように当てはめるのかをじっくりと考え、求め、望んでいると、突然胸のつかえがとれるように、重荷から解放されるのを感じることでしょう。

 別の方法も試してみてください。他者の気に障る部分全てを無視し、その人の完璧さを思い浮かべてください。どこでどのように、その人の内から神の輝きが現れるのか分かるようにしてください。常に覚えておいて頂きたいのは、求める人は必ず見つけるということです。あなたは、彼らの中に彼らの高次の自己をはっきりと示す資質を見つけ出し、彼らを神の子とみなす資格を与えるでしょう。

 それぞれに属するものを正確に特定するために、ハイヤーセルフとローアセルフを線引きすることは大変重要です。ハイヤーセルフは永遠で不滅であり、神のものです。ローアセルフは、束の間のもので、真の現実ではありません。他者に対してのみこれをするのではなく、まずはあなた自身から始めましょう。自分の内のふたつの自己をはっきり区別することができた時、隣人を愛することは、それほど難しいことではなくなるでしょうし、はるかに容易く嫌いな人をも兄弟姉妹のように感じられるでしょう。そして、自分のハイヤーセルフと隣人のハイヤーセルフを一つに融合させることができるようになります。このことは、祈りの最初の2つの言葉に含まれています。つまり、「私たちの父よ」です。

 「天にまします。」天国はあなたの中にあり、外にはありません。従って、自分自身の中にそれを求めましょう。ベールに隠されているかもしれませんが、既に在る自らの完璧さを見つけてください。天国を求め、あなたが拒絶する人に対しても、その人の魂の中に神を求めてください。そうすることによってのみ、永遠の生ける神を見出すことができるのです。

 「御名が聖なるものとされますように。」あなたが父の法則を理解し、それに準じようとすることで、父の名が神聖化します。何故なら、人生のあらゆる様相に、霊的法則は存在するからです。人生における問題で目茶苦茶になってしまっている時は、あなたは相応しい霊的法則を見つけていないということになります。あなたが「御名が聖なるものとされますように。」と言う時、「私の困難はどこにあるのですか?私の問題は何なのですか?そうしたくないけれど無意識のうちに精神的な法則に反しているに違いありません。」と心に問いかけてみてください。あなたがどの法則に反しているのか知る為に、神に助けを求めましょう。神に答えを求め、そして、神の名を真にあがめることで、個人的な繋がりを築くことを学ぶでしょう。実際に自分の心に正直になり、自らの問題を見つめる時、答えが得られることもあるでしょう。同時には来ないかもしれませんが、あなたが注意深く心を開いていれば、人生はあなたに答えをもたらします。

 「御国が来ますように。」あなたが霊的法則の全てに従うことで神の名が神聖化すると、神の王国に近づきます。それは、あなたの内にあるのです。神の王国はどこか外にあり、地上に降りて来るので、神の王国が現れた所に行けば入れるのではと考えていますね。これらは、通常神の王国についての漠然とした考えであり、あなたの想像の中で建てた偽の思考の形です。神の王国は、あなたの中に作られます。それは、霊的法則を理解し、それを適用することで、この学びを無事に終えた時に初めて起こることなのです。

 「御心が行われますように。」これについては、これまで何度もお伝えしてきましたので、多くを語る必要はないでしょう。しかし、この言葉を個人的なレベルで適応させることが、大抵の人達にとっていかに難しいことかを、もう一度強調しておきます。あなたは神の御心とは何であるかが分からず、そしてそれが何であるかを知りさえすればそれに従うと主張します。神の御心とは何かを理解する為に神の世界に接触しようと努力し、それを無条件に実行しようとする人は、例え未だ確信を持てなくても、その答えを得ることができると私はお伝えします。神の御心を実行する方法が不確かな時、知恵を絞って頭で考えるのではなく、答えを必要としない部分に目を向けて考え始めれば、はっきりと答えは出てきます。

 どんな形であれ、完璧な道を進むことは神の御心であると、誰もがはっきり分かります。より安易な方法で不安の種を払いのけたり、他者や状況のせいにしたり、自分の中の間違いを探す必要性から逃げたりするのではなく、正直に自分自身と向き合うことが、神の御心であるということを確信します。

 自分の中の抵抗になっている要因をじっくりと考えてみると、不調和を感じる時は、神の法則に反していることが分かるでしょう。あなたの中に何も問題がなければ、他者の悪行や間違いがあなたに不調和な感情を与えることはありません。答えは、あなたが何らかの形で神の御心を実現することができなかったということに違いありません。

 ある人にとっては、不調和の感情は最終的に個人的な問題に繋がる、一般的な宗教についての疑問という形をとるかもしれません。別の人にとっては、より直接的な個人の性質によるものかもしれません。しかし、重苦しさ、怒り、抵抗、恐怖心、何か不調和を感じる時は、内側で何かが上手くいっていないことを伝えるヒントです。そうでなければ、あなたの人生の複数の状況にこれ程多くの闇がある筈はありません。あなたが一途に答えを求めれば、例え見つけるのに時間がかかったとしても、遅かれ早かれ答えを得るでしょう。神の御心を実現する為に答えを求め祈れば、必ず答えは得られます。恐れないでください。神の御心は常に賢明で愛に満ち、たとえその変遷が苦しいものであっても、幸福へと導きます。そして、「初めはやりたくないとしても、私は本当に神の御心を実行しても構わないのか?」と自分に問いかけてみてください。このテーマについては、以前一通りお話ししました。このことに関連して、活用してみてください。

 「天で行われるように地でも行われますように。」これはどういう意味でしょうか?天国とは何でしょう?地上とは何でしょう?心の中で何処か外にあると思っている天国で、神の御心が行われますようにと祈りを捧げるのは、人間のちょっとした愚かさではないでしょうか。もし天国が外にあるなら、そこに神の御心が行われますようにとの祈りが必要でしょうか?そこでは、その影響力を用いることができるのでしょうか?違います。勿論、地上でもある程度はできます。つまり、あなたが放つ影響力と光で完全なる道を進むことで、内側の神の王国のために働くのです。

 天国はあなたの中にあります。それは、ローアセルフの壁が打ち破られるのを待っている完璧なスピリットです。あなたの中の神は、あなたの霊的および地上の生活の中において、あらゆる細部にまで現れます。人生において、既にどの位まで現実のものとなっていますか?神は、あなたの存在、行動、思考、感情にどのようにまだ浸透していませんか?例えば、このようなことを想像してみてください。もしあなたが、神の御心だと信じ執着している何かを手放してくださいと言われたら?それは単なる意見に過ぎないかもしれませんが、あなたはそれを手放して、それは神の御心ではないかもしれないと考えますか?それとも、むしろ自分がそうしたいからだと、逆に自分を納得させますか?

 人生のどの部分でこのような態度をとっているか、正確に突き止めてみてください。そして、自分自身に正直に向き合ってください。あなたにとってより重要なこと、それは真実ですか?それとも何らかの理由で執着している信念ですか?もしあなたの信念が正しければ、神がそれを確かめてくれると信じていませんか?しかし、まずは手放す意欲がなければいけません。締め付けられる硬直感を感じる時、例え自分の意見が正しくても、天の王国が自分の中に現れるのを妨げてしまいます。逆に、自分の意見が間違っていると真実は浸透できません。思考の形が間違っていると、あなたのところに神の王国はやってきません。

 「私たちに日ごとの糧を今日もお与えてください。」こちらもまた、何の意味も待たずに機械的に繰り返されることがよくあります。はっきりと考えを持っていないのに、日ごとの糧を得ることと神は無関係であると、人々は思い込んでいます。しかし、皆さんにお伝えしますが、神の祝福がなければ良いことはできません。神がいなければ、どんなに何度も努力しても、何も成功しないのです。霊的教育を受けた人は、自らの人生を振り返る時に、何が神の祝福を受けていて、何が神の祝福を受けていなかったのかをとても正確に見分けられます。「その違いはどのように感じるのだろうか?私は何処で何度も失敗しているのだろう?いつもどこで苦労しているのだろう?その本当の理由は何だろうか?何か間違ったことをしてしまったのだろうか?どんなふうに自分の態度が間違っているのだろうか?」と、それらを考えて、完全に神に身をゆだねてください。

 地上の糧と霊的な糧の両方を手に入れるために、導かれる準備をしてください。霊的な糧はかなり軽視されています。あなたはそれが物質的な糧よりも重要でないと信じています。いいえ、皆さん、霊的な糧はより重要で、遥かに重要なのです。まず、霊的な栄養を受け取る努力が必要です。つまり欲しいと強く思ってください。それが、地上の全ての問題を解決するための入口です、地上の糧より、まず霊的な糧です。霊的な糧を切望する人は この道のある一定のレベルに到達しているのです。

 「私たちの罪をお許しください。」祈りでは、私ひとりではなく「私たちをお許しください」と言っています。これは、あなたを傷つけた人も、完全には許せない相手も、全ての人間が含まれています。もしあなたが、率直に神が彼らを許してくれることを願うならば、あなたは自分の中にある、有害なエネルギーや暗い影響を引き寄せる暗い霊的な形から自由になります。この言葉が何を含んでいるか考えてみてください。つまり、神は、あなたやあなたが愛する人だけでなく、あなたがまだ否定的感情を抱く相手も許してくれる筈なのです。しばしば、あなたは自分の罪についてさえはっきり分かっていないことがあります。人間は、正当化されない誤り、不健全さ、誇張された罪悪感を生み出しがちです。

 内側のプロセスは次のように作用します。あなたは自らの罪が正当化される事や、自分の足を引っ張り失望させられる事のない健全で前向きな悔い改める気持ちを感じる事を認めることに躊躇いを感じています。この健全な悔い改めと共に神に許しを求め、本当に変わりたいと思った時に、あなたは自分が許され、自由になったと感じ、肩の荷が下りたことに気付くでしょう。これは、変わろうとする意志、善意を貫こうとする意志が、誠実で辛抱強いものである時に起こるのです。

 それでも、あなたはしばしば真の罪と向き合おうとはしないでしょう、ひとつには、実際の自分よりも良く見せたいという自惚れや、また他には、内面を変えるにはあまりにも大きな努力がいるからです。心の奥底では、一日にしては成らないこと、努力なしには成らないことを分かっています。霊的な核が合図を出し、自らの罪を認識するよう促しますが、ローアセルフがプライドと怠惰さで邪魔をし、真の罪ではないと思い込むことがあります。それはまるで、「ね、私は悔い改めているし、認めているけれど、実はここでは本当の罪を犯していないのですよ。」と言っているようなものです。当然ながら、これらは無意識的なプロセスであり、明らかにされなければいけないのです。これが偽りの罪悪感と本当の悔い改めの違いです。

 霊的な道を歩む全ての人々の経験によれば、真の罪を認識した人は、自分を引きずり下ろす偽りの罪悪感の複合体を自動的に失うだけでなく、一瞬にして安堵と心穏やかな気持ちを得ます。何故なら、真実は常に自由をもたらすからです。自分の心を大きく開き、抵抗を克服しようとすることは苦闘です。そのため、人は本当の罪を認めることを恐れ、むしろ無意識のうちに、全くありえないような、あるいは、見たくない誤りを包み隠すような様々な非現実的な罪悪感を生み出します。なぜなら、一時の不完全さにおいてあるがままの自分を受け入れる準備がまだできていないからです。罪悪感の複合体は非現実的なものであり、決して自由にはつながりません。罪悪感は、悪循環を生みだし、重苦しさ、悲しみにつながります。一方、はじめは不快に感じるかもしれないけれども、真実は常に自由にしてくれます。

 この点について、自分自身を調べてみてください。外見と妄想の全ての層を見抜いた人だけが、本当の罪悪感にたどり着きます。行動や感情的な反応によって、自分がどのように、ひとつか、又は複数の霊的法則に反しているのか分かるでしょう。そして、はじめて助けや変わる方法を求めることも含めて、神に許しを請うことができるのです。このようにして心が自由になった人だけが、人を完全に許すことができます。他者を許す準備が完全にできていなければ、許してもらうことはできません。そして、神の許しを経験し理解し感じた人は、自分自身をも許すことができるでしょう。そしてまた、これは次の一文へと繋がります。

 「私たちも私たちに罪を犯す人を許します。」この祈りを口にしながらも、本当に許そうとは微塵も思っていない人がなんて多いことでしょう。ここにも、しばしば自己欺瞞が見受けられます。憎しみは去っても、恨みは残っています。そして、それから自分を自由にしなければ、霊的な体験ができるほど自由にはなれません。完全な許しを得るのはとても難しいことなのです。何故なら、あなたは相手に対する理解力が不足しているからです。ですから、この理解を求め、このことについてあなたに欠けている知見を求めてください。もし、あなたが本当にそれを望んでいて、よくあるように恨みに囚われなければ、これら全ては与えられるでしょう。

 あなた方人間は、自分たちだけではできないことを理解しようとしません。あなた方には 助けが必要です。だからこそ、この文章は祈りの一部なのです。もし、自分の意志だけでできるのであればわざわざ祈る必要はないからです。ある場所から別の場所に移動できますようにとは祈りませんね。健康な手足があれば、自分の意志で移動できます。しかし、本当に許すことができるようになる為には、助けが必要なのです。そして、自分に心から正直に向き合い、マスクを外した真の自己を知る為にも、助けが必要です。そして、自分のローアセルフに向き合い、内面の変化を果たす為にも助けが必要です。ですから、祈りましょう。

 また、「私は本当に全ての人を心の底から許しているのだろうか?」という疑問と直面しなければなりません。ひとりでは未だ無理だとはっきり分かったら、助けを求めてもいいでしょう。そして、許さないということがあなたの重荷になり、あなたを不幸にし、あなたが望む光と自由を遮っていることを分かってください。許さないということは、あなたが許せない人を傷つけるよりも、はるかにあなた自身を傷つけます。

 「私たちの誘惑の中でも導いてください。」最近、私たちの輪に加わった方々のためにも繰り返しお伝えします。通常言われるのは、「私たちを誘惑に導かないでください。」です。この言葉は誤解を生み、また危害を与える恐れがあります。神はあなたを誘惑に導きません。というより、誘惑に負けないように、神が導いてくださるように祈りましょうということです。そして、あなたが誘惑に逆らえるように、勝利するための強さとビジョンを持てるように、神が導いてくれることを祈ることです。もしこのことを思い描いているのなら「私たちを誘惑に導かないでください。」と言えますね。概念を混同しない限り、この言葉はそれほど重要ではありません。

 さて、誘惑とはどういうことでしょうか?誘惑はあなたの中にあります。外からやってくるものではないのです。もし仮に外から来たとしても、あなたの中の何かがそれを受け入れようとしなければ、それに負けることはありません。例えば、殺人を犯すという誘惑にかられますか?絶対にあり得ません。しかし、自分の欠点が何であれ、それに屈しそうになることはあります。だからこそ、どのように誘惑されそうになるのかを理解することが大切です。あなたは、自分の欠点を知らなければいけません。自分の欠点をすべてリストアップして、忘れず覚えておきましょう。そして、自分では自らの欠点を克服できないので、再び強さと助けを求めてください。その概念の中にこそ、誘惑があるのです。

 あなたの内に応答するものがなければ、どんな悪魔もサタンもあなたに手が届きません。神があなたからサタンを遠ざけるようにと祈るのは、あなたが間違いを犯しているからです。あなたの内に、ローアセルフの内に、完全なる自己を覆っている皮の中に、あなたを誘惑に導こうとする芽があるのです。闇の力はそれを明らかにし、引っ張り出す手段としての役割を果たし、あなたがそれと戦えるようにしているのです。もしその悪の芽が眠っていたら、それが現れる機会がなければ、あなたは一歩も完全な真の至福に近づくことはありません。

 「私たちを悪からお救いください。」ここでも、同じ真理が当てはまります。悪魔はあなたの内にあります。もしそれが外にだけ存在するなら、あなたには触れられません。この考えを祈りに込めてください。誘惑に打ち勝ち、自分を悪から解放するために、キリストへお願いしましょう。神の助けと、約束されたキリストの助けによって、あなたにだけそれができます。彼の助けを借りてやってみましょう。ひとりでやろうとはしないでください。あなたは十分に強くありません。意志の強さと絶え間ない努力が必要です。あなたひとりの力だけでも、神やキリスト、どんな霊的な助けがあっても、自分を自由にしようとする意志がなければ不十分なのです。あなたの意志の強さと神の助けの両方が必要です。この問題には両方の面からアプローチしなければなりません。つまり、自分自身で取り組むこと、そして、繰り返し霊的な助けを求めるべきなのです。

 「王国はあなたのものです。」神の王国はあなたの内にあります。それは神のものであり、他の誰のものでもありません。

 「力」神の力だけが、真実を清め、送り届け、照らすのです。あなたに愛と理解の力を与えます。あなたを幸福へと導き、多くの人生で重荷となっていた全ての闇と不完全さからあなたを救い出し、あなたを連れてきます。

 「栄光」は、神の御心に従うことによってのみ得られるものです。

 あなたの人生に必要な全て、全てのものが含まれているこの最も美しい祈りについて、もっとたくさんのことをお伝えしたいのですが、今は時間がありません。いくつかのヒントを差し上げていますので、この言葉を聞いたり読んだりする皆さんが、静かな時間にこの言葉について考えて頂ければ幸いです。そうすれば、どのように人生において、個人的な事柄にこの言葉を適用させるかについての更なる考えや感情が得られるでしょう。解釈が明確になり、人生のある一定の分野ではどのように祈りの本質を既に適用しているか、または未だ適用できていないのか分かり、それぞれの言葉の意味が広がりを見せた時、それは生きた祈りになります。

 このようにして生きていこうとすれば、みなさん、間違いなく幸せになりますし、やがて全ての問題は解決するでしょう。確かに、最初は問題がありますが、それは必要な薬なのです。人生に支配されるのではなく、だんだんと自分自身を支配し、結果として人生を支配するようになるでしょう。「私はどの程度幸せなのだろうか?」と問いかけてみてください。あなたは、自分が幸せである程度まで、他のひとりまたは数人を幸せにすることができると確信できるでしょう。また、この上昇の道を進み続ければ、自分が幸せでない分だけ、他者を幸せにできないことも分かります。幸せについて自己分析することは、自分がどれだけの幸せを与えることができるかを測ることができる簡単な基準や指標となります。もし他者を幸せにしたいという気持ちでいっぱいならば、神がその機会を与えてくれますし、それがあなたに真の幸せが訪れる方法なのです。

 それでは、皆さんからのご質問をお受けします。

 質問: 霊媒は自分の仕事で生計を立ててもいいのでしょうか?これについては、様々な意見があります。霊媒が他の人と同じように生計を立てなければならないことは明らかなのですが、もし他の方法で生計を立てた場合、彼女は非常に重要な仕事を遂行するための十分な時間を確保できないかもしれません。しかし、様々な霊的な情報源は、このようなことが起こるべきではないと主張します。ですので、ここには問題があると思います。このことについて何かご教示いただけますか?

 回答:私がお話しなければならないことは、未だ訓練中の霊媒が、この仕事でも生計を立てられることを知っており、つまり、最初からこのことを考慮していたら、今よりも更にこの才能は無意味で悪用されることになります。善意に満ちた良識な人にとっても、その誘惑はあまりにも大きいのです。その為、神のスピリットはこの問題については非常に慎重であり、人間がこの仕事に取り組む際には、通常決して個人的利益にはつながらないと考えるのが良いでしょう。ただ、次のことを付け加えておきます。霊媒は、この仕事で生計を立てるまでに、少なくとも3年から5年は無料で奉仕すべきでしょう。訓練の間に、神の霊的世界は、本当にこの仕事にその人が適しているかどうかを観察する機会があります。もし適してなければ、いずれにしても神のスピリットは退いてしまうでしょう。結局のところ、お金は、人々が失敗する原因となる多くの障害物の一つに過ぎません。しかし、その人がその仕事を遂行できるようになれば、お金はもう障害にはならず、その人に影響を与えることもなく、その仕事を腐敗させることもありません。ですから、まず最低でも3年から5年は時間をかけるべきでしょう。

 全てが順調に進み、霊的世界が退かない時には、外部から導きがあり、お金を受け取ることができる時が来たことを示す合図が出ます。それは、以前の段階で、霊媒が他者を助ける為に交信できるようになったことを示唆する導きがあった時と同じです。これにもその人の進捗状況に応じて時間がかかります。この訓練の過程では、様々な「ゴーサイン」が与えられます。もちろん、霊媒能力で生計を立てなくても十分生活していける人もいるでしょう。そうでなければ、神の世界は、訓練を受けている人が生活するのに十分な手段を持っているかどうかを確認するでしょう。

 原則として、他の専門家と同じように、そして多くの場合それ以上に、時間、努力、エネルギーをその職業に費やしている霊媒が、交信することで生計を立てて報われるべきではないと主張することは、勿論全く不当なことです。同じように不当なのは、霊媒がお金を受け取ったからといって、神の精神との交信ではなくて、彼女は詐欺師に違いないとほのめかすことです。もしあなたが信じないための言い訳を探しているのなら、必ず何かしら見つけるでしょう。そして、もし霊媒がお金を受け取らなければ、別の何かを見つけるでしょう。結局のところ、お金をもらっていてもいなくても、霊媒は、神の霊的世界とは全く関係のないスピリットと接触することもあり得るのです。慢心、権力、虚栄心、高慢、称賛への渇望なども同様に大きな障害となります。このように、問題はそれほど単純ではありません。訓練期間中に真実が明らかになり、全てが順調に進めば、要求しなくても金銭的な補償が得られるようになるでしょう。

 訓練期間は3年から5年ですが、交信の能力を成長させるという意味だけの期間ではなく、何よりも、私がお伝えしている趣旨での成長のための精神的な道を歩むことに集中するということを意味する期間なのです。これが本当ならば、外界の状況に関係なく、交信は常に神の保護下にあることになるでしょう。

 もちろん、霊媒は、貧しくお金を払えない人への助けを拒むべきではありません。しかし、他のこと、まして重要ではないようなことにお金を使うことを惜しまない人が、霊媒の時間と奉仕を無料で提供してくれる筈だと期待するのは、その霊媒がまだ修行中でない限り、正しいことではありません。もし、霊媒が自己啓発の道を歩んでいる間であれば、物質的な私欲や虚栄心、その他の障害が立ちはだかることはないでしょう。もちろん、その霊媒をよく知らない限り、誰も外からその状況を評価することはできませんが、霊媒自身、そして神は真実を分かっています。そして、それこそが重要なことなのです。

 このような訓練を遂行する霊媒は、医師や教師が大学に何年も通うのと同じような学習期間を経験することになります。医師としてきちんとした生計を立てることができる専門知識を身につけるまで、医師は研修中の病院等で患者を無報酬で治療します。そうして、学位を取得してお金を稼げるようになっても、誠実で勤勉な良い医者になれるのです。霊媒が本当に人を助ける能力があるのならば、そのための訓練を受けていない職業に時間とエネルギーを捧げるのは馬鹿げていますし、それでは役に立てないし、最も心得ている職業をすることの妨げることになります。優れた訓練を受けた医師が、副業として医学を追求するようなもので、医師として生計を立てることは考えておらず、そのため生活のために別の仕事をしなければならないようなものです。

 ですので、霊媒の卵は、無報酬で長期間働くことを覚悟しなければなりません。神の世界は、援助と導きを与え、その間、その人は必要とするものを得ることができるでしょう。そして、その時が来たら、神の世界は、それまで必要であった職業をその霊媒師からゆっくりと取り除き、再び助けてくれでしょう。

そして、霊媒の助け、時間、努力を利用する人は、当然のことながら、霊媒が霊媒として生計を立てられるようにすることを望むべきです、みんながみんなそれぞれの手段に応じて生計を立てるように。これは彼らにとっても、あらゆる点で有益なことでしょう。このような理由から、霊媒に疑念を抱くのであれば、何かあなた自身の考えが間違っているのではないでしょうか。そしてあなたは自分自身を見つめ直し、結論を考え直すべきです。

 もう一度に繰り返しますが、訓練期間は最低でも3年から5年、場合によってはそれ以上かかるでしょう。それは、霊媒師が自らの霊的成長を追求する強さと熱心さによります。時が熟した時、私がお伝えしたように、外部の出来事によって、さらなる「ゴーサイン」が与えられたことがはっきりするでしょう。分かりましたね、君?(はい、十分わかりました。)

 質問:今日のレクチャーで、胸に何かが重くのしかかってきたのを感じたら、自分の中の何が悪いのかを自問するべきですとおっしゃいました。しかし、その重さは、例えば、深い悲しみから来るものでもあるのではないでしょうか?

 回答: それはあり得ます。しかし、問題はどのような悲しみなのでしょうか?健全な悲しみは重荷に感じません。それどころか、元気づけ心をほぐします。そして、悲しみにもかかわらず、心の奥底では何かとても素晴らしいことが起こっていると言ってもいい程です。感情を言葉で表現することは殆ど不可能ですので、ただ私が意味する苦しみの締め付け感と魂をほぐす悲しみの感覚の違いを理解し、感じ取ってみてください。(あなたが言いたいことは、よく分かっています。)

 皆さん、私の手、そして霊媒師の手を通して、神の祝福をお受けください。このエネルギーは、あなたの中に染み込み、強くし、向上させたいのです。神の祝福は、近くて遠い皆さん全てに届きます。神の中にあれ。


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