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Pathwork Guide Lecture No.2 決断とテストDECISIONS AND TESTS 1996年版 1957年3月25日

 神の名の下に歓迎します。みなさまに神の祝福を。

 親愛なる友人たちよ、神の愛は命ある全てのものに行き渡ります。霊的な全てのものが、循環し続ける完全性の内を動き続けるのと同じように、それは永遠の循環の内でそれ自身と出会い続ける生命溢れる力であり、光のビームです。生きとし生けるものは誰しも、この愛というパワフルな光線を意識的にせよ無意識的にせよ、探し求めています。この愛を感じ取りたいというロンギング(憧憬)が人間とスピリットを駆り立て、引き寄せ、刺激するのです。彼らはそれぞれの発達の状態にしたがってこの憧憬を理解していき、結論を出し、意思と考えを持ってそれを遂行しようとします。あるいは、これらの感情を正しく解釈することなく、自らを通してこの駆りたてる力を表そうとし、失敗につながります。この感情とこの探求の本当の性質をきちんと理解しなければ、その人は誤ったゴールと偽りの充足感を探すことになるでしょう。けれども、それまでの不可解なこの憧憬の感情が一体何であるかをすでに理解している発達段階に到達するならば、その人たちはすでに大きな一歩を踏み出していると言えます。彼らはまた、進むべき方向もわかっているでしょう。ゆえに、自分の魂の力について誤解したり間違ったりすることも少なく、メッセージも正しく解釈されるはずです。

 神への愛、神に対する憧憬は、すべての人間の内にある駆りたてる力です。いまだ神を見つけていない人、自分は神など信じていないと思い込んでいる人ですら、その魂の内側にこれらの強い流れを密かに抱いているのです。霊的な発達における完全な転換を経験し、意識の内に神を認める人は、新たな人生へと入っていきます。これは一度の転生で起こり得ることです。このドアから足を踏み入れる人は誰でも、既により明るい光の世界を生きることとなります。もっとも、その先にも多くの通るべきゲートはありますが。

 殆どの人が、この地上での人生を、理解しがたい不可解なものだと思っています。彼らはその意味も目的も認識することができません。なぜなら彼らは、肉体的な目だけでものごとを見ているからです。自己の霊的な目との接触がまだ取れていないのです。従って、彼らの悲しみ、試練、孤独、すべてが意味のないことのように思えるのです。しかし、人生とはいくつもの学びの期間の内のひとつであり、長い鎖の内のひとつの輪であることを理解すると、あなたは、最初は感覚的に自らの霊的な目との繋がりを感じ、その後、それをより深く十分に理解できるでしょう。その時、あなたのゴールは最早、今のあなたという存在が持つひとつひとつの願いが叶うことで直ぐに得られる幸せではなくなります。代わりにあなたは、自らのヴィジョンを“全体”へと向けることでしょう。そうすることで、あなたはこの人生が奪い去られることに耐えられるのです。そうすることであなたは、“テスト”にパスし、存在のより高い次元へと、いかなる外的な力によっても奪い去ることのできない永続的な幸せの中へと入るのに必要な条件を満たすことができるのです。

 さて、この第一のゲートをパスした人たち、これらの根本的な真実をすでに認識している人たちについて話をしていきたいと思います。そのような人たちは、多くの場合、彼らが進歩できるようには実は進歩していません。結局のところ、それぞれの人がどれだけ早いスピードで進むかは、その人の自由意志しだいなのです。ある人は、ただ流されるように生き、一つのことを克服する、あるいは成就するために、それを繰り返し経験し、何度も転生しなければならないかもしれません。これらの基本的な真実を理解している別の人たちは、違った行動を取り、霊的な成長をまっすぐに目指すでしょう---これは世俗的なゴタゴタから目を逸らすという意味ではありません。それどころか、世俗的な問題と霊的な問題というのはとても密接に関係しているのです。世俗的な問題というのは、実際、ある霊的な問題の現れであるのです。その違いは、どのようにして問題の解決法を探すのか、どの観点から見るのかという点にあるだけです。霊的なレベルで問題を解決する時にのみ、世俗的な問題に関する真の解決法を見つけることが可能となります。

 みなさんがあれやこれやを知っていることはわかっていますが、まだ、自分自身の内にあるつながりを知覚できてはいません。誰もが神を未だに探し、自らの外側の何処かに知識を求めています。たとえば、外側の知識を増やすことを通じて---勿論それは良いことですが、十分ではないのです。途切れることなくバランスを取り続けることが求められます。学んだ知識は常に個人的なレベルで使われ、消化され、内側で評価されるべきです。そうすることで、しっかりと調和が作り出されるのです。真の進化を成し遂げるためには、内側と外側、両方の側から成長しなければなりません。新しい外側の知識は、古い知識が内側で統合され、吸収された時に身につけられるべきものです。知識は、理論上だけであるべきでは決してないのです。実際に実践に移し、個人的な人生に根付かせるべきものです。このようにして、ひとりひとりが創造の本質についての、霊的法則の知識を広げていく必要があります。けれども、外側の知識というのはひとつの側面に過ぎず、それが全てであると受け取ってはなりません。別の側面、つまり内面的な吸収統合がなければ、あなたの進化には調和も見られなければ本当の充足感もなく、ゆえにまったく進化しているとは言えないのです。

 あなたは自分自身を知り、自分自身に注意を払い、自分自身を研究し、そして抵抗を克服するための克己心を身につけなければなりませんが、初めのうち、それはとても難しいでしょう。あなたが自分に対して持つありとあらゆるイメージや考えを観察しなければなりません。それらはあなたに媚びてくるでしょうし、簡単にあなたを騙します。それからあなたはそれらを放棄し、修正を加えねばなりません。このワークは一人ひとりにとって何か特別で、何か違ったものですが、多くの場合似たような、あるいは同じものでもあり得ます。人間の霊的な進化について話す時、私たちはそれを、あなたがたひとりひとりの、何かとても個人的なものという意味で話しています。親愛なる人よ、あなたは自分自身を探り、このように尋ねるべきです。「それがどんなに分かりにくく、内面的なレベルであるとしても、たった一つの現実、霊的法則に従って反応していない場所がまだ私の中にあるとするならば、それはどこに隠されていますか? ある事柄についての透明さ、明晰さを欠いているのは私の中のどの部分ですか?」

 このような自省は常に行われるべきです。そうすることであなたはゆっくりと、内側の未だ正しくない部分を取り除くことができ、そうすることで今より幸せになるのです。自分の中にどんな障壁があるのかをはっきりさせなければなりませんし、そしてまた、それらを明白にする為には、内面の探求と真の内的意志、そして努力が必要です。あなたが人生の何処かの領域で幸せに欠けているのは、ある特定の内的なブロックが直接関係していることに目を開かなければなりません。内面の障壁を取り除くことなくあなたの望みが単に聞き入れられたとしても、あなたが本当に幸せになることは決してないでしょう。それは永続的な幸せではないのです。いつか消えていくものであると言わざるを得ません。内面の調和を築き上げた時にのみ、神の法則の内にある神との関係性があなたの内側で完成し、あなたの魂は、幸福を包含するのに十分なまで成熟するのです。

 多くの人は、神の世界とのコミュニケーションを怪しいものだと思っています。彼らは言います「ええ勿論、そのようなコミュニケーションは可能だと信じています。でも、それが私にとって何の意味があるのですか? 何の為に私にそれが必要だって言うのですか?」私の答えはこうです。このようなコミュニケーションは、あなたの更なる発達の為に必要な部分、つまり外側からの吸収を与えてくれます。さらに、ヒントや助けを、探求と発見の方角を、そして発達のために必要なふたつ目の部分である、「外的な知識を内面の問題に当てはめること」を教えてくれます。その為には、具体的な助けとは別に定期的な励ましと強さ、祝福を受けることが必要です。それは、スピリットとのコミュニケーションを通じて与えられるものでもあります。いつの時代にも、例外的な、他の人たちを導くことのできる賢い人間が存在します。このような人達も、ちょうどミディアム(霊能者)がそうであるように、神の世界とダイレクトにつながっています。その人は、神の世界の道具となるのです。ある場合にはインスピレーションを通して影響を受け、またある場合には神の世界が直接的に作用します。けれども、どんな形であるにせよ外側からの助けは、それなしではあなたの成長が叶わない重要な要素です。このようにして身につけた知識は、人生の素材として、人生を構成する基礎的な要素として、あなたが自分の人生を自分自身のやり方で作っていくのに使うことができるのです。

 前回のレクチャーで、「決める」ということについて簡単に触れました。正しい行動が何なのか、どうしたら常に知ることができるのかと尋ねられました。それはみなさんがたが学ぶべきことのひとつであり、そしてまた時に難しく感じられることでもあります。多くの人は外面的レベルにおいて「決める」ことはできますが、それすらできない人もいます。けれども、殆ど全ての人は、内面で「決める」ことができません。感情の動きと内面の感情的反応が、内面で「決める」ことをまったく不可能にさせているのですが、そのプロセスが隠されているが故に、そのことすら誰も知りません。自分の再奥にある動機と感情を重要視しはじめた時にのみ、自分の中で一体何が起こっているのかに気づくようになります。そうすると、内面的に「決める」ことができるようになっていくのです。内面的に「決める」ことのできない状態は、直接的に他者と関係があるように見える問題としてだけでなく、自分の内的態度、感情、そして反応の中に現れてきます。

「決める」ことをしない人は、自分の魂の憧憬に従いたいと心から願い努力している人と同じであることが多いものです。とはいえ、彼らは「正しいこと」をしたいと願うあまりに、何かをすることから尻込みします。何故なら、そのことが神の機嫌を損ねるのではないかと思ってしまうからです。間違ったことをするのを恐れ、結果、何もしないのです。「決める」ことをしないことを自分が「決めて」いるということを理解していないのです。世界と、そしてあなたがたが時間と呼んでいるものは、決して静止することがありません。すべては生命の流れの中にあり、あなたが何をしようと、あるいは何もしなかろうと、必ずその先に結果が現れます。「決める」ことから逃げている時、それはあなたが自分の魂への鍵をまだ見つけていないことを意味しています。あなたは、おそらくそれに気づくことなく、恐れの中で生きているのです。もう一度申し上げますが、あなたは無意識に神か運命があなたに代わって「決めて」くれることを信じ、願い、あなたという船の指揮を執ることをしていません。時にそれが起こることもあるでしょう。しかしながら、概して、神の世界の干渉は認められていませんので、あなたが学ぶべきことのひとつは、自分自身の決断に責任を持つということです。真実を覆い隠し、混乱を作り出している暗い雲に飛び込み、風穴を開けることをあなたは学ばなければなりません。あなたは自分自身の努力によって、個々人の霊的なチャレンジによって、自己認識を深めることによって、学んでいかねばならないのです。

 抵抗を克服しようと努力することは、霊的なヴィジョンを研ぎ澄ませる唯一の方法です。この方法においてのみ、自分自身の魂の内に何が存在するかを、周囲に存在するものを知覚するのと同じように知覚することができます。とても込み入った複雑な状況であったとしても、あなたはそれを評価し、判断することを、そしてあなたと他者の何が今危険にさらされているのかを理解できるよう学ばねばなりません。これまでに解決されていない問題を解決することを通じ、最大限に霊的成長と浄化を成し遂げることを学ばなければならないのです。頭を砂の中に埋めるダチョウのように問題から目を背けようとする代わりに、あなたは問題と真正面から向き合う必要があります。

 問題を引き受けた後、どちらの方向を選べば良いのかを見抜く力がまだあなたにないが故に「決める」ことができないという結論に達するならば、あなたはそれまでとは全く違う状態にあります。そうしたら、神にインスピレーションと必要な情報を求め、それを受け取る準備をし、それに従って行動すれば良いのです。チャレンジし、努力することで自分自身の準備ができた時、必要な理解がやってきます。「決める」ことを避け、問題にかかわる全てのことに蓋をし、完全に目を逸らすのもひとつの方法でしょう。けれども、そのことと、真実を探し求め、正しい道を選ぶ準備が自分にできるまで更なる努力を重ね、それまでは「決めない」ということを意図的に決めるのは、まったく別のことです。そして、その決断が真に正しいものである時、疑念の影などこれっぽっちもあなたの中にはないことでしょう。その結果もたらされるのは、あなたの魂の中で永遠に続く平和と調和です。この方法によってのみ、あなたはあなたという船のキャプテンとなるのです。

 自分を甘やかし、自分に都合よく見ないように隠していること、そしてあなたの自己満足を助長し、もっとも抵抗の少ない道へとあなたを誘う全てのことを切り捨てる時にのみ、あなたは、その時々に自らの置かれた状況の純粋な真実を認識し、自分にとって正しい行動とは何であるのかが分かるようになります。「決める」ことを避け続ける人生を生きる時、結果として起こるのは、反応と連鎖反応です。言い換えるなら、次の人生でもつれた結び目を解き、「決める」ことを学ぶための霊的な学びが一層難しい形で起こってくるのです。ゆえに、これらの言葉を受け取るみなさんがたには、このことをよくよく考えてください。「決める」ことを避けることは、霊的なレベルのみならず、純粋に世俗的な事柄においても、大きな痛手と損害を引き起こすことを理解してください。利己的なエゴの観点から見ても全く同じであることが、一度でも自分の「先を見通す力のなさ」を乗り越えれば分かるでしょう。霊的法則に十二分に従うことによって、自分の手であなた自身の幸せをつくり出してください。この決意がなければ、どんな恩恵も受けることはできません。

 さて、何か質問はありますか?

 質問:低次の領域にある魂は、より強い痛みに苦しむように本来なっていると思うのですが、あらゆる邪悪なスピリットの中で最も邪悪な魔王ルシファーが苦しんでいないように見えるのはなぜですか? そう見えるだけでしょうか?

 回答:あなたがた人間は常に、痛み以上に酷いものはないと考えますね。しかし、もっと悪いものがあるのです。つまり、魂が痛みを感じることのできるより前の段階です。あなたが痛みを感じる時、あなたは既に神に一歩近づいています。このことを説明したいと思います。そうすればあなたは創造の素晴らしさ、壮大さを感じ取り、暗黒の力が究極的には神の手の内から出ることなく動くものであると知るでしょう。

 例を挙げましょう。ルシファーには忠実な部下がいますが、そこにも、強いものと強くないものというヒエラルキーが存在します。もし、強い力を持った部下が、ある人間が自らの自由意志で誘惑に抵抗し、神の道に従おうとすることを阻止するといったような、ルシファーから課せられた任務に失敗したならば、その部下は力をどんどん失い、他の邪悪なスピリット達によって今度は自分が苦しめられることになります。そして、自分が極度の痛みを感じていることに気づいた時、彼は神に近づくのです。その時にこそ、神を求める気持ちが最高潮に達するからです。ゆえに、暗黒な領域の「より低次に」沈んでいけばいくほど、実際には「より高次に」上がっているのです。痛みから遠ざかれば遠ざかる程に、内面の不調和は拡大していきます。そして、ルシファーは最大級の不調和の内にいます。不調和が増す程に、内面では調和を求める動きがどんどん強くなります。これは、そのような存在が、自らの内なる調和を痛みがなくとも増大させていくことのできるポイントに達するまで続きます。その後、様々な抵抗の克服がその痛みに取って代わるでしょう。それは最終的に、必然的な流れとして、抵抗を何とかしようと必死で努力し続けることが必要とされなくなるまで続きます。気が動転していたり、反抗心を感じていたり、精神的にいくつもの方向に引きちぎられているように感じていたり、非常に不調和な感情に支配されていたりする時というのは、本当の意味で痛みの中にいる訳ではありません。そうではなく、混じり気のない痛みを経験する時、あなたは自分がどんなに内面の調和に近づいているかを思い出します。そしてその時に、皆さん方の誰もが、このプロセスにうすうす気づくことができるのです。従って、神の法則がその影響を広く及ぼせば及ぼす程に、ルシファーの部下の数は減っていくでしょう。

 質問:とても難しい状況下に置かれている時、神に見放されたと感じたり、高次の領域からのサポートがないことに気づいたりするのはなぜですか?

 回答:それはしばしば起こります。テストされている時、あなたは最初、霊的な守りという助けを得ながら目的を果たすことを学びます。次に、あなたを守るこの力はいくぶん鳴りを潜め、あなたはいわば、神聖なるものと暗黒の力のそれぞれから同じだけ離れた所に、一人残されます。あなたは自分の足で立たねばならず、自分自身の意志で正しく動かねばなりません。そしてそのテストに持ちこたえたなら、そのあとは、暗黒の力が周期的にあなたの至近距離まで近づいてくるようになります---神聖なる愛は常にあなたのすぐそばにあり、全てがうまくいくことを見ているのですが---そうしてあなたは自分自身の足で立ち、自分を保つことが一層うまくなっていくのです。そうなったときにのみ、あなたは神が完全にあなたを信頼するに足るほど強くなります。そうなったときにのみ、あなたは自分のロウアーセルフをコントロールできるようになったことを、自分の弱さをコントロールできるようになったことを確信します。そしてそれらこそが、この種の“テスト”に求められていることなのです。これは、ひとつのプロセスです。そして、いわゆる「好ましい時期」において、次のテストに備えて新たな強さを身につけ、先のテストで成し遂げた成果を享受するのです。

 霊的法則という武器を利用してそれらと戦うかどうかは、人それぞれです。最強の力を持つものであったとしても、邪悪なスピリットが、あなたの許しなしに、あなたに何かをすることはできません。自分のローアセルフと戦う瞬間、あなたは自分自身を完璧に守っています。これこそが、あなたのすべきことです。戦いなさい!言うまでもないことです。自分自身の意志を、誰かの助けなしで、自分が自分の為に立ち上がるのに使う準備ができた時にこそ、人間は孤独を感じるのです。あなたの内的意志は、もっとも重要な要素です。けれども、あなたが成し遂げることのできる以上のことを期待すべきではありません。

 回答:でも、苦しみが深すぎて、この力を呼び起こすことができない人たちもたくさんいます。たとえば、決して治ることのない病気に罹っている人です。そのような人は、何をすべきなのでしょうか?

 答え:まさしく、ただ平均的な人生を生きるより「テスト」をクリアする経験を頻繁にする人がいるのは確かです。運命によって特に目をつけられ選ばれたそのような人達は、多くの場合、それらが何であるかを受け入れ、何が必要なのかをそれらから学ぶこと、そして、自らの運命に逆らおうとするのではなく、自らの苦難を進んで引き受けることによって「テスト」をクリアする能力をより多く備えています。何度でも強調したいのですが、神は、その人が耐えられること、果たせること、もしくは耐えられるであろうこと、果たせるであろうこと、そして本人がそう望む場合にしかお与えにはなりません。あなた方人間が、他者の潜在的な能力や、彼ら自身の能力をどうするかについて、つまり彼らがその能力をまるで使っていないとか、間違った方向に使っているとかをジャッジすることなどできません。更に、あなた方はいつも、死と痛みはあなたに起こり得る最悪の出来事であるという誤った思い込みにしがみついています。ここで申し上げますが、肉体的な死を罰であるとみなすのは、絶対にあってはならないことです。最悪なのはスピリチュアルな死で、それは最も抵抗の少ない道を進んだ先の突き当たりであなたを待っています。

 質問:霊的な死とは何ですか?

 回答:霊的な死とは、意識的であれ無意識的であれ、闇の力へと自分自身を明け渡してしまうこと、言い換えれば、自分自身を神の世界から切り離してしまうことです。つまり、神から分離しているスピリットが存在するだけでなく、神から分離している人々も又、存在するのです。彼らが神に属する集団に入ることはありません。なぜなら彼らは抵抗がもっとも少ない道を好んで歩き、 自分の弱さに屈しがちであるからです。故に彼らは、死者の国に属するのです。これが霊的な死です。けれども、この状態は永遠に続くものでは決してありません。


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